教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

AKB48は歌がヘタでもかまわん気が

2012-04-05 00:01:31 | 経済/経済/社会
AKBの税金問題にアクターズスクール代表が苦言「下手な歌やダンスは世界中どこへ行っても下手」
http://entameblog.seesaa.net/article/262204768.html

> 安室奈美恵やSPEEDのメンバーが出身で知られる「沖縄アクターズスクール」の代表が、アイドルグループAKB48の税金問題について苦言を呈した。
> AKB48をプッシュする日本文化庁について
> 「下手な歌やダンスは世界中どこに行っても下手。問題はAKBを選んだ文化庁」
> と自身のブログで述べていることが話題になっている






AKB48は歌やダンスがヘタなのか?

知らん。
1度たりともマトモに見たことがない。

国民の血税でAKB48をやとうのはありなのか?

知らん。
良し悪しを語れるくらい事の顛末も費用対効果も知らん。

では。
もしAKB48は歌やダンスがヘタだったとしたら、国民の血税でAKB48をやとうのは許されないのか?

AKB48をボーカリストとして雇うのであれば、断固NGだ。

欧米で活躍しているボーカリストのレベルと比べれば、日本の歌謡界など大人と子供くらいレベル差がある。
そんなものに競争力があると思うほうが間違いだ。

しかし!

AKB48の主たるソリューションは歌を聞いてもらうことではない。
もし歌を聞いてもらうことこそが目的であるならば、音楽CDがオマケでついてくる投票券を1人で何枚も買うヘンタイさんが巷にゴロゴロ転がってなどいはしない。

AKB48の主たるソリューションは何なのか?

AKB48の良さはわたしにはよく分からん。
だが、少なくとも歌ではないことだけはたしかだろう。



アイマスでいうと、これはやよい的か千早的かの違いなように見えなくもない。

AKB48はやよい的であり、
千早的なものの代表例というとZARDだろうか。

やよいはかわいい。
しかし、そのかわいさは歌を歌っている最中の音声に多く含まれているかというと、よく考えてみればそうでもない。
したがって少々コジツケ気味だが、やよいは歌は巧くなくても良いというリクツにもなる。

千早もかわいい。
千早は歌が自身の存在理由だという精神的な縛りがあり、それが千早を千早たらしめている面が強い。
千早から歌を切り離してしまうとアイドルとしてはなりたたない。
しかし、逆に歌だけあればアイドルとして成り立ちうるかもしれない。
それはあたかもZARDかのごとく見える側面もある。

つまり何がいいたいのか?

AKB48は別に歌はうまくなくてもいいんじゃね? ってぇことだ。



やよいを遠めに見守って愛でている大きなお友だちが幸せであるように、AKB48の提供できるものはそういうものなんじゃないかという気がする。
AKB48で心が満たされる人たちのほとんどは、たぶん歌のうまい/ヘタを全く気にかけていないんじゃないかという気がする。

欧米のボーカリストというと、どいつもこいつもトゥームレイダーの女主人公みたいなツラがまえをしているじゃないか。
逆にいえばその正反対の魅力を表現できているJPOPはそれとバッティングしない数少ない競争力の源泉でもあるわけだ。

そうではないものというと、例えばKARAだろうか。
KARAみたいなのは日本人アイドルができもしないのに無理して見た目だけ欧米のセレブのマネをしたアジア製のパチモンのように見えるフシもある。
そんなものが文化と言えるかというと、ガラパゴス的ではないにせよ、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがないものがある。

血税投入云々はビミョーな問題だが、AKB48を投入しようとしている文化庁の目のつけどころはそうそう間違ってはいないはずだ。



AKB48のファンでもない我輩が語るのもなんだか変な気もするが、とりあえず文化庁擁護の側に回っておこうかと思う。