アイマスのコミック展開モノはいくつかある。
だが。
メインヒロインの春香をさしおいて、なぜか千早がメインになっているマンガ化作品がある。
「アイドルマスター2眠り姫」という作品だ。
なぜ千早メインにした?
作者の趣味でそうなったのか?
なぞだ・・・
この手のものはとりあえずハーレム展開するのが正攻法なのだが、どうしてこう読者を選びそうな設定にあえてしたのかナゾでしかたがない。
まあ、我輩は千早ファンなんだから特にそれについて異論があるわけでもないし、あえて正攻法から外れて変なことをやるのは一般論として歓迎したいところだが。
千早はなぜ歌うのか?
この問いには一言では答えられない。
当blogdめおいずれ書いておきたいという気もする。
このマンガもその話題に踏み込んでいる。
では、このマンガはその問いにどう答えたのか?
> でも…やっとわかった気がします
> 歌うことに…理由なんて…
> ただ…私の歌を待っていてくれる人達がいるのならー…
> 私の歌は
> きっと…その人達のためにあるのだから
そう解釈している。
アイマスに触れた者にとって、アイマスの登場人物たちは必ずしも1通りの解釈しか許されないものでは決してない。
それはニコニコに登場する数多くのPによって二次創作された作品群の厚みがそれを物語っている。
茜虎徹氏の解釈した答え。
これを見て、そういうふうに見る人も中にはいるのかと気付いた次第である。
実はわたしの解釈は少し違う。
いや、ものすごく大きく解釈が異なる。
人の顔など見ずに自分ひとりだけ孤高の世界を見つめているのが千早だ。
自分の歌を待っていてくれる人達のために歌うのは千早ではない。
少なくともわたしの中では。
たとえば格闘家はどうだろうか?
強くなりたい。
ただそれだけのために修練を積む。
けっして試合を見にきてくれるファンのためにサービスするために試合をするエンターテイナーとしての意識でそうするのではない。
アイドルはどうだろうか?
エンターテイナーとしての意識でそうするのは否定しない。
しかし。
千早にはエンターテイナーとしての意識は似合わない。
ただ独り、もっとうまく歌いたい、それだけのために修練を積むのが千早ではなかろうか。
世界で核戦争が起き、人類が絶滅して自分だけ生き残ったとしよう。
その状況下において、仮に当面の生存に困窮しそうにないとして、それでも歌を歌えるだろうか?
春香なら歌は歌わないかもしれない。
観客がいないからだ。
千早はそれでも修練を積むだろう。
観客が二度と現れないとわかっていてもだ。
誰かのために歌うなんて、千早がそんなヌルいことなど言ってほしくはない。
あずささんなら似合うかもしれない。
理想の人ただその人のためだけに歌うことこそを理想とするからだ。
しかし。
千早はそんな砂糖をまぶした甘美な生き方は望んでいないはずだ。
千早が人生を賭して成そうとしていることはそういう事ではないはずなんだ。