教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

誰もは幸せにはなれない…だがそれでいい(SOA)

2012-12-07 00:33:27 | オタネタ全般
ソードアート・オンライン第22話。
ついに妹にバレるの巻。
(タイトルの正式名称は「グランド・クエスト」)

キリトの中にちゃんとアスナがまだいることがわかってうれしい。
だが妹が不幸になるのも見ていて辛い。

・・・だが、これでいいんだ。

作品のなかで特定のカップルが成立し、その特定のカップルの外野は不幸になる。
そんな話は数限りなくある。

最近見たなかで最も衝撃的だったのは”ましろ色シンフォニー”だ。
トラウマになるほど視聴してダメージを受けた。
あれはもう1度見るにしてはあまりにも辛すぎる。

・・・だが、これでいいんだ。

なぜか?

かつてそうじゃあないものを見たからだ。

たとえば”冬物語”。
メインヒロインに最初から最後まで振られたあげく、キープの女とくっついてハッピーエンド。

ふざけんな!
なんだそれは!!

たとえば” 世界の中心で、愛をさけぶ”。
死んだメインヒロインの墓参りに新しい女つれていって終わり。

ふざけんな!!!
なんだそれは!!!!

と、当時わたしは思ったわけですよ。

中には
「ハッピーエンドでよかったじゃないか、なにが不満なんだ?」
というヤツもいる。
いやそのほうが多数派かもしれん。

だがわたしの良心は主人公のその行動を許さん。

SOAでたとえて言うとだな・・・

アスナはアスナで上の階で脇役の男の誰かとくっついて、キリトはキリトで妹とくっついて、それはそれで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。

アスナはゲームの世界からけっきょく戻ってこれなませんでしたが、キリトは妹と結婚してリアル世界で末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。

みたいな話になるわけなんだよ。
これでめでたしめでたしとして許せるというヤツはわたしとイデオロギーを共有することはできない。

ならば。
そうならないようにするにはどうすればいいのか?

誰かが不幸になるしかないんだよ。
そう、ましろ色シンフォニーのように。