弐瓶勉というマンガ家がいる。
氏の代表作は「BLAME!」。
このマンガはとんでもない。
スケール感に圧倒される。
我が国で方法論として確立している、いわゆるヒューマンドラマ重視のテンプレが、ほんの少しも使われていない。
こんなマンガを書けるヤツは日本ではこの男しかいない!
このマンガを読まずして日本のハードSFは語れず!!
そして氏の最新の連載は「シドニアの騎士」であり、それをアニメ化したものが今放送されているのだ!
これは見るしかないだろ!!
・・・というのとはちょっと違う。
「BLAME!」とくらべて「シドニアの騎士」は大幅に変わった。
ヒューマンドラマがある程度重視されるようになり、とっつきやすい話の起伏が織り込まれるようになった。
あえてわかりにくくしてリアリティーを追及していた部分に手を入れ、読みやすさとのバランスを重視するようになった。
人物画もいまふうの作画になり、エロゲの世界から来た人でも拒否感を感じないほどに丸くなった。
ようするに、格段にとっつきやすくなった。
しかし!
弐瓶勉氏らしくなくなった!
こういうことはラノベの世界ではよくある。
処女作では、少々とっつきにくく読みづらいが、しかしその文体から臭ってくる独特の世界観が代えがたい魅力がある作品がけっこうある。
だが連作するにつれ、格段に読みやすくはなったが、凡百のラノベに等しくなり下がってしまい、二度と買わなくなった作家もかなり多い。
わたしは弐瓶勉氏の作品をそんなふうに見てしまいたくないと感じ、「シドニアの騎士」は途中から買わなくなった。
でだ。
忘れたころにアニメ化された。
「これはどうだ?」
わたしは恐る恐る見てみた。
アニメ版はマンガ版とは別のベクトルの作画でその濃ゆい世界を表現していた。
・・・思ったより悪くないではないか。
いや、むしろ良いのでは・・・?
そう。
わたしの懸念は意外なことに全然別の方向へ向かうことで払しょくされていたのだ。
ファーストガンダムしか許さんと頑なに拒否する古参のガンオタがダブルオーを見て悪くないと感じたのと同様に、原点のようでいて原点でない別の着地点に回帰して成功したのだ。
「BLAME!」に心底しびれ、「BLAME!」の再来を願う者たち、そんな経典主義的な同志諸君にはある意味勧められない。
だがこれはこれでよくできているのでぜひ見ろとは言いたい。
氏の代表作は「BLAME!」。
このマンガはとんでもない。
スケール感に圧倒される。
我が国で方法論として確立している、いわゆるヒューマンドラマ重視のテンプレが、ほんの少しも使われていない。
こんなマンガを書けるヤツは日本ではこの男しかいない!
このマンガを読まずして日本のハードSFは語れず!!
そして氏の最新の連載は「シドニアの騎士」であり、それをアニメ化したものが今放送されているのだ!
これは見るしかないだろ!!
・・・というのとはちょっと違う。
「BLAME!」とくらべて「シドニアの騎士」は大幅に変わった。
ヒューマンドラマがある程度重視されるようになり、とっつきやすい話の起伏が織り込まれるようになった。
あえてわかりにくくしてリアリティーを追及していた部分に手を入れ、読みやすさとのバランスを重視するようになった。
人物画もいまふうの作画になり、エロゲの世界から来た人でも拒否感を感じないほどに丸くなった。
ようするに、格段にとっつきやすくなった。
しかし!
弐瓶勉氏らしくなくなった!
こういうことはラノベの世界ではよくある。
処女作では、少々とっつきにくく読みづらいが、しかしその文体から臭ってくる独特の世界観が代えがたい魅力がある作品がけっこうある。
だが連作するにつれ、格段に読みやすくはなったが、凡百のラノベに等しくなり下がってしまい、二度と買わなくなった作家もかなり多い。
わたしは弐瓶勉氏の作品をそんなふうに見てしまいたくないと感じ、「シドニアの騎士」は途中から買わなくなった。
でだ。
忘れたころにアニメ化された。
「これはどうだ?」
わたしは恐る恐る見てみた。
アニメ版はマンガ版とは別のベクトルの作画でその濃ゆい世界を表現していた。
・・・思ったより悪くないではないか。
いや、むしろ良いのでは・・・?
そう。
わたしの懸念は意外なことに全然別の方向へ向かうことで払しょくされていたのだ。
ファーストガンダムしか許さんと頑なに拒否する古参のガンオタがダブルオーを見て悪くないと感じたのと同様に、原点のようでいて原点でない別の着地点に回帰して成功したのだ。
「BLAME!」に心底しびれ、「BLAME!」の再来を願う者たち、そんな経典主義的な同志諸君にはある意味勧められない。
だがこれはこれでよくできているのでぜひ見ろとは言いたい。