実家の庭に梅の木があって、今頃の季節は青々とした実がなっている(はず)。
生前の母はその梅の実で、父が家庭菜園で育てた赤紫蘇を使い
それはそれはおいしい梅干しを作ってくれたものだった。
その母が17年前に亡くなってからは、父がそのお役目を引き継いでいた。
ただ、父の場合は梅酒になる率の方が高かったようだけど
父の梅干し作りは、軌道に乗るまで大変。
「どうしても、かびが生えるんだよなぁ」と、常に冷静で穏やかな父が梅相手に業を煮やしていた。
時々かかって来る国際電話越しに、父のいら立ちがひしひしと伝わって来たものだった。
そして梅干し作りに挑戦し始めて、2年目のとある日の電話。
父は珍しく上機嫌
「“かびが生えないようにするには、焼酎を吹き掛けると良い”って
本に書いてあったんだよ」
本を見て、梅干し攻略法を発見したらしい。
「うんうん、それで」
「だから、さっきな・・・
焼酎を口に含んで、ぶわーーっと梅に吹きかけてみたんだ。
今度はうまくいくはずだから、待ってろよ」
「えっ」
い、今なんとっ
この時、有に1分間受話器を握り締めてかたまっていた私
「あの、ちょっとお父さん・・・」
「うん」
「“うん?”じゃなくて
そんなことしたらまずいよ、汚いじゃんっ」
「・・・まずくない、良い焼酎だ
ついでにちょっと飲んでみたら、美味かったよ」
「だから、違うってば
あのさっ、吹きかけるっていうのは、口に入れてブーッじゃなくて
霧吹きを使うんだよ、き・り・ふ・きっ」
「・・・霧吹きぃ?」
一瞬の沈黙・・・
私はショックを通り越して、今度は笑いが止まらない。
「そうか 霧吹きか。なるほど、吹き掛けるって、そういう手もあったか」
「“そういう手もあったか”じゃなくて、それしかないでしょ~普通っ」
やがて爆笑し始めた父。
どうやら、その焼酎がだいぶ回っていたようだ。
ところが父の開発した秘術、焼酎霧吹きのワザにも勝てず、その年の梅干しには
やはりかびが生えてしまっておだぶつとなってしまった。
でもあの年の梅干しが成功したところで、食べるのはちょっと遠慮させていただいたかも・・・。
その翌年、父が梅干し作りに挑戦し始めて3年目のこと。
とうとう悲願は達成された。
赤紫蘇の綺麗な色、香りを持つおいしい梅干しが出来上がった。
「焼酎は、ちゃんと霧吹きで吹きかけたんだぞ。お前がうるさいから」と父上。
私がうるさいから、じゃないでしょ
でも3年待ったあの梅干しは、父の愛情がこもっているようで最高においしかった。
あの頃は自家製梅干しが送られても大丈夫だったけれど
その後、オーストラリアでは個人の食品輸入規制に厳しさが増して
そういう自家製の食品を、日本から送ることはできなくなったんだわ(多分)。
あの時だけでも味わうことができて、本当に良かった
そんな父も3年前に帰らぬ人となり。
今はもう2度と口にすることができない、あのおいしい梅干しを
この季節になるとただひたすら懐かしく思い出して、心がいっぱいになる。
生前の母はその梅の実で、父が家庭菜園で育てた赤紫蘇を使い
それはそれはおいしい梅干しを作ってくれたものだった。
その母が17年前に亡くなってからは、父がそのお役目を引き継いでいた。
ただ、父の場合は梅酒になる率の方が高かったようだけど
父の梅干し作りは、軌道に乗るまで大変。
「どうしても、かびが生えるんだよなぁ」と、常に冷静で穏やかな父が梅相手に業を煮やしていた。
時々かかって来る国際電話越しに、父のいら立ちがひしひしと伝わって来たものだった。
そして梅干し作りに挑戦し始めて、2年目のとある日の電話。
父は珍しく上機嫌
「“かびが生えないようにするには、焼酎を吹き掛けると良い”って
本に書いてあったんだよ」
本を見て、梅干し攻略法を発見したらしい。
「うんうん、それで」
「だから、さっきな・・・
焼酎を口に含んで、ぶわーーっと梅に吹きかけてみたんだ。
今度はうまくいくはずだから、待ってろよ」
「えっ」
い、今なんとっ
この時、有に1分間受話器を握り締めてかたまっていた私
「あの、ちょっとお父さん・・・」
「うん」
「“うん?”じゃなくて
そんなことしたらまずいよ、汚いじゃんっ」
「・・・まずくない、良い焼酎だ
ついでにちょっと飲んでみたら、美味かったよ」
「だから、違うってば
あのさっ、吹きかけるっていうのは、口に入れてブーッじゃなくて
霧吹きを使うんだよ、き・り・ふ・きっ」
「・・・霧吹きぃ?」
一瞬の沈黙・・・
私はショックを通り越して、今度は笑いが止まらない。
「そうか 霧吹きか。なるほど、吹き掛けるって、そういう手もあったか」
「“そういう手もあったか”じゃなくて、それしかないでしょ~普通っ」
やがて爆笑し始めた父。
どうやら、その焼酎がだいぶ回っていたようだ。
ところが父の開発した秘術、焼酎霧吹きのワザにも勝てず、その年の梅干しには
やはりかびが生えてしまっておだぶつとなってしまった。
でもあの年の梅干しが成功したところで、食べるのはちょっと遠慮させていただいたかも・・・。
その翌年、父が梅干し作りに挑戦し始めて3年目のこと。
とうとう悲願は達成された。
赤紫蘇の綺麗な色、香りを持つおいしい梅干しが出来上がった。
「焼酎は、ちゃんと霧吹きで吹きかけたんだぞ。お前がうるさいから」と父上。
私がうるさいから、じゃないでしょ
でも3年待ったあの梅干しは、父の愛情がこもっているようで最高においしかった。
あの頃は自家製梅干しが送られても大丈夫だったけれど
その後、オーストラリアでは個人の食品輸入規制に厳しさが増して
そういう自家製の食品を、日本から送ることはできなくなったんだわ(多分)。
あの時だけでも味わうことができて、本当に良かった
そんな父も3年前に帰らぬ人となり。
今はもう2度と口にすることができない、あのおいしい梅干しを
この季節になるとただひたすら懐かしく思い出して、心がいっぱいになる。