DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その47

2012-12-23 13:00:44 | 物語

南米へ

晃は、戦後まもなく南米へ出かけた。表向きは観光だったが、本当は新たな大豆の購入先を探す旅だった。

ブラジルのリオデジャネイロは、驚くほど近代化を遂げていた。多くの新しいビルが建ち、港も美しく整備され、コパカパーナの白い海岸は輝いていた。世界大戦の影響を受けなかったこの国は、多くの外債を得ており、それを存分に活かした国づくりをしていた。すべてを破壊していく戦争ほどおろかなものはない。

続いて、ビジネスの中心地サンパウロを訪れ、それから、リオグランデ・ド・スール州にあるポート・アレグレとリオグランデを訪れた。共に、日系人が多く、行く先々で歓待を受けた。戦前から多くの移民がこの地に移り住み、大変な苦労をしながら現在の社会的地位を築き上げたことを思うと、頭の下がる思いがする。

ブラジルからウルグアイへ移動し、首都のモンテビデオに到着した。この国は、当時、積極的に人種平等主義に基づいた福祉国家の建設を進めており、「南米のスイス」と呼ばれていた。日系人の多くが花屋を営んでおり、平和な国の印象が強かった。

「彼らはインドのガンジーに心酔していてね、彼のような人に指導者になって欲しいと願っていましたよ。隣国アルゼンチンとは仲がよくなくてね、政治亡命者をかくまってやったりしているようでした。」

と晃は語ったが、1950年代後半から内戦が起こり、古きよき時代は崩壊していった。

アルゼンチンへの旅は、楽しいものではなかった。まだ独裁者フアン・ドミンゴ・ペロンが政権を握っており、彼の妻エバ・ペロンも生きていた頃である。「エビータ」という愛称で呼ばれたエバは、私生児として生まれ、十分な教育も受けていなかった。やがてラジオの声優になり、最後には大統領夫人にまで駆け上って行く話は有名であるが、彼女に対する評価は大きく分かれていた。

「エバは、労働者のために巨大なプールを作っていました。当時のアルゼンチンは社会主語国家とも言うべき時代で、私なども情報機関から監視されていたようです。とてもゆっくりと視察が出来るような雰囲気ではなかったので、そうそうに逃げ出すことにしました。ところが、出国の際に、国内でビジネス活動をしたのだから税金を払えというのですよ。エバが多くの施設を作るものだから、資金集めのために取れるところから少しでもお金を取り立てようとしていたのですね。私の滞在はわずか数日間で、確かにビジネスマンと話はしましたが、実質的なビジネスは何一つ出来ていなかったのです。そこで、弁護士を雇って身の潔白を証明し、やっと出国することが出来ました。二度と行くものか、と思いましたね。」

それから、晃は思いついたように付け加えた。

「アルゼンチンでのことですが、もっとも有力な穀物輸出商の役員に会ったとき、彼の机の上に日光の三猿の像が置かれてありました。これはどうしたのだと聞いたら、日本へ行った友人からお土産にもらったというのです。像の意味を知っているのか、と問うたら知らないとの答えでした。そこで、少し講釈をして差し上げました。」

ひとつ咳払いをすると、晃はこう続けた。

「『三猿像の意味は、見ざる・聞かざる・言わざるですが、消極的に相手の欠点を見たり、聞いたり、言ったりしないということではなくて、むしろ積極的に相手の実相を見なさい、という教えです。』と説明したのですが、『そんな深遠な意味があるとは知らなかった』と感心しておりました。」

ちなみに三猿像は、古代エジプトにもあり、世界各地に広く受け継がれている。

つづく

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12月22日(土)のつぶやき

2012-12-23 05:01:16 | 物語
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