DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その49

2012-12-25 15:48:00 | 物語

秋の日は短い。あっという間に日が落ちた気がする。

「私は、もう一度ネパールへ行きたい。」

83歳の年老いた体をデッキチェアーから起こすと、晃はつぶやいた。長い話を語り終えた彼の顔には、満足の表情が浮かんでいた。明治・大正・昭和と生き抜き、決して休むことを知らなかった彼の体躯からは、まだ強い生命のエネルギーがほとばしっていた。それは、不屈の意志であり、究極の愛情であった。

「あの国には、何かがある気がするのです。ヒンドゥー教とラマ教が混在する世界。騒音と静寂が対峙する世界。神と人間が共存する世界。古の時代から、多くの巡礼者、受難者、伝道師たちが滞在し、語り合い、旅立っていった世界。そこには、人類の歴史の痕跡が残っています。大国同士が侵しあう世界の歴史のはざまで、どうすれば人類が生き延びることができるのかを、真剣に考える必要があります。できることなら、私の家族のため、私の祖国のため、世界の平和のために、もう一度ネパールに行きたいと思います。」

日本という国が、どのようにして形作られたかについては多くの説があるが、どれも信憑性に欠けている。ただ、確からしいことは、複数の民族がたどり着いた果てが、日本列島という島国だったということなのだろう。その東には、深くて広大な海が広がっていた。まさに、極東だったのである。この地に着いた人々は、太平洋を見て絶望し、狭い陸地に安住の地を見出そうと努力してきたのだろう。その結果、大和民族という混合民族が形成されたと考えるのが妥当なのだろう。しかも、それは、『神』という名のもとに統合されてきたのだ。

「惟神道という言葉を知っていますか。『かんながらのみち』と読みます。国学者の賀茂真淵が『国意考』という書物の中で、『日本人には和らぎの心があるので、古代の素直な心情に帰ることが国家を治める上で大切である』と述べています。これが惟神道の精神です。地の果ての島にたどり着いたさまざまな民は、互いに共存する道を選んだのでしょうね。日本人は、忍耐強くて、優しい民族です。世界の多くの国を遍歴して、つくづくそのことを感じました。」

そういえば、ネパールやブータンの人々は、日本人とよく似ている。

「ネパールには、北に巨大な山がそびえたっています。『神々が住む山』ヒマラヤですね。これは、大きな壁です。そして、尊厳な存在です。東西から来た人々は、この地で休息したのでしょうね。ですから、この地には、いろいろな知恵が埋もれているはずです。私がジャワでお目にかかった大谷光瑞師も仏蹟を求めて訪れています。私は、多くの思想家や自分の経験から、『積極的な諦観』ということを学びました。皆がほしいと思って簒奪をするほど、この地球は豊かではないのです。」

浄土真宗本願寺派の法主であった大谷光瑞は、1902年から1914年までの間3回にわたって大谷探検隊を西域に派遣している。多くの探検家や冒険家を魅了してやまないネパールの地は、晃にとって原点とも言える憧れの場所であった。

「ところで、私はネパールでギーを買い付けて、ヨーロッパで売りたいと思っています。これは、日本人、ネパール人、ヨーロッパ人のみんなが喜ぶ仕事だと思いませんか。三国貿易を旨とする、日本の歩むべき道だと思います。ちょっと疲れてきました。それが私の『夢』です。」

そういって、晃は再びデッキチェアに体を預けた。

「どうも、長い時間、私の話を聞いてくれてありがとうございました。私はもう少しこうして、私の『夢』の続きを見たいと思います。夢の中で、大好きなネパール料理『ダルバ・タルカリ』をごちそうになります。ナマステ。」

つづく


12月24日(月)のつぶやき

2012-12-25 05:33:47 | 物語