現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

芝田勝茂「佐藤さとる・作 村上勉・絵 だれも知らない小さな国」

2018-01-07 10:23:06 | 参考文献
 「児童文学の魅力 いま読む100冊―日本編」所収の作品論です。
 芝田は、前に読んだ時には、「主人公セイタカさんとおちび先生の、小人という秘密を通してのふれあい。自然破壊に対する小人たちのゆかいなたたかい。小人たちのキャラクターのおもしろさ。」などの点をあげて、素晴らしい作品だと思っていたといいます。
 しかし、再読していろいろな問題があることに気がついたと述べています。
 芝田が問題だと指摘した第一の点は、小人たちのいる小山が「自分だけの閉じた世界」であることです。
 このことは芝田に限らずこの作品で議論される最大のポイントで、「だれも知らない小さな国」という題名にもあらわされているように、この作品世界は主人公ないしはその理解者たち(これは佐藤さとるとこの作品を支持する読者たちと、等号で結ばれています)だけのものであり、理解しないものは受け入れない排他性につながっていると思われます。
 芝田が指摘した第二の点は、「戦争とのかかわり」です。
 これも必ず議論になる点ですが、この作品での戦争中の描写はほんの数行だけで済まされているのです。
 好意的に評すれば「戦争を通しても変わらぬ価値(小山や小人の存在)を主人公(作者)は持ち続けた」となりますが、芝田は作者が戦争を封印していると指摘し、それだけ佐藤さとるにとって戦争の傷は深かったのかもしれないと推測しています。
 しかし、芝田も述べているように、この作品で作者が戦争体験を忌避していることは明らかで、作者の「戦争」に対する意見の表明は留保されたままです。
 最後の問題点として、芝田は「現実とのかかわり」をあげています。
 ここでも、作者の姿勢は現実からの逃避(これは、佐藤さとるがモデルにしているイギリスのファンタジー、例えばケネス・グレアムの「楽しい川辺」などとも共通しています)であるともいえます。
 この作品ではまだはっきりしていませんが(続編の作品群では明らかになっています)、芝田が指摘しているように、佐藤さとるが創造したコロボックルの社会は、人間社会の遅れてきたモデルにすぎなかったのかもしれません。

児童文学の魅力―いま読む100冊 日本編
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文溪堂
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大江健三郎「案内人」静かな生活所収

2018-01-07 10:20:42 | 参考文献
 タルコフスキーの1979年公開の映画「案内人」を話題にして、主人公のマーちゃん(女子大生)、知的障碍者で音楽の才能を持つ兄のイーヨー、受験生の弟のオーちゃん、イーヨーが音楽を教えてもらっている学者夫妻の会話で構成されています。
 全体として、映画に現れる「呪われた子供」が、キリストかアンチ・キリストかの議論を、障碍者として生まれたイーヨーと結びつけ、どちらであっても兄として受け入れようとする主人公の気持ちが描かれています。
 タルコフスキーの映画自体が非常に抽象的なので、実際に見たことのない人(もしかすると見た人も)には、内容を理解することはかなり困難でしょう。
 また、五人の会話も非常に知的ではありますが、一般的な読者にはついていけない部分がたくさんあると思われます。
 そのため、ラストの新宿駅の小田急線のホームで発作(てんかんと思われます)を起こしながらも、人ごみの中で妹をかばおうとするイーヨーと、そのことで兄との結びつきをさらに深める主人公の姿に素直に感動できないかもしれません。
 なお、映画の原題は「ストーカー」なのですが、これが現在日本で使われているような意味ではなかった時代の作品(映画もこの短編も)であることを、おことわりしておきます。

静かな生活 (講談社文芸文庫)
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講談社
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