現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

丘修三「ワシントンポスト・マーチ」ぼくのお姉さん所収

2018-01-30 08:41:49 | 作品論
 脳性マヒで養護学校に通う、主人公の少年とクラスメートの少女の交流を描きます。
 少女は兄の、少年は姉の結婚式に出席するのを、それぞれ楽しみにしています。
 ところが、少女は結婚式に出席できませんでした。
 少年の方も、「親戚の恥」だと言われて、結婚式を欠席するように圧力をかけられます。
 けっきょく、姉とその結婚相手の強いサポートで、少年は出席できるようになります。
 しかし、少年は、少女のことを思いやって、自分も出席できなかったと、彼女には告げます。
 障害者を恥とする差別、それは現在でもこの作品が書かれた30年前と変わらずにあることでしょう。
 そういった偏見を乗り越えて、障害者と健常者のみんなで助け合って生きていこうという、作者の力強いメッセージが時を超えて伝わってきます。
 ただ、表題のワシントンポスト・マーチは、主人公が元気を出すための音楽なのですが、三十年前と比較するとややポピュラーでなくなっているので、このタイトルを聞いてメロディが浮かんでくる読者は減っているかもしれません。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社
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大江健三郎「自動人形の悪夢」静かな生活所収

2018-01-30 08:40:13 | 参考文献
 この作品でも、主人公の女子大生のマーちゃんと知的障碍者の兄のイーヨーの、イーヨーが作曲を教わっている父(大江健三郎を想起させる作家)の友人夫妻との交流を描いています。
 短編の中に、障碍者に対する差別(バスで女子高校生たちにイーヨーがぶつかって「落ちこぼれ」と罵られます)、「なんでもない人」(父のような「いくらか名の知れた小説家」でもなく、兄のような障碍者(ただし作曲の才能がある)でもない)としての生き方、両親の留守宅(父親が精神的なピンチのために、外国の大学の居住作家の申し入れに飛びついて、母親を連れて赴任している)助け合う三人兄弟(受験生ながら兄や姉を思いやる弟も含めて)、ポーランドの詩人や作家への弾圧への抗議活動、作者が傾倒しているブレイクの作品などを詰め込んだために、他の記事で書いたような二重視点のうちの作者の部分が強く出すぎていて、素直に主人公を応援できませんでした。
 この作品は1990年前後に書かれたのですが、作品の背後に、共産主義国家の行き詰まりと、それに伴って方向性を見失った革新系の人々の状況が、色濃く漂っています。
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