駅のターミナルの反対側の不便な場所にある、古い大きな商業ビルが舞台です。
ネゴロは三十代前半の長身の独身女性(津村の分身か?)で、あまり景気の良くない小さな会社の支所に勤めています。
フカボリは二十代後半の独身男性で、やはり不景気で給料がカットされてしまう建築関係の計測会社の支社に勤めています。
ヒロシは小学六年生で、ビルの中にある塾に通っていますが、コインロッカー屋でアルバイトもしています。
この全く関係のない三人が、ビルの四階にある物置き場で、別々に息抜きをしています。
ひょんな事で、三人はお互いに正体を知らないまま、手紙や物をやりとりします。
一読して、「これは作者の今までの「仕事小説(あるいは学生小説)」の集大成なんだな」という気がしました。
「ワーカーズ・ダイジェスト(その記事を参照してください)」での複数主人公がすれ違うように生きる姿の書き方。
「まとまな家の子はいない(その記事を参照してください)」での現代の子どもたちの生きづらさ。
「とにかくうちに帰ります(その記事を参照してください)」での、大雨による帰宅困難シーン。
そういったすべての要素が、この作品には詰め込められています。
三人が感染症にかかって入院したり、ビルが解体されそうになるなどのピンチが、最後は一応回避されてひと段落という感じですが、今までの作品に比べると、仕事などへの将来の展望の暗さは一段と増したように思えます。
それに代わって、人との結びつきの重要さが強調されています。
ネゴロは、ビルで働いているいろいろな同性の人たちの存在が救いになっています。
フカボリは、ひょんなことからビルで知り合った女性と再会できます。
ヒロシは、勉強に向いていない(その一方で物語作りや手仕事(スケッチや消しゴムハンコなど)には才能を示しています)ので塾へ行きたくないことを、ようやく母親に打ち明けられます。
こういったラストでは、今までの作品よりも、仕事や勉強に対する作者の否定的な見方が強くなっています。
これは、作者が会社を退職して、作家専業になったことが影響しているかもしれません。
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