現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

オオカミウオ

2020-02-09 09:33:34 | 作品
 私はオオカミウオです。
北の冷たい海で生まれ、そして育ちました。体が一メートル以上もあって牙も強いので、怖いものは何もありません。
冷たい海の底をゆうゆうと泳ぎ回り、好物の貝を殻ごとバリバリと食べていました。
 オオカミウオの名の由来は、鋭い牙と発達したあごでしょう。
 でも、陸上のオオカミのようなスマートな姿はしていません。灰色のごつごつした体にはうろこもなく、まるで溶岩のようです。頭でっかちで、大きな口から牙があちこちを向いてはみ出している姿は、自分で考えてみても、まさに海の怪物です。
 小さな魚たちは、私を恐れてそばに近づきません。私の方でも、そんな魚たちを、牙をむいて追い回していました。
 時々見かける自分と同じオオカミウオたちとも、喧嘩ばかりしていました。仲間たちと出会うと、醜い自分の姿を突き付けられたかのようでどうにも我慢できず、むやみにかみついてしまいます。
 もちろん彼らも反撃してきましたので、うろこのない私の体には、仲間たちから受けたかみ傷が、いく筋もついています。
 私は、大嫌いな仲間たちからしだいに離れて、北の海底に見つけた岩穴の巣で、一匹だけで暮らすようになりました。

その日も、私は、小さな魚たちを追いかけまわしていました。
 そのために、ついつい巣のまわりから離れた時でした。
(あっ!)
 突然、私は、漁船の仕掛けた網に引っかかってしまいました。いくらもがいても、網はますます体にからんできます。
 まもなく、私は船の上に引き上げられてしまいました。
「ちっ、ろくでもないのがかかったな」
「たたっ殺せ」
 漁師たちが、口々に叫んでいます。
 私は、観念してじっとしていました。水の外に引き上げられては、私の強い牙も、人間たちには意味のないものだということは明らかです。
「おい、ちょっと待て」
 年配の漁師が、ハンマーを振り上げた若者を押しとどめました。
「こいつはオオカミウオじゃないか。それほど珍しくはないけどな、もしかすると、水族館に売れるかもしれないぞ」
 その言葉に、ハンマーは私の体に振り下ろされませんでした。

 私は、わずかな金と引き換えに命を助けられ、その漁船の母港であるA市の水族館に連れていかれました。
 水族館は、漁港になっている小さな湾をグルッとまわった、岬の突端にあります。
 見ものといったらいかにも北の町らしいトドやアザラシぐらいで、展示されている海の動物たちの数も少ない所です。
 でも、私のようなオオカミウオは、ここでもありふれているらしく、水槽に入れられると仲間が十匹以上もいました。
 私は、世の中で最も嫌い自分の仲間たちの真っただ中に入れられ、カッとして隣の奴の腹にかみついてしまいました。
 パッと、真っ赤な血が水そうに広がります。
 しかし、そいつは、少しもはむかおうともせずに、こういっただけでした。
「殺してくれ」
 他のオオカミウオたちは、関心なさそうに同じ方向を向いて、水底にじっとしています。
 私は、自分で自分を抑えることができずに、狂ったように彼らをかみ続けました。
 水槽の中の水は、彼らの血で濁っていきました。
 騒ぎを聞きつけた飼育員が飛んできました。
 とうとう私は、別の水槽に一匹だけで入れられてしまいました。
 
私は、三メートル四方ほどの水槽の中をゆらゆらと漂いながら、あたりを見まわしていました。
 私の水槽がある部屋の中央には、柱の回りに四方に向かって長椅子が置いてあります。
 他の三つの長椅子には、よく人が座って水槽をながめていました。
「きれいな魚だなあ」
「おもしろい模様だね」
 そこから見える水槽の魚たちについて、話をしています。
 でも、私の正面の長椅子だけは、めったに人が座りません。どんなに館内が混んでいても、そこだけがポツンと空いているのです。
 たまに人がいたとしても、なるべく私の方を見ないようにしているのがよくわかります。
 水槽を、順番にのぞきながらやってきた人たちは、私の水槽の前に来ると、一様にビクッとして体を後ろへ引きます。
 そして、こんなひとことを残して、すぐに他のきれいな魚たちの水槽へ行ってしまいます。
「まあ、なんてこわい顔」
「すごい傷だなあ」
「オ・オ・カ・ミ・ウ・オ。ふーん、なるほどな」
 毎日、私は、水底にじっとして、正面を見ているようになりました。
時間は、ゆっくりと過ぎていきます。

 ある日、一人のおじいさんが、私の前の長椅子に座っていることに、気がつきました。そして不思議なことに、(自分でいうのもおかしいのですが)、私をじっと見つめているのです。
 私は、狼狽して目をそらしてしまいました。
 すると、おじいさんは、持っていた小さな袋から、ミカンを取り出しました。
 ひと房ずつ、ていねいに白い筋をむいて、ゆっくりゆっくり食べています。
 私は、ついその手元、そして次に口元と、ミカンを食べるのをじっと見てしまいました。
 やがて、おじいさんはミカンを食べ終え、再び私の方を見ました。気のせいか、微笑んだようです。白いひげが、電灯にキラリと光りました。
 
それから毎日、おじいさんは、私の前の長椅子に、やってくるようになりました。それも、いつも昼過ぎの決まった時刻に現われます。
 杖を突いて、足を少しひきずっています。もしかすると、おじいさんは、歩く練習のために水族館にやってきているのかもしれません。
 長椅子に二、三十分座って、休みながらミカンを一つか二つ食べます。そして時々、私を正面からじっと見てくれます。
 おじいさんがこちらを見ている時には、私は、なんだかきまりが悪くて目をそらしてしまいます。そして、いつものようにていねいに、ゆっくりゆっくりミカンの筋をむいている様子などを、横目で見たりしていました。
 私は、おじいさんが来るのが、だんだん楽しみになってきました。
そして、自分の今までの荒んだ暮らしが、悔やまれてならないようになりました。
(おじいさんのように、穏やかに暮らしたい。もし、あの北の暗く青い海へ帰れたら。いや、せめて一匹でも仲間に会えたら、今の気持ちが伝えられるのに)

一か月ほどしたある日のことでした。
 おじいさんは、その時も私の前の長椅子に腰を下ろしていました。ひとしきり私をながめた後、いつものようにミカンを取り出しました。
 と、その時、
「ワーッ」
という歓声が聞こえてきました。そういえば、今日は遠足で子どもたちが来ているようでした。
 部屋の中に、小学生の一団が走り込んで来ました。我勝ちに、水槽に取り付きます。中には、ふざけて押し合っている子どもたちもいます。
 一人が、よろけたはずみにおじいさんに突き当たりました。
 おじいさんの手から、皮をむいたミカンが落ちました。さらに、袋からもいくつかのミカンが床にこぼれてしまいました。
 そして、
(ああ、おじいさんの顔が怒りに歪んでいます)
 ステッキが振り上げられました。
 私は、固く目を閉じました。
 その後、おじいさんは、再び私の前に現れませんでした。

 それからしばらくしたある日、一人の男の子が私のいる部屋へ入ってきました。
 平日の昼下がりなので、他には客はいません。
 男の子は、しばらくあたりの様子をうかがっていました。
 誰も来ません。
 すると、男の子は、パッと長椅子の上へ飛び上がりました。もちろん、土足のままです。そして、飛び跳ねながら、柱の回りを一周しました。長椅子には、男の子の運動靴の跡が、くっきりとついてしまいました。
 次に、男の子は、水槽のガラスを順番に両手で叩き始めました。振動に驚いて、小さな魚たちは逃げまわっています。
 私の水槽にも、やってきました。
 男の子は、私を見てちょっと驚いたようです。
 でも、すぐに舌をベーッとばかりに出していいました。
「バーカッ」
 私は、あっけにとられて男の子を見送りました。
 
その日から、男の子は、時々、私たちの部屋にやってくるようになりました。いつも、他の人のいない平日の昼下がりです。
(学校は、サボっているのでしょうか?)
 いつもイタズラの限りを尽くしてから、部屋を出ていきます。

 ある日、男の子がいつものように長椅子の上で飛び跳ねている時に、水族館の掃除係の人が部屋に入ってきました。
「あっ、このガキ。おまえだな、いつもいたずらをしてるのは」
「いけね」
 男の子は、あわてて長椅子を飛び降りました。
「待てーっ」
 係員は、後を追いかけます。
 男の子は、すばしっこく部屋のあちこちを逃げ回っています。
 しかし、とうとう最後に、男の子は捕まってしまいました。男の子は、係員に引きずられるようにして部屋を出ていきます。
 でも、男の子は、最後に私に向かって、Vサインを送ってきました。
 私も、男の子にウインクを返してあげました。
その後、男の子も来なくなりました。

 時間は、ゆっくりと過ぎていきます。私は、以前と変わらず、水底でじっと前を見ています。
 時々、夢を見ます。夢の中で、私は、生まれ故郷の北の海、その深い深い水底にじっと横たわっています。
 そして、以前はこわがって近寄らなかった小さな魚たちが、私の牙の間を出たり入ったりして遊んでいるのでした。


オオカミウオ
平野 厚
メーカー情報なし




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