現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ユウとゴンタだけの秘密

2021-05-20 14:14:34 | 作品

 

 K電鉄の線路は、ユウのマンションの前にある踏み切りをすぎると、左へ大きくカーブしていた。カーブが終わる所には、幅百メートルぐらいの川があって、灰色に塗られたアーチ型の鉄橋がかかっている。
 ユウは、線路の両側を結ぶ鉄橋下の通路へ、よくでかけていった。夕方には、イヌと散歩をするお年寄りやジョギングの人たちが、その通路を使っている。
 でも、ユウが行く三時ごろには、そこを通る人はほとんどいなかった。
 ゴトン、……、ゴトン、……。
 遠くから、レールをたたく響きが伝わってきた。電車がやってきたのだ。
 ガガガ、ガーン。
 やがて、頭の真上を、電車が通り過ぎていく。耳がつぶれそうなすごい音だ。
「ワーッ!」
「キーッ!」
「ギャーッ!」
 ユウは、両耳を手でしっかり押さえて、思いっきり叫んでみる。
 電車が通り過ぎてから手を放すと、しばらくの間、頭がポワンとして変な気分になる。ユウは、それが大好きだった。

 ある日、ユウは、鉄橋下の通路に幅の狭い鉄製の階段がついていることに、気がついた。堤防にそって、鉄橋の上の方まで続いている。形は、スベリ台を登るはしごに似ていた。
 そこから、鉄橋の上へ登れそうだ。鉄橋の点検用なのかもしれない。
 階段のまわりは、高さ二メートルぐらいの鉄柵に、取り囲まれている。柵の中へ入る小さな扉にも鍵がかけられていて、『関係者以外立ち入り厳禁』と書かれた鉄製の注意板が取りつけてあった。
 しばらくの間、ユウは、あたりの様子をうかがっていた。
 だれも、やってきそうにもない。
 鉄柵に手をかけてみた。扉を足がかりにすれば、簡単に上れそうだ。
 次の瞬間、ユウはするすると鉄柵を乗り越えてしまっていた。
 階段を途中まで登ったとき、ユウはちょっとヒヤリとした。堤防がそこで終わっていて、右下に川が丸見えだったからだ。水面までは、五メートル以上の高さがある。川の両側には河原がぜんぜんなく、堤防ぎりぎりまで水がきている。
 ユウは手すりをしっかりと握り直すと、また登り始めた。鉄製の階段は、足元でダンダンと大きく響いている。
 とうとうユウは、階段のてっぺん、鉄橋の上へ出られた。
 そこは、畳二畳ぐらいの狭い場所で、西側の半分は、バルコニーのように川へ張り出している。
 残りの半分は、鉄橋のアーチの根元の部分だ。
 アーチをつくっている鉄の柱は空洞になっていて、バルコニーから中に入れる。ユウが上をのぞいてみると、あちこちの隙間から、少しずつ日の光がもれていた。
 柱の中から出てきたユウは、「バルコニー」の上から珍しそうにまわりを眺め始めた。
 鉄橋の下を流れているS川は、ずっと昔は水が汚いことで全国的に有名だった。
 でも、今ではすっかりきれいになっている。くさいにおいもほとんどなかった。
 川のこちら側は、住宅やユウが住んでいるようなマンションが建ち並んでいる。
 向こう岸には、鉄筋の校舎や体育館が見えた。中学校みたいだ。
 それに、低い建物がいくつも続いている場所もある。確か、前に学校の社会見学で行った浄水場だと思う。
 タンタンタンタンタン、……。
 遠くから、小さな振動が伝わってきた。それが、だんだん大きくなってくる。
(あっ!)
 鉄橋の向こう側に、電車が現れた。
 ユウは、運転士に見つからないように、あわてて柱の中に飛び込んだ。
 ゴゴーン、ゴゴーン、……。
 電車はものすごい音をたてながら、ユウのすぐそば、おそらく一、二メートルしか離れていない所を通り過ぎていった。
 電車の音が完全に聞こえなくなるまで、ユウは柱の中でじっとしていた。

 それからというもの、ほとんど毎日のように、ユウはこの「秘密の場所」へ遊びに来るようになった。
 「バルコニー」には西日がよくあたっていて暖かいし、風も気持ちがいい。それに、なんといっても、眺めが抜群なのだ。
 柱の中はちょっと狭かったけれど、逆にそこに隠れてしまえば、ユウの姿は外から完全に見えなくなった。
 ユウは、電車が来るたびに、見つからないように柱の中へ入り、安心できる時だけ「バルコニー」に出るようにしていた。このことも、まるでかくれんぼでもしているみたいで、気にいっていた。
 ユウは、柱の中にたまっていた枯れ葉やごみを、すっかりきれいに片づけた。鉄板の上に直接腰を下ろすとひんやりするので、小さなビニールの座布団を持ち込んでいる。
 ユウは、「秘密の場所」でおやつを食べたり、マンガを読んだりすることもあった。
 でも、たいていは、まわりの景色やたまに下の川を通っていく船などを、ただぼんやりと眺めているだけだった。
 「バルコニー」から水面までは、十メートル近くの高さがある。風が強く吹いてガタガタ揺れると、さすがにちょっと怖かった。それに、時々、すぐそばをすごい音をたてながら電車が通るから、普通の人だったらとても長くはいられなかっただろう。
 でも、ユウは、狭い柱の中で電車が通り過ぎるのを待つことも、まったく苦にならなかった。

 ユウが狭い所を平気なのは、小さなころからずっと住んでいた公団住宅のせいかもしれない。
 ユウは、去年の十月に今のマンションに引越してくるまでは、郊外の団地で暮らしていた。家族は、両親と三つ年上のにいさんと四人だった。
団地の家には、台所などを除くと、六畳間が二部屋あった。ひとつは、居間兼両親の寝室だ。もうひと部屋が、ユウたちの勉強部屋兼寝室になっている。
 でも、ユウたちの部屋には、かあさんのタンスやとうさんの本棚などが、ところ狭しと置かれている。だから、勉強机は、にいさんの分しか置けなかったのだ。
 でも、そんなことは、ユウにはちっとも気にならなかった。宿題をやったり、本を読んだりするのは、夏は食堂のテーブルでできる。冬の間は、とうさんたちの部屋にこたつがあった。
 ユウのうちでは、かあさんもフルタイムで働いている。だから、夕ごはんはいつも八時近くになっていた。それまでに、どこかで宿題をやっておけば、ぜんぜん支障がない。
 問題は、夜寝る所だ。布団を敷くスペースも、にいさんの分しかなかった。それで、ユウは、いつも押し入れの上の段で寝ていたのだ。
 でも、ユウは、その押し入れベッドが大好きだった。
 九時近くになると、にいさんの布団をさっさと外に出して、自分の寝床を整え始める。そして、マンガや大好きな動物図鑑を何冊もかかえて、押し入れベッドにもぐりこむのだ。
 ほんとうに眠るまでは、押し入れの戸は少し開けておいた。
 でも、中学受験に備えて夜遅くまで勉強するようになったにいさんが、イヤホンの音楽に合わせて歌う下手な鼻歌がうるさかったりする時は、早めに戸を閉めてしまう。押し入れの中に、とうさんが外から延長コードを引っ張って小さなLEDライトをつけてくれていたので、閉め切っても大丈夫だった。
 ユウは布団にもぐりこんだまま、動物図鑑の大好きなピューマやハイイログマ、そしてペッカリーなどのページを、ぼんやり眺めたりしていた。
 押し入れの裏はトイレなので、水を流すたびにすごい音が響いてくる。
 でも、ユウは、それも少しも気にせずに、ぐっすりと眠ることができた。

 今のマンションの抽選に当たった時の、とうさんとかあさんの喜びようを、ユウははっきりと覚えている。
 その日は、珍しくとうさんも早く帰ってきていた。
「じゃあ、おとうさんから発表してください」
 かあさんは、嬉しそうにとうさんにビールをつぎながらいった。ユウたちのコップにも、ジュースがつがれている。
 テーブルの上は、すごいごちそうばかりが並んでいた。お寿司、ピザ、ローストビーフ、エビフライにフライドチキン。狭いテーブルには、置ききれないくらいだ。
「うん」
 とうさんは、こちら向きにマンションのパンフレットを広げて見せた。二十階だての大きなマンションだ。その八〇七号室に、赤いマジックで印が付けてある。
「今日の抽選で、この部屋に当たったんだ」
 とうさんは、いつもと同じように落ち着いた声で話し出した。
「すげーえ。3LDKだ」
 にいさんが叫んだ。
「3LDKって?」
 ユウがたずねると、
「Lはリビング、居間のことね。DKはダイニングキッチンで、台所と食堂のことよ。それ以外に三つもお部屋があるのよ」
 かあさんが、他のページに載っていた間取りを指差しながら、説明してくれた。
「ふーん」
 ユウには、まだこの新しい家のことがピンとこなかった。
「じゃあ、かんぱいしましょうか?」
 かあさんが、とうさんをうながした。
「そうだね。それでは、新しい我が家に、かんぱーい」
「かんぱーい」
 とうさんの「かんぱい」の声は、さっきより少しだけかん高くなっていた。

 ユウ以外の家族は、新しい広いマンションに移って、大喜びだった。今度の家では、にいさんとユウは、それぞれひと部屋ずつが与えられている。
 にいさんの部屋は洋室で、そこに勉強机と新しく買ってもらったベッドを置いている。にいさんは、念願の個室に満足していた。
 ユウの部屋は、このマンションで唯一の和室だった。
 本来は、客間か寝室用の部屋なのだろう。押入れも付いた純和風の部屋だ。
その部屋で、ユウは畳に布団を敷いて寝ることになった。
部屋には、買いたてのユウ専用の勉強机が置いてある。それは、ユウも使い易くて気にいっていた。
 でも、寝る時になるとは、ユウはせっかくの自分の部屋になじめないでいた。
 初めての晩、ユウは、真新しい畳の自分だけの部屋で、なかなか寝付けなかった。天井が高くて、とても気になるのだ。
 とうとうユウは、布団を押し入れまで引っ張っていって、中に敷いて寝ることにした。
翌朝、かあさんは、押し入れベッドでぐっすり寝ているユウを発見した。
「ごめんね。ずっと、変な所にばかり、寝かしていたから」
 かあさんは泣き笑いしながら、ユウにあやまっていた。
 その後も、ユウは、何回か、「押し入れベッド」の中で寝てみた。
 もちろん、かあさんに気づかれないように、朝には布団を元に戻しておいていた。また、かあさんを悲しませたくなかったからだ。
 残念ながら、ユウは、新しいマンションの「押し入れベッド」は、ぜんぜん気にいらなかった。変な所にでっぱりがあって、寝がえりをうつと足がぶつかるのだ。きっと、中を鉄骨か何かが通っているのだろう。
 それに、蛍光灯もなかった。これでは、好きな動物図鑑を、寝ながら読むこともできやしない。
 ユウは、マンションの「押し入れベッド」を、次第に使わないようになっていった。

 その日も、ユウは、「秘密の場所」で、いつものようにぼんやりと空をながめたり、下の通路を歩いている人たちを、気づかれないように見おろしたりしていた。
「ミャーオ」
 いきなり足もとで鳴き声がしたので、ユウはもう少しで飛び上がってしまうところだった。いつのまにか、よく太ったネコが、ユウのそばにしのびよっていたのだ。あの高い階段をどうやって登ったのか、ユウはすっかり驚かされてしまった。
「なんだ、お前?」
 ユウは、少し後ずさりをしながらいった。
「ミャーオ」
 ネコは、ユウを見上げてもう一度鳴いた。どうやら、ユウが手にもっていたビスケットが欲しいようだ。
 一枚あげると、柱の中へくわえていって食べ始めた。
 そのネコは、こげ茶に緑色がまじったようなへんな毛の色をしていた。ころころと、ボールのように太っている。

 その後も、ユウは「秘密の場所」で、なんども同じネコにであった。どうやらネコのほうでも、この変な場所が気にいっているらしい。
 ユウより先にきていることもあれば、後からやってくることもある。ネコは、いつもそっとあらわれるので、そのたびにユウはびっくりさせられてしまった。
 何回か顔をあわせるうちに、ユウは、このネコに「ゴンタザエモン」という名前をつけていた。
 どことなく昔のさむらいみたいに、どうどうとしたところがあったからだ。
 でも、「ゴンタザエモン」ではいいにくいので、ふだんは「ゴンタ」とよぶことにした。

 ゴンタと出会ってから、二週間ほどしたころだった。ユウは、いつものように、「秘密の場所」へやってきていた。
 途中からゴンタもきて、当然のような顔でユウからビスケットを受け取ると、少し離れたところで食べ始めた。
 ユウとゴンタは、それ以上はおたがいにかまわずに、それぞれ「秘密の場所」を楽しんでいた。
 もう五月もなかばをすぎて少し暑いくらいだったけれど、「秘密の場所」にはすずしい風がふいていてとても気もちがよかった。
 今日は、下の川をなかなか船が通らなかった。対岸の浄水場の水門のあたりには、白い洗剤のあわのようなものがうかんでいる。
 ユウは、風にあおられてまいあがったり、水に少し流され始めたあわのかたまりを、ぼんやりとながめていた。
 例によってごう音をたてながら、電車が鉄橋をわたってきた。
 あわに気をとられていたせいか、ユウが柱の中にかくれるのが、いつもより少しおくれてしまった。
 ファーーン。
 「秘密の場所」のそばまでやってきたとき、電車はいきなり警笛を大きくならしていった。
 ユウはびっくりして、柱の中で体を小さくしていた。

 それから、十分ほどしてからだった。黄色いライトバンが、線路ぞいの道路をすごいスピードでこちらへむかってはしってきた。
 車は、行き止まりになっている堤防の手前で、急停車した。中からは、ヘルメットをかぶって作業服をきた人とK電鉄の制服すがたの人が、二人ずつとびだしてきた。
 ユウは見つからないように、あわてて柱の中にかくれた。
 下の方で、とびらのかぎをあけるガチャガチャという音がしている。階段をのぼってくるようだ。ひそひそと、話し声も聞こえてくる。
「こわがらせるな」
「川に落ちたらたいへんだ」
 やがて、白いヘルメットをかぶったおじさんが、階段の所から、顔を出してきた。ユウを見て、にっこりわらっている。
「ぼうや、こわくないからね。こっちへおいで」
 ゆっくりと手まねきしている。
 ユウは柱の中にすわったまま、じっとしていた。ゴンタも、すぐそばにくっついている。
「じゃあ、じっとしててね」
 ヘルメットのおじさんは、「バルコニー」に上がると、こちらへ近づいてきた。他の三人も、階段から顔をのぞかせてきた。
 ユウの腕をつかんだとき、ヘルメットのおじさんは今までの笑顔をパッとやめて、急にこわい顔をしてどなった。
「なにやってんだ。このガキ!」
 ユウは、二人のおじさんに両わきからかかえあげられるようにして、下へおろされてしまった。
 でも、おじさんたちは、ユウと一緒にいたゴンタには、ぜんぜん目もくれなかった。

 ユウは黄色いライトバンで、駅の事務所へつれていかれた。
 駅の事務所のいすにすわらせられたユウのまわりで、制服や作業服をきたおじさんたちが大きな声でどなっている。
「まったくあぶないったら、しょうがない」
「ほんとうに最近のガキどもは、何を考えているのかわからないな」
「やっぱり、親のしつけの問題だよ」
「さっきから家に電話しても、ぜんぜんでない。ガキなんか、ほったらかしなんだよ」
「やっぱりなあ」
 ユウは、おじさんたちのあいだで、ぼんやりしながらすわっていた。
 そして、
(なんでこんなにおこっているのかなあ)
と、思ったりしていた。
 
夕方になって、やっとかあさんが迎えにきてくれた。
「どうもご迷惑をおかけしまして、……」
 泣きながら、おじさんたちになんども頭をさげているかあさんを見たとき、
(やっぱりちょっと悪いことをしたのかな)
と、ユウは思った。

 「事件」があってから、二週間がたった。
 ユウは学校から帰ると、友だちの家へいったり、にいさんと遊んだりしている。とうさんとかあさんに、二度とあそこへは行かないと、約束させられたからだ。
 でも、だんだんあの「秘密(もう秘密じゃないかもしれないけど)の場所」へ、行きたくなってきた。
ともだちと遊んでいても、
(今日はお天気だから、「バルコニー」はすごく気もちがいいだろうな)
などと、ふと考えてしまう。
 とうとうある日、ユウは、また鉄橋の下まで来てしまった。
 鉄さくには、いままでの注意書きの他に、
『危険、絶対に中へ入るな』
と、書かれた手書きの板までかけてあった。へたくそなドクロマークまでついている。
 鉄さくのてっぺんには有刺鉄線がまいてあって、よじのぼれないようにしてある。
 でも、そんなことをしても、まったくむだなのだ。
 だって、やせっぽちのユウは、鉄さくのあいだをすりぬけられるんだから。
 鉄さくは、四すみの部分だけ、すきまが少し大きくなっていることに、ユウはとっくに気づいていた。そこだと、ユウの頭は、ぎりぎり通るのだ。頭さえぬけてしまえば、あとはこっちのものだ。ユウはあっさりと鉄さくの中に入っていた。

 ユウが「バルコニー」までのぼっていくと、もう先にゴンタがきていた。ゴンタも、もちろんすりぬけ組だ。
 でも、二週間見ないうちにますます太っていたから、鉄さくをとおりぬけるのは少しきびしかったかもしれない。
 ゴンタは、いつのまにか柱の中にボロきれをくわえてきていて、その上にすわっていた。
「やあ、ゴンタ」
 ユウはそう声をかけると、ポケットに入れてきたにぼしを、ゴンタの前においてやった。
 ゴンタは、しばらくわざと興味なさそうな顔をしていたが、やがてにぼしを食べ始めた。
 ユウは、いつものようにひざをかかえて、ぼんやりと空をながめはじめた。
 こうして、ユウとゴンタだけの「秘密の場所」は、みごとに復活したのだった。
 ユウは、また毎日のように、「秘密の場所」へくるようになった。
 でも、前よりも、いちだんと用心ぶかくなっている。めったに「バルコニー」のほうへはいかずに、柱の中にいることが多くなった。そこで、マンガや動物図鑑を読んでいる。ユウは狭い場所が大好きだから、そんな場所でも全然平気だった
 たまにからだをのばしに「バルコニー」へ出るときも、絶対みつからないように短い時間だけにしている。
 ゴンタも太りすぎのせいか、動くのがおっくうなようで、ボロきれの上にじっとしていることが多かった。
 ユウは、ナップザックの中に、「秘密の場所三点セット」とよんでいる水とう、ビニールざぶとん、そして、あの愛用の動物図鑑を入れて、通うようになっていた。

 ある日、ユウが「秘密の場所」への階段を上っていくと、上からゴンタが顔を出した。
「やあ、ゴンタ」
 ユウがいつものように声をかけたのに、ゴンタのようすがなんだか変だ。
「フーッ」
と、うなりながら、顔のまわりの毛を逆立てている。
「フギャーッ!」
 ユウがかまわずに「バルコニー」に上がっていくと、いきなりほっぺたにつめをたてられた。
「いてーっ!」
 ユウは、あわててうしろへとびのいた。傷口に手をやると、ちょっぴり血がついた。ひっかかれた所があつくなって、みるみるみみずばれになっていくようだ。
 ゴンタは、まだ飛びかかってきそうだった。
「なんだよーっ」
 ユウは、ゴンタを大声でどなりつけてやった。
 しばらくの間、二人は「バルコニー」の上で、互いににらみあっていた。
 ふと気がつくと、ゴンタのうしろのボロきれの上に、なにかモゴモゴと動いているものがある。
「ミュー、ミュー」
 かすかに鳴き声もきこえた。
 子ネコだ。
「そうか、ゴンタ。お前、メスだったのかあ」
 ユウは、あらためてゴンタのようすをながめた。
 昨日まであんなにまるまるしていたのに、今ではすっかりしぼんでしまって、毛並みも薄汚れているようにさえ見える。きっと子ネコを産んだばかりで、疲れ切っているのだろう。
 ユウは持ってきたビスケットを、「バルコニー」のすみにそっと置いた。そして、静かに階段を下りていった。今日は、これ以上ゴンタを興奮させないほうがいいと思ったからだ。

 翌日から、朝夕二回、ユウの宅配便がはじまった。ユウは小魚やビスケットなどを、ゴンタに差し入れてやることに決めていた。子ネコがいたのでは、エサをとりにいかれないだろうと思ったからだ。
 ゴンタは、そんなユウに少し気を許すようになったのか、しばらく子ネコをながめていても、あまりおこらなくなった。
「まったく、もう。ゴンタのやつ、もっと家のある所で産めばいいのに」
 ユウは、狭苦しい柱の中で、子ネコたちと一緒にいるゴンタをながめながらつぶやいた。
 でも、つぎの瞬間、ユウはハッとした。
(そうだ。家の近くで産んだりしたら、きっと人間に子ネコたちを連れていかれちゃうんだ)
 ゴンタは、本能的にそれを察して、ここで子ネコを産むことに決めたのかもしれない。
 ユウは、感心したようにゴンタをあらためてながめた。
 ゴンタは、横になって子ネコたちに乳をすわせている。すっかりやせてしまって、ひとまわりも小さくみえた。
 でも、ユウには、目を細めて子ネコたちがすいやすい姿勢を懸命に保っているゴンタが、前のでっぷり太っていたときよりも、むしろ立派にさえ思えた。
 ゴンタの子ネコは、ぜんぶで五ひきいた。はじめは、ネズミかなにかのように、はだかでブルブルふるえているだけだった。
 でも、しだいに毛もはえて、ネコらしくなってきていた。
 白黒のブチが二匹、うす茶が二匹、それにゴンタに似た毛なみのも一匹いる。ようやく目はあいたようだが、まだ足もとがおぼつかない。しばらくは、ここにいなければならないだろう。
 ユウは、子ネコたちにも、名前な前をつけてみた。
 ケンタザエモン、コウタザエモン、ショウタザエモン、リョウタザエモン、そして、いちばんおきにいりのゴンタに似たこげ茶の子ネコには、じぶんの名前をとってユウタザエモンにした。そして、ふだんは、ゴンタと同じように、ちぢめてユウタとかケンタとよんでいる。
 子ネコたちに乳をすわれてはらがすくのか、ゴンタはすごい食欲だった。
 ユウはますますはりきって、毎日、エサを運んでいた。
 きっとかあさんは、ビスケットや小魚がすごく早くなくなるのが、不思議だったにちがいない。
 ユウはゴンタたちをながめるのを、せいぜい五分か十分ぐらいまでにしていた。ゴンタが、まだ少し緊張しているのがわかったからだ。
 こうして、せっかくの「秘密の場所」をゴンタと子ネコたちにすっかりとられてしまうことになったが、ユウはぜんぜんはらがたたなかった。

 その朝も、ユウは、「秘密の場所」へ、ゴンタのエサを運んでいった。今日のメニューは、チーズとさかなのソーセージだ。
「フギャーッ!」
 「バルコニー」あたりで、ゴンタがすごい声で鳴いていた。
 バサッ、バサッ。
 変な音も聞こえてくる。
 ユウは、急いで階段をかけあがっていった。
 ユウが「バルコニー」についたとき、ちょうどゴンタが、でっかいカラスにとびかかっていくところだった。
 カラスはゴンタの攻撃を軽くかわすと、少し離れた鉄橋の上へ移動した。すきをついて子ネコをさらおうと、まだねらっている。
「だめーっ!」
 ユウは、思わず大きな声を出していた。
 カラスは、ゴンタからユウの方にむきなおった。興奮して目が血ばしっている。
 ユウは、ドキンとしてしまった。
 でも、
「やるかーっ」
と、けんめいに叫んで、カラスにむかって両腕を振り回した。
 ゴンタも唸り声をあげて、身構えている。
 カラスはしばらくこちらをにらみつづけていたが、やがてからだのむきを変えると上流の方へ飛んでいった。
 ユウはホッとして、「バルコニー」の上にすわりこんでしまった。
 ゴンタは、子ネコたちのそばへ急いで戻っていく。そして、ミャーミャー鳴いている子ネコたちを、順番になめはじめた。

 カラスの一件があってから、一週間ほどしたころだった。学校へいく前に、ユウは「秘密の場所」へ寄っていった。
 いつもの朝の宅配便だ。
「ゴンタ、元気か?」
「………」
 いない。ゴンタも子ネコたちも、いなくなっている。
 最近は、子ネコたちも、ミューミュー鳴きながらユウのそばへやってくるようになっていたのに、今日の「秘密の場所」は、すっかりガランとしていた。子ネコたちがくるまっていたボロきれだけが、柱の中にポツンと残されていた。
 ユウはあわてて階段をかけおりると、あたりをさがしはじめた。
「ゴンターっ」
 大声で呼んでみる。
 でも、やっぱりいない。
(K電鉄の人たちにみつかって、どこかへ連れていかれちゃったのかなあ?)
 でも、そうならば、ボロきれも一緒にかたづけていくはずだ。
(そうか。子ネコたちが歩けるようになったので、自分で出ていったのかもしれない)
 そう考えると、ユウはようやく少しだけ安心することができた。
 たしかに、ここのところ、子ネコたちはかなりしっかりしてきていた。ビスケットなども、直接、ユウの手のひらから、食べられるようになっていた。

 その日の放課後、ユウはまた「秘密の場所」へ行ってみた。
 でも、やっぱりゴンタたちはいなかった。
 ユウは、すぐに階段を下り始めた。
 本当なら、久しぶりに、「秘密の場所」でぼんやりしていてもよかったのだ。
 でも、なぜかそうする気になれなかった。
 ユウは鉄橋下の通路から、もう一度「秘密の場所」を振り返ってみた。いつもこっそりと外をのぞいていた「バルコニー」が見える。
 ユウには、不思議にそこがもう懐かしい場所になってしまったような気がしていた。


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