風邪もまだ完全に治ってはなかったが、咳は治まり楽になっていたので、文句は言わないからという条件で息子の運転で、高知県西部の江川崎方面に出かけて来たのは11日の日曜日。
江川崎通り過ぎたことはあったかもしれないが、地域を散策したことはなかったと思う。
トップは、JR予土(よど)線の『土佐大正駅』愛媛県宇和島と、高知県窪川(くぼかわ)間を走っているらしい。
家を出たのが何時だったか忘れたが、かなりの距離だったと思う。あちこち道の駅などに寄りながら西土佐に着いたときはもうお昼近かった。
↓大正の町には食事をするような場所も見当たらない。
幡多郡大正町だったが、平成の合併で、窪川町 十和村(とおわそん)と合併して『四万十町・しまんとちょう』になった。
何度か来たことのある息子が、、もう少し行ったら新しくできた道の駅があるからということで
大正を後に道の駅に向かう。『よって西土佐』西土佐村も中村市と合併で『四万十市』となっている。いい加減西部の地理に疎い私は、何が何やらわからずとりあえず道の駅で食事にする。
入り口付近で、おいしそうなアユが売られていた。かぶりつきたい衝動にかられながら、店の中に入る。セルフサービスで、食券を買うシステム。
アユの定食はなく、手打ち風うどん?650円にした。
帰りにやっぱりアユを買うことにした。
勿論これじゃないのを入れてくれた。車の中はアユの匂いがぷんぷんしていた。
沈下橋が多い、撮影したいと思いながら過ぎると、丁度駐車できる場所があり車を止めて少し戻ると、地元の方が日向でみかんを食べながらにこにこしている。
そこでしばらく話をして、撮影に川の方に下りる。沈下橋の向こうには学校のようなものが見えるが、橋のもとには立ち入れないように柵がしてあった。
上がって来てみたら、まださっきの方がいたので、向こうに見えるのは学校ですかと聞くと、口屋内(くちやない)小学校だけど、町内で統合されたとか。
私の村でもかっては沢山あった小中学校もいつの間にか1校にまとめられ、学校の消えた集落からは人も消え寂しくなっている。
口屋内地区で、たった一人出会った方、このおみかんを食べてと3個下さった。これはここのミカンではなく、愛媛のミカンだとか。私たちが下りている間に、お家に取りに行ってくださったらしい。
県境の町、愛媛ナンバーもよく見かけた。美味しかったですありがとう。今度はお土産持ってくるからねと分かれる。
↓この沈下橋は、通行できるらしいが、車では、下りて行かなかった。
道の駅によっての買い物も楽しい。県東部に育った私は、西部の食文化も興味がある。
また行きたい場所。トロッコ列車が走るころ、乗ってみたい。
↓懐かしいミカン(べにみかんといっていた)、子どもの頃庭に大きな木があり、もっと熟れてからじゃないといかん(ダメ)と言われても、少し色づけば平気でパクパク食べていたが、今は酸っぱいものが苦手になっている(汗)
福島から避難している児童生徒を、先生まで一緒にいじめているというニュースを聞いて唖然とした。
福島からの避難ということを隠して、おびえている子どもたちもいるように聞く、何をもってそんな発想になるのか。オリンピックもプーチンさんも大事だけど
根本的なことおかしいよねと思うこの頃。
21日は冬至、まだ日があると思って出かけたのに、瞬く間に日が暮れてびっくり。
江川崎通り過ぎたことはあったかもしれないが、地域を散策したことはなかったと思う。
トップは、JR予土(よど)線の『土佐大正駅』愛媛県宇和島と、高知県窪川(くぼかわ)間を走っているらしい。
家を出たのが何時だったか忘れたが、かなりの距離だったと思う。あちこち道の駅などに寄りながら西土佐に着いたときはもうお昼近かった。
↓大正の町には食事をするような場所も見当たらない。
幡多郡大正町だったが、平成の合併で、窪川町 十和村(とおわそん)と合併して『四万十町・しまんとちょう』になった。
何度か来たことのある息子が、、もう少し行ったら新しくできた道の駅があるからということで
大正を後に道の駅に向かう。『よって西土佐』西土佐村も中村市と合併で『四万十市』となっている。いい加減西部の地理に疎い私は、何が何やらわからずとりあえず道の駅で食事にする。
入り口付近で、おいしそうなアユが売られていた。かぶりつきたい衝動にかられながら、店の中に入る。セルフサービスで、食券を買うシステム。
アユの定食はなく、手打ち風うどん?650円にした。
帰りにやっぱりアユを買うことにした。
勿論これじゃないのを入れてくれた。車の中はアユの匂いがぷんぷんしていた。
沈下橋が多い、撮影したいと思いながら過ぎると、丁度駐車できる場所があり車を止めて少し戻ると、地元の方が日向でみかんを食べながらにこにこしている。
そこでしばらく話をして、撮影に川の方に下りる。沈下橋の向こうには学校のようなものが見えるが、橋のもとには立ち入れないように柵がしてあった。
上がって来てみたら、まださっきの方がいたので、向こうに見えるのは学校ですかと聞くと、口屋内(くちやない)小学校だけど、町内で統合されたとか。
私の村でもかっては沢山あった小中学校もいつの間にか1校にまとめられ、学校の消えた集落からは人も消え寂しくなっている。
口屋内地区で、たった一人出会った方、このおみかんを食べてと3個下さった。これはここのミカンではなく、愛媛のミカンだとか。私たちが下りている間に、お家に取りに行ってくださったらしい。
県境の町、愛媛ナンバーもよく見かけた。美味しかったですありがとう。今度はお土産持ってくるからねと分かれる。
↓この沈下橋は、通行できるらしいが、車では、下りて行かなかった。
道の駅によっての買い物も楽しい。県東部に育った私は、西部の食文化も興味がある。
また行きたい場所。トロッコ列車が走るころ、乗ってみたい。
↓懐かしいミカン(べにみかんといっていた)、子どもの頃庭に大きな木があり、もっと熟れてからじゃないといかん(ダメ)と言われても、少し色づけば平気でパクパク食べていたが、今は酸っぱいものが苦手になっている(汗)
福島から避難している児童生徒を、先生まで一緒にいじめているというニュースを聞いて唖然とした。
福島からの避難ということを隠して、おびえている子どもたちもいるように聞く、何をもってそんな発想になるのか。オリンピックもプーチンさんも大事だけど
根本的なことおかしいよねと思うこの頃。
21日は冬至、まだ日があると思って出かけたのに、瞬く間に日が暮れてびっくり。
旅はゆっくり、のんびりがいいですね。
いい息子さんをお持ちです。
人の心が荒れています。
格差社会の影響でしょうか?
みんな自分ファーストです。
初対面の人にみかんをあげる社会がいいです。
旅らしい旅は、したことがない私です。高知県内もまだまだ知らない所が沢山あります。
ここ四万十町もそんな場所でした。
荒川三歩さんも、この辺り訪れたんですね。
道の駅とかには、地元の方らしき人たちが、地元産品販売などにぎやかにしていましたが、町中に人影はなく、名残りの看板はあるけど、もう閉まってしまっているお店ばかりでした。
私の家はここですが、道路を広げるために、もう少し後ろに下がることに決まったと、教えてくれました。
新しいお家になったころ、また訪れなければと思いながら帰ってきました。
今日の朝はこの冬初めて霜が降りてメダカ鉢にはうっすら氷がはっちょった。
大正の町の入り口に道の駅の様なものがあり、そこで食べたアユのひらきはなかなかの味やった。大正の町や駅もバイパスができたので通ることものうなった。昔は江川崎まで行くのは大変やったけんど、今は道が整備されたのでずいぶん楽になった。
風邪のほいもすこしよくなってきましたか?
沈下橋、四国へ旅行した時見たことあります。どこかへでかけるのはたのしいですよね。
庭にシモバシラができました。
息子と孫を連れて京都へ行くことになりました。
日程はこれからきめます。修学旅行いらいです
楽しみが増えました。
昨日は、新鮮なお野菜どっさりありがとう。
西の方は、地名は聞くことはあっても、行ったことのない場所が多い。今回のルートなかなか良かった。
でも、これだけ子供がいなくなったら一体どうなるろうねえ。
道は整備され、距離的には楽になっても、人が住まなくなって、さびれていくのは悲しいねえ。
天然アユが貴重品になり、1匹千円じゃ、何回も食べられん私です。
風邪は良くなりました。ありがとう。
でも、インフルエンザや、ノロウィルスが流行っているというので、気を付けなければと思っています。
お庭で霜柱が出来たんですか。
高知でも薄氷が張ったと、新聞に写真が載っていました。
息子さんとお孫さんで、京都行ですか、いいですね。
計画立てるのも、楽しみですよね。
でも、欄干が無いから洪水でも橋が流れないと聞いて納得しました。
四万十川は清流日本一と聞いたけど、故郷紀州の熊野川の上流で生まれ育った私は、故郷の川に勝る清流は無いと思ってます~
いつか行ってみたいと思うようなところですよ。
地図を見たら高知からはだいぶ遠いのですね。
それにしても山が深いですねえ。
昔話の世界が広がりそうですね。
鮎の塩焼きほんとうにかぶりつきたいですねえ。
沈下橋を車で通るのは恐いですね。私はそれは運転できません。
まだ今頃洗濯しています(汗)
マスカットさん、四万十川においでくださっているんですね。
最後の清流とか言われたりしていますが、長い川全部がきれいとは言えないかもしれません。
地中から湧き出たばかりの水も、人間の営みの中で、段々汚れていく。故郷、奈半利川は大きなダムができたおかげで、水量は少なく、濁った水が流れたりして、清流だった面影もありません。
熊野川、きれいでしょうね。
一時沈下橋が流行った?政策だったと思いますが、危ないですよね。
今、渡る人もほとんどいなくなった陸橋、これも愚策だったと思いますね。