エンジンがかかりにくくなった。かかる迄も時間がかかり、かかってからもスピードは上がらず、いつも不完全燃焼で終わっている、そんな気がするこの頃。お気に入りのカメラも調子が悪く、余計に気分も下がり気味。でもいつまでもぐずぐずしていたらいかんと思い、あまり期待できないイワチドリの芋ほりをした。どうせ消えているだろうと思っていたけど、小さいながらも芋もあり、良かった今度こそちゃんと管理して、この芋を大きくしようと、綺麗に植え替えて、水をかけろうとしてひっくり返していまった(涙)それも一鉢は水の中に・・芋が一つ分からなくなった。ホンマろくなことないこの頃やと、またも気分は下がり気味
二度目の干し柿、しっとりとやわらかいのが好みなのだが、気を付けて揉んでいてもすぐ硬くなってしまうので、今回は、あまり強い日差しには当てないようにして、風で乾かすぐらいの感じで干してみた。トップ写真
これぐらいで、渋が抜けているか食べてみたらだった。ラップに包んで冷凍保存しておけばいつもやわらかいのが食べられる。でも写真の干し柿は2個とも食べてしまった(汗)
カメラの調子が悪くなり、息子に事情を話したら、もう古いからガタがきてもおかしくないわと、レンズにもモーターがなんとかかんとか、何も考えずただただ使っていたけど、何にでも寿命と言うものはあると言うことを忘れていた。カメラ屋さんに行って見て貰おうかと言うと、直すよりは買うた方が安くつくかもしれんと言うし、正月帰るまで待って見て貰い、どうするか決めよう。
↑もう紅葉しないかと思っていたモミジ、枯れかかりながらも赤と黄色に色づいて、心が和む。小さな芽生えを植えてみたが、大きくなっても困ると、上部を鋸で引いた。
↓ツバキも咲き始めた。
養蚕の歴史 1
日本が横浜を開港した、安政6(1859年)頃、世界有数の養蚕国であったフランスと、イタリアでは蚕の微粒子病が流行し、大打撃を受けていた。そのため日本から、病気にかかってない蚕の卵(蚕種)が多く輸出されるようになった。
やがて明治時代に入ると、日本はヨーロッパから近代的な技術を学び、生糸や絹織物が輸出されるようになった。
婦人用の長靴下が、アメリカで大流行したこともあり、第二次世界大戦直前に輸出が停止されるまで、日本産の生糸が輸出総額に占める割合は大きなものであった。1922(大正11)年では49・8%にも達するほどであった。(中に張り紙があった)
藤村製糸は大正6年に創立され、平成17年ブラジルに移転するまで、高品質の生糸を生産していた製糸工場。
『近代化産業遺産』『登録有形文化財』に認定されており、土佐漆喰を使った大きな蔵や、自然光が入るように工夫された工場の、のこぎり屋根など、特徴的な建物が静かに日本の近代化の歴史を物語っています。
と、正門に掲げられていた。どういういきさつで取り壊すことになったのか知らないが、ある方が見学させて貰いたいと電話をしたら、もう見学はお断りしている、従業員は何と言うか分からないけどと、当主らしき方のお返事だったとか、12日から取り壊すとおしゃっていたらしい。
二度目の干し柿、しっとりとやわらかいのが好みなのだが、気を付けて揉んでいてもすぐ硬くなってしまうので、今回は、あまり強い日差しには当てないようにして、風で乾かすぐらいの感じで干してみた。トップ写真
これぐらいで、渋が抜けているか食べてみたらだった。ラップに包んで冷凍保存しておけばいつもやわらかいのが食べられる。でも写真の干し柿は2個とも食べてしまった(汗)
カメラの調子が悪くなり、息子に事情を話したら、もう古いからガタがきてもおかしくないわと、レンズにもモーターがなんとかかんとか、何も考えずただただ使っていたけど、何にでも寿命と言うものはあると言うことを忘れていた。カメラ屋さんに行って見て貰おうかと言うと、直すよりは買うた方が安くつくかもしれんと言うし、正月帰るまで待って見て貰い、どうするか決めよう。
↑もう紅葉しないかと思っていたモミジ、枯れかかりながらも赤と黄色に色づいて、心が和む。小さな芽生えを植えてみたが、大きくなっても困ると、上部を鋸で引いた。
↓ツバキも咲き始めた。
養蚕の歴史 1
日本が横浜を開港した、安政6(1859年)頃、世界有数の養蚕国であったフランスと、イタリアでは蚕の微粒子病が流行し、大打撃を受けていた。そのため日本から、病気にかかってない蚕の卵(蚕種)が多く輸出されるようになった。
やがて明治時代に入ると、日本はヨーロッパから近代的な技術を学び、生糸や絹織物が輸出されるようになった。
婦人用の長靴下が、アメリカで大流行したこともあり、第二次世界大戦直前に輸出が停止されるまで、日本産の生糸が輸出総額に占める割合は大きなものであった。1922(大正11)年では49・8%にも達するほどであった。(中に張り紙があった)
藤村製糸は大正6年に創立され、平成17年ブラジルに移転するまで、高品質の生糸を生産していた製糸工場。
『近代化産業遺産』『登録有形文化財』に認定されており、土佐漆喰を使った大きな蔵や、自然光が入るように工夫された工場の、のこぎり屋根など、特徴的な建物が静かに日本の近代化の歴史を物語っています。
と、正門に掲げられていた。どういういきさつで取り壊すことになったのか知らないが、ある方が見学させて貰いたいと電話をしたら、もう見学はお断りしている、従業員は何と言うか分からないけどと、当主らしき方のお返事だったとか、12日から取り壊すとおしゃっていたらしい。
きっと一年の疲れがカメラにも風さんにも出てきたのでしょう
私のカメラも6年目、チリのようなものがついて修理に出して戻ってきてもじき同じようになるので、とうとう買った、型落ち商品なので22000円でした。
慣れるのに四苦八苦しています。
椿の花の色、いいですねえ。
月日のたつのはほんとに早いねえ、この一年何やっていたのかなあと思う。
ぐうたらな一年だったようにも思う。
全然12月とか思われん。
来年も元気に過ごされたらいいねえ。
消えた芋が多い中でも、エブの付いた良い花のイワチドリが、2個に増えちょったのに、わからんなってしもうた。救いは大きな芋の方が残ったと言うことやけんど。
何でも、形あるものは壊れると分かちょっても、重たいと文句言いもってでも気にいちょったので、ちょっと落ち込んだけんど、まあ生活に直接かかわるものでもないし、くよくよしても仕方ないわねえ。
ほんま一年の早い事、年々若くはならんがやき、ぐちぐち言いよらんと生活すること考えんといかんねえ。
元気で過ごせることを、有りがたいと思うて明日から元気に暮らすことにするわ。
早起きして、不燃物捨てんといかんし
当方は、かかりにくいどころか、故障してしまいましたから。でもオーバーホールのお蔭で、気分は盛り上がってきました。
干し柿パワーで気分はきっと盛り上がるのではないでしょうか。
カリちゃんも午前中は1時間くらい庭仕事、午後は1時間くらい昼寝、夜はホームページへ載せる画像の整理、後はゴロゴロしゆう。
イワチドリの植え替えた土を庭にまいておくとそこからイワチドリが生えてきちゅう。
気を付けていても球根を完全に掘り取るがは難しいね~。
カリちゃんはこのまま越冬させて2月下旬頃植え替えようと思いゆう。
晴れて寒そうな朝です。
機械は壊れる、生きているものは死ぬ。
でも、まぁ自分の生活に添え物だったら、
また別のものをそろえましょう。
これからは日ごろにそれなりにすごせたら十分です。私の今の周りの人たちともそんな話をしています。今をできることで楽しみましょう。
イワチドリの植え替えは、一月と毎年決めています。12月が寒蘭、二月がウチョウラン、三月が春蘭です。
植え替えるだけで大変です。
山野草は、、いつお世話するのでしょう??
今日はこれから嬉しいことがあるんですよ!!
それも焼物の鉢だったので割れてしまい、土を片付けてしまった後だったので又引っ張り出して腹立たしく情けなく思いながら植えました。(去年の事)
今年は掘り返した後、鉢を束子で洗っていてひとつ割りました。もうプラスチックのばかりにしようと決めました。
私のカメラは安物のデジカメ2台なのですが、風さんのはいいのなので大変ですよね。
私も夕方理由もなく気分が落ち込むことが有りますが、楽しい事を考えるようにしています。
誰にでも老いは訪れるし、物には寿命がある、ホントですね
多摩NTの住人さんは、大変でしたが無事快方に向かっているようで良かったです。
そうですね。美味しい干し柿を食べて、元気になりましょう。
芋は見落としがあるよねえ。けんど、今回は少ないき見落とすほどの芋もなかった(汗)
酔鯨さん所の、ウチョウランまだそのままにしちゅうけんど、花が咲いてそっと花別にエブを付けんと、どれがどれか分からん。
今朝は6時ごろ、不燃物を捨てに何回か往復したら、結構温もったけんど、気温は低かった。まだこれから寒気が入ってくるとか、予報で言いよったですねえ。イワチドリ1月ごろが適当やろうか、皆さんの話を聞いたら、ウチョウランはもう少し先にしてみようかな。
今夜は自分にご褒美、すき焼きにしました(笑)
マスカットさんでも、失敗することも有るがやねえ。絵入りの鉢は惜しいねえ。私も上等の鉢もいただいたりしてあるけんど、観賞するときその鉢に入れたらえいかなと思うて、今年はプラ鉢にしてみた。
寄せ植えは、takuさん、軽石やらで作ってくれたがにも植えこんでみた。
私が落ち込むやいうたら、天地がひっくり返るわと笑われそうやけんど(汗)
もう大丈夫やきね。ありがとう。