「エコ」は社会のもので、「健康」は個人に関するものです。
「エコ」というと、なんだか利他的な感じがしますし、「健康」や「ウェルネス」といえば自分のことばかり考えているように聞こえます。
『沈黙の春』は公害問題を扱い、『クレージー・メーカー』は健康問題を扱いました。
公害問題でアメリカは、企業の戦略に騙され、健康問題でも再び、企業に騙されました。
二度にわたってアメリカ国民は「騙される」という経験をしたわけです。
いや、朝鮮戦争やベトナム戦争、そして湾岸戦争の時も騙されたかも知れません。
健康やウェルネスを追求することは、個人のためですが、「騙されないようにする」ことは、人類の未来に直結することです。
「ウソを見抜く」センスを磨くことは、子供たちの未来にとって、最大の贈り物となることでしょう。
それは「いかにして自然を守っていくか」ということにも直結します。
しかもウェルネスについての問題は、本当はエコと結びついています。なぜなら、自分の健康状態が良好な時でないと、自然のありがたみが感じられないからです。不健康な時ほど「恩」の方が重要だと感じてしまうわけです(エネルギーが不足しているので)。
健康問題を教材として日々自分のセンスを磨くことは、一人ひとりが生きる力を獲得していく、最大の機会だと思います。
ところで昨日の「クレージー・メーカー」ですが、興味深い一文があるのでご紹介します。
この本は入手が難しくなっておりますので、「ぜひ読みたいけど手に入らない」という人のお役にいくらかでも立てればと思います。(まあ、社会告発的な、良い本が姿を消してしまうというこの手の話は、よくあることです)
さて、「自らの手で変革を起こそう」との小題のついた一節は、次の通りです。
これを読むと、何だかこれはアメリカの話じゃなくて、日本の話なんじゃないか!と思ってしまうわけですけれども、この本が書かれたのは2000年なのですから、10年以上経過しているわけです。当時だったらこの本の内容を、私達日本人は信じることができなかったかもしれません。
10年経って、離れた別の地域で似たような現象が起きていることは、その背後の、何らかの因果関係の存在を示唆しているはずです。
最近保育所や託児所で、2~3歳児の「かみつきっ子」が社会問題となっています。原因は不明ですが、腕などの柔らかいところを噛まれるようです。子供たちにしてみれば、一種の愛情表現なのですが、噛まれる方はたまったもんじゃありません。「クレージー・メーカー」には、子供が成長する上で「水を飲む」ということが必要なことで、清涼飲料水ではだめだと書かれています。もしかすると関係があるのかもしれません。
まあそれでも、4~5歳児を見ていると、いったいこの子達はどうやって生きていくのに必要な感覚を養ったんだろうとびっくりさせられることもあります。スーパーで母親が「こっちの方がおいしそうよ」とドライフルーツやクリームの入ったパンを示すと、子供は「いやだ。ぼくこっちのほうがいんだもん」と言って何にも入っていない方のパンを取ろうとするのです。大人たちが嫌な顔をする、天然酵母パンや雑穀の入ったパンを子供は喜んで食べます。一度も食べたことのない子供は“おいしいと言われている”ものを食べますが。
大人よりも、子供の方がずっと進歩してるんじゃないかとびっくりさせられることが結構あります。
「エコ」というと、なんだか利他的な感じがしますし、「健康」や「ウェルネス」といえば自分のことばかり考えているように聞こえます。
『沈黙の春』は公害問題を扱い、『クレージー・メーカー』は健康問題を扱いました。
公害問題でアメリカは、企業の戦略に騙され、健康問題でも再び、企業に騙されました。
二度にわたってアメリカ国民は「騙される」という経験をしたわけです。
いや、朝鮮戦争やベトナム戦争、そして湾岸戦争の時も騙されたかも知れません。
健康やウェルネスを追求することは、個人のためですが、「騙されないようにする」ことは、人類の未来に直結することです。
「ウソを見抜く」センスを磨くことは、子供たちの未来にとって、最大の贈り物となることでしょう。
それは「いかにして自然を守っていくか」ということにも直結します。
しかもウェルネスについての問題は、本当はエコと結びついています。なぜなら、自分の健康状態が良好な時でないと、自然のありがたみが感じられないからです。不健康な時ほど「恩」の方が重要だと感じてしまうわけです(エネルギーが不足しているので)。
健康問題を教材として日々自分のセンスを磨くことは、一人ひとりが生きる力を獲得していく、最大の機会だと思います。
ところで昨日の「クレージー・メーカー」ですが、興味深い一文があるのでご紹介します。
この本は入手が難しくなっておりますので、「ぜひ読みたいけど手に入らない」という人のお役にいくらかでも立てればと思います。(まあ、社会告発的な、良い本が姿を消してしまうというこの手の話は、よくあることです)
さて、「自らの手で変革を起こそう」との小題のついた一節は、次の通りです。
私達は、昔なら絶対に許されないような、あるいは誰も見たこともないような行為に慣れっこになってしまったので、子供達が何時間も半植物人間のようにぐにゃぐにゃと横たわっていたり、ちかちかする画面を目をらんらんとさせて見つめているのを見ても、心配しない。子供たちが外に出て遊ぶことなど思いもよらないし、それだけのエネルギーも持ちあわせていない。数分以上おとなしく座っていられない活動亢進状態にある子供たちのせいで、授業はスムーズに運ばない。先生たちは、生徒の集中力を保てるよう「演技」し、学校側も、生徒の頭をつなぎとめ、シェークスピアや筋の通った文章を書くことに集中させるために、テレビやビデオや映画やコンピューターゲームを買ってやらなければならない。
「社会が変わっていく」とわたしたちは自らに言って聞かせる。変わりゆく世界……そうなのだ。しかし、わたしたちの多くが決して以前よりも賢いわけでもなく、その証拠もふんだんにある。それなら、もっと科学を! いやいや、そんな必要はない。食物が、私達の思考や感情に影響していることはすでに多くの研究によって立証されている。朝食をとるかとらないかで、二桁の掛け算やスペリングに大きな違いが現れているのだ。(キャロル・サイモンタッチ「クレージー・メーカー〈脳を壊す食品をなぜつくるのか〉」2002年、東洋経済新報社)
これを読むと、何だかこれはアメリカの話じゃなくて、日本の話なんじゃないか!と思ってしまうわけですけれども、この本が書かれたのは2000年なのですから、10年以上経過しているわけです。当時だったらこの本の内容を、私達日本人は信じることができなかったかもしれません。
10年経って、離れた別の地域で似たような現象が起きていることは、その背後の、何らかの因果関係の存在を示唆しているはずです。
最近保育所や託児所で、2~3歳児の「かみつきっ子」が社会問題となっています。原因は不明ですが、腕などの柔らかいところを噛まれるようです。子供たちにしてみれば、一種の愛情表現なのですが、噛まれる方はたまったもんじゃありません。「クレージー・メーカー」には、子供が成長する上で「水を飲む」ということが必要なことで、清涼飲料水ではだめだと書かれています。もしかすると関係があるのかもしれません。
まあそれでも、4~5歳児を見ていると、いったいこの子達はどうやって生きていくのに必要な感覚を養ったんだろうとびっくりさせられることもあります。スーパーで母親が「こっちの方がおいしそうよ」とドライフルーツやクリームの入ったパンを示すと、子供は「いやだ。ぼくこっちのほうがいんだもん」と言って何にも入っていない方のパンを取ろうとするのです。大人たちが嫌な顔をする、天然酵母パンや雑穀の入ったパンを子供は喜んで食べます。一度も食べたことのない子供は“おいしいと言われている”ものを食べますが。
大人よりも、子供の方がずっと進歩してるんじゃないかとびっくりさせられることが結構あります。