chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅥ「India インディア」を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/4/20

2020-04-21 05:19:18 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅥ「India インディア」を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/4/20


  ボンベイの雑踏、通り、大型バス、車、ビル、近代建築、多様な人々、多様な言語、混沌、古さと新しさと、寺院、巨大な寺院、祈りの世界、大きな街と寺院と、そして、今、カメラは、視点は、何処に、如何に、遙かに青い空、緑の森の中、移動しパンするカメラ、木々がまばらに、木々の中から草原に、道が、象、象を操る人々、象は重機でもあるのだ、長閑な日常、暮らし、仕事を終えて象たちの水浴び、象の食事、草木を食べて、象を操る私、大木から見詰める屋敷の庭、村で見かけた娘、私に取って忘れられない日にと、娘と象の世話の最中、川で見つめ合い、人形劇の一座がトラックで、村にやって来た、皆が見詰める人形劇、此処でも娘を見かけた、大人も、子供も、昼下がり私は、大木の枝の上から、また見詰める娘、こうして学校の先生に相談、彼は間に入って父に話してくれる、こうして私の父と娘の父との話し合い、結婚式、着飾った娘、衣装、色彩、化粧、共に出向いてくる人々の列、祝い、子供が出来て、その一家か、違う私の一家か、ドキュメントスタイルのドラマ、若者は結婚して子供も出来、ダム建設に、労働者、田舎の生活から、今は労働者、電力を得るための、都心のためのダム建設、建設が終わると、住居を代えて、隣同士も別れ別れ、悲しみの、ぼやきの妻、幼い子供を抱えて、これから何処に、出来上がったダムを見詰め歩く私、廃墟と化した寺院、文字を書き付けのだが、沐浴する私、しかし、一つの建設が終われば次なる建設に、遠く、労働者たちが、列を作って歩き去って行く、彼等もまた、次なる労働場所を求めて、インドの近代化、だが、この近代化が何をもたらしたのだろうか、私の生活にあって、妻、子供、仕事、豊かになったろうか、そんなとってつけた説明などない、見るのだ、この姿等を、ヒマラヤの山々、雪山、そこから流れる水、小川から、川に、蓮の緑、蓮の花、川は流れ、その先までも、そこには人々の作り出した道が、川の道から土の道に、近代化のアスファルト、川と道は連なっていく、続いていく、さてまた、森の中、草原、木々、人の訪れない、聖なる世界、魔の世界、魔術の世界、神々の世界、何が見える、何が聞こえる、何が終わる、何が始まる、獣たち、老いた私、農村で、子供たちが働いてくれる、嫁がやってきて世話を焼く、私は一人牛を連れて草原の中、牛に草を匍わせ、私は煙草を吹かす、憩いの時、が、此処には虎が、虎のカップル、襲う事はないと知っていても恐怖で、周章てて立ち上がり、牛と共に去る、森の世界は、獣たちの世界は、昔のままに、象は手名付けて、仕事につかえた、だが、虎は如何とも出来ない、獣たちも、家の中、祈りの妻、赤ん坊に乳をやる嫁、働く子供たち、長閑な日常、だが、そこに近代化が、鉄鋼の鉱石の為のトラックたち、土を掘る地響き、音、これまでの獣たちとの同居が壊れていく、獣たちはこの開発に驚き、怯え、騒ぎ、森から外に、逃げ惑う、恐れていたことが、居場所のない虎が人を襲ったのだ、草原の中の血、一度人を襲ったら、次々に、虎とは森の神、森の怒り、ダムによって、昔ながらの小さな湖も消えた、巨大なコンクリートの巨壁、人々は、労働者として、移動していく、動かざるを得ない、結果として街に、熱波、陽射し、一人の男が猿を連れて、旅芸人なのだろうか、歩いてくる、が、熱波の故か、倒れ込んでしまう、チェーンに繋がれた猿、飼い主が倒れて死して仕舞った、舞う鳥たち、ハゲタカだろうか、怯える猿、身動きが出来ない、男の顔の上に重なって、必至に、語りかけるように、答えない男、舞う鳥、チェーンの先が外れて、逃げることが出来て、走る走る、川に、水辺に、辿りつく猿、猿である私、サーカス、一座の者たち、旅してきた猿はサーカスに、ブランコの曲芸、猿の芸、必至に芸をする猿、此処にも私が、生きていくための仕事、労働、相変わらずにチェーンに繋がれてあるのだ、壁の上、外を見詰めると自然の中に猿が、野生の猿が自由に生きて木々を渡っていく、見詰める猿の私、彼等の中に、飛び込むか、いや、この場に残って芸をするか、野生の猿の私から見れば、繋がれた私は人と猿との中間の生き物、だから、語りはないが、象なる私、虎なる私、木々なる私、川なる私、道なる私が、語りかける、この私たちが、今街中に、結果として、インドについてのドキュメント、町、自然、含めて、人々の姿、自然の姿、獣たちの姿、視線、在処、インドの現実が、捕らえられて、古いインド、祈りのインド、近代化のインド、森、山、川、道、移動、かくて、今、何処に、如何に、コロナの日本の私もまた、このドキュメントの中に在るのだ、近代化という、その廃墟という多様な視点の中に、この中からしか、始まらない、始めるのだ、あらためて、ウィルスの舞う時空を、生きるのだ、近代化の廃墟の先にまでも、公害の爛れた汚染の切れた、ウィルスに依って切り開かれた魔を、間を、生きるのだ、今、終わりでは無い、始まりなのだ、ロッセリーニの「India インディア」を見るとは、コロナの日本を、世界を背負うことなのだ、コロナという解体を引き受けながらの始まり、今日、二〇二〇年四月十九日昼の習志野の青い青い空、白い白い雲、余りに爽やかな空気、彼等に撃たれながら、
 

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf