『風少年』 小檜山博
相変わらず夕ご飯を食べたあとも空腹のままだった。二階で勉強しはじめても腹が鳴りつづけ、勉強どころではなかった。それで台所へ降り、小母さんにわからないようにコップ五杯ほど水を飲んで水腹をつくる。だが二十分ほどして小便をすると、また腹は空っぽになってしまった。
わけもなく大声で叫びたい気持ちだった。頭の中は村祭りに食べたイナリズシやボタ餅が浮き出てくる。何でもいいから腹いっぱい食いたかった。
八時ごろ、ぼくは誰にも気づかれないように谷本さんの家を出た。村の家へ帰って腹いっぱい食べてこようと思ったのだ。
ジャンパアを着て首へ母ちゃんが編んでくれた毛糸の襟巻きをし、長靴をはいた。森の中の暗い雪道を、歩いたり走ったりする。坂道を登るとき汗をかき、下るときに乾いた。
家へ着くと玄関の戸の内側につっかい棒がしてあって、あかなかった。家の中は真っ暗だ。戸を小さく叩くと、トモコ姉さんが起きてきて戸をあけてくれた。
――どうしたの、こんな時間に。
トモコ姉さんが囁き声で聞いた。いま何時、とぼくは聞いた。もうすぐ十二時になるということだった。
家の中に入ろうとすると茶の間の戸があき、母ちゃんが顔を出した。丹前を着ている。
――どした。
母ちゃんの声は尖っていた。
――腹へった。
ぼくはしゃがみ込みそうになって言った。
――何? 腹へった?
母ちゃんがかん高い声で言った。それから低い声でトモコ姉さんに寝るように言った。母ちゃんが僕を睨む。
――玄関から入るな、裏口へ回れ。
母ちゃんの声は怒っていた。ぼくは玄関を出て戸を閉めると、家の裏へ回って台所の出入り口から入った。そこの上がりかまちのところに、母ちゃんが家の中を掃く箒を持って立っていた。
ぼくはいきなり箒の柄のほうで腕や腰を叩かれた。
――この馬鹿が。腹へったぐらいで帰ってくる馬鹿があるか。
母ちゃんの怒鳴り声が台所に響いた。頭も叩かれる。ぼくは両手を下げたまま、黙って叩かれていた。手を頭に上げて箒をよけたり逃げたりはしなかった。小さいときから、ずっとそうしてきていた。
よけるのは母ちゃんに悪い気がした。
間もなく母ちゃんが、丼に盛った麦飯へ味噌汁をかけて持ってきてくれた。台所へ入れとは言わなかった。ぼくは靴脱ぎ場に突っ立ったまま、その飯を掻き込んだ。
うまかった。また母ちゃんが箒を持ってわめいた。
――おまえがいなくなったことがわかったら、谷本さんの小母さんらどうすると思う?家族じゅうを起こして街の中を捜し回るかもしれんだろ、この夜中に。そんなこともわからんのか、十四にもなって。なんで自分のことしか考えんのだ、この阿呆。
太ももや尻を叩かれた。しかし母ちゃんはもう一回、丼に山盛りの飯を盛ってくれた。
ぼくがそれを食べ終わると、すぐ帰れ、捜してくれていたときはどうしたらいいかは自分で考えれ、と叫んだ。
ぼくは追い出されるように外へ出た。雪がやみ、空気が冷えはじめていた。襟巻きで頬かむりをし、街へ向かって走り出した。
谷本さんの家へ着くと、みな寝静まっていた。誰も気づかなかったようだった。忍び足で茶の間を通るとき柱時計を見ると、朝の四時だった。
二階へ上がって蒲団へもぐると、腹が鳴った。八時に出かけるときよりも腹がへっていた。母ちゃんに叩かれに帰ったようなものだ、と思った。