chuo1976

心のたねを言の葉として

「なくしもの」   谷川俊太郎

2013-02-10 05:25:19 | 文学
「なくしもの」   谷川俊太郎




ごくつまらぬ物をひとつ失くした

無いとどうしても困るという物ではない
なつかしい思い出があるわけでもない
代わりの新しいやつは角の店で売っている

けれどそれが出てこないそれだけのことで
引き出しという引出しは永劫の目色と化し
私はすでに三時間もそこをさまよっている

途方に暮れて庭に下り立ち
夕空を見上げると
軒端に一番星が輝きはじめた

自分は何のために生きているのかと
実に脈略の無い疑問が頭に浮かんだ

何十年ぶりかのことであるけれど
もとよりはかばかしい答のあるはずがない

せめて品よく探そうと衣服の乱れをあらため
勇を鼓してふたたび室内へとって返すと
見慣れた什器が薄闇に絶え入るかと思われた
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