大仏の冬日は山に移りけり 星野立子
「グローバリズムと『ダーウィンの悪夢』」 『ダーウィンの悪夢』その後4 関川宗英
「ダーウィンの悪夢 - シネマライズ オフィシャルサイト」を見ると、フランスでナイルパーチのボイコット運動が起きたこと、映画に登場した人物が嫌がらせを受けたことなどが紹介されている。
『ダーウィンの悪夢』をめぐる世界の動き
◆フランスでは、観客たちが映画に衝撃を受け、ナイルパーチのボイコット運動が
起こった。しかし、これはボイコットで解決するような単純な問題ではないのだ。
◆ついに大統領までもが論壇に登場! この映画の舞台のタンザニアでは、
「国のイメージを傷つける」とキクウェテ大統領が映画を厳しく非難した。
◆世界中での大絶賛とは裏腹に批判も噴出!映画に登場した人物が嫌がらせを
受けたほか、批判本も映画が公開された国々で出版される予定。
論争はますます白熱する勢いだ。(「ダーウィンの悪夢 - シネマライズ オフィシャルサイト」www.cinemarise.com/theater/archives/films/2006023.html)
ナイルパーチのボイコット運動について、阿部賢一氏の言葉はやはり厳しい。
ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を観て、ナイル・パーチをボイコットしたフランスの観客は、ザウパーの意図と術中に完全にはまってしまった。そして、ザウパーは数々の賞を受ける名誉も得た。しかし、ナイル・パーチをボイコットしてもタンザニアの食糧問題が解決するわけではない。反対に、タンザニアの経済に打撃を与えた。そして、そのしわ寄せは、ムワンザに住む貧しい人々に『ザウパーの悪夢』をプレゼントしたに過ぎないのではないか。(映画『ダーウィンの悪夢』について考える(10)最終回 阿部 賢一 2007年5月1日 http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1041.html)
2005年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、『ダーウィンの悪夢』を観て感銘を受けた私も、「ザウパーの意図と術中に完全にはまってしまった」一人かもしれない。また、阿部賢一氏は次のようにも書いている。
ナイル・パーチはグローバリゼーションの中で生まれた国際商品である。国際市場への強力な販売力がなければ、価格の主導権は取れない。国際市場からは常に価格引下げの圧力がかけられる。輸送の主導権も取れないことが政府の公開(質問)状を読んでも容易にわかる。どこの市場にどれだけの量をタイミングよく供給するかの主導権が取れなければ、価格を叩かれる。しかも、その生産工程でEUの厳しい衛生基準を適用される。その要求する衛生基準以下であれば即刻輸入禁止が発動される。
その一方で、ヴィクトリア湖の湖水面の低下、漁業資源の減少で、漁獲コストは上昇している。さらに、水産加工場は、ムワンザ環境法の規制で工場廃水処理の管理が年々厳しくなっている。販売価格の下落と環境設備投資等による生産コストの上昇を抑えるかのなかで、すでに経営をやめたギリシャ・オーナー系の工場があると現地英字紙も報じている。(同上)
ナイルパーチは国際的な衛生基準を満たす商品であり、タンザニアの経済を支える貿易商品である。国際市場の競争の中で、外貨を稼ぎ、一国のGDPを向上させるナイルパーチ。そのボイコットは、タンザニアの人々の少ない収入を圧迫させるだけだ。フランスで起きたボイコット運動など、グローバリズムの欠点だけをあげつらう、独りよがりな自己満足のパフォーマンスに過ぎない。そんな声が、阿部賢一氏のレポートの行間から聞こえてくる。
しかし、ナイルパーチのボイコット運動は浅はかな、思慮の足りないパフォーマンスだろうか。この運動は、貧富の格差を世論に喚起するための行動だったはずだ。
アフリカの貧困は、大航海時代以降の長い歴史の中で、様々なことが複雑に絡み合って生じた問題だ。独立戦争、独立後の混乱、民族の問題、宗教の問題も絡み、アフリカ各地で紛争は起き、今も続いている。紛争地で困っている人々に対する人道支援も一筋縄ではいかない。例えば、ODA(政府開発援助)。このお金やモノに群がる商人、新政府の役人、旧政府の役人たち。援助物資が途中で誰かの懐に消えてしまったりして、2割しか困っている人のもとに届かないなんて話を聞く。援助の機械が故障すれば直す部品もなければ技術者もいなくて、無用の長物になるしかなかったりする。ODAで井戸を掘れば、その井戸の部品を売ってしまう。
そして紛争後の国づくりを見据えた覇権争い。さらに、復興後の特需に利権を獲得しようとする世界の国々の競争も始まる。世界の先進国といわれる国々は、アフリカの民族や宗教の争いを利用して、混乱を長引かせている。その方が、儲かるからだ、などという話もネットにはあふれている。
そして、貧富の差は広がるばかりだ。貧富の差が分断を生み、憎悪を増幅させる。
かつてサルトルは言った。「飢えた子供を前に、文学は無力だ」。この言葉をめぐって、1960年代、世界中で論争が起きた。当時はビアフラの、飢えで死んでゆく子供が話題になっていた。大江健三郎氏は、「死が人間を不幸にするからこそ、人は小説を書くのだ」「文学とはあいかわらず、個人的な救済の試みである」 などという言葉を残している。サルトルや大江の言葉を、やわな文学青年のセンチメンタリズムと片付けられるだろうか。彼らの苦悩の言葉は、飢えで死ぬ子どもを救いたいという願いから生まれている。その願いは、人として生きていくときの純粋な思いだ。
ナイルパーチのボイコット運動に参加した人々には、サルトルと同じ思いがあったのだろう。確かに、このボイコット運動でタンザニアの貧しい人々がすぐに救われるわけではない。しかし、タンザニアの現実をメディアに乗せるために、一定の成果を発揮できたことは事実だ。
日本からの支援物資に書かれた言葉が中国で感動呼ぶ
新華社 2020/02/02 13:55
【新華社重慶2月2日】「山川異域 風月同天」(別の場所に暮らしていても、自然の風物はつながっている)という漢字8文字が1月31日、中国の交流サイト新浪微博(ウェイボー)で絶賛を浴びた。
同日午後、「扎宝」というユーザーが微博に「中国語資格HSKの日本事務局から湖北省への支援物資はマスク2万枚と赤外線体温計。『山川異域、風月同天』と書かれたラベルに感動」と発信した。中国・唐代の高僧、鑑真和上の伝記「唐大和上東征伝」によると、日本の長屋王が唐に送った千着の袈裟(けさ)に「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」と刺しゅうされていた。これに心を動かされた鑑真和上が、日本行きを決意したという。
2月1日午前11時現在、新浪微博には31万5千の「いいね」と7千件を超えるコメントが付けられている。
新型コロナウイルスによる肺炎感染の影響で、現在中国の多くの地域でマスクや体温計、防護服など医療物資が不足している。日本の各界から支援物資が贈られていることに、中国のネットユーザーからは「雪中に炭を送ってくれた」と称賛のコメントが寄せられており、日本の温かい支援に感動するユーザーが多く、日本への友好の気持ちを伝えるものも多い。
報道によると、茨城県水戸市は1月28日、友好都市の重慶市へ医療用マスク5万枚の寄贈を決定し、同日中に重慶に向けて発送したという。また、広島県と広島市は四川省や重慶市にマスク10万枚を支援した。(記者/周文沖)
人類の進化はあらゆる差別との戦いであるなら、経済発展の目指すべき方向は地球上のすべての人々に繁栄の機会が平等に開かれている世界である
リチャード・クー
「音楽の力」は恥ずべき言葉 坂本龍一、東北ユースオケ公演を前に
2020/2/2 朝日新聞
復興を祈る公演などを通じて、「音楽の力」で社会に影響を与えてきたのでは、と質問しようと話を向けると、強い拒否反応が返ってきた。「音楽の力」は「僕、一番嫌いな言葉なんですよ」という。
「もちろん、僕も、ニューヨークが同時多発テロで緊張状態にあった時、音楽に癒やされたことはあります。だけど『この音楽には、絶対的に癒やしの力がある』みたいな物理的なものではない。音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです」
なぜそうした考えに至ったのか。坂本は、ナチスドイツがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し、ユダヤ人を迫害した歴史を挙げた。「当時を経験していないのにトラウマでね。音楽には暗黒の力がある。ダークフォースを使ってはいけないと子どもの頃から戒めていた」
坂本はこれまでに、TBSとの地雷ZEROキャンペーンや、環境プロジェクトに融資を行う「ap bank」などに関わっている。地雷問題は筑紫哲也の依頼で参加したが、ほかは「音楽というより自身の有名性を使ってアピールしたいと思ってやっている」のだという。
日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」
音楽の感動というのは「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」
では坂本は、何のために音楽を奏でるのか。「好きだからやっているだけ。一緒に聞いて楽しんでくれる人がいれば、楽しいんですけど、極端に言えば、1人きりでもやっている。僕には他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので、音楽家が癒やしてやろうなんて考えたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うんです」
(天声人語)募る/募集する
2020/1/31 朝日新聞
20年ほど前、ブッシュ(子)元米大統領の選挙戦を追いかけたことがある。驚いたのは言い間違えのあまりの多さだ。主語なのにsheではなくher。childrenに複数形のsを付けてチルドレンズ▼就任後もこの癖は収まらず、APEC(アジア太平洋経済協力会議)とOPEC(石油輸出国機構)を混同したこともある。米市民はいちいち目くじらを立てるふうでもなく、むしろ人気を高める方に作用した。テレビはお笑いコーナーで取り上げ、失言を集めた本が売れに売れた▼「募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」。われらが安倍晋三首相の放った今週のヒットである。大勢の地元支持者が「桜を見る会」に招かれた経緯をただされ、何とも珍妙な見解を披露した▼首相の説明によれば、限られた人に声をかけるのが「募る」。広告を出して不特定多数に呼びかけるのが「募集する」。そんな使い分けは初めて聞いた。募ろうが募集しようが、支持者を優遇したことに変わりはない▼「募る」答弁の直後から、SNSは大いに盛り上がった。「#募ってはいるが募集はしてない」というお題に投稿が続く。「隠しているけど隠蔽(いんぺい)じゃない」「手を握ってはいるが握手ではない」。挙げていけばきりがない▼思い出すのは「私は立法府の長ですから」など首相が過去に発した不思議な発言の数々。失言、口の滑りともブッシュ元大統領にはときに追い風になったようだが、さて安倍首相は。