What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

有川浩 図書館戦争

2006年08月11日 14時04分10秒 | 
 第10回電撃ゲーム小説大賞・大賞受賞作の「塩の街」は未読ですが、作者さんが巻末のあとがきで「月9連ドラ風で一発GO!」と、このお話のコンセプトを書かれておいでですが、まさにその通り(笑)主人公は大変はっちゃけているし、上司の堂上さん(途中から、踊るの室井さんに脳内変換してしまいました)を始め、脇役さんも大変楽しい人ばかりです。手塚さんに至っては(某テニス部部長に脳内変換バッチリ♪)うっとりする位ないばりんぼさんで、にやにやして読み進めました。これは続編があっても良いんじゃないでしょうか?もっと読みたいと思いました。

 ですが「公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律ーメディア良化法」が施行されて30年たった架空の時代を舞台にしていますが、これはもしかしたら何年後かの日本の姿かもしれない、という身近な不安を上手く取り上げています。
 近年では、絵本の「ちびくろさんぼ」が、差別表現のある作品として廃刊され、すぐに猛烈な批判と復活要請を受けて、再刊されました。当時は、まさかと思っているうちに本当に廃刊にされてしまい、市民の声を置き去りにした政府の暴挙に愕然としましたが、それ共に、本当に良識ある市民の意見が多数あがって、暴挙を覆した事に安堵しました。

 「ちびくろさんぼ」は、昭和28年に第一刷が発行されて以来、長く愛されてきた絵本です。我が家には昭和47発行の第ニ十二刷本がありますが、表紙には「全国学校図書館協議会選定の必読図書」の金のマークが貼られています。その絵本ですら、対象となったのです。

 現在、昭和に制作されたアニメやドラマなどの放送の分野でも、差別用語、放送禁止用語としてカットされた言葉や場面を観る事が度々あります(アニメ”ルパン三世”のシリーズ第一作目などは、カットばかりで内容が判らず、大笑いです)勿論、あらゆる差別の撤廃には、心から賛成します。ですが、それを判断する基準を定めたり施行する行政機関には、不信感が拭えません。

 長い人の歴史の中で、外国でも日本でも「発禁」や「焚書」は、度々行われて来ました。政治ゆえ、思想ゆえ「表現の自由」は、私たち市民をコントロールする材料として、有効なものである事を証明し続けて来ました。そして後世、それが如何に愚行である事かも証明され続けています。このお話は架空のモノですが、現実にならないよう、私たちの権利を正当に行使して、子どもたちの未来を守りたいと思います。

 などと、長々書きましたが(笑)本好きな方なら、間違いなく楽しく、そして色々思うところのある作品だと判って頂けると思います。
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声優 鈴置洋孝さん 死去

2006年08月11日 13時17分20秒 | 日常
<鈴置さんの代表作>

・機動戦士ガンダムのブライト・ノア艦長
・初代、キャプテン翼の日向小次郎
・聖闘士星矢のドラゴン紫龍
・ドラゴンボールの天津飯
・るろうに剣心の斎藤一

 皆さんのお心には、どの役が残っているでしょうか?
私は、やはりブライトさんですね。放映当時は、シャアよりもブライトさんが好きだったりしました。それと「ダイターン3」の破嵐万丈役(*すみません、最初「銀河万丈」と書いてました、訂正します)あの華麗さが忘れられないです。どの役も、アニメならではの名台詞や叫びが似合うお声でした。

 心からご冥福をお祈りします。
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「男は仕事、女は家庭」という因習

2006年08月11日 10時40分32秒 | 日常
 (私が女として、片田舎で生きて来て感じた事なので、全ての人に当てはまらない事を前提として)

 「男は仕事、女は家庭」の因習が、最も当てはまらなかったのは、大正最後から昭和一ケタ生まれの方々ではないかと思います。第二次世界大戦の混乱の中で、この因習に従っていたのでは「喰っていかれない」男女が、当然ありとあらゆる仕事をし、役割をしました。

 その後の昭和二ケタ以降の世代は、その反動として「男らしくあれ、女らしくあれ」と生きる事を望まれ、最近の世代は「自分らしくあれ」と生きる事を望まれて来たのではないでしょうか。ですが、望んだ世代と望まれた世代では、価値観が違い、両者に軋轢も生まれます(これはもしかしたら「普遍の葛藤」なのかもしれませんが、自分の親が望むようには、必ずしも子は生きられません。ましてや、子が望むような親に、必ず成れるわけもありません)

 「あなたも早く結婚して家庭を持って、子どもをもちなさい」
そう一度は言ってみたくなるのが親です。それは経験者として、その経験が我が子を、幸福も不幸もある充実した人生を送る事を導くだろうと望むからです。一方、子は周囲の既婚者たちや自分の子としての経験を踏まえて、自分独りの生活の自由と無責任を尊重したいと、一度ならずも思いますよね?(それの思惑を飛び越えさせるのが「恋愛」だったりする訳ですが)ですが、幸福と不幸に決められた等分はありません。残念ながら不幸な事件が多発する昨今、単純に上記のような台詞を言える親は減って来ているのではないでしょうか?

 社会の仕組みや価値観が激変する毎日です。カタチに囚われずに自分のあり方を望める風が吹いている事は確かですが、それは様々な炎を起こしています。自分の内に取り込んでエネルギーとするか、周囲を巻き込んで輝きとするか、安穏と風をやり過ごし腐ってガスを生み出して炎を広げるか、それはあなたのあり方です。「リスク」も「デメリット」も「勝ち」も「負け」もその基準にはなりません。

 今の時代に沿った価値観を阻むのは、今の時代を生きている人たちなのかもしれません。「親の姿を見て来たから、自分もそういうもんだと生きて来た」事柄が多くないですか?それが、新しい考えと沿い遭わなくとも、そのカタチをそのままにした方が「ラク」だから。

 カタチを壊して、新しいカタチを作っても、いつかはそのカタチは古くなります。後生大事にしなければならないカタチもありますが、新しいモノと古いモノを組み合わせた「ハイブリッド」を目指すのが、より良いモノを生み出す基本だと思っています。



 ちょっと話しは変わりますが、私は高校・短大と女子高でした。

 いわゆる「男の仕事、女の仕事」と言われるものを、当然女の子しかいないのですから、わけ隔てなくやりました。長い人生の中では、職場や家庭で片方の「性」しか居ない生活は、人それぞれの事情であったりしますが、十代で社会に出る前に「しなければならない事は、する姿勢」を学べて、私は良かったと思っています。

 学習の場では、理科実験も解剖も全員がしました。体育の跳び箱の積み方運び方もマット運びもやりました。放送機器も扱ったし、応援団も居ました。家庭科は調理や裁縫もありましたが、木工もありました。これらは、もし共学なら「男の仕事」となっているかもしれません。それも「性差」を意識し考える上では、良い体験でしょうが、それはある意味「人としての可能性」を奪っているかもしれないと思いませんか?男女の差なく、得意不得意とするモノはあります。体力も体格もそれぞれです。それを「性差」だけで分けてしまっている学校は、確かに未だに存在するのです。どんな事柄もわけ隔てなく体験してこそ「性差」を感じ、思いやれるのではないでしょうか?

 勿論「彼氏の前でそんな事できな~い♪」という女子の基本(?)や「彼女の前でカッコイイとこ見せましょう!」という男子の基本(?)を遺憾なく発揮する場面ではあります(笑)ですが、その態度を周囲の人がどう思うかは判りますね?それは、社会人になっても同じです。
 「女の敵は女」という言葉はよく使われますが「男の敵も男」ですよね(男尊女卑のなごりか、あらためては使われませんが)新しいカタチの敵は自分の中にある古いカタチなのではないでしょうか?

 実は仙台市は、公立高校の一律男女共学化が進められています。今更?と思われる方もおいでとは思いますが、私は子どもたちが、共学でも男子校でも女子校でも自由に選べる「選択肢」が多い方が良いと思っています。私学でも、共学化する学校もあり、私の母校もとうとうなってしまいます。思い出や歴史が無くなる訳ではないので、感傷はありません。ですが、へそまがりなので(笑)更に良いカリキュラムの組める学校になってくれないとムッとするかも。

 
コメント (4)
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