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毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

YAHOO! 東日本大震災 写真保存プロジェクト

2011年06月02日 11時49分02秒 | 日常
 写真って酷いなと思います。

うちのおじいさんの甥ごさんご夫婦は、いまだに行方不明のままです。恐らく店舗権住宅と一緒に海に流されたらしいのですが、探しに来られた息子さんご家族は、家の土台に残っていたタイルを何枚か遺品として持ち帰られました。その際に、昨年お孫さんが生まれた時の写真を見せられたんですが、もうね、お二人とも赤ちゃんを抱っこされて満面の笑顔なんですよ。幸せっていう光が溢れている写真が酷くて、すぐにお返ししました。

YAHOO!の「東日本大震災 写真保存プロジェクト」が公開されたので、近くの地域を見てみたんですが、まざまざと震災当時の頃のことが思い出されてしまい、泣いてしまいました。家にある古い観光雑誌も、今観るとただ酷くて。思い出を懐かしむような暖かい気持ちには、まだなれません。ただ、時間が癒してくれるのを願うばかりです。

隣の奥さんの妹さんも、家ごと流されていまだに見つかりません。奥さんと一緒に病院に行かれたり旅行されたりと、仲の良いご姉妹でした。隣の学区の小学校では、生徒さんが20人亡くなって5人が行方不明です。普段歩いている通学路で、小さい子どもたちが津波に飲まれるなんて思ってもみませんでした。

あまりにも身近に多数の死があると、自分の内の何かが壊れてしまって、震災から三ヶ月が経って、以前同様な風景が戻りつつあっても、その「差」に、気持ちが苛まれます。




* 画像・閲覧注意

これ、日本なんですよ。日本のできごとなんですよ。

2011年5月04日 宮城県石巻市門脇付近の写真 - 東日本大震災 写真保存プロジェクト

地元紙の訃報欄には、いまでも震災で亡くなった方の、訃報や葬儀案内が毎日載ります。膨大な死亡者数だったので、なかなか火葬や葬儀場の順番がこなくて、今になったりという事もありますし、三ヶ月も経って見つかった方もいます。そして、当時しかたなく土葬された方を、ようやく火葬できるようになったという事もあります。

私は、この場所がどこにあるのかわかりますし、そこへ行くまでの道もわかります。ですが、震災以来その道をとおるのが恐くて行かれません。車で通ったり、買い物したりした街が、ガレキと燃え残った鉄骨や錆びた車が散乱する場所になったのを観るのが、ただ恐いんです。今は、自衛隊の皆さんや業者さんのご努力で、道もとおったし随分と片付いて更地になった場所もあるそうですが、とうてい行く事はできません。

記録を保存する事は、きっと後世の役に立つだろうと思う一方で、まだ震災は終わっていないのに、と思う気持ちもあります。
コメント (2)
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