What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

動画 「ボランティアによるがれき撤去作業」

2011年06月09日 10時35分21秒 | 日常
 最初、うちが映っているのかと思ってちょっとびっくりした!違ったんですけど、映っている被災した状況がそっくりなんだもの。

うちで、畳をあげるのをボランティアセンターにお願いした時に、いらっしゃった方達の中に外国人の方が男女一名づつおられました。津波に濡れてどろだらけの畳20枚以上を、10人でどんどん運んで下さったから、10分くらいで終わってしまいました。なんだか手持ち無沙汰だったようで、ついでという感じで茶の間と中の間のドロを洗い流して下さいました。

いまも、暑い中で遠くからいらしたボランティアの皆さんが、もくもくとドロやガレキを運んで下さっています。心から御礼申し上げると共に、もし自分だったら、遠い場所で起きた災害にこんなにまで尽くせるだろうかと、自分の小ささを感じます。




ボランティアによるがれき撤去作業
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おめでとうございます!!

2011年06月09日 09時57分35秒 | ブログ
 真面目なお話が続いていて、どこに書き込んでいいやらわからず、でも、こう数字がきっちり並んでいるとムズムズせずにはいられない私。なので拙宅で勝手にお祝いさせて頂きます

酔漢様、カウント10万ヒットオーバー、おめでとうございます!

酔漢のくだまき
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盛岡市 さわや書店上盛岡 「とりのなんこさんちの本棚」

2011年06月09日 09時36分19秒 | 漫画
 いやぁ、メールって便利♪遠い場所に居る長男にも、どしどし指令を送れるもの(笑)

盛岡市に展開している「さわや書店」さんのツイッターに、

>とりのなんこさんの本棚を再現&色紙を展示しています

という文章を見つけて、さっそく長男に行って貰いました。とりのなんこさんは、岩手在住のエッセー漫画(これで良いのかな?野鳥&動物観察記かな?)『とりぱん』の作者さんです。

場所は大学の近くにある「さわや書店上盛岡」(ところで、いまの盛岡ってめっちゃ暑いんですよ。昨日は28度もあったそうで、これで”盛岡名物めっちゃ寒い梅雨”が来たら、いくら生粋の東北人な長男でも、ふり幅激しくて体壊しそうですね)

さて、まずは本棚♪これ見えますかね?私が大好きな『絶対帰還』があるんですよ!これはオススメ本です!!そして長男の愛読書『へんないきもの』もある~(笑)



次は色紙♪色んなエピソードがびっしり描いてあって、近づいてじっくり読みたくてたまらんのです。





 ところで「さわや書店」さんは、知る人ぞ知る存在だったようで、ネットでこんな記事を見つけました。

★2004年2月5日付日経MJより
「読書好きの店長売り上げ伸ばす さわや書店(盛岡市)職人の力が中小書店には不可欠」

 倒産が相次いでいる中小書店の中で、盛岡市にある「さわや書店の本店」は、売上高が過去10年間で倍増したそうです。

■読書好きの伊藤店長は毎日1冊は本を読み、どこにでもあるベストセラー本よりも、無名でも「これは」と思った書籍を大量に仕入れて平台に積み上げ、手作りPOP(店頭広告)を付けて売り出す。

■売れ筋を調べる基本は毎日売れた本のスリップを点検しノートにつけること。

■読書家のお客の情報も活用する。

■「本店は店員の職人力を磨く道場。POSに頼らず自分の目で傾向を察知する能力を店員につけさせる」(伊藤店長)

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随分前の記事なので、店長さんもお店の経営状態も変わっているかもしれませんけれども、長男曰く「上盛岡店は、超レベルの高い素敵な本屋さん」だそうです。

コメント (2)
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「本を読むのが好きな人は他人に対する共感力が高い」を読んで思い当たったこと。

2011年06月09日 09時09分00秒 | 
 全国の本の虫さんとしては、まず「なんでやねん!」と突っ込みたいお気持ちになるとは思いますが、以下をご一読下さい。

本を読むのが好きな人は他人に対する共感力が高い(フィクションの場合)?- MSN トピックスより引用

 いわゆる「本の虫」と呼ばれるような本好きの人たちは、ちょっと内向的で変わった人といった印象でとらえられることもあります。これは、おそらく映画やテレビがそのように描いてきた影響でしょう。しかし興味深いことに、最近の研究(PDF)には、フィクションを読むことで社会的な能力が磨かれると書かれています。これはなぜなのでしょうか?

内向性に関する専門家のSusan Cain氏が、その理由を説明しています。

 「これは直接的な原因というよりも、相対的な原因だと思われます。おそらく、フィクションが好きな人というのは、まず対象へ感情移入しやすいのです。フィクションには、他人の心や体にダイレクトに没入するような、共感神経を刺激するもののがあるのではないかと思います。」

フィクション好きの人たちは、恥ずかしがり屋で社会的なコミュニケーションが苦手そうな印象がある一方で、見ず知らずの他人に共感できる能力が磨かれているとも言えそうです。

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 私事ですが、3月の震災以来、どうにも「本を読む」ことが出来なくなっています。まぁ、単に図書館から本を借りれないからじゃん(呆)とお思いの常連さんもおいでだとは思いますが・・・それもあるんですが、どうにも、こう、手がでないんですね。で、上の文章を読んでいて、

>フィクションには、他人の心や体にダイレクトに没入するような、共感神経を刺激するもののがあるのではないかと思います。

という部分に、あぁ、もしかしてそうかもと思い当たりました。例えばいま、「魔法で街を壊滅させる」とか「軍の一斉射撃で市民が命を落とす」とかいう文章描写を、受け入れる余裕が心に無いんです。「何を見ても何かを思い出す」というのは有名なタイトルですが、そんな感じで「何を読んでも何かを思い出す」のです。

新聞で「辛い避難所生活を、読書で紛らわせている」という記事を読んで、そういう人もおられるだろうなと思いつつ、私はどうも不器用で、うまく切り替えができないようです。

多感な十代の頃、『風と共に去りぬ』上・下巻を徹夜で読破して、圧巻の世界感とキゃラクターに、飲み込まれたようになった事もありましたし(お日様を見るとめまいがして、徹夜ってこんなにしんどいんだと知った、初めての体験です・笑)京極夏彦さんの『うぶめの夏』を、長男に授乳したりと一度に数ページしか読めないのを、何日もかけて読破して、あの世界感に読書する喜びを噛み締めた事もありました。

そういう体験をいっぱいしてきたので、逆に震災を体験して、それと重ね合わせちゃって本を読めない自分は、それだけ本に飲めり込めてたんだから、当たり前なんだなぁと思うようになってきました。

震災から、まだ三ヶ月です。


コメント (4)
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