もうすぐ、震災があってから半年になります。地震と津波の被害は、その日ばかりでなく、ずっと続くんだという事を、いまさらのように体感しています。
うちのおじいさん(85歳)なんですが、日に三回飲む薬を一週間飲んでいなかったんです。もっと早く気づけば良かったんですが、これまで薬の飲み忘れだけはした事がなかったので、まさかまさかでした(最近こんなんばっかりだ)
ニ・三日まえから変な顔をする時があって、おかしいなとは思っていたんです。その薬は、血圧を安定させるものとか通風の治療とか血の流れを良くする等の錠剤が、一つの袋にまとめて入っているものだったんで、それを一週間も飲んでいなかったから、朦朧としていたんですね。
一ヶ月分の薬の入った大きな袋そのものが無いので、もしかすると貰い忘れたのかと思い、領収書はあったんですが、病院や薬局に確かめに行ったらやはりそんなことは無く。本人は「日に三回飲んでいたか?」と、すっかり薬の存在を忘れているし、もう一度薬を貰いなおすしかないと思い、その日は寝ました。でも、寝ながら考えて、もしかしたら家のどこかに薬をしまったんじゃないかと、次の日の朝起きて、すぐに家のあちこちを探したら・・・ありましたよ、おじいさんの洋服の入った戸棚に。(脱力)
すぐにそれを飲ませようとおじいさんに渡したら、「これ飲んでいなかったのか?」と、一週間薬を飲んでいなかった事を、その場で忘れました。
その忘れる速さというか、人間の脳みその働きの不思議さに驚かされました。
その後、薬が効き始めるまでの三日くらいは、何かあるだろうなぁと思っていました。
おじいさんは、「夜、眠れない」ことを凄く気にしていて、安定剤を何十年も服用しているんですが、晩酌も欠かさずしていたんです。処方箋には「アルコールと併用しないで」と書いてあるのをずっと知っていたので、様子が落ち着くまでどちらかを止めたら?と勧めて、おじいさんは晩酌をとりました。三日後に、やっぱり眠れないから、今度はお酒を止めて安定剤を飲むことにしたと言うので、飲みかけのウィスキーをおじいさんの了解を得てしまいました。
それから5分後くらいに、突然怒り出して机を足で蹴ったり、窓を叩き出して怒鳴ったり始めました。さっきのやりとりを忘れて、お酒がいつもの場所に無い事だけが頭に入って、私が取り上げた事になったんですね。
「別居する」「もう死ぬ」「なにもかにもとりあげて」などなど、怒鳴る怒鳴る。私は、受けながしていたんですが、居合わせた主人は、おじいさんと一緒になって怒鳴ってました~。お酒をつかんで怒鳴りあう二人の様子を見ていて、あぁ、親がこうやって怒鳴るのを見て育ったから、自分も腹が立つと壁を叩いたりするんだなぁ~と、私は落ち着いて見ていたんですが、同じく居合わせた次男は、ショックだったようです。
またしても、その後すぐに(嘘でなくて3分ぐらいで)おじいさんが「お母さん、ごめんな~。お酒はしまっておいて」と謝ってきたんですが、その切り替えしの速さも二度目なんで、もう感動はしませんでした(苦笑)同じくその様子を見ていた次男も、今度は呆れるばかりでショックではなかったみたい・・・こうやって人は打たれ強くなっていくんだなぁ。
もしも3月の震災が無かったら、こんなに急速に物忘れが激しくなる事はなかったかもしれません。「なにもかもとりあげて」というおじいさんの言葉に、震災と津波のせいで変わってしまった毎日の暮らしに、心も脳の働きも傷ついてしまった事を、痛感させられました。
私は、決して善人じゃないです。何よりも二人の子どもたちの幸せが一等大事です。でも、できれば、おじいさんが自然に命が尽きる日まで、見届けれれば良いなと願ってます。
★「大震災半年:高齢者の家族も疲弊 被災心労で症状悪化」(
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110907ddm003040007000c.html )より引用
東日本大震災から半年を迎える被災地で、新たに要介護認定を申請する高齢者が急増している実態が浮かんだ。津波で自宅を奪われたり、避難生活を強いられたりするなどの環境変化は、高齢者の体をむしばむ。
「津波が来っと!」。8月19日、震度5弱の余震におびえた宮城県石巻市渡波(わたのは)の阿部良策さん(71)は、寝ていたベッド脇のふすまを不自由な足でけり破った。妻のマサコさん(65)は「津波で生死の境をさまよったので、黒い波が目に浮かぶのだと思う」と話す。
「この状態なら死んだ方がましだ」と口にするなど、精神的な落ち込みも激しい。
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うちのおじいさん(85歳)なんですが、日に三回飲む薬を一週間飲んでいなかったんです。もっと早く気づけば良かったんですが、これまで薬の飲み忘れだけはした事がなかったので、まさかまさかでした(最近こんなんばっかりだ)
ニ・三日まえから変な顔をする時があって、おかしいなとは思っていたんです。その薬は、血圧を安定させるものとか通風の治療とか血の流れを良くする等の錠剤が、一つの袋にまとめて入っているものだったんで、それを一週間も飲んでいなかったから、朦朧としていたんですね。
一ヶ月分の薬の入った大きな袋そのものが無いので、もしかすると貰い忘れたのかと思い、領収書はあったんですが、病院や薬局に確かめに行ったらやはりそんなことは無く。本人は「日に三回飲んでいたか?」と、すっかり薬の存在を忘れているし、もう一度薬を貰いなおすしかないと思い、その日は寝ました。でも、寝ながら考えて、もしかしたら家のどこかに薬をしまったんじゃないかと、次の日の朝起きて、すぐに家のあちこちを探したら・・・ありましたよ、おじいさんの洋服の入った戸棚に。(脱力)
すぐにそれを飲ませようとおじいさんに渡したら、「これ飲んでいなかったのか?」と、一週間薬を飲んでいなかった事を、その場で忘れました。
その忘れる速さというか、人間の脳みその働きの不思議さに驚かされました。
その後、薬が効き始めるまでの三日くらいは、何かあるだろうなぁと思っていました。
おじいさんは、「夜、眠れない」ことを凄く気にしていて、安定剤を何十年も服用しているんですが、晩酌も欠かさずしていたんです。処方箋には「アルコールと併用しないで」と書いてあるのをずっと知っていたので、様子が落ち着くまでどちらかを止めたら?と勧めて、おじいさんは晩酌をとりました。三日後に、やっぱり眠れないから、今度はお酒を止めて安定剤を飲むことにしたと言うので、飲みかけのウィスキーをおじいさんの了解を得てしまいました。
それから5分後くらいに、突然怒り出して机を足で蹴ったり、窓を叩き出して怒鳴ったり始めました。さっきのやりとりを忘れて、お酒がいつもの場所に無い事だけが頭に入って、私が取り上げた事になったんですね。
「別居する」「もう死ぬ」「なにもかにもとりあげて」などなど、怒鳴る怒鳴る。私は、受けながしていたんですが、居合わせた主人は、おじいさんと一緒になって怒鳴ってました~。お酒をつかんで怒鳴りあう二人の様子を見ていて、あぁ、親がこうやって怒鳴るのを見て育ったから、自分も腹が立つと壁を叩いたりするんだなぁ~と、私は落ち着いて見ていたんですが、同じく居合わせた次男は、ショックだったようです。
またしても、その後すぐに(嘘でなくて3分ぐらいで)おじいさんが「お母さん、ごめんな~。お酒はしまっておいて」と謝ってきたんですが、その切り替えしの速さも二度目なんで、もう感動はしませんでした(苦笑)同じくその様子を見ていた次男も、今度は呆れるばかりでショックではなかったみたい・・・こうやって人は打たれ強くなっていくんだなぁ。
もしも3月の震災が無かったら、こんなに急速に物忘れが激しくなる事はなかったかもしれません。「なにもかもとりあげて」というおじいさんの言葉に、震災と津波のせいで変わってしまった毎日の暮らしに、心も脳の働きも傷ついてしまった事を、痛感させられました。
私は、決して善人じゃないです。何よりも二人の子どもたちの幸せが一等大事です。でも、できれば、おじいさんが自然に命が尽きる日まで、見届けれれば良いなと願ってます。
★「大震災半年:高齢者の家族も疲弊 被災心労で症状悪化」(
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110907ddm003040007000c.html )より引用
東日本大震災から半年を迎える被災地で、新たに要介護認定を申請する高齢者が急増している実態が浮かんだ。津波で自宅を奪われたり、避難生活を強いられたりするなどの環境変化は、高齢者の体をむしばむ。
「津波が来っと!」。8月19日、震度5弱の余震におびえた宮城県石巻市渡波(わたのは)の阿部良策さん(71)は、寝ていたベッド脇のふすまを不自由な足でけり破った。妻のマサコさん(65)は「津波で生死の境をさまよったので、黒い波が目に浮かぶのだと思う」と話す。
「この状態なら死んだ方がましだ」と口にするなど、精神的な落ち込みも激しい。
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