○ あさの あつこ 『あさのあつこのマンガ大好き!』(東京書籍)
作品の好きなところを、文章で語ろうとするって、難しいなぁと思います。空回りしないように、ネタバレしないように作品のあらすじを伝えようとか、いろいろ文章に詰め込まなきゃいけないから、結局「好きー!」という情熱がダウンしちゃって、解説書みたいになってしまいがちに思います。
私はあさのあつこさんと歳が近いので、挙げられている作品をほぼ読んでいる又は知っているので、ぱっとニュアンスが伝わるものがあるのですが、これがまったく作品を知らない人は、小難しい文章と思うかも。
巻末年表のなかで、思わず笑ってしまったのが、この部分。長男さん、大きくなったんですねぇ(笑)
>2007年 『Qさま!!』に制服のブレザーを着て出演し、長男に「バカ野郎!」と詰られる。
この「詰られる」が判らなくてネットで調べたら、”「詰める(つめる)」は、相手が何も言えなくなるまで話す(納得させる?) という感じです”とあって、知らない言葉って、まだまだ沢山あるもんだなぁと思いました。
○ ジャン・バーク 『骨 (上・下)』(講談社文庫)
2002年発刊ですが、読もうと思いつつ読めなくて、今頃読破。上巻で大事件が勃発、それが終わったかと思いきや、下巻でも犯人が執拗に追いかけて来て~というドキドキハラハラなお話でした。傷ついた人間たちの再生が書かれていて、胸が熱くなる好いお話でした。賢い犬たちがたくさん出てくるので、犬好きさんにもお勧めです♪
○ デイヴィッド・ゴードン 『二流小説家』(早川書房)
海外翻訳作品の紹介するコーナーの、書籍でもネットでも絶賛されていたので、読みたかった一冊。なるほどな面白さでした。「主人公が作家」で、ごく普通の(しかも冴えない!)男性という設定が、まず巧い。作中に登場する二流小説たちも、犯人の思惑も上手くて、繰り返し読まされます。登場する女性達の、個性豊かで輝いている(違う意味でも)こと!一冊で、何冊分も読んだ気がする濃厚さでした。
このお話、随所に名文があるのですが、なかでも心に響いた一文。(本文P449より引用)
>きみがどうかは知らないが、ぼくは推理小説が結末に近づくのが嫌いだ。
>推理小説を書くにあたっていちばん厄介なのは、虚構の世界が現実ほどの謎に満ちてはいないという点にある。人生は文学がさしだした形式を打ち破る。
>真の不安と危機感とは、次に何が起こるかをいっさい知らないことから、先の見えない”いま”を生きているからこそ生じるものなのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は小説が「終わる」から好きです。現実は「終わらない」でしょう?だから、繰り返し「終わり」を読んで、「終わらない」毎日の励みにします。主人公たちの行く末がどんなに困難でも、苦しみが続くだろうとも小説は「終わる」。私もそうだと好いなと願って、私は小説を読みます。
『骨』も『二流作家』も、暴力や困難に晒された人間が、その後どうやって折り合いをつけていくか、それが深く描かれていて、今の私には癒しになりました。
作品の好きなところを、文章で語ろうとするって、難しいなぁと思います。空回りしないように、ネタバレしないように作品のあらすじを伝えようとか、いろいろ文章に詰め込まなきゃいけないから、結局「好きー!」という情熱がダウンしちゃって、解説書みたいになってしまいがちに思います。
私はあさのあつこさんと歳が近いので、挙げられている作品をほぼ読んでいる又は知っているので、ぱっとニュアンスが伝わるものがあるのですが、これがまったく作品を知らない人は、小難しい文章と思うかも。
巻末年表のなかで、思わず笑ってしまったのが、この部分。長男さん、大きくなったんですねぇ(笑)
>2007年 『Qさま!!』に制服のブレザーを着て出演し、長男に「バカ野郎!」と詰られる。
この「詰られる」が判らなくてネットで調べたら、”「詰める(つめる)」は、相手が何も言えなくなるまで話す(納得させる?) という感じです”とあって、知らない言葉って、まだまだ沢山あるもんだなぁと思いました。
○ ジャン・バーク 『骨 (上・下)』(講談社文庫)
2002年発刊ですが、読もうと思いつつ読めなくて、今頃読破。上巻で大事件が勃発、それが終わったかと思いきや、下巻でも犯人が執拗に追いかけて来て~というドキドキハラハラなお話でした。傷ついた人間たちの再生が書かれていて、胸が熱くなる好いお話でした。賢い犬たちがたくさん出てくるので、犬好きさんにもお勧めです♪
○ デイヴィッド・ゴードン 『二流小説家』(早川書房)
海外翻訳作品の紹介するコーナーの、書籍でもネットでも絶賛されていたので、読みたかった一冊。なるほどな面白さでした。「主人公が作家」で、ごく普通の(しかも冴えない!)男性という設定が、まず巧い。作中に登場する二流小説たちも、犯人の思惑も上手くて、繰り返し読まされます。登場する女性達の、個性豊かで輝いている(違う意味でも)こと!一冊で、何冊分も読んだ気がする濃厚さでした。
このお話、随所に名文があるのですが、なかでも心に響いた一文。(本文P449より引用)
>きみがどうかは知らないが、ぼくは推理小説が結末に近づくのが嫌いだ。
>推理小説を書くにあたっていちばん厄介なのは、虚構の世界が現実ほどの謎に満ちてはいないという点にある。人生は文学がさしだした形式を打ち破る。
>真の不安と危機感とは、次に何が起こるかをいっさい知らないことから、先の見えない”いま”を生きているからこそ生じるものなのだ。
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私は小説が「終わる」から好きです。現実は「終わらない」でしょう?だから、繰り返し「終わり」を読んで、「終わらない」毎日の励みにします。主人公たちの行く末がどんなに困難でも、苦しみが続くだろうとも小説は「終わる」。私もそうだと好いなと願って、私は小説を読みます。
『骨』も『二流作家』も、暴力や困難に晒された人間が、その後どうやって折り合いをつけていくか、それが深く描かれていて、今の私には癒しになりました。