生まれずに亡くなった赤ちゃんに対して「その人生には意味があったのか?」と問われたら、「お母さんと家族共に、お腹の内で過ごした時間があったのですから、けっして無意味などではありません」と今なら言えます。
もちろん無事に生まれて、家族と共に長い時間を過ごせたのなら、どんなにか良かったでしょう。でも、その存在に意味が無かったとは、赤ちゃんもお母さんも、絶対に言われたくないはずです。
★「名言コツコツ」( http://meigen.ko2ko2.net/2012/04/1456.html )より引用
◇『詩・言葉・人間』 大岡 信
京都の嵯峨に住む染色家、志村ふくみさんの仕事場で話していた折り、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸いこむように感じられた。
「この桜は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際は、これは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮から、この美しいピンクの色がとれるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したようなえもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。
私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、もうまもなく花となって咲き出ようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎなかった。
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小学校?中学校?とにかく教科書に載っていたお話に、久々に出会えました。
>春先、もうまもなく花となって咲き出ようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。
「美しい花は、その結果がほんのちょっと出た先っぽにすぎなくて、本当は木全身が色づいている」というお話しが、何年もたったいまでも、何か心の支えになっています。目に見えているモノができるまでの、努力や想いといった目に見えないモノをひっくるめて、それらを考えるように最近なってきました。
★「名言コツコツ」( http://meigen.ko2ko2.net/2012/04/1477.html )より引用
他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
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「片づける」と言ったからには、やりとげます。