最新の科学技術の正しい使い方。「リコー」て言ったら、コピー機やデジカメの大手というイメージなんですが、ニュース動画を観るとわかるんですが、すごく使いやすそうな顔認証の検索システムなんですよ。もちろん、説明してくれる人もついて手伝ってくれるし。「便利になったもんだ」って言うウメさんの嬉しそうな顔は、リコーさんの誇りだと思います。
★「FNNニュース / 津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。」
( http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00231291.html )より引用
東日本大震災から、11日で1年半。
被災地で見つかったものの、今も持ち主のわからない写真は、数百万枚にのぼります。津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。
宮城・亘理町にある写真センター。
仮設住宅に隣接するこの場所には、震災後、この地域で見つかった写真が集められている。写真を探しに来た人は「(特に見つけたい写真は?)子どもたちの記念の写真です。ぜひとも、1枚でも探したいなと思って」などと語った。
センターがオープンしたこの日、写真を探しに多くの人が訪れた。仮設住宅に1人で住む鈴木ウメさん(78)。家族はみな無事だったものの、家も思い出の写真も流されてしまった。
集められた膨大な写真の中から、探す方法は「顔認証システム」(NEC「Neo Face」)。探したい人が写っている写真をパソコンに取り込み、登録してあるおよそ5万7,000(亘理町の場合)の写真データの中から、コンピューターが、その人だとみられる写真をはじき出す。慣れないパソコンの前に向かうウメさん。ウメさんも、すでに見つかっていた数少ない自分の写真をもとに、顔認証システムで検索をかけてみた。見つかった中には、流された家の前で撮った家族写真も含まれていた。ウメさんは「便利になったもんだ」と語った。
現地の写真センターをサポートする株式会社リコーの藁谷瑞栄プロジェクトリーダーは「写真っていうのは思い出。その人によっては、すごく大事なものであるし、すごく喜んでたので、とてもよかったなと感じました」と語った。
写真センターを訪れた翌日、ウメさんが友人らと共に出かけたのは、古くからイチゴ栽培が盛んだった吉田地区。津波が押し寄せ、今は一面、原っぱになっていた。
ウメさんが、草むらの中へ入っていき、「このへんだね」と語った。そこは、ウメさんの家があった場所。長男夫婦と孫、家族6人で暮らしていたウメさん。写真に収められた思い出の場所は、今はもう跡形もない。
ウメさんは「悔しいよね。今まで一生懸命になって働いてきて、何にもなくなったんだもん。悔しくて悔しくて」と語った。
海が近いこの場所には、もう戻りたくはないという
* リンク先には動画もあります。
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★「FNNニュース / 津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。」
( http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00231291.html )より引用
東日本大震災から、11日で1年半。
被災地で見つかったものの、今も持ち主のわからない写真は、数百万枚にのぼります。津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。
宮城・亘理町にある写真センター。
仮設住宅に隣接するこの場所には、震災後、この地域で見つかった写真が集められている。写真を探しに来た人は「(特に見つけたい写真は?)子どもたちの記念の写真です。ぜひとも、1枚でも探したいなと思って」などと語った。
センターがオープンしたこの日、写真を探しに多くの人が訪れた。仮設住宅に1人で住む鈴木ウメさん(78)。家族はみな無事だったものの、家も思い出の写真も流されてしまった。
集められた膨大な写真の中から、探す方法は「顔認証システム」(NEC「Neo Face」)。探したい人が写っている写真をパソコンに取り込み、登録してあるおよそ5万7,000(亘理町の場合)の写真データの中から、コンピューターが、その人だとみられる写真をはじき出す。慣れないパソコンの前に向かうウメさん。ウメさんも、すでに見つかっていた数少ない自分の写真をもとに、顔認証システムで検索をかけてみた。見つかった中には、流された家の前で撮った家族写真も含まれていた。ウメさんは「便利になったもんだ」と語った。
現地の写真センターをサポートする株式会社リコーの藁谷瑞栄プロジェクトリーダーは「写真っていうのは思い出。その人によっては、すごく大事なものであるし、すごく喜んでたので、とてもよかったなと感じました」と語った。
写真センターを訪れた翌日、ウメさんが友人らと共に出かけたのは、古くからイチゴ栽培が盛んだった吉田地区。津波が押し寄せ、今は一面、原っぱになっていた。
ウメさんが、草むらの中へ入っていき、「このへんだね」と語った。そこは、ウメさんの家があった場所。長男夫婦と孫、家族6人で暮らしていたウメさん。写真に収められた思い出の場所は、今はもう跡形もない。
ウメさんは「悔しいよね。今まで一生懸命になって働いてきて、何にもなくなったんだもん。悔しくて悔しくて」と語った。
海が近いこの場所には、もう戻りたくはないという
* リンク先には動画もあります。
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