What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「顔認証システムで、写真を探す」 これぞ正しい最新技術の使い方。

2012年09月11日 14時42分33秒 | 日常
 最新の科学技術の正しい使い方。「リコー」て言ったら、コピー機やデジカメの大手というイメージなんですが、ニュース動画を観るとわかるんですが、すごく使いやすそうな顔認証の検索システムなんですよ。もちろん、説明してくれる人もついて手伝ってくれるし。「便利になったもんだ」って言うウメさんの嬉しそうな顔は、リコーさんの誇りだと思います。

★「FNNニュース / 津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。」
( http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00231291.html )より引用

 東日本大震災から、11日で1年半。
被災地で見つかったものの、今も持ち主のわからない写真は、数百万枚にのぼります。津波で家を流され、思い出の写真を探す被災者を取材しました。

宮城・亘理町にある写真センター。

仮設住宅に隣接するこの場所には、震災後、この地域で見つかった写真が集められている。写真を探しに来た人は「(特に見つけたい写真は?)子どもたちの記念の写真です。ぜひとも、1枚でも探したいなと思って」などと語った。

センターがオープンしたこの日、写真を探しに多くの人が訪れた。仮設住宅に1人で住む鈴木ウメさん(78)。家族はみな無事だったものの、家も思い出の写真も流されてしまった。

集められた膨大な写真の中から、探す方法は「顔認証システム」(NEC「Neo Face」)。探したい人が写っている写真をパソコンに取り込み、登録してあるおよそ5万7,000(亘理町の場合)の写真データの中から、コンピューターが、その人だとみられる写真をはじき出す。慣れないパソコンの前に向かうウメさん。ウメさんも、すでに見つかっていた数少ない自分の写真をもとに、顔認証システムで検索をかけてみた。見つかった中には、流された家の前で撮った家族写真も含まれていた。ウメさんは「便利になったもんだ」と語った。

現地の写真センターをサポートする株式会社リコーの藁谷瑞栄プロジェクトリーダーは「写真っていうのは思い出。その人によっては、すごく大事なものであるし、すごく喜んでたので、とてもよかったなと感じました」と語った。


 写真センターを訪れた翌日、ウメさんが友人らと共に出かけたのは、古くからイチゴ栽培が盛んだった吉田地区。津波が押し寄せ、今は一面、原っぱになっていた。

ウメさんが、草むらの中へ入っていき、「このへんだね」と語った。そこは、ウメさんの家があった場所。長男夫婦と孫、家族6人で暮らしていたウメさん。写真に収められた思い出の場所は、今はもう跡形もない。

ウメさんは「悔しいよね。今まで一生懸命になって働いてきて、何にもなくなったんだもん。悔しくて悔しくて」と語った。

海が近いこの場所には、もう戻りたくはないという

* リンク先には動画もあります。

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そーなんだー(棒)

2012年09月11日 13時36分53秒 | 日常
 長男からさっききたメールが、おかしくてたまらん!


>今、集中講義の週に入っています。ざっくり言うと、現代の若者とアイデンティティ的な内容なんだけど、コミケとかやおいとか出てくると、そーなんだー(棒)みたいな反応するのが大変です。


あーっははははは!ごめんね~、すっばらしい環境で育ったからね(ようは、私の本棚を読み放題でした)




まぁ、これだけだとなんだから、真面目な話もピックアップしておきましょう。


>なんだか夏休み二ヶ月は長くて変な感じです。でも盛岡の暑さを考えると、落ち着いた秋から講義が始まるが正しいのかも。


 去年、一年生だった時は、震災のせいで学期の始まりが一か月以上遅れたので、その埋め合わせもあって夏休みは短かったんです。今年の盛岡は、まれにみる酷暑で(盛岡市内に嫁がれた向かいの家のお姉さんが、30年弱住んでるけどありえん!とびっくりしているそうな by向かいのおばあさん談)暑さにやられて「大学の図書館か、県図書館に住みたい」と、長男はやけになっています。

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「9.11」に想う、ふたつのこと。

2012年09月11日 10時14分51秒 | 日常
 「9.11」という数字を見て、私は東日本大震災から一年半たったというよりも先に、「アメリカ同時多発テロの起こった日」ということを思い出します。

当時、事件の第一報となったツインタワー崩壊をリアルタイムで観た事、その後の大規模な米軍のアフガニスタンへの攻撃報道を見た事、犠牲となった方たちとそのご家族のその後・・・歴史が動くのを体感した出来事でした。「こんなバカなことを本当にする人たちが居るんだ」というのが、いかにも世界情勢の認識の甘い、平和ボケな私の最初のショックでした。

11年たっても、多くの方々が痛みや苦しみを抱えて生きておられることでしょう。いま改めて、心から犠牲になられた方たちのご冥福をお祈りすると共に、残された方たちの苦しみが、時間の流れで少しでも薄まれるよう願います。


★「米国同時多発テロ事件 9.11テロ アルカイダ」
( http://www.bo-sai.co.jp/tero.htm )より引用

・多数の一般市民を虐殺した、過去に類をみない卑劣な組織テロ犯罪

 2001年9月11日午前(日本時間12日午前)、米国国内線の飛行機4機が同時にハイジャックされ、そのうち3機がニューヨークの世界貿易センタービル、ワシントンのペンタゴンなどに突入するという、史上まれに見る大掛かりな同時多発テロ事件が発生し、多くの死傷者を出した。

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 震災から一年半、あれだけの被害を受けたんですから、被災地民としてはそんなに簡単に元通りになるわけないでしょう。というのが実際の想いなんですが、結構いろんな人から「まだ、家立て直ししてないの?」「もう義援金全部使ったんでしょ?」とか言われます(ほんとに)いやいやいや、道路の凹みを見てよ、ようやく更地になった近所を見てよ、電車は走ってないけど線路だって最近ようやく直ったんだよ、と言いたくなるんですが、たぶん、全国の多くの人たちは、そういう風に見てるんだろうなぁと思います。

膨大なガレキの処理も、当初の試算よりも進んできていて、その処理にかかる予算を組み直して、ほかの事に回せるようになるそうで、良かったなぁと思います。実際に、うず高く積まれたあの圧倒的な量とか、臭いとか、「ガレキ」とひとくくりにされている「日常生活の品々だったモノ」を、全国の皆さんに見てもらえれば良いなと思う時があります。放射能の影響が怖いというのは、まったくもって正当な思いです。政府や各被災地の自治体が発表している検査結果を、「信用できない」と仰られる皆さんの運動も、私はそうだろうなと思います。だから、黙々と粛々と、被災地は手を動かして行きます。時間がかかると思われるのも結構。いつか時がきて、花が咲くのを待ちます。


★「日本から流れ着いたものをどう扱うか、それは人の持ち物だと」
( http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120501-01.html?pageIndex=2 )より引用

 名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつに詩情を感じ、瓶に入って流されてきた手紙(a message in a bottle)に心躍らせるのは、海と共に生きてきた人間に共通する心情のような気がします。ましてそれがどこの名を知る島から流されてきたか、なぜ流されてきたか、知っている場合は尚のこと。日本から流れくるボールやオートバイの場合は発端の物語が広く知られているだけに、実際に遠い海路を旅したものを目にすると、被災した当事者・当事国でなくても、人の心は動くのかもしれません。

津波によって被災地からもぎとられ、押し流され、太平洋を漂い、そして今また人間の暮らす岸辺に近づきつつある、こうしたモノに対する人の思いというのは、理屈では説明したがいものがあります。モノはただの物体ではなく、そこに人の思いが込められているからでしょうか。

(中略)

この記事はさらに、震災直後の被災現場で、警察や消防やレスキュー作業員たちが誰に言われるまでもなく、破壊の中に散らばったたくさんの写真を拾い集めたことに言及。それが今、ボランティア団体によって洗われ、整理され、「Exhibit of Photos Swept Away by Tsunami in Japan(日本の津波で流された写真展)」としてアメリカ国内を巡回していると説明しています。

「写真をゴミ扱いして泥の中に放っておくのはたやすいことだったろうが、救命活動に当たっていた人たちは、写真に人間性を見いだしたのだ」とコラムは書きます。なのであなたたちもどうか忘れないでほしいと、アラスカやカリフォルニアに至る北アメリカの太平洋岸でこれから砂浜を散策する人たちに呼びかけています。子供の靴やプラスチックの人形、木の櫛を、海辺で見つけたら、どうするかと。次に日本の漁船が霧の中から現れたら、どうするかと。

「敬意をもって扱ってほしい。何があったか、決して忘れないように」。

このコラムを書いたマーク・ヒュームという同紙の記者に、私は深く感謝したいと思います。

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