What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

3.11震災伝承研究会が、「宮城災害遺構」保存候補を発表

2012年09月25日 13時46分55秒 | 日常
 昨日の河北新報に載っていた話。

>理解まで50年
 震災遺構をめぐる議論を、広島市の映像作家 田辺雅章さん(74歳)は「原爆ドームとオーバーラップする」と話す。かつて田辺さん宅は、原爆ドームと呼ばれるようになる広島県産業奨励館の隣にあった。両親と弟を失い、自身も被ばくした。「早く倒壊すればいい」と、ドームから目を背けて生きてきた。

現在、コンピューターグラフィックで爆心地の復元に取り組む田辺さんは、気持ちの整理がつくまでに50年以上かかったという。「遺構の在廃は被災者が考える問題だが、半世紀後は(残して良かったと)理解してもらえるはずだ」と語る。


被災地では今も「忘れてはいけない教訓」と「忘れたい悪夢」のはざまで、住民の心情は揺れ動いている。

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比べられないレベルなんですが、私も被災した建物をいつもまでも見たくないと、初めは思っていました。ただ、そこが更地になったのを見ると、空虚感?どこにも誰にもあたりようもない憤りと寂しさがごちゃまぜになった、言葉にできない想いがこみ上げてきます。「忘れたい、でも忘れちゃいけない」ということを背負うのが、こんなにも重いものだとは・・・もう誰にも体験して欲しくない、そういう重さです。

原爆ドームを見るたびに、死んでいった人たち、被ばくしてしまった人たちが、どれだけ苦しい思いをしたんだろうと、私は考えます。そして二度とこんな惨いことが起きないよう切に願い行動します。震災で被災した建物や打ち上げられた船や土葬された場所が保存されて、それを見た未来の人たちが、ちょっとでも東日本大震災のことを考えてくれるかもしれない。それが未来にきっと起こるであろう地震の減災に繋がるのなら、私は保存を望みます。



★「河北新報 / 宮城震災遺構46ヵ所候補 伝承研究会保存リスト」
( http://www.kahoku.co.jp/news/2012/09/20120925t13019.htm )より引用

 宮城県内外の有識者らでつくる「3.11震災伝承研究会」は24日、東日本大震災の津波の猛威や教訓を伝える「震災遺構」として、構造物や自然景観など県内46カ所の保存候補を発表した。現時点で保存に動きだした例は少ない。研究会は近く各自治体にリストを郵送するほか、県や国にも示し、保存に向けた活動を加速させる。

主な候補は気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」、町職員ら42人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎、津波で横倒しになった女川町の女川交番や江島共済会館など鉄筋コンクリートのビル3棟などを盛り込んだ。

学校の減災対策に生かすため、多数の児童と教職員が犠牲になった石巻市大川小をはじめ、被災した7小中学校も含めた。海岸林による津波の減衰効果が分かる仙台市宮城野区の南蒲生地区や、津波の力で形成された山元町の「津波湾」のような自然景観も入れた。

ほかにも気仙沼、石巻、女川、東松島、亘理、山元の6市町で、震災直後に土葬が行われた「仮埋葬地」計15カ所が候補になった。「震災対応が困難を極めた証として残すべきだ」との意見が出たという。

木村理事長は「多くの遺構候補は被災者で保存の賛否が分かれ、自治体も態度を決めかねている」と問題点を説明。「国が担当省庁を決め、保存の音頭を取る必要がある。近く国や宮城県に働き掛けたい」と話した。

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雄勝硯 「神宮大麻全国領布百四十周年記念」の記念品として配布

2012年09月25日 12時38分34秒 | 日常
 お恥ずかしい話ですが、東北から出た国内旅行といえば、高校の修学旅行で京都方面へ行ったのと、10年ちょっと前にUSJへ遊びに行ったきりの出不精なので、伊勢神宮も「お伊勢参り」やなにかの話としては知っているしTVで観たりしているんですが、実際に行ったことはありません。

そんな遠い伊勢神宮と宮城とを繋ぐ、こんな嬉しいニュースがありました。

★「河北新報 / 雄勝硯、全国へ出荷開始 生産販売協 復興へ第一歩 震災後に受注700個」
( http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_09/i/120919i-suzuri.html )より引用

 東日本大震災後に製作した石巻市雄勝地区の雄勝硯(すずり)が、震災から1年半を経て初出荷にこぎ着けた。雄勝硯生産販売協同組合(沢村文雄理事長)が伊勢神宮から注文を受けた700個で、送り先となる47都道府県の神社庁へ順次発送した。

発送したのは、伊勢神宮がお札の全国頒布140周年の記念品として配る硯。組合は注文を受け、ことし4月25日に原料である雄勝石を震災後初めて採石。石の切断や彫り、磨きなどの作業をし、組合員や組合職員が協力して小学生が使う硯のサイズ(縦15センチ、横9センチ)に仕上げた。

硯の裏には「神宮大麻全国領布百四十周年記念」などの文字を印刷。完成品はきりの箱に入れ、黒色のオリジナル包装紙で一つ一つ大切に包装し、今月15日までに発送した。沢村理事長は「震災を乗り越えてやっと出来上がった。復興へ一歩踏み出したことが、全国に伝わってくれればうれしい」と話していた。

組合では、震災前に7つあった製造販売会社が被災。建物や道具が流されたほか、自宅を失った職人らが市外などへ避難しばらばらとなった。震災後は主に、がれきの中から見つかった硯を修理し販売していた。震災後、組合には、今回の700個を含め1000個以上の硯の注文が寄せられているといい、出荷再開で今後の生産にさらに弾みがつくよう関係者は期している。

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「神宮大麻」というのが判らなかったので、伊勢神宮の公式HPを見たら、伊勢神宮で配られる「お札」のことなんですね。

(伊勢神宮には「内宮」と「外宮」があるのはどこかで読んだんですが、博物館や美術館がこんなにあるとは知りませんでした。やっぱりそれだけ古い歴史があるという事なんでしょうね。学生だったら、絶対修学旅行で行きたい場所だわっ!)

記念品を貰う人は、きっと偉い方ばかりなんでしょうけれども、もし使わなくともしまい込まずに、ぜひ飾って(必須>地震がきても落ちない場所!)職人さんがひとつひとつ手掘りして磨いた、滑らかな石の肌触りを堪能して頂きたいです。私は書道はしませんが、だいぶ前に雄勝硯の展示会で見た、蓋付きの雄勝硯の素晴らしさは忘れられません。一枚の石から掘り出したそうですけど、掘られた模様も石の色も、なにもかもが美しくて、持った時の滑らかな手触りといったら!ため息がでるようでした。きっと書道をなさる方なら、墨をするのが楽しいんじゃないのかしら?

古代中国では、皇帝から臣下へのご褒美として「文房四宝(ぶんぼうしほう)」が与えられたという話を、お宝鑑定団かな?で観たように覚えているんですけど、私がもし余分なお金をいっぱい持っていたら、確かにこの四つは揃えて飾って毎日眺めたいなぁと思います。(しつこいけど必須>地震がきても落ちない場所!)




★「毎日JP / 神札:頒布140周年記念、神宮大麻の歴史など紹介 伊勢・徴古館で企画展」
( http://mainichi.jp/feature/news/20120908ddlk24040016000c.html )より引用

 伊勢市神田久志本町の神宮徴古館で、伊勢神宮の神札(おふだ)「神宮大麻」の頒布140周年を記念した企画展「神札と伊勢信仰」が開かれている。神宮大麻の歴史や、奉製工程など分かりやすく紹介している。12月2日まで。

神棚などに祭られている神宮の大麻は、江戸時代の御師(おんし)が崇敬者のために全国に頒布した「御祓(おはらい)大麻」が起源。御師制度が廃止された1872年から、神宮が神宮大麻の奉製・頒布を始めた。

会場には、一般よりも大きい、宮家や皇族などに献上される大麻が初公開されているのをはじめ、現存最古のの伊勢暦、祈とうのため出向く御師が大麻を作るために使ったと思われる「御祓大麻祓具(おはらいたいまはらえぐ)」など、貴重な資料が展示されている。また、大麻が家庭に届くまでの奉製作業をパネルや工程品で紹介している。

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