昨日の河北新報に載っていた話。
>理解まで50年
震災遺構をめぐる議論を、広島市の映像作家 田辺雅章さん(74歳)は「原爆ドームとオーバーラップする」と話す。かつて田辺さん宅は、原爆ドームと呼ばれるようになる広島県産業奨励館の隣にあった。両親と弟を失い、自身も被ばくした。「早く倒壊すればいい」と、ドームから目を背けて生きてきた。
現在、コンピューターグラフィックで爆心地の復元に取り組む田辺さんは、気持ちの整理がつくまでに50年以上かかったという。「遺構の在廃は被災者が考える問題だが、半世紀後は(残して良かったと)理解してもらえるはずだ」と語る。
被災地では今も「忘れてはいけない教訓」と「忘れたい悪夢」のはざまで、住民の心情は揺れ動いている。
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比べられないレベルなんですが、私も被災した建物をいつもまでも見たくないと、初めは思っていました。ただ、そこが更地になったのを見ると、空虚感?どこにも誰にもあたりようもない憤りと寂しさがごちゃまぜになった、言葉にできない想いがこみ上げてきます。「忘れたい、でも忘れちゃいけない」ということを背負うのが、こんなにも重いものだとは・・・もう誰にも体験して欲しくない、そういう重さです。
原爆ドームを見るたびに、死んでいった人たち、被ばくしてしまった人たちが、どれだけ苦しい思いをしたんだろうと、私は考えます。そして二度とこんな惨いことが起きないよう切に願い行動します。震災で被災した建物や打ち上げられた船や土葬された場所が保存されて、それを見た未来の人たちが、ちょっとでも東日本大震災のことを考えてくれるかもしれない。それが未来にきっと起こるであろう地震の減災に繋がるのなら、私は保存を望みます。
★「河北新報 / 宮城震災遺構46ヵ所候補 伝承研究会保存リスト」
( http://www.kahoku.co.jp/news/2012/09/20120925t13019.htm )より引用
宮城県内外の有識者らでつくる「3.11震災伝承研究会」は24日、東日本大震災の津波の猛威や教訓を伝える「震災遺構」として、構造物や自然景観など県内46カ所の保存候補を発表した。現時点で保存に動きだした例は少ない。研究会は近く各自治体にリストを郵送するほか、県や国にも示し、保存に向けた活動を加速させる。
主な候補は気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」、町職員ら42人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎、津波で横倒しになった女川町の女川交番や江島共済会館など鉄筋コンクリートのビル3棟などを盛り込んだ。
学校の減災対策に生かすため、多数の児童と教職員が犠牲になった石巻市大川小をはじめ、被災した7小中学校も含めた。海岸林による津波の減衰効果が分かる仙台市宮城野区の南蒲生地区や、津波の力で形成された山元町の「津波湾」のような自然景観も入れた。
ほかにも気仙沼、石巻、女川、東松島、亘理、山元の6市町で、震災直後に土葬が行われた「仮埋葬地」計15カ所が候補になった。「震災対応が困難を極めた証として残すべきだ」との意見が出たという。
木村理事長は「多くの遺構候補は被災者で保存の賛否が分かれ、自治体も態度を決めかねている」と問題点を説明。「国が担当省庁を決め、保存の音頭を取る必要がある。近く国や宮城県に働き掛けたい」と話した。
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>理解まで50年
震災遺構をめぐる議論を、広島市の映像作家 田辺雅章さん(74歳)は「原爆ドームとオーバーラップする」と話す。かつて田辺さん宅は、原爆ドームと呼ばれるようになる広島県産業奨励館の隣にあった。両親と弟を失い、自身も被ばくした。「早く倒壊すればいい」と、ドームから目を背けて生きてきた。
現在、コンピューターグラフィックで爆心地の復元に取り組む田辺さんは、気持ちの整理がつくまでに50年以上かかったという。「遺構の在廃は被災者が考える問題だが、半世紀後は(残して良かったと)理解してもらえるはずだ」と語る。
被災地では今も「忘れてはいけない教訓」と「忘れたい悪夢」のはざまで、住民の心情は揺れ動いている。
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比べられないレベルなんですが、私も被災した建物をいつもまでも見たくないと、初めは思っていました。ただ、そこが更地になったのを見ると、空虚感?どこにも誰にもあたりようもない憤りと寂しさがごちゃまぜになった、言葉にできない想いがこみ上げてきます。「忘れたい、でも忘れちゃいけない」ということを背負うのが、こんなにも重いものだとは・・・もう誰にも体験して欲しくない、そういう重さです。
原爆ドームを見るたびに、死んでいった人たち、被ばくしてしまった人たちが、どれだけ苦しい思いをしたんだろうと、私は考えます。そして二度とこんな惨いことが起きないよう切に願い行動します。震災で被災した建物や打ち上げられた船や土葬された場所が保存されて、それを見た未来の人たちが、ちょっとでも東日本大震災のことを考えてくれるかもしれない。それが未来にきっと起こるであろう地震の減災に繋がるのなら、私は保存を望みます。
★「河北新報 / 宮城震災遺構46ヵ所候補 伝承研究会保存リスト」
( http://www.kahoku.co.jp/news/2012/09/20120925t13019.htm )より引用
宮城県内外の有識者らでつくる「3.11震災伝承研究会」は24日、東日本大震災の津波の猛威や教訓を伝える「震災遺構」として、構造物や自然景観など県内46カ所の保存候補を発表した。現時点で保存に動きだした例は少ない。研究会は近く各自治体にリストを郵送するほか、県や国にも示し、保存に向けた活動を加速させる。
主な候補は気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」、町職員ら42人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎、津波で横倒しになった女川町の女川交番や江島共済会館など鉄筋コンクリートのビル3棟などを盛り込んだ。
学校の減災対策に生かすため、多数の児童と教職員が犠牲になった石巻市大川小をはじめ、被災した7小中学校も含めた。海岸林による津波の減衰効果が分かる仙台市宮城野区の南蒲生地区や、津波の力で形成された山元町の「津波湾」のような自然景観も入れた。
ほかにも気仙沼、石巻、女川、東松島、亘理、山元の6市町で、震災直後に土葬が行われた「仮埋葬地」計15カ所が候補になった。「震災対応が困難を極めた証として残すべきだ」との意見が出たという。
木村理事長は「多くの遺構候補は被災者で保存の賛否が分かれ、自治体も態度を決めかねている」と問題点を説明。「国が担当省庁を決め、保存の音頭を取る必要がある。近く国や宮城県に働き掛けたい」と話した。
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