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裁判所は独自の医学理論を確立する機関なのか(ちょっと追加)

2007年05月09日 23時55分41秒 | 法と医療
このような判決存在自体に疑問に思うのだが、裁判所は「完璧な治療法」を予言することができるという見本である。

医学部にも色々と法学的に検討している人たち(法医学者?)もいるであろうはずなのに、何故か判決文に対する批判というのは行わず、主に「判例からわかること・言えること」というのを要約しているだけなのであろうか?何を研究しているのか、とは思う。判決文に対して「それは間違っているのではないか」という意見表明を、ハッキリと行わないからこうした判決が生み出されるのだろうか?


平成14年(ワ)第543号 損害賠償請求事件(千葉地裁判決)

是非とも原文をお読み頂きたいのですが、事件について大まかに言いますと次のようなものです。

ある患者が過去に異型狭心症と診断され、精査の結果、「冠攣縮性狭心症」(以下、VSAと略)と診断された。その後に被告医師の病院に失神発作で入院して、「ミリスロール」(一般名では、ニトログリセリンのこと)点滴等の処置を受け病状が改善したので退院となった。
更に約20日後に具合が悪くなり救急搬送されてきた。この時にはミリスロールの点滴は行わず、他の薬剤を使用した。病状が少し落ち着いてきていたと思われたその数時間後に、発作を生じて心肺停止となって死亡した。

この事件での争点としては、「ミリスロールの点滴を行わなかったこと」が過失と認定されていることである。被告側主張としては、患者がミリスロールの点滴を嫌がっていたこともあって、別な投与法にしていたということである。被告側の行った治療を見ると、次のようになっていた。

・ミリステープ(ニトログリセリンです)2枚貼付
・シグマート(硝酸誘導体で狭心症の治療薬)内服
・ヘルベッサー(カルシウム拮抗薬)内服
・発作時にはミオコールスプレー(噴霧式のニトログリセリンのこと)を2回まで使用可

この処置により午後には症状が消失し、家族が病室に来た時には「(病気・発作が)軽かったのかな」と答えている。
その数時間後の夕方トイレに行った時に発作を生じて倒れ、発見した看護師がミオコールスプレー1回使用したが改善せず、その後もう一度使用するも改善されなかった。医師が駆けつけてニトロペン(ニトログリセリンの錠剤)1錠を舌下投与したが、血圧・脈拍低下し意識消失となった。プロタノールやボスミン静注、心マッサージするも回復せず死亡した。


裁判所の判断は鑑定を見て行われているのだが、その理屈(適用の仕方?)は自己にとって都合の良い解釈の仕方であり、極めていい加減な印象を受けるのである。「ミリスロールの点滴をしていれば、発作を防ぎえた可能性が高い」とする結論を出しており、3つのうち2つの鑑定でそうとは述べられていないのに、である。裁判官にとって都合のよい部分だけを恣意的に取り出してきているかのようである。

論点として、

①冠攣縮(冠スパスム)を予防する為に、効果が高いとされるヘルベッサー(判決中では有効率90.2%となっている)が投与されていた

②ミリステープとシグマート併用でニトログリセリン及び硝酸誘導体は通常量が使われていた

③VSAがあれば心肺停止に陥る可能性があり、中にはICD(植え込み型除細動器)植え込みが行われる症例がある

というものが考えられる。


①について:

VSAの予防としては、a)ミリスロール点滴静注と、b)カルシウム拮抗薬内服との比較検討の結果、「aを選択せず、bを選択したことは誤り」か、「bを行うか否かに関わらず、aをしなかったことが誤り」ということを立証せねばならないのではないか。裁判官の理屈は「併用療法が行われていることがある」ということだけをもって、「aをしなかったことが誤り」として過失認定している。そうであるなら、「異型狭心症」に対する処置としては、「ニトログリセリン点滴静注」という絶対的治療法を確立するものではありませんか。他の薬剤を併用するか否かはほぼ無関係ということである。これが正当な判断と言えようか?
冠スパスムに対してファーストチョイスは「カルシウム拮抗薬」であり、本件患者においてもスパスム予防には適していたと考えてよいはずである。にも関わらず、この選択を上回る治療法としてaを絶対的要件にしているのである。


②について:

ニトログリセリンの使用についてであるが、点滴静注という投与方法ではなく経皮的投与法を行っていたのであるから、「ニトログリセリン」自体は確実に投与されていたのである。裁判官が大好きな「併用療法」として現実に行っていたのである。にも関わらず、「点滴静注」が絶対で、経皮的投与はダメだということを認定しているのである。そうであるなら、点滴が絶対でテープがダメなことを立証する必要があるだろう。点滴の方が調節性や投与の確実性は有利であるけれども、テープ使用によってニトログリセリンは常用量が体内に取り込まれていたことは普通に予想できるのであるから、「使用量がもっと多くなければならなかった」ということを論証するべきであろう。テープが不利な点は、貼ってから時間が経過しないと血中濃度が上がってこないことがあるが、発作時にはスプレーや舌下錠でも増量可能であるので、そういう対応がなされることは普通に見られる。点滴しておけば、これら増量が必要な時には即投与できるという利点があるので有利に違いないが、発作を防ぐことから考えるならばこれを過失といえないのではないか。更に、発作予防に関して「ニトログリセリン点滴静注」と、「テープ使用+硝酸誘導体(+カルシウム拮抗薬)」との比較で、前者をやってさえおけば防げた、ということを立証する必要がある。そんなことが果たしてできるのだろうか?無理だとしか思えないのだが。

実際に、夕方倒れた時にはニトログリセリンがスプレー2回、舌下錠1回が使用されており、タイムラグはあるものの薬剤効果はあるのであり、これが点滴によって投与されたとしても薬物としての効果自体にはあまり違いはないはずである。従って、点滴でニトログリセリンを投与したとしても、スパスムが起こることを防げなかった可能性はあるだろう。


③について:

若年者においてもVSAの発生は見られ、心肺停止状態で搬送されてくる例はいくつも存在する。心停止に至るのはスパスムの結果、致死的不整脈の発生があることが考えられるのではないか。それ故、ICDの植え込みが行われる症例がある(薬物療法のみの場合も勿論ある)のである。スパスムを完全に予防できないとか、致死的不整脈発生を防げないといったことがあるので、「ニトログリセリンの点滴静注」さえやっていれば約70%の確率で防げる、などということはないのではないかと思うが。心配停止状態で救命できるかどうかは、その時になってみなければ判らないだろう。本件の場合には、それができなかった、ということであって、ニトロさえたくさん入れておけば起こらない、というようなものではないだろう。
参考までに、原告側は「ニトログリセリンを使いすぎてる」という主旨の主張を展開してさえいたのに、これ以上点滴で入れていたならば何と言ったであろうか?

因みに、以前取り上げた裁判(裁判における検証レベル)では、通常の使用量の範囲内であったにも関わらず、「必要最小量になっていなかったのが心停止の原因」であり過失認定されているのである(笑)。別々な裁判官の判断だから、違うことを言うのは仕方のないことなのであるが、片方は「必要最小量でなかったことが過失」で、別な方は「点滴をして、もっとたくさん入れておけば防げた」というわけですね。これほど正反対のことを言うのはなぜなのか疑問である。

通常のニトロ使用量であったら、それでは足りないんだ、もっと入れていれば発作は起こらなかったんだ、と都合よく法的判断を下すわけですね。それならば、裁判官同士で教えてあげればいいのではありませんか?この人における「ニトロの必要最小量は~mg/h(それとも○○γとかかな?)であるから、それ以上使うな」とか。それを超えるならば「必要最小量にしてなかったので過失」認定ですけどね。でも発作予防には「もっと多く使え」と。裁判とは、後から理屈を考えるので、何とでもいえるのかもしれませんね。


こうして見れば、裁判所の判断というのは、全くの独自の理屈を展開しているのであって、専門的知見に基づくものとは到底言うことはできない。だが、一般人がこれをいくら非難したとしても、変えようがないのである。裁判官の判断だからである。法学関係の専門家が判決の問題点について指摘しない限り、他の人々にはどうすることもできないのである。