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Japan's Stagnation Loop ~その1

2009年12月03日 13時37分48秒 | 経済関連
90年代のバブル経済崩壊の後、日本に訪れた長期停滞とデフレ経済。これを、もう一度振り返ってみたいと思う。未だに脱出の糸口すらつかめていない日本はどうすればよいのか、それを考えるためである。


1.1 消滅してゆく「へそくり」

バブル崩壊後の90年代前半というのは、日本の経済状況が明るかったわけではなかったが、新卒採用などはそこそこ継続されていたのだった。いきなり「人切り」というのが社会全体に浸透していたわけではなかったのだ。なので、「バブリーな感じ」は過ぎ去っていたものの、リーマン・ショック直後のような悲惨さというのは感じられなかった。90年代後半に至るまでは、雇用者報酬の増加は継続していたのだった。賃金はそこそこ支払われていたのだった。

そうしたこともあってか、97年以降に金融危機がやってきたにも関わらず、急には家計消費が落ち込みはしなかった。小売は苦戦が続いてはいたものの、ブランド品などが全く売れなくなったわけではなかった。デパートさえも、今よりは売れていた。こうした状況は、景気が後退していても、そこそこの消費があることで経済活動の下支えとなり、悪化を食い止める役割を果たしていた。

この理由には、いくつか推測していることがある。

一つは、日本女性の「やりくり上手」ということである。
多くの家庭で「財布の紐」を握っているのが主婦とかお母さん・奥さんというパターンではないかな。日本では、こういう家計が多いのではないかな、と。家計消費の鍵を握るのがこうした女性陣、ということになるわけだ。そうすると、ダンナの小遣い・昼食費や衣服費の削減といった「事業仕分け(笑)」を当初やっていったものと思う。具体的には、紳士服の安売り店が増加、デパートの紳士服売り場では売れなくなる、ということが起こるわけである。女性ものの衣料品、バッグや宝飾品などの女性モノは、そこそこ売れていたということになるであろう。また、ありがちだったのが、いざという時の為の「へそくり」の存在で、これが家計消費の下支えということになっていたのかもしれない。仮に給料やボーナス減額が起こったとしても、ある程度まではこうした「へそくり」でカバーされるので、収入減少を補える効果を持つ、ということである。

しかし、この「へそくり」さえも底をつくとどうなるか。預貯金の取り崩しが始まるわけである。それも厳しいということになると、消費者金融の無人機へ走る人たちも増えてしまった、ということなのではないか。これが、90年代以降に起こってきたことなのではないかと思うわけである。従って、今回の落ち込みの酷さというのは、多くの家計で「へそくり」が失われてしまっていて、それだけショックを吸収できる余力が落ちている、ということなのではないか。バッグや衣類の削減から始まって、遂には女性の最後の砦とも言うべき化粧品などの、日々使用する汎用品にまで「安価品への切り替え、買い控え」のような費用削減努力が及んできているのかもしれない、ということなのである。デパート売上の落ち込みが厳しいのは、主力となる女性たちの「お財布」にお金が入ってない、ということになってしまったからなのではないか(他には、ネット経由での購入が増えた、というのもあるかも)。

言うなれば、家計の「予備能力の低下」ということに他ならない。予備費的な意味合いを持っていた「へそくり」が長期に渡る収入減によって失われ、更なる収入減少の変動幅を吸収できなくなってしまった、ということだ。


1.2 削られる公務員

もう一つは、公務員の給料引下げである。
90年代では、まだそうした削減圧力というものが顕著にはなっていなかった。なので、景気に左右され難い公務員の給料が消費を支える効果をもたらしていたかもしれない。ところが、軒並み削り取られてしまったのだ。ひとくちに公務員といっても、範囲はとても広いのである。現業系も含めて、相当の数の公務員が非公務員化された。これだけでも、大きな賃金削減幅を招くことになったかもしれない。
例えば、国立大学は国立大学法人化され、それまでポストにありついていた研究者たちはポスト削減で大学を去り(文科省の天下りはいつの時代にも保護されてきたのかもしれないが)、人件費が大幅にカットされた。国立病院も同じく独立行政法人化され、人件費削減の嵐がやってきた。他の地方自治体を含めた現業系の人々は非公務員化され、賃金引下げ効果をもたらした。

こうした一連の公務員削減という変化は、社会全体で見れば「危険な方向」へと突き進む原動力となってしまったのではないか。別々な時期に着手していれば問題にはならなかったのかもしれないが、その他条件を含めて「全てが揃ってしまった」という奇跡を招いたものと思う。
これを過ぎれば、いよいよ本体の削減に着手となったわけである。たとえば教員の給与削減、国家公務員の給与削減、地方公務員の給与削減、そうした削減努力こそが日本全体の賃金低下を引き起こすループを形成し、消費を低迷させることにより一層の低迷を招く原動力となるのである。


1.3 貧しくなった女性たちが選んだ道

資本主義経済至上主義者たちの思惑通りに事は進んだ。「へそくり」を失い、収入減少に耐えられなくなった家計ではどうなるかといえば、「働きに出るよりない」ということになるわけである。かつては、優秀でやる気のある女性の一部が働くという選択をする社会だったが、夫婦共働きで収入を補おうとする家計は増えるのではないか。具体的には何が起こるかというと、かつては結婚すると寿退社で空きができていたのが、全然辞めないので空かない。空かないと、待遇の良い場所が占拠されたままになるので、後から参入する人は待遇の落ちるポストに甘んじなければならない。かなりの数の女性が働くと、男性とのポストの奪い合いも起こってくる。

つまり、昔は専業主婦が多かったが、女性の多くが労働市場に参入してきたことによって、都合よく使える労働力が増えたので、企業側に有利な面が多くなったのだ。まずは、派遣などの数を増やすということから始まっていったのだ。当初は、派遣の多くは女性労働者たちだったからね。今では、男性も女性もないわけだが(笑)。専業主婦が大量に存在していた時代にあっては、日本の被用者数が今みたいに多くはなかった(労働者数が少ないと労働投入量が減るから、生産性もよいということになるはず)。ところが、女性もみんな働くのが当然だ、という時代になってしまい、労働者数が増加したはずなのだ。供給が増えれば「賃金は下がる」というのも当然になってしまい、例えばタクシードライバー、トラック運転手などのかつては「男の職場」と目されていた職業にも女性の姿が珍しくはなくなった。

企業側はこうした変化を都合よく利用したに過ぎない。

賃金を引き下げる
→女性が働きに出る
→労働市場参入者が増加
→労働者間の競争は激化
→更に賃金引下げが可能になる
→より一層家計を支える為に長い時間(期間も一日の時間数も)働く
→労働者間の競争はより激化
→もっと賃金引下げが可能になる…

というループである。

これに拍車をかける要因が、90年代にはあったのである。それが、「団塊ジュニア」世代の存在であった。バブル崩壊後に、新卒で労働市場に参入してきた人数が、年々増加していったことが悪い影響を与えてしまったのである。ただでさえ、これまで「眠っていた」はずの女性労働力が参入してきて(主に非正規雇用)、労働力が増大していたのに、これに新卒者の増加というのが加わったのだから、労働力が過剰になるということを生んだのだ。新卒女子大生などの多くが、腰掛程度の1~2年でサクッと結婚退職でもして、子供でも産んで子育てに専念してくれれば、団塊ジュニアの子供数が他の年代よりも多くなっていたかもしれないが、これが起こらなかった。

女性の社会進出がどうの、子育てに縛られたくない人生だの、女性の生きがいが云々だの、といった前とは違った社会環境というのもあったかもしれず、これが結婚・子育てに対して否定的とか嫌悪感を抱かせるような風潮を作り出していったような気もするのだ。

だから、働く女性が「辞めなくなった」のである。結婚もしなくなったのである。少子化は加速されたのである。


日本で起こった停滞とかデフレ経済というのは、何故諸外国とは違っているのかというと、こうした特殊な要因が揃ってしまったが為、という側面はあるのではないかと考えている。
社会全体に、賃金引下げの要因が多かったのだ。その一つは、ポスト削減効果を持つのが、民間でのリストラ、国公立の非公務員化や独法化推進などであった。労働力供給の増加面では、新規参入労働者数の増加であり、団塊ジュニア世代という人口ボリュームの大きい世代の存在、家計所得減少から来る女性労働者の増加ということがあり、こうした労働供給増加は個々の労働者賃金の引下げには有利に作用したはずである。
企業側は、経団連の方針に見られたが如くに、過剰労働力の削減(=リストラ推進)や人件費率の改善(=非正規化)に邁進していったのである。アウトソーシングなどもそうかもしれない。

これら変化が同じ時代に丁度合致してしまったことが、日本の悲劇を生み出したのである。