途上国向けに出されたであろう、非常に勇ましい米国の提案は、歓心を買う為の方便ということであろうか。
米国の狡賢いところは、1000億ドル拠出構想が「誰の金か」というのを一切明らかにしていない点にある。まるで、米国自身が金を出すかのように言ってはいるが、後になってから「金を出せ」と請求書を回される国は何処なのか、ということだ。先進国と一口に言っても、誰がいくら払うのかは不明なのである。多分、日本の分担金は多額になるであろうことは十分に予想できるものである。要するに、「金をよこせ」というのが多くの参加者たちの目的なのであり、これはNGOも同様。彼らにとっては、ビジネスの種だからだ。
日本はネーミングだけに拘っているかのようだが、ハナから誰も相手になんかしていないだろう。金を持ってこない日本人ほど、海外の人々から興味を持たれない人種はいないだろう(笑)。用があるのは、日本ではなく、「日本の持ってる金」だけだからだ。これが実態であろう。なので、日本が鳩山イニシアチブとかいう、目立ちたがりのネーミングで総スカンを食らうのはよく判る話ではある。資金援助の増額を言い出したのは、最悪の失敗であった。交渉役についている大臣や役人たちは、トランプや麻雀をやったことがないのか?(笑)
とっておきの切り札とか、相手側が最も求めているであろう手札は、最後の最後まで切らずにとっておくのがいいと相場は決まっている。必ずしも絶対正しいというわけではないが、相手側の動向を見たり出方を観察するのであれば、自分の手の内をいきなり晒すのは愚策としか思えないわけです。だいたい、日本の話を誰かが積極的に聞いてくれるとか支持してくれるといったことはあったのでしょうか?誰も聴衆がいないのなら、敢えて「金を増やします」なんていう提案をするべきではないに決まっていますよ。だって、誰もがそれを望んでいるわけですからね。言わなくても、「金出せ」「日本が金を出すのは当然」といった感じになってしまうだけです。
むしろ、中国みたいに「他国の批判」だけに終始し、自国の提案を積極的に言わないのも戦略の一つですから。ああいう不遜な態度というものを、日本も学んだ方がよいのではないか(笑)。
米国の「1000億ドル拠出構想」に基づいて、
この記事で示した累積排出量をもとに、日本を100とした場合の数値と金額を示すと、次のようになる。
排出量*1 金額*2
米国 718 359
欧州 606 303
中国 250 125
露 203 102
日本 100 50
カナダ 56 28
豪・新 32 16
韓国 24 12
合計 1990 995
資金拠出免除
インド 65 33
アフリカ 54 27
メキシコ 27 14
ブラジル 22 11
*1:1900-2009年累積、JPN=100
*2:単位 億ドル
これらより判ることは、日本が単年50億ドル拠出するなら、米国は約360億ドル、OECDユーロは約300億ドル拠出すべき、ということである。更に言えば、中国自身も125億ドルの拠出は当然ということになり、ロシアが100億ドルも拠出できるのか、ということもある(笑)。
つまり、責任分担の押し付け合いに過ぎないし、京都議定書の枠組み維持というのも、そこに拘束されない国々にとっては好都合というだけの話である。日本が孤立している、とか言うのなら、別に国際条約がまとまらなくたって仕方がないということだ。それを望んでいるのは、米国と中国であり、削減したくない排出大国が「何らの責任も果たさす放棄」を選ぶが故である。彼らが削減しない限り、排出量削減の実効性はない。
政治的な立場だの、提案や声の大きさの政治力云々なんて関係ない。
明確な質問を投げかけよう。
地球を最も汚しているのは誰か?
CO2排出を続けるのは、どの国か?
このことに、最短、最適の主張をせず、有効な手立てを考えないのは、政府だろうと、NGOだろうと、同じ思惑で動いているだけである。それは、環境という名の金目当て・ビジネスであり、先進国非難という外套をまとった責任逃れである。
本当に、欧米が660億ドルも拠出する覚悟があるのだろうか?
COP15の正体とは、米中の2大排出国を守り、肯定する会議だということだ。彼らには、新たな国際的枠組みなんかできないのがベストなのだから、ご破算になる方向に議論を進めるのが得なのである。何も決まらなくても、痛くも痒くもないからだ。垂れ流す側は、自由気ままに流せばいいだけなのだから。