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検察審査会と形骸化した「付審判決定」

2010年11月05日 21時27分44秒 | 法関係
検察審査会のことについて少し調べていくうちに、日本の裁判所がいかに出鱈目なのか、ということが改めて判りました。
まず、参考資料として、過去の検察審査会の議決と起訴件数について見てみましょう(出典:司法統計年報、犯罪白書)。


年  新受件数  甲*1議決件数  起訴件数 
7   1359      59      18
8   1384      77      16
9   1200      67      22
10   1205      65      17
11   1614      83      29
12   1880      108      34
13   2324      150      33
14   2330      139      41
15   2295      145      45
16   2666      141      37
17   2648      147      39
18   2603      124      49
19   2274      128      18
20   2039      130      35

(*1:甲と略した部分に入るのは、起訴相当又は不起訴不当)


起訴相当か不起訴不当の議決が出されて、その後に起訴された件数は一部です。仮に議決が起訴相当であろうとも、法理論(解釈論?)としては起訴できない事例というものも存在しているであろうとは思いますので、事前に排除することもやむを得ない場合はあるのかな、と思います。

過去14年間のデータから大雑把な傾向として言うと、次のようなことがあります。
・新規受理件数は年平均約2千件、起訴件数は約31件、受理の約1~2%程度
・起訴相当又は不起訴不当の議決件数は年平均約111件、受理の約5~6%程度
・起訴相当又は不起訴不当の議決件数1563件に対し、起訴件数433件は約28%


少ないとはいえ、それでも検察審査会に回されて、そこで実際に起訴となり有罪判決が出ている例はあるのです。


以前にも取り上げた刑訴法第262条の「付審判請求」がありますが、これが検察審査会の制度改正前から存在してきた強制起訴の仕組みです。

この付審判請求から刑訴法第266条の「付審判決定」となった事例は、一体どれくらいあったのか?
H7年~20年の間に、僅かに「1件」です。たったの1件のみ、ということなんですよ。それも20年に1件だっただけ。つまり、H19年まではずっとゼロだった、ということなんですよ。
受理されていないのかと思ったら、そうでもないわけです。ここ最近のデータが隠されてしまって(笑、見つけられなかった)、数字が判らないですが、H7年からの10年間の件数は判ります。3162件でした。
つまり、3162件受理し、審判の結果は全滅のゼロ、ということですよ。
裁判所は全てを266条の決定から回避し、一つの裁判さえも開かれなかった、ということです。何が「起訴して裁判で決着せよ」だと?
裁判官の連中や検察上がりの連中なんかが、どの口で「法廷で決着をつけよ」なんて理屈を出してくるんだ?って言ってんだよ。

だったら、決定で半分くらいは起訴に回して、強制起訴の制度として実際に法廷で真実を明らかにすれば良かったんじゃないのか?

検察審査会の「法の素人」が判断するのとはわけが違うよな?
裁判官のヤツラは、ただの1件たりとも強制起訴になんかしてこなかった、って言ってんだよ。本当に法廷が真実を明らかにしようとしたことなんかあったのか?
捏造証拠だってそうだし、警察の違法取調べだってそうだし、そういうのがあったにも関わらず、どれも「起訴せず」ということを選択してきたわけだろう?


要するに、検察と一体化した裁判所が、日本の司法の独立性なんてものを完全に破壊し、形骸化させてきたということなんじゃないのか?
H20年に出された、たった1件というのはどの事例だったのか調べてないけれども、冤罪事件なんかが明らかになったわけだから、当然起訴されうるわな、とは思うね。ここまでただの一つさえも裁判が行われてこなかった、ということの方が、はるかに驚きだ。


日本の裁判官は、心底腐った連中によって構成されてきたのだな、ということを全国民の前で明らかにすればいい。権力におもねり、正義を失った機関の象徴というのが裁判所なんだ、ってことだな。
検察権力をはじめとする行政や政治の力でもって、いくらでも正義は潰せる、ということだ。だからこそ、行政裁判なんかでは毎回毎回国民側が負け続けてきたんだろ(笑)。なるほど、合点がいくな、という話さ。

この国では、法の前の平等、とかっていう、お飾りの言い草は、忘れた方がいい。そんな下らない御託は、何の役にも立たないってことだ。法は行政や検察なんかの権力機構には、到底及ばないようにできている、ってことだ。
法の番人たる裁判所が、一番の腐った根源だった、ということだな。


日本の裁判官とは、法を守り、国民を守る為に存在しているのではない。最も危険な力を握っている連中というのが腐っていたら、誰がどうやって対抗できるんだよ。力を持つ者が一番危険なんだろ。だからこそ、誰よりも厳格な倫理観だとかが要求されるんじゃないのか。なのに、危険な力を、権力サイドのいいように用いるというのは、民主主義を根幹から崩壊させることだろ。サンピンだの、ただのヤクザ者なんかがいくら危険だ、っていったって、影響の範囲が知れてるだろ。それで社会は崩壊しない。

だが、検察や裁判所のように、力を持つ連中がそれを悪用する方がはるかに危険で、社会を根底から破壊するほどの悪質さなんだよ。

裁判所が権力に傅き、検察権力と協働し、法を意のままに用いることを許せば、どのようなことも可能となる。全てを支配できる。それは既に、民主主義の国じゃない。国民主権でもないんだぞ。



裁判官たちが、どうしてこれまで何らの疑問も呈さず、何らの声も発せず、こうした状況を受け入れてきたのかは、全く判らない。


そのくせ、法廷では「正義」を騙るわけか。
ヘドが出そうだ。

恥を感じないのか?
良心の呵責を感じたことはないのか?

本当に、法の番人か?


政治的な判断、権力におもねる態度、己の保身、そういうのを、一度くらい恥じ入ることはなかったのか?
で、誰もが現状維持に努めてきたのだ、と。
法曹界では、何の反省すら出されてこなかったのだ、と。
全員、黙ったまま、国民には隠蔽を続けてきて、このような司法を正当化してきたのだ、と。


へー、そうかい、裁判所ってのは、そういう出鱈目の総本山ってことだな。
道理で検察が腐ったわけだ。

お似合いだわ。
お前らには、腐敗がピッタリだ。
そういう裁判所と検察というのが揃っていたからこそ、このような司法体制となったということがよく判りましたわ。


揃いも揃ってここまで悪党ってのは、見たことがないよ。
しかも、真に悪党なんだ。


日本が法治国家なんてのは、ウソだな。
法はないも同然。
ペテン師どものやりたい放題だ。



テロ対策機密文書流出事件

2010年11月05日 17時04分07秒 | 俺のそれ
とても不可解な事件だ。
直感だけで言えば、これは「プロの仕事」だな。中々「やるな」とは思った。向こうさんも段々と考えてきているな、と。


何かのトランプゲームでもいいのだけれど、相手の手札が全部見える状態というのは、相手の出方なんかがお見通し、ということになる。持ってる材料も、勿論判っている。それを見た上で、応手を考えることが有効となる。一方、こっちの手札だけがバレバレの場合、どのように対処するのか、というのはかなり難しい。ボンクラ相手ならば、自分で転んでボロを出してくれる。だが、本格派になると、そう簡単にはいかない。おまけに、こちらのパターンを知り尽すようになっていれば、既に「道筋」も読めているわけだから。
まあ、色々な点で、今まで見た中では一番「デキる」人間(笑)がいるはずだな。


流出文書を見に行った人たちはネット上でも結構いるだろう。あれは、まるで釣り堀のような役割を果たすであろう。そこに来ることによって、何らかの証拠を残すことになるだろう。それとも、何かの特殊なウイルス・プログラムを注入されてしまうかもしれない。実際どうなのかは素人には分かりかねるが、釣り餌に食いついて情報を取りに行くと、何かよからぬことが起こるかもしれないと怯えるわけである。

別な見方をすると、一種のハードルの役割ということがある。相手の力量を測る為の手立て、ということだ。過去のような単純な流出ではなく、敢えて別な方法を取ることによって、情報を得られるレベルを制限することが可能となる。その方法を実行できるレベルの人間であれば、「取りに行ける」ということだ。相手に「ウッテ返し」が読めているかどうか、というのを見るには、そういう「筋」を提示してみると、読み切れてるな、ということが確認できるということだ。なので、今回の方法は悪くない、ってことだ。


それと、ルクセンブルクのサーバを介して、ということだそうだが、手の込んだやり方みたいなので、これまでの流出とは異なるようだし、追跡を封じる為の手段を駆使している、ということらしい。ここまでは、素晴らしいな。
だけど、落とし穴もあるんじゃないかな、と思わないでもない。


流出のタイミングが観測できる、ということらしいんだけど、その原理ってどうなのか判らんが、事後的に観測結果を洗い出す、ということであれば、流出時点をリアルタイムに見ていた、というのとは違うということなんですよね?
例えば、交通事故現場に遭遇して、ビデオを回していたとしよう。
事故の発生時点でリアルタイムに現場を見ていた人にとっては、その時間そのものが「リアル」ってことなんですよ。だけど、誰かが「事故の模様を録画しました」という「結果」を提示してきた場合、その発生時間を確認する方法はビデオの時計、という基準となるものが必要になるわけです。証言が複数存在している場合であれば、実際に現地で見ていた人の言ってる時間と録画の時間を突き合わせるといいですが、基準となるのが「録画だけ」ということになると、ビデオ録画の時計がその基準となってしまうしかない、ということなのです。さて、そのビデオの時計は正しいのか、正確なのか、事後的にデータ改竄はできないのか、ということが気になるわけですよ。


そうすると、キーの存在が確認できたとして、キーのタイムスタンプを書き換えることが不可能ではないなら、事後的な観測結果を狂わせるか証拠捏造と同じように誘導できるのかな、とか疑問がわくんですよね。どうやってそんなことができるのか、とか、観測そのものをどうやってるのか、といったことは全く知らないんだけれども、手口自体を想像することくらいはできるからね。技術的に不可能という結論なら、書き換えはできず、観測結果は信頼性がある、ということで決着がつくだろうし。


他の点としては、マスコミが何故ニュース映像で「印刷した紙」を報じたか、というのが気になるわけだ。普通ならば、パソコンの画面を映せばいいだけなんじゃないかな、とか思ったわけですよ。だって、ネット掲示板に多数転載された、とか報じたんですから。だったら、その画面上のフォルダとかを映すなり、開いた画面をボカして映すなりすればいいだけなのに、どういうわけか全部紙束で大量に印字してあるんだな、これが。

なので、マスコミがどうやってあのデータを入手したのかな、と。ネット上の置いてあるデータだったのなら、使われている名称とかは、最初から報道できたはず。だけど、今日になって、「いかがわしい名称」について報道するなんて、どうしてなのかな、と。自分が記者だとして、自分でネット上の「問題のファイル」のありかを見つけて(見に行って)、そのデータを自分のパソコンに取り込んで、ということをやるなら、画面上でどのように表示されているかは「最初から知っていた」ということのはずだし、だったらその時にそれを報じるのが普通だろう、と思うんですよ。

恐らく報道関係者たちは、最初ネット上のどこにデータがあるのかは、「知らなかった」んじゃないですか?
印字済みの紙束でもらったか、印刷前のデータを記憶媒体に入れた形で受け取ったとかじゃないですかね?そうであれば、画面上の表示とかについて触れていたニュースがなかった、ということに納得がいくわけなんですよ。
全くの素人考えで申し訳ないけど、あのデータは後から作られたものという気がするんですよね。31日とか1日くらいになってから事後的に生み出されたものなのではないのかな、と。その偽装テクニックも本格派なんじゃないのかな、と。



そもそも、こうして報道するのも、本当に疑問なんですよね。
情報が漏れてしまうと本当に大変なことになってしまいます、マジでヤバいです、という場合、通報を受けたら完全極秘でしょうよ。そこから先は、サーバのデータを隠すとかするまで、一般には報道するわけないですよ。だって、大々的に報道するというのは、「是非探して、情報を見て下さい」というのとほぼ同じだからだ。報道してもしなくても、いずれ拡散してバレる、というのがあるとしても、警察が捜査なんかを進めるまでは、完全極秘にしておくでしょう。報道機関や記者に教えるなんてことはないでしょう(それでもいずれどこからか漏れる、ということはあるのかもしれないけれど)。だけど、今回は積極的に教えている、という雰囲気があるわけです。

どうしてかって?
疑いの目を向けると、必ず「正当化しよう」という動きが出てくるんじゃないですかね。3日付の読売朝刊には、何と「流出資料のタイトルと内容」の一覧まで掲載されたじゃありませんか。これでは、ごく普通の一般人の方々にも、「是非流出情報を知って下さい、見て下さい」と言わんばかり、ってことなんですよ。あまりにワザとらしい。

こういうことをやる時は、例によって例のごとく、マジシャンの使う手と似ている、ってことなんではないのかな、と。「本当に隠したい事」が別にある、ということですよ。それを覆い隠すには、別な方の手をヒラヒラさせてみせたり、怪しい動きなんかで注意を引く必要があるから、ってこと。

まあ、まともな警察幹部とかなら、絶対にマズい、という情報が漏れた場合には、完全極秘捜査を貫くに決まってますよ。警察内部の人間の犯行というのを第一に疑うわけで、そうするとマスコミに知らせるなんてことはあり得ない。報道管制がひかれるでしょうよ。ましてや今は、APEC開催直前の、厳戒態勢下にいるわけですよ。それでこんな大失態、ということなら、警視総監の首が飛んでも不思議じゃない、というくらいの非常事態、ということですよ?
それに、絶対に機密というデータは、そう簡単に持ち出せるとかはできないシステムになってるんじゃないですかね。そこらへんの普通の人みたいに、流出しちゃいました~、なんてことにはなってないでしょう。


いずれにせよ、「本体」はもっと別のところ。
「警視庁公安部」はただの囮に使われた、というだけだろうね。報じられ方なんかが不自然な部分が多すぎるから。

すわ一大事、と思って、色々と”仕掛け”をやれば、その収束の手間もかかるわな。特に、安直な「初手」を打ってしまうと、その後のフォローが大変だ、ということだな(笑)。日常でも、よくあるでしょう?
若手とかちょっと不慣れな下っ端が、直ぐに対応せねばと思って使命感から「やってしまった」という場合、その手を見た先輩とか指導係とか上級者が、思わず「んー、どれどれ、ちょっと貸してごらん」などといって、何とかリカバリーなりフォローをする、みたいな図が思い浮かぶってことだな。
一人じゃない。
初期と、その後の応手を考えた人間は、別々だろうね、きっと。


で、キーワードが「流出」というのがそれなりに乗ってくる、ということになると、これも困る事態、というのが予想されるわけだ。そこで、匂い消しとしては、尖閣ビデオの「流出」を決断した、と。
ははーん、なるほどね。

流出の出所なんて、海保ではなく、検察かもしれんし。断れない検察、という事情が絡んでいる可能性があるからね。
ネット上の関心は尖閣ビデオに向けられるし、流出なんかで引っ掛かってくるのは尖閣関係が多くなるはずだからね。そういう点でも、なるほど「意味があるよね」ということですわな。テロネタのほとぼりを冷ますには、できるだけインパクトのある材料を流さなければならないからね。世間の多くが関心を示すものと期間という点で、望ましい選択であったとは思うね。こんなところで「出し惜しみ」しても、負けたら終わりなんだから、当然使うわな。ぐずぐずして、時間を失うよりははるかにマシ。トランプなんかでも、よく最強の切り札を使うのを躊躇うバカがいるんだけど、それと似てるな。もったいないからって出さずに取っておいても、必ずしも最大効果となるわけじゃないからね。
中々「やるな」というのは、そういう部分も含めて、ってことだよ。



という具合に、数少ない材料から匂いを辿るのも大変なわけさ。



手札が限られるから、難しい戦いなんだよ、ということですな(笑)。