過去の法務大臣で、もっと酷い例は例えば小泉政権下でも見ていたように思うが、いかがであろうか。名誉職、それともお飾り職のようにされて、大臣がいいように操られてきた例がないわけではないように思えたりもする。本当に切れ者の大臣なんかが居座ってしまっては、法務や検察幹部の思い通りに事が運ばなくなってしまうからなんじゃないのかね。
柳田法務大臣の発言は、マズかったことは確かだ。言うべきではなかった。
だが、答弁の際に便利なフレーズを紹介したものであり、現実にはこれまでの国会答弁の中で幾度となく用いられてきたのではないかと思う。大臣答弁だけじゃなく、政府参考人の答弁でも、頻繁に用いられてきたはずだ。要するに、「お役所答弁」ないし「官僚的答弁」の典型例というものであり、柳田大臣だけが責められるというほどのものでもないだろう。過去の閣僚たちは、官僚作成の答弁原稿に書かれた「便利なフレーズ」を、ロボットの如くただ読み上げてきたではないか、ということである。
政治家、ましてや閣僚ともなれば本音を安易に言うべきでない、とは思うけれども、現実はこうだということをジョーク交じりにしゃべったというだけである。国会軽視だのと御託を述べる自民党なんかは、ちゃんちゃら可笑しいとは思うね。
じゃあ、そういう答弁を許す国会の議論って、一体何なのさ、って話なんじゃないですか?(笑)
裏を返せば、そういう答弁でこれまで満足してきた、ということでしょう?それ以上は、突っ込みようがなかった、ってことでしょう?
法務関係は全く初めてのド素人大臣を相手にしながら、便利なフレーズで切り抜けられる程度の議論しかしてこなかったんじゃないですか、ってことじゃないの?
この戦法というか、手法は、過去の自民党政権時代から常々使ってきた手法に過ぎない、ってことなんじゃないですか?そういうやり方を教えたのは、自民党政権だったんではありませんか?
日本社会の特徴なのかどうかは知らないが、本音と建前の使い分けというのは必要ではあるけれども、質問したことには答えない、具体的なことを答弁しない、責任逃れの「官僚答弁術」を駆使する国会の風習が、初入閣の法務ド素人大臣にもくまなく行き渡っている、ということではないですかね(笑)。
国会の図星を暴露されたので非常にバツが悪い、ということが、今回の柳田法務大臣への攻撃に繋がっているのかもしれません。
こんな話は、大した重要なものではない。たとえ柳田大臣が辞任して、他の法務畑に慣れた大臣が就任したとしても、日本の政治とか政策には、そう大きな影響など無さそう、とは思う。もっと大きな問題がここに潜んでいる、ということを肝に銘じるべきであろう。
それは、参加者が非常に限定されていたであろうはずの、後援会等支援者の前で語った話が、マスコミに素早くリークされていた、ということである。しかも映像付きで、だ。
普通に考えれば、支援者たちにとっては柳田大臣を引き摺り降ろすメリットや動機などは、どちらかと言えば乏しいはずだ。個人的な怨恨というのはないわけではないだろうが、考え難い。特に、映像の存在が、そう思わせるわけである。
テレビ局関係の報道陣を招いていた、ということでもあれば別だが、恐らくそれは違うであろう。地元の後援会関係の会合に、取材陣を招くというのは、滅多なことではなさそうだろう。では、どうやってあの映像が外部に漏れたのだろうか?
後援会の参加者?
これは、個人的なカメラ持ち込みと撮影が必要になるので、ほぼなさそうだろう。主催側の関係者というような、特定の地位の人なら撮影できるかもしれないが、普通の参加者たちには多分無理だろう。
それとも、映像班がいた?
よくある結婚式のビデオ撮影班みたいな、プロの人たちを呼んでいるということはあるかもしれない。個人的にとか、後援会内部の広報関係なんかに使うつもりで、プロの撮影班に依頼しているケースはあるかもしれない。そうすると、その撮影クルーや編集する映像会社なんかから、テレビ局側に流される、ということはあるのかも。特に、テレビ局の下請け仕事なんかの末席に関係していたりすると、そうした圧力はかなり有効となるだろうからね。「おい、柳田大臣の挨拶ビデオをこっちに回せ」とか要求されると、断りきれない、ということかな。
ただ、プロの撮影班を呼んでいなかった場合には、当然ながら、この線は外れる。
他の可能性としては、官僚サイド、ということがある。
直轄の秘書関係は、議員の浮沈がそれぞれの処遇などに関連していることが多いだろうと思うので、流出の動機は薄いだろうし抱き込まれる可能性も低目ではないかと思う。では、他の人間で、ということになると、法務省から送り込まれている人間たちの誰か、というようなことだな。閣僚の弱みを握る為の算段は、常にしているのではないかと思うからだ。ここぞ、という所で、ネタを暴露するとか、使うということにできるからね。
狙いを付けていれば、「失言ハンター」を送り込んで、マイナーな後援会での挨拶だろうが何だろうが、ネタを掴むまで撮影することだってできるはずだ。
これはどういうことかというと、そこまで「手駒」の連中が浸透している、ということなのだよ。そこかしこに浸透している、ということなんだよ。それを駆使すれば、政治家を排除する為の手というのは、いくらでも「生み出せる」ということだ。味付けの最も重要な部分は、マスコミの煽りである。報じ方、見せ方、ということである。
法務大臣が、うっかり「あの捜査はどうなってる」だの、「検察の掴んでる情報をもっと教えろ」だの言おうものなら、内部から撃たれる、ということになるのかもしれない。バカな(フリができる)人間か、相手側に与して操り人形になりきるか、どちらかということなのであろう。
まあ、秘書官系列か、当日省庁から参加しにやって来ていた応援部隊と称する、所謂「よいしょ系」部隊の中に撮影した人間がいた可能性を疑うだろうね。サクラみたいに霞が関か役人たちが大臣の講演を聞きにやってくるなんてのは、珍しいことでもないかもしれないし。そういう中に、「あっち側」の手駒の一人が混ざっていても、周囲からは分からないからね。それにお役所の人間であると、撮影していても疑問を持たれることは少ないだろうから。
柳田大臣個人の問題なのではなく、そうした手段を今でも持ち続けている、ということの方が大問題なのだ、ということ。今後もこうした手を用いられるということである。大臣の首を飛ばせる方法なんか、いくらでも生み出せる、という意味である。
そして、真の恐怖は、その首を飛ばすのは、一体誰なのだろうか、ということである。