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所謂「実名晒し」問題~違法?それとも合法?

2008年01月19日 13時16分10秒 | 法関係
これも、古くて新しい問題ではある。何度か騒動になっていたと思うが、ネットでは割と有名な人々でさえ「それは何処の誰ですか?」みたいな個人名を勝手に自分のブログで公表していたりする。私が見かけたのは、池田信夫氏や小谷野敦氏などがそうであった。こうした悪しき風潮は、何かと目立つ人(笑)がやるので、それを見た○○な方々も同じようにやってしまうということなのではなかろうかと思ったりする。なので、そういう悪い見本といえる行為は、是非止めてもらいたい。

で、紛争の類は、小さいものでも起こっているようなので、考えてみたい。

はてなブックマーク - 音羽くんは一度逮捕されるといい - どう過ごすか、これからの10年。

私自身いつも適当(独断的)な解釈を並べているので、決して人のことを言えたものではない。すまない。
けど、印象としては、「なんか変だな」という感じ。音羽氏の言い分は、この前書いた記事の「愚生」殿の主張に似ている。「どこにそんなこと書いてあるんだ、見せてみろ」という決まり文句を出す、みたいな。大抵の場合、論争になると争点が拡散しやすく、しまいにはルールの抗争へと発展しがちなので、もうちょっと小さな目標地点を定め、双方が確認しつつ行けばいいのではなかろうか、と思わないでもない。


音羽理史とは - はてなダイアリー
これが削除するの、しないの、という論争となっているようだ。どこかで見た名前のような記憶があったのは、かつて記事に書いていたからだった(笑)。

参考記事>続・アマチュアらしさ?

昔話はいいとして、私も法的評価はよく判りませんけれども、自分なりに考えてみる。あくまで法学的知識を有さない個人的解釈に過ぎないのであしからず。

一応、名誉毀損や信用毀損について>参考記事


◇◇◇

まず公人と私人で異なるであろうと思うので、ここを区別して考えてみる。
公人とは、基本的には公務員(議員、首長等)と公選の公務員候補者である。これに準ずるとされてきたのは、企業経営者等(例えば経団連会長とか)や著名人、有名人(以下、面倒なので全て著名人とする)である。世の中一般に知られている実名をネットに書いたからといって、何らかの罪に問われるわけではないだろう。が、ここで若干の疑問もあるので、またいつもの如く、例え話で(笑)。


1)本名を隠している著名人の場合

著名作家であるXは本名で作品を書き、世の中の人々に広くその名前を知られている。
ある時、Xは「ライトノベル風なポルノ小説を書いてみたい」と考えたが、名前をどうするか編集者と相談した。これまで築いてきたイメージや、万が一ポルノ小説で失敗した場合にその後の作家人生に大きく影響することなどを考慮し、敢えて別な名前を用いて書くこととした。仮に、風流という名前で、作品Sを書いたとする。
後日、ウェブ上にYが書いている個人ブログに「作品Sを書いている風流という名の作家は、実はXである」と書かれてしまった。
さて、ここでXは名前の削除要求を出せるであろうか?

 ①基本的見解

Xは著名人であるから、公人に準ずると考えることは可能であろう。では、公表されてもよいのか、ということになるが、規制が全く無いということでもないかもしれない。

「個人情報の保護に関する法律」(個人情報保護法とかいわれる)には次のように書かれている。

>第三条
個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであることにかんがみ、その適正な取扱いが図られなければならない。

読んで字の如く、「個人の人格尊重の理念」の下、「個人情報」の取扱いは慎重であるべきで適正でなければなりません、と謳われているのである。よって、本来的には個人情報は「個人の人格」に属する性質ものであることが窺われ、平たく言えば「本人に帰属している類のもの」であるが故に、慎重にせよ、適切に取り扱え、ということになっているのである。ここでいう「個人情報」とは、次のように定義されている。

>第二条
この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。

氏名は当然含まれ、「特定個人を識別可能なもの」ということである。

これらを踏まえて考えると、風流という筆名を用いているXの名前は、Xの人格に属しているものであって、この公表についての許諾はXに帰属するべきものであろう、と考えられる。特定個人を識別可能とする氏名の公表については、原則的には本人にその賛否を決する権利があるであろう、と思われるのである。

「風流の本当の名前はXである」という事実を公然と摘示することは、個人情報の公表に該当するものと考えられる。
作品Sを発表するにあたり、Xは敢えて別な筆名とし、「Xの氏名を公表しない」という意思を明確にしていることが認められるのであるから、Xの氏名を勝手に公開するのは不適当であり、Xの人格権に損害を与える虞があると考えられる。

Xが公人又はそれに準ずる立場であるとしても、全ての権利を放棄しているわけではなく、一定の範囲においては個人の秘密や人格権は守られるべき部分があるのであって、「(公人である)Xという氏名」はXの承諾なしに公表することを法的に許されているものであるとは思われない。


 ②「他のネット掲示板を見て書いた」とYが主張したら

確かにウェブ上で検索可能であり、掲示板である“参ちゃねる”に「作品Sの作者はXである」と書かれていたとしよう。これを見つけたYが、「みんなも書いている、だから、自分のブログにも書いたのだ」と主張すると、これは書いてもよい、ということになるだろうか?
これは「みんなもスピード違反している、だからオレも~」という論法に似ていて、仮に他の人々が書いているとしても、自分が書くことが法的に許容されている、ということにはならないであろう。

従って、ウェブ上で検索できる、他の場所に書かれている、といったことは、Yの正当性を担保することにはならないと考える。


 ③Yが「文学批評の為に名前を公表した」と主張したら

この場合には、判断が難しいかもしれない。文学批評の文脈中で「風流とはXのことである」と公開されている場合には、違法性阻却自由に該当する可能性はあるかもしれない。適用条件に沿って考えてみる。

・公共性(公共の利害に関する事実)
該当する可能性はある。Xがそれまでに書いたような作品ばかりではなく、実は作品Sのようなものも書ける作家なのだ、ということをXの読者に知らしめることは、多数の読者の利益に関する事実(=公共の利害に関する事実)である、みたいな主張は有り得るからである。少なくとも、当該事実を知ることが、その他大勢にとって何らかの具体的利益に繋がるということを論証できなければならないであろう。

・公益性(目的の公益性)
例えば「作家の○○は作品△を書いた頃には□と不倫していて人生に疲れ落胆しどん底にいたので、~のような記述を行い、作中に不倫と無理心中の筋を入れたと思われる」というような、個人の生活とかプライバシーに関する記述が書かれていたとしても、これが作品理解に必要だとか作品や作家の背景を知るのに必須の事項である、と認定される場合があるかもしれない。個人のプライバシーに関する事実であっても、表現が一切認められないわけではないだろう。目的の妥当性が確認できるのであれば、公益性を主張することは有り得るということだ。
氏名公表については、人格権という個人の利益保護と公益との比較衡量により、場合によっては人格権に若干の制限が及ぶことが有り得ると考えられるであろう。

・真実性
「作品Sを書いた風流とはXである」という事実は真実であるので、要件に適合している。

よって、これら3要件のうち、公共性と公益性については、その態様が問題となろう。世間一般の人たちが「本当はXである」という事実を知ることによってどのような利益となるか、本当にその他の人々の利益となるのか、ということだ。それは、X個人の権利である、人格権に制限を加える(Xには個人的に我慢してもらう)ことで、社会全般の利益となす、という基本的な考え方が必要なのではなかろうか。プライバシーの問題もそうかもしれない。ある個人的事実(秘密)を知られてしまう、という特定の個人が不利益を受けることになるけれども、それを知ることは社会全体にとっては大切なこと・利益になること、という大義名分のようなものが必要だろう、ということ。

よって、「風流はXである」ということを社会が知らなくても作品理解はでき、取り上げるべき利益たるものがないのであれば、本質的に公共の利害には該当せず、目的が公益を図るつもりだったとしても「単なる1人よがり」ということに過ぎず、人格権を侵害してもよいということにはなり得ないであろう。また、名前を公開することによって、Xに対する読者からの評価が上がることが十分期待される、というような個人の権利侵害を補うべきXの利益もないのであれば、一方的にYがXの権利を侵害するだけであるから、氏名が公開されることは認容しがたいであろう。


以上、本項1)をまとめてみると、

◎公人又はこれに準ずる場合であっても、
・氏名は人格権の一部とみなせる
・氏名公表の許諾は個人に帰する
・氏名公表の違法性阻却事由は3要件を満たすことが必要
・公共性と公益性は態様が問題となる
・無制限に公表が認められるものではない


2)私人または私人と公人の区別が曖昧(笑)な場合

基本的には「公人又は公人に準ずる人」以外を私人とする、という風に考えると、曖昧な人というのはあんまり存在しなさそう。でも論争になっているみたいなので、後で検討してみましょう。

 ①表札というのは「実名公表」?

よくネット上でのありがちな主張には、「自分で名前を晒しているんじゃないかwww」みたいなものがあるが、これは果たしてどうなんだろうな、と。前項の②で書いたが、検索できる、とか、掲示板にも書いてある、といったことは、公表するのが合法であることの根拠とはなり得ない。たとえ自分のHP上や特定ブログに個人の実名が表記されているとしても、それがネット上のどのような場でも用いられてよい、ということを意味するわけではない。

普通の人が自分の家に表札を掲げていることはよくあるだろう。これは、「個人情報を外部に向かって晒しているのだから、好きなように公開してもいですよ」という宣言を意味しない。そうした意思表示がなされている、とは通常認め難い。
個人名の書かれた表札というのは、その場にあることで「想定される利用のされ方」というのを、公開している本人が事前に想定しているのである。一般的にはその利用方法に合致しているであろうことが期待されるので、個人情報の一部である氏名を表示しているのである。従って、一般的に想定されている利用方法からは大きく逸脱した利用をする場合には、本人の承諾を得るか、或いはそうした逸脱するような利用は制限を受けるべきものと考えるべきであろう。

たとえば、個人情報が公開されている電話帳に記載されていても、その無制限な利用を意味せず、どのような利用のされ方であっても承諾を与えたという意思表示とは解されないであろう。本来一般人が想定しているであろう「電話帳」の利用方法があるのであって、それ以外の利用方法(例えば「振り込め詐欺」「霊感商法」のターゲット探しに使われる、等)について、掲載時に承諾を与えたものとは解されない、ということ。すなわち、表札にしろ、電話帳にしろ、「氏名」という個人を特定しうる情報が表示されており、これは本人意思に基づいて公開されたものであるが、その利用は無制限を意図するものではなく、公開即利用制限なきものという同意も与えてはいない。社会通念上、事前に想定されるであろう「利用方法」に合致するものについて承諾しているのであり、それ以外の利用は個人の人格権を侵害する虞があるので、当然制限されるべきである。


 ②ウェブ上での氏名公表は?

これが表札や電話帳の表示などではなく、ウェブ上での個人情報の公開を一般個人が行っているとしても、それら情報を本人の承諾なしに「その場で想定されている利用方法」以外で勝手に利用されたり公開されることは、個人の人格権を侵害する虞があるであろう。もしも何らかの合理的理由があって利用することがあるとすれば、違法性阻却事由となる3要件―公共性、公益性、真実性―を満たしていることが必要であると考えられる(殆ど適合することはなさそう、と思うけど)。

他には、本人が氏名を特定・公開されることを拒否していないであろうと認められる根拠があれば、本人の意思として公開拒否がない以上、権利侵害には該当しないと考えられるかもしれない。これはどういうことかといえば、例えば本人が売名(有名になりたい、とか。笑)を目的としていて、ネット上のあちこちに出没する際には、本人氏名を自ら完全公開して記入している、というような場合であろうか。それとも、雑誌等の原稿や本の執筆依頼を獲得しようと考えているような場合もあるかもしれない。


 ③私人以上公人未満?

中には、世間の大多数の人々が知るわけではないが、ある集団内においてはそこそこ知られている立場である人も存在しているかもしれない。

例:
・△大学教授の○○
・△新聞記者の○○
・△の著者の○○
・△会社社長の○○
あと、こんな場合も…?
・アルファブロガー(?、笑)
・アルファぶくまー(???)

大雑把に言うと、世間の人を無作為に抽出し、「○○さんという方をご存知ですか?」と質問した場合、圧倒的多数の人が知らないと答えるが、どの程度の割合かは不明である。しかしながら、特定の関係者たちとか一定の小集団内ではそこそこ知られていると推定される。
上記例の大学教授の氏名を知っているのは、同業者たちとか学生(の一部?)しかおらず、数百名規模に留まる方も少なくはないのではなかろうか。本の著者であっても、数百~千部程度にしか売れてない著者も存在するかもしれず、ベストセラー作家と同じく知られているわけではないだろう。こうした人の場合に、公人に準ずる人と看做されるのか、ということである。

基本的考え方としては、氏名を公開するのが妥当なのは、教授の著述、論文や講演会のような公開の場における言説(発言含む)等について、批評したり検討したりするような場合と考える。この場合であっても、先の3要件は満たしていなければならないのは当然である。それ以外の場での利用については、たとえば「○○教授は愛人と海外旅行に出かけました」というような個人のプライバシーに関連して氏名を公開されることは適当とは言えない。ただし、この海外旅行が「不正な公費支出」に該当する等の不正を社会的に質すべき事情があるのであれば、公表が認められることはあるかもしれない。

新聞の記名記事では記者名が公開されているとしても、記事の文脈を離れて記者名を勝手に公表することが許容されているものとは考え難い。「△新聞の○○記者は毎日キャバクラ通いww」とか、「○○記者は~にクレームつけたことがあるー、本物のバカだ」といった、記名記事で公表される氏名の想定された利用方法からは大きく逸脱した場合には、人格権侵害に該当するものと思われる。

これら「私人以上公人未満」の人(はっきり区分すれば「私人」ということではないかと)であっても、公開されている氏名が無制限に利用されるのは本来想定されていないので、公開されている論述や記事等の文脈であれば利用してもよいと思われるが、「晒してやるぜ」というような公益性から離れた利用が法的に肯定されると考えるのは誤りであると思われる。


3)市民記者の名前とキーワード登録について

「はてなキーワード」に氏名が公開されていることが問題とされているが、解説自体は「○○は~を受賞した」という事実が書かれているのみで、内容的な問題というのはあまり感じられない。これは「××新聞の○○記者はピュリツァー賞を受賞した」という記述と大きな違いはないように思われる。受賞と記者との関係性を知ることは公共性や公益性という点では、要件に該当すると考えてよいのではないか。本人が本気で公開を拒むとすれば、受賞辞退などの対応を取ることがあるので、そうした意思表示機会では公開拒否の意思を示したものとは思われない。通常人であれば、そうした賞を受けると自分の氏名が公開されるであろうことは十分予想することができ、もし受賞者氏名や受賞の事実について公開を拒否するのであれば、受賞を拒否するとか完全匿名を条件に受賞するなどの措置を試みるであろう。それがなかった、ということであれば、受賞の事実と受賞者氏名の公表には一定の承諾を与えているものと解するのが相当である。

よって、受賞者の市民記者の氏名が公開され、キーワード登録されているとしても、違法な公開というほどの措置にはあたらず、違法であることを理由として削除を求める権利まで有しているとはいえない。
(但し、「死ぬ死ぬ詐欺」みたいな記述は不正確で問題があるので、訂正すべき)

※1/20 追記
コメントで「すめらぎ」さんから情報を頂きましたので訂正いたします。上記但し以降の部分で「死ぬ死ぬ詐欺」は不正確で問題がある、としていますが、元のオーマイの記事でそのように書かれていました。
「死ぬ死ぬ詐欺・まとめサイト」の卑劣さを考える - OhmyNews
ですので、キーワード登録の「死ぬ死ぬ詐欺」という記述は事実でした。お詫びいたします。上記但しの部分は削除と考えて下さい。


4)一般個人が自分のブログに氏名を公開している場合に、それを他の場で用いること

池田氏や小谷野氏が取った措置とは、「自分に対して批判的な文章を掲載していた特定個人」の氏名を自分のブログ(コメント欄含む)で公表した、というものである。これがどの程度までに許容されるのか、ということであるが、これまでの検討を当てはめてみると、3要件が満たされていると客観的に考えられうるか、ということになる。

仮に、当該ブロガーの言論内容について「厳しく指摘するべき理由がある」としても、本名の表記があるか否かということは、本来関係がない。相手方の本人氏名が一切なかった(公開されていない)としても、その目的は十分達せられると考えられ、「どの記述・対象に指摘を行ったか」ということが明らかであれば、本名が山田太郎であろうが鈴木一郎であろうが関係がない、ということである。「○○は山田太郎という名前だ」ということをその他大勢の読者たちが知ることによって、どのような利益に繋がるのか、という疑問が残る。相手方が「本名の山田太郎」であっても、「~を書いている人」というハンドルネームのような呼び名であっても、指摘事項の理解などに影響を持つことなど極めて稀にしかなく、専ら公益性を目的としていると判断する根拠は乏しい。

むしろ、個人的感情に基づいて、勝手に相手方氏名を公開して攻撃対象とし自分の溜飲を下げているだけであって、典型的な個人攻撃の類のものと認めざるを得ない(氏名公表だけではなく、その他の罵倒表現とともに用いていることからそれが窺われる)。
相手方について氏名公開だけに留まらず、「○○は高卒だ」「○○は学位も持っていない」などの記述をも行っており、これも到底公共性や公益性の要件を満たすものとは思われない。



以上、まとめますと、
・勝手に他人の氏名を公表するのは人格権侵害の虞
・本人が公開している氏名には利用制限がある
・公人であっても公表を避けうることがある
・私人であっても公表されることもある
・公共性や公益性の態様は個別に判断する

で、日常で見かける程度の問題では、勝手に「名前を晒すのは止めろ」ということ。法的にどうのという以前に、常識的な問題である。著書のあるような人間であっても、ムカついたので一般素人衆の実名を公表してしまうということが現実に起こっているので、ネット世界は「汚染地帯」とか「~の巣窟」とかのように言われても仕方がなかろう。


だから、前から百万回言ってるでしょ。
目立つ人(影響力の大きい人たち)ほどantisocialな言動は慎めと。
偉そうなことを言う前にまず手本を見せろ、ということ。


エロ偽装??(笑)

2008年01月18日 18時28分55秒 | 社会全般
ふと、ニュースのタイトルに目を奪われた。

世知辛さも遂にここまで来たか、と一瞬思ったりした。
それにしても、「エロを偽装」って、どういうことを偽装するのだろうか、などとバカな想像をした。

箱の外側は一見エロエロだけど、作品(映像、文章等…?)は実は偽装されており、そうでもない、みたいなもの?、とか。

色っぽい姿をして男性を惑わしつつ、実は男だった、とか。


でも、全然違っていた。
「エコ偽装」だった。紙の偽装らしい。何でも、古紙の配合の少ない「いい紙」を作っていたら、怒られたんだそうだ。言いたいことは判るけど、何でそんなにいきり立つの?、とか思った。だって、「いい紙」を謳っておきながら、実は粗悪品だった、というのであれば、悪いヤツだ、ってな話だろうと思うのですけど、これが逆で、「悪い紙質」を謳っていて本当は「いい紙」だった、ということなんですから。

これもあれだ、本当は大卒なのに「高卒です」と公務員に応募して採用された人たちみたいなものかも。高校しか出てないのに、「大卒です」って言うのはダメだろうと思うけど、大卒で「○○高校卒です」って言ったからといって誰も損するわけじゃないから。前にも書いたけど。


なので、製紙会社との取引停止、というのも、あまりに厳しいんじゃないですかね?
そもそも、紙に古紙を配合するのは、始めから困難、ということなのではありませんか?古紙はどのような形であっても再利用されればいいわけで、費用的に古紙を使うよりも少なく済むのであれば、それはそれで一つの考え方ではないかと思う。


よく判らないのですけど、要求が無理なのではありませんかね。「何かを犠牲」にしない限り、配合比率は高められない状態ということなのでは?

例えば、
・費用が高くなる
・「ちゃちり」みたいな色になる
・プリンタでプリントしてもキタナイ感じになる
・厚みが増し重くなる
みたいな。

古紙を○%以上入れろ、という要求をすれば、上記のような不利益を需要者・消費者側が受け入れる他ない、ということなのであれば、それを認めなければならないでしょう。

でも、
・もっと安くしろ
・もっと白っぽくしてくれ
・プリントした写真が判読できないからインク乗りを良くしてくれ
・もっと薄くしてくれ
みたいな要求を突き付けると、何かを犠牲にするしかなくなってしまうのでは。それでしょうがなく古紙の配合比率を下げざるを得なかったのでは?


詐称みたいなことって、悪いことは悪いと思うけれども、要求が無理なのであれば、誰もそれに応えることなどできないんですよ。医療崩壊の問題にも似たような構図がありそうかも。何かを犠牲にしてもらわないと、みんなが出す要求水準なんて達成できないんですもん。

なので、「オレは古紙比率50%以上じゃないと使わない」というポリシーの人には、製造単価が上昇しコーヒーに浸したような色合いとなっても我慢してもらう、「オレはもっとキレイにプリントされるものがいい」ということなら、これまで同様のちょっといい紙質のもの、という風に、使いわければいいんじゃないでしょうか。偽装って、使う側に誤解を植え付け、製品選択の余地を奪うので良くないし、根本的には「嘘をついてもいい、ってのか!」という嫌悪感みたいなものがあるからなのではないでしょうか。

「嘘つきは許さん」というプリミティブな反発が起こるのは止むを得ないので、はじめから「できないものはできない」と正直に言える社会の雰囲気が必要でしょう。それとも、「あなたの要求によって、あなた自身が不利益を蒙りますがよろしいでしょうか」ということを事前に周知し、どの要求を優先するか優先順を確定してもらって統一的製品とするか、人によって異なるのであれば「異なる要求」対応の「バラバラの製品」を供給するか、考える必要があるでしょう。

でも、一般的な傾向でいえば、大抵はそんなに関心などない人が多いのではないかと思うので、大問題とは誰も考えていないのではないかと思えますが。エロ偽装、もといエコ偽装云々とか非難している人たちにしても、紙の古紙配合比率を上げる以前に、本当にミスせず無駄にプリントやコピーをしてないか?(笑)
隣同士で「2人で1組」の資料で済ませる、とかできそうだけど、やってますか?裏の白い紙を必ず保管し、全部利用していますか?

古紙もそうだけど、毎日髪を洗うのをみんなが週に1回止めるだけで、どれほどのエコ効果があると思いますか?本当にみんなエコを考えているなら、そういうのを実行すればいいんだよ。効果の高いものからやっていけばいいんじゃね?

エコを優先するなら、みんなも「何らかの不利益を受けましょうね」ということが殆ど理解されないし、実践もされない。自分はコストをかけずに、他人の努力だけを当てにして、それを強要しようとする人が多すぎるのではないかと思う。


学校から貰ってくるプリントだけで、ノートが殆どいらない、というほど使えるよ。昔は白い上質紙ではなく、安っぽい紙質の白くないヤツだったでしょ?
わら半紙?だったっけ?
正しい呼び名が判らんけど。

ま、あんな感じの紙で行きましょう、コピーもプリンタ用紙もあの風合いの紙で、ということを社会全体で決めたらいかが?買い物袋も、ビニールのじゃなく古紙再生の紙袋、デパートの手提げ紙袋も古紙再生紙袋、そういうふうに社会全体で協力してやらないと、製紙業者だけ「このエコ偽装野郎!」と罵っても、エコには繋がらないんじゃないか?

まずは、「私はエコと引き換えに、犠牲を受け入れます」と表明しなさい。



身元引き受けたくない豪?

2008年01月17日 19時22分29秒 | 社会全般
えーと、例の反捕鯨活動家たちの件ですが、いつだったか海保の隊員が不審船に飛び込んだ時の方が、百万倍勇敢だったと思う。
高速で航行する2隻だったし、逃げる船との距離が遠いし、相手が武装集団かもしれないのに、飛び移ったんだもん。海保の方が絶対にエライ。

これは別にいいけど、拘束した2名の問題について、詳しい解説がこちらに。

小会議室(その2) - 元検弁護士のつぶやき

あんまり身近ではない国際法関係と、とても笑える南極大陸領有権問題が絡み合っていて、勉強になるのと、面白いです。

「法務業の末席」殿が書かれたコメントの全文を是非お読みいただきたいのですが、さわりだけ(いや、変な意味ではなく、笑)こちらに引用させて頂きます。
(引用部は『』で示した部分)


『南極条約は1961年に12ヶ国が署名してで発効された条約で、現在は45ヶ国が署名していますが、日本やオーストラリアも1961年の発効当初から署名している12ヶ国の原署名国です。
(中略)
今回のオーストラリアの捕鯨に関する裁判と判決は、領土権主張と主権行使の根拠となるこの自国国内法での規定を踏まえたものと思われます。しかし、今回の判決はオーストラリアの主権が及ばない日本の調査捕鯨に対して行なった裁判であり、国際法上は主権の侵害と日本に反論されても致し方ない、一種の政治ショーと言えます。』


特に(財)日本鯨類研HPからの、この引用文のインパクトは強烈ー!(笑)

『このように、条約上の正当な権利ではあるが、日本の調査捕鯨の自粛を求めるような決議が毎年IWCで採択されているのは、例えて言えば、憲法で保証された権利を否定するような決議が議会で採択されるようなものである。』

国際法とは…奥が深い
ところで、勝手に省略しちゃったけど、日本鯨類研究所って、「にちげい研」とか言われたりするのかな?「日本ゲイ研」とかだと危険ーー!変な団体と勘違いされるかも(笑)。


『それらの国々では、自国領と称する南極大陸を発行地とする郵便切手を発行したり、越冬隊員を自国の南極観測基地を住所地として住民登録するなど、様々な「主権行使」の既成事実を積み重ねて来ております。中でも極めつけはアルゼンチンで、夫婦で南極に派遣して出産させ、生まれた赤ちゃんの出生地をアルゼンチン領南極として出生登録し、保育施設なども南極基地に併設して「南極育ち」をアピールをするという、日本では思いもつかないような実績作りまでやっています。』

切手くらいなら判るけど、住民登録とは…やるな。
アルゼンチンは夫婦で送り込むって、金で選抜か?
「出生地 南極大陸」
ここまでやれば、天晴れだ。
恐るべし、海外諸国。どんな手でも使ってくるのか。
これでは日本がお人よし過ぎるはずだわな。


『引き渡し先としてオーストラリア政府の監視船を候補に、日本政府が打診しているようですが、ガチガチの捕鯨反対国であるオーストラリア政府としても、国際法が規定する「海賊行為」の犯人を、国家として保護しているイメージはイヤだというのが本音でしょう。

と言うのは以前よりオーストラリアは、北隣の東チモールやインドネシア諸島近海で武装ゲリラの海賊に悩まされていて、その対策と取り締まりに苦慮しています。今回の拘束者の解放にヘタに関わると、「海賊行為の身方をする国家」というレッテルが貼られ、自国の取り締まりに悪影響することを心配する立場、というアキレス腱があります。まぁ、日本とオーストラリアとシーシェパードの本部があるアメリカを交え、ナンダカンダの紆余曲折はそれなりにあると思います。』


海賊許さんー!と言っておきながら、「自国民が海賊」やっちまったー、と。
墓穴を掘ることに。これも天罰であろう(笑)
ダメな息子を警察に引き取りに行く母親の図、みたいなものが思い浮かんで、引き受けたくない、みたいになってるんだもんね。あれだ、NHKの「新マチベン」の設定を思い出したよ。


いや、本当に勉強になりました。
有難うございます。
この場をお借りして御礼申し上げます。
>法務業の末席殿




笑いを通り超えて、超「涙目~」

2008年01月17日 12時19分07秒 | 経済関連
ボケナス揃いのコンコンチキばっかだな、日本は。
買えや。
ひたすら買い支えろよ。
全くイカレポンチの指導者揃いだから、日本はこんなに長く低迷しとるんだろが。
オレさまの「塩づけちゃん」たちが、どんだけ泣いていると思ってるんだ!(笑)
ま、これは関係ないんだけどさ。


米国のサブプライム問題で米国経済が減速したとして、日本企業がどんだけ損すると思ってんの?

数字は全然調べてないから、全くの適当に。
一部上場企業の企業利益が07年で10兆円だったとしよう。法人税とかも同じ位の規模(もうちょい、多いか?)だろうと思うので、まあとりあえず。

で、10兆円の利益のうち、輸出企業の利益率が高くて大半を占めているとしますか。北米市場の占有率は下がってきており、ざっと25%と見積もってみますか。すると、北米での好調な売上で得られる企業利益は2.5兆円に過ぎない。これが第一点。
円高で企業利益の大部分が減ると考えても、輸出による利益が5兆円として、これが半減したところで2.5兆円だ、これが第二点。

つまり、北米市場で利益が縮小、円高で輸出企業利益が縮小、ということであったとしても、企業が失う利益は高々5兆円に過ぎない。07年利益の10兆円が半分になったとしても、5兆円が減るだけだ。よって、一部上場企業の時価総額が500兆円としても、1%の減少ということ。この環境が将来時点に渡って継続したとして、毎年5兆円の利益が減るだけだから、10年分でも50兆円だ(本当は現在価値の計算はあるけど、面倒なのでとりあえず)。つまり10年先まで企業利益は毎年5兆円くらいしか生み出せないとして、企業価値減少分というのは、高々知れてる。


しかし、上場企業の時価総額の減少分は100兆円規模となっており、それは「どんだけ先まで損する環境が続くと思っているんですか?」ってな話だ。今後5年間は企業利益が07年の半分に落ち込むであろう、という将来見通しであるとしても、時価総額の水準訂正分は限定的であり、100兆円も目減りすることを意味しない。つまり、これは短期的変動要因が極めて大きく、悲観的になりすぎていることと、ノイズトレーダーの「荒らし」と似たようなものだ、ということ。しかし、こうした事態が継続するようなことになれば、悲観的な観測が定着するに至り、株離れを起こす。結果、資産価格は大幅に減少するので、購買力のある層は金を使わなくなる。企業も配当を控えたり、昇給などには踏み切らなくなる。


将来見通しとして、企業利益が減少した状態が永続するようであれば、そりゃ売られて価値が減少するのは止むを得ない。しかし、米国の経済動向が云々とか言うのだけれども、日本に対する直接的ダメージは、金額的に見れば大したことはない。むしろ、心理的要因が台頭することで、国内の消費環境が冷え込んで多くの企業が振るわなくなることの方がダメージが大きいのである。05年には今と同程度のドル円水準になっていたのだから、全然平気で乗り越えられるよ。原油の輸入価格が相対的に落ちるから、逆に喜ばしいかも。


なので、北米市場が低迷したとしても日本企業の収益のいくらかが傷つくかもしれないが、本来的には、日本経済全般を底上げしていけば、乗り越えられる程度でしかないと思う。輸出依存度としての額は大したことがなく、その内の更に数%の利益が吹き飛んだところで、100兆円になんて遠く及ばないって。シティ単体のサブプライム損失の方がデカイくらいかもよ(笑)。
なのに、日本株がバカスカ売られて、これを放置ってのは有り得んだろ。


断固たる決意を示し、迅速に行動せよ。
そういうスピード感が全然ないんだよね。
日本のリーダーたちは、雁首揃えて、無能無策のダメ指導者ばかりだ。これならいっそ、1人のフィクサーが「アレやれ」「コレやれ」と全ての指示を出す体制になっている方がマシなのではないか、とさえ思う。



日本市場全体が「仕手」られている?

2008年01月16日 17時59分15秒 | 経済関連
さすがに、ここまで下がると異常だと思う。

日本経済の先行き不安とかいっても、年明け以降の下げは普通じゃない。経済不安に揺れる本家本元の米国の下落以上に、日本株が売られている。これが可能なのは、「売り方」についてる連中が大量の資金投入をしている、ということだと思う。

現物を売り続けるのは、極めて難しいだろう。発行済み株式の何%かを売り続ければ、大量保有株主の移動が起こるから、誰が大量に売ったか判るだろう。日経平均指標になっている主要株式の大株主がゾロゾロと変わっているはずだろう、ということだ。それが本当に起こっているのであれば、調べればわかるのではないかな。


けど、そういうことがないのであれば、現物売りだけでは下げ続けられない。


私の妄想ではこうだ。

①米国の日経先物を全力で売る
②これにつられて日本市場の先物が売られる
③先物売に反応して、現物の一部と信用売りが増える
④いつまでも下がるので信用売りは利益が出る
⑤出た利益で信用売りを拡大
⑥つられて売りに転じる投資家も増える
⑦損失の大きい投資家は投売りで更に下がる
⑧下げ続けるので買いたがらない投資家が増える
⑨売りが圧倒的優勢となりさらに下がる
以下、ループ。


信用倍率で1倍割れとか2倍割れが多くなっていれば、市場全体として、これで巨額利益をあげてる連中がいる、ということになる。ハンパな額を持っていても、ここまで売り込めないかもしれんが。

何故こんなことが起こったのか?
それは、陰謀だからだ(笑)。

主要な1部上場株であっても、不思議な点はあるね。
例えば、普段は売買高が100万株くらいしかなくて、買いがそこそこ優勢になっても、売りを被せてくる。結果的には、上げそうになっても売り続けてくるから殆ど上がらず、売買高が3倍とかの300万株になる。買いが続かなくなるのはごく当たり前だ。普通の投資家は「自分が欲しいな」と思って手に入れると、その後に買おうとは考えなくなるからだ。しかし投機的に売ってくる連中は違う。明確な目的をもって、意図的に下げを狙ってくるからだ。買いが薄くなれば、売り圧力が優勢となり、大きく下げることに成功するのである。


日本人はお人よしなのだ。
とりあえず様子見だ、みたいに言うし。
随分とノンビリしているんだな、と呆れてしまうよ。
こういう時こそ、キャッシュリッチな企業とかが買え、って。自社株消却を推進しろよ。更に、年金資金を大量投入して、先物を全力で買えよ。


売り方についてるのは、下がり続ける限り利益が出るのでいくらでも売ってくる。これに対抗するには、巨額資金を投入して防衛するしかない。買い方の資金量を増やし、一気に巻き返す以外には上がらない。売り方についてる連中の総資金量が上回る限り、上がらないのだ。下がり続ける限り、売り方の資金は増加する一方になり、買い方を上回る。狼狽した投資家はとりあえず売って撤退するしかなくなるし。

しかも売り方についている巨額資金を保有するグループは、「日本市場を防衛する誰か」などいないことを知っている。これは外為ではないからね。あくまで自由な取引だから。なので、少ない資金投入で買っても、買っても、相手側資金を上回る投入ができない限り、負け続ける。一般投資家も売りに参加していくる数は増えるしね。それが売り方の狙いだ。

日本市場で起こっていることが尋常ではない、ということに対する警戒感があまりに乏しいのである、この国は。
そもそも陰謀なんてない、っていうのは、そうだろうけど(笑)

しかし、売買代金総額が下がり、市場支配力がそこそこ及ぶことが判れば、日本の投資家の行動を見越して仕掛けることは可能だ。個々の個人投資家が防衛買いなどできるはずもなく、資金を引き上げる人の割合は増加するだけとなるだろう。介入がないとなれば底なしに落とせるだろう。落ちれば落ちるほど彼らの資金は増加していくのだからね。

売り方の連中に踏み上げさせるまで大量資金を投入し買い続ける以外にはないだろう。正常化するまでは、防衛買いをするしかないだろう。



日本が果たす役割とは

2008年01月16日 16時54分56秒 | 外交問題
この前から給油活動についての問題を批判しているが、これが何故ダメなのかといえば、根本部分で大きな間違いを犯しているからだ。それは「日本はこうやっていきます、問題にはこうして対処します」という自発的な意思が存在しないからであり、もっと言えば「誰かの顔色を窺って決めたこと」という以上のものではないからだ。周りが自分のことをどう言っているか、ということだけを気にして、自分の意志というものがまるでない、ただの木偶人形みたいなものだ。だから、余計にとやかく言われるのである。日本という国はよく判らない、と。本当に必要なことであるなら、国民に十分説明できるものでなければならないし、見え透いた嘘やおかしな建前だけで物事を進めようとする連中が多すぎるのである。どうせ嘘をつくなら、もっと真実性の高い嘘を用意しておくべきだろう(笑)。


国際関係と個人的人間関係は違う、というのはその通りであろうが、外部から見て判断しているのは全て人間であり、彼らから見た時の日本が「どう判断されるか」ということになるので人物評価に近いのではないかと思う。まあ、色々な人間がいるので、一概に尊敬される人物像の基準などないかもしれないが、個人的判断で書いてみる。

通常の人間関係で、尊敬される人とか一目置かれる人というのは、どういう人なのであろうか?
誠実、信念がある、責任感がある、裏切らない、とか、様々あるかもしれない。日本はどうなのかと言えば、前に言ってたこととコロッと変わってみたり、脅したりすかされたりすれば自分の意見を変えてしまう、という具合に、傍から見れば「よく判らない」「頼りない」「意志が弱い」ということになってしまう。だから余計になじられるし、批判もされてしまうのである。


今、一つのクラスがあって、暴れん坊の男が1人いるとしよう。
クラスメートの何人かは、手に手に棍棒や拳銃を持って、その男が暴れたりするのを殴ったり発砲したりして押さえ込もうとしている。そういう屈強な生徒は、既に大勢いるのである。屈強な生徒たちは、「オレたちは正義の為に殴っているんだ」「オレたちが警察としてみんなを守っているのだ」ということで、暴れん坊を懲らしめることを正当だと言っている。確かにそうかもしれない。暴れん坊が他の生徒たちに迷惑をかけたり、怪我をさせたりしているのを、黙って見過ごすわけにはいかないだろうから。
さてこの時、自分であればこの暴れん坊に対して、どのように対処するか、ということになる。自ら棍棒を手に取り、「オレたちが自警団なのさ」という仲間に加えてもらうことを希望するか?それとも、遠巻きにして眺めているか?他の方法を考えるか?どうだろう?

日本というのは、戦争を経てきて、学んだものや獲得したものがあるだろう。これまでの戦後の歴史の中で培ってきたものもあるだろう。そういうのをどう考えるか、ということにも関係しているかもしれない。大勢の生徒たちが棍棒を手にして対決しているさなかに、「オレも殴るのを手伝うぜ」と言って、飛び込んでいくフリをするのが、本当に必要なことなのであろうか?それが尊敬される立場なのか?もう思いっ切りぶっ叩いている連中は、何人もいるわけである。そこに、「オレも加勢するぜ」と、ヘルメットとか篭手とか格好だけは一丁前に装備して、後から参加していく人間は、どうなのよ?って話。しかも棒を振り回せないので、「後ろの方で」メガホンだけ持って野次を飛ばしているような腰抜け野郎なのだ。暴れん坊が近くに来たら、「よし、お前が行け」と言って、周囲にいる他の誰かをけしかけるだけしか能のないような、本物の弱虫なのである。これで尊敬される人物とみなされると思うか?(笑)
みんなと同じようにやれば認めてもらえる、などというのは錯覚に過ぎない。加勢するぜ、と言って加わってきても、実質的に何もできないような足手まといは、誰も望んでなどいない。

暴れん坊を殴って大人しくさせる、というのは一つの方法に過ぎない。大抵は、「オレを殴ったな、こっちも仕返ししてやるぜ」ということで殴り返すことを、みんなが認めている、というだけである。では、自分ならばどう立ち向かうのか、ということである。既に大勢が棍棒を持って「殴る係」に立候補しているのに、殴れもしない自分が「オレも、オレも」みたいに立つ方がよっぽどバカである。日本は、「絶対に殴らないんだって」と皆が認めているなら、殴らない方法で立ち向かうしかないのである。その決意を示すことの方が、何倍も勇気がいるのだ。喩えていえば、屈強な剣士の前に、死を恐れずに立ちはだかる神父のようなものである。「武器を置いて、私の話を聞きなさい」と相手を大人しくさせることを試みることは、蔑まれることは少ないであろう。大勢のクラスメートが殴っているなかにあって、殴らずに対処しようとする人間の方が、はるかに存在をアピールできると思うが。

別に、自分だけ目立てばいいとか言っているのではない。日本は、国際社会に向かって、重大な決意表明と約束をしている。その約束を守り、信念を貫く人間の方が、人の意見に流されて態度を変える人間よりも信頼されるのではないか、と言っているのだ。私は絶対に殴りません、と日本は表明しているのだから。

では、自分の息子がならず者で、かっぱらいや暴力沙汰とか、問題をあちこちで起こしているとしよう。周囲のみんなは「こいつは悪いヤツだ」ということで、棍棒を片手に殴っている。そういう時にも、やはり自分はみんなと同じように「殴らねばならない」のだろうか?息子に対して責任を持つ、ということは、周囲のみんなに対して「私が責任を持って必ずやります」と明らかにし、息子を改心させるように努力することではないのかな?特に、散々みんなが殴り続けてきたのに、殴るだけでは解決できなかった息子を、自分がみんなと一緒に殴れば本当に更生させられるのだろうか?一番偉い村長が「こいつは本当にダメなワルだから、もっと殴れ」と言っている時、自分は常に村長の言いなりで、「ヘイ、わかりやした、おいらも殴ればいいんですね?ご尤もで…」と揉み手して答えるような人物は、尊敬に値するのだろうか?

日本に息子はいないけど(笑)、自分が責任ある立場だ、と思って行動するなら、「自分がこれこれをしなければならない」と考えるであろう。自分に責任がないと思っているなら、息子に対するような対応は取らないだろう。所詮他人事だからだ。自分が解決に向けて関与するというのであれば、ただ殴るだけではなく、「私がやります」という姿勢を明らかにし、自分のできるベストのことをやろうとするだろう。本当に暴れん坊のことを考えることができるかどうか、ということでもある。何でも村長の為にやるわけではないのだから。しかし、今の日本の態度からは、首尾一貫性も信念も感じ取れない。誠実さも勇気も責任感もない。あるのは、日和見的な優柔不断さと、迎合的で卑屈な狡さだけである。

日本には日本の良さがあるのであり、日本しかできないとか、日本だからできることがあるかもしれない。それを実行していこうとする意思と、理を説き周囲の理解を得る努力が、全く足りない。だから軽んじられてしまうのである。殴られたら殴り返す、で解決を図ろうとすること以上に、殴らないで対処することの方が難しいのだ。それに日本が挑まねばならない、ということ。中には、貧しい国に対し、ほっぺたを札束で叩いて回っているような国もある(笑)が、それはそれでしょうがないだろう。そういう国にはそれなりの取り巻きが付くのは世の常かも。日本がそういうのと一緒になって真似する必要性はないだろう。


アフガン問題に関与していこうと本気で考えるなら、まずパキスタンに足場を作るのが先ではないか。港湾にしても、中国は既に確保していたと思うが、日本は何も手をつけていないだろう。1千万超都市のカラチがあるのだし、発展する可能性はある。日本国内でばかり公共工事をあてにするのではなく、日本の工事業者を指導する人間として投入し、現地の人に教えながら道路や鉄道工事をするとか、いくらでも考えることはできるだろう。前にもちょっと書いた(パキスタンを押さえるのが先決では)が、「町を一つ作るつもりで」というのは、そうした拠点を確保しつつ次第に内陸部(アフガンも含めて)に足場を築くようにしていく、ということ。日本の知恵や生活技術を提供すること、医療や教育を整えること、人材受け入れや日本人指導者派遣を推進すること、そういうのを10年計画とか20年計画で取り組むことが必要だろう。


今の日本に出来ることは何か、ということをよく考えることだ。日本は知恵も技術もお金も、はるかにたくさん持っているのだから。日本という国は徹底して「平和を輸出する国」なのだ、と誰もが認識した時、日本は兵隊を出さないのでとんでもない、などとは言われなくなるだろう。戦闘に立つのではなく、日本らしい取組みの先頭に立ちなさい、ということ。それが真の勇気を示すことでもあり、一目置かれる存在になる、ということなのではないか。
Tsunami とか、サイクロン・台風や地震災害などの時には、日本で「自衛隊を海外に出すな」という反対は殆どないのだから、いくらでも自衛隊派遣の必要な時はあるだろう。PKO活動もあるのだし。結局、外国から見たときに、日本が「何をどうしたいのかがさっぱり判らない」ということになっているのであり、それは日本自身が「どう関与するか考えられない」ということである。なので、他人の意見に流され、せいぜい「人まね」するのが関の山なのである。




時代錯誤の石頭?(笑)

2008年01月15日 22時14分07秒 | 政治って?
テラワロス。
太田誠一衆院議員:社民・福島党首を「極左」と中傷 - 毎日jp毎日新聞

(一部引用)

自民党の太田誠一衆院議員(福岡3区、元総務庁長官)は13日、福岡市内で開いた自身の「新春の集い」であいさつし、テロ対策の重要性にふれる中で「(我が国では)極左系の弁護士もたくさんおり、国会議員になっている。どこかの党の党首になっている」と発言した。指摘した党首について、太田氏は会合終了後の取材に「(社民党の)福島瑞穂氏だ」と述べた。
(中略)
 太田氏はあいさつで、新テロ対策特別措置法の成立を踏まえ「国際的テロに対し、西側の一員として戦う決意をはっきりさせた」と強調。その上で「あらゆる政治活動のどこかに、テロリストの流れがあることをよくわかっておかないといけない。我が党と正面から戦っている党の中にも、その流れは2、3割はいる」と述べ、同法に反対した民主党も批判した。【中村篤志】

=====

社民党がどうなろうと興味もないし、福島党首を評価してなどいないが、「極左」とは言えないことくらいは判るね。日本に存在する極左グループなんて、あんまり聞いたこともないけど(笑)。ま、これはツマの方だから、どうでもいい。

問題の発言は、「西側の一員として戦う決意をはっきりさせた」という部分。
一体、いつの時代の人ですか?(爆)
西側の一員、って、イマドキあんまり言わないんじゃないですかね?ソ連は存在しないし、東欧諸国も軒並みEUの仲間入りのご時世だというのに、東側ってのがどこなのか教えて欲しいもんです。国会議員なのに、未だに「我々は西側の人間だ」みたいに言ってたら、本物の○○だと思われるのではありませんかね?日本のレベルを晒しているようなもんです(笑)。

しかも、「国際的テロに対して戦う」のは憲法違反ではありませんかね?
続・自衛隊のインド洋派遣に関する考察
ここに書いたように、単なる「盗賊団の掃討」の支援はいいけど、米英の集団的自衛権行使の対象となっている相手に「日本が戦う」のは、どうみても憲法違反だって(笑)。1人で勝手に、戦う決意表明なんかするなってば。

<参考までに影の声……
そんなに戦いたいなら、あんたが1人で乗り込んで行けばいいんだよ。日本国とは一切関係なしに、議員も辞めて自分1人で外人部隊にでも行けばいいんだってば。大和魂を見せてこいよ。男だろ?ん?
「オレが身をもって、テロと戦う決意をはっきりと示す!その為にはるばる日本からやってキターーー!」って、逝ってこい。その覚悟もないくせに、戦う決意などと気安く言うな。>



国会議員が憲法に反する言辞を弄するのは、それこそ違法なのではありませんかね?
憲法99条の義務に違反するのではありませんか?>太田議員殿
あなたの言辞のどこが憲法尊重や擁護なんですかね。
到底、尊重擁護の義務を負うべき国会議員の発言とは思われませんね。


支援者たちの前だからといってお調子に乗りたい気分もあるでしょうし、威勢のいい煽り文句を並べるのも結構ですが、「日本は西側諸国の一員」とか言うのは恥さらしなだけではないでしょうか。

もっと重大なのは、憲法99条違反に該当するような発言を国会議員自らが行うことで、これは相当罪が重いでありましょう。



マンション共用ロビーでの喫煙について

2008年01月15日 02時56分31秒 | 法関係
中々面白いテーマであると思ったので、少し考えてみたい。
自分の首を絞める喫煙者 - NATROMの日記

こちらで紹介されている元記事は、読むと笑える。
とはいえ、最近はこうした高齢者同士のイザコザは結構増えていると予想され、時には過激な騒動に発展して、殺傷事件となっている例も散見される。できるだけ近所での紛争がないように暮らしていけばいいと思うのだが、現代はそれが難しいのかもしれない。都市化が進んでいなかった昭和の時代であれば、庭で落ち葉を燃やしたり(焼き芋も焼いた?)、七輪でサンマを焼いたりして、周辺に煙を撒き散らしていても、さしたる紛争などには発展していなかったのかもしれない(見たわけではないので知らないけど、笑)。サザエさんとかでも、そういった描写が出てきたりするからね。しかし、現代では細かいことに気にする人々が増加して、「歩く足音がうるさい」「公園の子どもの声がうるさい」「学校の吹奏楽の練習がうるさい」「バーベキューの煙が来るのがウザい」…考え付かないけど、そういう色々な問題を抱える人たちが大勢いるのだろう。中には、何かと「訴えてやる!」みたいに、某丸山弁護士が出演していたような番組タイトルみたいなことになってしまったりするのかも。

本題に戻ろう。
元記事の登場人物は「愚生」「管理人(爺さん)」「婆さん」で、パイプ愛好家の愚生という方の言動が中々に味わい深い(笑)。普通の人はこうした対応を取ることは少ないと思われ、わざわざ紛争を呼び起こしているようなものであるという印象ではある。これを「常識に欠ける」という非難をされる可能性は高いと思われるが、「愚生」殿の言動が何故発生したかについて、興味があるのである。これは小学生とかが、「廊下は走ってはいけないんだよ」と他の児童に注意された時に、「誰が決めたんだよ、何時何分何秒に決めたんだよ」的な反駁を想起させるものである。「~してはいけない」という主張に対して、そんな決まりなんてないんだよ、と自己を正当化しようとする試みに似ている。通常であれば、仮に明示的なルールとして決まっていないとしても、集団生活というか社会的な行動を考慮する場合には、一般的にいう「その他大勢」の集団構成員が「ルールを破っている」とか「禁止されている」と考える(判断する)ような行為を敢えてやるべきものとは考えないであろうし、「注意されれば行為を止めるであろうことが期待される」ということを知っているであろう。それが普通の「常識的振る舞い」である、ということ。そういう普通の反応から大きく逸脱すれば、一般的には「非常識ね」という評価を受けるだろう。

前置きが長くなってしまったが、本件において「愚生」殿(以下面倒なので、愚生とする)の行為について法的に何らかの規制が働くのかどうかを検討してみたい。

要点を書くと、
・愚生はマンションロビーにおいてパイプで喫煙を行った
・居合わせた老女(以下、婆さん)が喫煙を止めるよう注意(要請)した
・愚生は止めなかった
・婆さんは管理人に訴えに行った
・管理人は止めるように注意した
・愚生は管理規約の禁止行為にロビーでの喫煙がない旨主張
・管理人は他の人の迷惑だから止めるよう主張
・愚生は認めず、管理人や婆さんに協力する気がないと主張

まあ一連のやり取りからすると、愚生は本当に愚生だな、と誰しも思うであろうが、ここではおいておこう(笑)。


ここからは論点を分けて考えてみる。

①「マンション共用ロビー」という空間は何か?

まず、電車内のような公共性の高い空間であるかどうかが問題となろう。そこで、ロビーとは何か、ということを考えるが、見解は若干分かれる可能性はあるものの、公共交通機関の中であるとか、学校や施設内といった空間とみなせるかというと、否であろう。参考になるのは、ビラ投函事件である。
東京新聞政党ビラ配り 逆転有罪判決の要旨注目の要旨・全文特集・連載TOKYO Web

ちょっと特異な事件なのですが、この事件の本質的問題とかはおいておくとして、マンションのような集合住宅での共用空間(ホール、階段、ロビー等)は、郵便などを入れる限定的空間を除けば「住居」であるという認定です。すなわち、家の中とほぼ同じであって、それ故「住居侵入罪」の成立が認定されているのです。無罪判決であった1審判決でも居住空間であるとする認定となっています。よって、マンションロビーは乗り物や公共施設などの公共空間(公共性の高い空間ということで、こう呼ぶこととします)と同一ではなく、より私的な性格の強い空間である、ということです。ほぼ住居と同じ意味合いを持つ居住部分、ということです。

②健康増進法は?

よく禁煙または分煙の根拠として取り上げられる法律としては、健康増進法があります。
受動喫煙防止対策について

ここでの規定は、次のようになっています(以下に引用)。

○受動喫煙とは「室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされること」と定義

○学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店が明示されているが、同条における「その他の施設」は、鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、金融機関、美術館、博物館、社会福祉施設、商店、ホテル、旅館等の宿泊施設、屋外競技場、遊技場、娯楽施設等多数の者が利用する施設を含むものであり、同条の趣旨に鑑み、鉄軌道車両、バス及びタクシー車両、航空機、旅客船などについても「その他の施設」に含むもの

つまり、マンションロビーのような空間は対象外、ということになります。そもそも「公共性等の当該施設の社会的役割」を考慮すべきとされるので、公共空間では禁煙や分煙の管理を行うことが管理者に求められる(努力)という性格の法律であって、私的空間については管理者の努力は求められていません。従って、マンションロビーにおいては、健康増進法に基づく禁煙又は分煙措置を管理者に求めることはできないように思われます。

③禁煙措置は可能か?

愚生のような居住者(笑)がいた場合に、対抗措置はあるかどうかでしょう。
普通に考えると、例えばルームシェアのような状態である場合に、部屋を禁煙にするとか、喫煙できる場所を決めるといったことは、居住者間の取り決めによって決定されるべきものであると思われます。一軒の家でもいいですが、夫の喫煙について禁止するとか、この場所で吸えとかを決定するのは、住んでる人たちの中で解決しないさい、ということであろうと思います。本来的には、私的空間である居住空間においては、法が介入して決定するべきものでもない、ということかと。よって、マンションの共用部分についての禁煙措置についても、居住者で決定すればよい、ということになります。

この居住者による取り決めとなれば、原則的には管理規約に基づくということになるでありましょう。多数の居住者たちに「禁煙とする」という共通認識が形成されていれば、必然的にロビーは禁煙にできるでしょう。ただ、この場合には各居住者に「ここは禁煙場所である」ということが明示的である必要があるでしょう。

本件の論争時点では規約にそうした規定はなく、愚生が主張した「管理規約にはない」とか、管理人の迷惑だから止めてくれという要望を「聞き入れる義務はない」ということは、あながち間違いとも言えないでしょう。喫煙について「禁止すべき行為」との認識が多数の居住者間に形成されていたことを示す証拠は特になく、もしも禁止したいのであれば規約に盛り込むべきでしょう。

以上から、簡潔にまとめますと
・マンション共用ロビーは公共空間ではない(=住居とほぼ同じ私的空間)
・健康増進法は禁止の根拠とならない
・管理規約で明示的に規定するべき
ということです。


ここからは法的にどうということではなく、行動の面白さを見てみます。

少なくとも愚生の言い分と管理人や婆さんの言い分を比較しますと、より「ルール重視」なのは愚生の方なのであって、法を重んじているかのようです(笑)。管理人や婆さんが言い負けたのは、法に訴えられなかった為である、ということです。愚生がこれほど自慢気に自分の武勇伝を書いているのは、こうした「法に訴えた結果」勝利したのだ、ということを知らしめるためでしょう。愚生のとった戦略とは、ルールに訴えることにより正当性の強化を図り、そのルールの不備を突くことだったのです。それが「管理規約を穴が空くほど精読」していた、ということで裏づけられています。

これと同じような光景を思い浮かべる人がいるかもしれません。そうです。ホリエモンがそうでしたね。
彼もまた、「法に書いてない」というルールの不備を突いて電撃作戦を敢行しました。招いた結果はご存知の通りであり、法の不備をつく不届き者が増える懸念が増大すれば、より面倒で複雑なルールが増やされてしまうということになるだけなので、社会全体にとっては良いことなどありません。愚生は恐らくかなりの年配の人間であり、管理人と同年代と言っていることから、「せいぜい長生き」していてもこの程度、ということが判明しただけです(笑)。

傾向としては、ルール(法)に訴え、これを盾に取るのは、大抵が良からぬ動機などを抱いていることが多いのかもしれません。法に頼らずとも、信義を重んじ、良識に従えば、多くの事柄は解決に向かうはずなのですから。それが、「愚生」などという高齢者しか用いない表現を用いるほどに人生経験を積んだ年配者であっても、理解できない・自覚できないような社会となってしまっている、ということなのでしょう。これでは若年層にお説教をしている場合ではありませんね。まずは、法の不備をつくような主張を恥ずかしげもなく行う高齢者をどうにかした方が宜しいでありましょう。




B型肝炎も一律救済してもらいなさい

2008年01月14日 23時01分04秒 | 社会全般
全国のB型肝炎患者の方で、86年以前に「集団予防接種」を受けた方々(ほぼ全員に近いと思いますけど)は、全国で一斉蜂起してみて下さい。

全てのマスメディアもきっと支援してくれることでしょう。


少なくとも、B型肝炎については最高裁判決という最強の判例があるので、C型肝炎の場合とは全く違いますから。法的過失認定及び因果関係の推定が「高度の蓋然性」(笑)で認定されているのですから、まず勝訴の可能性は高いでしょう。

なので、一斉に訴訟を提起して下さい。
そうすれば、全員一律に救済措置が取られるでありましょう。
投与証明なんて必要ないですよ。
大抵はBCGの痕跡が残っているでしょうから(笑)、それさえ証明できれば、全員一律に救済されることでありましょう。

これら救済措置にいくらかかるのかわかりませんが、一人500万円として10万人で5000億円くらいポンと払ってくれますよ。これは間違いありません。最高裁が「集団予防接種が感染原因だった」と推定するのが合理的、との結論に達しているのであるから、これを覆せる理由なんて存在してませんので。


できるだけ大勢の方々がやって下さい。

NIKKEI NET(日経ネット):風向計-日経の政治部記者のコラム

この政治記者の方は、どういう意見なのかはっきり書かないようにしているが、次のように述べている。

『患者にとっての支援策としては民主案が手厚いのは明らかだ。肝炎患者へのインターフェロンによる治療だけなら、与党案より数十億円程度の追加の財源措置で済むという。しかし、インターフェロン以外の治療への助成を実施したり、肝硬変や肝臓がんへの治療支援も検討すれば、財源はさらに膨らむ。与党は民主との法案修正に慎重姿勢を崩していない。弱者救済は政治の使命だが、しっかりした哲学や財源に裏打ちされた持続性のある内容でないと「一時的なばらまき」になる。』


以前には弱者救済とか薬害肝炎被害者を救え、とか、総理の決断が必要だのと日経社説に書いてあったと思うが、この記者が書いてるわけではないかもしれない。が、こうした耳障りのよい言辞を並べながら、一方では肝ガン患者への治療支援には「一時的ばらまき」と批判的なのは一体どういうつもりなのであろうか?(笑)

整合性のない主張を書き連ねるのも新聞の役割ということか。よく判らんが。
少なくとも、最高裁判決のあった「B型肝炎の原因は、集団予防接種である」という司法判断を否定するはずはないであろうし、たとえ「ばらまき」であろうとも「弱者救済は政治の使命」と自ら書いている記者が「B型肝炎患者には支払うな」などと主張できようはずがなかろう(笑)。

なので、B型肝炎患者のうち、86年以前に集団予防接種を受けたことのある人たちが集団訴訟を提起すれば、必ずや「一律救済」が達成されるであろう。それをこの記者も支持するのは当然だ。

100万人でも、たったの5兆円ですから。大した額じゃない。
国の過失なのだから、責任を認めるのは当然であろう?
しかも最高裁のお墨付きですから。

「国は責任を認めよ」
「命の線引きは許さない」
「一律救済せよ」

みんなでそう主張するといいですよ。
何だったら、総理にハガキを10万枚とか書いて出しなさい。
今こそ、「負けるもんかと思った」という気概で戦って下さい。
>薬害C型肝炎訴訟の支援運動をやっている東北大法学部学生殿

薬害利権の弁護士先生方も、日本全国から原告に招きいれて戦いなさい。
国の責任を問うのでしょう?
被害者を救済せねばならんのでしょう?
このままでいいんですか?
集団予防接種で感染した人たちは泣き寝入りですか?
すぐに探し出してきて、訴訟を始めなさい。

とことん戦って下さいよ。
一律救済は立法措置で即可能ですから(笑)。


万が一、総理の判断が遅ければ、「誠意を見せよ」「何をぐずぐずしているのであろうか」「歯切れが悪い」とか各紙の社説に書いて応援してくれますよ(笑)。




偽善

2008年01月14日 18時59分34秒 | 社会全般
政治利用できるものは、何でも利用した方がよい。
それが政治だ(笑)。

政治には哲学が必要だ、などと御託を並べるヤツがいるが、それもウソっぱちだろうな。所詮、政治には哲学など存在しない。
あるのは、偽善とウソだ。
政治に求められるのは、いかに偽善を世の中の要求に適合させるか、ということだけだ。

◇◇◇


民主党の菅直人議員はかつて厚生大臣だったのに、「クリスマシン」の問題を取り扱っていながら、一体何をしたと言うのだ?放置していただけだ。

野党の国会議員たちにしても、医師免許を持ってる連中がゾロゾロいたであろうに、80~90年代に何をやってきたと言うのだ?

肝炎の問題を知らなかったとでも?
ふざけるんじゃないよ。
前から判りきっていたことだろうが。

彼らが何の責任を果たしてきたって?
何かに取り組んできたのか?

いい加減にしろよ。
何らの取組みも行ってこなかったのだろ。
知っていながら、放置してきたのはあんたらも同じだろ。
単に政治的に利用しただけだろ。


線引きを許さない?
金の問題じゃない?
馬鹿にするな?

(笑)

まだ判らんのか?
原告団は、自ら線引きをしたんじゃないか。
彼らは、自らの利権を守るために、切り捨てたんだよ。
それがまだ理解できないのですか?

薬害の再発防止とか、国の責任云々という大義名分を掲げても、切り捨てたことに変わりはない。本当に金額の問題なんかではないというのなら、徹底して戦うべきだったのではないのか?
あの法案を通したことで、役人の過失や責任が何か明らかにできたのか?
和解を進めることで、誰かの過失や責任所在を明らかにできたのか?
ウソなんだよ。
法案可決で得たものは、自分たちの満足と金だけだ。

主張の一貫性なんて初めからなかったんだよ。


「最大でも1000人だ」
この文言に全てが示されているだろう。

原告側は自ら、救済する1000人と、残り349万9000人とを区切ったんじゃないか。
彼らは、自らが得る数百億円の為に、残りの349万9000人を捨てたんだよ。

もし、本当に肝炎になった人たちを「一律に救おう」と考えているのなら、「肝炎で苦しんでいる人たち全部だ」と主張するに決まってるからね(笑)。
線引きをしたのは、彼ら自身なのだよ。

これが欺瞞だと言ってるんだよ。


政治利用する側の思惑と、薬害利権で金を得る人々と、利害が一致しただけに過ぎない。それを焚きつけたのは、野党議員たちもいるし、マスメディアもそうだし、自民公明の議員たちもそうだ。

原告側は自分たち最大1000人だけを救う為に、その他残りの肝炎患者たちを利用したに過ぎない。だから、「1000人だ」と役人たちに言ったんだよ。そうでなければ口が裂けても数を区切ったりはしない。自分たちだけ救ってくれれば、他の肝炎患者は全部谷底に落としていい、ということを認めたんだよ。


本当に肝炎患者を救う為なら、感染原因で線引きなんかしないはずだし、残り数百万人の為に必要なことを考えるだろう。

「命の線引きは許さない」だって?
明らかに線引きしてるだろ。
自分たちは金を貰えるが、1000人から外れた「349万9000人は貰えなくても仕方ない(当然)」という、明確な「命の線引き」を行った結果が、この法案の意味だろ。

最大で1000人だ、と主張した時点で、「1000人以外は救済から除外していい」、という明確な意思表示を行ったのだよ。これが残りの349万9000人を見捨てた瞬間だった、ということに気付かないのが不思議でならない。

こういうのを偽善だ、と言ってるのだよ。
この片棒を担いでいた連中なんかも、同じだ。


偶然だけど、ウチのブログには「critic」と入ってるが(笑)、hypocriticalな連中に賛同したいわけじゃない。




続・自衛隊のインド洋派遣に関する考察

2008年01月13日 19時34分35秒 | 法関係
続きです。


毎度で申し訳ないが、例で考えてみる。

今、目の前にブルー軍の戦車が1両ある。ガス欠になって動けない。
この場所で戦闘行為は行われていない。30km離れた隣村には、敵軍部隊がいることを知っている。
さて、この時、あなたがタンクローリーの持ち主で大量の燃料を持っているとする。
ブルー軍戦車の燃料を満タンに補給したら、隣村のレッド軍部隊と交戦できることは容易に想像できる。

戦車の搭乗員はあなたに次のように説明した。
「燃料補給という行為は交戦でもなく、あなたは加担したことにならない」
だから補給せよ、と言うのである。
詭弁だ、と思うことなく、本当に「加担したことにならない」と考えるであろうか?

自分が燃料補給を行えば、補給を受けた他の者が確実に戦闘に参加し、武力行使に該当する行為を行うであろうことが明白である時、補給と武力行使が一体的であると考えるのは当然なのではないか?ブルー軍戦車に燃料を入れるからこそ、その戦車は隣村まで行って戦闘を行うのであり、補給がなければそうした武力行使が行われることはなかったはずである。これは幇助みたいなものであり、共犯関係に近いのであり、実態として一連の「補給、進軍、戦闘」という行為に参加しているのと同じようなものである。たとえ意図が違うものであったとしても、補給を行えば戦闘に至ることは誰にでも判るのであって、武力行使と一体的でないという主張には無理があるだろう。


こんな極端な例ではどうか。

目の前にジェイソンがいる。
過去にジェイソンがチェーンソーで人を大量に殺してきたことを、あなたは知っている。
今、ジェイソンが持っているチェーンソーがガス欠となり、動かなくなりました。これにガソリンを補給するとチェーンソーは復活し、ジェイソンは人殺しを始めるかもしれません。
さて、ここでジェイソンは次のように言いました。
「ガソリンを補給しても、あなたがチェーンソーを動かすわけではない」
「ガソリンを補給する行為自体が誰かを殺すわけではない」
「だから、これは殺人には該当しないし、何の罪にもならない」
「大丈夫、違法ではないから、ガソリンを補給してくれ」

外形的にどんな屁理屈を付けようとも、実態としてはチェーンソーのガソリンを補給することは、チェーンソーで誰かが殺されるのを手伝ってるのと同じだと考えるだろう。ジェイソンがチェーンソーで殺戮を行う蓋然性が高いのに、これを「補給した行為は問題ない」とか「一体化ではないから罪はない」などと言えるのだろうか?


結局のところ、どんな詭弁を用いようとも、一体的な補給業務に該当すると考えるのが妥当であって、行為の関係の密接性は極めて高いのである。2つの例のように、戦車を駆動する、チェーンソーを駆動する、ということを可能にしてしまうのですからね。日本が直接的に武力行使を受けておらず、当事国ではないのに、わざわざ「武力行使」とみなされるような補給業務を行っているのである。


こんな議論もあるので、参考までに取り上げる。
>テロ・イラク特別委 宮崎内閣法制局第一部長答弁(平成16年3月3日)

安全確保支援活動というふうに法律で書いてあります、その支援対象であります米英軍の安全確保活動、具体的に申しますれば、国連加盟国が行うイラクの国内における安全及び安定を回復するための活動というふうに法律に書いてございますが、それには、今御指摘のように米英軍等による武力の行使、すなわち国際的な武力紛争の一環として行われるところの戦闘行為に該当する場合もありますし、また、それに該当しない純然たる治安維持活動、例えば純然たる盗賊団の掃討というようなこともあり得ると考えております。我が国の憲法上、このような米英軍等の活動に対しまして、それ自体は武力行使に当たりません医療、輸送等によって支援する場合に憲法上問題となりますのは、米英軍が今申し上げた前者に当たる行動をしている場合に限られるというふうに考えておりまして、後者に当たる行動につきましては、米英軍はさきに申し上げた意味での武力の行使を行っているわけではないので、これに対して我が国が医療、輸送等の支援をしたとしても、武力の行使との一体の問題というのは生じないとかねてから申し上げております。
====

ここで注意すべきは、
『我が国の憲法上、このような米英軍等の活動に対しまして、それ自体は武力行使に当たりません医療、輸送等によって支援する場合に憲法上問題となりますのは、米英軍が今申し上げた前者に当たる行動をしている場合に限られる』
との部分である。

大雑把にまとめると、

◎行為自体が武力行使に当たらない「医療や輸送等によって支援する場合」であっても、

→ア)武力行使(=国際的武力紛争の一環として行われる戦闘行為)に当たる行動をしている場合

→イ)純然たる盗賊団の掃討に当たる行動をしている場合
で解釈は異なる、ということである。憲法上問題となるのは、ア)の場合、ということが述べられている。

OEF-MIOの根拠は安保理1368に基づくものであり(集団的)自衛権行使による武力行使と主張しているのであれば、少なくとも多国籍海軍の行動がア)に該当すると認容しているものと考えられる。よって、行為自体が武力行使に該当しない医療や輸送等であっても憲法上問題となる、との見解が示されているものと考えられる。宮崎部長はこれを否定し、そうではなく、自衛隊が支援するのはイ)の行動についてのみである、だから違法性は問題とならない、ということを言っているのである。


しかし、イ)が事実であるとして、そうであれば、「テロとの戦い」という説明そのものがウソである。誤解を招くような語句を用いるのは、詐欺的である。たとえば、「盗賊、チンピラ、ヤクザ、マフィア、ならず者、等々」の掃討に自衛隊は支援します、と真実を言うべきであろう。「国際テロ組織が日本のタンカーを攻撃する」なんてことも真っ赤なニセモノで(爆)、「盗賊団やチンピラマフィアの一部がインド洋で日本のタンカーを狙っています」と正しく言うべきではないか?
因みに、盗賊団は数千トンクラスの大型船を持っているのかね?よく知らんけど。そんなドデカイ船を持っていたら、「超目立って」しょうがないんじゃないか?どこかに入港した途端に、直ぐに捕まりそうだけど(爆)。外洋で日本のタンカーを襲おうと企んでるくらいだから、小型船なわけないよね?タグボートとか漁船みたいに小さいということもないんだよね?数十万トンとかあるような巨大クジラ(=タンカー)に挑むからには、メダカとかサンマとかちっぽけな魚じゃ襲いかかれないもんね?まあ、産経新聞の主張を撃破したところで、こちらには何らのメリットもないから、別にいいんだけどさ。


結論的には、イラク派遣やインド洋派遣というのは、憲法違反に該当するであろう、と思われる。
憲法違反を回避するべく、非戦闘地域とかをひねり出し、要件に該当しないようにした。国民にはウソの説明を未だに続けている。そうまでしてどうしても派遣せざるを得なかった、という理由があるとすれば、その最大の理由とは「日本を米国から守る為」というだけであろう。きっと、そういうことだ。




自衛隊のインド洋派遣に関する考察

2008年01月13日 19時32分29秒 | 法関係
これまでとは視点を変えて、法的にどうなのかということについて考えてみたい。

1)日本における基本的見解

自衛隊の派遣については、過去の答弁等で見解が形成されてきた部分がかなりあるものと思われる。特に、国連中心の活動への参加はどの程度許容されるものか、という論点がある。

①稲葉誠一君提出質問主意書に対する答弁書(昭和55年10月28日)

いわゆる「国連軍」は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている。これに対し、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴わないものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないわけではないが、現行自衛隊法上は、自衛隊にそのような任務を与えていないので、これに参加することは許されないと考えている。
====

つまり、武力行使を伴うものであれば違憲であるとし、目的・任務が武力行使を伴わないなら参加可能。しかし、当時には自衛隊法上でその任務がないことから「参加は許されていない」との見解となっていた。


②衆院国連平和協力特別委 中山外務大臣答弁(平成2年10月26日)

一 いわゆる「国連軍」に対する関与のあり方としては、「参加」と「協力」とが考えられる。

二 昭和55年10月28日付政府答弁書にいう「参加」とは、当該「国連軍」の司令官の指揮下に入り、その一員として行動することを意味し、平和協力隊が当該「国連軍」に参加することは、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊が当該「国連軍」に参加する場合と同様、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。

三 これに対し、「協力」とは、「国連軍」に対する右の「参加」を含む広い意味での関与形態を表すものであり、当該「国連軍」の組織の外にあって行う「参加」に至らない各種の支援をも含むと解される。

四 右の「参加」に至らない「協力」については、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであっても、それがすべて許されないわけではなく、当該「国連軍」の武力行使と一体となるようなものは憲法上許されないが、当該「国連軍」の武力行使と一体とならないようなものは憲法上許されると解される。
====

手短にいうと、この答弁では、
・「参加」と「協力」は異なる
・「協力」はより広範な関与形態
とし、「国連軍の目的、任務が武力行使を伴う場合」であっても、「協力」であれば、
・武力行使と一体となるものは違憲
・武力行使と一体とならないものは合憲
と解するものとされた。

つまり、「参加」してはいけないが、「協力」ならいいですよ、という部分は「少しある」ということになるのである。


③衆院予算委 大森内閣法制局長官答弁(平成10年3月18日)

現在の国連憲章第42条、43条に規定されております国連軍につきましては、従前から私どもが申し上げておりますように、憲法9条の解釈、運用の積み重ねから推論いたしますと、我が国がこれに参加することには憲法上の疑義があるというふうに考えているわけでございます。憲法問題でございますから、疑義がある限りは我が国としてこれをやってはいけないわけでございますが、ただ、断定的に結論を述べておらないゆえんのところは、要するにまだ国連軍というのは、このような憲章上の正規の国連軍の話でございますが、いまだ設けられたことがなく、そのための前提となる特別協定もいかなる内容になるか不明であります。したがって、将来、その編成が現実の問題となり、兵力の提供に関する特別協定の具体的内容が確定したときに初めて確定的な意見が申し上げられるということ、これも従前から申し上げているところであります。これは、何も結論を逃げているわけじゃございませんで、具体的な特別協定がどうなるかが決まらなければ、確定的な憲法判断ができないということでございます。それを若干申し上げますと、要するに、国連軍への参加というのは、我が国の主権行為が基点になることは間違いございません。ただ、その上で、その参加をした我が国の組織が国連軍の中でどう位置づけられ、それに対する指揮の形態がどうなるのか、あるいは撤収の要件あるいは手続がどう定められるのかということが、その参加した我が国の組織の行動がなお我が国の武力の行使に当たるかどうかという評価にやはり決定的な影響を及ぼす。したがいまして、特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない、こういうことでございます。
====

長いので読みにくいですが、これも手短に書けば、
・原則として国連憲章42条、43条規定の軍に参加するのは憲法上の疑義がある
・よって参加できないと判断される
しかし、現実には存在しなかったので結論は断定できず、
・特別協定の具体的内容による
・組織中での位置付け
・指揮形態
・撤収要件や手続
等の条件が必要である、これにより日本国の武力行使に該当するかの評価をする、ということだ。


④衆院安保委 秋山内閣法制局第一部長答弁(平成10年5月14日)

国連の決議に従って我が国が武力の行使を行うという場合でありましても、我が国の行為であることには変わりがございませんので、このような行為は憲法9条において禁じられるというふうに考えているわけでございます。それから、集団的安全保障措置に関しましても、これは国際紛争を解決する手段であるということには変わりないのでございますから、このような措置のうち、武力の行使等に当たる行為につきましては、我が国としてこれを行うことが許されないというふうに考えているわけでございます。
====

これも簡潔にいえば、
・国連決議があっても武力行使に該当する行為は禁止
・集団的安全保障措置に関する武力行使も禁止
ということです。

⑤参院予算委 林内閣法制局長官答弁(昭和34年3月19日)
今安保条約の改定の交渉をやっております場合において、日本の態度は、いわゆる日本の負うべき義務は、日本の憲法の範囲内においてやるということでございますから、日本の憲法上負い得ないものをこの条約の中に盛り込むはずはないわけであります。ただいま仰せられました補給業務ということの内容は、先ほど総理が仰せられた通り実ははっきりしないのでございますが、経済的に燃料を売るとか、貸すとか、あるいは病院を提供するとかということは軍事行動とは認められませんし、そういうものは朝鮮事変の際にも日本はやっておるわけであります。こういうことは日本の憲法上禁止されないということは当然だと思います。しかし極東の平和と安全のために出動する米軍と一体をなすような行動をして補給業務をすることは、これは憲法上違法ではないかと思います。そういうところは条約上もちろんはっきりさしていくべきだと思います。
====

(平和と安全の為に出動する)米軍と一体をなすような行動をして「補給業務」をすることは、違憲とみなされる、という判断かと思われます。「米軍と一体をなすような行動」や「補給業務」という字句の範囲や定義について解釈を変えることで、違憲性から逃げることはできるのかもしれないが、外見上では「インド洋での給油活動」は補給業務としか映らず、また、米軍と一体をなすような行動にしか見えませんね。


⑥衆院予算委 大森内閣法制局長官答弁(平成9年2月13日)
他国による武力の行使と一体となす行為であるかどうか、その判断につきましては大体四つぐらいの考慮事情を述べてきているわけでございまして、委員重々御承知と思いますが、要するに、戦闘活動が行われている、または行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係、当該行動等の具体的内容、他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性、協力しようとする相手の活動の現況等の諸般の事情を総合的に勘案して、個々的に判断さるべきものである、そういう見解をとっております。
====

要件として、4点挙げられており、
・地理的関係(当該行動がなされる場所と戦闘活動の実施(予定)場所との)
・当該行動等の具体的内容
・他国の武力行使の任に当たる者との関係の密接性
・協力しようとする相手の活動の現況等
が武力行使と一体とみなされる行為であるかどうかが判断される、ということであろう。

補足としてコレ>衆院安保委 大森内閣法制局長官答弁(平成9年11月27日)

いわゆる一体化論についての直接の規定が憲法にあるわけではございません。しかしながら、憲法第9条では、御承知のように、はしょって申しますと、我が国は国際紛争を解決する手段としては、戦争、武力による威嚇または武力の行使は行ってはならないということを規定しているわけでございます。 そこで、・・・いわゆる一体化論と申しますのは、我が国に対する武力行使がない、武力攻撃がない場合におきまして、仮にみずからは直接武力の行使に当たる行動をしていないとしても、しないとしても、他のものが行う武力の行使への関与の密接性などから、我が国も武力の行使をしたという法的評価を受ける場合があり得る。そのような法的評価を受けるような形態の行為はやはり憲法九条において禁止せられるのである。したがって、どこに書かれているかというのは、憲法9条の裏といたしまして、憲法解釈の当然の事理としてそこから読み取れるのであるということでございます。
====


2)ISAFの位置づけ

こちらがよく判ります>国際治安支援部隊 - Wikipedia

(設立根拠を以下に引用)

国際治安支援部隊(ISAF)は、NATOによる活動を国連がオーソライズ(authorize:承認)したもの。設立は、2001年12月20日の安保理決議1386号により、国連憲章第7章の発動の下で行われる軍事的強制措置[3]、すなわち集団安全保障の実行措置として、憲章第43条の規定に基づいている。軍事的強制措置は、「安全保障理事会と加盟国の間の特別協定に従って提供される兵力・援助・便益」によって行われる。ISAFはこの措置に従い、2001年12月31日にアフガン暫定政府と軍事技術協定(Military Technical Agreement)[4]を結んでおり、この協定はアフガン正統政府の発足後、2003年12月9日に再び調印されている。

2007年9月19日の安保理決議1776号[5]及び延長前の1707号(2006年9月12日採択)[6] において、ISAF司令部に対し、「事務総長を通し安全保障理事会に対しその活動委任内容の履行状況について四半期ごとあるいは定期的な報告を行うことを要請する」という主旨の決定事項が決議本文に記載されているものの、いわゆる憲章6.5章に基づく正規の国連PKOではない。ISAFは、「国連安保理に派遣を承認された有志国連合軍」である。
=====

まとめますと、
・国連のオーソライズ
・安保理決議1386による
・国連憲章7章下の軍事的強制措置
・集団安全保障の実行措置として憲章43条規定に基づく
・国連PKOではなく有志国連合軍

ということである。前項③及び④からすると、43条の集団安全保障措置に基づく軍事的強制という性格を持つので、原則的には参加は違憲であると判断されうる。しかし、③の特別協定の具体的内容によって武力行使に該当するか否かの判断が行われるものであるとすれば、違憲ではない活動があるかもしれない。具体的には、復興ニーズ調査支援、麻薬対策支援、人道支援サポート等が部分的に可能であるかもしれない。ただその場合であっても、指揮系統が独立していること、武力行使と一体とならないこと、などが守られねばならないであろう。
言い換えると、例えば「多国籍軍が行っている活動のうち、人道支援サポート」に自衛隊が(参加ではなく)「協力する」という範囲でならば、武力行使と一体となるようなものでない限り、合憲ということになる可能性はあるかもしれない。


3)OEFの位置づけ

同じく>不朽の自由作戦 - Wikipedia

(法的根拠の一部引用)

不朽の自由作戦(OEF)は、国連の安保理決議によって認められた集団安全保障措置としての軍事行動ではない。OEFの法的根拠は、国連憲章第51条の規定に基づき、攻撃開始の当日である2001年10月7日に米英両国により安保理に提出された書簡にあるとされている。
(中略)
すなわち、国連憲章第51条の報告義務の規定に基づき、米国は「他の諸国とともに個別的又は集団的な固有の自衛の権利の行使として行動を開始した」[3]ことを、安保理に報告しているのである。したがって、OEFは国連では、米国及びその同盟国が個別的又は集団的自衛権の行使として行った「武力行使」であると認識(recognize)されている。
====

まとめますと、
・集団安全保障措置とは異なる(ISAFと違う)
・憲章51条規定に基づく個別的または集団的自衛権行使
・安保理決議1368に基づく

ということです(中には自衛権行使に該当しない、とする説もあるらしい)。
米国以外の参加国を含む集団的自衛権の行使であるとしても、武力行使であることには違いがなく、インド洋上での給油活動はこれに連なるOEF-MIOの一環として認識される。さらには米国の自衛権行使の要件としての、必要性、均衡性、時間性の全てについて議論の対象(=疑問が呈されているということ)となっているように見受けられ、このこと自体が日本が参加する場合に違憲という法的評価を受ける可能性はある。前項③の大森長官答弁にもあったように、「疑義がある限りはわが国としてこれをやってはいけない」という慎重な立場で見るべき問題なのである、ということは言えよう。


4)給油活動の違憲性について

OEF-MIOの一環として行われるインド洋上での給油活動は、憲法上で問題がないのかどうかを考えてみよう。これまでの政府見解等から、特に、⑤及び⑥の観点を中心に検討してみる。

まず、⑥の4要件について見る。
・地理的関係:
産経新聞社説に示された如く、日本のタンカーが航行している海域が海上テロ部隊の活動範囲と重なっている(笑)との認識が、一般国民(社説子は普通の国民であろう)に成立するほどであるので、給油活動の実施地域と海上テロ部隊の活動範囲とは「重複している」可能性はあるだろう。戦闘活動地域ではない場所でしか給油しない、としても、敵であるテロの船がどこに出現しどこで戦闘となるのか確定できないことから、給油地点が絶対に「戦闘活動地域とはならない」と断言できるような材料は存在しない。よって、給油活動を行う地域と戦闘活動の行われている地域の「地理的関係」は、近い関係にあるか重複地域である、という可能性は否定できず、「戦闘活動地域でない」とは断言できない。

・行為の具体性
軍艦への「補給業務」であると言える。液体燃料の補給である。

・関係の密接性
武力行使国である米国は、日本と唯一の同盟関係にあり、「緊密な」日米関係とか日米同盟と形容されるように、関係の密接性は明確である。他の参加国との関係では、密接かどうかは議論の余地があるかもしれないが、これまでの活動上では「緊密に連携」していたようであり(司令本部に人員配置が可能なほどの、笑)、そうした意味では密接性が高いと言えるのかもしれない。国と国との関係ではなく、行為の密接性を言うのかもしれないが、これは後述する。

・活動の現況
武力行使による対テロ作戦が行われている、と言える。日本はCTF150に補給活動を行っているが、CTF150は米海軍司令官の指揮下にあって、海上臨検とほぼ同様の行為が行われていると考えられる。
自衛隊が臨検行為を行うことが違憲か否かにはかつて議論がなされたが、原則的には9条違反に相当するとの判断から臨検行為を行うことは認められていない。即ち、自衛隊自身が行えば違憲性の認定可能性が高い行為について、当該部隊は現在の活動の中で行っていると考えられる。

これら要件に該当するかどうかは、議論の分かれる部分はあるものの(反論しようと思えばいくらでも可能だろう)、該当している可能性は高いであろう。
・集団的自衛権に基づく武力行使を米国を中心に行っている
・地理的に戦闘地域との明確な峻別はなされない
・補給業務にほかならない
・緊密な関係国である米国の指揮下にある
・臨検に該当する行為が行われている

実態としては、⑤の答弁で指摘されていた「一体となすような補給業務」が行われた、と言ってよいであろう。また、多くの指摘がある通りに、OEF自体が国連(安保理)にオーソライズされたものでないことは明らかであって、自衛権行使が「現時点において要件を満たしているかどうか」ということさえも疑問視される。

ここまでの検討結果では、「武力行使と一体的な補給業務であるとみなされるおそれが高い」、すなわち「他の者が行う武力行使の結果、日本の関与をみれば日本が同様に武力行使をしたとみなす」という法的評価は十分有り得るであろう。

◇◇◇◇◇◇


文字数オーバーにつき、次に続く…




続・本当に議論したと言えるのか~特措法のこと

2008年01月13日 13時12分44秒 | 政治って?
昨夜は眠ってしまい、できませんでした。失礼致しました。で、続きでございます。


インド洋から撤退したので、情報が入ってこなくなった、ということが理由として挙げられますが、これもとって付けたような理由でございます。殆どが嘘っぱちの「不利益」と考えてもよさそうです。

まず、日本の自衛隊は多国籍軍の指揮系統とは独立したものとなっています。本来的には連携協力することはあっても、多国籍軍の司令部とは直接的には繋がっていないのが建前ではないでしょうか。(日本からの)連絡調整用の人員をバーレーンに置けなくなったので情報が入らない、だから多大な不利益を蒙る、という論法かと思いますけれども、その情報を知ることは日本の外交・防衛上でどのような意味を持つものでありましょうか?どのような国益に繋がっていますか?答えられるなら言ってごらんなさいな。

どの艦がどの辺で行動中である、とか、どこら辺で補給をしてくれるとありがたい、とか、そういう局地的な情報は詳しく判るのかもしれませんね。でも、日本にとっては細々した戦術的情報をかき集めてみたところで、さしたる重要性はないと思われますが。例えば、米軍の~という艦は○○近辺で行動中、という話を知って、だからどうだと言うのでしょうか?まあ、○○海域ではテロ部隊の船が出現した、というような危険情報みたいなものは大事であると思いますけれども、そうした「公海上の危険情報」みたいなものは手に入れた方がよいでしょうね。通常であれば、パキスタンをはじめとする周辺関係国にいるであろう、日本の大使館員たちが情報を集めているはずであり、そういうのができていないとか、知らないということになれば、外務省や防衛省は一体何をやっているのか、って話だな。怠慢が明らかになっただけ、ってこと。

更に言えば、バーレーンの司令部って、実質的には米軍の基地なのではありませんか?(笑)行ってみたこともないし、報道なんかでもどこにあるとかは不明なんですけれども、バーレーンには米軍の第五艦隊基地があるのではないですかね?先日ブッシュがバーレーンを訪れた時、第五艦隊本部に行く予定という報道がありましたからね。MIOの司令部がどこにあるのか、というのは知りませんけれども、実質的に米軍基地にあるのであれば、ただ単に米軍からの情報を貰えなくなった、というだけの話なのではないですか?
これはただの「嫌がらせ」だろ(爆)。米軍が重要情報を「一切教えなくなった」ということなら、それは日本を軽視していることの裏返しであって、はっきり言えば「お前に教える必要はねえ」というのと一緒。現在のMIO司令官は米軍第五艦隊の中将らしいんですが、米軍経由でも「重要情報が入ってこない」というのなら、日本は今まで米軍との情報交換とか協力関係構築の為に何をやってきたのか、って話ですな。日本が大金はたいて思いやっても(笑)、大事な情報すらくれないような相手である、ということが明らかになっただけではないか。日本にとって唯一の同盟関係なのに、「1対1」関係の中でさえ大事なことを教えない、ということなら、日米同盟の重要性云々も相当怪しい、ってことだ。それとも、米軍関係筋から情報が入ってきているのであれば、現地の連絡員の有無にはあまり関係がない。バーレーンに人員を置けなくなったので情報が来ない、というのは、ニセの理由を言ってるだけ、ってことだ。

大体、本部に人員を送ることが日本にとって本当に重要なのであれば、ISAFに参加しているNATO軍にも人員を一桁だけ出している国はあるのだし、日本もそれにならって少数人員だけ派遣し後方支援に従事させるとかできるはずだろう。海上補給以外には業務がないわけでもあるまい?米軍が「口きき」するなら、司令部に人員を置くことが不可能であるはずもなく、それくらい協力してくれたとて米軍にばちが当たるわけでもあるまいに。つまり、そういうのを一切拒否されるとか、「お前は役に立たないから、どっか行け」と追い出されるというのは、日本を軽ろんじているのと当てになどされていない、ということがはっきりと判るだけだろう。これでもなお判らないというのは、相当の鈍感野郎だよね(笑)。


なので、情報が来なくなって困る、という理由には、かなり大袈裟なウソみたいな部分が含まれているのだろう、と思われるのだ。

・日本が知っても知らなくても、どっちでもいいという程度の「あまり重要ではない」情報が殆どである。
(=だから、司令部から人員を引き上げるし、米軍も細々と教えたりはしない)

・日本が知らないと国益を大きく損なうような重要情報を米軍が意図的に教えないのであれば、日米関係に信頼は築かれてこかなった、ということである。
(=米軍を頼ってもダメなのだから、日本だけが思いやる必要性はない)


で、他に何か「日本の国益」を大幅に損なうような理由は考えつきますか?(笑)
どうしても給油活動を行わねばならない理由とは、一体何でしょうか?
どうせ思いつかないなら、最初から正直に言えばいいのにね。
「みんな参加しているから、ウチだけ参加しないとは言えない、だから出すんだ」って。


もっともらしい理由を並べてウソをつくというのは、ありがちということなんですかね。しかもその意図というのが、(よく知らない)一般大衆を煙に巻き、騙そうとするのと同じなのだから、呆れるばかりである。心情的な肯定を誘う為に、高尚そうな言葉を並べたり、いかにもありそうな論を提示してみる、ということだろう。



本当に議論したと言えるのか~特措法のこと

2008年01月12日 22時23分36秒 | 政治って?
また産経新聞で恐縮ですけれども、「国益」とやらを見せてもらいたかったのに、それを明らかにすることは決してない、ということですか。まあ、取り立てていえるべき「国益」なんてものがあれば、疾っくの昔に出しているでしょうがね(笑)。


【主張】新テロ法成立 国際社会と共同歩調を 国益の実現に必要な再可決 - MSN産経ニュース

(一部引用)

≪傷ついた日本の信用≫

 政府は近く、海自派遣の実施計画を閣議決定、月内に海自補給艦などを出航させ、2月中旬にもインド洋での給油支援を再開させる方針だ。昨年11月2日にテロ対策特別措置法が失効し、海自艦が撤収してから、再開までに約3カ月要する。この間、日本の国際的信用が大きく傷つき、国益が失われたことを忘れてはなるまい。

 石破茂防衛相が「(給油活動中断で)パキスタン艦船は活動時間が4割減った。監視活動が密から疎になっている」と語ったように、海自の撤収は多国籍海軍の海上パトロールなどにダメージを与えた。喜んだのは、麻薬を積んで武器を買って戻るテロリストたちなのである。

 ペルシャ湾からインド洋にいたる多国籍海軍が守る海域は、中東に原油の9割を依存する日本にとって海上交通路(シーレーン)と重なる。

 ところが反テロ国際行動から脱落したことで、海自は海上テロなどの情報を共有できなくなってしまった。日本のタンカーは危うさの中に放置されていたといえる。多国籍海軍への給油支援は日本の死活問題でもある。

 国際社会は給油再開を歓迎しているが、それにとどまってはならない。日本は反テロ国際共同行動を担う能力と責務を担っている。日本が信頼できる国かどうかが試されてもいよう。

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まあ言いたいことは判らないでもない。が、理由をこじつけただけであって、「国益」とやらが不明瞭なことに変わりはない。唯一しくじったと見えたのは、「日本の信用」に傷がついたことくらいで、これは安倍総理の口約束が遠因であったと言えなくもない。けれど、3ヶ月のお休み期間とか部隊の交代とか、各国の部隊運用にはそれぞれ事情があるのであって、それを日本の補給艦1隻が参加できなくなったことくらいで部隊運用や作戦行動に重大な支障が出るのであれば、相当間抜けな指揮官とか部隊である、ということだ。
裏を返せば、日本の行っている活動に支えられていた作戦行動は、全体にとっての死活問題でもなければ、重要作戦でも何でもない、ということ。普通に考えてごらんなさいな。あなたが指揮官だったら、どうなのか?

本当に、海上阻止活動が作戦全体に与える影響が甚大であり、その成否が全部隊とか陸上部隊にとって極めて重要なものであるとするなら、どういった対策を講じると思うか?参加している主要な海上部隊の戦力を投入して、徹底的にやるだろう。万が一、艦艇の作戦行動に支障が出そうなら、参加国の中で補給艦を出せそうな国を遮二無二探し出してきて、日本の抜けた穴を埋める必要があるだろう。戦争時のことを考えてごらんよ。重要な輸送艦とか補給艦が敵潜水艦に沈められて欠損を生じたらどうするか?どこからか絶対に手当てして、その補給路を確保するだろう。大切な補給なのであれば、そこに穴を開けたままにできるはずがなかろう。重要度が高ければ高いほど、欠損は許されないからね。かならずそこに何らかの対策を手当てしなければならない。つまり、日本の補給艦が担っていた役割を、必ず代償しなければならないはずだ。

しかし、実態はどうなのか?日本の補給艦がいなくなって、パキスタンの艦艇のパトロール効率が落ちたのだそうだ。ということは、何らかの手当てがなされた形跡はなく、つまりは全体から見た作戦の重要度が極めて低い部類と考えられる、ということだ。対テロ作戦の効率から見ると、海上阻止活動は最重要課題ではなく、現実の成果としてもかなり低いものとなっている、と推測される。抜けた穴が甚大な影響を持つほど大きいというのに、それをむざむざと放置しておく軍事行動など、ありゃせんよ。あるとすれば、余程頭の悪い指揮官たちだけで作戦を考えている場合くらいではないか(笑)。絶対に守らねばならない防衛ラインで、味方部隊がやられて敵に突破されそうだ、という時に、そこに何らかの手当て(補充)をせず、穴を開けたまま「はい、どうぞ」と敵を突破させるような作戦なんてあると思いますかね?そんなことは現実にはないんだって。あるのは、本物のバカの時だけだって(爆)。なので、日本が給油を止めると大変なことになってしまう、とか言うのは、ウソだろうな。

「日本がアブラをタダでくれると思って当てにしてたのに、いなくなっちゃうと不便になるね」くらいには、皆思っていると思うよ。そりゃ、有り難いに決まってますよ。船で動き回っても、日本が補給してくれるから、遠くまで行ってこれるもんね。そりゃ当然だわ。けど、どこの国からも新たな補給艦が投入されていないということは、「自分が出すのはイヤ」「出したくても出せない」「出す余裕がない」「出せるような補給艦じゃない(笑、技術的なこととか)」みたいな理由があるのかもしれないが、とりあえず「無くても仕方ないよね」と我慢する程度のものでしかないのだから。結論的には、「いなくてもできる」ということであり、「いたら便利」というだけの話だろう。「飛べなくなったF-15」じゃないけど、「1機も飛んでなくても防衛できてる」、「200機あったらいいよね(より安心)」、みたいなものである。「ない」より、「あった方がいい」というのは大体何でもそうだよ(笑)。


それから、シーレーンの話を持ち出しているが、随分と萎びたネタを持ち出してきたな。書いてる人はきっと年配の人だろうと思うのだけれども、こんな話は冷戦時代に随分と持ち上がってきた話ではありませんか。それを知らないわけはありますまい。80年代前半頃に、よく「シーレーン防衛」をネタにした本とか漫画とかあったじゃないですか。答弁なんかでも出てきた話じゃないですか。

こんなのとか>100-衆-内閣委員会-2号 昭和58年10月06日

この一部をご紹介してみましょう。

○矢崎政府委員 いまの御質問の点については、二つ問題があるように思います。
 一つは、日本有事の場合にわが国が個別的自衛権を発動し得る限界は一体どこまでかということが、まず基本にあるかと思います。この点につきましては、しばしば御答弁申し上げておりますように、これは領土、領海内に限るものではなくて、公海及びその上空にも及び得るものであるということでございますから、そういった意味での自衛権の行使の限界というものは、公海及びその上空に及び得るというふうに私どもは理解をしておるわけでございます。
 ただし、第二点といたしまして、さはさりながら、日本の自衛隊の現在の防衛力整備の目標といたしましては、周辺海域にありましては数百海里、航路帯を設ける場合には千海里程度の海域というものを防衛する能力を持とうということをめどにしてやっているということがございますので、そういった意味での能力上の限界はあろうかと思いますので、そういう限界を踏まえながら対処をしていくことになろうかと思います。
 また、具体的に一体どういうケースがあり得るかということにつきましては、これはその事態に応じまして千差万別であろうと思いますので、一概には言えないかと思います。

○市川委員 質問にちゃんとお答えいただかないと議論がかみ合わないのですけれどもね。私はそういう質問をしていないと思うのです。やはり議論というのは、聞いたことにきちっと答えることによって対話が成り立つわけですから、私が伺っているのは防衛白書、いまあなたが統一見解とおっしゃられた中にある、日本の自衛隊が米艦を防衛できる条件として、いろいろな条件を挙げていますね。個別的自衛権の範囲内というのが一つ。それから日米安全保障条約に基づき米軍と共同対処行動をとっている場合、これがまたもう一つ。それからわが国の防衛のために行動している米艦、こういう概念がもう一つ。それが攻撃を受けた場合、自衛隊がわが国を防衛するため共同対処行動の一環として守ることは集団自衛権の行使ではない、こういう論理構造でこの文章はでき上がっているわけです。大別して四つの柱でこの文章はできているわけです。
 この四つの柱の中の一つに、日米安全保障条約に基づき米軍と共同対処行動をとっている場合というのがあるわけでしょう。それは、総理の言う救出に駆けつけている途上にある米艦も含まれるのかというのが私の質問なのです。したがって、含まれます、含まれませんというのがお答えなのです。簡単に答えてください。

○矢崎政府委員 ただいまの御質問の点は、そういった米艦艇が日本に救出に来ているというその行動が、これまさに先ほど申し上げましたように日米間の協議によりまして日米共同作戦を実施していくわけでございますから、そういった調整の過程を通じましてそういう共同対処行動をとるということで向かってきている艦艇でありますれば、これは当然この中に入るということでございます。

○市川委員 それはハワイを出発したときから、要するに安保条約が発動されて共同対処行動に入るということが日米で合意されて、周辺の艦艇では足らないからハワイから米軍の艦艇が急遽日本に駆けつける、いまの解釈によりますと、そういう共同対処行動ということが日米で合意さえされれば、距離に関係なく、その任務につくという目的がはっきりしている艦艇はもう全部共同対処行動中の米艦艇だというふうに判断するのだというふうにいま理解したのですが、そのとおりですか。

○矢崎政府委員 ただいまの問題は、仮にハワイから発してくるとすれば、そのときからそういうことをやるのかという御質問がと思いますが、先ほどもちょっと申し上げましたように、わが国の自衛権の行使という観点から言えば、わが国の領域内には限られない。したがって、公海及びその上空にも及び得るということでございます。しかし、それが具体的にどこまで及んでいくかということは、わが国に対する武力攻撃の態様等によりまして一概には言えないと思います。要は、わが国を防衛するため必要な限度内という限界内で考えなければいけないというのが第一点。
 第二点は、先ほども申し上げましたように、わが国周辺数百海里、航路帯を設ける場合にはおおむね千海里程度の範囲でわが国の海上交通を保護し得る能力を持つことを目標に防衛力整備をしておりますから、そういったような意味で、有事におきまして海上自衛隊がそういった海上交通保護のための行動をする地理的な範囲というものには能力的に見ておのずから限界がありますので、御質問のような事態になることは現時点ではなかなか考えられないのではないかというふうに考えております。

○市川委員 言わんとする意味はわかるのですけれども、シーレーンのことをいま聞いているわけじゃないので、いわゆる航路帯を設ける場合は千海里、周辺数百海里の能力しかないから、ハワイまでは出かけていかれませんということをおっしゃりたかったのだろうと思うのです。しかし、それはまだ半分の答えにしかなっていないと思うのですね、そういう意味では。そうすると、日本が自衛の限度内だという判断さえ主観的に下しさえすれば、それはまた延びちゃうじゃないですか。
 じゃあ、もう一度最初の質問に戻しますよ。防衛庁の言う日米共同対処行動というのは、日本の領海もしくは周辺ですでにもう対処行動に入っているという艦艇だけではなくて、その対処行動をしている日本の領海もしくは周辺地域へ救援に向かっている船も入る、まずこれははっきりしていますね。入るということですね。遠いか近いかは別として、まず入る、そうですね。


他の例でも、答弁書第一三号  内閣参質九八第一三号 (昭和五十八年五月十七日)とか。

一、二及び八について

 シーレーンという言葉は、いわゆるシーレーン防衛との関連で用いているものであり、シーレーン防衛は、有事の際国民の生存を維持し、あるいは継戦能力を保持する観点から、港湾・海峡の防備、哨戒、護衛等各種作戦の組合せによる累積効果によつて、海上交通の安全を確保することを目的とするものである。

三から七までについて

 我が国は、有事において、我が国周辺数百海里、航路帯を設ける場合にはおおむね千海里程度の海域において、自衛の範囲内で海上交通の安全を確保し得ることを目標に、防衛力の整備を進めてきている。また、我が国が憲法上認められていない集団的自衛権の行使を前提として行動することが許されないことはいうまでもない。
 我が国に対する武力攻撃がいかなる状況下で発生するかについては、一概にいえないが、日米安保体制の下で我が国を防衛する立場にある米国は、かかる我が国の基本的な考え方を十分理解した上で、我が国が我が国防衛のためになお一層努力することを期待している。
 なお、シーレーン防衛のための作戦は、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に、自衛隊と米軍が共同して実施することとなつており、このことは、「日米防衛協力のための指針」にも示されているとおりである。

九について

 周囲を海に囲まれ、また、専守防衛に徹する我が国としては、シーレーン防衛のみならず、国土の防衛を有効に実施し得る縦深性のある質の高い防衛力の保持が当然重要であると考えている。

十及び十一について

 我が国の海上交通の安全が脅かされるような事態に有効に対処するためには、シーレーン防衛能力を整備することは、もとより重要である。他方、総合的な観点から我が国の安全を確保するためには、経済、外交等を含めた広い立場からの努力が必要であり、これら各般の施策については、政府として、整合性を保ちつつ推進すべきものであることほいうまでもない。

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こんなのとか。


>参議院議員翫正敏君提出シーレーン防衛に関する質問に対する答弁書

一について

 我が国は、海上防衛力の整備を、我が国周辺数百海里、航路帯を設ける場合にはおおむね千海里程度の海域において、自衛の範囲内で海上交通の安全を確保し得ることを目標に進めている。有事における航路帯の設定は、事態の様相等に応じて行われるべき性格のものであり、その海域、幅、起点等について、あらかじめ固定的に申し上げられる性格のものではない。なお、千海里以遠の海上交通保護については、一般に米軍に期待することとしている。
(以下略)

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昔からの話じゃないですか、シーレーンなんて。
それを今更、社説なんかで『日本のタンカーは危うさの中に放置されていたといえる。多国籍海軍への給油支援は日本の死活問題でもある。』なんて指摘をされたくはないでしょうな。要するに、あれですか、何段論法みたいなこじ付けですか。

①多国籍軍が「日本のシーレーンを防衛して」くれてたのに
②給油ができないと多国籍軍が「シーレーンの防衛」ができなくなる
③その結果、タンカーはテロに攻撃され
④日本には石油が入ってこなくなり
⑤日本の死活問題となる

あんたら、どんだけ人を脅かせば気が済むんですか?これも、「日本にF-15が100機以上なければ、○○軍に対抗できず制空権を奪われてしまう」みたいな論法と一緒だな。ファントムしかなければ、敵の○○には勝てず、結果、制空権を奪われ、敵は大挙して上陸してくる、みたいなのと同じですかね(笑)。社説を書くような人間が、上記①~⑤のような論法を用いねばならない程に、特措法を肯定する論拠に乏しい、ということですかい?随分とレベルが低いね。

01年以前には、給油活動もなく多国籍軍もいなかったので、「タンカーは危うさの中に放置されていた」んですが、日本は未だに石油がこなくなって死んだりしてませんけど(笑)。具体的に、アフガンを本拠とするテログループ(アルカイーダ?タリバン?よく知らん)が海上で活動し、日本のタンカーが攻撃されて撃沈されたりした事実があるなら、それを示してもらいたいですね。産経新聞くらいの取材力があれば、きっとこれくらいは朝飯前に明らかにしてくれることでしょう。

そもそも、日本の海上防衛力というのは千海里を目処としており、それを超える活動は「一般に、米軍に期待することとしている」と、政府が答弁しているでしょうが(笑)。シーレーン防衛の為に、ペルシャ湾くんだりまで出かけていったりする予定はない、ということだわな。大体、日本のタンカーが狙われるのは、テロの攻撃ではなくて、「海賊」でしょ?そりゃ、海賊なのかテロなのか、はっきりしないグループもいるかもしれんが、少なくとも、ホルムズ海峡とかインド洋で海上テロに攻撃される心配よりも、マラッカ海峡で海賊に襲われて金品強奪とか身代金要求とかに遭う方が多いでしょうね、多分。いや、調べてないから判らんけど。でも、マラッカ海峡の方がはるかに危険だろう、ってことは、判るよ。昔から、マラッカ海峡を軍事的に封鎖されたら大変だ、ってなストーリーはよくあるし。

結局、社説子の書いている①~⑤の危険性というのは皆無ではないけれども、これまでのところ「取り立てて言うほどの被害」なんかには遭ってなくて、死活問題とまで力んで言うほどのものではないだろう。むしろマラッカ海峡で海賊に襲われてる日本船はいくつかあったと思うけど。世の中には脅かし商法みたいな連中がよくいるので、それと同じようなもんだな。「あなたの年金は本当に貰えますか?この有利な投資で運用して老後資金を用意しておきなさい」とか、「あなたの医療費は本当に払えますか、ガンになればこんなにかかります、退院後の生活費もこんなにかかります」みたいなのも、似てるな。不安に陥れようと思えば、いくらでも材料を出せるからね。

給油活動を止めて帰還した後で、多国籍軍の警備ができなくなり日本のタンカーが攻撃された事例を是非教えて欲しいね。テロはやり放題になったんでしょ?(笑)


続きは後で。



日本はどうするの?

2008年01月11日 21時31分38秒 | 防衛問題
日本の防衛力の重要な部分と思われる主力戦闘機のF-15ですけれども、今も飛ぶのは控えているのでしょうか?それとも、日本の空を守る為に、毎日飛んでいるのですか?

どうなんですかね?
F-15が運用停止をしていることで、特別な防衛上の問題というものが発生しているのでありましょうか?どこの国も攻め込んできてないみたいだけど(笑)。日本のイーグルが1機も飛んでない、という状態が続いているのなら、それでいけるんじゃないの?ってな話だわな。


米軍のイーグルはどうするんかね。

米空軍のF-15墜落事故調査委員会、事故原因は金属疲労による縦通材の破断 - Technobahn


今後、修理可能か、修理するならどれくらいかかる(費用、時間)のか、そこらへんが問題になるみたいだね。もし日本でも同様な問題を抱えた時に、どうするのか、ってことだ。新機種に入れ替えていくのを待つのか、修理に出すのか、考えどころではあるね。でも、過剰な装備はいらんわな。運用機数が少ないと日本の安全が守れない、みたいな理由というのは、当てにはならんな。1機しかないよりも、100機持っていた方がいい、というのは当たり前。100機よりも1万機持ってた方がいいに決まってるし(笑)。そういう比較であれば、多く持つことは必然的に有利だ、みたいになるだけだからね。でも、1機も飛んでなくて防衛できているのであれば、少し減ったところで支障はない、ということだな。


ところで、F-22は製造数が限定されてしまってるし、メーカーは少しでも外国で買ってもらって、米国内での生産機数の少なさを補いたいと願っているかも。外国に売ってはならん、という国内論と、売って儲けを回収したいと思ってるメーカーとでは、思惑は異なっているだろうね。ま、日本が率先して買う必要性は無さそうですけどね。そんなにステルス機が欲しいのであれば、国産にしておけばいいんじゃないか?性能が落ちても、使えるのであればそれでいいんだし。国内メーカーにも朗報で、やる気を出すかもしれんから。
F-22を100機買います、みたいに言い出しかねないのが怖いんだよ。そういうのはやめてくれ。