この前の記事関連ですが、ちょっと補足してみたい。
大竹教授のブログ経由で知りました。岩本氏は経済学の教授ということらしいです。
もはや経済は一流ではない? - 岩本康志のブログ - Yahooブログ
(以下に一部引用)
購買力平価で評価すれば,日本のGDPは「もはや」ではなく,かつて一流であったことはない。虚像を追いかけてもしかたがない。現状が実力に近いのである。
また国民の視点に立つのが福田政権の路線ならば,消費水準を見るべきである。上図は,購買力平価で評価した1人当たり現実個人消費(民間最終消費支出と政府の個別消費支出の和,OECD平均=100)を示したものであり,ピークの1996年でもOECD平均を下回っているのである。
GDPよりも消費の指数水準が低いのは,投資がGDPに占める割合が大きいため。その割に成長率が高くないのは,投資が効率的でない用途に使われている可能性が示唆される。非効率な投資の可能性は,故アルバート・安藤氏,林文夫東大教授,齊藤誠一橋大教授の研究によって,最近注目されている話題である。
=====
今の日本が90年代のデフレ期以降に低迷を続けている、ということには勿論同意できる。しかし、日本が「かつて一流であったことはない」と断言されると、訝しく思えてくるのである。いつもの悪い癖かもしれない。岩本先生は、データからグラフで示しておられるので、論点は明快であるが、これが意味するものとは何か、ということに若干の疑問があるのだ。
PPPベースで見ろ、ということは、同意。で、疑問点は、「消費水準で見るべき」というご意見。
例えば、年収500万円だけど消費は300万円で、残り200万円は預貯金、という人の場合、「貧乏」なのだろうか?
消費水準で見れば、仮に平均以下であるとしても、貯蓄額が大きい場合には「貧しい」わけではないと思うのだが。日本は国際比較の上で貯蓄率が高かったはずだと思いますが(最近は高齢化の影響で低下しているだろう)、そうであるなら「貧しい」とばかりはいえないのではなかろうか?そうではなくて、貯蓄(や投資額)が大きい、ということで消費性向は(諸外国に比し)低めである、ということも考えられるのではないか。これは貧しさを意味するものではないと考えるが、どうなのだろうか。
70年代の家計貯蓄率は20%くらいの「超”ためこみ”型」だったと思うが、消費を抑制してせっせと預貯金に回してきたのだから、これは貧しくも何ともないと思うけど。アメリカ人みたいに、限界ギリギリとか借金しても使いたきゃ、使えばいいだけだ。
前にも書いたけど、恒等式の関係上、
経常収支=(貯蓄-投資)+財政収支
となっているので、日本は輸出優位国ということで、恒常的に経常収支の大幅なプラスが記録されてきたので、外貨準備高も多く持っていますぜ、ということなのですね。で、また、適当な数字で考えるとして、経常収支=10、財政収支=0(財政均衡)とすると、
経常収支10=貯蓄-投資
ということになります。つまり投資よりも貯蓄は10上回る水準だ、ということで、投資額が少ないのが問題だ、とかいう話ではないようにも思えます。経常収支がいつもある水準でプラスであり続ける限り、「貯蓄超過となっている」(=政府財政均衡)か、民間投資が盛んで貯蓄と同水準であれば「財政収支が大幅な黒字」(=政府支出は税よりもずっと小さい)ということになります。
上記岩本先生の取り上げた「民間最終消費支出+政府個別消費支出」の数字が、本当に国民の「豊かさ」(或いは「貧しさ」)を比較するのに役立つものなのでしょうか、ということです。
所得=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出
という決まりになっていますので、民間消費が小さくても所得の大きさが小さいということを意味するものではなく、所得額という点で考えると、貯蓄=民間投資+純輸出ですので貯蓄が大きい国民性であれば、所得が諸外国と同じ水準にあっても消費性向が小さく貯蓄が多いだけ、という風に見ることができるのではないでしょうか。
もう一つの点は、高齢化率の影響をどう見るか、ということです。日本は65歳以上の人口は確か20%を超えたと思いますけれども、OECDでそのような高齢化率となっている国はどの位あるのでしょうか、ということなんですよね。いや、高齢者でも稼げるよ、ということは判りますけれども、大抵は「年金暮らし」で経済規模拡大とか所得増大に貢献することはあまり期待できないでしょう。日本はこれだけの高齢者増加を支えつつ成長してきたのだ、と考えれば、「国民1人当たりの」消費水準がトップ級ではないとしても、外国に比べて「貧しい」なんてことはないと思われます。ああ、貧しいとは主張してないですけれども、「一流だったことなどない」ということでしたね。
そもそも単一の指標だけをもって「比べる」ということにどれほどの意味や価値があるのか、疑問ですね。これはまるで「ある一つの指標」をもって、「一流企業」か「三流企業」か比べられる、という断言のようなものではないでしょうか。「時価総額」だけ見てもしょうがないかもしれないですし、PERとかROE(それともROA?)なんかで比較もできますが、だからといって、ある特定の指標順位だけでは判断が難しいのではないでしょうか。もっと総合的に考えるものと思えます。いちいち一つの数字だけ取り上げて、「ここはダメな会社だ」みたいに言ったり悲観したりしないのでは。なので、国際比較であっても、日本がOECD諸国に比べて「平均以下の国だ」というふうには考えていません(停滞してたのは誰しも同意すると思いますけど)。
例えば、アメリカの統計指標には、不法移民の人数はカウントされるのでしょうか?メキシコ人の数が実際はかなり多いとかであると、その人が不法就労していたり消費したり経済活動には参加してますが、「国民1人当たり」なんて数値はいくらでも変動するのではなかろうか、と思ったりします。実際の米国人口は、もっと多いのかもしれません。これは中国だって同じです。中国の貿易統計はかなり不正確で、これと同レベルのことが経済統計のあらゆる分野で起こっているとしても不思議ではありません。日本企業みたいに、省庁からの調査にきちんと真面目に答える、みたいなことは到底期待できず、数値はデタラメであっても驚くに値しません。確かに成長しているのは街の雰囲気や人々の生活の様子などから窺えるものの、「本当に2桁成長である」などということは誰にも確かめようがないのですからね。ダイエットしている人の体重は、赤の他人からは全く見えないのであり、本人が「私は○kgよ」「○kg痩せたわ」などと公表すれば、それしか知ることができないんですからね(笑)。それと同じだ、ということです。何かと偽装とかパクリとか騙すとか、そういうのであっても堂々と商売できる環境にある国は、経済統計自体の信憑性に欠ける、としか思われません。人口統計でさえ、正しい数というのが出せない国であるのに、経済統計なんて夢のまた夢ではないかと。そういった国々の出してきた「数字」を比較することは、あまり役立つものでもないかな、と。
とりあえず、「こういう数字、データは一応出てるよ」程度に受け止め、そんなに真剣に「あ~あ、順位がまた○個下がった~、どうしよう~、一流じゃないんだ、オレ」みたいに悲観したところで今の状況が良くなるわけでもないですし(笑)。他人の生活を気にする前に、自分の目の前の問題に取り組むべきで、それは他人とは関係ありません。「アイツの方がテストの点数いいよ、まずい~オレの成績下がったよ~」とか他人を羨んだり不満に思ってみたところで、自分の成績が上がるわけでもない、ということです。
根本的な疑問は、どうしてこうも他人と不幸を比較したがるのだろうか。
OECDの下位の国は、そんなに不幸で可哀想な国なのかな?そんなことないと思うが。
日本人の傾向として、あらゆる場面で「他人と比較する」というのをやっており、せめて「上昇」「向上心」「成功」みたいな良い方向のモチベーションにすればいいのに、何故か「あー、もうダメだ、オワター、悲惨、逃避」みたいに「堕ちてゆく」方々が多すぎなのではないでしょうか。そういう人こそ、「世界で一つだけの花」とかいう歌を思いっ切り歌えばいいんだよ(笑)。
大竹教授のブログ経由で知りました。岩本氏は経済学の教授ということらしいです。
もはや経済は一流ではない? - 岩本康志のブログ - Yahooブログ
(以下に一部引用)
購買力平価で評価すれば,日本のGDPは「もはや」ではなく,かつて一流であったことはない。虚像を追いかけてもしかたがない。現状が実力に近いのである。
また国民の視点に立つのが福田政権の路線ならば,消費水準を見るべきである。上図は,購買力平価で評価した1人当たり現実個人消費(民間最終消費支出と政府の個別消費支出の和,OECD平均=100)を示したものであり,ピークの1996年でもOECD平均を下回っているのである。
GDPよりも消費の指数水準が低いのは,投資がGDPに占める割合が大きいため。その割に成長率が高くないのは,投資が効率的でない用途に使われている可能性が示唆される。非効率な投資の可能性は,故アルバート・安藤氏,林文夫東大教授,齊藤誠一橋大教授の研究によって,最近注目されている話題である。
=====
今の日本が90年代のデフレ期以降に低迷を続けている、ということには勿論同意できる。しかし、日本が「かつて一流であったことはない」と断言されると、訝しく思えてくるのである。いつもの悪い癖かもしれない。岩本先生は、データからグラフで示しておられるので、論点は明快であるが、これが意味するものとは何か、ということに若干の疑問があるのだ。
PPPベースで見ろ、ということは、同意。で、疑問点は、「消費水準で見るべき」というご意見。
例えば、年収500万円だけど消費は300万円で、残り200万円は預貯金、という人の場合、「貧乏」なのだろうか?
消費水準で見れば、仮に平均以下であるとしても、貯蓄額が大きい場合には「貧しい」わけではないと思うのだが。日本は国際比較の上で貯蓄率が高かったはずだと思いますが(最近は高齢化の影響で低下しているだろう)、そうであるなら「貧しい」とばかりはいえないのではなかろうか?そうではなくて、貯蓄(や投資額)が大きい、ということで消費性向は(諸外国に比し)低めである、ということも考えられるのではないか。これは貧しさを意味するものではないと考えるが、どうなのだろうか。
70年代の家計貯蓄率は20%くらいの「超”ためこみ”型」だったと思うが、消費を抑制してせっせと預貯金に回してきたのだから、これは貧しくも何ともないと思うけど。アメリカ人みたいに、限界ギリギリとか借金しても使いたきゃ、使えばいいだけだ。
前にも書いたけど、恒等式の関係上、
経常収支=(貯蓄-投資)+財政収支
となっているので、日本は輸出優位国ということで、恒常的に経常収支の大幅なプラスが記録されてきたので、外貨準備高も多く持っていますぜ、ということなのですね。で、また、適当な数字で考えるとして、経常収支=10、財政収支=0(財政均衡)とすると、
経常収支10=貯蓄-投資
ということになります。つまり投資よりも貯蓄は10上回る水準だ、ということで、投資額が少ないのが問題だ、とかいう話ではないようにも思えます。経常収支がいつもある水準でプラスであり続ける限り、「貯蓄超過となっている」(=政府財政均衡)か、民間投資が盛んで貯蓄と同水準であれば「財政収支が大幅な黒字」(=政府支出は税よりもずっと小さい)ということになります。
上記岩本先生の取り上げた「民間最終消費支出+政府個別消費支出」の数字が、本当に国民の「豊かさ」(或いは「貧しさ」)を比較するのに役立つものなのでしょうか、ということです。
所得=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出
という決まりになっていますので、民間消費が小さくても所得の大きさが小さいということを意味するものではなく、所得額という点で考えると、貯蓄=民間投資+純輸出ですので貯蓄が大きい国民性であれば、所得が諸外国と同じ水準にあっても消費性向が小さく貯蓄が多いだけ、という風に見ることができるのではないでしょうか。
もう一つの点は、高齢化率の影響をどう見るか、ということです。日本は65歳以上の人口は確か20%を超えたと思いますけれども、OECDでそのような高齢化率となっている国はどの位あるのでしょうか、ということなんですよね。いや、高齢者でも稼げるよ、ということは判りますけれども、大抵は「年金暮らし」で経済規模拡大とか所得増大に貢献することはあまり期待できないでしょう。日本はこれだけの高齢者増加を支えつつ成長してきたのだ、と考えれば、「国民1人当たりの」消費水準がトップ級ではないとしても、外国に比べて「貧しい」なんてことはないと思われます。ああ、貧しいとは主張してないですけれども、「一流だったことなどない」ということでしたね。
そもそも単一の指標だけをもって「比べる」ということにどれほどの意味や価値があるのか、疑問ですね。これはまるで「ある一つの指標」をもって、「一流企業」か「三流企業」か比べられる、という断言のようなものではないでしょうか。「時価総額」だけ見てもしょうがないかもしれないですし、PERとかROE(それともROA?)なんかで比較もできますが、だからといって、ある特定の指標順位だけでは判断が難しいのではないでしょうか。もっと総合的に考えるものと思えます。いちいち一つの数字だけ取り上げて、「ここはダメな会社だ」みたいに言ったり悲観したりしないのでは。なので、国際比較であっても、日本がOECD諸国に比べて「平均以下の国だ」というふうには考えていません(停滞してたのは誰しも同意すると思いますけど)。
例えば、アメリカの統計指標には、不法移民の人数はカウントされるのでしょうか?メキシコ人の数が実際はかなり多いとかであると、その人が不法就労していたり消費したり経済活動には参加してますが、「国民1人当たり」なんて数値はいくらでも変動するのではなかろうか、と思ったりします。実際の米国人口は、もっと多いのかもしれません。これは中国だって同じです。中国の貿易統計はかなり不正確で、これと同レベルのことが経済統計のあらゆる分野で起こっているとしても不思議ではありません。日本企業みたいに、省庁からの調査にきちんと真面目に答える、みたいなことは到底期待できず、数値はデタラメであっても驚くに値しません。確かに成長しているのは街の雰囲気や人々の生活の様子などから窺えるものの、「本当に2桁成長である」などということは誰にも確かめようがないのですからね。ダイエットしている人の体重は、赤の他人からは全く見えないのであり、本人が「私は○kgよ」「○kg痩せたわ」などと公表すれば、それしか知ることができないんですからね(笑)。それと同じだ、ということです。何かと偽装とかパクリとか騙すとか、そういうのであっても堂々と商売できる環境にある国は、経済統計自体の信憑性に欠ける、としか思われません。人口統計でさえ、正しい数というのが出せない国であるのに、経済統計なんて夢のまた夢ではないかと。そういった国々の出してきた「数字」を比較することは、あまり役立つものでもないかな、と。
とりあえず、「こういう数字、データは一応出てるよ」程度に受け止め、そんなに真剣に「あ~あ、順位がまた○個下がった~、どうしよう~、一流じゃないんだ、オレ」みたいに悲観したところで今の状況が良くなるわけでもないですし(笑)。他人の生活を気にする前に、自分の目の前の問題に取り組むべきで、それは他人とは関係ありません。「アイツの方がテストの点数いいよ、まずい~オレの成績下がったよ~」とか他人を羨んだり不満に思ってみたところで、自分の成績が上がるわけでもない、ということです。
根本的な疑問は、どうしてこうも他人と不幸を比較したがるのだろうか。
OECDの下位の国は、そんなに不幸で可哀想な国なのかな?そんなことないと思うが。
日本人の傾向として、あらゆる場面で「他人と比較する」というのをやっており、せめて「上昇」「向上心」「成功」みたいな良い方向のモチベーションにすればいいのに、何故か「あー、もうダメだ、オワター、悲惨、逃避」みたいに「堕ちてゆく」方々が多すぎなのではないでしょうか。そういう人こそ、「世界で一つだけの花」とかいう歌を思いっ切り歌えばいいんだよ(笑)。