生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

悔いのない人生

2013年01月19日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
今、生きている70億の現代人が全て悔いのない人生を歩めるだろうか?その内の何パーセントが臨終のときに感謝しつつ息を引き取るだろうか?この答えは誰も知らない。しかし知らないといって放置出来るテーマではないような気がします。不可知論だとは理解出来るのですが、身近な友達の悩みを見れば放置できません。何とかしたいと思うのが人情でしょう。これに対する私の答えは「信じて見えてくるもの」以外には無いと確信しています。魂が無いと信じている友人は自分の死とともに世界が消滅する喜びを語ります。しかし死んだ時、もし魂があり、愛である神様に遭遇した時のショックは本当に気の毒です。愛である神様は優しく迎えてくれるでしょうが、私は生きている内から愛である神様を信じて死にたいと思います。信じて死んで、それで何もないならば、それはそれでいいのです。生きている間、死んでも魂があり、愛である神様に出会える喜びを何十年も感じて生きたのですから、それはそれでいいなああ、と思うこのごろです。悔いのない人生を思索する場合、自分が所持する魂を避けると、この「悔いのない人生」という永遠のテーマは、どんな悟りを得ても空しくなる危険がありますので自分の死を正面から見据えた思索をしていただきたいと思います。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:15>

備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする