生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

倦怠感の発生源、その3:魂から

2013年01月25日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
倦怠感の中でも誰でもが所持している魂がそのご主人様の幸せの為にあえてうづかせる場合があります。どういう場合かといいますと、何の為にいきているのか、生き甲斐は何か、死んだらどうなるのかの問題意識を持たせ臨終の時に、あーあ、若い頃から自分の死について、もうすこし真面目に考え居れば、こんなにばたばたしなくてもいいのになあ、と思わせないためです。この永遠の生命に関する領域での哲学問題はなかなか難しいのですが、避けて通るほどにいつまでも倦怠感、生き甲斐喪失問題では長く尾を曳きます。解決は簡単です。魂は愛そのもの、永遠不変なもの、病むこともなく老いることもない、臨終とともに身体から離脱する知的生命体である、という哲学もあるのだ、と思えばそれで十分です。信じると見えてくる世界があります。どんなに学問を積んでも見えない世界があります。信じると見えてきます。信じると見えてくる信仰の世界というものがこの地球にはあるのです。信じると見えてくるもの、信じると見えなくなるもの、恋は盲目、信仰の内容いかんで、恐ろしい問題が起きる場合もありますが、その信じる内容や対象を研究する、これが比較宗教学の面白い所です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:21>

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