太極拳の仲間が同時に、いつのまにか金剛流の謡曲を練習するようになりました。太極拳仲間で筑波山へバス旅行した時に、その中にお能の先生がおられ、それがご縁で太極拳の仲間が謡曲にも手を出した次第です。昨日は「橋弁慶」でしたが、その練習時間よりもその後のお茶の時間のほが長いのでなかなか私は上達しません。しかし楽しくてたまりません。お茶の時間の会話の一部は、某所でのテロリストの話になり切ない会話となりました。フランス革命、ロシア革命、その他の事件、何故、このような人質を殺戮するような事件が起きるのだろう、という切ない会話でした。結論は自分達の身近で、それなりに平和構築に努力しよう、という当たり前の結論ですが、遠く離れたアフリカの事件ですが、普通の私達市民に出来る事は、平和解決の為の「祈り」しかないようです。平和の為に祈る、という行為は何か価値がないように言う人もいますが、祈らないり祈るほうが、祈る人自身に恩寵がくだるようです。何も出来ない立場の私が祈ると底知れない力と知恵が湧き出すのです。このようなアフリカでの事件では、何も出来ずに祈るだけですが、今後とも、世界の哀しいニュースに触れた時、祈りをささげたいなあと思いました。
:<比較宗教学の視点からの心の旅:17>
備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。
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