人生の秘密を上手に保持し、身体症状が出ないようにセルフコントロールを上手にしながら明るく元気に爽やかに生きている人々も沢山います。両親が誰だか分からない、父親があの人か、この人か、そんな環境の中でも、実に健康に生き抜いている人もいます。過去に固執する人、しない人、この違いは全て考え方と体験の解釈いかんで決まります。秘密保持の中には、あれは本当に自分が悪かった、と思う事柄の場合は、愛である全知全能の神様の前で謙遜に頭をたれて、許しを乞う必要がります。今流行の霊感商法ではだめ。愛そのものである神様は全て無償の愛です。無償の愛、祈祷料を求めるような祈り方ではなく、一人お部屋に正座して静かに許しを乞う祈りで十分です。病的な償いをしようと人生を棒に振る人もいますが、愚かなことです。本物の神様は無償の愛を喜んで提供する存在です。
心を病みやすい人は、自分の感情の流れを言語化出来ない傾向があります。健全な人は倫理道徳に関係なく、感情の流れを堂々と意識化できますし、いちいち何故、自分がそんなことを感じるのか、など気にしません。感情は激流のようにどんどん変化しながら流れる性質である事を知っているからです。現実吟味力が健全なので、口にするか、しないか、行動に移すか、移さないかをきちんと判断出来る自信があるからです。さて、堂々と生き抜く為に、この自分の感情の流れを倫理道徳で裁く事なく、一度、意識化して下さい。感情の流れは一見、見てはならないものを見る恐れはありますが、実は神様からの賜物である事に気づきます。感情の流れを大切に取り扱いましょう。
珍しく興奮して4回も読み返している本があります。ニコラス・ウエイドと言う優れたサイエンスリポーターが書いた本<5万年前:このとき人類の壮大な旅が始まった>です。アフリカで誕生した現生人類が地球に拡散していったDNAミトコンドリアを中心とした素晴らしい本です。アフリカを出て未知な世界に飛び出して拡散(生き延びた)した理由は3つありました。言語の誕生(自己の伝達)、原始宗教の誕生(偉大なものへの祈り)、GIVE AND TAKEの精神(共存の思想)の3つでした。さて、この3つは、現代でも通用しますが、明るく元気に生き延びていける知恵のうち、一番忘れられている大切な心、ああ、神様、何とかして下さい、という謙遜な祈りの心かもしれません.
人の心が健康な方向へ流れているのか、不健康な方向へ流れているのかを診断する重要な指標の一つが今回の<感情の流れ>です。感情の一つ一つが正直に意識されるかどうか、も指標の一つですが、全体の流れが健全かどうか、は病院での重要な識別方法です。一日の感情の流れを意識できない場合に人は病んでいきます。ですから、どんなに多忙な生活をしていても、朝から寝るまで、5分でいいですから、どんな感情生活をしていたんだろう、と明るい気持ちで洞察する習慣をつけていくと、どんな面白い小説より、自分の感情の流れ観察のほうが面白い事に気づきます。一つの固定化した流れではなく、信じられない程の多方面、各種の豊かな流れの生活のほうが健全なのです。
健康で元気一杯、仕事に励み、趣味を楽しみ、暖かい交友に支えられて人生を送るのは人の理想ですが、なかなかそうもいきません。順調に公私共に日々が流れていると、人はついつい増長し、気がつくと病気、挫折、家の資金の返済などの金欠病に苦しみます。時、既に遅し。このパターンが大半のようです。受験の子供、就職の青年、生き甲斐探索の大人、このいづれの原因も多忙な時に、心の流れを点検しない自分の責任です。一日の心の流れを静かに5分、眺める余裕があれば、予防医学、危機管理、人生設計図の欠落発見に成功します、特に心の流れで一番重要な人への愛情、自分への愛情が全ての計画の前提になつていないと、全てが暗く冷たい方向へ流れていきます。愛は全てという真理を意識したいものです。
<体験の解釈>により、どんなに厳しい環境でも<幸福感>を持つ事が出来る、という理論は世界的に有名です。<幸福の条件>と<幸福感>は違います。さて、この<体験の解釈>をどうするかは、人の自由です。明るく元気に逞しく生き抜く人と、あくまでも暗く、卑屈に、こそこそと生き抜くのも自由なのです。過去の経験、将来の不安、誰もが持つこの同じ条件下で、或る人は<幸福感>を作り上げるコツを悟り、悔いのない人生を歩んでいます。生きていて良かった、幸せだなあ、との解釈は今、すぐにでも出来る範囲の問題です。体験の解釈をどうするかは、その人の責任です。森羅万象を美しく善意に明るく希望の持てる方向へと解釈して生き抜いていきましょう。
身体に仕組みがあるように、心にも仕組みがあります。厳しい人生は、そう願いとおりにはいきませんが、朝、目が覚めて、夜、寝るまで、現実はそう変わらないけれども、せめて幸福感だけは持ちたいものです。その為には、心の仕組みを利用する知恵が必要で、その一例として、感情の世界を整理することが大切です。最初に手がける事が自分の心が、今、明るい領域か、暗い領域か、そのどちらをさ迷っているかを識別すること。暗い領域とは不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の世界のこと、明るい領域とは平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感です。さあ、今、私はどの領域にいるでしょう?幸福感を意識する前に今、感じている感情を識別することが前提となります。全ての感情には意味があります。
自分の見たくない感情を抑圧するのは、人間の自由意志でもありますが大脳が事前に察知して隠してしまう作用が働いています。それゆえに人は中々、自分の本音が分からないのです。140億の脳細胞には人類発生以来の生き抜く知恵をDNAレベルのノウハウとして蓄積されています。自然治癒力がその代表例です。身体の病気も免疫力が働くように、見たくない嫌な感情が湧いてきたら抑圧しないで、この感情発生理由が何かを悟る必要があります。感情を抑圧するのは自然の摂理に反しますので、どんな感情が湧いてきてもその意味を思索した上で、どう処理するかを考えないと心の病になります。:全ての感情には意味がありますので、湧き出した感情に驚かずに、何故、今、このような感情が湧き出したのか、その意味を楽しむ習慣をつけると、日々が楽しく、いきいきとしてきます。
B子さんは子供の頃から、いつも親孝行で模範的な成績の<良い子>で育ちました。お見合い結婚をして子供を産み、忙しい子育てで少々参りましたが、最近、どれが本物の自分なのか、どの感情が正直な感情なのか、不思議に思い、悩んでいるようです。生き甲斐の心理学を学べば学ぶほど、抑圧気味だった感情が、どんどん表出してくるようになりました。いままで他人の感情のように思えた感情が自分のものだと意識し知覚しだしたせいです。同時に湧き出してくるAとBという相反する二種類の感情も、自分が異常だから湧き出すのではなく、生身の人間として当たり前と悟るようになりましたら、嫌な自分を見ても驚かなくなり、心は以前より冷静になりました。<個性の美>と<異常性>の違いをしっかりと意識化する修行、勉強をしておかないと、自分をダメにしていきます。
一度しかない人生、一度、試験的に、のびのびと生きてみましょう。その結果はどうなるか?のびのびという意味は人により非常に違うので、説明は意味がありません。本人がのびのびしようと決意すれば出来ることなのに、ほとんどの人は何故か萎縮しています。赤ちゃんが素直にばたばたして喜びをあらわすように生きてみるのです。世間がなんと言おうが一度のびのびとしてみるには相当の勇気が必要です。のびのびとして感じる大人の平安感を体験すると、その平安感が生きる希望につながれば健全ですが、のびのびとして逆に不安感を感じる場合は、自分のアイデンテイテイの統合度を再点検する必要があります。学歴、社会的な立場、色々の劣等感、そのような原因が背景にあると、人間に与えられている<本当の自由意志>を謳歌していない異常な自分が居ることがわかります。人間の心は誰にも支配されない自由な世界です。この自由な世界を中心に、のびのびして生きていきたいものです。
本来は<個性の美>と讃えるべき自分の性格をなぜか<異常>と勘違いしている人が沢山居ます。残念なことです。例えば正直に表裏無く語る人を異常と勘違いしている人が居ます。心の奥底で<好き>と感じている原初感情は人類の生き残る知恵なのですが、言葉では<嫌い>と言ってしまう人は、愛する人を生涯手に入れることは不可能ですし、<怖い>と感じているのに<怖くない>と意識したり見栄をはったりする人も必ず抹殺されるか、自然消滅していきます。好き、嫌い、怖い、怖くない、と正直に言う人を異常、大人になりきれていない、子供みたい、と批判する人はいつか人生から置いていかれ、悔いだらけの人生を歩みます。自分に正直に生き抜きたいものです。