ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

1995年に観た映画たち、こんなにスゴかったのか?! ビックリ☆吃驚☆

2024-11-22 11:49:17 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
 最近わが家のうれしい掘り出し物を偶々見つけました。いや、どの部屋も全体的に散らかっているので掘り出さずとも足元に本とか紙切れとか紙屑とかが見えるのですが、それらに混じって1996年1月15日の日付がある私ヌルボ作製の個人紙があるではないですか! 約29年ぶり!! B4版わら半紙(←死語??)を2つ折にして4ページにしたささやかなものです。
 それでも文字は手書きではなく、ちゃんと活字になってます。
 さて、ここで質問! 1990年代にはスマホはもちろんなく、PCはあったにしても高価で大きくて使い勝手がよくなかった。当時(今もだが・・・)決して金銭的に潤っていたワケでもない私ヌルボがなぜ活字を打ち込むことができたか、現代の若い人たちは分かるかな? えっ、そんなに若くない方でもご存知ない?
 正解は「ワープロを使っていた」です。ワいうのはねー・・・

 本筋と実は全然関係のないネタはこここまでにして、個人紙の7本ほどの記事の中で今とくに目を瞠って読んだ映画関係に絞って紹介します。

 見出しは「やっぱり昔の映画がおもしろい」
 1995年に(もちろん)映画館で観た92本の作品にヌルボなりの順位付けをしてみたというものです。以下、当時の記事をそのまま書き連ねていきます。

①小津安二郎監督 「生まれてはみたけれど」・・・・・笑えるし、じんとくるし、他の小津作品よりずっと好き。活弁+生伴奏で観られたのもよかった。
②野村芳太郎監督「事件」・・・・・うーむ、たいした映画だ。大竹しのぶはこの年の女優助演賞を総なめにしたが、実はこれは主演かもしれない。音楽(※作曲:芥川也寸志)もいい。私のような善人でも懺悔したい気持ちになる。CDを買ってしまった。「砂の器」との2本立てで銀座の松竹セントラルは百人以上の列ができた。むべなるかな。(※閉館を迎えた映画館のお別れ興行)
③岩井俊二監督「Love Letter」・・・・・日本の新作はこれだけだが泣ける! 映像も美しい。女の子が自転車のペダルを手で回して灯を照らすのは名場面。(※韓国でもすこぶる好評で「オゲンキデスカー!」が流行語となり、小樽への観光客が増えた。)
④鈴木清順監督「春婦伝」有名な谷口千吉監督「暁の脱走」と同じ田村泰次郎の原作だが、こちらが上だと思う。戦争映画は美しく(哀しく、も含む)描いてはいけない。評価の高い戦後の名作も概してその傾向がある。
⑤黒澤明監督「白痴」・・・・・ドストエフスキーの原作だが舞台を札幌に移し翻案。黒澤作品はあまり好きではないが、原節子と久我美子の共演が見応えあり。
⑥斎藤寅次郎監督「子宝騒動」・・・・・戦前の日本にもこんなドタバタ喜劇があったのか! すごく笑える。思想性だの芸術性だのとはゼーンゼン関係ないのがよい。
⑦岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」・・・・・終戦前後のドタバタの歴史が(脚色部分はあるが)わかり、ベンキョーなる。ドラマチックでおもしろい。
⑧ポランスキー監督「死と乙女」・・・・・登場人物3人。観客は6人。それで映画も緊迫感漂う名作だからぜいたくなもんだ。アマデウスSQの演奏も素敵。(過去、客が私1人という時があった。2人もあったので、これは第3位の記録。)
⑨ダラボン監督「ショーシャンクの空に」・・・・・おもしろくても何も残らないアメリカ映画が多い中、これは爽快感が持続した。(※この作品については、私ヌルボ、いい思い出があります。→ ぜひ「ヌルボ 韓国 1990年代」で検索してみて下さいマセ!)
⑩アン・リー監督「恋人たちの食卓」・・・・・好感が持てる台湾映画。美人3姉妹の話だからよい、というわけでもない、こともないのだが、まあ・・・・・。(※アン・リー監督、アメリカに進出して数々の名作を取り、映画賞を多数受賞したのはこの後、だっけ?)
◯その他、観てよかった映画
 木下恵介監督「陸軍」・デビッド・リーン監督「アラビアのロレンス」・山本薩夫監督「真空地帯」・工藤栄一監督「十三人の刺客」・山本薩夫監督「戦争と人間」・奈良橋陽子監督「ウインズ・オブ・ゴッド」・鈴木清順監督「陽炎座」・前田洋一監督「神様がくれた赤ん坊」・葉纓(イェイン)監督「レッドチェリー」・今村昌平監督「日本昆虫記」

 いやあ、それしてもよくこれだけの名作・傑作が1年間にそろったものだ! (この前後の年はどうだったんだろう?)
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2024年上半期に観た注目の映画8作品

2024-07-23 14:59:54 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
 昨年上半期には50本の映画を観ました。今年は44本と減りました。1~3月やむを得ない事情で17本と激減。6月に12本と集中的に観ましたが、2019年から続いていた年間100本以上は今年はちょっと難しいかも・・・。
 しかし、それなりに数はそろっているし、外国映画・日本映画とも作為することなくバランスよく4作品ずつになったのでスイスイ書ける感じ。
 なお作品は観た順にならべました。

《外国映画》

ファースト・カウ(米)
  インディペンデント映画作家として評価の高い女性監督ケリー・ライカートの名が一挙に知られたのは、ようやく2021年彼女の4作品がまとめてされてから。本作の舞台はオレゴン州で、冒頭は現代。川を船が行き、川べりで犬が何やら地面を掘り返してる・・・。と、いきなり1820年代、つまり西部開拓時代まで一気にさかのぼります。
 ビーバーを捕獲すると高く売れるとのことで狩猟グループに雇われた料理人のクッキーは、ロシア人に追われているという中国人移民のキング・ルーを助けたことが機縁となってやがてオレゴンの未開の地に移った時ルーと再会します。そんな時この地に初めて牛が舟に乗せられやって来ます。クッキーとリーはその牛のミルクからドーナツを作って市場で売り始めるとたちまち大人気に・・・。ってその牛は彼ら2人の所有物じゃないですよね? つまりこっそり悪事を働いているということ。そして悪事はいつか露見するもの・・・。
 本作の稀有なところは、物語の最後になってすべてが分かるのですが、その分かり方というのが映画1シーンもしくは数シーンを見て分かるというのではなく、観客自身の頭の中で映されていないシーンを補って過去~現代のすべての物語を想起するという構成になっていること。(いやあ、まいったまいった・・・)

コット、はじまりの夏(アイルランド)
 たまたま映画館で居合わせた知り合いは英・独・仏・西等の欧州の言語に通じているのですが、開映後間もなく「どこの言葉だ?」。私ヌルボも当然分からず。
 1981年アイルランドの田舎町。コットは9歳の少女。大家族の中でひとり静かに暮らすというより、父親が問題ありありの放蕩者でおよそ子供に愛を注ぐような親ではないのです。たまたま近く赤ちゃんが生まれるということでコットは夏休みを遠い親戚夫婦の家で過ごすことに。夫婦はコットを優しく迎え入れ、主に仔牛の世話等の仕事を手伝ったりして日々を送ります。2人の温かな愛情をたっぷりと受け、コットは今まで経験したことのなかった生きる喜びに包まれ、いつしか本当の家族のようにかけがえのない時間を3人で重ねていきます・・・という粗筋は事前に仕入れていたのですが、意外に思ったのはコットちゃんの表情が親戚夫婦に対しても変わらず笑顔を見せることもなく打ち解けておしゃべりをすることもないのです。ただ後になって考えてみれば、自分のやるべきことをやる充実感や親戚夫婦が寄せる信頼感のようなものが表情には現れなくても内に育まれていったのでしょうね。やがて赤ちゃんが生まれてコットちゃんは親戚のおじさんの車で帰ることに・・・。久し振りにわが家に戻って、私ヌルボ、「えっ? これでおわっちゃうの!?」と思った瞬間、大感動のラストが! うーむ、ここまで引っ張るとは、してやられましたがな。

パスト ライブス/再会(米・韓)
 ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりは互いに恋心を抱いていたのに、ノラの海外移住により離れ離れになってしまいます。12年後24歳の時、2人はニューヨークとソウルに居ながらも、オンラインで相手のことをたまたま探し、PC上で再会を果たしますが、直接会うことはできません。そして12年後の36歳。ノラは作家のアーサーと結婚していました。ヘソンはそのことを知りながらも、縁のひもをつかもうと勇気を出してノラに会うためにニューヨークを訪れます。24年ぶの再会ノラは歓迎しヘソンと2人観光船で周遊します。2人が家に戻ると玄関先の階段にアーサーが座って待っています・・・。
 この3人の間で大声で呶鳴り合う場面は全然ありません。しかしそれそれぞれに他の2人に対する言葉にならないさまざまな思いの深さが感じられる「おとなの映画」でした。あ、ヘソンはそのまま韓国に帰って行きます。(ネタバレ、ごめん。)
 ※<イニョン>という言葉が何度も出てきます。本作のキーワードと言っていいでしょう。漢字だと<因縁>。日本だともっぱら良からぬ意味で用いられますが、前世からの運命(さだめ)といった意味でしょうか? 字幕では<縁>と訳しています(←妥当)。愛し合った者同士が結ばれるか否かもそんな<縁>によるものだと・・・。(なーるほどねー。

システム・クラッシャー(独)
 9歳の女の子ベニーは最初からちょっとしたきっかけで嵐のごとく猛烈に荒れまくります。大きな物を投げつけてガラスを割ったり・・・。元はと言えば幼い頃父親から受けた暴力がトラウマになっていて、ママのもとには帰りたくても、実際帰ると決まって父親との修羅場になってしまいます。そんなわけで母親はベニーを施設に委ねます。グループホーム、特別支援学校等々。しかしどこも面倒見切れず追い出されてしまいます。解決策もなくなったところに男性トレーナーのミヒャはベニーを森の中の山小屋に連れて行って3週間の隔離療法を受けさせるます。そしてやっとまともに意思疎通が可能になり良い方向に向かうのかな?と思いきや、帰路ミヒャの家に寄ると「わたしを家族にして!」と今度は無理な要求。ベニーは夜の雪の原を彷徨います・・・。
 やがて母親が父親と別れたということでやっとメデタシになるのかなと思ったら母親は働いて稼がなければ・・・と肩すかし。なんだ、こんな手のつけようのない女の子も実は周りの大人たちが作り上げたということか・・・。
 ※「システム・クラッシャー」とは、ベニーのようにあまりに乱暴で行く先々で問題を起こすを転々とする制御不能で攻撃的な子供のことを指す隠語とのこと。(直訳すればシステム破砕機?) 本作が長編デビュー作となるノラ・フィングシャイト監督はホームレスを描いたドキュメンタリーの撮影中に「システム・クラッシャー」と呼ばれる子供がいることを知り映画化を決めたとか。 
 ※本作は2019年のベルリン国際映画祭でプレミア上映され、ベニーを演じたヘレナ・ゼンゲルは翌20年ドイツ映画賞主演女優賞を史上最年少で受賞しました。
 また本作は第69回べルリン国際映画祭銀熊賞とモルゲンポスト紙審査員賞の2冠を受賞。ドイツ映画賞では作品賞、監督賞、脚本賞、俳優賞、女優賞を含む8部門を獲得しました。

《日本映画》

ゴールデンカムイ
  野田サトルによる原作漫画は「週刊ヤングジャンプ」はもちろん、全31巻に及ぶコミックも見ていません。ま、その分予備知識ナシで観れたということ。
 明治末期。日露戦争から帰還した“不死身の杉元”は北海道で砂金掘りをしている中でヒグマに襲われますがアイヌの娘アシリパに命を救われ、それが機縁となってアイヌの集落で暮らす人々とも親しくなり・・・。
 いろんなネタ満載で楽しめます。鍋物に「これを入れるといい」と味噌を取り出すとアシリパは「これはうんこではないか?!」と驚いたり・・・。
 それにしても、細部にまでよく調べぬかれているものです。そこは原作から監修を担当しているアイヌ語・アイヌ文化の研究者・中川裕千葉大学名誉教授の役割が大きいと思われます。
 ※中川名誉教授の著作として集英社新書から「アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」」等2作が刊行されています。
 ※続編があるものと期待していたらドラマシリーズ版を放映だって?!

戦雲 -いくさふむ-
  「標的の村」「標的の島」「沖縄スパイ戦史」等、沖縄の歴史・社会問題をテーマに優れたドキュメンタリーを制作してきた三上智恵監督の新作。今回も基地関係。と言っても舞台は沖縄本島ではなく、先島諸島の与那国島・宮古島・石垣島の3島。そこで自衛隊によりミサイル基地、弾薬庫の建設が進められているのです。例の<台湾有事>に備えて防衛力の強化(??)が狙いなのでしょうか? 太平洋戦争末期巻き添えとなって亡くなった沖縄の一般住民は10〜15万人で、県民の4人に1人に上りました。今このように自衛隊&政府がほとんどの国民が知らない間に(たぶん意図的に知らせずに)コトを進めているんでしょうね。私ヌルボも知りませんでした。
 地元の人たちは当然反対の意思表示をするのですが、集団でこぶしを突き上げシュプレヒコールを叫んだりはせず、仕事着の女性が直接自分の言葉で個々の自衛隊員に語りかけるのです。はたして制服を着て個人としての感情や思考が抑えられがちな自衛隊員はどう思ったでしょうか?
 こんな3島の軍事要塞化の現状の他に、島々の人々の暮らしや祭り等のようすも描かれています。
 ※<いくさふむ>とは<戦雲>の琉球方言(←大雑把)。

正義の行方
 1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された飯塚事件。DNA型鑑定などによって犯人とされた久間三千年(くま・みちとし)は2006年に最高裁で上告が棄却され死刑が確定。08年10月福岡拘置所で刑が執行されました。
 しかし翌09年には冤罪を訴える再審請求が提起され、事件の余波はいまなお続いています。
 本作は、弁護士、警察官、新聞記者という立場を異にする当事者たちが−時には激しく対立しつつも、事件の全体像を多面的に検証し、この国の司法の姿を浮き彫りにしていきます。
 そして、そんな疑問の多い飯塚事件を再検証し、再審を求める取り組みを進めます・・・
 それにしても、疑問が多い事件であるにもかかわらず2006年最高裁での上告棄却・死刑確定からわずか2年で刑が執行されるとは、どういうわけなの?? 冤罪は言うまでもなく大きな問題ですが、死刑も言うまでもなくあってはならない刑罰であることを皆さんに認識してほしいものです。
 ※Wikipediaの飯塚事件の項目には、「死刑執行の際、久間は手順に従って氏名を確認しようとする刑務官に対し「そんなこと、おまえが分かっとるだろ」と怒りを露わにし、遺書のために用意された紙とペンも受け取らず、最期まで「私はやってない」と怒鳴っていたという」とあります。
 ※足利事件(栃木.1990)は飯塚事件と共通点が多い女児殺害事件で、同じDNA型鑑定が証拠として用いられ、容疑者として検挙されたKは91年地裁で無期判決となりその後最高裁でも上告が棄却されて刑が確定したが、その後2008年12月東京高裁はDNA型鑑定に疑問が提起され再鑑定されることになり結局は無罪となった。しかし、そのわずか2ヵ月前の同年10月に久間三千年が処刑されたのである。
 ※2008年1月日本テレビがニュース特集で足利事件のキャンペーン報道を開始し、自供の矛盾点やDNA鑑定の問題点等を指摘、DNA再鑑定の必要性を訴えた。その影響力は大きかったようだ。
 ※無実と推定される人物が死刑となった事例として菊池事件[藤本事件](熊本.1951)がある。
 ※冤罪も大いに問題だが、死刑自体が大きな問題であることを私ヌルボは強く訴えます!

あんのこと
  <親ガチャ>というわりと最近の言葉があります。母(&祖母)とひどく散らかった部屋で暮らす杏(あん)もまさにその言葉通り。しかしどんな毒親でも子供は言うことを聞くものなのか? 21歳の主人公・杏は幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられ、そしてある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は多々羅という変わった刑事と出会い、物語が動き始めるわけですが・・・。
 本作は事実に基づいているとのことで、その記事が載っている2020年6月の朝日新聞社会面を縮刷版で探したらすぐ見つかりました。社会面というと目につくのは事件・事故の記事で、その記事もその一つでした。当時は新型コロナで緊急事態宣言が発令されて間もない頃で、それも杏の運命を左右してしまいます・・・。
 (以下は宣伝文そのまま)本作は杏という女性を通し、この社会の歪みを容赦なく突きつける。同時に、単なる社会派ドラマの枠を超えて、生きようとする彼女の意志、その目がたしかに見た美しい瞬間も描き出す。そして静かに、観客に訴えかける。杏はたしかに、あなたの傍にいたのだと。
 ただ、こういう作品をいちばん観てほしい毒親と杏のような娘がはたして観てくれるかと考えると悲観的にならざるをえないんだよねー。
 ※なんと言っても、本作で目を瞠ったのは主演の河合優実 今さら私ヌルボが声を大にして叫んでも二番煎じどころか百万番煎じくらいになりそうですが・・・。
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​他者と接して初めて自分が見えてくる(中)

2024-06-14 15:58:01 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
他者と接して初めて自分が見えてくる(中)

来日した外国人がビックリすること

 おはようございまーす。みんないるかな?
 さてと皆さん、ちゃんと朝ご飯食べてきましたか? あれ、君は? あ、ご飯じゃなくてパンですか。
 いやあ、思い出すなあ・・・、60年ばかり前の小学生時代ですよ。先生が授業の最初にクラスのみんなに朝ご飯をお茶碗何杯食べてきましたか?と聞いたんですよ。「1杯!」とか「2杯!」とか口々に答える中で、先生は一人黙っていたぼくに「あれ、あんたは?」と聞いたんです。で、ぼくが答えたのが「うちはパンだから・・・」だったわけ。今日と違うのはその時の他の生徒たちの反応でね、「オーッ!」という声が上がって、・・・って意味わかりますか? つまり、その当時はパンにバターに紅茶にといった朝食は高級なイメージがあったんですね、たぶん。名古屋から地方の小都市に引っ越してまもない頃で、他の男子がほとんど坊主頭の中でごく少数派の坊ちゃん刈りあだ名が「外国人」だったしねー。いや、名古屋ではべつに目立ってなかったですよ。
 食べ物関係の思い出はいろいろあるけど、あと2つだけ話すね。1つ目は中学か高校の頃、2歳上の兄貴が「おい知ってるか?」と真顔で聞くんです。何かと思ったら、「カレーライスは混ぜないで食べるのがふつうらしいぞ」。わが家では父が混ぜて食べてたんで、ずっとそれがふつうだと思ってたんですね。
 同じような例が大学に入ってからもありました。クラスの最初の親睦会がすき焼きパーティーだったんだけど、お膳の上の生卵を見てぼくは「何だ、これは?」と首を傾げました。というのもわが家にはすき焼きの具に生卵をつけて食べるという習慣がなかったのです。同じようなこと、君たちにもあるんじゃないの?
 といったところで、察しのいい人は気がついてるかもしれませんが、もう授業に入りかけてます。

 前回はアイデンティティという言葉について説明しました。その例として、高校に進学して最初はいろいろ戸惑ったりもしたのが大体はしばらく経つうちに新しい環境になじんでくるという話をしました。考えてみれば野良猫が人に拾われて飼い猫になるのも同じですね。家族の一員としてのアイデンティティがネコなりに確立されるわけです。
 人が赤ちゃんとして生まれた時は身の回りの世界しかありませんから、それが自分の標準になります。ただ、その身の回りの世界が他の赤ちゃんの場合とどれだけ重なっているかはわかりません。その後成長するにつれて世界が広がっていって、物事によってそれまで認識していた身の回りの世界がその外の世界と照らし合わせると例外的だったことに気づいて補正することもあり、あるいは反発して自分の「正しさ」にこだわり続ける場合もあります。
 日本全体で見ると、地方によって気候・風土の違いや食文化や方言などの違いはあるし風俗習慣や物の考え方なんんかも多少違うところがあるかもしれませんが、おおよそはかなり均質的な社会なので引っ越しをしてもショックを受けるほどのことは滅多にないんじゃないかな?
 しかし、海外に行くと驚くことがいろいろあるはずです。逆に日本に来た外国人が日本人にとっては思いもよらぬことで驚いたり疑問に思ったりしてるんですね。
 朝食の話のついでにひとつ質問しましょう。外国人観光客が日本の旅館に泊まった翌朝定番の朝食のお膳を見て首をかしげたモノは何でしょう? んーと、納豆? まあフツーの答えだけど、外国人のお客さんにあえて出すかねー? 一応正解は今話した生卵なんです。日本の卵は大丈夫ですが、他の国ではどこも食中毒の危険性があるので生卵を食べる習慣がないのだそうです。卵かけごはんを食べてる日本人を見ると気持ちが悪いという外国人はけっこう大勢いるそうですよ。
 ということで、ここでひとつ本を紹介します。大野力(つとむ)さんという方が書いた『ニッポン人はなぜ?』という本で「途上国青年との日本問答」と副題がついてます。1998年発行で25~6年も経ってるんで、今の外国人の皆さんの日本に対する理解度とはズレがあると思います。その点は念頭に置いて下さい。

 大野さんは海外技術者研修協会という財団法人の研修センターで講師を務めていました。発展途上国から産業技術研修生として来日した青年たちが六週間ほどセンターで日本語を教わるほかに、日本の社会や文化などについて説明をするのですが、その時に彼らの発する質問にとても懇切丁寧に答えるのです。意表を突く質問にすぐ答えるのはむずかしいのであれこれ考えなくてはならないですよね。で、考える。それが今まで考えたこともない日本再発見につながるわけです。
 じゃあ君たちならどう答えるか、やってみますか?
 まず第1問。「日本の男たちはなぜヒゲを生やさないのか?」
 これはサウジアラビア人。かなり真剣な顔つき。大野さんは生活習慣の違いの問題です。生やしている人もいますが、少数です」と答えますが、立派な口ヒゲをたくわえた彼らは半信半疑でショックを受けているようす・・・。以前ぼくの元同僚の先生がアラビア方面に旅行に出かける前、「ヒゲを生やしてないと一人前の男とは見られない」とかでヒゲを伸ばしてましたね。ただイスラム教国でもトルコやエジプトやインドネシアなど世俗主義の国は比較的寛容だそうです。
 第2問は自動販売機について「なぜ盗まれないのか?」とフィリピン人の質問。
 なぜですかねー? 大野さんは「手間や捕まるリスクを考えると割に合わない」と答えます。手間については、質問者の話では「いちいち現場で鉄板を切ったりしないでトラックで夜街を走り回って自販機ごとどんどん詰め込む」のだそうです。
 インドネシア人からはこんな質問もありました。「インドネシアでは街頭の物売りがたくさんいるが日本では見かけない。いったいどこへ行ったのか?」と、これも自販機がらみですね。さらにはインド人青年からも「日本では駅の改札も自動だしバスもワンマンだし、工場でもさかんにロボットを使ってる。失業者がたくさん出ると思うが、どう救済しているのか?」。
 この質問には大野さんも質問者が納得できる答えは出していません。恥ずかしながら、ぼくもです。面目ない。
 第3問はインドの青年の質問。「私は今東京の研修センターで日本語を習っていますが、技術研修は広島の会社です。東京の言葉は広島で通じますか? 文字は同じですか?」
 これは答は簡単ですが、皆さんもたぶん気づいているように、それぞれ自分の国が基準になってますね。地理か世界史かで習ったかもしれませんが、インドのお金の単位はルピーですね。そのルピー紙幣は表は英語とヒンディー語だけですが裏には15種類の言語で100ルピー等と書かれています。つまり主要言語だけでも17もあり、インド全土だと住民が母語として日常的に使用している言語はなんとその50倍くらいあるそうですよ。
 第4問もナイジェリアの青年の不意打ちのような質問です。「日本には部族がいくつありますか?」
 うーむ、なんと!ですねー。大野さんは、こう言うほかないと思って「現在の日本に部族と見られるようなものはありません」と答えますが、青年はすぐさま「それでは日本に部族がなくなったのは何年前からですか?」と折り返し問いかけてくるのですよ。
 大野さんは続けて「ここまで踏み込まれて、私は質問者の問題意識の、ただならぬ強さに気づかされる」と書いています。そしてナイジェリアという国の歴史を思い起こします。かつては奴隷貿易の根拠地。奴隷海岸という言葉、聞いたことあるでしょう。1960年に独立を果たしたものの、67年に始まったビアフラ紛争では飢えた子供たちの悲惨な写真が新聞に載って衝撃を受けました。スマホで「ビアフラ紛争」で画像検索してみて。今はナイジェリアはアフリカ有数のサッカー強国として知られているし、半世紀前とはずいぶん変わってるとは思いますが、なんせ250ほども部族があって、その間の紛争は絶えないようで、国政は安定にはほど遠いみたいですね。大野さんは、質問した青年が切実に部族のことを問いかけたのも、そんな背景があったんじゃないかと推察してその質問の背景へのこちら側の現実感の稀薄さ、ないしは欠如に思い至らざるを得ない」と記していますが、ぼくはその洞察力にひれ伏するしかありません。

 技術研修生の皆さんからの質問はここまでにしておきます。ぼくがなるほどなーと思ったのは、さっきも言ったように質問には自分の国のもろもろが反映されているということと、質問される日本人にとっては自分が生まれて以来当たり前過ぎて考えてもみなかった日本の独自性に気づくということ。お互いが相手を鏡として自分の姿を映しているようなものです。

 今日は食べ物の話が多かったね。ただ、食べ物だと自分が慣れ親しんできた味と違ったらすぐ気がつくけど、たとえばインド人青年が首をかしげるしぐさは疑問や不満ではなく「よく分かった」という意味だし、タイ人の社員のミスを上司が注意したら笑みをうかべて聞いているので「真面目に聞いてない!」と思われるが、それはタイ人にとってはふつうの表情だというように、動作や表情なども決して世界共通じゃないし、誤解しやすいかもねー。それから一般常識とか倫理道徳とかの違いとなると目に見えないし、かなり根の深い国民としてのアイデンティティにも関わってくるから厄介なところです。
 特に近年、主に先進諸国ではジェンダーフリーの風潮が一般化し、日本でも90年代には同性愛に否定的な見方が多数を占めていたのが今は大きく変わりました。しかし世界を見ると同性愛者を違法としている国は多く、石打ち刑を行っているブルネイ等死刑を科している国は世界で12ヵ国あり、10年~終身の禁固刑という国は28ヵ国あります。そこまでいかなくても取締りの対象となったり、家族からも排斥されるという国もあります。そんな世界の現況が一目でわかる<性的指向に関する世界地図>という資料があるのでぜひ検索して見てみて下さい。

 次回は今回とは逆にまた巨視的な観点から日本や世界の国々の人たちの価値観を比較して考えてみましょう。ハイッ、オシマイ!
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他者と接して初めて自分が見えてくる(上)

2024-06-12 15:36:40 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
他者と接して初めて自分が見えてくる(上)

「アイデンティティ」って何なの?

 さあ、始まるよー、席についてー。
 さてと、今日はいきなり難しい言葉について説明するところから始めます。どう難しいかというと、実はぼく自身もよく分かってないというレベルなんですよ、ハハハ(汗)。それで教えられるのかと言われそうですが、そこは「努力します」ということで・・・。これ、言い訳には便利な言葉だねー。テヘヘ、今日は暑いなー。
 で、その言葉なんですが、「アイデンティティ」という英語なんだけど、ずいぶん前からけっこうふつうに使われるようになってますね。あ、「アイデンティティー」と最後を伸ばしてもOKですよ。ところで、皆さんはこの言葉知ってましたか?
 え、お笑い芸人だって? 二人組の? ふうん、知らなかったな。そこまで一般的になってるんだねー。
 じゃあ会話の中でふつうに使ってる・・・というレベル、まではいかないですか?
 ぼくがこの言葉を最初に知ったのは高校時代。ということは、んー・・・ずいぶん昔ですよ。たしか倫理の授業で・・・。いや当時は倫理社会、略して倫社と言ってたね。今オジイサンから「オマエはリンシャをちゃんとベンキョーせんとあかんゾ」と言われても分からんだろなー。
 その高校の頃のリンシャの教科書でアイデンティティーがどんな日本語で説明されていたかというと「自我同一性」ですよ。または「自己同一性」。この用語は今も倫理用語集にありますね。しかし自我同一性と聞いて「そうか、なーるほど」とうなづく日本人がいるかねー? ぼくも分からなかったし、その後何十年経った今も分かりません。今の日本人も分からないからみんなアイデンティティというカタカナ語のまま使っているんでしょうね。
 同じアイデンティティという言葉を韓国ではチョンチェソン(정체성)、つまり「正体性」と言ってます。ぼくはコチラの方がずーっと良い訳し方だと思います。要は自分自身が一体何者なのかということを心の奥底でどのように認識しているかということですからねー。
 人間に化けた妖怪に「おまえの正体は何だっ?」と問いをぶつけると「フッフッ、ばれちゃあしょうがねーや」と笑いながらタヌキが正体を現す場面がアタマに浮かびますが、そんなようなものですよ。ん? タヌキは自分のことタヌキだという自己認識はあるのかな? ミミズなんかはなさそうか? 飼い犬は自分も家族の一員と思ってるのか? それとも・・・。フーム、動物のアイデンティティもおもしろそうだけど、まあ興味のある人は将来研究してごらんなさい。
 このアイデンティティという用語が広まったのは、アメリカの精神分析学者エリクソンが青年期の発達課題を説明する際に用いて1960年代頃から広く知られるようになって、その後意味も広がっていったようです。
 倫理の教科書のアイデンティティ関係のページにはアイデンティティ・クライシス、つまり「アイデンティティの危機」という用語も出てきます。生まれてからずっと自分の周囲のことを学習しながら適応することに懸命に生きてきたのが、成長して学校などで新しい人間関係もできて、外の社会についての知識も広がる中で自分を見失ってしまうことを指す言葉です。フランスの啓蒙思想家ルソーは著書『エミール』で人が青年期を迎える頃のその自己のめざめを「第二の誕生」と呼んだ、といったことも教科書に載ってます。
 ・・・って、今けっこうふつうに使ってる中二病となんか意味が重なってる感じじゃないですか? そう言えばTVアニメで「中二病でも恋がしたい!」というのを放映してましたが、そのテーマ曲のタイトルがまさに「INSIDE IDENTITY」だったんですね。これは最近知りました。
 さて、アイデンティティという用語を自我同一性じゃなくてもっとわかりやすい日本語で言うと、スマホでググってみれば「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」、「独自性」、「一致」、「身元」、「本質」等々の言葉が出てきます。
 まあ自我同一性よりはマシですが、イマイチですかねー。で、ぼくが独自に具体例を考えてみました。
 君たちがこの高校に入学して生徒証をもらって制服を着ても最初はしっくりこなかったでしょ? 話し相手も中学時代の友だちと「そっちのクラスのフンイキどうなの?」なんて情報交換したりして。それがしばらく経って、人にもよるけど一学期の末にはクラスの仲間の名前も憶えて高校生活に慣れてくる。これも人によりますがこの学校の部活が対外戦で活躍するとうれしく思ったりといった愛校心を持ったりもする。一方、中にはこの学校というよりも自分が入った部活に強い思い入れを持つようになる人もいるでしょ? あるいは、「この」学校というより希望する大学や職業をめざして本気で勉強することを最優先して日々がんばってる人もいる・・・かな? こうして、それぞれ中学生のこそして、まだ自分の居場所を見つけられない頃とは違う新たなアイデンティティを確立していきます。ただ中にはまだ不安定な精神状態の人もいるかもしれません。
 ところで、もし君たちが初対面の人に自己紹介するとしたらどんなことから話しますか? 「◯◯高校生です」とハッキリ言う人は◯◯高校の生徒であることに強いアイデンティティを持っているということ。「◯◯高校野球部でレギュラーやってます」と言えば当然その肩書きを誇らしく思ってるわけですね。そこらへんは本校生徒でもさまざまです。それから、もちろん人によっては学校以外の何か、たとえばピアノとかバレエとかの習いごととかサッカーのクラブチームのこととかの方がずっと重要だという人もいるでしょう。

 さて、やっとここから本論です。(えっ!
 一応この授業の看板は日本史なので、日本人としてのアイデンティティの形成をテーマに考えてみようということで、ここまではその前提なんですよ、ハハハ。すみませんねー。
 自己紹介の話の続きなんですが、もし海外旅行先で「どこの国の方ですか?」とか「何人ですか?」と聞かれたらどう答えますか? たぶん大方の日本人なら「日本です」と答えますね。しかしたとえばラモス瑠偉や元横綱の白鵬のように外国から来てその後日本国籍を取得した人の場合はどう答える? それ以前に自分自身ではどう認識しているのかな? ・・・という疑問も出てきます。それから、長く日本で暮らしている在日韓国・朝鮮人の人たちが大勢います。ルーツは戦前から日本にやってきた在日一世ですが、1965年の日韓基本条約以降は国籍の選択肢も韓国籍か日本籍か、でなければ従来の朝鮮籍(←これは北朝鮮のことじゃなく便宜的なもの)の三択になってもう半世紀以上になり、在日の主体も三世さらには四世になっているので、そのナショナル・アイデンティティつまり国民としての自己認識も多様化しているようですね。少なくともいわゆる嫌韓の人たちのイメージにあるような反日的な意見の持ち主はいたとしてもごく少数じゃないかなー? 日本人との結婚もふつうになってますが、純粋の韓国・朝鮮人だけの家庭でもある資料では九割ほどは日本語を話してますよ。日頃接するマスメディアも日本のテレビや新聞だしねー。

 日本人のナショナル・アイデンティティを考える時、念頭に置く必要があることを一つ言っておきます。それは「日本とはそもそも何なのか?」ということなんですが・・・、やっぱりキョトンとしてる人が何人もいますね。
 どういうことかと言うと、日本は①国の領土がほとんど日本列島という一目でわかる地理的な範囲と重なり、②ほぼ同じような顔つきと体格の黄色人種で構成されていて、③言語は日本語が全国的に用いられている、ということ。これらは日本人にとっては当たり前のことでしょうが、約200ヵ国ある世界の国々の中では非常に例外的と言っていいでしょう。またこれらに付随して④約二千年間日本国内で歴史が展開され、⑤衣・食・住、芸術、文学等々、独自の特色ある文化を育んできた、ということも特色として挙げられますね。
 それからもう一つ重要なことを言っておきます。それは日本人がいつ頃から「自分は日本人だ」と思うようになったのか?ということ。答は明治以降です。だから、大雑把に言ってまだ1世紀半くらいなものですね。つまり世界史的には1800年前後のイギリス、フランスを先駆けとする国民国家の成立とセットなんですが、この辺についてはあとで説明します。つまりは、日本だけではなく、世界を見てもほとんど全国民が「自分は◯◯人だ」という意識を持ったのはそんなに昔のことじゃないということです。
 この点については、専門の歴史学者でも間違った主張をする例をたまに見かけます。具体例をあげれば、90年代末頃から中国は「高句麗と百済と渤海は中国の地方政権であり、中国史の中に含まれる」と主張して韓国の歴史学者やマスコミ、そして一般国民の反発を招きました。「朱蒙(チュモン)」をはじめ高句麗関係の歴史ドラマが相次いだのもそのためです。ついでに言えば、日本史の教科書では高句麗・百済・新羅の三国時代の後は統一新羅の時代となっていますが、韓国では七〇年代から渤海と合わせて南北国時代と呼んでます。こうした中国と韓国の間の歴史認識論争に対して、韓国の少数派の歴史学者・林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大教授は次のように語っています。
 「二千年も前の高句麗に現代の近代国民国家の概念をそのまま投影させてしまうのは時代錯誤です。タイムマシンに乗って当時の高句麗に行って「あなたは韓国人ですか?中国人ですか?」と聞いたら高句麗人は当然「何をわけのわからんことを言いなさるのか?」と言うんじゃないですか?」
 ぼくはこの見解には全面的に同意します。
 これ以外にも、歴史認識問題となるとそれぞれの国民の皆さんが「愛国心」に根差した主張を応酬し合う例は日韓間に限らずホントに多いですよね。しかし片方が相手方を「論破したぞ!」と思っても相手は「はい、おっしゃる通りです」なんて受け入れることはありませんよ。まさに自分たちのアイデンティティに関わる問題だから。そんなわけで、ほとんど解決は望めないというのがぼくの見方です。
 それでも、今日のテーマは相手と直接接して初めて相手の実像と、今まで気づかなかった自分の姿が見えてくるということで、戦争とか議論とかも直接接することだから、そう考えると得ることも多いと思いますよ。
 このテーマであと二回くらい続くかな? はい、ではまた今度。
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上川陽子現外相が法相の頃のひどい政治  ~ ウィシュマさん死亡事件、入管法改悪など ~

2024-06-08 22:20:37 | ヌルボの意見・主張・寸感
 現在外務大臣の上川陽子外務大臣。一部では初の女性総理の声もあるようですが、私ヌルボとしては不安がつのるばかりです。皆さんは上川氏が菅義偉内閣の法務大臣の頃(2020~21年)法務大臣を務めていたことを憶えているでしょうか? メディアで大きく報道されたのがウィシュマさん死亡事件(→ウィキペディア)でした。
 名古屋入管に収容されていたスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさんが体調が悪化して病院での診療を求めても入管職員らは詐病と見て取り合わず結局は入管職員の呼びかけに応じない状態になってやっと病院に搬送され、死亡が確認されたという事件です。ニュース等でこの事件を知った人の多くは入管職員たちの仕打ちに「ひどい!」と思ったのではないでしょうか? 今私ヌルボは「多くは」と書きましたが、実は最初「ほとんどは」と書いたのを書き直しました。どうもこの頃「このような人たち(=入管職員等)によって不法滞在外国人の収監・送還が適切に行われている」と評価する向きも相当数いるようなので不本意ながら「訂正」しました。
 事件当時上川法相がそんな民意を読んでそれに迎合したのか、あるいはそんな民意を醸成しようとしたのかはわかりません。
 ところが上川法相はこの問題の多い入管法をさらに改悪し、難民認定申請者を強制送還できるよう例外規定を設けること(=文字通り「死地に追いやる」)や、送還を拒む外国人に対して刑事罰を加える(どんな「犯罪」を犯したのか?)こと等を盛り込んでいるのです。
 これに対し、ヤフーニュース
「国連に逆ギレの上川法務大臣、問われる資質―「拷問、虐待」「国際法違反」特別報告者ら入管を批判」と題した志葉玲さんの記事がありました。
 これによると国連人権理事会等から批判が多々寄せられ、国際人権規約等に反するとの指摘も出ています。
 コチラ
の記事でも書いたように日本も1981年に難民条約に加入しました。しかし今そのことを知っている日本人はどれほどいるでしょうか? 現在日本の難民認定率は2.0%。他の国々と比べると誇張ではなく「極端な低さ」です。2023年は13,823人が難民申請を行い、過去最多の303人が認定されましたが不認定は7,627人と依然として非常に少ない認定数といえます。
 参考として米欧4ヵ国のデータを掲げておきます。日本の数値と比べてみて下さい。

 国名   2021年認定数 2021年申請数
アメリカ       20,590人      210,488人
イギリス       13,703人       60,950人
ドイツ        38,918人          253,688人
フランス     32,571人         171,323人

 このような難民条約加入の事実も無視してきた結果多くのわれら日本国民はその事実も知らず井の中に居ることさえ知らない蛙のようになってしまっているようです。
 おりしも今晩(2024年6月8日)の午後11時からNHK Eテレで特集番組として「改正入管法施行へ」が放映されます。これは見なくちゃ・・・て、あと1時間もない? あー、あせるあせる! ま、後でNHK+で見てもいいけど・・・。

※上記以外に2018年7月に松本智津夫元死刑囚等オウム真理教関係の13人の死刑を執行しました。私ヌルボが死刑に反対であることはこれまでにもブログに書きましたが、上川法相は彼らの処刑に対して<明鏡止水>という言葉を使っているのです。「澄み切った心でことにあたるという意味がある。私も鏡を磨きながら、そこに映し出されるさまざまな事柄について澄み切った心でしっかりと向き合っていきたい」とのことですが、先進国の指標ともいうべきOECD加盟38ヵ国中唯一の死刑存置国であることはご存知なのでしょうか?
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