ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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池貴巳子(ち・きみこ)絵画展と、絵本「かくれんぼ」と、チェッコリ(←何?)のこと

2017-06-24 02:09:49 | 韓国の芸術

 6月18日、鶴見駅西口近くの鶴見画廊に行って池貴巳子(ち・きみこ)絵画展を見てきました。
 池貴巳子さんは韓国民画作家で、NHKハングル講座テキストの表紙絵等々いろんな本の表紙や挿絵を描いてきました。名前は知らなくても、絵を見れば「ああ、あの・・・」とわかる人も多いのではないでしょうか? ※googleの画像検索の結果は→コチラ

 この鶴見画廊での絵画展はもうずいぶん前から毎年6月開催が恒例になっています。私ヌルボが池さんのことを知ったのはちょうど20年前です。地縁と人の縁で、池楨官(ジョンカン)・池貴巳子さんご夫妻や鶴見区等の小中学校の先生方と光州・ソウルに研修旅行(?)に飛び入りみたいな感じで参加させていただきました。
 以来何度か鶴見画廊に足を運びましたが、近年は職場が遠くなったり韓国旅行と重なったり等々で行ってなく、今回は久しぶりです。(何年振りかな? 駅とその周辺もずいぶん変わったような・・・。)

 その間もいろいろ池さんの絵は見てきました。中でも注目は昨2016年に刊行された絵本「かくれんぼ」(福音館書店)です。(右画像)
 副題に「朝鮮半島のわらべうた」とあるように、韓国の伝統童謡をご自身が訳して、その歌詞の内容に即した楽しくかわいらしい、そして美しい絵を、多くは左右見開きで描いています。
 たとえば、下左画像は「さあ もちを たべよう みんなで つくった もちの いえ」という1節ではじまる歌のページ。
 真ん中の家が「もちのいえ」です。緑色の瓦(?)もおもち。屋根の上の子が鳥に投げ与えています。
右の拡大画像は「ひとりで たべて こっそり たべて」という歌詞そのままの女の子。おもちをくわえて歩いている犬だけでなく、家の軒にさがっている魚板の魚までもが笑顔になっています。このように、歌詞と照らし合わせながら絵を見ると一段と楽しめる絵本です。
 背全体的に、花や人物等の伝統的な民画の画法と、池さんの独創性、現代性がよく調和していると思いました。
   

 これらの歌をできれば直接聴いてみたいと思ったヌルボ。もしかして、元になる韓国伝承童謡集といった韓国本があるのかと思ってお訊ねすると、いろんな本等から絵に描くのによさそうなわらべうたの歌詞を拾って訳したとのことでした。したがって実際聴くにはそれなりの情報収集作業が必要ということか・・・。

 さて、展示作品を見ると、花や自然や子供たち等のおなじみの絵が約30点(かな?)。以前と比べて原色系が少なくなって明るさを増したように感じられました。

 それらの展示作品の中で、ヌルボが「あれっ?」と首をかしげたのが「チェッコリ」という題が付けられた2作品。
 チェッコリとは何だと思いますか? 私ヌルボがすぐ思い浮かべたのは最近何度か行っている神保町の韓国本喫茶。「책」(チェク.本)「거리」(コリ.街)をつなげた語で、「거리」には「材料、ネタ」といった意味もありますが、神保町というまさに<本の街>にある店ならではの店名だとなんとなく思ってきました。(それも正解かもしれませんが・・・。)
 しかし絵を見ると、描かれているのは箱に積まれた書冊と、その周りには文房具や花や果物(ザクロだったかな?)等。池さんに伺うと、本とその周辺の文房具・植物等々をひっくるめてチェッコリといい、民画でよく描かれる画題の1つとのこと。
 帰宅後、책거리の語をあらためて辞書で確かめてみると、なるほど「本や硯、墨、筆、筆立て、巻物立てなどの文房具類を描いた絵」とありました。そしてこの<책거리>で画像検索すると、さまざまなチェッコリの民画がヒットします。その中で、3例だけピックアップしてみてみます。

            
 左の絵には白梅(?)等が生けられた花瓶、柿(トマト?)の載った皿、そして本の上にはよく見るとなぜかドミノ牌が6枚表を上に置かれています。中央の絵には実に多くのモノが描かれています。左下にはロウソクの燭台、右奥の本の最上段にはザクロと柿、真ん中あたりには皮を剥いたナス(?)等々。そして右の絵を見ると、手前に長い棒状の物が斜めに立てられています。これはキセル。画面左下には筆・墨・硯・紙の<文房四宝>に水滴(水差し)といった書の道具があります。右下にあるのは酒徳利と盃かな?
 細かく見るとおもしろそう。わからない物もたくさんありますが・・・。しかし、このような種類の絵は日本(や中国)にはあるんですかねー?

 ・・・というわけで、久しぶりに池貴巳子さんや池楨官先生ともお話できたし、また新しい知識も仕入れたし、で行って良かった絵画展でした。今年は行った翌日(19日)が最終日でしたが、興味を持たれた方はぜひ来年のこの時期に鶴見に来てみてください。(沖縄料理店とセットで、というプランがオススメです。)

[付記1] 一緒に行った元同僚F氏が「チェッコリ」で思い浮かべたのは近年小学校の運動会で流行っている(?)チェッコリ玉入れで流される「♪チェッチェッコリ 二酸化マンガン 酸化マンガン・・・」という歌詞(??)のガーナ民謡「チェッチェッコリ」でした。これは韓国とは関係ありません。(※→参考動画)
[付記2] 今度神保町のチェッコリに行ったら、店名は<本の街>のことなのか上述の絵のことなのか訊いてみます。

[2018年8月29日の追記] この記事を書いて40日くらい後にチェッコリに行ったら、「ここに書いてあります」ということで下画像のしおりを見せてくださいました。読んでみると、<本の街>でも上のような絵でもありませんでした。
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<府中市美術館 官展にみる近代美術>から考えたこと ①旧朝鮮総督府の壁画のこと等

2014-06-04 23:53:34 | 韓国の芸術


 ちょうど1週間前の5月28日、初めて府中市美術館に行ってきました。
 目当ては5月14日~6月8日開かれている<市制施行60周年記念 東京・ソウル・台北・長春-官展にみる-それぞれの近代美術>と題したテーマ展です。

 官展とは、国主催の美術展のことで、1907年創設の文部省美術展覧会(文展=「初期文展」)が最初の官展です。
 これは1919年帝国美術院展覧会(帝展)に改組されましたが、帝国美術院の廃止(帝国芸術院への改組)にともなって1936年文展(=「新文展」)が復活しました。
 この官展の流れは戦後(1946年~)日本美術展覧会(日展)に受け継がれています。


【入口前の立看板。美術愛好家だけでなく、歴史に関心のある人をも引きつけるのでは?】

 この官展という公的な文化イベントは、上の看板の文にもあるように、日本統治下の朝鮮、台湾、満洲にも広がりました。
 朝鮮では1922~44年に朝鮮美術展覧会(鮮展)が23回開かれ、台湾では1927~36年台湾教育会の主催で台湾美術展覧会(台展)が10回、日中戦争勃発のため中止となった1937年の翌年1938年から主催が台湾総督府文教局に変わって台湾総督府美術展覧会(府展)と改称され、43年まで6回開催されました。
 関東軍の主導で1932年建国された「満洲国」でも1937~44年満洲国美術展(満展)が7回開かれました。
 ※1945年8月に予定されていた第8回満展は、会場設営を終えていたが、直前にソ連の侵攻があり、一般公開はされなかった。

 他の文化ジャンル同様、朝鮮や台湾では欧米の近代美術が統治国日本を通じて入ってきました。
 つまり、西洋近代美術との「出会い方」が日本とは大きく異なるのです。そのことはまた、戦後のそれぞれの美術のありようにも影響しています。
 そんな日本・韓国・台湾の近代美術の共通点や差異点、それぞれの特色といったものを直接見てみようという意図で足を運んだというわけです。

 行く前に読んだ5月21日「毎日新聞 夕刊」の<目は語る・アート逍遥>で高階秀爾大原美術館館長は次のようなことを書いていました。(原文→コチラ.会員制)

 官展制度の導入は一面においては日本の文化政策の「押しつけ」であり、入選や受賞を決める審査員もほとんど日本人で占められていたこともあって、時には現地の強い反発も招いた。
 しかしその一方で、これらの官展を通じて多くの作家が西欧の正統的写実主義やモダニスムを受け入れ、伝統的感性を生かしながら優れた作品を生み出し、それぞれの国の近代美術史において大きな役割を果たしたこともまた事実である。(中略)
 現在、東京の府中市美術館で開催されている「東京・ソウル・台北・長春-官展に見る近代美術」展は、日本も含めた各地の「近代美術」の様相を、官展を通じて検証しようとした文字通り画期的試みである。


 ・・・実は私ヌルボ、この記事に触発されて見に行ったわけですけどね。

 展示作品は93作家129点。
 日本の画家たちが朝鮮や台湾等を描いた作品も多く展示されていました。竹内栖鳳・前田青邨・土田麦僊・黒田清輝・藤島武二・岡田三郎助・石井伯亭・梅原龍三郎・安井曾太郎・伊原宇三郎等々。

 展示室に入ってすぐ、いきなり目に入ったのが和田三造「朝鮮総督府壁画画稿(三幅対)」。(次の画像)


【上の画像は<InternetMuseum>より。】

 朝鮮総督府の中央ホールに、和田三造の描いた壁画「羽衣」があったことは知っていましたが、その「画稿」が兵庫県立美術館にあり、それが今回ここで展示されているとは知りませんでした。
 彼は兵庫県生野町(現・朝来市)の生まれなんですね。またこの壁画の画題に「羽衣」を選んだのは、彼が羽衣伝説が日本と朝鮮共通の伝説であることに着目したからだそうです。

 私ヌルボはその壁画を1992年最初の韓国旅行の時に当時は中央博物館になっていた旧朝鮮総督府で見ました。1995年その建物が解体・撤去された後どうなったのかと気になっていましたが、国立中央博物館が所蔵しているそうです。しかし公開展示されているされているようでもなく、今後はたして日の目を見るのはいつのことか・・・。

  
【解体前の旧朝鮮総督府ホール。南側上方に和田三造の壁画があります。※画像の出所はあの(!)イルベの貯蔵所→コチラ。】


【壁画「羽衣」の部分を拡大。中央は縦5.5m横4.75mの大きな絵です。】

 その他の日本の画家が描いた絵も興味深いものですが、ヌルボとしては日本の統治期の朝鮮人画家を誰一人として知らないばかりか、現代に至るまでの韓国の近代美術史についてほとんど無知だったことに気づきました。
 これを機会に戻ってきてからにわかベンキョー中なのですが、大いに重宝なのが美術館で購入した図録です。


 いやー、この図録はすごい! 高階秀爾先生も次のように書いていました。
 担当学芸員をはじめ、日・韓・台の研究者による、さまざまな視点からの示唆に富む論文を多く収録し、入念な調査に基づく各地の官展に関する基礎的資料をも収めたカタログも、今回の企画の重要な成果として高く評価されよう。
 2千円が「安い!」と思えたのはヌルボにとって非常にめずらしいことでした。

 ・・・ということで、次回(いつになるか?)は朝鮮の近代美術について、です。
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民衆芸術家・金鳳駿の個人展 明日から = 韓国80年代民主化運動と版画の親和性 =(4)

2011-11-17 20:37:15 | 韓国の芸術
         
 10月15日の記事<精力的な創作活動を続ける民衆芸術家 洪性譚=韓国80年代民主化運動と版画の親和性=(3)>へのコメント(11月6日)で、一粒のたねさんが金鳳駿展についての情報を知らせてくださいました。
 私ヌルボ、「近日中に記事します」と書いたのに実行しないまま、もう直前になってしまいました。どうもすみません。
 ・・・ということで、先の記事では「一応最終回です」と書きましたが、その続編とします。(そんな予感がして「一応」としておいたのですヨ。)

 金鳳駿(キム・ボンジュン)さんは1954年ソウル生まれ。先の記事で紹介した洪性譚さんと同じ世代の先駆的な民衆芸術家です。美術系大学として知られる弘益大を卒業。→コチラの記事によると、70年代の大学サークル運動の中では詩人・金芝河からも薫陶を受け、プンムル(民俗踊り)やタルチュム(仮面劇)のサークルを組織し、初めて労働者演劇を手がけたとのことです。
 また80年代はソウルで“トゥロン(畦)”というグループを立ち上げ、農村や労働の現場で活躍、以後現在に至るまで意欲的な創作活動を続けています。
※これまでの記事で紹介した「韓国民衆版画集」(1987年)にも、「首枷をはめた先祖」「四月のうた」「故郷の父母兄弟」等、7作品が収載されています。

※2005年の<OhmyNews>の記事「東洋のケーテ・コルヴィッツ、金鳳駿の生」によると、彼は大学3年の時、タワー建造物の屋上から「独裁政権打倒」という印刷物をまき、タルチュムを踊ることさえ黒白の論理で裁断されていたそのころに、丸ごとプンムルとタルチュムに夢中になっていて、東一(トンイル)紡織の解雇女工たちとともに<東一紡織問題を解決しろ>という演劇をやり、まさにデモのリーダーと見られて東大門警察署にしょっぴかれて情け容赦なく殴られたりしたそうです。
東一紡織については、2010年11月KAJAの学習会(?)での報告があったそうですね。

 今回の金鳳駿展に関連して、いくつものイベントが予定されています。
 あわせて紹介します。

○11月18日(金)~12月3日(土) 
 金鳳駿(キム・ボンジュン/Kim Bong Jun)展「希望の種―古くて新しい未来へ向けて」
  場所:GALLERY MAKI(日比谷線・東西線 茅場町駅 3番出口下車、隅田川方向へ徒歩7分)
  開廊:12時~19時  休廊:日・月・祝日 入館無料
  ※オープニングパーティー 11月18日17:30~

○11月19日(土) 14:00~17:00
 KAJA講座「韓国の民主化運動と民衆美術運動の現場、そして今」
  講師:金鳳駿(自らの体験をもとにスライドで作品をみせながら語ります)
  テーマ:「韓国の民主化運動と民衆美術運動の現場、そして今」
  コメンテーター:李泳采(イ・ヨンチェ)恵泉女学園大学教員
  資料代:500円
  場所:大阪経済法科大学麻布台セミナーハウス 4F 中会議室(定員40名)
   〒106-0041 東京都港区麻布台1-11-5 東京麻布台セミナーハウス
   (地下鉄日比谷線神谷町駅1番出口を出て左へ、吉野家・オランダヒルズ森タワーを過ぎて約5分)
  申込み先:→コチラ
  主催:KAJA((Korea And Japan Alternative learning group)
  ※詳細はKAJAのサイト中の記事参照→コチラ

○11月20日(日) 15:00~19:30
 一粒のたねカフェ 金鳳駿と共にプッ・クリム(筆絵)
  会場:ヨガ・カフェ・スペース一粒のたね (JR駒込駅東口アザレア通り側へ徒歩6分、南北線駒込駅徒歩10分)
  共催:一粒のたね+古川美佳 
  詳細は →コチラのサイトで。(チラシをクリックしてください。)
  内容は以下の通りです。
   ~筆で絵をかき、詩をつづり、そして韓国ごはん! 金鳳駿さんが最近作などについて説明後、参加者の顔と会話を書き入れた似顔絵や、参加者の要望にあわせた絵と言葉を盛り込んだ詩書画などを筆により即興で完成させて各々にプレゼント。すぐ持ち帰り、お部屋に飾れます!また金鳳駿さんの指導のもと、希望者は筆で韓紙に自由に描けます。その後、ユッケジャンやチヂミ、マッコリなど韓国料理と共に歓談タイム!韓国の伝統芸術と現代が融合し、食と人が出あうひと時をお楽しみください!
申込み:Tel/Fax03-3620-4106 info@tanecafe.com
お話しと食事:3000円/ドリンク別 (先着20名)

○11月22日(火) 13時~16時
 金鳳駿さんを迎えて 「ハムケ歌う会」
  ~地域で暮らす日本人と在日朝鮮人が共に(ハムケ)朝鮮の民謡を読み、オリジナルの歌をうたい、かたりあう、手づくり交流会にどなたでも!~
  会場:玉川上水・ステッチ(西武拝島線・多摩モノレール線 玉川上水駅徒歩10分 TEL042-535-9881
  主催:ハムケうたう会 猪俣090-7949-6594 李hanulpo1124@yahoo.co.jp
  参加費1000円

○11月22日(火) 18:30~20:30
 ギャラリートーク「東アジアの伝統と挑戦」
  ~「3・11」以後、「苦」の原因をみつめ、伝統の創造的解釈を未来へ~
  金鳳駿(キム・ボンジュン/美術家)×阿満利麿(あまとしまろ/宗教学者)
  会場:GALLERY MAKI 個展会場
  主催:GALLERY MAKI  参加費無料

 金鳳駿関係の情報をネットで探してみると、<김봉준미술(金鳳駿美術)>というタイトルの金鳳駿さんのブログ(当然韓国語)がありました。
 その11月17日に「일본 동경 <희망의 종> 마키갤러리전시 기념 강좌2(日本・東京 <希望の鐘> マキギャラリー展示 記念講座2)」という記事。というよりタイトルだけかと思ったら、「한국의 민중미술과 민중의 현장..docx(韓国民衆美術と民衆の現場)」というWord文書がダウンロードできるようになっています。
 おそらく19日の講座のための原稿と思われますが、これはお薦め! 韓国語がわからない方でも、金鳳駿さんの作品をいくつも見ることができます。
 また、1970年代から2000年代まで10年ごとに、4つの時期の時代状況と民衆美術の特色をわかりやすくまとめてくださっています。
 また同ブログの10月24日にも「나의 예술,동아시아의 젼통과 도전(私の芸術、東アジアの伝統と挑戦)」と題した長文の記事がありました。慶応大学で招請特講を行った時の原稿の概略とのことで、興味深く読みました。

[参考記事(韓国語)]
・2011年11月10日「ハンギョレ」 「동아시아 신명서 찾은 ‘희망의 미학’(東アジア 神明から探した‘希望の美学’)」・・・今回の個人展の紹介記事。
南楊州(ナムヤンジュ)ニュースより・・・金鳳駿作品オンライン鑑賞。
・2009年8月26日「Pressian」の記事「김봉준의 '한국미술 다시 중심잡기'(金鳳駿の'韓国美術再び中心をつかむ')」(上)(下)・・・自我、隣人、社会、民衆、自然、歴史、生活、平和、宇宙と、さまざまな観点から平和や芸術について語っています。
・2010年1月29日「Pressian」の記事「신화에 꽂힌 원주 문막 취병리의 김봉준 화백(神話に花を咲かせる原州市文幕邑翠屛里の金鳳駿画伯)」・・・金鳳駿さんの本拠地・江原道原州(ウォンジュ)の神話美術館を訪ねて。
 日本の<walk9>という組織の人たちがこの神話美術館を訪れた記録がありました。日本語です。→コチラ
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精力的な創作活動を続ける民衆芸術家 洪性譚 = 韓国80年代民主化運動と版画の親和性 =(3)

2011-10-15 23:58:05 | 韓国の芸術
 孔枝泳「まじめな男」を読んで 韓国80年代民主化運動と版画の親和性(1)

 民衆版画の先駆者 呉潤(オ・ユン) 韓国80年代民主化運動と版画の親和性(2)に続く第3弾。一応最終回です。
[11月17日]の付記
 「一応」最終回と書きましたが、11月17日<民衆芸術家・金鳳駿の個人展 明日から>という記事をこのシリーズ第4弾としてupしました。

 光州の金大中コンベンション・センターから道を隔てて5.18自由公園があり、そこに光州民主化抗争の資料等が展示されている自由館があります。その展示室に入ってすぐ正面に、洪成潭(홍성담.ホン・ソンダム)の大きな版画作品が掲げられていました。

     
              【「行こう! 道庁へ!」】

 思いがけない出会いでしたが、ある意味では当然の出会いだったとも言えます。

 1955年全羅南道新安郡に生まれた洪成潭は、1979年に光州の朝鮮大学校美術科を卒業しました。
 80年の光州民主化抗争に際しては光州市民軍の文化宣伝隊として活躍し、抗争が鎮圧された後は光州抗争・5月版画と題する一連の作品によって光州の人々の闘う姿や弾圧の惨劇を世に伝えました。
 先の記事で記したように民衆的な版画の創作活動は70年代にも呉潤が、そして80年代初期からは洪成潭や李守(イ・チョルス)によっても続けられてきました。
 しかし、80年代の民衆版画運動の大きな画期となったのは1982年末刊行の洪成潭の版画集だったということです。
 先の記事で紹介した韓国民衆版画集」(1987年)所収の崔烈「解放の力としての版画」には次のように記されています。

 1982年12月に『暦』という形で出版された洪性譚版画集は、・・・以後展開されることになる版画運動の端緒となった。それは、非常に墨が濃く、周縁で疎外されている生を震えているような線で描写したもので、陰鬱で厳粛な哀しみを表した作品に満ち、当時としては感動的なものであった。生産の現場で生きる人々や、民衆を志向する知識人たちが熱心に『暦』を買い求めた。それは版画の威力を証明したと言うよりは、版画が備えている民衆的な可能性が、共に呼吸し始めたということであり、版画が美術運動の前衛を担うことができるという具体的な兆しであったと捉えることができる。

 1983~86年、洪成潭は光州で市民美術学校を開きます。受講生が能動的に参与することを期して、版画製作以外に民衆劇遊びなども織り込んだ洪成潭自身の報告も「韓国民衆版画集」に掲載されています。
 1989年、彼は自らが共同議長をつとめた民族民衆美術運動全国連合の仲間たちと大型の掛け絵(コルゲ・クリム)「民族解放運動史」を共同制作してその全国巡回展を展開します。しかし同年7月、その「民族解放運動史」の写真を平壌での世界青年学生祝典に送ったという理由で、国家保安法によって逮捕・投獄されます。

 2007~8年日本各地(5ヵ所)で開かれた「民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945-2005」展は、80年代を中心に韓国戦後の民衆美術を通観する美術展でした。その詳しい紹介記事によると、洪成潭は南山の安企部地下取調室で水槽に頭を突っ込まれて肺胞に水があふれ、胸がひき裂かれるような苦痛と窒息で意識を失うという拷問を受けたそうです。(そのため肺結核を病んでしまった。) 「現世と冥界の狭間で垣間見たものは、青い故郷の海であった」という実体験を基に、1996年彼は「浴槽――母さん、故郷の青い海が見えます」と題した絵を描いています。

※<My Green Tree is so beautiful>というブログ(韓国語)中に「民衆の鼓動」展を鑑賞したという記事があり、そこで上記「浴槽」の画像を見ることができます。ぜひ見てみて!(このブログのバックに流れている歌は韓国民衆音楽の先駆者・鄭泰春(チョン・テチュン)の「건너간다(コンノカンダ.渡り行く)」です。ぜひ聴いてみて!)
 (この作品は収蔵しているソウル市立美術館のサイトにもあります。)

※「民衆の鼓動」展の図録は西宮市大谷記念美術館府中市美術館のショップで今も販売されています。

 1991年、国際人権団体アムネスティは<世界の苦難を受ける良心の囚人3人>の1人して彼を選定する等、国際的な支援も受けて彼は92年に全州矯導所(刑務所)を出所します。

 80年代の民主化運動を担った有名・無名の人々がその後20余年の間に辿った足跡はさまざまで、「体制側」に転じた人も多くいます。
 しかし洪成潭の強い民族主義に裏打ちされた反権力の姿勢は健在で、2009年の「ハンギョレ」には、「光州ビエンナーレは5月の精神に立ち戻ることだ」等々彼の発言を載せています。
 その記事中にも記されているように、最近彼が取り組んだテーマのひとつが靖国問題です。
 「中央日報」の記事によると、彼は「靖国神社を20回以上訪れたほか、日本全域に散らばる神社60ヵ所を踏査した後、「靖国」作品を描き始めた」とのことです。すでに2007年11月東京のギャラリーマキでその<洪成潭展「靖国の迷妄」>が開かれています。

 
      【「夜想曲 靖国」 -「国の迷妄」より。メッセージ性の強い絵画です。】

※ある韓国サイト中で、<靖国の迷妄展>の詳しい紹介記事があり、そこにも上の作品以外の強烈な作品が載せられています。

 そして今年も5月に洪成潭代表作「光州民衆抗争・5月連作版画」が東京(ブレヒトの芝居小屋)で開かれる予定だったのですが、3.11地震の影響で2012年(1〜3月頃)に延期されました。詳細は→コチラ。洪成潭さん自身が来場して詩の朗読などをするということだそうです。

 ここで最初に戻って、孔枝泳の小説「진지한 남자(まじめな男)」について。
 私ヌルボ、この小説の主人公である「まじめな版画家」のモデルが誰かいるのか韓国サイトを探ってみました。結局はよくわからず。しかし、孔枝泳と洪成潭は2008年12月の「外国人労働者への差別禁止」を求める各界著名人の声明に名を連ねる等々接点は多いようで、どのくらいかはわからないまでも、孔枝泳さんは彼のことをある程度は念頭においてこの小説を書いたことは推察されます。
 ただ、上述のように洪成潭さんは権力による弾圧には遭いましたが、評論家や新聞の評、あるいは世の風評に翻弄されることがあったかどうかについてはよくわかりませんでした。
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民衆版画の先駆者 呉潤(オ・ユン) = 韓国80年代民主化運動と版画の親和性 =(2)

2011-09-26 23:58:10 | 韓国の芸術
 先月翻訳本で読了したキム・ヨンハの小説「光の帝国」に、民主化闘争が高揚していた1986年当時の延世大学のサークル室(政治経済研究会)について、次のような一節がありました。

 壁には、仮面をつけて踊る男を彫ったオ・ユン(呉潤)の木版画と、シン・ドンヨプ(申東曄)の詩『金剛』が並んでかけられていた。

 9月14日の記事でも書いたように、詩人・申東曄(신동엽.1930~69)の叙事詩「금강(クムガン)」は、漢字で書くと『金剛』ではなく『錦江』です。
 民族主義的な抵抗精神の横溢した彼の詩と並んで掲げられていることからも、呉潤(1946~86)の木版画が民衆芸術として、80年代民主化闘争を担った人々の心を捉えたことがうかがわれます。

       
   【断定はできませんが、呉潤の踊る男の版画とはこの(ような?)作品です。】

 <詩と踊りを踊る絵(시와 춤추는 그림)>というタイトルの韓国ブログ中に、「凄絶な80年代民衆の社会的伝記 絵で発言する」という記事がありました。
 そこには、呉潤の版画と出会った感動を次のように記しています。

 80年代われわれは呉潤のような民衆版画家が出て、長く累積した文化的劣等感を確実に解消できた。日本から受けた劣等感、軍事独裁から洗脳された劣等感をすっかり洗い落とすことができた。こんな版画は、どの国の影響も受けず、自生的で創造的美術だったためだ。 
 ・・・・彼の版画ひとつが与える戦慄と感動は天地の開闢だった。彼の版画は、当時金芝河の詩と散文集の常連として用いられ、相乗効果を発揮した。私はそんな版画を見て万歳を叫ぶばかりだった。これはまさしくパンソリを聞く時われわれの心の深いところに積もった一切の恨としこりまですべて抉り出してかき出してくれる、そんな涼しく白い日陰の草といえる。

 ※上記リンク先の韓国ブログに流されている歌はノチャサ(노래를 찾는 사람들)の「5月の歌(5월의 노래)」です。

 ここにあるように、呉潤は70年代からすでに金芝河の詩集には常連の版画家となっていました。言うまでもなく(?)、朴正煕政権を批判した作品で投獄され、死刑宣告を受けて、日本でも関心を集め、釈放運動も行われた詩人です。

      
  【70~80年代の代表的抵抗詩人・梁性祐(ヤン・ソンウ)の詩集「落花」も・・・。崔明子(チェ・ミョンジャ)という勤労女性とその詩集「私たちの願い(우리들 소원)」は知りませんでした。】

 ところで、この金芝河と呉潤は、ずっと以前からの知り合いだったそうです。呉潤の姉のオ・スッキ(呉淑姫? 現全南大学の女性学者)と親交があり、また姉弟の父である小説家・呉永寿(オ・ヨンス)のことを知っていたことから金芝河が呉一家の家に出入りしするようになり、1963年にまだ高校生だった呉潤とも初めて会って話をしたとのことです。(金芝河は彼の5歳年長。)
 その時に金芝河は、敦煌や高麗の仏画を観ること、金弘道(キム・ホンド)申潤福(シン・ユンボク)をよく観ること、メキシコのシケイロスリベラを深く勉強すること等を説いたそうです。

 その言葉通り、呉潤はその後仏教美術について理解を深める一方、さまざまな民衆文化に興味を持ち、また金芝河とともに姜一淳(カン・イルスン)等の民衆的な生命思想にも傾倒したということです。
 この辺の経緯は、2006年に呉潤の回顧展を開いた国立現代美術館のサイトの記事を参照しました。

※小説家・呉永寿は、私ヌルボも観た金洙容監督の映画「浜辺の村(갯마을)」(1965)の原作者。また呉永寿文学賞という文学賞があり、2004年(第12回)の受賞者が孔枝泳。いろんな縁があるものです

 上記のような呉潤の足跡を見ると、その強い民族主義・民衆主義・反権力志向が、70~80年代の民主化闘争と波長が合った・・・・というよりも、運動の精神的基盤を形成する役割さえも果たしたのではないかと思います。

      
    【呉潤が描いた「地獄図」。<코카-콜라(コカコーラ>)や<MAXIM>に注目!】

 年齢的にも80年代の民衆版画家たちの先導役を果たした呉潤ですが、闘争の成果である<6.29民主化宣言>を見ることなく、その前年の1986年、初の個人展を開いた直後に肝硬変のため40歳の若さで世を去りました。

 しかし今世紀に入っても上記のような20周忌回顧展も開かれ、そして日本でも2008年に<民衆の鼓動 韓国のリアリズム 1945-2005>というタイトルで展覧会が開かれました。
 私ヌルボは観ていませんが、呉潤と洪成潭(ホン・ソンダム)を中心とした企画だったようです。

 次はその洪成潭をとりあげます。
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孔枝泳「まじめな男」を読んで = 韓国80年代民主化運動と版画の親和性 (1)

2011-09-12 23:55:46 | 韓国の芸術
 孔枝泳「진지한 남자(まじめな男)」を読みました。
 8月8日の記事で書いた、孔枝泳の李箱文学賞受賞作「裸足で文章の小路を廻る(맨발로 글목을 돌다)」に収録されている自選作です。
 その記事のコメントでのんきさんが書いて下さったように、おもしろいです。「おもしろい」というのは、この先ストーリーはどう展開していくんだろう、という興味に引きずられて、最後まで一気に読ませるということです。正直なところ、受賞作よりもそういった意味ではずっとおもしろいです。同様の感想は、韓国ブログにもいくつかありました。(たとえば→コチラ)

 この作品の主人公「まじめな男」は版画家です。80年代の民主化運動の頃、当時の反抗的青年らしい黒く染めた軍服と軍靴に長髪といういでたちの彼には、「街に壁画を描いている」とか「富川の工場で働いてるそうだ」等々の噂も流れました。その後彼は若手画家の美術展で注目され、さらにソ連崩壊の頃「歪められた仏陀」という一連の版画で一躍大衆的な人気を獲得します。
 「まじめな男」である彼は、芸術活動には関係のない講演会等にも律儀に出向いたりします。しかし、いっとき人気沸騰した人物がその後貶められるのは世の常で、「彼は実はクリスチャンだった」という暴露記事(?)や商業主義等々、非難の嵐にさらされます。
 この物語の語り手である「私」と読者には、主人公が金銭欲や名声欲とは無縁の芸術家であることがわかっています。しかしそんな「まじめな男」の人生が、次々に降りかかる世評に翻弄されていくのです。

 このような小説を読むと、チェ・ジンシルの自殺事件をはじめとして多く俳優等々の自殺を招いている韓国のネットいじめ事件(韓国では<サイバー暴力(사이버 폭력)>を想起します。もしかして以前から、芸術界にもあったということでしょうか? このサイバー暴力の問題については、ここではおいておきます。

 小説のテーマに直接は関係しませんが、私ヌルボが興味を持ったのは次のようなことです。
①この「まじめな男」には、モデルの版画家がいるのか? 
②80年代民主化運動と、「版画」という美術ジャンルには密接な関係性があるのでは?


 ①はとりあえずおいといて、なぜ②のようなことを考えたのかというと、私が持っているいわゆる<運動圏歌謡>の歌集3冊のカットや表紙に、いずれも版画が使われていることを思い起こしたからです。
 下の画像を参照してください。

          
  【 1982年3月「蕨市のコーリヤ・プロ」が発行。いかにも弾圧が厳しかった時代らしい。】

  
    【 元はガリ版刷り(?)のようで判読がむずかしい。版画も不鮮明。右ページに民衆詩人・金洙暎(キム・スヨン)の詩の抜粋。】

 孔枝泳の主人公「まじめな男」は、「金洙暎の肖像画のように黒い瞳が魅力」と書かれています。

        
【 1988年9月ウリ文化研究所発行。表紙の版画は朴珍華(パク・チンファ)の作。「朝露」の歌詞ページにはチョン・ジンソクの版画。】

 上の歌集はソウル五輪開幕と同月の発行。朴珍華(박진화)は80年代民主化運動の過程で民衆芸術家の道を歩み始めました。現在江華島に朴珍華美術館があり、そのサイトで彼の作品を見ることができます。

     
【 2005年発行。編著者は「韓国の民衆歌謡」編集会議。時代背景等の説明の下にイ・ジュヒョンの版画があります。】

 「韓国の民衆歌謡」編集会議は、コッタジ応援団とノレの会で構成した組織だそうです。
 
 上記の歌集は、私ヌルボが韓国の闘争の歌(運動圏歌謡)に興味があったから買い求めたのですが、こうしてあらためて見てみると版画と民衆闘争の<親和性>は明らかですね。
 いろいろネットや図書で探索してみると、1987年3月発行の韓国民衆版画集という本にゆきあたり、幸い横浜市立図書館にあったので読んでみました。

       
        【発行はお茶の水書房。右はその中のオ・ユン作「春無仁秋無義」(1985)。】

 編者は「韓国の民衆歌謡」発行所のウリ文化研究所です。
 この版画集には、上記のパク・チンファ、チョン・ジンソク、イ・ジュヒョンの作品も収録されています。
 そして、巻末に美術評論家・崔烈「解放の力としての版画」というタイトルで次のように述べている部分に注目しました。

 版画というものは、多数の複製の可能性を特性として備えている。それはコミュニケーション・流通が最大限に行われ得ることを意味し、可能な限りの多くの人々によって共有され得るメディアとしての特徴を持っている。最大限のコミュニケーションが意味する質的次元の高まりや、最大限の流通が意味する量的次元の増大は、版画だけが持っている性質だとは言えないまでも、版画がそうした要求を見たし、かつ、そうした意図を貫くことが容易にできるということで、メディア運動に相応しい文化的な方法として取り入れられたのである。

 崔烈はさらに続けて、「(版画の)はっきりとした明暗の区画は骨格と輪郭を強調することを可能にする。従って、感覚に訴える力は、ひじょうに印象的で、強烈なものであり、・・・・志向する目標点に加える打撃の正確さは他に比する物が無い」という特長を指摘しています。 
 
 「多数の複製」に関しては、小説「まじめな男」の中でも、人気をよんだ主人公の版画作品の無断コピーがどんどん作られ、街に出回る状態が描かれています。主人公は仲間2人に著作権について相談します。2人の間に議論が始まりますが、結局「まじめな男」はコピーを放置したままにします。

 さて、この「韓国民衆版画集」の記述や、いろんなウェブサイトを読んで、80年代韓国の民主化闘争の時代を中心に、あるいはその前後から今までも含めて、とくにキーパーソンともいうべき2人の人物に焦点を絞って見てみることにします。
 呉潤(オ・ユン)洪成潭(ホン・ソンダム)がその2人なのですが、すでに字数も多いし、以下は(2)に続くということにします。 
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アートとしてのハングル 書家・韓泰相の試み

2010-07-31 23:59:43 | 韓国の芸術
 月刊誌「pen」7月号の特集<書のチカラ>中に、「世界を席巻する、日・中・韓の現代書家」という記事があることを教えられ、目を通してみました。
 日本の柿沼康二には<自分の魂と戦う、書の格闘家>とあり、中国の李強には<勇壮で典雅な、中国書壇の風雲児>、そして韓国の韓泰相(한태상.ハン・テサン)には<"書"を超えた、ハングルの造形美>と、各々見出しが付けられています。
 このブログの主旨に沿って、韓泰相氏の書に絞って見てみます。

 韓国では書道のことを書芸(서예)といいます。
 仁寺洞などに行くと、墨・硯・筆・紙の<文房四宝>を売っている店があったり、書芸の作品を展示・販売している店もあることは知っていましたが、私ヌルボ、これまで購入はもとより、じっくり作品を鑑賞するということはありませんでした。
※あるサイトでは、「筆や硯は、中国で見つけた方が面白いし、墨は日本のものの方が上質…。結局、お薦めは韓紙かな、と思います」と記されてましたが・・・。
 ただ、漢字だけでなく、ハングルについても、主に伝統を感じさせる書法で書いたものは伝統茶の店や食堂等に貼ってあるもの、包み紙等々でしばしば目にしてきました。
 ところが、「pen」に載っている韓泰相の5作品は、伝統的な書とは別の現代アートといった趣き。(柿沼、李強の作品も同様。) ソウル教育大学校美術科教授という彼の肩書きにも関係するのでしょうか?
 この雑誌掲載の作品はネット上を探してもないようなので、韓国サイト等で拾ったものを下に掲げます。

    
       【韓泰相「문자이야기 08-Ⅲ」

 また「週刊韓国」のサイトに、「韓泰相ソウル教育大学校美術科教授"ハングル書芸の絵画化実験"」という記事が見つかりました。作品を背後に彼自身が写っている写真が付いています。

       
  【韓泰相は、このようなふつうの(?)作品も書いています。

 さらに2008年6月の「女性新聞」の記事で<ハングルカリグラフィTシャツ>というTシャツが発売され好評を博しているというものがありました。発売元ティウムのサイトは→コチラ。ハングルをデザイン化したいろんな商品があります。

 韓泰相と、趙盛周(조성주)余泰明(여태명)の3人の書家の字をあしらったもので、とくに趙盛周が書いた「山有花(산유화.金素月の詩)Tシャツ」はTVドラマで俳優が着たりして話題になっている、と記されています。
 趙盛周や余泰明の書も、いくつか見てみました。たしかに、元来幾何図形的なハングルは、より美術との親近性が強いと言えるかもしれません。

    
    【趙盛周の書による「山有花Tシャツ」

  
  【趙盛周「흙에서 자란 내 마음(土で育った私の心)」

      
  【余泰明「梅の花よりもっと美しいあなた」】
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鉄腕アトム+ミッキーマウス → アトマウス

2010-07-07 13:41:42 | 韓国の芸術
 今日7月7日は、①誰でも知ってる七夕 ②知らない人が多い盧溝橋事件(1937年) ③私ヌルボも知らなかったグスタフ・マーラーの誕生日 です。 ③はともかく、②を知らない人が多いのは歴史教育とか歴史認識の問題でしょうか。

 さて、昨晩KBS1ラジオの教養番組「シン・ソンウォンの文化を読む(신성원의 문화 읽기)」を聴いていたら、李東起(イ・ドンギ.이동기)というポップアート作家の作品展を紹介していました。

 この作品展については、ちょうど昨日、Innolifeのサイトで紹介されていました。
 「Bitter sweet」展と冠された作品展で、6月24日から1カ月間ソウル清淡洞ギャラリー2で開かれているとのことです。

 イ・ドンギの作品は、日本でも2005年の「AniMate。~日韓現代アートに見るアニメ的なもの~」(福岡アジア美術館)と、2008年の個展(クムサンギャラリー東京)で紹介されてきたそうですが、私ヌルボは彼のことを知りませんでした。

 このラジオ番組を聴いていると、「アトムとミッキーマウスを結合させたアトマウスで旋風のような人気を引き起こした」とのこと。
 ネット検索してみると、ありましたよ。たとえば下のような作品。

     

 イ・ドンギとアトマウスについて「朝鮮日報」は2008年次のように記しています。

 イ・ドンギにも先駆者として経験しなければならなかった無理解の時期があった。
 初めは大きな反応がなかったが、2000年代に入ってから本格的な反応が来た。
 「今はポップアートブームがおこっているが、当時はポップアートに対して深みもなく芸術性もない作品だと評価されるだけでした。アトマウスが初めて登場した時は、美術作品ではなくマンガと言われたんです。」
 彼は非常に平気な表情で言う。なんだか彼の絵の中アトマウスが作るそんな表情だ。丸い頭とそっていないひげまでもいたずらに見える姿。その自分が‘大人になった男の子’かも知れない。地下鉄の乗り換え通路に彼のアトマウスシリーズが設置されたことがあった。


       

 ・・・つまり、韓国でアトマウスはよく知られたキャラクターのようですね。そして作家イ・ドンギは韓国ポップアートの旗手。
 その彼の今回の作品展は<アトマウスを除いた>新作を披露するとのことで注目されているようです。

 別のキャラクターの結合というと、<サザエボン>がよく(?)知られていますが、<サザエボン問題>なんかも起こっているようで・・・。
 案の定、嫌韓っぽいサイトではアトマウスに対する厳しい記述もいろいろあるようです。

 なお、イ・ドンギ自身のサイトは→コチラ。内容豊富です。
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