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ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

[2018年韓国の流行語 総まとめ①] とりあえず1位だけ。日本由来だけど、ご存知?

2019-01-04 00:23:57 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 流行語大賞にノミネートされた言葉全30語の元(意味や出所)を半分でも部知ってるオジサン、オバサンはどれくらいいるのですかねー? 全然見当がつきません。いや、そもそも大賞の「そだねー」以外にどんなのがあったっけ????
 ま、それはそれとして、本ブログの趣旨に沿って<韓国の2018年の流行語>をまとめてみました。
 ネタ元は、中央日報の<今年の流行語トップ10>(→コチラ.韓国語)を一応ベースにしましたが、他のいくつかの記事で説明を補ったり、私ヌルボの見解等も勝手に混ぜ込んたりもしています。

[1位]小確幸(소확행.ソファッケン)
 「小確幸」とは、「さいが、実なせ」の略語。韓国語も同様に「소하지만 실한 복」から3文字拾って「소확행」。この言葉は、本来は村上春樹が「ランゲルハンス島の午後」中に収めたエッセイ「小確幸」で用いた造語。「うずまき猫のみつけかた」等にも出てくる言葉のようです。さらにその元はレイモンド・カーヴァーの短編小説「ささやかだけれど、役にたつこと」の原題「A Small, Good Thing」に由来するとのことです。
 なお、この「小確幸」は、台湾では2012年頃から流行語になっていて、店の名前などにも用いられているそうです。また中国でもほぼ同じ頃からこの言葉は広まり、そして韓国も。
 2018年韓国でこの言葉が流行した大きなキッカケは、映画「リトル・フォレスト」。五十嵐大介の原作漫画(右画像)も2008年に韓国版が刊行されていますが、橋本愛主演の2部作が韓国でも2015年に公開され、好評を得ました。そして18年2月にキム・テリ主演の韓国版リメイクが公開。イム・スルレ監督が韓国の実情に合わせて内容を手直ししたこともあってか(→コチラ参照)観客動員数は150万人に達し、関連で「小確幸」という言葉が一挙に広まりました。
 ※日韓の映画「リトル・フォレスト」と日本人の信仰や心性、村上春樹等とともに、「小確幸」について詳述した<クリスチャン・トゥデイ>の記事は→コチラコチラ(共に韓国語)
 ※韓国版の「リトル・フォレスト 春夏秋冬」は今年初夏、日本で一般公開されます。
 ところでこの「小確幸」、発祥の地・日本ではまた[1位]なのに長くなってしまいました。しかし、この言葉は日本ではどれほど知られているのでしょうか? 私ヌルボは知りませんでした。そして、受けとめ方はどうでしょうか? つまり共感するか否か? ヌルボの場合は共感度7割くらいですかねー。マイナスの3割は、「なんかトシヨリっぽい」(自分もトシヨリなんだけど。村上春樹は84年頃まだ30代で上記のエッセイを書いたとは!)、「大きな幸福が考えられない社会の反映?」、「小さな幸福さえ確実といえない人が多いってことか?」等々、いろんなことを考えてしまうから。「小確幸」も、フツーの人たちが漫画や映画のような生き方をそのまま実践できることでもなさそう。こう生きられればいいな、ということでは? ま、それでいいんですけどね。(と毎度のごとくはっきりしない。)

 今年のブログ運営方針の1つは、「記事が長くなりすぎないように」です。ベスト10なのにまだ1つだけですが、あとは続きで・・・。
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「白丁(ペクチョン)」という言葉に抵抗感がない韓国・北朝鮮に驚く ②北朝鮮が30年以上公的に使ってきた「人間白丁」という罵倒語

2018-08-13 20:09:05 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 →1つ前の記事の続きです。

 北朝鮮が国際外交の場面で用いている非難の言辞の激しさはあいかわらずです。
 トランプ大統領に対して、(オットー・ワームビア青年の死に関して)「老いぼれの精神異常者とそのろくでなし仲間が捏造した虚偽情報で最高指導者の神聖なる尊厳を傷つけた」とか、「老いぼれならず者のトランプが三寸の舌で『弁舌』を振るいながらまたもやたわごとを並べ立てて米国の内部と国際社会を騒然とさせている」等々。
 これに対してトランプもほぼ同じようなレベルでやりあっていたから、まるで子供同士の口喧嘩のようなみっともなさでした。
 北朝鮮による罵倒語の中で、私ヌルボが本気でこれは許せないと思ったのは、脱北者たちをかなり以前から「인간쓰레기(インガンスレギ.人間ゴミ)と呼んでいること。一体誰がそんな「人間ゴミ」を生み出しているというのか? 実に無責任極まりない言葉です。
 
 そんな北朝鮮の、それも公的に流される口汚い罵倒語も毎度毎度のことなので、ちょっと鈍感になってきたかな?という私ヌルボでしたが、一昨年(2016年)の4月、北朝鮮の公式サイト<우리 민족끼리(ウリミンジョッキリ.わが民族同士)>の4月30日の記事(→コチラ)の見出しを見た時には驚きました。

  인간백정의 무리에게는 참혹한 징벌만이 명처방이다
  (人間白丁の群れには残酷な懲罰だけが名処方だ)


 今も問題が再燃している中国・寧波の北朝鮮レストラン従業員の脱北を「韓国による拉致である」として非難する記事ですが、それにしても<人間白丁(インガンペクチョン)>とはなんと強烈な言葉か!
 同じく同年10月5日にも인간백정, 살인마들을 고발하는 농민사망사건(人間白丁、殺人魔たちを告発する農民死亡事故)」という見出しで2015年11月のデモに参加し、警察の放水銃に倒れて重体に陥って16年9月に死亡したペク・ナムギさんについての記事がありました。

 調べてみると、<人間白丁>とは(最初ヌルボが誤解したような)「人間である白丁」という意味ではなく、「人間を家畜のように殺す白丁」といった意味なのだそうです。
 そして、とくに最近の北朝鮮特有の言葉ではなく、かつては朴正熙や全斗煥に対しても使われました。またアララ!と思ったのは北朝鮮に限らず韓国の側でも用いられているということです。
 たとえば保守系の言論人・趙甲濟(チョ・カプチェ)氏も2011年12月金正日国防委員会委員長の死去後인간백정을 애도하는 북한주민의 속내(人間白丁を哀悼する北韓住民の胸の内)」と題した記事(→コチラ)と、金正日を<人間白丁>とした記事を公表しています。
 最近では、今年5月脱北者団体が風船にビラを付けて北朝鮮に飛ばそうとして市民団体と警察に制止されたということがありましたが(→コチラ参照) そのビラには「형님을 살해한 악마, 인간백정 김정은(兄を殺害した悪魔、人間白丁金正恩)」などと記されていたとのことです。
 それ以外にも、韓国の記事を探すとスターリン、ヒトラー、毛沢東、そして金日成等が<人間白丁>のレッテルを貼られている例が見つかりました。

 ヨクソル(욕설.辱説)すなわち悪口(罵倒語・侮蔑語)の多様で豊富なことは韓国人の誇るところ(笑)で、本ブログでも映画「息もできない」に出てくるスラング(ほとんど侮蔑語)についての記事(→コチラ)を書いたことがありました。
 また、韓国語関係のいろんな本にも記されています。たとえば辛淑玉「愛と憎しみの韓国語」(文春新書)もその1つで、彼女自身が子供の頃から聞いていた(使っていた??)悪口をたくさん載せています。その中で、少しためらいがちに紹介していた「過激な」悪口が1つ前の記事で書いた「ミッチンノム」でした。「狂ったヤツ」という意味で、ごくふつうに軽く使われている言葉ですが、辛淑玉さんは「障碍者差別につながる」ということでためらいがあったのではないでしょうか? そして「白丁」のような身分や職業関係の差別語も載っていないのは意識的に避けたのかどうか?
 ※日本でもかつてはそんな障碍者や身分・職業に関する悪口がいろいろありました。筒井康隆「悪口雑言罵詈讒謗」(「欠陥大百科」(1970)所収)にドカッと書かれています。
 もしかしたら、「人間白丁」という罵倒語もそんな<文化的伝統>のあらわれなのかもしれません。しかし、国際常識を考えると、自身の品格を貶めているという点で相当のマイナス効果になっていると思うのですがねー・・・。また、国際社会ももっと厳しく批判すべきではないでしょうか?

 この「人間白丁」については、私ヌルボがこれまでしばしば参考としてきた<辻本武 tsujimoto blog>に関連記事がいくつもありました。その中で、今年5月の→コチラの記事で、辻本さんは「季刊 三千里 №25」(1981年2月)所載の作家・金石範さんの「差別、雑感」と題した小文の一部を紹介しておられます。
 「季刊 三千里」は何冊か持っていますがこの号はなく、図書館にもないので、恥ずかしながら孫引きになってしまいますが、そのまま載せることにします。

 朝鮮での「被差別民」を意味する「白丁(ペックチョン)」ということばの用法について、一言いっておきたい。在日朝鮮人組織の朝鮮語の機関紙『朝鮮新報』などで、いまでも朴正熙や全斗煥らをさしていう場合、「人間白丁」などと大きな見出しで堂々とでてくる。
 白丁は高麗時代に隋から入ってきた言葉で「百姓(ペックソン)」―人民を指していたようだが、しかし長い歴史の過程で「百姓」のどの階層を指し、そしてどのような賤称の響きを持つに至っているか、年輩の朝鮮人なら知っているだろう。
 それは「エタ」「ヒニン」と同じような響きを持って人の胸を突き刺す。白丁は死語ではない。その人たちの存在とともに、言葉は生きている。私は先に「チョーセン!」が朝鮮人以外に蔑称として向けられている事実について触れたが、「白丁」を人殺しや人でなしなどの代名詞として、印刷物などで公公然と使用するのはやめるべきだと思う。
 たとえば「人間白丁全斗煥」となった場合、「白丁」という言葉が放つその否定的な毒はどちらに強く突き刺さるか。それは全斗煥よりも「白丁」に属する者たちに強く向かっていく。「白丁」に属する者が、その形容をどのような思いで聞くか。「白丁」がそのような形容詞として使われることがないように切に望みたい。自ら被抑圧解放の立場においている者の場合はなおさらだろう。


 この金石範さんの文に続けて、辻本さんは次のように記しています。

 「白丁」という言葉は、それから35年も経った今でも韓国で使われています。テレビドラマや映画にこの言葉が出てきます。しかし韓国では問題にはなりません。日本で「」と言えば大問題になりますが、ここが韓国との違いですね。

 そして韓国のこのような現状をどう理解するか? 辻本さんが示す3様の解釈をヌルボなりに箇条書きにまとめると・・・
  ①差別が日常化しているので問題とは気付いていない。
  ②差別というものがなくなったから逆に差別語が自由に使われている。
  ③朝鮮戦争で国土が焦土化して白丁自体が消滅したため、この語は単に比喩的表現として残っているだけ。

 ・・・となります。
 この中のどれが正しいかについては、「(上記のような)いろんな説明があるようです。本格的には議論されていないようですね」と書くにとどめています。私ヌルボもよくわかりません。①~③のすべての要素が混在しているようにも思えます。

 この辻本さんの記事に寄せられたA.OTAさんという方のコメントには次のように書かれています。

 ただでさえ結束力の弱い地域共同体はその後の日本支配と朝鮮戦争のさらなる破壊によって現在は影も形もありません。そういう歴史の中では「白丁」という地域社会の中でのアンタッチャブルが人の心に実体として残される理由はありませんよね。韓国に住み始めて四半世紀を過ぎましたが「白丁」という言葉を人々の辱説、悪罵の中で聞いたことも一度もありません。

 ・・・と、ほぼ③に該当する見解のようです。
 しかし、人(世代等)や地域によってこのような問題についての体験にはかなり差があるのではないでしょうか?(日本の場合とくに痛感。) 上記のように少なくとも書き言葉としては「白丁」は今も用いられてます。
 なお、<ナムウィキ>の「백정」の項目(→コチラ)をみると、韓国プロ野球で、サムソンライオンズの投手として活躍しているペク・チョンヒョン(백정현)投手のニックネームの1つに「最後の1文字を落として・・・」というものがあるとか、ネット内では主に漢方医や薬剤師などが、メスを持って手術する医師に対して使うことがあるといった記述があります。(どれほど一般的なものか、よくわかりませんが・・・。)

 結局私ヌルボ、いろいろ調べて新たにわかったこともありますが実体はつかめず、自分でも隔靴掻痒といった感じの記事になってしまいました。
 ただ、上掲の金石範さんの文章が37年経った今も通用するということが非常に残念です。今一度、とくに<当事者>の人たちはぜひ読んでほしいものです。
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「白丁(ペクチョン)」という言葉に抵抗感がない韓国・北朝鮮に驚く ①店名にも用いるとは・・・。差別がなくなったあらわれ??

2018-08-11 18:42:13 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 2016年11月、ソウルの明洞を歩いていて、「白丁」という店名が書かれた案内板を見て驚きました。白丁(ペクチョン.백정)とは、朝鮮時代の身分制度で最下位に位置付けられていた被差別民です。
 日本の歴史用語では(あえて書きますが)「」に相当する言葉です。被差別民に対する差別が完全になくなったとは言えない日本と違って、韓国では朝鮮戦争等で白丁の集落は解体し、白丁たちは各地に分散して実体がなくなったとのことで、現在韓国の多くの人々は「白丁差別は過去のことで、今はなくなった」と言うそうです。
 こうした店名があること自体そのあらわれなのでしょうか?

 朝鮮時代の身分を大別すると、まず支配階級の両班(ヤンバン)。高校の世界史の教科書にもあるので知っている人も相当数いると思います。その下に中人(行政実務担当者等)、そして一般の農民等は常人で、さらにその下がです。
 に含まれる人々には官、妓生、僧、芸人等々がいて、一番下が白丁でした。
 近現代の韓国の白丁の歴史をテーマにした小説・鄭棟柱「神の杖」(解放研究所.1997)については→コチラの記事で書きました。この記事に関連することもいろいろ書いたので、目を通してみてください。
 白丁の生業は屠畜・食肉商・皮革業・骨細工・柳細工(編笠、行李など)でしたが、代表的なものが屠畜で、「神の杖」とは牛をさばく時に用いる牛刀のことをいい、それは白丁自身の誇りを示す道具でもありました。
  ※백정はexcite翻訳では<白丁>と翻訳されるが、 google翻訳では<肉屋><ブッチャー><白丁>の順に3候補が提示される。


 冒頭の「白丁」の案内板を見ると上に「姜虎东」と書かれています。日本式漢字だと「姜虎東강호동(カン・ホドン)」で、韓国の人気TVタレント・MCです。その彼が展開する焼肉チェーン店なのですね。
 検索すると、店のメニューの画像(右)がありました。カン・ホドンが牛刀を持っています。
 つまり、白丁に対する差別が本当になくなったか否かは別として、「食肉を扱う専門家」というのが現代韓国の白丁のイメージということなのでしょうか。
 ※この店については→コチラや→コチラの記事参照。ただしどの記事にも被差別民・白丁のことは書かれていません。韓国の記事も同様です。私ヌルボのようにムムッと立ち止まって写真を撮るような人間はまずいないということでしょうね。

 まあ、ほとんどの人が「今は白丁差別はない」と言っているからそんなものかも。・・・と言っても疑問は残ります。
 私ヌルボ、上記の小説「神の杖」を読んだのが約20年前。その直後ある韓国人の方にその本の感想を語り、白丁について質問したところ、「差別は今もあります」というはっきりとした答えが返ってきました。それは姓氏に関係する差別の話だったのですが、今ひとつ具体的な内容については聞けませんでした。それが「天方地丑馬骨皮」のこととわかったのはその何年か後でした。
 この「天方地丑馬骨皮」については<シンシアリーのブログ>の→コチラの記事に詳しく書かれています。
 また、韓国の各地を廻って取材したルポ・上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版.2014)を読むと、食肉業者に対する差別等、差別はいまだに残っているようです。
 私ヌルボの理解では、時代の変遷とともに差別のネタ(いわばソフト)は徐々に消えていっても、差別を生み出す社会的そして心理的仕組み(いわばハード)は今も厳然とある、ということ。新しいネタが出てくると、また新しい差別が登場する・・・。それは韓国だけの問題ではありません。

 私ヌルボ、まだ実際に観てませんが、韓国tvNで7月7日から「ミスター・サンシャイン」というドラマがスタートしました。ハングルではなぜか미스터 션샤인(ミスト・ションシャイン)です。
 ドラマの主人公2人と、物語の基本設定は次の通りです。
 ユジン(イ・ビョンホン)は、9歳の時少年の時朝鮮からアメリカに来ました。彼はの息子で、両親が主人の両班の横暴で殺された時、命からがら逃げ、辛未洋擾(1871年朝鮮軍とアメリカ軍との交戦事件)に際して(たぶん)江華島あたりに来ていたアメリカ軍に拾われて軍艦に乗りアメリカに降り立ったのです。その後彼はアメリカ軍兵士となって朝鮮に戻り、士大夫の令嬢エシン(キム・エシン)と出会うことになります。
 一方、もう1人の主役がドンメ(ユ・ヨンソク)です。彼は白丁の息子で、過酷な差別から逃れるように日本に渡り、国家主義団体の黒龍会に入ってその漢城支部長となり、日本の手先となって朝鮮に戻るのですが・・・。
 ニュースによると、このドラマに対しては「親日美化」「歴史歪曲」等の抗議の声が上がり、上記の実在の団体・黒龍会の名を「戊申会」という架空のものに変えたりした上で謝罪文を公表したとのことです。(参照→「中央日報」) ※黒龍会は1901年設立なので年代も合わない。
 このドラマでは、白丁とか(下人)とかの出自がたくましく生きる原動力のようなものとして描かれているようですが、日本では同じような事例はあるのでしょうか?

 図書館にあった上原善広「路地 被差別をめぐる文学」(皓星社)は、岩野泡鳴「の娘」(1919)からオールロマンス事件(→ウィキペディア)の発端となった杉山清一「特殊」までの小説7作品と、「問題と文学」についての松本清張・開高健等5人の座談会を収録した興味深い本ですが、編者の上原善広さんは解説の末尾で次のように記しています。

 やはり路地をテーマにした文学なりエンタメ作品がもっと出てくるまでは、路地は解放されたといえないだろう。逆に路地を舞台にした小説がもっと出てくるようになり、それが映画のテーマになり、テレビ番組になれば、路地の解放は進んだと見ていいだろう。

 上述の「ミスター・サンシャイン」の主人公は、白丁や下人出身であることが大きな意味を持っています。しかし、それをテーマと言うには疑問のあるところです。(上原さんはどう考えるのかな?)

 ここまで読んで、もしかして「韓国人は差別語に対して無神経だな」と思った人もいるかもしれません。たしかに、無頓着だなと思ったことはよくあります。「미친놈(狂った奴)」などはごくふつうに使うし、映画「シークレット・ミッション」(原題:隠密に偉大に)で北朝鮮の工作員ドングに与えられた指示は「町のパボ(馬鹿)に偽装しろ」というものでした。
 そのように、日本と韓国では差別語に対するモノサシにかなり大きな落差があると思っています。ただ、そのことが差別意識の有無のレベルとは必ずしも一致していないようです。簡単に言えば、放送禁止用語等をいくら増やしてもそれが差別意識の解消に直結するものではないということです。(放送禁止用語の規定も、差別をなくすことよりも、視聴者や各種団体の抗議に対するTV局側の事前予防措置といった感じ。)

 韓国では、今済州島のイエメン人難民申請者の処遇が問題になっています。その背景に、イスラム教やムスリムに対する偏見・差別意識があるのでは、という声もあります。差別を許さないはず(?)の文在寅政権がそんな難民排除の意見に迎合(妥協?)しているとか?
 日本では韓国のようなひどい差別はなく、「世界一差別の少ない国」と思っている人もいるようです。比較的にはそう言えるかもしれませんが・・・。
 しかし今、「白丁」&「朝鮮人」で検索すると、最初の方で「在日朝鮮人の反日は白丁の出身を隠すため」とか「白丁(ペクチョン)に支配された国家、日本」とか「在日韓国人のご先祖様がヤバすぎる件!!」等々といった記事がずらっと出てきます。まったく根も葉もない・・・でもない点が厄介ですが、在日朝鮮人に対する差別の上に白丁に対する差別を上塗りしている感があり、非常に問題があります。その他もろもろ、ネット社会はあいかわらず差別と偏見に満ち溢れています。

 白丁という言葉については、もう1つ大変驚いたことがありました。それについては次の記事で。

[追記] 19世紀末~20世紀初の頃の白丁出身の医師を主人公にした「済衆院(チェジュンウォン)」というTVドラマが2010年SBSで放映され、その後日本でも放映されました。ライバルの医師は両班出身、そしてヒロインは通訳官の娘ということは中人、という設定になっています。主人公のモデルとなったのは朴瑞陽(パク・ソヤン.1885-1940)という実在の人物。→コチラの山下英愛さんの記事参照。短編ドラマ「白丁の娘」の紹介とともに非常に詳しく書かれています。

 → 「白丁(ペクチョン)」という言葉に抵抗感がない韓国・北朝鮮に驚く ②北朝鮮が30年以上公的に使ってきた「人間白丁」という罵倒語
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[韓国]北朝鮮修学旅行を実現させたい人たちがいる! ▸▸▸ 実は10年以上前に行われていた金剛山修学旅行

2018-06-23 15:25:47 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 南北首脳会談・米朝首脳会談に対する韓国の大方の人たちの好意的な受け止め方は、日本あるいはアメリカ等とずいぶん隔たりがあるようです。とくに南北統一に対する大きな期待感については「そんなに先走っちゃっていいの?」と思わざるをません。

 4月27日の南北首脳会談の前の4月1日、韓国メディア<ニューデイリー>の「“北朝鮮に生徒たちを修学旅行で送ろう”という全教組、生徒の安全は心配しないのか」という記事を読みました。(→コチラ.韓国語)
 ※<ニューデイリー>は、朝鮮日報・中央日報・東亜日報以上に保守的なニューライト紙と見られているようです。
 記事の要点は以下の通りです。
 光州広域市教育庁が「北朝鮮への修学旅行を許可」を首脳会談の議題にしてほしいという提案をした
 ②3月28日、(進歩系教組の)全教組光州支部がこれを積極的歓迎する声明を発表した。声明には統一教材の開発、6.15公開授業の推進などの計画も含まれている。なお全教組関係者は北朝鮮修学旅行のための青瓦台(大統領府)の国民請願運動も展開していく予定と付け加えた。
 ③このような光州教育庁の提案と全教組の歓迎声明に対して、脱北者の証言等を通じて伝えられる北朝鮮の現状を考えると安全面に不安があり、また修学旅行が北朝鮮政権の広報手段に変質されることがあるという批判もある。(保守系教組の)韓国教総は、生徒の北朝鮮修学旅行に対して「慎重なアプローチ」を求めている。


 この青瓦台への国民請願については後述するとして、もう1つ北朝鮮修学旅行に対する批判記事を紹介します。「北朝鮮修学旅行に行くのなら遺言状を書いていけ」という強い見出しの<ペン・アンド・マイク>(←これも保守系メディア)の記事です。(→コチラ.韓国語)
 この記事も、北朝鮮で拘束され、2017年6月に昏睡状態で帰国した後死亡したオットー・ワームビアさんを例にしつつ安全性に疑問を投げかけ、北朝鮮修学旅行を提案しているチャン・フィグク光州市教育監やチョ・ヒヨンソウル市教育監を批判しています。
 が、私ヌルボがとくに注目したのは、この記事の冒頭でイ・スルギ記者が高校生の時に北朝鮮修学旅行に行ったという経験を書いているからです。以下、その部分を訳出してみました。

 ふり返ってみると、ぞっとする。高校生だった2006年、何も知らずに全校生徒が一緒に出かけた北朝鮮修学旅行の話だ。分断の休戦ラインを越えると、空気までもガラッと変わった当時の記憶は鮮明である。金剛山の切り立った断崖の上に真っ赤な文字で刻まれた金正日称賛フレーズを見て愕然とし、金正日記念碑に足が触れたら怒鳴りつけた北朝鮮案内員の目を見て恐怖を感じた。まるで動物のように「調練」されたような感じがした北朝鮮曲芸団の公演を見るとなぜか悲しかった。
 金正日‧金日成の名前を絶対口にしないこと。許可されていない場所では絶対写真を撮らないこと。恐ろしい表情の北朝鮮案内員は私たちに警告した。修学旅行という事実に浮かれて分別を失っていた私と友人たちは、最善を尽くして案内員の言葉に従った。警告に反した場合、何が起こるかわからないが、彼らの脅しが尋常ではなかったからである。そして彼らの言葉が本気だったことを、昨年死亡したアメリカ人の学生オットー・ワームビアを見て遅まきながら確認した。


 ※金剛山の崖に刻まれた金日成等を称揚する字句については、以前→<アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字>という記事で書きました。
  また、右画像は韓国サイトから拾ったものです。崖に刻まれている赤い字は、金日成の父・金亨稷(キム・ヒョンジク)を称える詩句です。
 1998年に始まった金剛山観光は韓国人観光客の1人が北朝鮮兵に射殺された2008年まで続き、多くの韓国人観光客が北朝鮮を訪れました。(05年に100万人を超える。) しかし、そこに中学・高校の修学旅行も含まれていたことは、上記の記事を読むまで知りませんでした。
 そこで、この記事以外の金剛山修学旅行体験者の記事をいくつか拾ってみました。

コチラのツイートから。

 高校時代、修学旅行で金剛山に行ったが、その時見た北朝鮮がすごく衝撃的で忘れられない。ガリガリにやせてあばら骨がすっかり見える牛がなんとか足を踏み出していたり、またトラクターの後ろで燃料を入れながら真っ黒な煙を吸い込んでいる人や100mくらいかの間隔で立っている銃を持った軍人たちの疲れた顔もみんな憶えている。

ヤン・ホジョン(양호정)という新鋭画家の紹介ページ。(→コチラ。) 以下はその一部分です。

 Q.<the north>シリーズは北朝鮮を主題にしていますが、理由や契機はあるのですか?
 A.私が高校生の時、修学旅行で北朝鮮に行って来たのですが、私たちとは完全に違った世界だということを経験しました。大変な苦労して生活している北朝鮮の住民たちの姿を目撃して、ニュースでは政治的な話題たけ取りあげて偏見を持たせるのが嫌でした。それで北朝鮮の実像と日常を知らせようと制作したシリーズです。


2008年高校の修学旅行で金剛山に行った時の写真を主としたブログ記事。→コチラ6月4日金剛山の九龍瀑布等と、曲芸団公演。→コチラは、翌5日海金剛と、簡易宿泊所の写真を載せています。北朝鮮の感想や考えたことがほとんど書かれていないのが残念。

 私ヌルボが常々疑問に思っているのは、韓国の進歩系の人たちが思い描いている北朝鮮のイメージがどんなものか?ということ。
 もしかして、「同じ民族同士」の感動的な交歓を期待しているのでしょうか?
 しかし、上記の感想を読むと感動というよりも衝撃を受けたとのこと。ずいぶん前のことですが、1991年訪朝した私ヌルボも同様でした。農村地帯の夕暮れ、やせた牛を牽いて歩く粗末な服を着た少年の姿が思い出されます。(1世紀も前の光景のようでした。) ただ、同じ旅行団で行った青年は北朝鮮から出国した後「別に変じゃない、ふつうの国だったでしょ?」と訊いてきましたが。(ヌルボともう1人は無言・・・。)

 さて、この北朝鮮修学旅行に対する私ヌルボの意見は・・・、(って完全に部外者ですが)ワームビアさんのように拘束されたり、2006年のようにいきなり射殺されたりされないという安全保証があれば金剛山に限らず北朝鮮のどこであろうと直接行って見てみることは非常に有意義だと思います。「衝撃」とともに新しい認識を得て、いろいろ考える契機になるはずです。ヘタしたら偏見につながるおそれもあるかもしれませんが。
 しかし、多くの北朝鮮ウォッチャーが指摘するように、北の政権にとって、韓国との交流が深まって外部の情報が大量に入って来ることは体制の崩壊を招く危険性があります。韓国の(とくに進歩系の)人たちはそこらへんのことがわかっているのでしょうか?
 したがって、開放を向かって進むような修学旅行を北朝鮮側が喜んで受け入れるとは思えませんけど。一部の人たちは北朝鮮の生徒たちも韓国に呼んで各地を案内して等々と考えているみたいですが、どこまで現実性を考慮しているのか疑問を抱かざるをえません。まあ、近年は北朝鮮でも多くの人たちがDVDで韓国ドラマを観たりして、韓国が自国よりはるかに進んでいることは周知のこととなっているようなので、開放政策に転換しても「我々はだまされていた!」という衝撃は少ないかもしれませんが・・・。
 そんなわけで、北の政権にしてみれば、韓国の進歩系の<南北交流>を求める熱いキモチは「ありがた迷惑」で「うざったい」のではないでしょうか? で、結局は(今年に入ってからのモロモロのように)そんなキモチを利用できる時は利用するといったところですかねー。

 最後に、上述の青瓦台への国民請願運動のその後について。
 <南北青少年 統一列車に乗って修学旅行に行こう!>という請願(→コチラ.韓国語)は、4月10日スタートして1ヵ月間の賛同者は981人でした。数多くの「泡沫」請願のことを考えればかなり多い数字ですが、何らかの回答が得られる基準ラインの20万人には遠く及びませんでした。
 逆に、5月30日スタートで現在進行中の<ソウル教育監候補チョ・ヒヨンの"北朝鮮修学旅行"の公約を撤回させてください。>という請願(→コチラ)は現在の賛同者が1,469人と、修学旅行推進派を上回っています。進歩性向の人でも実際に中高生の親となると二の足を踏む人がおそらくふつうなんでしょうね。
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[政治まみれの平昌五輪] アイスダンス韓国ペアの使用曲「独りアリラン」の大きな問題点にも注目を!

2018-02-26 05:12:37 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 昨日幕を閉じた平昌冬季五輪。政治がらみのネタが例の北朝鮮との合同チームの問題をはじめ開催前からいろいろ報じられてきました。その北朝鮮選手や大物政治家たち、そして例の女性応援団たちの来韓をめぐる報道等については私ヌルボも興味を持って接し、中には疑問を抱いたりしたものもありました。(その件については別記事で書くかも。)

 開会式でとくに話題となったあの人面鳥にも文在寅政権の政治的意図があったと思われることは、郵便学者・内藤陽介さんのブログ記事(→コチラ)に記されています。つまり、人面鳥のモトは高句麗古墳の壁画ですが、その具体的には北朝鮮の北西部・南浦(ナムポ)市徳興里(トクフンリ)壁画古墳や、(あの高句麗広開土王碑がある)中国吉林省集安の将軍塚古墳。ということで、廬武鉉大統領の時中国との間で問題となった「高句麗の歴史」は「中国史の一部なのか韓国史に含まれるか?」をめぐる中韓間の歴史戦争に関連しての韓国側の主張が込められている、ということです。

 そして、本論です。フィギュアスケート・アイスダンスの韓国ペア、ミン・ユラ、アレクサンダー・ガメリン組がフリーで用いた曲「独りアリラン(홀로 아리랑.ホロアリラン)」中の歌詞の中に当初あった「独島」の部分を、事前に韓国スケート連盟が国際スケート連盟と話し合って消して流すことになった、ということについてです。
 その経緯等については、J-CASTニュース(→コチラ)に比較的詳しく書かれています。しかし、概してそんなに大きく報じられていないのではないでしょうか? 共同通信の記事(→コチラ)や時事通信の記事(→コチラ)では、この「独りアリラン」のことを民謡の「アリラン」と書いています。日本でもおなじみの韓国の代表的民謡で、韓国語の歌詞をご存知の方で「独島なんて言葉はなかったはずだが」と疑問を持った方はいたと思いますが、その語の削除が決まってるのなら問題ないんじゃないの?という受け止め方だったのではないでしょうか?
 ところが、実は「独りアリラン」は民謡の「アリラン」ではないのです。フォーク歌手のハンドル(한돌)が作詞・作曲して1989年に発表した歌ですが、翌90年に同名タイトルのCDを出したソ・ユソク(서유석)の持ち歌として知られてきたようです。とりあえず彼の歌で聴いてみてください。

 有名な民謡「アリラン」は、各地でさまざまな歌詞とメロディーで歌われています。「珍島アリラン」、「密陽アリラン」等々。この「独りアリラン」もたしかに民謡調だし、曲名にも「アリラン」が入っているので、記者の皆さんが早呑み込みしてしまったとしてもうなずけないこともありません。「独りアリラン」なら、集団で歌うのではなく、独り寂しく自分の想いをしっとりと歌い上げるような歌なのかなとなんとなく思ったりして・・・。
 しかし、その歌の内容を実際に読んでみると「アレレ!」なのですよ。
 これについては、<たーちゃんの韓国歌日記2>(→コチラ)に実に詳しく記されています。
 そもそも、何が「独り」なのかというと、なんと独島のことなんですね。
 このブログ記事には歌詞と、その日本語訳もついています。コピペの許可をお願いはしたのですが、昨年5月以降休止中のブログで即刻ご返事はいただけないようなので、「大いに参考させていただいた」ということで、若干変えて載せることにしました。

  저 멀리 동해바다 외로운 섬 오늘도 거센 바람 불어오겠지 
  조그만 얼굴로 바람맞으니 독도야 간밤에 잘 잤느냐
  금강산 맑은 물은 동해로 흐르고 설악산 맑은 물도 동해가는데 
  우리네 마음들은 어디로 가는가 언제쯤 우리는 하나가 될까
  백두산 두만강에서 배타고 떠나라 한라산 제주에서 배타고 간다
  가다가 홀로 섬에 닻을 내리고 떠오르는 아침해를 맞이해보자
  아리랑 아리랑 홀로 아리랑 아리랑 고개를 넘어 가보자
  가다가 힘들면 쉬어 가더라도 손잡고 가보자 같이 가보자
  가다가 힘들면 쉬어 가더라도 손잡고 가보자 같이 가보자


  あの遠い東海に独りぼっちの島 今日も激しい風が吹いてくるだろう
  小さな顔で風を受けて 独島よ昨夜はよく眠ったか
  金剛山のきれいな水は東海に流れ 雪岳山のきれいな水も東海に行くのに
  俺たちの心はどこに行くのか いつ頃俺たちはひとつになるだろうか
  白頭山豆満江から船に乗って発てよ 漢拏山済州島から船に乗って行く
  行って独りで島に錨を下ろし 昇る朝日を迎えてみよう
  アリランアリラン独りアリラン アリラン峠を越えていこう
  途中で疲れたら休んでも行き 手をつないで 行こう 一緒に行こう
  途中で疲れたら休んでも行き 手をつないで 行こう 一緒に行こう


 この歌詞を見て、「わずか1ヵ所の「独島」という言葉だけの問題ではない。選曲からして問題だ」と思う日本人の皆さんは多いのではないでしょうか? 
 韓国ウィキペディアの「ハンドル」の項目(→コチラ)にはこの歌についての次のような記述もあります。

 이 노래는 남과 북의 배가 서로 만날 수 있는 지점이 되는 곳이 독도라는 생각에 통일을 그렸던 서사시였다.(この歌は、南と北朝鮮の船がたがいに出会える地点となる所が独島だという思いで統一を描いた叙事詩だった。)

 なるほど、白頭山・豆満江に象徴される北朝鮮の人たちと、漢拏山・済州島に象徴される韓国の人たちが独島で出会うという歌詞になっています。
 まさに文在寅大統領の考えそのまま、といった感じです。
 <たーちゃんの韓国歌日記2>には、「北朝鮮でも知られ、愛唱歌となっているという。2005年に趙容弼がピョンヤン公演を行った時、要請を受けて、急遽歌うことになった。」とも書かれています。

 はたして、韓国の関係者は国際スケート連盟等にどこまで正確に説明したのでしょうか? また日本のメディア関係者は取材不足ではなかったでしょうか? 政府やオリンピック関係者の皆さんはどこまで理解していたのでしょうか?
 いやあ、私ヌルボ自身もここまで韓国人の<独島愛>が明確に込められた(というか、「政治的主張が込められた」というか)歌だったとは知りませんでした。ソヒョンの抜群の歌唱力はちょっと前から知っていたので、単に「さすがに上手いなあ」と思っただけで・・・。(彼女の歌についてはまた別記事で、というカラ手形っぽい予告はもう3ケタになりそう?)

[補足]実際のアイスダンスの演技の中で、この楽曲がどのような形で流されたか動画がないか検索してみたところ、→コチラのSBSのニュースの中でチラッと出てくる程度のものを見つけただけでした。しかしメロディーだけでなく歌も入ったものであることはわかりました。
[蛇足]この記事の主旨は、「独りアリラン」という歌が五輪の中で用いられたことと、それについての報道について問題提起です。歌そのものにについての批判や、文在寅政権に対する全面的批判、ましてや韓国あるいは韓国人一般に対する非難ではないので、誤解なきようお願いします。
[2月27日の追記]コメント欄に記した通り、ソウル一市民さんのおかげでこのペアの本番の演技のfull videoという動画を見つけることができたので貼っておきます。
[3月28日の追記]上の追記の時貼った動画がその後削除されていたので別のものを貼りました。

 やっぱり「東海」と「独島」という問題の部分だけは消されていますね。
 →と、2月27日には思いましたが、このNBC Olympic Channelの動画だと「東海」は消えているようですが「独島」の語は聞こえていますよ。
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ソウル・南山の慰安婦追悼公園の石碑と、韓国ウィキペディアの日本軍慰安婦被害者目録に記された「実名」について考える

2017-08-04 08:50:40 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
Kan Kimura (on DL)‏ @kankimura 8月1日
韓国語のWikipediaに「일본군 위안부 피해자 목록(日本軍慰安婦被害者目録)」なる項目が出来てる。自分の知る限り、元慰安婦の方やその家族の中には自らの名前の公表を望まない人も多いはずだけど、こんなことをやっていいのだろうか。ちょっと驚く。

 ソウル・南山北麓の<歴史記憶エリア>にある統監官邸跡地や中央情報部の遺構等とともに、その地に昨夏(8月29日)に除幕式が行われた<慰安婦記憶の場(일본군 위안부 기억의 터)>については、私ヌルボ、4月に記事を書きました。(→コチラ。)
 その末尾で、当初予定していた記事の本論は「別立ての記事にします」と書きましたが、結局そのままになっていました。
 そのことをたまたま8月1日愛読している木村幹神戸大教授のツイート(上掲)を見て思い出し、この際きっちり書いておこうとPCに向かったというわけです。

 木村教授が問題にしている韓国ウィキペディアは→コチラです。
 元慰安婦の人たちの名前がズラッと記されています。韓国の73人だけでなく、台湾3人、朝鮮民主主義人民共和国1人、日本1人、中国9人、フィリピン4人の、計91人の名前です。
 ※北朝鮮のことを「북한(北韓)」ではなく「조선민주주의인민공화국(朝鮮民主主義人民共和国)」と表記していて、韓国のサイトとしては特異な印象を受けましたが、「한국 전쟁(韓国戦争)」(=朝鮮戦争)等他の項目の説明文にも見られ、少なくとも韓国ウィキペディアでは<タブー>にはなっていないようです。

 木村幹教授は、このような形での名前の公表に驚き、疑問を呈していらっしゃいますが、私ヌルボも数ヵ月前同様の元慰安婦の実名公表をめぐる韓国誌の記事を読んで驚きました。それは総合誌「新東亜」の2017年01月号の“당신 엄마가 위안부라면 이름 남기고 싶겠나(あなたのお母さんが慰安婦であれば、名前を残したいだろうか)”と題されたイ・ヘミン記者による記事で、上記のブログ記事を書く動機になりました。※→コチラで読むことができます。(韓国語)

 そのとりあえず、その「新東亜」の記事内容を略述します。
・(2016年)11月12日、あるウォーキングツアーに参加した市民たちから「<日本軍慰安婦の記憶の場>の石碑に慰安婦ハルモニ247人の名前が刻まれている。当事者と家族が2次被害を受けないか心配だ」との通報と取材要請を受けて取材を始めた。
・慰安婦被害者や家族は<記憶の場>に名前が刻印されたことについて立場表明をしていない。2つその理由を挙げることができる。
  ①記憶の場に名前が刻まれた事実自体を知らない。
  ②知っていたとしても、自分たちの存在が現れることをはばかって声を出さない。
・直接取材した慰安婦被害者家族=男性(義母が元慰安婦)の場合。
 「私は間接的な被害者だが、家内は慰安婦の「ウィ(慰)」と聞いただけでも度を失ってインタビューができない」と述べ、石碑に名前を刻んだことに対して強く反発し、さらに次のように語った。「独立運動をしたことでもないのに、誰がそこに名前を刻んだことを喜びますか。政治家や市民団体が政治的に利用しようとしているのです。常識的に考えてみてください。あなたのお母さんが慰安婦で、石碑にその名前が刻まれたらうれしいですか。これは遺家族を2度も3度も殺すことです。家内は少し後にこの事実を知って大きな衝撃を受けて、私にインタビューを受けないように言ってましたよ。私たちのことが明らかになるかもしれないからです。世間が慰安婦を忘れてくれればいいです。」
・遺家族の批判に対して、ソウル市の関係者は「市は行政的な支援をして敷地を提供しただけ」として<記憶の場>の推進過程については責任を推進委に丸投げし、その推進委の実務者は「問題ない」という立場で、「今も販売されている被害者証言集に記録された実名と匿名のまま石碑に刻んだ」とのこと。また「石碑にハルモニたちの名前を書く部分は挺対協、ナヌムの家と合意し、そこにおられない方の分は仮名処理した。全体のリストは挺対協から受け取った」と明らかにした。しかし、挺対協は「該当関係者たちが出張、休暇などで席を外した状態で、前後関係を確認するのはむずかしい」と語った。
・取材の結果、証言集には匿名で収録された元慰安婦の名が<記憶の場>の石碑には実名で刻まれているものもあることがわかった。
・上述とは別の直接取材した慰安婦被害者家族に訊ねると・・・。
 「証言集に名前を記録することと石碑に名を残すことは別個の問題だ。<記憶の場>が造られるという話も、名前を刻むという話も聞いていない」と言い、手続きの問題点を指摘した。
「市民団体を悪く言うわけではないが、慰安婦問題は何人かの人が主導している。生存しているハルモニたち、遺家族たちの意見が同一ではないのに1つの声として出てくる。この件は生存者と遺家族の意思を訊いて進めなければならなかった。」
・ナム・サング北東アジア歴史財団研究委員は沖縄の平和の礎の事例を例に挙げた。「平和の礎推進委は戦争で死亡した軍人・民間人の名前を刻むため新聞広告を出し、遺族に直接会って同意を得た上で石碑に名前を刻んだ。追慕公園を推進した人たちは、被害者たちと市民とが出会う<輪>を作るために被害者の名前を記したのだろうが、被害事実を明らかにしたくない方もいるだろうから、この問題は慎重にアプローチする必要がある」と述べた。
・石碑には「被害者ハルモニ247人」とあるが、政府(女性家族部)は、2016年12月7日現在登録されている被害者を238人(国内外の生存者39人、死者199人)としている。残りの9人はすべての国外の死者ということなのだろうか。


 ・・・以上ですが、上記のように私ヌルボも最初驚くとともに、この「新東亜」の記事のように(わりとフツーの)日本人と同じような見方をする韓国人たちもいることを知りました。
 そして、このような形での実名公表を推進してきた人たちの考え方を推定してみました。
 まずは、「強制的に慰安婦にさせられた私に何の恥ずべきところがあろうか?」と言ってむしろ堂々と実名を名乗る(一部の)慰安婦被害者がいます。そして、蔑視感情がある中であえて名乗りをあげた彼女たちを支援する人たちにとって、彼女たちの名はむしろ称えるべきものなのかもしれません。(「英雄化・聖女化」というと叱られそう、かな?) また「歴史の生き証人」としての真実性の証左といった意味もあるのでしょう。
 ※なお、この「新東亜」の記事にある<記憶の場>の石碑の名前部分の写真では文字が読めないように処理されていますが、あるブログ記事では247人の名が明瞭に読み取れる(!)写真が載せられています。上述のような元慰安婦に対する見方の違いとともに、個人情報に対する日韓の認識、「感度」の違いといったものもありそうです。(ヌルボ個人としては、韓国は鈍感すぎで日本は敏感すぎ。)
 ※実名公表に反対する元慰安婦の遺家族の間にも、また「慰安婦は、基本的に売春婦である」という見方に対し「それは慰安婦ハルモニを侮辱するものだ!」と憤る支援者たちの間にも、売春婦という「職業」のみならず、その存在自体に対する忌避感情(差別意識)が垣間見られるような気がします。(慰安婦問題に関する日本側の言説の中にも見受けられる。) この問題についてはいずれ別記事で。

 この「新東亜」の記事の反響はその後目にしていません。もしかして、実名公表に反発を感じている家族たちは、「世間が慰安婦を忘れてくれればいい」とただじっと息をひそめたままなのでしょうか?

 ところで、冒頭に記した韓国ウィキペディアの「日本軍慰安婦被害者目録」には韓国人の名は73人です。なぜ238人(または247人)ではないのか、よくわかりません。その項目の最終編集日は2016年11月13日。「新東亜」の取材との前後関係は不明ですが、それと関係があるのかどうか?

 いずれにしろ、たとえ「称揚すべき名前」と関係者・関係組織が考えたとしても、本人・遺家族の同意は絶対不可欠でしょう。・・・と、例によって毒にも薬にもならない感想で締めの言葉にしておきます。
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6月民主抗争からちょうど30年-その当時と、現在 ①毎日新聞の特集記事を読む

2017-07-03 23:48:11 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 今、「6月民主抗争」と聞いても、何のことかわからない人が大多数ではないでしょうか?
 1987年6月全斗煥大統領の軍事独裁政権に対して民主化を要求した運動で、6月10日のデモ(<6.10デモ>)6月29日の盧泰愚民正党代表最高委員による<6.29宣言>まで約20日間にわたって繰り広げられました。
 ※→ウィキペディア
 ※本ブログの関係過去記事→<60年安保闘争、韓国の6月民主抗争等、6月はデモの季節?>

 この民主化運動の勝利以降、憲法が改定され、大統領が直接選挙制となった等々の政治面での刷新ばかりでなく、社会の風潮・庶民文化が大きく変貌していく大きな画期となりました。(たとえば<反共>が国是とされてきた時代もここまでです。) 以後、現代の韓国までほぼ地続きになっていると見ていいのではないでしょうか。

 今年はとくに節目となる30年目ということもあり、韓国では関連した催しが開かれたり、メディアでいろいろ取り上げられたりもしました。
 日本では、「朝日新聞」が6月11日<韓国、民主化抗争から30周年 文大統領が格差解消訴え>というニュース記事を掲載しました。(→コチラ。) この記事の要旨は、6月10日文在寅大統領が6.10民主抗争記念日の式典で演説し、韓国社会が抱える経済的不平等の解消に向けて国民の結集を呼びかけたというもの。またこの6.10民主抗争記念日は盧武鉉政権下の2007年に国家記念日に指定されたものの、李明博・朴槿恵両政権は重視せず、大統領の式典出席は廬武鉉以来10年ぶりとのことです。
 ※韓国の国家記念日はとても多い。→韓国ウィキペデア参照。

 さて、上記のように6.10関係記事(といってもメインは文在寅だが)を載せた「朝日新聞」に対して、他紙は30年前の韓国には関心を向けないのかと思ったら、「毎日新聞」がなんと6月29日付朝刊の8面の全面で<韓国「6.29」宣言30年 民主化、模索なお>という企画記事を組んでいるではないですか。(→コチラ。)
    
 左は紙面のほぼ上半分、右は全面です。

 80年代当時のことだけでなく、現在に至るまでの写真もいろいろ載っています。
 たとえば、こんなよく知られた写真。
         
 左は、6月9日戦闘警察による催涙弾で後頭部を撃たれた延世大の李韓烈(イ・ハニョル)君と彼を抱きかかえる学友の写真。右は1996年8月ソウル地裁に手をつないで出廷する全斗煥(右)・盧泰愚両元大統領です。

 で、私ヌルボがこの毎日新聞の記事の中でとくに興味を持って読んだのが紙面中央の「元学生活動家が見つめた今昔」と題されたカコミ記事。米村耕一ソウル支局長が直接元活動家2人に取材して書いた記事です。

 1人目の李鍾昌(イ・ジョンチャン)さん(51)は、上左の写真の李韓烈君を抱きかかえている「学友」その人です。私ヌルボ、この写真の撮影者のことは昨年知りましたが、この「学友」については知りませんでした。以下、この記事に→コチラの記事(韓国語)や→韓国紙年表(→コチラ)等で細部を補って李鍾昌さんの当時と今を略述します。

 6月10日の国民大会をアピールするため、前日の9日デモに繰り出そうとした延世大の学生たちが大学の正門前に出て火炎瓶を2つほど投げたところで戦闘警察が催涙弾の一斉射撃を開始。「退却するところで、人が倒れているのに気づいた」李鍾昌さんが抱きかかえて安全な場所まで運んだ彼が李韓烈君でした。
 その後李鍾昌さんも6月14日のデモで頭部に石が当たって重傷を負い、入院したのが延世大セブランス病院で、手術を受けた後我に返った時に隣のベッドで横たわっていたのが脳死状態だった李韓烈君だったそうです。李鍾昌さんが退院する7月5日、目が覚めると、病院が異常な雰囲気で、訊けば李韓烈君が亡くなったとのこと。警察が彼の遺体を奪いに来るかもしれないというので、患者服を着て座り込みに加わったそうです。(写真以外にもいくつもの偶然の「縁」があったのですね。)
 李鍾昌さんはその後学生運動に関連して一時指名手配され、偽名を使って各地の工場を転々としながら旋盤工、溶接工などとして働いた後、27歳で延世大学図書館の司書となり以後22年間務めましたが2015年退職し、ソウル市内の恩平区立亀山洞図書館の館長の公募に応じて就任。そして現在は坡州(パジュ)市立カラム図書館長です。
 その間、延世大で開かれるセレモニーの時に学生会館(または図書館?)に掲げられるこの写真を元にした大きな版画の垂れ幕を見る度に、「生き残ってすまない」という気持ちが起こったそうです。

 そして今。下の画像は「李韓烈烈士30周忌・・・彼が残していったもの」と題された6月8日のKBSニュースの一コマです。(→YouTube)
 「あの写真」を背景に、現在の李鍾昌さんが映されています。(テロップ)「戦闘警察から安全な所に移そうと思って(李韓烈君を)抱きかかえて学校内に運んでいきました。」
 また、先の朝日新聞の記事にもあるように、李鐘昌さんは今年の6.10民主抗争記念式典に招かれ、文在寅大統領と握手を交わしました。朝日新聞の取材にも応じています。
 30年前の1つの出来事が2人の学生の運命を決定づけ、生き残った李鐘昌さんはその決定的な場面が「歴史的な写真」となったことがその後の人生にも大きく影響を及ぼすこととなったというわけです。
 なお、この写真と、それを元にした版画のインパクトはとても大きく、またそれを撮ったカメラマンと、版画の作者の人生にとっても大きな意味を持つものとなりました。それについては続きに回します。

 毎日新聞のカコミ記事に書かれた2人目の元活動家は金永煥(キム・ヨンファン)さん(54)という人です。80年代ソウル大の学生だった彼は、北朝鮮の主体思想を信奉するNL派(ふつう主思派(チュサパ)という)の理論家として知られ、6月民主抗争以降には北朝鮮工作員の働きかけに応じて秘密裏に北朝鮮に渡り、金日成にも2度面会し、14日間滞在した後韓国に戻ったそうです。ところが北朝鮮は期待に反して韓国よりも権威主義的・抑圧的で疑念が膨らみ、その後脱北者の話を聞いたりして、逆に北朝鮮人権問題に取り組むようになったということです。
 私ヌルボ、すぐには思い出せなかったのですが、しばらく前に中国で脱北者支援活動をしていて中国政府に逮捕され・・・といったことがあったのをぼんやり思い出しました。ということで検索したら<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトに「金永煥氏拘束:逮捕から114日ぶり韓国へ」という記事がありました。(→コチラ。) その中でも彼の学生時代からの経歴が記されていますが、とくに詳しく書かれているのが「ある「思想的大転換」 金永煥(カンチョル)の場合」と題された→コチラの記事。(文字化けしたらURLをコピーして「貼り付けて移動」してみて下さい。)いやあ、思想面でも行動面でもドラマチックな人生です。毎日新聞の記事によると「半生を記録した著書の日本語訳が新幹社から近く出版される」とのこと。これは読んでみたいなー。(追記:2017年10月「韓国民主化から北朝鮮民主化へ」という書名で刊行されました。)
 ※かつて工作員の手引きでひそかに北朝鮮に行ってきた在日の青年は何人も(いや、それ以上)いたようなのに、その人たちは今どう思っているのでしょうか? 多少なりとも本に書いているのは神奈川大学名誉教授の李健次先生くらい?

 ※この記事に続いて、実際にソウル市内の関係施設等を廻った記録を中心に続編をまとめる予定でしたが、ペンディング状態が続いています。
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往年の人気コメディアン李朱一(イ・ジュイル)が肺がんの苦しみの中で訴えた禁煙(2002年)

2017-05-30 16:49:22 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 →1つ前の記事<笑っちゃったけど、笑いごとじゃない? この韓国のタバコの警告文&写真>の最後で「東京オリンピックを前にして禁煙・喫煙の場所が問題になっていますが、その件もこの警告写真についても日本が世界の趨勢から遅れているということなんですかねー?」と書きました。
 それに対し、「本当に日本はタバコ規制の世界的潮流から遅れています。韓国も議会はオジサン支配でタバコぷかぷかの印象だったのですが、どうやって屋内禁煙やタバコパッケージ警告表示を実現できたのか、興味があります。」とのコメントをいただきました。
 思いつくままにレスを書いていたら少し長くなりそうなので記事にまとめることにしました。
 
 たしかに、以前は韓国の方が日本より多くの人がスパスパ吸っていたという印象があります。ところが、今世紀に入って以降、韓国は禁煙については日本を追い越したようですね。
 あ、健康志向とか自然志向、環境保護等々も急速に進んだ感があります。

 禁煙運動については、とくに往年の人気コメディアン李朱一(イ・ジュイル.1940~2002)が肺がんで入院した時に禁煙を呼びかけたのが大きな契機となったと思います。(※李朱一は80年代のTVで大きな人気を博した伝説的なコメディアン。当時の全斗煥に似た顔で、「못생겨서 죄송합니다(ブサイクですみません)」等の流行語を生んだ。90年代には国会議員に当選し4年間在任したこともある。)
 2001年10月に肺がんの判定を受けた彼は国立がんセンターに入院します。そしてマスコミの取材に対し「私のように苦しまないために喫煙を止めましょう」と呼びかけた言葉と、その痛々しい姿は大きな反響を呼びました。
 私ヌルボがそのことを知ったのは、当時(2002年?)発行の月刊誌「말(言葉)」に彼の写真が表紙に用いられ、記事でも大きく取り上げられていたのを読んだからです。(今その現物はどこかな??)
 結局彼は2002年8月満61歳で亡くなりました。
 YouTubeにその間撮った彼の禁煙公共広告の動画(日本語字幕)があったので貼っておきます。

 なお、李朱一には死後、コメディアンとしてではなく禁煙運動への貢献によって国民勲章牡丹章が贈られました。

 今の話。韓国で街中の禁煙区域の拡大や喫煙場所の設置等が進んでいる等のことについては→コチラ<何だ? この<女性専用>というエリアは・・・・ ★韓国の禁煙事情>と題した記事で少し書きました。

 公共施設や、食堂等の一般店舗についての禁煙の基準は国によって内容が異なります。
 <e-ヘルスネット>の「進んでいる世界の受動喫煙対策」と題した記事(→コチラ)にWHOによる2012年の国別の調査結果の表があったので貼っておきます。

 日本が遅れをとっていることが一目瞭然でわかります。
 5年前の資料ですが、その後どれほど変わってきているのでしょうか?
 
 韓国では、博物館等の大型建築物・大型ショッピングセンター・居酒屋・バーを含む飲食店の屋内、ホテルのロビー等・自治体が管理する20以上の公園・中央バスレーン停留所が喫煙禁止になっています。
 2015年1月1日からすべての飲食店(カフェ・居酒屋・レストラン・食堂)で喫煙不可となりました。摘発されると罰金が科せられます。外国人旅行者については「厳重指導」されます。

 私ヌルボ、韓国の喫煙規制の推進には上述のような近年の韓国社会の趨勢に加えて、2018平昌冬季オリンピックとの関連もあるのではと思います。昨年5月の連合ニュース(→コチラ.韓国語)によると、平昌オリンピック組織委員会は世界保健機関(WHO)が推進するスポーツ禁煙キャンペーンに参加することを明らかにしました。そのキャンペーンは、スポーツでの喫煙行為の禁止、競技場受動喫煙禁止、たばこ関連総合広告、タバコ会社の後援の禁止等などを主な内容とするものとのことです。

 日本でも2020年東京オリンピックを前に論議が進められていますが、はたしてどんな形でまとめられるのか、各々の支持団体の要求をまず第1に考えるような政治家の主張が通るとなるとなんだかなーという結果になっちゃいそうです。

 ただ、いろいろな規制策が整えられていっても、それがちゃんと守られるかどうかといった問題があります。これも前の記事のコメントで教えていただいた→コチラのMBN(毎日放送)TVニュースでは、小・中学校の門から50m以内は禁煙区域に指定されているにもかかわらず、タバコを吸っている大人が多いことを報じています。記事中の動画を見ると、学校の柵には「門から50m以内禁煙区域」「喫煙した時は10万ウォン・・・」と大きく書かれた横断幕が掲げられているのに、無視して吸っている人のなんと多いことか! また吸い殻のポイ捨てもあきれるほど。つい5日前(5月25日)のニュースですが、これが現実ということでしょうか。
 結局は行政の施策や法的規制だけでなく、教育やメディア等を通じた長期的な働きかけが必要という(なんとも当たり障りのない)結論になってしまいます。
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笑っちゃったけど、笑いごとじゃない? この韓国のタバコの警告文&写真

2017-05-27 22:56:12 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
          


 昨晩はサークル仲間の飲み会。その場で、隣席のお酒の好きなT兄(ヒョン)が「ちょっとコレ見てよ」とニコニコ(ニヤニヤ?)笑いながら差し出したのが韓国のダンヒル。(上左)

 この頃都市のせいだかパソコン画面の見過ぎだかで小さい字は読みづらいヌルボ。よ~く見ると次のようなことが記されています。

  발기부전의 원인 흡연! 그래도 피우시겠습니까?
 (발기부전の原因 吸煙(喫煙)! それでも吸われますか?)

 私ヌルボ、最初の漢字語(4字)つまり">발기부전は瞬間的にはわかりませんでしたが(とくに最初の2字)、韓国語中級レベルの学習者の皆さんはいかがでしょうか? ヒントは、まさに右の写真です。

 で、正解は勃起不全です。
 
 あらためて写真を見ると、タバコの吸い殻の曲がりぐあいなど「いかにも」といった感じで笑っちゃいます。あらかじめ火を消す前にタバコを曲げて、灰の部分が曲がった状態で写真を撮るという細かな工夫も読み取れます。とくに韓国の男性喫煙者にはインパクトの強い警告文&写真だと思いました。

 T兄の話によると、同じ職場の女性に「こんなのがあるよ」と見せて説明したら、彼女は「私には関係ないわ、ハハハ」と笑ってたそうです。(そりゃ関係ないわなー(笑)。)

 ところで私ヌルボ、初めて見たこのような警告付きタバコがいつから出回っているのかちょっと調べてみました。
 すると、昨年12月の<連合ニュース>(日本版)に「たばこ箱に警告写真義務化 あすから導入=韓国」と題した記事(→コチラ)がありました。「あす」つまり2017年12月23日に導入されたということです。
 で、その記事を見て驚いたのは、上掲の写真以外に9つの警告写真が載っていて、その多くがオゾマシイというか、目をそむけたくなるようなショッキングなものなのですよ!(下画像)


 説明文を読むと、上段の5枚は[病変]で、左から肺癌・喉頭癌・口腔癌・心臓疾患・脳卒中、そして下段は[非病変]で、間接喫煙・妊産婦喫煙・性機能障害・皮膚の老化・早期死亡

 女性に関わる写真も、刺激が強い妊産婦喫煙以外に次の2つがあります。
          
 「間接喫煙」(左)と「皮膚の老化」。・・・となると、女性も「私には関係ないわ、ハハハ」と笑ってるバヤイじゃないですね。

 ところで、こうしたキョーレツなタバコの警告写真が韓国独自のものかというとそうでもなさそうです。
 ちょっと画像検索で拾った例を挙げると・・・。

       
 左はタイで、右はオーストラリアです。
 東京オリンピックを前にして禁煙・喫煙の場所が問題になっていますが、その件もこの警告写真についても日本が世界の趨勢から遅れているということなんですかねー?
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国立韓国外交院の子供向け独島クイズに挑戦してみました! (「国民教化用」として「よくできている」かも・・・)

2017-04-27 20:17:08 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 昨年(2016年)韓国に行った時、ある所で軽く接待されました。「まあコーヒーでも1杯どうぞ」と出されたインスタントコーヒーの紙コップが下の画像。
        

 片面(左)には「대한 독도(大韓独島)」、その反対側(右)には「아름다운 우리 땅 독도(美しいわれらの地 独島)」と記されています。小さい字を見ると、英語で「DOKTO OF KOREA」云々と英語で書かれていて、とくに「NOT JAPAN」の字は赤い色になっています。「本製品の収益の一部は<독도 사랑(独島愛)>キャンペーンに使用されます」という文言もあります。また独島が「天然記念物第336号」であることや、独島の総面積(187,554㎡)、そして10月25日が「独島の日」であることも記されています。
 ヌルボたちにコーヒーを出した後この紙コップのことに気がついたアチラの方2人は、テーブルの下でこのコップを指さしながら「日本人にこんなもの出しちゃったよ」といったようすでヒソヒソ。しかしそこは紳士で、(双方とも)話題にはしませんでした。
 ところが、ヌルボは行かなかったサークル仲間の皆さんの韓国旅行のおり、アチラさんの接待(アルコール付)の場で「独島についてどう考えていますか?」となんともストレートな質問をした御仁がいたとか。するとわが仲間中の<達人>Yハラボジがそれに対して何と答えたかというと「トクトは韓国の島です。が、タケシマは日本の島です」。その場の大勢の韓国人も大いに笑ったとのことです。

 ・・・と、ここまでが前置き。(←例によって長い。)
 →2つ前の記事で、ソウルの地下鉄・良才(ヤンジェ)駅の近くにある外交史料館のことを書きました。
 私ヌルボが昨年3月に初めて行った時、たまたま「独島」をテーマにした特別展のコーナー(下左)がありました。
 なんとなく見回すと、そこにタッチパネル式の<独島クイズ>というのがあった(下右)ので挑戦してみました。

      

 クイズは全10問。以下、問題と解答・解説をそのまま紹介します。※画像はどれも同じパターンなので、第2~10問は省略します。
 なお、<正解>は薄い色になっています。これはいうまでもなく「韓国側の観点による<正解>」なので、日本側あるいはヌルボが考える<正解>というわけではありません。

 このクイズについての感想等は最後に書きます。

【Q1】鬱陵島から天気が好い日にだけ肉眼で見える島は独島ただ1つである。

【A1】正解=
 世宗実録地理志(1454)には「于山(ウサン=独島)・武陵(=鬱陵)の2島が県の正に東の海の中にある。2つの島はたがいに遠く離れてはいなくて、天気が好ければ眺めることができる」とある。


【Q2】于山島という名がわが国最初の文献に現れたのは新羅時代からである。
【A2】正解=×
 于山島がわが国の昔の文献に初めて現れたのは朝鮮時代(「高麗史地理志」(1451年)からである。


【Q3】日本の敗戦後、連合国の占領統治の時期に独島は日本の統治・行政範囲に含まれていた。
【A3】正解=×
 連合国最高司令官覚書(SCAPIN)第677号第3章で、日本が統治権を行使できる地域は「本州、九州、北海道、四国など4つの主要島嶼と約1千の隣接小島」として、日本の領域から「鬱陵島、リアンクル岩(独島)と済州島は除外される」と規定し、独島を日本の統治・行政範囲から除外している。


【Q4】独島は東島と西島の2つの島からなる。
【A4】正解=×
 独島は2つの大きな島である東島と西島、そして周辺の89の付属島嶼で構成されている。


【Q5】独島は鬱陵島東南157.5㎞離れた所に位置している。
【A5】正解=×
 独島は鬱陵島の東南87.4㎞に位置しており、日本の隠岐の島の北西157.5㎞離れた所に位置している。


【Q6】独島の地質は主に玄武岩で構成されている。
【A6】正解=
 独島は海底2000mから噴き上がった溶岩が固まって形成された火山島で、その地質は火山活動によって噴出したアルカリ性火山岩である玄武岩及び粗面岩等で構成されている。


【Q7】独島は島全体が「天然記念物第336号」に指定されている。
【A7】正解=
 1982年11月16日東海岸地域で唯一ウミツバメ、オオミズナギドリ、ウミネコの大集団が繁殖し、独島を天然記念物第336号「独島海鳥類繁殖地」として指定して、1999年12月独特の植物が育ち、火山爆発により造られた島として地質的価値もまた大きく、島周辺の海の生物が他の地域と異なりとても特殊で「独島天然保護区域」と名称を変えた。


【Q8】独島に入るには鬱陵郡の許可を受けなければならない。
【A8】正解=×
 独島は1982年天然記念物第336号に指定され、文化財保護法第33条を根拠に公開を制限してきたが、制限地域(東島・西島)中東島に限り一般人の出入りが可能とするよう公開制限を解除して(2005.3.24)入島許可制(承認)を申告制に転換した。


【Q9】国際司法裁判所は一方の提訴によって管轄権が形成される「強制管轄権」が原則である。
【A9】正解=×
 紛争のすべての当事国が管轄権講師に同意したり、同裁判所規定第36号第2項(いわゆる「選択条項」により裁判所の管轄権を事前に受諾してのみ裁判権講師が可能な「任意的管轄権(facultative jurisdiction)」が原則である。我が国は強制管轄権関するICJの選択条項を受諾していない。


【Q10】Q10.1906年鬱陵郡守の沈興澤(シム・フンテク)は独島が日本領に編入されたという事実を知った後ただちに江原道観察使に報告した。
【A10】正解=
 1906年鬱陵郡守沈興澤は日本・島根県の官民で構成された調査団から独島が日本領に編入されたという事実を知らされるとただちに江原道観察使に「本国所属の独島が・・・」として報告書を差し出した。この報告を受け取った当時の最高機関である議政府では日本の独島の領土編入が「事実無根」なので再調査せよという<指令第3号>を出した。


 全問正解すると次の画面になります。
 ○×クイズに全部正解しましたね!
 独島に対する正しい知識と関心が、独島を守る大きな力になります!


 私ヌルボ、最初から全問正解したわけではありませんが・・・。
 感想としては、見出しに書いたように「なかなかよくできている」といったところ。
 たとえば「鬱陵島からの距離は・・・」とか「独島の地質は・・・」といった<客観的事実>と、日韓間で解釈の分かれる史料の関わる問題がほど良くミックスされている点はなかなか巧み。
 また客観的事実だし直接領有権とは関係ないといっても、「隠岐の島からよりも鬱陵島からの距離の方がはるかに近い」ということは「韓国領!」という確信を強化します。「天気が好い日には鬱陵島から肉眼で見える」というのも同様で直接関係はナシ。すぐ近くに他国領の島が見えるという例はいくつあるのでは? ただこれについては→コチラの記事等では「見える」説に疑問を呈しているし、<客観的事実>と言えるかどうかから問題。(それにしても、主張の違いによって見えたり見えなかったりするものだろうか?(笑))

 ヌルボとしては、元来<領土ナショナリズム>というものは肌に合わないので、竹島(独島)の領有権をめぐる議論に打って出ようという気はさらさらありません。
 むしろ、昔から<国境>というものがどのように設定され認識されてきたかということを考察することの方がずっと<正しい歴史認識>が育まれると思います。竹島(独島)に限らず、世界各国の現在の国境などというものは、世界史的にはせいぜいこの200年ほどのうちに線引きされてきたにすぎないのに・・・。
 上記のクイズの最後の「全問正解!」の画面で「올바른 지식(正しい知識)」という言葉がありました。日本では「正しい歴史」といえば「史実のまま」と理解する人が多いのでは? まあ中には「日本の精神」云々を強調する人もいるでしょうが・・・。一方韓国の「올바른(正しい)」という形容詞は「道義的に」正しい、つまり「かくあるべき」という理念的な正しさを意味しています。慰安婦問題等々でも日本側が「正しい歴史認識」を求められているのは、そうした「道義」の面を批判されているというわけです。(私ヌルボ、個人的には何割かは賛同しますが、自分たちが100%道義的に正しいという確信を持っちゃうのも非常に問題あり。それは<洗脳>の結果でしかありません。
 なお、政府の主張をそのまま学校で教え込んでいる韓国に対して、日本も同じような方式で教科書を改定し授業でも学ばせようとしていますが、これでは「教育」ではなく「教化」になってしまいます。
 最近いろんな面で「日本の韓国化」が見られるという見解があるようですが、この問題についても言えるかな? しかし、本気でそんな「教化」を推進しようとしても勝てるわけないですね。韓国ではこの件については保守系・進歩系を問わず強い思い入れがあるようだし、独島に対しては知識を通り越して、冒頭にも書いたように<独島愛>といったものまでありますからねー。

 アラ、今回はいつになく政治的主張をけっこう書いてしまったような・・・。 
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明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ①韓国統監府と、KCIAと、そして・・・

2017-04-09 11:42:35 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 韓国併合が1910年。その5年前の1905年11月に第2次日韓協約が結ばれました。これにより大韓帝国の外交権はほぼ大日本帝国に接収され、翌12月には統監府が置かれて伊藤博文が初代統監として着任します。この条約はその年の干支から乙巳条約ともいわれ、韓国ではこの条約に賛同した李完用など大韓帝国の5人の閣僚を「乙巳五賊」とよんで歴史上の大悪人としています。

 その統監の官邸跡は、現在の南山公園にあります。
 南山といっても、山の上の方ではなく、明洞駅から南東方向に直線で約300m、小波路(ソパロ)の大韓赤十字社の向かい側の道を入り、南山芸術センターの裏手を回ってユースホステル方向に少し登った辺りです。

     
 私ヌルボは、現地に行ってないので写真ナシ。上画像は<NAVER地図>から加工したものです。
 奥に見える四角い石碑(右画像)は「통감관저 터(統監官邸跡)」と刻まれたもので、2010年8月29日、つまり韓国併合条約が発効した日のちょうど100年後に民族問題研究所が建てた標石です。その条約が寺内正毅統監と李完用首相によって調印された日が1週間前の8月22日で、その場所が統監官邸だったとのことです。
 ※8月29日は2005年当時の盧武鉉政権によって<<strong>庚戌国恥日(キョンスルククチイル)>とそれた日です。関連過去記事は→コチラ

 なお、統監府の建物があった場所は、現在この坂道の登り口近く(南山芸術センターの南隣)にあるソウルアニメーションセンターの地で、今そこには標石があるだけです。この統監府の建物は韓国併合後もはそのまま朝鮮総督府となり、1926年景福宮の前に総督府の新庁舎ができるまで建物を増築したりて継続使用されていたそうです。
 ※これらについては<韓国古建築散歩>の記事(→コチラや→コチラ)参照。それによると、上の画像左奥の10mほどの石積みは統監府の遺構なのだそうです。また→コチラのブログ記事も参考になります。

 ここで話は変わって、半世紀ほど時代を下ります。
 1961年以降この一帯は朴正熙政権下の韓国中央情報部(KCIA)→全斗煥政権下の安全企画部(安企部)の施設があった所として知られていました。(冤罪も含めて)多くの民主化運動の活動家等が拷問を受けた所で、当時は「南山」という符丁だけで怖れられたといいます。その本部棟が上記のユースホステルでした。そして道路の反対側にある(現)総合防災センターの建物は本部と地下道でつながっていて、その地下には取調室(拷問部屋)があり、またこの坂道の入口近くにある文学の家という施設は1975~90年KCIAと安企部長の公館だったとのこと。その他、関係の建物は40以上もあったそうですが、90年代以降壊されたりして、今は4分の1くらい(?)になっているとか。これらの施設を遺そうという声もあるそうですが・・・。

 中央情報部の遺構等について詳しく書くときりがなくなってくるので、いずれ現地にも行ってみた上で別建てての記事にしようと思います。
 また、統監府関係も含めて韓国記事等をいろいろ読む中でいろいろなことが見えてきました。つまり、統監府や中央情報部といった多くの韓国人にとっての<負の歴史>の場をどのような形で遺すか(or残さないか)といった問題は現在の歴史認識問題と直結するわけで、その歴史認識は日韓間の問題以前に韓国内の保守・進歩両陣営間で大きな差があるため、時のソウル市長や大統領等の政治的立場や、有力市民団体等の(政治的色彩を帯びた)主張や時の一般世論等を反映するものとなり、さらには今後どのような理念をもって都市空間を創造するのかという構想や、もしかしたら土建業界への利益誘導(?)ということまでからみあって、「過去の」失われつつある遺物の問題が生々しい「現在」の政治・社会問題であるということ。

 そんな中、もうひとつ新しい「歴史記憶」のコンテンツがこの地に付け加えられました。

 これは上の統監官邸跡の画像と同じ場所を同じ方向から見たもの。先の方は<NAVER地図>でしたが、こちらは<DAUM地図>です。前者は2016年8月29日より前に撮影されたものですが、こちらはその日以降に撮られたものです。比較してみてください。中央に新しいモニュメントのようなものが造られています。
 それが何かというと・・・。
 「日本軍慰安婦記憶の場(일본군 위안부 기억의 터)」です。2016年8月29日はその除幕式が行われた日でした。上述の庚戌国恥日です。(※またこの公園を「慰安婦追慕公園」とよぶようです。)

 実はこの記事は、このモニュメントの問題をテーマにして書き始めたのですが、例によって序文が長くなりすぎました。(←ここまでが全部序文ってことか!?(笑))
 ・・・ということで、その「本論」は続きで、ということにします。


 

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[2016年韓国の流行語 総まとめ] 朴槿恵&崔順実ネタにはパロディも・・・

2016-12-24 18:58:59 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 ほとんどTVを観てないので日本の流行語には疎い私ヌルボ。それよりも韓国語のベンキョーも兼ねて韓国の流行語にはそれなりに注目してきました。
 韓国には流行語大賞といったものはありませんが、この時期いろんなメディアが<2016年の流行語>の総まとめといった記事を発表しています。
 それらを参考に、ヌルボなりに整理してみました。

◇秘線実勢(비선실세.ピソンシルセ)
 「秘線」とは、公に公開された公式の関係ではなく、背後に隠された関係。つまり権力者がこっそりと関係を結んでいる人物(組織)のこと。そして「実勢」とは実際に影響力を持っている人者(組織)。合わせると<陰の権力者>といったところ。もちろん、直接的にはあの崔順実を指しています。 「하야(下野)」「탄핵(弾劾)」等もすっかりおなじみの言葉になりました。

◇私がこうありたいと思って~をやったのか?と、自ら恥じる気持ちでつらい(내가 이러려고 ~을 했나 자괴감 들고 괴로워)
 崔順実をめぐって紛糾が続く中、11月4日に朴槿恵大統領が2回目の国民向け談話を発表しました。その中にあったのが次の言葉です。
 "내가 이러려고 대통령을 했나 자괴감이 들 정도로 괴롭다"
 (私がこうありたいと思って大統領をやったのかと、自ら恥じる気持ちでつらい)

 前半は反語ですね。 「자괴감」「自愧感」。自ら愧(は)じる気持ちです。「こんなことをするために大統領になったわけではないと、慚愧の念に堪えません」と訳した方が日本語としては自然でしょう。いや、もっと単純に「こんなつもりで~になったわけじゃないのに・・・自責の念にかられます」とすればわかりやすいですね。
 この発言はその後パロディがいろいろ作られたりもして、今年最高の流行語になりました。
    
 上左はもちろんピカチュウ。ポケモンGOでの相次ぐ事故報道を見ると「そんなつもりでポケモンになったわけじゃないのに・・・」と言いたくもなるでしょう。上右は崔順実の娘チョン・ユラを乗せた馬。「そんなつもりで乗せたわけじゃないのに・・・」。
 ※その他のパロディの例は→コチラコチラ参照。

◇何が大事なのけ!?(무엇이 중헌디.ムォシ チュンホンディ)
 2016年韓国映画最大の問題作とも言われ、687万人の観客を記録したスリラー映画「哭声(곡성.コクソン)」の中のセリフ。國村隼が出演していて、青龍映画賞で男優助演賞と人気スター賞の2冠を獲得しましたね。韓国の巫俗信仰をベースにした作品のようで、近年大ヒットを連発しているファン・ジョンミンが霊媒師イルグァンを熱演しています。で、このセリフは警官ジョングの娘ヒョジン(キム・ファニ)のセリフ。標準語だと「무엇이 중요한데(何が重要か)」ですが、物語の舞台は全羅南道の谷城(「哭声」と同じスペル)なので全羅道方言。(大阪弁だと釜山語っぽくなりそう(?)なので一応茨城弁?風に訳してみました(笑)。この言葉は映画の人気を牽引したばかりでなく、韓国社会で本当に重要なことは何かという問いも投げかけた、という記事もありました。
 ※「哭声/コクソン」の日本公開は3月11日です。

◇花道だけ歩こう(꽃길만 걷자.コッキルマン コッチャ)
 「良いことだけが起こる人生を歩もう」という意味。今年2月Mnetのオーディション番組「プロデュース101」でキム・セジョン(김세정)が中間投票で1位になった時、お母さんに「これからは花道だけ歩けるようにしてあげますよ(이제부터 꽃길만 걷게 해 드릴게요"라고 한 뒤부터다)」と言ったのが最初。その後この番組を通過した11人の少女で構成されたグループI.O.I(アイ・オー・アイ)を応援するファンたちがこの言葉を掲示板等に書き込んで流行語になりました。
 ※キム・セジョンの画像(右)を見ると、ある韓国記事にもありましたが、中森明菜に似てますね。
 <꽃길>(花道)という言葉は「朝鮮語辞典」等にはありませんが、前からファンたちの間で使われていたとも・・・。反対語は<가시밭길>(いばらの道)で、元は「가시밭길을 걷지 말고(いばらの道を歩かずに)というフレーズが前に付いていたそうです。
 流行語に付き物のパロディがこれにもあって、これにも「いばらの道だけを歩こう」とか「圧制の道(압정길)だけを歩こう」といった逆の意味で用いられたりもしているとか。
 さて、このキム・セジョンですが、その後ちょうど1ヵ月前にソロ曲「꽃길」を公開。<Kstyle>の記事(→コチラ)によると「8つのチャートで1位を獲得・・・“次世代音源クイーン”の誕生!」という見出しがついてますよ。この歌は→You Tubeで聴けます。おっ、アクセスが500万を超えてますね。
 なお、政治関連では6月の国会開会に際し、朴槿恵大統領の入場をセヌリ党議員たちが両側に並んで拍手で迎えたことを(東亜日報系の)<チャネルA>は<セヌリ花道(새누리 꽃길>と表現して進歩系メディア<オーマイニュース>で批判されたりもしています。(→コチラ。)

◇ヒットだヒット(히트다 히트.ヒトゥダ ヒトゥ)
 発音も意味も日本語と同じ。あ、野球の安打じゃなくて歌とか映画とかの・・・。いや、もっと広くて「やったー、今日の大ヒットだぜ!」という時のヒットか。この流行語の最初はMBCの人気バラエティ番組「無限に挑戦(무한도전)」。パク・ミョンス、ハハ、チョン・ジュナたちの会話の中で出てきたこの言葉は、その後番組内でちょっとしたことでも雰囲気を盛り上げるためにこの言葉を使い、世間にも広まったということ。
 右画像のように両手の親指を上に向けるポーズ(엄지 척)とともに言うのがポイントです。

◇~であります(~지 말입니다.~ジ マリムニダ)
 2016年上半期KBS2で放映されたドラマ「太陽の末裔(태양의 후예)」は、<国際貢献>ということで海外派遣された韓国軍の話。もし日本でこういう内容のドラマが放映されたら大騒ぎになるでしょう。それはそれとしてソン・ジュンギソン・ヘギョの共演も話題になったりして大ヒットし、それとともに流行語になったのがこの軍隊式の話し方
 昔の日本軍でも、上官に名を問われた新兵が「ヌルボ二等兵です」などと言おうものなら「そんな<地方の言葉>(=ふつうの民間での言葉)を使うな!」とビンタが飛びそうです。ここは「ヌルボ二等兵であります」と軍隊用語で答えるべきものなのであります。韓国の軍隊もそうとういろんなことが旧日本軍から受け継がれているわけで、軍隊用語もたぶんそうなのでしょう。→コチラの記事によると「動詞や形容詞の原型から다を取った語幹に「~지 말입니다」だけを付ければよいので、不規則活用とも関係なく使えるため、むしろ簡単かもしれません」とのことです。たとえば「그렇습니다(そうです)」の場合は「그렇지 말입니다(そうであります)」となるのであります。(癖になりそう。いかんなー。)
 以前何かでこの「~であります」という軍隊用語は長州の方言に由来するという記事を読んだ記憶がありますが、事実なのかな? そして「何をしちょるか?」という昔の警官用語は薩摩弁なのだとも・・・。(薩長藩閥全盛時代の名残り)

◇白く焼こうよ ホットだぜ(하태핫태.ハテハッテ)
 「하얗게 태우자 핫하게 태워」の縮約語とのことですが・・・。「핫」は英語のhot。しかし、なんでこんなに短くなるのかな? そして、こんな訳でいいのかな? 韓国のQ&Aサイトにも「どんな意味?」なんて質問があるのもむしろ当然でしょう。元はOcean WorldのCMソングから。Block BのメンバーでラッパーのZico(지코)による自作自演の曲で、中毒性が強いため(?)広まっていったとか・・・。
 YouTubeは→コチラ
 たしかに、ハテハテだけだと韓国人が聴いても意味不明かもなー。 

◇知らないのに、なんで行くんですか(모르는데 어떻게 가요)
 ことの発端は昨年(2015年)6月のMBCのバラエティ番組「セバキ(세바퀴)」。俳優でタレントのキム・フングクにいきなりアン・ジェウクの結婚式になぜ来なかったの?」と訊かれたお笑いタレントのチョ・セホがあわてた表情で答えたのがこの言葉。「セバキ」は昨年11月に終了したのに、なぜかこのネタはSNSで発掘されて1年近く経った今春になって盛り上がったとのこと。「知らない人なのに・・・」ということですかね? 日韓では結婚式の招待の仕方が違うのかな? どうもわかりにくいですが、さいわい→コチラの記事でていねいに説明してくれてます。(それでもおかしさが今ひとつ飲み込めませんが・・・。) この流行語によってチョ・セホは「プロ欠席者(프로불참러)」というニックネームまでつけられてしまいました。しかしその後知らない人からも「なぜ来ないんだ?」との連絡が連日100件以上来るようになって実際に出席したり、1日にできるだけ多くのイベントに出席するギネス記録に挑戦したり、加害者(?)のキム・フングクとの広告まで撮ったりして人気が高まったそうです。

◇~ is 何でもステキ(~ is 뭔들.is ムォンドゥル)
 「~は何をしてもステキ、最高!」という意味で使われるインターネット新語。ガールズグループMAMAMOOの歌「넌 is 뭔들(ノン イジュ ムォンドゥル.キミは最高)」でも使われて拡散しました。→YouTube。英題は「You're the best」になってますね。

◇おまえのために座がすっかりしらけてしまったから責任を取れ(너 때문에 흥이 다 깨져버렸으니 책임져)
 元はと言えば、2004年放映の韓国アニメ「オリンポスガーディアン」(SBS)の一場面で、遅く登場したオルフェウスに対してディオニュソスが言った言葉。するとオルフェウスはリラ(竪琴)を演奏しながら踊って場を盛り上げ、称賛まで受けるのです。最近この言葉が知られてパロディもいろいろ作られています。
 オリジナルは→YouTubeで見られます。そこからパロディもたどっていけます。
◇あーん、気持ちいい(앙 기모띠.アン キモッティ)
 もちろん日本語。発音はちょっと違いますが・・・。アフリカTVのBJ(番組進行者)チョルグ(철구)が放送中にしばしば言って広まりました。
 「띠」は「帯」等の意味があり、それを生かして「앙 ○○띠」と別の言葉に変えたパロディも作られています。下の画像は金浦の高速道路料金所の電光掲示板に「앙 안전띠」(あーん 安全ベルト)という表示が出現したというものですが、関係者は否定していて、どうもこれは偽の画像のようです。

 最初の2つだけが政治ネタであとはTV・芸能関係。日常的に韓国の娯楽番組やドラマを観てないので、今初めて知りましたというものばかり。
 世相・社会関係では、昨年の暮れに<ヘル朝鮮>(→コチラ)とか、<金(or土)のスプーン>(→コチラ)といった新語の紹介をしました。これらは今も使われているようですね。今年できた新語も探せばもっとありそうな気もします。
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「貧困のため」よりも大きな理由は? 韓国の海外養子、赤ちゃんポストをめぐる事情②

2016-09-20 16:36:05 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
1つ前の記事では「Twinsters ~双子物語~(트윈스터즈)」というドキュメンタリー映画と、それに関連して韓国の海外養子について「近年減ってきてはいるが課題は依然多く、また新たな問題も生じている」といったことを書きました。

 今回は、それと関連して「ドロップ・ボックス(드롭박스)」というもう1つのドキュメンタリー映画を紹介します。今年5月から韓国で上映され、観客・映画評論家から非常に高い評価を受けているアメリカ・韓国合作の作品で、監督はアメリカのブライアン・アイヴィー監督です。
 タイトルの「ドロップ・ボックス」とは、2009年ソウル市冠岳区蘭谷洞にある主サラン共同体教会に設けられた韓国最初の赤ちゃんポストのこと。日本で熊本市の慈恵病院というカトリック系の病院に「こうのとりのゆりかご」という名称で赤ちゃんポストが開設されたのが2007年ですからその2年後です。つまり諸事情のため育てることのできない新生児を親が匿名で特別養子縁組をするため韓国では最初に設置されたものです。(※一般的には<ドロップ・ボックス>ではなく<ベイビー・ボックス(베이비박스)>という。)
 この作品はそこのイ・ジョンナク牧師の話です。といっても、内容は彼の日常よりも子どもたちに重点が置かれています。薬を服用していた女子中学生が産んだ子供とか、障碍を持った子供とか・・・。
 (※ベイビー・ボックスはその後もう1ヵ所京畿道軍浦市のセ(新)カナアン教会に設置され、現在はその2ヵ所とのこと。)

 実はこの映画も私ヌルボは観ていません。しかしいろいろ関連情報を探して読んでみると、国際養子の問題とも関連する諸問題があることが見えてきました。
 まず驚いたのは「2009年の開設以来約800人の命を助けた」というその数の多さです。日本では2007年の運用開始から8年間で合計112人とのこと。ということは、なんと日本の約10倍にもなるではありませんか!
 (ここで「なんだ、海外養子の多さといい赤ちゃんポストといい、韓国人はずいぶん無責任だな」と<嫌韓>方面に直行するのは早計に過ぎます。)

 右の表を見ればわかるように、この韓国のベイビー・ボックスに託された赤ちゃんの数は最近とくに急増しています。以下その背景を探ってみました。

 上述のように、この「ドロップ・ボックス」という映画に対する評価は高く、<NAVER映画>でネチズン90人の平均評点が9.32、観客の評点は9.91に上り、コメントも好意的なものばかりです。しかし世論は必ずしもベイビー・ボックスに肯定的なものが大多数とはいえないようです。つまり「赤ちゃんを捨てることを助長するような環境を作ってはいけない」というのがその理由です。

 政府もまたベイビー・ボックスに否定的です。というのは、子どもの権利条約ハーグ国際養子縁組条約に示された「子どもが自分の親について知りたいと思うのは当然の権利」という理念を重視して前の記事でも記したように養子縁組特例法(2012年)を制定し、養子縁組に際しては出生届等の手続きを義務づけたわけですから、そうした必須の手続きを経ないベイビー・ボックスは認められないというものです。ただ法的な問題等のため強制的な閉鎖には乗り出していませんが・・・。

 ところが、依然として未婚の母に対する差別が深刻な社会で養子縁組の手続きのハードルを高くすると、当の未婚の母はベイビー・ボックスの他にどんな選択肢があるのでしょうか?
 なんらかの形で赤ちゃんを「遺棄」するか、自分あるいは子どもの命を絶つといったはるかに悲惨なことになってしまいそうです。
 ※ここで私ヌルボ、업둥이(オプトゥンイ)という言葉があることを初めて知りました。(主として子どものいない老夫婦等の)家の前に捨てられた赤子のこと。「ふつうその家で育てられることになる」そうです。しかし、この頃は人間の赤ちゃんよりももっぱらイヌやネコについて用いられている言葉のようです。

 さて、「依然として未婚の母に対する差別が深刻な社会」と書きましたが、具体的にはどのようなものでしょうか? 
 たとえば2013年4月の「ハンギョレ」の記事(→コチラ.韓国語)。
 (たぶん役場の窓口で、担当職員が)「子供のお父さんは? え、未婚の母ですって?」と声を高めると、人々の視線が突き刺さった
・・・とか、
 1人で出産の準備のために役場と保健所を行き来していると、行く先々で「なぜシングルマザーになったのですか?」という質問が続いた
・・・等々。
 統計庁の調査資料によれば2000年に11万7千人だったシングルマザーは2010年に16万6千人余りと5万人近く増えましたが、2009年に430人の未婚の母を対象に行った調査では、彼女たちに対する偏見・差別は「非常に深刻=30.7%、深刻=58.3%、ほとんどない=9.0%、全然ない=2.0%」と全体の9割は「深刻だ」と答えています
 この「ハンギョレ」の記事では、4月の臨時国会で包括的差別禁止法が可決されれば、シングルマザーも差別と偏見から保護を得るようになり、ある組織の代表は「法が成立すると、教育課程の中でも未婚父・母の家を多様な家庭の1つの形として提示したり、企業は未婚の母をむやみに解雇できなくなり、10代の未婚の母は学校から追い出されず学習権を保証される等、制度が改善されるだろう」と予想しています。
 ところが2016年1月の「女性新聞」の記事(→コチラ.韓国語)を読むとあいかわらず厳しい状況は続いているようで、仕事に就いている人は51%に留まっています。シングルマザーであることを理由に就職できなかったり、あるいは保育施設の問題で仕事と育児の両立が困難だったり・・・。そのうえ公的な支援が不十分なこともあって経済的に追いつめられている人が大半のようです。
 日本でも幼い子どもを抱えて働く女性の問題がクローズアップされましたが、韓国の場合は差別・偏見、公的支援のレベルの問題等もあってさらに過酷な状況のように思われます。

 先に<嫌韓>方面の人に「海外養子」に出されたり赤ちゃんポストに託される子どもの数だけで韓国を非難するのは早計と書きました。ヌルボ思うに、批判するとしたらその数ではなく、シングルマザーに対する偏見・差別ですね。

 前の記事と続けて韓国の海外養子と赤ちゃんポスト関係の記事をいろいろ読み、考えたことを書きました。その中でもう1つ見逃してはならない事実を知りました。それはどちらのケースもその子どもたちの2割以上が障碍児ということです。「なんなんだ、この数字は!?」という驚き+憤りが・・・という反応は当然でしょうが、この件についてもいずれ何らかの形で背景を探ってみたいと思います。

★[付記①]
 日本財団が行っているプロジェクトの1つに<ハッピーゆりかごプロジェクト>があります。特別養子縁組や里親制度の普及をめざすというものですが、そこのサイト内に「韓国の未婚母支援、養子縁組を学ぶ旅」と題した2回続きの記事が掲載されています。その①(→コチラ)は「未婚母支援の団体でインタビュー」、その②(→コチラ)は「ベビーボックスと養子縁組機関でインタビュー」という内容で、その②では「ドロップ・ボックス」がある主サラン共同体教会を訪ねて取材した内容をいろいろ具体的に記しています。
 その①ではエランウォン(園? 院?)というシングルマザー支援施設を取材しています。民間団体による支援等は韓国の方が進んでいる面もあるようですね。調べてみるとエランウォンは1960年エリノア・ヴァン・リロップ(韓国名パン・エラン. 1921~2015)というアメリカ人女性宣教師が韓国で初めて開設した未婚母子支援施設とのことです。

★[付記②]
 日本の赤ちゃんポストをめぐっては、NHK<クローズアップ現代>の2015年5月の記事(→コチラ)参照。

※養子問題とか出生の秘密というと韓国ドラマではおなじみのネタですが、それも上記のような歴史的社会的状況とと関係がありそうですね。

※もしかしたら、未婚男女(とくに10代)の性意識・性行動」といったことも関係ありそうですが、そこまで調べるとなると収拾がつかなくなりそうなのであえて踏み込みませんでした。

[2021年4月14日の追記] 
 2019年「Unplanned」というアメリカ映画が作られ、翌年韓国でも公開されました。反人工妊娠中絶の活動家であるアビー・ジョンソンの実体験を映画化した作品です。タイトルのアンプランド(unplanned)は「予定外の」「無計画な」といった意味です。この映画は、韓国での観覧者の平均評点が9.62/10という高評価でした。その背景をさぐると、とくにカトリック系ではどんな事情があっても胎児は神から授かった命だから・・・ということで堕胎はあってはならないこととされています。上の記事の熊本・慈恵病院もカトリック系ですね。また養子縁組の仲介団体もカトリック関係のようです。韓国では18世紀頃からカトリックの布教活動が始まり(プロテスタント19世紀後期に宣教を開始)、教会を拠点に教育・医療等の活動を展開していきます。今韓国ではカトリックは全国民の1割で、2割を占めるプロテスタントの半分ですが、それでも日本よりもはるかに多いと言えます。このような宗教風土も養子の多さの1要因になっているのではと思われます。なお、カトリック教会は同性婚にも基本的に反対していますが、近年の時代風潮の中でそれなりの「ゆらぎ」も見られるようです。一方、アメリカ等では数十年前から女性運動の高まりの中で「産むか否かの選択は女性の権利」という主張も強くなり、現在はさまざまな主張が入り乱れているような印象を受けます。つまり、(カトリックの)宗教風土や伝統的な儒教倫理と「人権」「平等」といった新しい価値観の相克、またそれ以前に貧困や社会的な差別といった現実、それらのいくつもの要因が複雑に絡み合った問題だと思います。
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「貧困のため」よりも大きな理由は? 韓国の海外養子、赤ちゃんポストをめぐる事情①

2016-09-18 08:39:39 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
今年3月、韓国で「Twinsters ~双子物語~(트윈스터즈)」というドキュメンタリー映画が公開されました。
 英・仏・米・韓国合作のキュメンタリーで、内容は次の通りです。

 昨年あたりからいろいろ報じられているのでご存知の方も多いと思います。
 フランス国籍でロンドン在住のデザイナーの勉強をしているアナイス・ボルディエさん(画像右、だっけな?)が「あなたとそっくりのアジア系女優が動画に出てる」と教えられたのがそもそもの始まり。相手のサマンサ・フッターマンさんも1987年11月9日と自分と同じ誕生日でした。アナイスさんはロサンゼルス在住の俳優というサマンサさんとFacebookで連絡を取ります。すると2人は釜山生まれで、すぐ養子の斡旋業者によって別々に引き取られていった双子だったことが判明しました。
 2013年5月、ロンドンで26年ぶりの再会した2人は遺伝子検査を受け、100%一卵性双生児であることが明らかになります。その後この物語の映画化のためクラウドファンディングで資金を調達し、サマンサさん自身が監督となって完成したのがこの作品です。

 このドキュメンタリーの韓国版予告編を貼っておきます。

 ※日本での劇場公開はありませんが、Netflixで「双子物語」のタイトルで配信されています。(→コチラ
 [2018年9月13日の追記] この記事を書く以前に、アナイスさん・サマンサさんの共著「他人のふたご」(太田出版.2016/2)の翻訳本が刊行されていることを知りました。上述のことが当人たちによって詳しく書かれている本です。図書館で読んでみましたが、とてもスリリングで一気読みしました。

 ・・・と、いろいろ書くとさも自分も観たように思われるかもしれませんが、実は観てません。しかし梗概を読むだけでも感動する話ではありませんか!
 私ヌルボ、それにケチをつける気持ちは全然ありません。ただ、いろいろと考えざるをえない要素があるのも事実です。

 たとえば先週9月8日、「朝鮮日報」に「子犬まで海外養子に出す韓国」と題した記事が掲載されていました。ソチラの方が本記事のキッカケです。(原文は下画像または→コチラ。)
 ニューヨーク在住の歯科医師の女性による寄稿です。
 記事の要点は、近年韓国から外国に送られる犬たちに関すること。ひどい環境に置かれていた補身湯(犬鍋)用の犬を韓国や外国の動物保護活動団体が救い、主にアメリカやカナダの家庭に送っているのだそうです。筆者は「気になるのはなぜ韓国人はこんなことも責任を負わないのかという点だ」と問題提起し、韓国内で養子先を見つけるキャンペーンをすべきだと主張しています。
 私ヌルボがその記事で注目したのは、犬ではなく韓国人の海外養子について記されている以下の部分です。

 私は13歳の時家族と一緒にアメリカに来てミネソタ州で育った。当時ミネソタ州にはアメリカ人家庭の養子となった韓国の子供たちがとても多くいて、私も時々養子と思われたりした。・・・・
  1998年、金大中大統領は、海外養子に対して公式謝罪したことがある。・・・・
  6・25戦争の後は、深刻な経済的困難のため、海外養子がやむを得ない選択だっただろう。以後70〜80年代には未婚のカップルの赤ちゃんを他国に送ったりして海外養子の流れは続いた。このように海外に養子に行った子供たちが総計17万人を越えるが、世界1位だという。しかし、今経済的困難は理由にならない。韓国はすでに世界10位圏の経済大国ではないか。

 先のドキュメントの事例を考えると、たしかにほとんど奇跡に近い幸運であることは間違いないとしても、上記のように韓国人入養児(←韓国での用語)の数が「総計17万人を越えて世界1位」という点に着目すれば、そんな偶然の海外養子の双子同士の出会いが韓国人だったということは確率的には高いということになります。

 韓国では、ソウル五輪の頃から国内外で「児童輸出国」という批判に直面してきて、その後(とくに21世紀に入ってから)諸施策がとられるようになってきました。たとえば国内に4団体あるという海外養子斡旋団体が、最初から外国にではなくまず国内での養子斡旋を優先するとか、シングルマザーへの支援を強化するとか・・・。その成果(?)か、2009年の「ハンギョレ」の記事(→コチラ.韓国語)によると、1998年には年間2443人だった海外養子の数は2008年には1250人に減り、グアテマラ・中国・ロシア・エチオピアに続いて5位に後退しています。
 その後2011年に養子縁組特例法が制定され(翌年施行)、それまで養子縁組機関の判断でマッチングし委託していたのが、赤ちゃんを養子に出す場合には出生届を義務化し、裁判所が養子縁組を最終決定するようにしました。そして2013年韓国はようやく児童の基本権を最重視するハーグ国際養子縁組条約に加盟しました。(91番目の加盟国) しかし「中央日報(日本語版)」の記事(→コチラ)が指摘するように課題は依然多く、また新たな問題も生じているようです。

 そこで、もう1つのドキュメンタリー映画を紹介・・・となるのですが、とりあえずここで一区切り。

 <嫌韓>に直結しやすいネタですが、そういうつもりはありませんのでご承知おきを。(蛇足ではありますが・・・。)

 ★韓国の海外養子(入養児)については、本ブログでも2度映画関連でけっこう詳しく書いたことがありました。「冬の小鳥」の記事(→コチラ)と、「はちみつ色のユン」の記事(→コチラ)です。

 ★参考:<日刊サイゾー>の記事「実は“児童輸出大国”だった!? 韓国で「海外養子」が多いワケ」コチラ



 ★昨年10月の「中央日報(日本語版)」(→コチラ)では、中央日報系のTV局JTBCのトークバラエティ番組「非頂上会談」出演者のイタリア人モンディさんが、イタリアから母国訪問に来韓した海外養子の通訳&案内をしたこととともに、「特に先進国の政府は養子縁組の成功談を広報することよりも、子供たちを養子縁組させる必要性そのものをできるだけなくす努力をしなければならないと思う。困難な状況のために養子縁組させる必要ができれば、海外よりも同じ国で養子縁組をさせるのが理想的な解決策であろう」と正論を記しています。
 そうそう。フランスで大臣になった女性とか、スポーツで注目されている人とか「成功事例」はしばしば韓国で報道されたりしていますが、その反対の事例もかなりあるのでは? 韓国をはじめとするメディアはそれをむしろ探るべきでしょう。

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韓国の連座制&遡及法を考える⑤ 「先祖=自分」、「過去=現在」という仮説

2016-06-06 19:11:56 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 → <韓国の連座制&遡及法を考える④ 本間九介「朝鮮雑記」(1894)にみる連座制の事例から考えたこと>

 過去4回の記事で韓国と朝鮮の事例をいろいろ挙げましたが、この最終回ではそれをふまえて(ヌルボとしては)大胆な(?)仮説を提示してみます。次の2つです。

  [1] 韓国人は「先祖と一体」である。
  [2] 韓国人にとっては、「過去は現在と地続き」である。


 [1]は、なんといっても朝鮮王朝以来の儒教思想の影響が現在にも及んでいるということの現れで[2][1]から導き出される歴史意識です。
 早い話が「先祖=自分」であり、「過去=現在」ということ。(あ、韓国だけでなく北朝鮮も同様です。)
 以下、もう少し詳しく見てみます。

[1] 韓国人は「先祖と一体」である。
 先祖の名誉は自分の名誉、先祖の恥は自分の恥。そして先祖の屈辱は自分の屈辱なので、それを晴らすのは当然のこと。
 したがって、慰安婦問題に関して安倍首相「私たちの子や孫の世代に、謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない」という発言は韓国人には責任回避と映るのも当然でしょう。また「親日」行為を働いた者の子孫から財産を没収したり、国のために命を捧げた人や、現在の韓国や過去の日本の政治の犠牲になった人たちの遺族が多額の報奨金・補償金を受け取るのも当然ということになります。
 ただ、これには日本の軍人恩給と若干共通する点もあると思われます。たとえば、2011年の「東亜日報」の<韓国戦争遺族の補償金、たったの5千ウォン>という記事(→コチラ)がありますが、たしかに朝鮮戦争で一家の働き手を失った家族に死亡給与金が日本円で500円というのは理不尽ですね。
 しかし、昨2015年3月の<独立功労者の遺族向け家計支援、最大5倍に引き上げへ>という記事(→ 「朝鮮日報(日本語版.会員制)」、または→コチラ)はいかがなものでしょうか? この記事によると、韓国では「独立功労者の子供と孫の世代は計6万5683人おり、うち5874人に補償金が支払われている」が、「国家報勲処は、昨年(2014年)までその孫で最も年上の人に毎月35万ウォンずつ支給していた家計支援費を今年(2015年)からは所得に応じて毎月52万~188万ウォンに引き上げると発表した」とのことです。

 こうした「先祖の栄誉は自分の栄誉」といった韓国(&北朝鮮)によくある思考方式について、産経新聞・黒田勝弘ソウル支局長は2004年<過去に熱上げる韓国政治>と題した記事(→コチラ参照)で次のようなことを書いています。(その後「韓国は不思議な隣人」(産経新聞社)に所収。)

 盧(武鉉)大統領は先の演説(「八・一五光復節記念演説」)で「日本統治時代に独立運動をした人はその後、三代にわたって貧乏し、親日派は三代にわたって羽振りがいい」という話を紹介した。大統領がこの種の“俗説”を記念演説で引用したのには驚いたが、この「三代にわたって」というのが面白い。(中略)
 しかし問題は、親が独立闘士であれ親日派であれ、子孫が努力しなければ貧乏するだろうし、逆にがんばれば裕福になるだろう。ただそれだけのことである。それが近代社会というものである。(中略) 独立運動家の子孫が貧しかったとすれば、それは子孫の責任だろう。
 なのに大統領は、親日派の子孫が羽振りがよく、独立運動家の子孫が貧乏なのは問題だ、間違っているといっているようにみえる。これでは「個人」より血筋とか家門が重視されなければならない、ということになるではないか。
 盧政権は大統領以下、ほとんどが解放後生まれの若い世代で民主化運動出身の進歩派が多い。その新世代政権が過去好きで血筋や家門などという古い価値観にとらわれているのだ。これは韓国の変わらぬ政治文化、政治風土というしかない。


 咸臨丸でアメリカを訪れた福沢諭吉がワシントン初代大統領の子孫が今どうしているかを聞いても誰も知らないことに驚いた(「福翁自伝」)ことはよく知られています。あれほど儒教が重視された身分制社会を強く批判した福沢も、そんな社会の中で培われた感覚はいかんともしがたかったということでしょう。もちろん今の日本人は上の黒田氏の記事に同感するでしょうが、その点韓国は現在も血統に関しては「徹底的に(断絶ではなく)持続の思想」(小倉紀蔵「心で知る、韓国」であり、「血統に対する宗教的ともいえるような帰依感」を持っている(田中明「韓国の民族意識と伝統」)という点で日本と対照的です。
 つまりは、日本よりもはるかに儒教が深く根を下ろしていて、現代社会にまで大きく影響を及ぼしているとみられます。また北朝鮮の場合は、韓国以上に伝統的な儒教倫理を色濃く残しているのではないでしょうか? 指導者(金正日)が父親(金日成)の喪に服したり、先の記事で書いたように、3代遡って「成分」を分けたり金日成の家系の「聖家族化」を推進したり等々。
 ※北朝鮮の3代続く独裁体制がスターリン主義・日本の戦前の天皇制・封建時代から続く家父長的儒教主義の3つを受け継いでいるという理解はとてもわかりやすいと私ヌルボは思います。

[2] 韓国人にとっては、「過去は現在と地続き」である。
 韓国の連続ドラマの多くは、最初の数回は出生の秘密等々子供時代から始まり、成人後の本来の主役が登場するのは何回か後になります。
 つまり、現在の自分は生まれて以来の成育歴に直結している、・・・って当然といえば当然なのですが、それを強く意識し、そこにアイデンティティを見出し、あるいはそこに現在のいろんなことを結びつけるといった意識が強いのでは?
 また、復讐物が非常に多い(半分以上?)というのも韓国ドラマの特徴です。国や一族の歴史だけでなく、個人史でも「過去=現在」なので、日本人の目からは「なぜそんなに過去にこだわるの? 復讐に情熱を注ぐよりも、過去は忘れて、あるいは過去の不幸は今後の教訓として、新しい未来に向けて頑張る方がはるかに生産的で良いんじゃないの?」と考えるのは、日本人にとって過去は現在から簡単に切り離して「水に流せる」から。都合の悪い過去はトカゲのしっぽのようにどんどん捨てていけばいい。(それはそれで「問題あり」ですが。) ところが韓国人にとっては現在の自分は過去の自分により規定されていて、個人的にも過去の恨み=現在の恨みだから、それを晴らさないことには先に進めないのです。

 歴史を見る場合も、「地続き」の現在から過去を見るわけなので、「現在の価値基準で過去を裁く」ことになります。
 したがって、たとえば「韓国併合条約は合法か、無効か?」といった問題についての歴史研究者間の論議でも話がかみ合わないというケースがふつうに(?)生じたりするわけです。(「その当時はそれが正しいとされた」と言うと、韓国人の研究者から「アナタはそれを認めるのかっ!」という声が上がるとか・・・。)
 ※日韓歴史共同研究(→ウィキペディア)や韓国併合再検討国際会議(→コチラの記事)参照。また→<「日韓併合条約は無効でした」と認めることの何が不都合なのだろう?>と題したコチラのブログ記事に寄せられたコメントのやりとりはなかなか興味深いです。

 ところで、日韓間で「正しい歴史認識」と言う時、その「正しさ」の意味を双方がどのように理解しているでしょうか?
 日本人の場合は問題とされる歴史上が「実際に」あったかどうかにこだわります。本当に史実なのか否か定かでないことを前提とした主張は、それだけで「正しい」とは言えないと考えます。この「正しさ」は、何年何月何日に何があった、という意味での「正しさ」です。
 それに対して、韓国人の考える「正しい歴史認識」とは、歴史に対する「正しい価値判断」を意味します。何が「正義」で、何が「不正義」なのかを「正しく」判断すること。そしてその判断基準は上記のように「現在の価値観」によるものです。日本人にしてみれば、「現在のモノサシで過去を測るのはおかしい」とふつうに考えるところですが、「正義の基準は時代を超えた普遍的なもの」であり、また現在の価値観が時代の進行につれて変化していっても、それに併行して過去の見方も変わるのは当然で、なんら問題はないというわけです。

 上掲の小倉紀蔵「心で知る、韓国」にも、次のように記されています。

 「・・・だから歴史を見る目も大分違う。なぜ日本人は過去の糾弾をしないのかということを韓国人はよくいう。過去の糾弾というのは、儒教的な意味でいえば毀誉褒貶の「春秋の筆法」(事実を述べるのに価値判断を入れて書く書き方)によって、どれが悪くて、どれが善かったという、必ず善悪の価値を付けて歴史を裁くことをいう。そういう歴史観こそが文明だと思っている。死ねばすべて仏なんだというような歴史観は、儒教的な意味では野蛮に見えるのである。」
 「韓国人の歴史意識においては、現在も朝鮮王朝時代も、連続性あるいは同時性としてとらえられているのである。」


 こうして見ると、先の安倍首相の「私たちの子や孫の世代に、謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない」という言葉と、朴槿恵大統領の「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」という言葉との間のミゾの深さがわかるというものです。※「日本人の」価値観に基づく言葉だけで相手を批判しても通じるわけがないのです。もちろん韓国→日本も同様。

 韓国併合条約や、1965年日韓基本条約といった日韓間に理解の齟齬がある取り決めと関連して思い出したのが前の記事で紹介した本間九介「朝鮮雑記」中の1つの記事です。ただし国家間ではなく、個人間の約束事、具体的には金銭貸借のことなので、同列に扱うことは問題はありそうだし、内容的にも「侮辱的」ととられる要素がありますが、それは承知の上でとりあえず紹介します。

<韓人單純なり>
 韓人は比較的に正直といはんよりは、寧ろ單純といふべき人種なり、(中略) 例令ば彼等の金を借るや、其證書面には若し期日を經過するも義務を果さゝるときは、違約金として五貫文を推尋すること、或は官に卞呈して公裁を仰ぐべしなど、汪洋に書くとも、瓜期に至りて人之を催促すれば、彼等は即ち曰く一銭もなし、願くは猶ほ一期を猶豫せよと、人其最初の約に違ふを責むれば、彼等卽ち曰く唯一時の急を救はん爲め必ず約を履むの意なかりしと、彼等は常に斯る辦疏をなして恬として羞づることなし、然れども彼等は不思議にも借りたる金を借りぬとは言はぬなり、彼等實に單純なる人種なり
といふべし、
 證文に期を約するは是れ假相、一寸延れば尋といふ是れ韓人の眞面目、


 つまり、「韓人は金を借りても證文に記された返却期日を守るという意識に乏しく、催促しても1銭もないから延ばしてくれ等と言って恥じるところがない」ということ。
 誤解のないよう付記すれば、韓国人を非難するのではなく、「当時の韓人がなぜこうだったのか?」についての考察です。1つ目の推論は、契約期日を重視する商慣習・商道徳が定着するほど商業経済が発達していなかったのではないか、ということ。2つ目は、「過去=現在」なので、現在の自分の状況からみて不都合な内容であれば、過去の約束事も単に書き直せばよい、と思っているのでは、ということです。

 上述のように国家レベルと個人レベルを並列することに疑問を抱きつつも、現代の「約束破り」で思い起こしたのは北朝鮮の国際社会での「約束事」についてです。
 北朝鮮が「核保有国」になってしまった足跡はまさに掟破りの連続でした。核拡散防止条約に加盟後も条約を遵守せず秘密裏に核開発を進めたこと、その後核拡散のおそれの低い軽水炉完成までの期間米日韓が費用を負担して重油を無償で提供して北朝鮮の核兵器開発を放棄させることを目的として合意の上発足したKEDOも、北朝鮮がウラン濃縮による核開発を続行していることが明るみに出て、結局北朝鮮がIAEAから脱退して頓挫しました。
 また日本と北朝鮮の間では、「拉致被害者問題」等にしても、「3年後には日本に里帰りできる」はずだった日本人妻の問題にしても、過去幾度となく約束事が反故にされてきました。
 国際間の約束事を遵守することよりも優先すべきことがたくさんあるということ。言葉を変えて言えば、国際間の約束事を破ることについてのハードルは相当に低いということです。(ある本には「約束を堂々と破ることが指導的な地位にある者の証左」(!)と書かれていました。)

 いろんな細かな事例を挙げるときりがありません。ぼちぼちオシマイにしますが、今回の記事はこのブログの記事としてはちょっと異色の、やや「政治的色合い」を帯びた「憶測」めいた記事になってしまいました。
 専門的な研究者であれば、ホントに歴史的な時間の意識や、先祖についての意識等についてちゃんとした調査を踏まえた論を展開すべきところでしょう。(そういう研究はあるのかな?) 非専門家の私ヌルボとしては、「こう考えるとわかりやすい」ということで<仮説>として提示したまでです。

 [蛇足] 「嫌韓」の人たちに「利用」されそうなことも書いてしまいましたが、ヌルボの本意は「相互理解」にあります。
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