ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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2024年上半期に観た注目の映画8作品

2024-07-23 14:59:54 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
 昨年上半期には50本の映画を観ました。今年は44本と減りました。1~3月やむを得ない事情で17本と激減。6月に12本と集中的に観ましたが、2019年から続いていた年間100本以上は今年はちょっと難しいかも・・・。
 しかし、それなりに数はそろっているし、外国映画・日本映画とも作為することなくバランスよく4作品ずつになったのでスイスイ書ける感じ。
 なお作品は観た順にならべました。

《外国映画》

ファースト・カウ(米)
  インディペンデント映画作家として評価の高い女性監督ケリー・ライカートの名が一挙に知られたのは、ようやく2021年彼女の4作品がまとめてされてから。本作の舞台はオレゴン州で、冒頭は現代。川を船が行き、川べりで犬が何やら地面を掘り返してる・・・。と、いきなり1820年代、つまり西部開拓時代まで一気にさかのぼります。
 ビーバーを捕獲すると高く売れるとのことで狩猟グループに雇われた料理人のクッキーは、ロシア人に追われているという中国人移民のキング・ルーを助けたことが機縁となってやがてオレゴンの未開の地に移った時ルーと再会します。そんな時この地に初めて牛が舟に乗せられやって来ます。クッキーとリーはその牛のミルクからドーナツを作って市場で売り始めるとたちまち大人気に・・・。ってその牛は彼ら2人の所有物じゃないですよね? つまりこっそり悪事を働いているということ。そして悪事はいつか露見するもの・・・。
 本作の稀有なところは、物語の最後になってすべてが分かるのですが、その分かり方というのが映画1シーンもしくは数シーンを見て分かるというのではなく、観客自身の頭の中で映されていないシーンを補って過去~現代のすべての物語を想起するという構成になっていること。(いやあ、まいったまいった・・・)

コット、はじまりの夏(アイルランド)
 たまたま映画館で居合わせた知り合いは英・独・仏・西等の欧州の言語に通じているのですが、開映後間もなく「どこの言葉だ?」。私ヌルボも当然分からず。
 1981年アイルランドの田舎町。コットは9歳の少女。大家族の中でひとり静かに暮らすというより、父親が問題ありありの放蕩者でおよそ子供に愛を注ぐような親ではないのです。たまたま近く赤ちゃんが生まれるということでコットは夏休みを遠い親戚夫婦の家で過ごすことに。夫婦はコットを優しく迎え入れ、主に仔牛の世話等の仕事を手伝ったりして日々を送ります。2人の温かな愛情をたっぷりと受け、コットは今まで経験したことのなかった生きる喜びに包まれ、いつしか本当の家族のようにかけがえのない時間を3人で重ねていきます・・・という粗筋は事前に仕入れていたのですが、意外に思ったのはコットちゃんの表情が親戚夫婦に対しても変わらず笑顔を見せることもなく打ち解けておしゃべりをすることもないのです。ただ後になって考えてみれば、自分のやるべきことをやる充実感や親戚夫婦が寄せる信頼感のようなものが表情には現れなくても内に育まれていったのでしょうね。やがて赤ちゃんが生まれてコットちゃんは親戚のおじさんの車で帰ることに・・・。久し振りにわが家に戻って、私ヌルボ、「えっ? これでおわっちゃうの!?」と思った瞬間、大感動のラストが! うーむ、ここまで引っ張るとは、してやられましたがな。

パスト ライブス/再会(米・韓)
 ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりは互いに恋心を抱いていたのに、ノラの海外移住により離れ離れになってしまいます。12年後24歳の時、2人はニューヨークとソウルに居ながらも、オンラインで相手のことをたまたま探し、PC上で再会を果たしますが、直接会うことはできません。そして12年後の36歳。ノラは作家のアーサーと結婚していました。ヘソンはそのことを知りながらも、縁のひもをつかもうと勇気を出してノラに会うためにニューヨークを訪れます。24年ぶの再会ノラは歓迎しヘソンと2人観光船で周遊します。2人が家に戻ると玄関先の階段にアーサーが座って待っています・・・。
 この3人の間で大声で呶鳴り合う場面は全然ありません。しかしそれそれぞれに他の2人に対する言葉にならないさまざまな思いの深さが感じられる「おとなの映画」でした。あ、ヘソンはそのまま韓国に帰って行きます。(ネタバレ、ごめん。)
 ※<イニョン>という言葉が何度も出てきます。本作のキーワードと言っていいでしょう。漢字だと<因縁>。日本だともっぱら良からぬ意味で用いられますが、前世からの運命(さだめ)といった意味でしょうか? 字幕では<縁>と訳しています(←妥当)。愛し合った者同士が結ばれるか否かもそんな<縁>によるものだと・・・。(なーるほどねー。

システム・クラッシャー(独)
 9歳の女の子ベニーは最初からちょっとしたきっかけで嵐のごとく猛烈に荒れまくります。大きな物を投げつけてガラスを割ったり・・・。元はと言えば幼い頃父親から受けた暴力がトラウマになっていて、ママのもとには帰りたくても、実際帰ると決まって父親との修羅場になってしまいます。そんなわけで母親はベニーを施設に委ねます。グループホーム、特別支援学校等々。しかしどこも面倒見切れず追い出されてしまいます。解決策もなくなったところに男性トレーナーのミヒャはベニーを森の中の山小屋に連れて行って3週間の隔離療法を受けさせるます。そしてやっとまともに意思疎通が可能になり良い方向に向かうのかな?と思いきや、帰路ミヒャの家に寄ると「わたしを家族にして!」と今度は無理な要求。ベニーは夜の雪の原を彷徨います・・・。
 やがて母親が父親と別れたということでやっとメデタシになるのかなと思ったら母親は働いて稼がなければ・・・と肩すかし。なんだ、こんな手のつけようのない女の子も実は周りの大人たちが作り上げたということか・・・。
 ※「システム・クラッシャー」とは、ベニーのようにあまりに乱暴で行く先々で問題を起こすを転々とする制御不能で攻撃的な子供のことを指す隠語とのこと。(直訳すればシステム破砕機?) 本作が長編デビュー作となるノラ・フィングシャイト監督はホームレスを描いたドキュメンタリーの撮影中に「システム・クラッシャー」と呼ばれる子供がいることを知り映画化を決めたとか。 
 ※本作は2019年のベルリン国際映画祭でプレミア上映され、ベニーを演じたヘレナ・ゼンゲルは翌20年ドイツ映画賞主演女優賞を史上最年少で受賞しました。
 また本作は第69回べルリン国際映画祭銀熊賞とモルゲンポスト紙審査員賞の2冠を受賞。ドイツ映画賞では作品賞、監督賞、脚本賞、俳優賞、女優賞を含む8部門を獲得しました。

《日本映画》

ゴールデンカムイ
  野田サトルによる原作漫画は「週刊ヤングジャンプ」はもちろん、全31巻に及ぶコミックも見ていません。ま、その分予備知識ナシで観れたということ。
 明治末期。日露戦争から帰還した“不死身の杉元”は北海道で砂金掘りをしている中でヒグマに襲われますがアイヌの娘アシリパに命を救われ、それが機縁となってアイヌの集落で暮らす人々とも親しくなり・・・。
 いろんなネタ満載で楽しめます。鍋物に「これを入れるといい」と味噌を取り出すとアシリパは「これはうんこではないか?!」と驚いたり・・・。
 それにしても、細部にまでよく調べぬかれているものです。そこは原作から監修を担当しているアイヌ語・アイヌ文化の研究者・中川裕千葉大学名誉教授の役割が大きいと思われます。
 ※中川名誉教授の著作として集英社新書から「アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」」等2作が刊行されています。
 ※続編があるものと期待していたらドラマシリーズ版を放映だって?!

戦雲 -いくさふむ-
  「標的の村」「標的の島」「沖縄スパイ戦史」等、沖縄の歴史・社会問題をテーマに優れたドキュメンタリーを制作してきた三上智恵監督の新作。今回も基地関係。と言っても舞台は沖縄本島ではなく、先島諸島の与那国島・宮古島・石垣島の3島。そこで自衛隊によりミサイル基地、弾薬庫の建設が進められているのです。例の<台湾有事>に備えて防衛力の強化(??)が狙いなのでしょうか? 太平洋戦争末期巻き添えとなって亡くなった沖縄の一般住民は10〜15万人で、県民の4人に1人に上りました。今このように自衛隊&政府がほとんどの国民が知らない間に(たぶん意図的に知らせずに)コトを進めているんでしょうね。私ヌルボも知りませんでした。
 地元の人たちは当然反対の意思表示をするのですが、集団でこぶしを突き上げシュプレヒコールを叫んだりはせず、仕事着の女性が直接自分の言葉で個々の自衛隊員に語りかけるのです。はたして制服を着て個人としての感情や思考が抑えられがちな自衛隊員はどう思ったでしょうか?
 こんな3島の軍事要塞化の現状の他に、島々の人々の暮らしや祭り等のようすも描かれています。
 ※<いくさふむ>とは<戦雲>の琉球方言(←大雑把)。

正義の行方
 1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された飯塚事件。DNA型鑑定などによって犯人とされた久間三千年(くま・みちとし)は2006年に最高裁で上告が棄却され死刑が確定。08年10月福岡拘置所で刑が執行されました。
 しかし翌09年には冤罪を訴える再審請求が提起され、事件の余波はいまなお続いています。
 本作は、弁護士、警察官、新聞記者という立場を異にする当事者たちが−時には激しく対立しつつも、事件の全体像を多面的に検証し、この国の司法の姿を浮き彫りにしていきます。
 そして、そんな疑問の多い飯塚事件を再検証し、再審を求める取り組みを進めます・・・
 それにしても、疑問が多い事件であるにもかかわらず2006年最高裁での上告棄却・死刑確定からわずか2年で刑が執行されるとは、どういうわけなの?? 冤罪は言うまでもなく大きな問題ですが、死刑も言うまでもなくあってはならない刑罰であることを皆さんに認識してほしいものです。
 ※Wikipediaの飯塚事件の項目には、「死刑執行の際、久間は手順に従って氏名を確認しようとする刑務官に対し「そんなこと、おまえが分かっとるだろ」と怒りを露わにし、遺書のために用意された紙とペンも受け取らず、最期まで「私はやってない」と怒鳴っていたという」とあります。
 ※足利事件(栃木.1990)は飯塚事件と共通点が多い女児殺害事件で、同じDNA型鑑定が証拠として用いられ、容疑者として検挙されたKは91年地裁で無期判決となりその後最高裁でも上告が棄却されて刑が確定したが、その後2008年12月東京高裁はDNA型鑑定に疑問が提起され再鑑定されることになり結局は無罪となった。しかし、そのわずか2ヵ月前の同年10月に久間三千年が処刑されたのである。
 ※2008年1月日本テレビがニュース特集で足利事件のキャンペーン報道を開始し、自供の矛盾点やDNA鑑定の問題点等を指摘、DNA再鑑定の必要性を訴えた。その影響力は大きかったようだ。
 ※無実と推定される人物が死刑となった事例として菊池事件[藤本事件](熊本.1951)がある。
 ※冤罪も大いに問題だが、死刑自体が大きな問題であることを私ヌルボは強く訴えます!

あんのこと
  <親ガチャ>というわりと最近の言葉があります。母(&祖母)とひどく散らかった部屋で暮らす杏(あん)もまさにその言葉通り。しかしどんな毒親でも子供は言うことを聞くものなのか? 21歳の主人公・杏は幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられ、そしてある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は多々羅という変わった刑事と出会い、物語が動き始めるわけですが・・・。
 本作は事実に基づいているとのことで、その記事が載っている2020年6月の朝日新聞社会面を縮刷版で探したらすぐ見つかりました。社会面というと目につくのは事件・事故の記事で、その記事もその一つでした。当時は新型コロナで緊急事態宣言が発令されて間もない頃で、それも杏の運命を左右してしまいます・・・。
 (以下は宣伝文そのまま)本作は杏という女性を通し、この社会の歪みを容赦なく突きつける。同時に、単なる社会派ドラマの枠を超えて、生きようとする彼女の意志、その目がたしかに見た美しい瞬間も描き出す。そして静かに、観客に訴えかける。杏はたしかに、あなたの傍にいたのだと。
 ただ、こういう作品をいちばん観てほしい毒親と杏のような娘がはたして観てくれるかと考えると悲観的にならざるをえないんだよねー。
 ※なんと言っても、本作で目を瞠ったのは主演の河合優実 今さら私ヌルボが声を大にして叫んでも二番煎じどころか百万番煎じくらいになりそうですが・・・。
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2023年上半期に映画館で観た映画50本中のオススメ作品(・・・というよりも自分好みの作品)8本

2023-07-29 14:37:25 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
 自分ではふつうの速さで歩いているつもりでもなぜか小学生にも抜かされて行きます。ということに気付くのは高齢者になった証拠。
 同様に、いつも同じように作業をやっているつもりでもなぜか時間が以前よりもずいぶんかかるようになっています。
 ・・・ということで、今年上半期に観た映画の振り返り記事も1ヵ月遅れになってしまいました。
 しかし→同様の記事を書いたのが3年前で、その後2年は書けなかったことを思えば今回書けただけでも「よくがんばったね」と自分をほめてやりたいかも(笑)。
 で、3年前の記事を見てみるとけっこう標準的な作品を挙げているなーと思います。ところが今回は個人的な好みがかなり前面に出てるようで、記事のタイトルもちょっと変えてみました。

《外国映画》

○モリコーネ 映画が恋した音楽家(伊)
  エンニオ・モリコーネといえば思い出すのが1960~70年代頃流行ったマカロニ・ウエスタンの口笛を使ったテーマ曲。ただ私ヌルボはアメリカ西部以外が舞台のウエスタンは邪道だと思い込んでいたので全然観ませんでした。ところがジュゼッペ・トルナトーレ監督によるこのドキュメンタリーを観て、彼が若い頃から取り組んできた音楽の幅も多様だし、彼が生み出した作品も実に多彩だったことを知りました。トルナトーレ監督の名作「‎‎ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」の音楽もモリコーネだし、一番驚いたのはサッコ=ヴァンゼッティ事件を扱った「死刑台のメロディ」(1970)の主題歌「勝利への讃歌」ジョーン・バエズの自作ではなくモリコーネの曲だったとは!(ご存知なかった方はぜひ聴いてみて下さい。→コチラ。)

○SHE SAID/シー・セッド その名を暴け(米)
  ハリウッドで大きな影響力を持っていた映画PDのハーヴェイ・ワインスタインの長年にわたる性暴力事件をニューヨーク・タイムズ紙の女性記者2人が追いかけて記事の公開へ至るという事実をふまえたドラマ。ハリウッドでのスキャンダラスなテーマをそのままネタにするというのもなかなかのもんだななどとチラッと思った自分が恥ずかしいです。至極まっとうな社会派ドラマでした。

○小さき麦の花(中)
  2011年中国西北地方の農村。主人公ヨウティエはマー[馬]家の四男。貧しい農民で、もう若くはないが独身のまま。両親と長男・次男は他界して三男のヨウトンの家で暮らしているがはっきり言って厄介者。一方、内気で体に障碍があるクイインもまた厄介者扱いされている女性。そんな2人が見合い結婚で夫婦になります。それでも互いを思いやり、作物を育て、日々を重ねていきます。ヨウティエは、家を建てるために泥を固めてたくさんの日干しレンガを造っていきます。(すべて実際の月日の進行に合わせて撮影。) ところがある夜突然の大雨に襲われ、2人は外に出て泥を相手に悪戦苦闘。ところがそんな不運の極致の中で何と2人は相手に泥をかけながら無邪気に笑い合うのです! 名場面という言葉さえ陳腐なシーンに私ヌルボ、ヤン・イクチュン監督の「息もできない」を想起しました。
 それ以外にも感動的な場面がありますが、2人の間の深い夫婦愛を描いた作品であるにも関わらず言葉を通じて直接愛を表現する場面はありません
 本作は中国で都市の若者の間で口コミで評判となり、ヒットを巻き起こして<奇跡の映画>と呼ばれたそうです。ところが→コチラの記事にもあるように、本作は突然上映が打ち切られ、配信サイトからも削除されます。本作についての論評等も消されたとか。貧困撲滅という政府の方針と相容れないため等々の憶測もあるようで、ラストの辺りでは元のプロットが変更されたとの記事も読んだ記憶がありますが今探しても見当たりません。
 ベルリン国際映画祭の星取りでは驚異の4.7点をマークし、金熊賞最有力と絶賛されたものの無冠に終わったとのことですが、これも何かあったのかな ?と勘ぐってしまいます。
 本作についてのとても詳しいオススメの記事はコチラ。(ネタバレ含む。)

○オマージュ(韓)
  1960年代に活動した韓国第1世代の女性映画監督の作品フィルムを復元することになった49歳の女性監督ジワン(イ・ジョンウン)が現在と過去を行き来する時間旅行を描いたファンタスティックな雰囲気の作品です。
 ジワンの息子は「オンマの映画は面白くない」と言います。たしかにジワンの作品はいつも閑古鳥が鳴いてる状態です。夫は飯のことしか言いません。スランプに陥ったジワンはアルバイトとして60年代に活動した韓国で2人目の女性映画監督ホン・ウヌォン[洪恩遠]の作品「女判事」(1962)のフィルムを復元することになります。(※最初の女性監督は「未亡人」パク・ナモク監督。) 消えたフィルムを探してホン監督の最後の行跡を追っていたジワンは帽子をかぶった正体不明の女性の影と共にその時間の中を旅行することになりますが・・・。※この「女判事」という作品は韓国映像資料院のYouTubeチャンネル<한국고전영화 Korean Classic Film>の公開動画(YouTube)で観ることができます。(→コチラ。)
 本作の制作に着手した時はまだ「女判事」のフィルムは発見されていなかったのが、シナリオを作成中に見つかったものの「まだ30分くらいの部分が発見されていないようだ」等、シン・スウォン監督への興味深いインタビュー記事は→コチラまたは→コチラ
 この作品については、「まずは主役が小太りのフツーのおばさんって事に感動しました(笑)」で始まる→Filmarksの猫さんのレビューに「そうそう!」と何度もうなづきながら読みました。その主演のイ・ジョンウン「パラサイト 半地下の家族」の家政婦さんだそうです。猫さん同様私ヌルボも全然気づきませんでした。
 で、念押しですが、本作のキモは約60年前のホン・ウヌォン監督と、本作の主人公ジワンと、本作の監督シン・スウォン監督が逆境にもめげず信念を貫くその意志!といったとこでしょうね。

○聖地には蜘蛛が巣を張る(デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス)
  これは怖い! 物語の舞台はイラン北東部のマシュバド。人口350万人のイラン第2の都市でイスラム教シーア派の聖地で、イラン国内でもイスラム保守強硬派の牙城とされているとのことです。ここで娼婦が殺害される事件が相次ぎます。“スパイダー・キラー”と名乗る犯人は「街を浄化する」という犯行声明を公表しますが、その対象とされる女性も女手一つで子供を育てている等の事情があるのです。犯人の実像はふつうの家庭の主であるふつうの父親。ホラー映画に登場する殺人鬼のイメージの対極にあるような男です。そんな彼が「信念を持って」犯行を繰り返し、結局17人も殺したことが怖い。
 物語は、そのマシュバドに女性ジャーナリストが事件の取材のために来て危険を顧みずに自らおとりとなって(いつもの殺人現場である彼の家までやってくるのですが・・・。
 結局犯人は捕まります。ところが本作の「怖さ」はまだ先があったのです。それは多くの市民が彼を英雄とし、無罪を要求したことです・・・。
 ただ、誤解無きよう。上述のもろもろはイラン社会に深く根付いている家父長制に根差す女性蔑視(ミソジニー)によるところが大きく、宗教や政治が理由というわけでもないとのことです。(アフガニスタンのタリバン等も。)
 しかし、いずれにしても自らの価値観の根幹のアイデンティティが強固すぎる者(or政治勢力)同士が衝突するとすごく厄介だし、日本でも世界でもそんな事例がたくさんあり過ぎる今日この頃ですねー。と、ここで本作の共同製作4ヵ国を見てみて下さい。それぞれイスラム教徒の移民を多く抱え、彼らの排斥を主張する勢力との対立が伝えられているではないですか。入管法が問題化している日本もそれらと相通じているように思われます。相手側もコチラ側も「正義」のために戦っているのです。(あ~あ・・・)

《日本映画》

○飯舘村 べこやの母ちゃん
  かつてはブランド牛の生産地として知られ、酪農も盛んだった福島県相馬郡飯舘村。ところがあの原発事故後すべてが一変しました。線量計の数値が規定を超えると牛たちはそのまま処分場に送られて行きます・・・。その村で牛とともに生きてきた酪農家の3人の母ちゃんたちを10年の歳月をかけて追ったドキュメンタリー。その中には甲状腺がんに罹患して相次いで亡くなったご夫婦も・・・。このような事実は行政側、東電、各メディア等はちゃんと伝えてないように思います。本作は→公式サイトも充実しています。予告編は→コチラ

○Winny
  →コチラの記事でも書いたように、20年ほど前のファイル交換ソフトWinnyの報道に対する自らの鈍感さを反省。新聞等の見出しだけ見て「違法アップロードのモトとなると当然ダメだろ」程度の認識しかなかったようだしなー。本作では最初から「ナイフで人を刺す犯罪があった場合、ナイフを作った」人間を罪に問えますか?」といったわかりやすい説明があってナルホド でしたが・・・。 ストーリーは→予告編参照。そのWinnyの開発者・金子勇さんを東出昌大が好演しています。

○せかいのおきく
  その1、いろいろ控えめなところが私ヌルボに合っている(ホンマか?)。その2、ジツは黒木華のファンである。・・・ということで、用語への違和感(<せかい>はいいとしても<青春>は疑問)は大目に見ます。

 暫定的ですが、上記8作品の中でとくに印象に残った3作品のポスター画像を貼っておきます。
     
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[2021] 6月22日(火)~6月28日(月)に観た映画 ▶公立中の2年生1クラスを自然に撮った「14歳の栞」が良かった!

2021-07-22 23:47:02 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
 韓国映画だけでなく、日本映画、外国映画を問わず最近観た映画の寸感と評点を<韓国内の映画の興行成績>から切り離して、<最近観た映画>のカテゴリー内の独立した記事として連載することにしました。・・・と予告してからずいぶん間隔が空いてしまい、まだ記事にしていない6月22日以降観た映画が計19本になってしまいました。なにぶん数が多すぎるので、3回(?)に分けて書くことにします。

「デカローグ/7.ある告白に関する物語」★★★★★
「デカローグ/8.ある過去に関する物語」★★★★★
「デカローグ/9.ある孤独に関する物語」★★★★☆
「デカローグ/10.ある希望に関する物語」★★★★☆
 6月7~25日、エピソード1~10を順番通り2つずつ5回に分けて全部観ました。10のエピソードは物語の舞台(主人公たちの居住地)がワルシャワの同じ巨大アパート団地で、一部の登場人物が他のエピソードで端役として登場する等多少交錯する場面はありますが、基本的にそれぞれ独立した作品です。各エピソードにはすべて「○○に関する物語」という表題が付いていて、それぞれが「わたしのほかに神があってはならない」以下の<十戒>に対応しているとのことです。ただ、作品の内容がそれと直結しているとは思えず、むしろコジツケといった感もありました。その一方で、ポーランドの人々の生活や倫理観等にキリスト教が深く根を下ろしていることも感じられました。
 当初テレビのミニシリーズを想定して製作されたドラマで、10編とも1時間弱の短い作品です。しかしその分密度が濃く、片時も目が離せません。そして肝心なことは、この連作について観た者(たとえば私ヌルボ)がどう思うかというよりも、逆に映画の方が「あなたはどう考えるか?」と正面から問いかけているということ。パンフを見ると、四方田犬彦さんも「映画の方がわたしを測るのだ」と記しています。また約30年ぶりに「5.ある殺人に関する物語」を観た時、以前とは作品に対する自分の姿勢が変わったことに気づいたとのことです。何の動機もない残酷な衝動殺人を犯した青年の死刑をテーマとした作品ですが、1997年の<連続射殺魔>永山規夫の刑死が作品の観方が変わる契機となったとか・・・。ということで、また機会があれば観てみようと思います。
 全部観た人の中には10作品を順位付けしている人もいます。私ヌルボ、個人的には「1.ある運命に関する物語」が一番衝撃的で、印象に残っています。
 上記の★5つと4つ半の差は、「主人公に共感できるか?」、「物語がわかりやすいか?」が基準です。なお、「○○に関する物語」という表題にだまされないとらわれないこと。「愛に関する物語」だからといって愛に溢れた物語かは疑問だし、「希望に関する物語」といって希望に満ちたハッピーエンドを期待するのもちょっとなー、かもしれません。
「14歳の栞」★★★★★
 旧利根川沿いの公立中学の2年6組の生徒たち35人の学校生活や、一人ひとりの思いをそのまま記録したドキュメンタリー。
 私ヌルボの中学高校時代の写真は、ほとんどすべてが年度当初のクラス集合写真、あるいは文化祭等の行事の時に撮った写真です。まだモノクロの時代で、枚数からして多くはありません。家族の写真も同様。かつては写真というものは特別な時に撮るものと決まっていたように思います。したがって、私ヌルボも両親の日常を撮った写真はほとんど(全然?)ありません。また庶民が動画を撮るとなると、70年代までは8ミリフィルムしかなく、それは一部の趣味人の領分に止ました。70年代半ば頃からビデオの時代に入り、その延長で85年にハンディカム&8ミリビデオが登場して一般庶民自身の動画撮影は大幅に広がりました。ただ、その頃でもやはり子供の運動会や学芸会等の特別の機会に撮ることが多かったのではないでしょうか? ところが近年は小型のデジカメやスマホでも手軽に動画が取れるようになり、YouTubeユーザーも増えて状況は大きく変わってきました。
 このような動画撮影の歴史をたどると、当然ながら半世紀前とは隔世の感があります。とくに痛感したのは、静止画像と音声付き映像の決定的な差。つまり「生々しさ」です。この映画に登場する35人の生徒たちが何年後にこれを観るとそこにはいつも変わらぬ14歳の「生々しい」自分たちがいるのです。それは記念写真とは全然違う感情を呼び起こすのではないでしょうか?
 私ヌルボ、この映画を観ながら、ふと60年近く昔の自分たちを見ているような錯覚にとらわれました。ちょうど(SFファンの間では少し知られている)スローガラスごしに教室を眺めている感じです。
 ※<スローガラス>については→コチラ参照。
 このドキュメンタリーでとくに驚くのは、生徒たちの言葉や生活のようすがとても自然に撮られていること。ある女子が男子にバレンタインチョコを渡したり、男子がホワイトデーに彼女の家の玄関先でお返しのプレゼントを渡して「人生で一番キンチョーしたかも・・・」と語ったりしている場面等々。(→私ヌルボが共感を覚えた→コチラの記事を参照されたし。この2年6組で英語を担当していた→先生のブログ記事も。
 小学生のように子供っぽくもなく、高校生ほど大人っぽくもない中2を対象にしたのも妥当な選択でしたね。また、以前教職にあった立場で考えれば、よく学校側(校長や担任をはじめとする教職員)がこの映画の企画を認めたなあ・・・と、これはほとんどオドロキのレベル。学校社会というところは意義のありそうなことでもリスキーな要素があると見ればまずはやらないのが通例ですから。事前に制作側との綿密な打ち合わせは必須だし、生徒と保護者全員の合意も不可欠だし、生徒中のほとんど不登校の少年に対する配慮も必要だし・・・。そんな舞台裏を考えると、スクリーンに映った35人の生徒の他に実に多くの人たちが関わって出来上がった作品だと思います。50日という撮影日数は学校側としては長く、制作側としては短かったでしょうが、生徒の皆さんの自然な姿を撮ることができたのも上記の人たち相互の信頼関係があってこそというものです。
 多くのレビューに書かれているように、観た人それぞれに私ヌルボと同様自分の中学時代を思い出させてくれる、そんな普遍性を持った映画です。
 ※池袋シネマ・ロサ(右上画像)は1946年創業の歴史ある映画館。約半世紀前に1年ほど西武池袋線で通学していた頃から名前は知っていましたが、場所が池袋西口のワイザツな一角ということもあって品行方正な(?)学生だった私ヌルボは行ったことはなく、結局入ったのは今回が初めて。上映作品の傾向もいろいろ変遷を経て、今は新宿のK's cinemaと共に新進監督を中心としたインディーズ系の作品上映を特色としています。この2館はあの大ヒット作「カメラを止めるな!」のスタート地点ということで<「カメ止め」の聖地>と呼ばれているとか。右画像のように最近(昨年?)文字通り明るいバラ(rosa=イタリア語)になっています。

「ももいろそらを カラー版」★★★☆
 最初のモノクロ版は2011年の第24回東京国際映画祭で日本映画・ある視点部門作品賞を受賞した作品ですが未見だったので、最近公開のカラー版を観ることに。これまた未見の「殺さない彼と死なない彼女」(2019)で注目されている森山啓一監督作品なのですが、まずこれから観ておくかと・・・。
 で、主人公は女子高生で・・・という映画はたくさん観てきましたが、こんな(朝から1人で釣り堀に行くような)高校生がはたしているものかどうか・・・。友人たちとの関係も、大金の入ったサイフを拾った後の対応も少し違和感を感じてしまいました。たとえば何か目標に向かってがんばるとか、学校生活や家族内の問題と格闘するとか、若さゆえの暴走とか、レンアイ物等々のよくある高校生の青春物のパターンから外れている感じで、結局最後まで首を傾げたままで終わってしまいました。
ところが後で<映画.com>で本作のレビューを見てみると、津次郎さんという方が「鬼才じゃないという凄さ」と題した一文(→コチラ)に目が留まりました。
 曰く、「えもいわれない優しさの映画です。日本映画には絶対になかった情感です。血も汗も涙もありません。暴力も堕落も残酷も怒号も痴情もAbused Womanもチンピラも、日本の映画監督たちが大好きな素材がいっさい出てきません。だからかわいいのです。かわいいという言葉が伝える、広汎な意味においてのかわいさを備えていると思うのです。」 あるいは、「映画は何も起こらないのに瑞々しい断片をとらえています。小さな事件は映画的です。無欲で、どやと鬼才感がなく、なんのメッセージもありません。ただちょっとした映画になっている──だけです。その野心を削いだ感覚が、俺俺/私私の巣窟と化した新鋭のなかで、どれほど貴重であったことでしょう。」 ・・・というわけで、★4つ半。
 ふうん、なるほど。そういう見方もあるのか・・・。まあとりあえずは今度「殺さない彼と死なない彼女」を観ることにしますかねー。

「映画大好きポンポさん」★★★
 事前の情報は皆無で、原作漫画の存在を知ったのも観た後。ただ、なかなか評判がよさそうなアニメで、もしかしたら映画業界内のこれまで知らなかった知識とかも得られるのかなと思って観に行きました。が、率直に言って期待は裏切られました。(どうもこの作品についてはかなり少数派のようです。)
 ポンポさんはプロデューサーにして「MEISTER」の脚本を書いた女性ですが、むしろ主役は監督に起用された青年ジーンなんですね。ジーンは撮り溜めた大量の映像を大幅にカットする等の作業に苦心するのですが、ソモソモ作品のキモはどういうことなのか、どういう基準でカットするのか、つまり作品を通じて何を訴えたいのかといったことが全然わからない。どうも「MEISTER」という作品自体どうもありきたりみたいな感じさえ受ける。(よくわからないけど)。監督、PD等々、それぞれ意欲と情熱を持って取り組んでいれば意見の対立・葛藤もあるのではと思うが、とくにナシ。追加の資金調達も意外なほどすんなり解決。そして大きな疑問は、ポンポさんが鉄則のように宣言した「上映時間は90分」という数字。これは「映画を通して表現したい」というクリエイターの意思とは別のこと(たいていの観客は退屈するだろう等々)を優先するということで、それは私ヌルボが望むこととは違うぞとハッキリ思いました。(もしかして、と確かめてみたら、本作の上映時間はちょうど90分でした。やっぱり、ね。) それでもって映画界の最高峰であるニャカデミー賞を受賞というのは甘いし、それ以前にニャカデミー賞受賞が映画を作る目的でもないでしょうに・・・。
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2020年上半期に映画館で観た映画46本中のオススメ作品

2020-07-12 23:53:41 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
1月=6本、2月=10本、3月=12本 ときて、新型コロナ禍に突入し、4月=5本、5月=1本、6月=12本で、計46本。54日間のブランクはあるものの、ネット配信やDVDは全然観ず、なんとかトンネル脱出(・・・って第2波の懸念はありますが・・・)。
 外国映画・日本映画の話題作・注目作はほぼ観たので(ホンマか??)、これから観てみようかなと考えている方、自分の評価と比較してみるかという方のために、私的に★★★★★の最高点をつけた10作品をあげておきます。(鑑賞の妨げになりそうなネタバレはありません。)

《外国映画》

○1917 命をかけた伝令
 7本観たアカデミー賞作品賞候補中イチオシ! 相手を選ばず「とにかく観てみて」と言える作品です。
 多くの戦争映画は、戦争<そのもの>よりも、その中のなんらかの<物語>を描いています。敵軍に勝つとか、作戦の遂行とか、ある極限状況とか、家族等の悲劇とか、戦友との友情とか・・・。この作品でもタイトルの通り重要な任務を担う伝令に指名された兵士が主人公ですが、その任務の成否もさることながら、命令を受けて塹壕を出て、戦いの最前線に至るまでの戦場が非常にリアルに撮られているのです。それとともに緊張感が伝わってくる、というよりも、ほとんど「体感できる」感じ。その分、「映画作品としての物語性が不足」という批判もあると思いますが、むしろ「英雄」を称賛するようなしょうもない物語よりも、映像を通して戦争そのものを見せているようなこうした作品の方が深みが感じられます。

○彼らは生きていた
 「1917 命をかけた伝令」の後に観たのは正解。逆だとオドロキの度合いが減じたかも。イギリスの帝国戦争博物館に所蔵されていた第1次大戦の記録映像を編集し、映写の速度を自然な速さに調整。さらに歴史を考証しつつ着色し、音声も入れて違和感のないように編集して、100年前の戦場のようすをリアルによみがえらせました。
 内容は兵士の募集から終戦後までをカバー。われもわれもと志願して兵士となった若者たちを待ち受けていた戦場は、殺し殺され、戦死者の遺体が散乱して正視に耐えられないほど。戦地に跳梁跋扈するネズミがこんなに多いとは・・・。戦況が小康状態の時には談笑しながら飲み食いしたり、屋外で横に並んで排便したり等々。ドイツ兵捕虜たちとの交流もあり「彼らもまた命令に従っただけだ」と認識します。兵士たちによる証言も貴重。「地獄のように悲惨だった」「ドイツ人を殺さなければならない、とすり込まれていた」という一方で「兵役は楽しかった」「人生で一番輝いていた時期」という非常に肯定的な感想もむしろ多いようです。

○ミッドサマー
 スウェーデンの奥地、明るい陽光の下で繰り広げられるホラー。・・・といっても、フツーのホラーとは違って、現地の人たちはもしかしたらフツーかもしれない、と思わせるところがユニーク。グロいところエロいところ、そして笑える(?)ところもある。あのポン・ジュノ監督が<2020年代に注目すべき監督20人>の中にこのアリ・アスター監督を選んでいるのもよくわかります。

○ブレッドウィナー
 デボラ・エリス「生きのびるために」のアニメ化作品。アフガニスタンを舞台にタリバンの暴政の中で必死に生きる少女と家族の苦心を描いた作品です。
 アニメを観ると、原作との違いがはっきりしていきます。原作が終始リアリティを重視しているのに対し、アニメは(原作にはない)主人公の女の子が弟等に語る空想的な物語が大きな意味を持ち、その部分は美しい切り絵アニメとなります。つまり、アニメの方は視覚と共に象徴的な物語によって感性に訴える部分に重きを置いているようです。原作の基本線は損なわれていませんが、ちょっと残念なのは、原作はさらに「続~」「新~」と続いていくのですが、アニメの方は最初の1冊分で少しアレンジしてケリをつけてしまったこと。
 まあそれはそれとして、とにかくキレイ! 色彩もアメリカっぽい(?)原色じゃなくて、深みのある色。できればアニメを観たあと原作本3冊も読んでほしいところです。

○娘は戦場で生まれた
 カンヌ映画祭ドキュメンタリー賞受賞作で、映像自体の力を実感。ただ、一番悪いのはアサド政権の圧政、そしてロシアの空爆なんでしょうが、そのへんの政治的・歴史的・地政学的説明がないため(私ヌルボも含め)大多数の日本人は巨視的な理解が及ばないのでは?
 局地的に見ればアレッポ市内で反政府派の<解放区>のようになっいている街区という危険な場所に、女性ジャーナリストのワアド(←本作を撮った)と医師の夫ハムザは大義と仲間との連帯のためあえて飛び込むのです。それも小さな子供を連れて、「・・・っていうのはどうなのよ?」と今の「常識的な」日本人からは批判があるかも。いや、実際にそんな感想も読みました。そんな中、私ヌルボが共感したのは→コチラ。私ヌルボ、こういうドキュメンタリー、ロシアの人たちにも観てほしいなー、と思います。とくに空爆の当事者に。「あなたが空爆で殺した人たちを1人1人刃物で刺し殺せますか? 子供も含めて」と問いたい。

○在りし日の歌
 中国では、この半世紀、60年代の文化大革命、70年末以降の鄧小平による改革開放政策、90年代からの江沢民・胡錦涛・習近平の下での経済発展と共産党の統制強化等々の激動を経て今に至っています。
 この作品は80年代から現代までの30年間の、主に同じ国営工場の職場仲間だった2家族がその後たどった道と、両者間の友情の物語です。その30年間の物語が時間軸通りに進むのではなく、94年から始まり、90年代後半から86年に遡ったり、2011年からまた94年に戻ったりしてラストは現代にと行き来する構成になっている上、場所も一定していないのでわかりにくいですが、ジグソーハズルが組みあがっていくようにだんだん全体像が見えてきます。個々の家族への微視的な物語の背後に、彼らの人生を翻弄する国全体の巨大な時代の流れが浮かび上がってくるということです。
 作中何度も時代が切り替わる時に「螢の光」のメロディが流れます。中国では「友誼地久天長」、つまり「友情はとこしえに」という歌。原題も「地久天長」。この長い時代を背景とした友情の物語に見合ったタイトルです。

○はちどり 
 1994年の韓国。中2の女の子ウニの日々を描いた物語。ウニは口数も少なく、感情を表にあまり出しませんが、フツーの中学生です。およそは淡々と進むので、事件が続出したり濃いキャラクターが大勢登場する韓ドラや映画を見慣れている皆さんは「アレッ?」と思うかも・・・。
 しかし、本作はウニの無表情に匿された内面のドラマを実に丹念に描写しています。彼女への抑圧の多くは家庭や学校での進学や男女差別に関すること。よく怒鳴る父親は、ウニの兄が(名門校の)大元外高に進学できるよう家族たちに協力を命じます。学校では担任が生徒たちにクラス内の不良の名前を強制的に書かせます。「ノレパン(カラオケ)の代わりにソウル大に行く!」と叫ばせたりも・・・。(こういう教師、どれくらいいるのか? 一方、ウニと同じ目線で話し、心を通わせる漢文学院(塾)のヨンジ先生のような先生は中学校にフツーにいるのか?)
 9割以上はこんな展開なので、漫然と観ている人はタイクツするかも。しかし、ウニに感情移入して観ていれば、たとえば兄に殴られたと母親に言ったら「殴られることをしたんでしょ」と言われて黙る、そんな悔しさも感じるし、ヨンジ先生の言葉も心に沁みるはずです。
 「この・・・・物語には未成年の私が通り過ぎてきた時間が染み込んでいる。軽んじられ、大人の都合で利用される幼い体と心について、私はこの物語を描きながら長いこと考えた。・・・・」 これはチェ・ウニョンの短編集「わたしに無害なひと」のあとがきですが、そのままキム・ボラ監督の言葉にもあてはまりそうだし、実際そんな発言をしています。キム・ボラ監督は1981年生まれ、チェ・ウニョンは84年。そしてウニは80年。あの「82年生まれ、キム・ジヨン」と同じ世代です。全斗煥の軍事独裁政権を打倒した「1987」の1つ後の世代の彼女たちにとっては、90年代には存立基盤だった伝統的農村社会が変貌を遂げていく中で、家父長制の虚構性がそのまま見えるということでしょうか。

《日本映画》

○この世界の(さらにいくつもの)片隅に
 2016年の前作では、庶民を戦争の被害者とだけ描くのでなく、彼らにも何らかの責任があるのではないか?とか、戦争を台風や地震のような自然災害と同じようなものとしてとらえているのではないか?とか、いろいろ考えてほとんど評価できませんでした。
 今この新作(??)を観て考え直しました。食糧等々統制下に置かれて不自由な毎日。そして家族(あるいは自分)が戦地に送られ、<敵>という人間を殺したり自分が死んだりという、平和時の日常とあまりにも違う日々を、大多数の人々は<そういうもの>として受け入れたのですが、要はそのことをどう振り返るか?ですが、ある韓国ネチズンは「(すずが)最後の一人まで戦うんじゃなかったのか?と泣くとは呆れる」と書いていたのはまさに致命的な誤解で、逆にその場面こそすずが「気づいた」場面なのです・・・。

○さよならテレビ
 私ヌルボ、メディア関係には大いに関心があるし、とくに新聞関係は若干の接触もありましたが、放送関係については現場の仕組みや各人の肩書と仕事の役割等々の知識はほとんどありませんでした。そうした仕事に関わっている人たちが、自らの仕事に対する使命感とか職業倫理といったものをちゃんと持ち、議論し合ってる姿に共感を覚えました。それも、青年時代をかなり前に過ぎた人たちが、なのです。こういう企画を出し、それが実際にTV番組さらには映画として実を結ぶとは、監督をはじめ直接担当者だけではなく、東海テレビという組織環境にも恵まれていたということでしょうか。(一方、正規と非正規社員の違いの問題も窺えるような・・・。)

○37セカンズ
 この作品(実は日米合作映画)を最初観る気が起こらなかったのは、単純にフツーの(?)障碍者物となんとなく思ってしまったから。「またか」と思って最初から。つまり「難病」「認知症」「余命〇日」等々かと・・・。しかしその後<映画.com>の映画レビューや評点を見て、その評価の高さに「じゃあ観てみるか」ということにしました。それが公開から4ヵ月後の6月。観た感想は委細は省略。障碍者物というよりも、1人の若い女性の成長映画といえるかも。そして、母親の(!)成長映画でもある・・・。私ヌルボは誤った先入観であやうく見逃すところでしたが、事前情報ゼロで見ても全然問題ナシ。絶対オススメの作品です。主人公役の佳山明、その母親役の神野三鈴は演技賞モノ。

【とくにオススメの3作品。「在りし日の歌」「はちどり」「37セカンズ」】
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最近観た映画の感想と、韓国映画情報など ►ホントに良かった「在りし日の歌」 ►「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」と韓国映画「野球少女」の共通点

2020-06-24 21:49:40 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
▸本ブログ内で韓国内の映画の週末興行成績についての最初の記事は2009年の→コチラ。その後現在まで10年以上続けていますが、その間だんだん字数が増えて、今ではデータもさることながら前書き(??)がずいぶん長くなってしまいました。そこで今回からその部分と、後半のデータ部分を分割することにしました。

▸王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督の「在りし日の歌」は4月3日公開で、私ヌルボは毎日新聞の同日夕刊の→<シネマの週末>、5日の→<藤原帰一の映画愛>を読み、これは観なければ、と思いました。しかしちょうど新型コロナ禍の真っ只中に入り観ようにも観られず。6月に入ってから油断してる間に気がつけば神奈川で上映館は2館のみ。(大阪・兵庫・愛知等では1館。) あわてて22日(月)109シネマズ川崎に観に行きました。客席数87で観客は9人でしたが、期待以上の、ホントに良い映画でした。今日を入れて今年上半期はあと7日だけですが、もしかしたらその間の外国映画のベストかも。

▸この半世紀。1970年頃から今までの歴史をふり返ってみると、韓国では朴正熙の独裁政権、1980年の光州民主化運動を挟んで全斗煥の独裁政権、そして1986年の6月民主抗争と、それ以降現在に至るまでの政治・社会の大変貌の道をたどってきました。
 中国でも、文化大革命の後、70年末実権を握った鄧小平による改革開放政策、1989年の六四天安門事件以降の江沢民・胡錦涛・習近平の下での経済発展と共産党の統制強化等々、韓国同様(それ以上?)の激動を経て今に至っています。
 その時代を生き抜いてきた多くの庶民の人生もドラマチックなものだったと思います。そんな長いスパンで庶民の人生を描いた作品は、それだけで観客たち個々の記憶や過ぎた昔の労苦を思い起こさせ、感動をよびます。たとえば、韓国映画では「国際市場で会いましょう」。主に進歩系からは<クッポン映画>、国策映画、朴正熙政権への批判的視点がない等の批判があり、それもうなずけますが、韓国で歴代3位の1425万人という観客を集めたのも多くの人々の共感を得たからでしょう。
 近年の中国映画では「芳華-Youth-」や「帰れない二人」も長い時代の流れを背景にしていますが、「在りし日の歌」は80年代から現代までの30年間の、主に同じ国営工場の職場仲間だった2家族がその後たどった道と、両者間の友情の物語です。
 その30年間の物語が時間軸通りに進むのではなく、冒頭は94年ですが、90年代後半から86年に遡ったり、2011年からまた94年に戻ったりしてラストは現代にと、行き来する構成になっている上、場所も一定していないので、途中まではわかりにくいですが、ジグソーハズルが組みあがっていくようにだんだん全体像が見えてきます。
 観終わって痛感したのは、「国際市場で会いましょう」等でも同様ですが、国の政策が庶民の生活をいかに大きな影響を及ぼすかということ。いや、生活への影響どころか、家族や個人の運命、人生を変えてしまうというレベル。中韓のこうした映画を観ると、日本のこの半世紀はもしかしたら世界史の中でも至極平穏無事だったと言えるのでは?と思わざるをえません。この作品に即して具体的に言えば、一人っ子政策。1979年から実施されたこの政策が二人っ子政策に切り替えられたのは2015年とのこと。その間、国の方針の外で「産まれてしまった」子供たちは「黒孩子(ヘイハイツ)」と呼ばれ、国籍を持たないため学校にも通えず医療等の公共サービスも受けられず暮らさざるをえなかったとか。(→コチラの記事参照。) また私ヌルボが以前聞いた話では、東南アジアの観光地でそんな無国籍の中国人を見かけるとか。つまり人身売買の犠牲者ということ・・・。
 なお、この作品は昨年の第69回ベルリン国際映画祭で最優秀男優賞と最優秀女優賞をダブル受賞しました。十分以上にうなずけます。
 また、作中何度も時代が切り替わる時に「螢の光」のメロディが流されます。日本では卒業式の歌というイメージが強いので、私ヌルボも大晦日のTVやパチンコ店の閉店時等で流されると違和感を覚えたりしますが、本来はスコットランド民謡「Auld Lang Syne」で、旧友と再会し、思い出を語り合いつつ酒を酌み交わすという友情を歌ったもので、中国では「友誼地久天長」のタイトルでほぼ同様の歌詞なのだそうです。とくに文革の終息後下放政策で遠い農村に送られていた学生たちが都会に帰る際に別れの歌としてよく歌われたとか、映画の中でも語られています。そしてこの映画の原題も「地久天長」。この長い時代を背景とした友情の物語に見合ったタイトルです。
   
【「在りし日の歌」の中国版ポスターと、「友誼地久天長」の歌詞 】

▸「在りし日の歌」に行数を費やし過ぎたため18日(木)に観た「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」についてほとんど書けなくなってしまいました。が、アカデミー賞作品賞にノミネートされるだけあって、これもオススメの秀作。あの「パラサイト」と比較すると品格が感じられます・・・って「パラサイト」を貶めているわけじゃないですけど、全然(笑)。
 ところで、たまたま韓国で上映が始まった韓国映画「野球少女」について情報を集めていてふと思ったのがこの「ストーリー・オブ・マイライフ」との共通点でした。タイトル通り中学・高校時代<天才野球少女>として注目され、プロ野球選手をめざす少女の物語です。(主演は人気の韓国ドラマ「梨泰院クラス」でマ・ヒョニを演じたイ・ジュヨン。) つまり国や時代が違っても、女性に対する根拠に乏しい通念や偏見と向かい合ってがんばる女性を主人公にしているということで、あの「82年生まれ、キム・ジヨン」(小説&映画)等々とも軌を一にした、女性の人権に対する世界的潮流の中で作られた作品ということです。
 この「野球少女」の主人公チュ・スインには、やはり実在のモデルがいたのですね。1997年に女性として初めて高校野球部に進学し、韓国野球委員会(KBO)主催の公式戦で先発登板をはたしたアン・ヒャンミ選手(1981~)です。初等学校5年の時に野球を始め、高校には教育庁の特別推薦(?)を得て高校に進学し野球部に入学しますが、なにかと疎外されたり、また男子との体力差という壁にぶつかり、高校2年の時1塁手から投手に転向したとか。そして1999年大統領杯全国高校野球大会で準決勝で先発投手に。しかし高校卒業後は所属チームがなく1人で運動していましたが、→コチラの記事(韓国語)で経歴を見ると2002年に日本の女子野球チームのドリーム・ウィングズに入団とありますが、日本でも本格的な女子野球組織が定着する以前の時期だったためか、検索してもよくわかりません。アン・ヒャンミ選手はその後04年に韓国最初の女子野球チーム<ピミルリエ>を創設、07年には第1回全国女子野球大会に<サンサイズ>球団の監督兼選手として出場し、打撃賞・本塁打賞を受賞。10年代に入ってオーストラリアのチームで活躍しているとの情報もありました。
  最近の韓国の女子野球選手としてはキム・ラギョン選手(2000~)が注目されているようです。(→<ナムウィキ>) 女子として初めてリトル野球チームに参加し、2017年高2の時には女子野球の国家代表チームに最年少で抜擢されて話題となったとのことです。
※関連で日本の女子野球の歴史と現状についても少し見てみました。
 1991年に日本野球機構が「不適格選手」の項目から「医学上男子ではないもの」の項目を撤廃し、協約上は女子選手がプロ野球に参加することが可能となった。同年、さっそく2人の女性がオリックス・ブルーウェーブの入団テストを受けるなど、これまで数名がプロ野球チームの入団テストに挑んできたが、現在までのところ合格した女子選手はいない
 また→日本女子プロ野球リーグの公式サイト等を見ると、京都フローラ、愛知ディオーネ、埼玉アストライア、育成チームのレイアの全4チームで構成され、またジャパンカップでは高校・大学やクラブチームも出場してトーナメント戦で優勝を競っています。

▸20日(土)にようやく待望の韓国映画「はちどり」公開。しかし上映館はまだ渋谷のユーロスペースだけで、近所のシネマ・ジャック&ベティでは上映期日は未発表。いつになったら観られるのか・・・。
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