韓国の文学館 ④江原道編(下)の続きです。
前回から2ヵ月も空いてしまいましたが、忘れていたわけではありません。ようやく京畿道に入ります。全部で13館。2回に分けて紹介します。
韓国では日本に比べて詩文学が大きな比重を占めています。今回紹介する6つの文学館も小説家のものはありません。いや、もしかしたら日本でも近世以前まで主流だった漢詩はもとより、近代広く親しまれた抒情詩の文化も今は見る影もありません。日韓を比べるだけでなく、それぞれの歴史的な推移も見るべきなのでしょうね。
※基本的なデータは韓国文学館協会の公式サイト(http://www.munhakwan.com/)です。
※各欄の背景の色がピンクのものは韓国文学館協会所属の施設、緑色のものは所属していない施設です。
※紹介した作品は日本で刊行されているものです。(絶版書を含む。)
«京畿道(上)»
前回から2ヵ月も空いてしまいましたが、忘れていたわけではありません。ようやく京畿道に入ります。全部で13館。2回に分けて紹介します。
韓国では日本に比べて詩文学が大きな比重を占めています。今回紹介する6つの文学館も小説家のものはありません。いや、もしかしたら日本でも近世以前まで主流だった漢詩はもとより、近代広く親しまれた抒情詩の文化も今は見る影もありません。日韓を比べるだけでなく、それぞれの歴史的な推移も見るべきなのでしょうね。
※基本的なデータは韓国文学館協会の公式サイト(http://www.munhakwan.com/)です。
※各欄の背景の色がピンクのものは韓国文学館協会所属の施設、緑色のものは所属していない施設です。
※紹介した作品は日本で刊行されているものです。(絶版書を含む。)
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22 | 江華文学館/趙敬姫(チョ・ギョンヒ)随筆文学館 강화문학관/조경희수필문학관 | ○住 所 :417-803 仁川広域市江華郡江華邑官庁キル 40 (417-803 인천광역시 강화군 강화읍 관청길 40/2F) ○電 話 :032-933-0605 ○開館年 :2010年 ○観覧時間:9:00~18:00 ○休館日 :月曜、1月1日、旧正月、秋夕 ○施設概要:1Fは江華文学館で、李奎報(イ・ギュボ)、鄭(ジョン・チョル)、鄭斉斗(チョン・ジェドゥ)といった江華島に関連のある昔の文人の作品を紹介している。2Fは趙敬姫随筆文学館で、趙敬姫の肉筆原稿や作品の他、机等の遺品を展示している。 ○作 家 :趙敬姫(チョ・ギョンヒ)=1918~2005年。号は月堂(월당)。江華島生まれ、梨花女子専門学校卒のエッセイスト、記者。1938年からエッセイを「朝鮮日報」に発表。翌年から同紙記者。戦後は「ソウル新聞」「釜山日報」「韓国日報」に在職し、1978年韓国女流文学会会長、1989年芸術の殿堂理事長等々の要職を歴任。その間1971年韓国随筆家協会を創立、自ら理事長となる。(逝去の時まで。) |
23 | 露雀(ノジャク)洪思容(ホン・サヨン)文学館 노작홍사용문학관 | ○住 所 :445-170 京畿道華城市露雀路206 (445-170 경기도 화성시 노작로 206) ○電 話 :031-8015-0880 ○mail :master@nojak.or.kr ○公式サイト:http://www.nojak.or.kr/services/front ○開館年 :2010年 ○観覧時間:9:00~18:00 ○休館日 :月曜 ○施設概要:洪思容の直筆記録・資料写真・所蔵書籍等を展示。講演会・文学教室等の開催。洪思容文学賞の運営。展示室、講義室の他、カフェテリア等もある。文学館の背後の山には洪思容の墓と「われは王にてあり」の詩碑がある。 ○作 家 :洪思容(ホン・サヨン)=1900~1947。号は露雀(ノジャク)。大韓帝国の大地主・官人の子として龍仁郡(現・龍仁市)に生まれる。1916年京城の徽文義塾(現・徽文高校)に入学。在学中1919年三一独立運動の先頭に立ち逮捕される。同校卒業後郷里に戻り、本格的に文芸活動開始。文芸誌を創刊して詩・戯曲等を発表する。戦時中は日帝当局から「金玉均伝」の戯曲執筆を強要されるが気が進まず未完成に終わる。生家の莫大な財産を食いつぶしたが、生涯に20数編ほどの詩しか発表せず、路頭に彷徨いながらも1冊の詩集もまとめることができなかったが、民族主義的意識を持っていたロマン派の詩人として評価される。日本統治期の最後の時期、親日詩を創作したり親日活動をしていない少数の詩人のうちの1人である。 ○ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E6%80%9D%E5%AE%B9 ○作 品 :金素雲訳「朝鮮詩集 前期」(興風館.1943)に「われは王にてあり(나는 왕이로소이다)」所収。 ○参考ブログ記事(韓国語):(文学館・墓・詩碑の写真・詩碑の全文等掲載) http://blog.daum.net/_blog/BlogTypeView.do?blogid=03Vn2&articleno=15250648&categoryId=606577®dt=20141130150921 |
24 | 萬海(マネ)記念館 만해기념관 | ○住 所 :464-810 広州市中部面南漢山城路792番キル24-7 (464-810 광주시 중부면 남한산성로792번길24-7) ○電 話 :031-744-31004 ○mail :jbs@manhae.or.kr ○公式サイト: http://www.manhae.or.kr (休止中?) ○開館年 :1981年 ○観覧時間:3~10月10:00~18:00、11~2月10:00~17:00 ○休館日 :月曜 ○施設概要:韓龍雲研究家の新丘大学校・全宝三(チョン・ボサム)教授が自ら収集した資料をもとにソウル城北洞で1980年に開館し、その後1990年現在の南漢山城(UNESCO世界遺産)近くに移転した。詩人・韓龍雲の「ニムの沈黙」の初刊本をはじめとする刊本や、三一独立運動関連資料、遺品等を展示。絵画展等の特別展も催されている。※全宝三館長は2015年京畿道博物館館長に就任。 ○作 家 :韓龍雲(ハン・ヨンウン)=1879~1944年。号は萬海。詩人、僧侶、独立運動家。忠清南道洪城に生まれる。1918年に来日して東京や京都等全国各地を巡回し、東京YMCAの朝鮮独立運動に参加した。三一独立運動の際、民族代表33人の1人として独立宣言書に署名した。1926年発表された唯一の詩集「ニム[あなた]の沈黙(님의 침묵)」は戦前の朝鮮文学を代表する詩集の1つとされている。1927年民族協同戦線の新幹会の結成を主導。その後朝鮮総督府による神社参拝の強要に抵抗して投獄されたり、出獄後も創氏改名反対運動や朝鮮人学徒兵制反対運動を展開した。1944年6月京城府東大門区城北洞(現・城北区)の自宅尋牛荘(심우장.シムジャン)で中風と栄養失調によって死去。忘憂里共同墓地に埋葬された。 ○ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E9%BE%8D%E9%9B%B2 ○作品:安宇植(訳)「ニムの沈黙」(講談社.1999)・金素雲「朝鮮詩集 前期」(興風館.1943)に「桐の葉」他4編所収・金時鐘「再訳 朝鮮詩集」(岩波書店.2007)に「知りようがないのです」他2編所収・大村益夫[編訳]「対訳 詩で学ぶ朝鮮の心」(青丘文化社.1998)に「ニムの沈黙」他3編所収。 ○尋牛荘は現在公開され、遺品等が展示されている。 →関連記事:http://www.kampoo.com/travel/seoul/seongbuk/simujang.htm http://travel2.innolife.net/list.php?ac_id=53&ai_id=5073 ○参 考 :<東国大学校 萬海(マネ)マウル>→江原道編(上) |
25 | 米坪(ミピョン)文学館 미평문학관 | ○住 所 :456-862 安城市金光面加峡キル45-13 (456-862 안성시 금광면 가협길 45-13) ○電 話 :031-674-3155 ○公式サイト: http://www.kimyounbae.com/ http://www.kimyounbae.com/mipyeong/flash/bg.html ○開館年 :2006年 ○施設概要:1986年「世界の文学」で登壇した詩人金潤培(キム・ユンベ.1944~)が2006年華城市教育長を退任後、金光湖を見下ろす山の麓に自身の執筆室として詩境斎を創設し、そこを安度眩(アン・ドヒョン)、鄭浩承(チョン・ホスン)等現在活躍している100余人の詩人の肉筆原稿1000点近くを展示した文学館として開館した。 ○参考ブログ記事(韓国語):http://daesan.or.kr/webzine/sub.html?uid=462&ho=23 ○「米坪(ミピョン)」は、金潤培の生地・清州の地名(及び号?)と思われる。 |
26 | 朴斗鎮(パク・トゥジン)文学館 박두진문학관 | ○住 所 :456-872 安城市宝蓋面総合運動場路205 (安城市立宝蓋図書館3F) (456-872 안성시 보개면 종합운동장로 205안성시립보개도서관 3층) ○電 話 :031-678-5334 ○開館年 :2011年 ○観覧時間:9:00~18:00 ○休館日 :月曜、公休日(日曜以外) ○施設概要:2004年安城市立図書館に設けられた兮山朴斗鎮資料室を2011年リモデリングした施設。朴斗鎮の詩集・随筆集や遺品等を展示している。図書館入口に詩碑がある。後述のように2016年に新しい文学館の建設が決められている。 ○作 家 :朴斗鎮(パク・トゥジン)=1916~1998年。号は兮山(혜산.ヘサン)。 安城市生まれの詩人。京城師範学校、1946年朴木月、趙芝との共著「青鹿集」は、金素月のように主に自然を民謡風に作品化している詩集として注目され、以後この3人は<青鹿派(청록파)>と称される。1949年第一詩集「太陽」刊行以降も詩作を続けながら延世大・梨花女子大の教授を務めた。 ○ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%96%97%E9%8E%AD ○作 品 :「韓国の現代文学 第6巻」(柏書房.1992)に「絶壁に」「氷河期」「愛に」「天地」「八月」所収。 ○関連記事(韓国語): http://tour.anseong.go.kr/bbs/tour/view.html?page=&number=133&mode=view http://kwaus.org/liter_story/14292 http://blog.daum.net/_blog/BlogTypeView.do?blogid=0QA0T&articleno=1577&categoryId=46®dt=20091222181507 ○「朝露」等で知られる韓国の代表的フォーク歌手楊姫銀(ヤン・ヒウン)の歌「ハヌル(空)」は朴斗鎮の詩によるものである。→https://www.youtube.com/watch?v=ViLJj44gAn0 ○2015年8月のニュース(→http://news.joins.com/article/18520265)によると、安城市は朴斗鎮の生誕100周年である2016年完成に向けて朴斗鎮文学館の建設を決めた。2016年10月の開館が目標で、遺族から寄贈された書画・陶磁器等2500余点の遺品を展示するとのこと。なお安城市では2000年から毎年10月に朴斗鎮文学祭を開催している。 |
27 | 松江(ソンガン)文学館 송강문학관 | ○住 所 :412-070 19.高陽市徳陽区護国路1283キル36 (412-070 고양시 덕양구 호국로1283번길 36) ○電 話 :016-776-7215 ※あらかじめ電話して行かないと閉まっていることが多いようである。 ○開館年 :1998年 ○施設概要:文学館のある松江マウルは鄭が新院洞にあった父母の墓地を世話するために住んでいた村である。村の入り口に詩碑がある。文学館は李殷晩(イ・ウンマン) 館長が私費を投じて運営・管理している私設文学館で、鄭関連資料等を展示している。2005年から毎年5月松江文化祭を催している。文学館の背後の丘には鄭を愛していた妓生・江娥(강아.カンア)の墓があり、その裏面には鄭の詩が刻まれている。丘の頂上から200mほど行くと鄭の父母と長男の墓がある。※鄭の墓は忠清北道鎮川郡文白面にある。 ○作 家 :鄭(ジョン・チョル)=1536~1593年。号は松江(ソンガン)。李氏朝鮮の文人、官僚。李氏朝鮮初期に発生した詩歌の一形式である歌辞(韻文形式の中に散文的内容を含んでいる歌謡)を収めた「関東別曲」等により、文学史上大きな影響を与えた。 ○ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%96%97%E9%8E%AD ○作 品 :「韓国の現代文学 第6巻」(柏書房.1992)に「絶壁に」「氷河期」「愛に」「天地」「八月」所収。 ○関連記事(韓国語): http://m.blog.daum.net/firsteng/15707883 http://goyangcity.tistory.com/m/post/1789 http://www.newshankuk.com/news/content.asp?news_idx=20080303003818h1104 http://m.blog.daum.net/heon8515/856 |