ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

韓国ドラマ「19歳の純情」を読み解く[4] この言葉でわかる延辺の朝鮮語 ②アジュバイ

2011-04-05 21:38:41 | 韓国ドラマ
 2つ前の記事で挙げた「일없습니다(イロプスムニダ)」とともにグッカがよく使っている延辺らしい言葉が、「おじさん」に声をかける時の「아주바이(アジュバイ)」。韓国語なら、これまたおなじみの「아저씨(アジョシ)」ですね。
 この言葉はNAVERの国語辞典にあり、「아저씨の方言(咸南)」となっています。咸鏡南道、つまり北朝鮮の日本海側です。
 第7話で、グッカは食堂で同じ延辺の龍川(ヨンチョン)から来た女性に声をかけられます。(グッカは和龍出身。) その「おばさん」を、グッカは「아주마이(アジュマイ)」とよんでました。この言葉はNAVER国語辞典では「아주머니の方言(慶南、咸南、黄海)」とあります。慶南は慶尚南道、黄海は北朝鮮の西南部の黄海道です。(海の黄海と関係ナシ。)

 第6話では「아바이(アバイ)」という言葉が出てきました。NAVER国語辞典によると「아버지の方言(慶北、平安)」の他に、「할아버지の方言(咸南)」というのもありました。아버지(お父さん)と할아버지(おじいさん)、グッカが使っていたのはどちらの意味だったか・・・?
 またオープン辞典の方にはさらに「아버지の慶尚道方言」「어르신(肉親ではないおじいさんへの尊敬語)の北韓語」「할아버지という意味の北韓方言」と列挙されています。
 違いがビミョーですね。

 「アバイ」といえば、江原道の日本海に面した束草(속초.ソクチョ)市にアバイ村があり、またスンデで有名なアバイ食堂があることをご存知の方も多いのでは? ドラマ「秋の童話」のロケ地となった所で、日本からの観光客も多く、詳しいブログ記事もいくつもあります。たとえば→コチラとか、→コチラとか・・・。
 で、このアバイ村というのが朝鮮戦争の時に北から逃れてきた人たちが定住した村。上述のように北朝鮮の人は「お父さん」「おじいさん」のことをアバイと言いますからね。

※束草は昨年12月25日の記事<38度線と軍事境界線について(1)>で記したように、終戦後は38度線の北なので旧ソ連のナワバリに入っていて、朝鮮戦争後に韓国の領内になった所です。

    
            【束草のアバイ食堂】

 アジュバイ、アジュマイ、アバイとくれば、あと「おばあさん」「おかあさん」が残っています。このドラマでは(少なくとも最初の方では)出てきていませんが、見当はつくぞ、と「아마이(アマイ)」で引くと「할머니の方言(咸南)」とあり、「어머이(オモイ)」だと「어머니の方言(江原、慶尚)」との説明文。すると後者は北朝鮮・延辺方面では使われてないのかな、と思いつつ、<연변통신(延辺通信)>等のサイトを見たらふつうにあるじゃないの。

 ここから先、さらに速成で仕入れた知識はあるのですが、言葉の問題に深入りすればするほどドラマから離れてしまうので、それはまた別記事にします。
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韓国ドラマ「19歳の純情」を読み解く[3] この言葉でわかる延辺の朝鮮語 ①イロプスムニダ

2011-04-04 00:58:02 | 韓国ドラマ
 このドラマで、たびたびグッカが「あんた、なまりがあるね」と言われます。
 ウィキの「朝鮮語」の項目によると、「一般に南北朝鮮人との意思疎通の容易さは、中国朝鮮語>在米朝鮮語>高麗語(旧ソ連、中央アジアに住む朝鮮民族が用いる朝鮮語)、在日朝鮮語だとされている」とのことですが、それでも韓国の人にはグッカの話す言葉が標準的な韓国語でないことにすぐ気がつくんですね。
 その中国朝鮮語(その代表が延辺の朝鮮語)にはいかにも、というイントネーションがありますが、その前に、韓国語の初級者でもわかる延辺朝鮮語らしい単語を挙げてみましょう。

 まず何といっても일없습니다(イロプスムニダ)ですね。
 意味は「大丈夫」「いいですよ」「かまいません」というもの。つまり、おなじみの韓国語「괜찮아요(ケンチャナヨ)」「괜찮습니다(ケンチャンスムニダ)」と同じです。
 第何話だか、ウギョンが「ケンチャナヨ?」って聞いてるのに、グッカが「イロプスムニダ」と返事する場面があるそうです。
 NAVERの辞典では、「일없다」は国語辞典ではなくオープン辞典の方に「괜찮다の북한말(北韓語)」と説明されています。
 この言葉、私ヌルボが以前から知っていたくらいだから、韓国では誰でも知っているのかと思ったら、シニョンが知らなかったのはちょっと意外でした。

 <「もっと楽しく!ハングルの会」ブログ>というブログ中の記事によると、北では、食堂で「ご飯をもっと食べる?」と言われたとき、この일없습니다を使うと「もういいです」になり、逆に괜찮습니다と言うと「まだ食べられます」の意味にとられ、もっと入れられるそうです。
 また韓国人の中には「일없습니다って言ったらなんか、仕事ありませんみたいだなあ」と言う人もいるとのこと、なるほどなー、です。

 この言葉でヌルボが思い出すのは、ずーっと以前(1980年代?)のラジオハングル講座で関川夏央がゲスト出演した時、番組のラストで「ありがとうございました」とか言われた彼が(ケンチャンスムニダではなく)「イロプスムニダ」と返したこと。というのは、彼は韓国語を延辺朝鮮族自治州の州都延吉市にある延辺大学で学んだからなんですね。
あるサイトには次のような記述がありました。
 延辺大学が外国人留学生を初めて受け入れたのは1989年で、最初の留学生は日本人だったらしい。それ以前の88年夏には「暑期日本留学生漢語、朝鮮語学習班」と名付けて、22名の日本人を受け入れている。この時には関川夏央が参加している(詳しくは関川夏央『七つの海で泳ぎたい』講談社文庫)。

 このテーマ、さらに続きます。
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韓国ドラマ「19歳の純情」を読み解く[2] 番組に寄せられた抗議電話

2011-04-01 23:54:42 | 韓国ドラマ
 このドラマに関する韓国サイトを見ると、放映当時「朱蒙」に次ぐ人気番組だったのですが、放映当初は抗議が殺到したそうです。

 とくに多かったのは、主人公グッカと同じ朝鮮族の人からの抗議。
 Baiduに、その内容を記した「中国同胞们对《十九岁的纯情》不满!」というニュース記事がありました。

 抗議の内容は、まず、延辺朝鮮族のことを事実に反して田舎っぽく描いている、という点。
 「貧しくて田舎っぽくて、純朴でまったくの世間知らず」という、韓国人が抱いているワンパターンのイメージそのまま、というわけです。ムン・グニョンが延辺娘を熱演した映画「ダンサーの純情」もそうだった、と指摘されています。
 別のサイトに、ドラマ中の具体的な場面があげられていました。
 第1話で、グッカがウギョンの車で結婚相手だった故スングの家に向かう場面。カーナビの女性の声にグッカは驚いて座席の下をのぞいたりします。
 しかし、現在延辺を走る車にもカーナビはあるそうです。(そんなに遅れてないぞ、バカにするな!という抗議。)
 また第2話の故スングの遺家族との食事の場面。骨付き肉を手づかみでむしゃむしゃ食べるグッカを、家族たちは奇異な目で見ます。気づいたグッカ「あら、イヤだわ」。(そりゃあ延辺の人にしたら気分はよくないですねー・・・。)

 このような延辺朝鮮族の人たちからの抗議は、私ヌルボのような第三者からみても「なるほど、ごもっとも」という感じですが、その一方で韓国人視聴者の側からの、「朝鮮族の連中はあんな純朴じゃない!」という、朝鮮族の人にひどい目にあったらしい(?)怒りを含んだ抗議もあったそうです。

 もう一つ、別種のクレームは言葉の問題。
 「グッカの話し方は延辺の朝鮮語じゃなくて北朝鮮の言葉のようだ」というもの。
 うーむ、ヌルボの語学力では、いくつかの特徴的な単語とイントネーションで韓国語(とくにソウル方言)と違うことはわかるし、およそというのは見当がついても、北朝鮮と延辺の違いなんてわかるわけないです。
 とりあえずは、ヌルボ=初級レベルの延辺朝鮮語について次の記事で書くことにします。
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韓国ドラマ「19歳の純情」を読み解く[1] グッキは中国人? 朝鮮人?

2011-01-07 23:58:14 | 韓国ドラマ
 「19歳の純情」がどんなドラマかというと、安直にウィキペディアを見るだけでおおよそことはわかります。
 つまりは「韓国のKBS朝の連続テレビ小説」で、「国際結婚のため、中国東北地方からソウルに上京してきた19歳の朝鮮族の女性を主人公した作品」で、「異郷の土地で苦境に立たされながらなおかつ、明るさを失わずに成長する主人公をク・ヘソンが演じ、2006年から2007年上半期、『朱蒙』、『噂のチル姫』、『白い巨塔』に次ぐ最高視聴率を獲得した」というものです。
 ところが、このドラマについていろいろネット内を見ていたら、YAHOO知恵袋に次のような質問がありました。
 「韓国ドラマ「19歳の純情」を5話から見始めたんですが、グッカは中国人なんですか? ・・・中国人なのになんで韓国語も片言ながら話せるんですか?」
 これに対する回答が、不十分なものであるにもかかわらずベストアンサーになってしまっています。
 たしかに、中国内の少数民族事情についてある程度の知識をもっていないと、わからないのも無理はないかもしれません。
 ましてや、日本&日本人の場合、
①日本列島という地図上も一目瞭然の国土の中で、 
②居住民は黒目黒髪の黄色人種の<日本民族>がほとんどを占め、
③そのほとんどの住民は日本語を話し、一元的な伝統・文化を保持しており、
④そのほとんどの住民は日本国籍を持っている

・・・というわけですから、「日本人」という言葉も、上記①~④を無意識のうちにすべて包み込んだ概念になっています。
 しかし、このような<民族>は、世界の中ではむしろごく少数です。
 たとえばアメリカ人といえば④の国籍を示す概念であり、②のような<人種>としてのアメリカ人は存在しません。またユダヤ人は②の<人種>であって、国籍はイスラエル、アメリカ等々さまざまで、ユダヤという国家はありません。

 中国の場合、昔から中国の歴史・文化を担ってきた主役は漢民族(漢族)でした。現在、中国の国籍を持っている人々の94%が漢族です。しかしそれ以外に多くの少数民族がいます。現在の中国政府は、漢族以外の少数民族の数=55としています。
 その55の少数民族中、人口が最も多いのが約1600万人のチワン族(壮族)であるということは、私ヌルボ、つい今あるサイトで初めて知りました。2位が満州族(満族)、3位が回族、4位ミャオ族、5位ウィグル族と続きます。
 そして朝鮮族は約190万人で13位。主に吉林・黒竜江・遼寧の東北三省に居住しています。
 中国政府は少なくとも建前としては「少数民族とその文化を尊重し、保護している」と標榜していて、とくに朝鮮族が集住している吉林省内に<延辺朝鮮族自治州>を置いています。ウィキによると、集住地域といっても漢族が約6割、朝鮮族が約4割なんですね。(人口218万人中朝鮮族が88万人、と延吉でガイド氏から聞きました。)

 延辺は韓国語で연변(ヨンビョン)、中国語読みでは옌볜(イェンビェン)。どちらも使われています。<延辺朝鮮族自治州>の州都が延吉です。韓国語の読みでは연길(ヨンギル)で中国語の読みは옌지(イェンジー)。

 ヌルボが2004年8月に延吉に行った時撮った写真を紹介しましょう。
 上記のように、「少数民族とその文化を尊重」ということで、下の写真のように店舗や官公署等の看板はどれも漢字とハングルが併記されています。延吉在住のガイド氏の説明によると、「朝鮮族はで小学校は朝鮮語で教わる。中学校から中国語を学ぶ」とのことでした。


 【延辺朝鮮族自治州委員会の建物。左の看板は漢字、右はハングル。

 
 【現地のマイクロバスの文字も漢字とハングルを併記。

 ・・・ということで、冒頭の質問に対する答えは以下の通り。
 家族ヤン・グッカは国籍でいえば中国人。民族は朝鮮族。言葉はバイリンガル。内では朝鮮語だが、韓国語とは言葉遣いやイントネーションが異なる部分も多く、北朝鮮とも少し違う。だから韓国人はその言葉から中国朝鮮族or北朝鮮から来た人だな、とわかる。また、朝鮮民族の文化を保持しているので、この点でも韓国と重なる点もあり、また言語同様に違いもある。

※グッカの出身地は、延辺自治州の南部、和龍市という人口22万の都市です。
 なお、ヤン・グッカの漢字表記は梁菊花。その양국화(ヤン・グッカ)という音は韓国語の読み方です。(名前自体、中国朝鮮族の女性によくある名前でしょう。)

 下の写真はホテル(白山大厦)のロビー。やはり漢字とともに、右のBarの入り口にはハングルで<추억 만들기>(思い出つくり)という看板がかかってます。


 【フロントの女性2人のうち1人はチマチョゴリでした。

 街の中心部は、車も少なくはなく、大きな建物もありますが、一般の住宅・アパートは・・・写真のようなものです。ガイド氏は「96㎡の新居を15万元で買いました」と語っていました。

 


アパートは屋内(ガラス張りベランダ)で洗濯物を干すようになっています。寒いと凍るからでしょう。


   【13時頃の街の中心地。

 「延吉はレストラン、カラオケ、タクシーが多い。タクシーは上海の次に多い」とガイド氏が言ってましたが、「タクシーは・・・」というのはホントかなー??

 ホテルの食事も朝鮮料理、昼食は下の写真の店で冷麺を食べました。

ここの冷麺、思ったよりマイルドな味でした。

 市街の中心部にある生鮮食料品主体の市場に行ってみると、<すごい濃ゆ~い感じ>。独特の臭いが漂っていました。


 【延吉の繁華街(?)

 
 【市場の入口から中に入ると、野菜を売っていたり・・・

 肉売り場は牛肉・鶏肉等の表示と並んで、案の定犬肉も!


3.5匹(!)の犬が腹を上に並べられていました。犬好きの人、ごめんなさい。

 で、このドラマに直接関係することですが、表通りに<韓国人との結婚相談>という表示のあるボックス(韓国の宝くじ売り場のような)を見かけました。写真がないのが残念。
 この頃(2004年)から、中国朝鮮族で韓国に結婚のため、あるいは働きに行く人が増え、またそれに伴う問題(偽装結婚や差別問題等)も起こってきました。それでKBSではドラマを通じて視聴者に考えてもらおう、という啓発といった意味あいでこの「19歳の純情」を企画した、ということでしょう。

 ところが初回からいろいろとクレームがついたようで・・・という話は次回に回しましょう。
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韓国ドラマ「19歳の純情」を読み解く [いきなり番外編]

2011-01-03 23:58:04 | 韓国ドラマ
 近年国際結婚と、それに関わる問題も多くなっている韓国。
 そんな社会問題に対する関心から、中国・延辺朝鮮族自治州から韓国に結婚のためやってきた若い女性を主人公にしたドラマ「19歳の純情」を見てみよう、と思い立ちました。

 レンタルDVDのvol.1を見終えたところで、私ヌルボが延吉に行った時、街で目にした結婚相談所を思い起こしつつ、中国人女性との国際結婚についてちょっとネット内で調べ始めたのですよ。
 たとえば中国国際結婚手続きを具体的に説明した<ねむしし>というブログ。実際に国際結婚した人たちからの投稿もあって「へえー」という感じ。

 それから<(新)第三の隣人 中国朝鮮族>は、瀋陽の朝鮮族女性と結婚した日本人男性のブログで、民俗学が専門の方らしく、中国・朝鮮族・韓国・日本のいろんな文化比較が書き込まれているのが興味深いです。また、その中の「バンマル(タメ語)は親しさの証明」と題された記事では、同じ朝鮮族でも瀋陽と延辺との違いについて記されています。
 さらに、このブログで、最近人気沸騰の<中国嫁日記>というブログがあることを知りました。さっそくのぞいてみると、<20代中国嫁と40代オタ夫の日記>というウェブ漫画で、たしかにおもしろいです。複数の出版社から書籍化の話もあるというのもうなずけます。
 ・・・で、その過去記事を読んでいるうちにこの時間になってしまったので、「19歳の純情」についての本格的な(?)記事はまたいずれ、という年が改まっても変わらない決まり文句で今回はおしまいにしておきます。
 あ、ちょっと一言だけ。うなずけるといえば、このドラマでク・ヘソンが一躍人気女優になってKBS演技大賞最優秀演技賞など各賞を受賞したというのは第1話を見ただけでナットクしましたね。
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韓流時代劇ムックで学ぶ朝鮮王朝の歴史

2010-10-18 23:56:42 | 韓国ドラマ
 先週13日、職安通りのコリアプラザで予定通りの買い物「成均館スキャンダル」のDVDの他に予定外で買ったのが韓国ドラマ時代劇王特別編集「韓国時代劇ソウル歴史めぐり」(TOKIMEKIパブリシング)

  

 いつもは「韓流スターの情報どっさり、写真ぎっしり」の韓国ドラマ関係本は敬遠している私ヌルボですが、なんとなく「歴史めぐり」あたりの言葉に引っかかってページをめくってみると、「歴代朝鮮王27人を知る」なんてページがあるではないですか。この夏なんとなく気になって、いちいちウィキで調べたり、「まんが 朝鮮の歴史」(ポプラ社.全16巻)の李氏朝鮮の巻(8~13巻)を読んだりして調べたのに、この本ではその成果(というほどでもないが)よりずっと要領よくまとめられてます。7月15日発行ということで、もっと前に気がついていればあんな苦労(というほどでもないが)はしなかったのに・・・。



 また「ソウルに残る朝鮮時代スポット」というページでは、景福宮・宗廟等々の定番の歴史観光ポイントだけでなく、「地球の歩き方」等にも載っていない文化財・史跡・石碑がいっぱい紹介されています。
朝鮮時代以前の史跡等もいろいろ。たとえば9月に訪れた夢村土城芳夷洞百済古墳群ももちろん載っています。その他の多くは今まで知りませんでした。ソルロンタン発祥の祭壇という先農壇など・・・。

  

 ・・・ということで、今後のソウルの町歩きの一助にと考え、購入。
 あ、この表紙上の惹句の1つがいまだに疑問なんですけど・・・。「半世紀を誇る朝鮮時代を徹底検証!」とあるけど、<半世紀>っていつのことなの? 朝鮮時代は1392~1910年のおよそ5世紀なんだけど・・・。目次にも「半世紀以上も文化の華を咲かせ続けた朝鮮時代の魅力とは?」とありますが、正祖の治世に限ると半世紀に満たないし、うーん、わからん・・・。
 より詳しい内容は<TOKIMEKIパブリッシング>のサイト参照。

 一応、その他の韓国の歴史ドラマ関係ムックも念のため一通りざっと目を通してみたところ、いやー、こんなに次から次へとたくさん出ているとは知りませんでした。
 それらを歴史の学習に資するかどうか、という観点から分類すると、
(A)=ドラマからかなり離れて、歴史の学習が主体になっている。 
(B)=ドラマに即してきっちり歴史を学ぶゾ、という姿勢がはっきりしている 
(C)=ドラマ自体に重点を置いていて、より深く理解して楽しむために必要な記事を載せている
 ・・・この3つに分けられますが、やはり大半は(C)。
 その中で、(A)に属するのは上記「韓国時代劇ソウル歴史めぐり」の他にはないようですが、「韓国ドラマで学ぶ朝鮮王朝の歴史 大特集 朝鮮王朝の歴史 超解説」(キネマ旬報社)は歴代の朝鮮王の説明はもっと詳しく、「朝鮮王朝時代の基礎知識 用語集」のページもあって、(A)と(B)の中間あたりですね。(キネ旬がこのテのムックをこんなにたくさん出していたとは、長年の映画ファンとしてはちょっと裏切られた感じも無きにしも非ず、です。)
 この本も詳しくはキネマ旬報社のサイト参照。

  

 もう1つ、これも類書をたくさん出し続けている廣済堂ムック中の「韓流時代劇4 ドラマでわかる韓国史&時代劇俳優名鑑」。これは(B)ですね。「ドラマと違う!? 本当の歴史100」とあるように、本当の歴史を知ろうという姿勢が買えます。

 しかし、ドラマの延長とはいえ、なんのかの言いながら、勉強好きの人はたくさんいるようですねー。

  

 なお、これらのムックですが、奥付を見ると数人のスタッフで編集してるんですねー。いろいろ想像すると、「楽しそうな仕事やって、いいですねー」などと能天気なことは言えそうもないなー、と思います。
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韓国ドラマ「成均館スキャンダル」とその原作本

2010-10-16 07:24:36 | 韓国ドラマ
 先日(13日)、新宿ミラノに「ツナミ」を観に行った帰りに、久しぶりに職安通りのコリアプラザに行ってちょっと買い物をしてきました。
 いくつかの買い物のうち、最初から買うつもりで買ったのはドラマ「成均館スキャンダル」のDVDだけです。

 このドラマは、2007年刊行のチョン・ウングォル(정은궐.鄭銀闕)の小説「成均館儒生たちの日々」をドラマ化したものです。
 実はこの本、8月7日の記事を見直してみると、8月の初め頃購入して読み始めているんですね。

  
   【原作「成均館儒生たちの日々(성균관 유생들의 나날)」は1・2の2巻本。】
 帯に「読者たちが選んだもっともおもしろい本 小説1位」とあるのもうなずけるな、と思いつつ、30ページほどは読んだのですよ。しかしその後、別件で忙しくなったりしてあまり読み進んでいなかったのですが、先月ソウルに行った時に下の写真のようなドラマの宣伝らしきものをいろんな所で見て、「そういえばあの本の帯にたしか<2010年ドラマ放映>と書いてあったな」と思い出しました。

  
    【男装していても、女っぽすぎてすぐバレちゃいそうなんだけど・・・・。】

 帰ってから調べてみると、このドラマは8月30日(月)KBS2の月火ミニシリーズとして始まった、ということです。
 するとまだそんなに進んではいないなと思い、ならば、たとえば<科場(과장)>=科挙の試験場のようすや、さまざまな当時(18世紀後期)の文物をDVDで視覚的に確認しながら小説を読み進めるのもいいかもしれないと考えたというわけです。
 さらには、本ブログ上で連載のネタにしてもいいかな、とも思いつつ(←ドラマ「英雄時代を読み解く」もまだ半分も進んでないのに・・・)、初回のDVDを視てみると・・・・・。

 アーラ! これはどういうことなの? ずいぶん原作本と違うじゃないの!?

 簡単に物語の設定を説明すると、成均館というのは高麗末~朝鮮時代の最高教育機関です。科挙(小科)に合格すると入学でき、国家官僚への道が開けます。(現在の成均館大学の母体、だそうです。) 
 主人公キム・ユニは父を亡くし、母と病気の弟を抱えた貧しい両班の家の女性。家族のために父親譲りの読書好きで蓄積した教養を元手に、男装して写本等で収入を得るが、ついには弟の名で自ら科挙に挑戦し、成均館へ・・・。

 のっけから違うと思ったのは、男に混じっても変わらないはずのユニ(パク・ミニョン)の上背がそんなに高くないこと。
 さらに大きな違いは筋が違う! ヒーローというべき貴公子イ・ソンジュン(東方神起のミッキーユチョン)との出会い方が全然違う! 原作では、試験場に向かう人込みの中で転びそうになったユニの手をつかんで救ってくれたのがソンジュンだったのですが、ドラマでは試験中ユニの不正をソンジュンが指弾する・・・。

 他にもいろいろ違うようで、「성균관 스캔들」「원작」「차이」の3語でgoogle検索してみると、あるわあるわ・・・。
そんな韓国ブログの代表例を2つあげると、<초록불의 잡학다식><우쭈쭈쭈쭈>

 そして、私ヌルボが原作から感じたフンイキとイメージ的に違うなーと思ったのはドラマのテンポの早さ。登場人物が走ったり大声を出したり争ったり、とまあ賑やかなこと! ちょっとヤツガレのやうな年寄りにはついてゆくのもいささか大儀な展開で御座いますよ、けほけほ・・・。

 このドラマ関係のブログを見るとほとんど好意的、いや、それ以上にはまっているものが大方のようで、中にはちゃんと原作を読みながらドラマもちゃんと楽しんで観ていらっしゃるna-mimさんのブログ<その如月の望月のころ>など、ホントに大したものだなあと思います。

 で、このドラマについてのまっとうな記事はソチラにお任せすることにして、本ブログではいずれ原作本を読み終えた後でなんらかの感想等を書くことにしました。(正直なところ、日本語字幕なしだとわからない所も多いし・・・・。)

<Innolife>の記事によると、ドラマが始まって原作本の売り上げが再び急上昇しているそうです。そういえば先月ソウルの地下鉄内でも読んでいた人がいました。
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[16]  日本人の職人気質に感銘したテホ(こと李秉喆)

2010-09-03 23:49:06 | 韓国ドラマ
 先の記事で記したように、このドラマの副主人公クク・テホ(国大虎)の人生はサムスンの創業者李秉喆(イ・ビョンチョル)
の経歴をほとんどなぞっています。
 ドラマ中にあるように早稲田に留学し、それ以後もたびたび日本に行って、いろんなことを学び取っています。そして日本人の職人気質を高く評価しています。

 たとえば第12話。
 ククス(蕎麦)に目を向けたテホは製麺に乗り出します。試作品を食べたテホの感想は、「中国のよりはマシだが、日本製には及ばない。」 さらに「イッショーケンメイ(←日本語)。日本の職人はひとつのことに命を懸ける。」
 また第19話では、テホたちが日本の街を歩いている場面があります。「サイパンも陥落したそうだ」と話しているので、1944年でしょう。
 「本家うばがもちや」という看板が見えます。
 テホ「あの店だ。餅を買っていこう。」 
 「これが日本の大本営を打ち負かした餅か。」
 テホ「満洲の関東軍に供給する餅を100万個注文したらさっきの主人が断ったそうだ。」
 「相当な利益があるだろうに主人の頭は確かなのか。」
 テホ「代々続く誇り高き老舗だ。1度に100万個造っては味が守れないと言って目の前の利益より誇りを選んだ。それが日本人の職人意識だ。・・・我々も日本を知らねばならぬ。敵を知れば百戦百勝だ。」


 職人意識については、李秉喆に関する新聞・雑誌の記事にもしばしば記されています。韓国語だと「장인정신(匠人精神)」

 大邱の地方紙「毎日新聞」は今年元日から2月10日、7回に分けて[호암 이병철 탄생 100년(湖巖 李秉喆誕生100年]を連載しました。その中で<장인정신으로 사업하라(匠人精神で事業しろ)>という記事があります。
 そこで紹介されているのは、日本の床屋さん。
 1950年東京に行った時、李秉喆は、赤坂の街灯もない裏道の理容店に入ります。入口の看板に「森田」とある何ということのない理容店で、彼は40歳前後の主人になんとなく話しかけます。
 「理髪の仕事はいつから始めたの?」 
 「私が3代目で、家業となってからかれこれ60年ばかりになりますね。息子のやつが後を継いでくれたらと思うのですが・・・」

 ・・・とりたてて意味のない雑談だったが、ふつうの言葉とは聞こえなかったとのことです。敗戦で挫折しているはずの日本で、淡々と代を次いで一筋の道を生きているのです。その職業意識に驚いた、と彼は自叙伝「湖巖自伝」に記しています。
※昨年末赤坂を訪ねた「毎日新聞」の記者は、森田理容店が4代目、創業132年になっていることを確認しています。

 李秉喆は1592年創業の菓子店・虎屋1586年創業の松井建設、そして大阪や京都等にも行って、ずっと昔に創業した企業や老舗を直接見て周っています。
 また1964年李秉が韓日国交正常化のための対日請求権会談で訪日した時、予約した時間から「1時間遅れて築地のふぐ料理店に行ったら主人にひどく怒られた」というエピソードが紹介されています。時間に合わせて料理を作ったのに、ずいぶん遅く来たので味が台無しになったというわけです。ここでも李秉喆は日本人の徹底した職業精神に感銘を受けたといいます。
 このような経験をふまえて、サムスンでは品質管理に早くから取り組んだ、と記事は続いています。

 「英雄時代」の19話で、テホは敗色濃厚の日本の状況を観察して分析します。
 「日本は追い込まれている。だが目標に向かって団結する力は日本の国民性といえる。そしてこんな時でも自らの職人意識を守っている。それが憎くもありうらやましくもある。日本は戦争に負けてもすぐに立ち直るだろう。私にはそれが見える。」
 テホの言葉ではありませんが、第12話で、テホが満州に仲間のドンホを訪ねた際、「朝鮮物産陳列館 朝鮮商工業者大会」という看板が掛かった建物で、現地の商売人は「朝鮮でも満州でも日本人は정려(精励.よく働く)だ」と語っています。

 このように、韓国のドラマにしては、日本人の職業意識をずいぶん高く評価していると思います。ただ、日本人に対する称賛というよりも、現代の韓国人に対する教訓のように聞こえます。

 その一方で、韓国人としての自尊心を示すテホのセリフもちゃんと入っています。
 第17話、テホ親子の会話です。
 息子「アボジ、緑茶は日本のお茶だと聞きました。」 
 テホ「それは誤解だよ。我々は三国時代から緑茶を飲んでいた。それが日本に伝来したんだ。統一新羅時代はもちろん三国時代にも日本は百済の影響を強く受けたのだ。実際百済の人々は日本に渡っているんだ。」
 息子「なのになぜ今は属国になったのですか?」
 テホ「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった。西洋の文物を排斥した。1000年以上日本に影響を与えながら、最後の100年を誤ったために国を奪われたのだ。」

※第20話で、大富豪のオルシン(カン・ユングン)もテホと碁を打ちながら「囲碁は三国時代に百済が日本に伝えてやったそうだ」と言ってました。
※「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった」というのは私ヌルボも同感。具体的には1800年の正祖の突然の死(老論派による毒殺説もある)の後、彼と対立していた貞純王后が政局をリードし、1801年辛酉教難といわれる天主教弾圧事件で清国人宜教師の周文謨をはじめ300余名を処刑した。姜在彦「歴史物語 朝鮮半島」(朝日選書)には「以後80年間西洋研究は欠落したままだった」とある。

 テホ=李秉は上記のように知日家であり、克日(日本に打ち克つ)を目指した人物ですが、植民地時代に事業を展開するにあたっては当然総督府等とのコミュニケーションが必要だっただろうし、親日的な面も否定できないでしょう。
 第20話、戦争が終わり、韓国では光復を迎えて、日帝時代に儲けた店や工場が打ちこわしの対象になります。大邱の三星商会の製麺工場にも暴徒が乱入します。このあたりは、ドラマでは第三者的にサラッと流しています。「親日派」を擁護するわけにもいかず、またテホを批判するわけにもいかず、ということでしょうか。
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[15]  大地主の息子テホ(こと李秉・サムスンG創業者)

2010-09-02 19:46:32 | 韓国ドラマ
 ドラマ「英雄時代」の副主人公クク・テホ(국대호.国大虎)のモデルは、もちろんサムスングループを創業した李秉(イ・ビョンチョル.이병철)です。

 彼の生涯は1910~87年。ということは、今年がちょうど生誕100年。誕生日の2月12日前後には、生地慶尚南道宜寧郡やソウル、三星紹介開業の地大邱などでさまざまな催しが開かれました。

   
  【今年2月12日、生家で開かれた李秉生誕100年記念の儀式。】

 またサムスンの<御用新聞(過去?)>の「中央日報」はもちろん、各紙・各メディアで特集が組まれました。

 彼について、あるいはサムスン・グループについて書こうとすると、記事の本数が数十本になってしまうので、とりあえずドラマ「英雄時代」に直結する事項に絞って2本ばかり記します。

 両班とはいっても決して裕福ではなかったテサンに比べ、テホは地方の資産家の息子です。これは十分ドラマから読みとれますね。若いのに料亭の常連で、妓生の総上げなんかやっちゃったりして・・・。早稲田に留学した、というのも李秉の経歴そのまま。(健康上の理由で中退するのですが・・・。) その後1936年父からもらった300石の農地を元手に馬山で精米所を始めて事業に乗り出し、さらに運輸業も兼ねて儲けた金に、銀行から借りた資金を上乗せして661haの農地を集積したものの、日中戦争勃発による銀行の貸金回収圧力で大失敗するのも李秉の実体験。
 それでもテホは(李秉も)朝鮮各地だけでなく中国各地にまで足を運んで事業の構想を練ったりするわけですから、まさに「財力の余裕」=「心の余裕」といった感じでうらやましいかぎりです。(おっと、ホンネが・・・。)

 さて、前述のように慶尚南道宜寧郡にある李秉の生家ですが、2007年11月彼の20周忌に合わせて一般開放されるようになりました。

 彼の家柄は<청석꾼(チョンソックン)>、つまり千石取りの大地主だけあって、家屋敷もすごいです。来客用のサランチエ(사랑채)と母屋のアンチェ(안채)が別棟になっていて、敷地は1884㎡。

  
  【少年時代に毎朝20分の道を通った書堂(祖父が建てた)も保存されている。】

 今年1月に生家を探訪した人の記事を読むと、「定型的な背山臨水」という風水学上の理想的な所だとか、近隣に<富豪岩>といって、そこに座った道人が富豪の出現を予言したとか、もうとっくに伝説が生まれているようです。
 その岩から8㎞以内には、李秉の生家以外にも、LGグループの創業者具仁会(구인회.ク・イネ)、暁星(ヒョソン)グループの創業者趙洪済(조홍제.チョ・ホンジェ)の生家もあるそうです。どれも社名に星の字が入っています。
※LGはウィキによればLuckyのLとGOLDSTARのGを組み合わせたもの。私ヌルボは、Gは以前の社名<ラッキー金星>の金星=geumseongの頭文字かな、となんとなく思ってましたが、違うんですね。

 続きは、李秉の知日・克日(・親日?)についてです。

※関連サイト→宜寧郡のサイト中の<世界的な人物>
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[14] ドラマの中の日本語 

2010-08-13 23:55:01 | 韓国ドラマ
 4月16日の記事<韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[5]>で、とくに工事現場で日本語が多用されたということを書きました。

 具体的にあげたのは次のような言葉です。
バカヤロチクショーオカネ(お金)ノガタ(土方)ヤリキリ(ノルマ)シンマイ(新米)テモト(助手)アカチン(赤チン)

 その後、第20話の光復(終戦)までに出てきた日本語を拾ってみました。

 やっぱり、大半は良くない部類の言葉です。したがって、ふつうの辞書には載っていないものがほとんどのようです。

 ヤクザ(야쿠자)という語はこのドラマには出てこなかったようですが、まずその関係。
 ※ヤクザは今の韓国ではチョボク(조폭.組暴)といいます。

オヤブン(오야분.親分)・・・グーグルのヒット数は約51万件。
     韓国の標準語ではトゥモク(두목.頭目)で、コチラのヒット数は約170万件。
ナワバリ(나와바리.縄張り)・・・グーグルのヒット数約4万件。
スリクン(쓰리꾼)・・・スリ+꾼(なりわいとしている者の意)。グーグルで約18万件ヒット。
     스리꾼という表記も約4万5千件ありました。
     標準語ではスリのことをソメチギ(소매치기.袖ねらい)といい、これは約28万件ヒットだから、スリクンは今でもかなり用いられている言葉のようです。

ノギス(노기스)・・・これは土木・建築関係。
     私ヌルボは中学の技術の授業で使い方を教わりましたが、今はどうなんでしょう? 元はオランダ語ノニウス(?)だそうです。

メガネ(메가네.眼鏡)・・・グーグルで메가네が約52万件もヒットするとは意外! 
     そういえば日本映画「めがね」の韓国題も「메가네」でした。アンギョン(안경.眼鏡)のヒット数約980万件に比べると1割にもいかないのですが・・・。

 上記以外で用いられている日本語は「オイッ」「ハイ」そして「ヨシッ」
 あとは例の「チョーセンジン」です。

 全体的にみると、日本人としてはため息が出る感じ。
 しかし、このドラマはそれでも日本人を100%悪辣に描いているのではなく、日本人(の働きぶり等)を肯定的にとらえている部分も随所に見られます。次回(?)はそのあたりを紹介します。
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「文藝春秋」8月号 「韓流」ドラマ傑作30選など

2010-07-11 17:28:55 | 韓国ドラマ
 このところ「文藝春秋」の記事読破率(?)が高くなってきました。毎月購読はしていても、以前は読まずに終わる記事が半分近くはあったのですが、最近は8割以上は読んでいます。
 理由として考えられるのは、①読みごたえのある企画記事が多くなった。②私ヌルボの知的好奇心・向上心がさらに高まった。③年を取るとともに保守的になってきた。(ますますオジサンぽくなった。) ④ヒマになってきた。・・・2つは当たっていると思います。

 一昨日(7月9日)発売の8月号。特別企画「的中した予言50」もおもしろいですが、あらましを知りたい方は<文藝春秋>のサイトでご覧のほどを・・・。

 ・・・とはいいながらも、韓国・朝鮮に関わるものを拾っておくと、
・半藤一利選=勝海舟「日清戦争は大反対だ。だって兄弟喧嘩じゃねえか」
  ・・・・勝海舟は日清戦争当時の唯一の非戦論者。
・江川紹子選=S.リッター「アメリカがイラク攻撃をすれば、北朝鮮の核の脅威が増す」
  ・・・・この因果関係は読んでみないとわからない。
その他、
・山内昌之選=西郷隆盛「斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず」
・福島香織選=孫文「日本が西洋覇道の鷹犬となるか、東洋の干城となるか」
・簔原俊洋選=ペリー提督 「日本は東洋で最も重要な国となる」
  ・・・これらも関係ないことはないかも・・・。

 ついでにもうひとつオマケ。今日の参院選挙に際して、ヌルボの昨今の思いを代弁してくれてると感じたのが次の言葉。
・水木楊選=芥川龍之介「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である」

 さて、(いつもの)長い序説はここまで。以下が本論です。
 「文藝春秋」8月号で、韓国オタク必読記事は、<韓国エンターテインメント・ナビゲーター>という長~い肩書の田代親世さんによる「夫婦円満のための「韓流」ドラマ傑作30選」です。

 女性(おばさん)ファンが主体の韓流ドラマを横目で見ていることの多かった夫たち(=「文藝春秋」の主力購読層であるおじさん)に、「今からでも間に合う「韓流ドラマ傑作三十本」を私がお教えいたしましょう。これさえ見ればあなたも「韓流通」です。」と、そりゃまあご親切に・・・、ってヌルボが感謝するってのもヘンですが・・・。

 それでリストアップされてるドラマが次の30。
[王様もの]イ・サン(2007.77話) ・朱蒙(2006.81話) ・太王四神記(2007.24話)
[実録]英雄時代(2004.70話) ・第5共和国(2005.41話) ・ソウル1945(2006.71話)
[義賊]イルジメ(2008.20話) ・快刀ホン・ギルドン(2008.24話) ・必殺! 最強チル(2008.20話)
[人物伝]ホジュン 宮廷医官への道(1999.64話) ・商道(2001.50話) ・海神(2004.51話)
[ミステリー]新・別巡検-最後の導き-(2008.20話) ・正祖暗殺ミステリー8日(2007.10話) ・風の絵師(2008.20話)
[異色]シークレット・ルーム(2007.10話) ・チェオクの剣(2003.14話) ・チュノ(2010.24話)
[サスペンス]復活(2005.24話) ・魔王(2007.25話) ・犬とオオカミの時間(2007.16話)
[男の生きざま]エデンの東(2008.56話) ・MY DREAM(2009.20話) ・オールイン(2003.24話)
[社会派]白い巨塔(2007.20話) ・香港エクスプレス(2005.16話)
[女優で]スターの恋人(2008.20話) ・夏の香り(2003.18話) ・ラブストーリー・イン・ハーバード(2004.18話)
[コメディ]恋するハイエナ(2006.16話)

 いかがですかねー? ヌルボの場合、韓国オタクと称しながらも、ドラマは数えるほどしか観ていなくて、上記30作品中でも部分的に観たのが若干ある程度。
 本ブログでタラタラと連載している「英雄時代」について田代さんは、「正統派系のものでは「英雄時代」がおすすめ。これは韓国を代表する二大財閥、サムスンと現代グループの創始者たちをモデルにした物語です。・・・韓国の経済発展がめざましい今こそ見直すべきものかもいれません」とコメント。
 1980年代の実録ドラマ「第5共和国」は(観てなくても)知っていましたが、「戦争を経て朝鮮半島が南北に引き裂かれる過程を、四人の若者に託して描いています」という「ソウル1945」は知りませんでした。「英雄時代」の次はこれにしようかな?・・・って、いつになることやら。「英雄時代」は全70話、ブログの記事<「英雄時代」を読み解く>はまだ20話にも達していないのに・・・。

 リスト中のその他のドラマについては、直接「文藝春秋」をお読みいただくなり、韓国ドラマ関係サイト等で情報を得るなりしてください。
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[12] 日帝時代の朝鮮の妓生と検番など

2010-07-08 23:57:26 | 韓国ドラマ
 ドラマ「英雄時代」。日帝時代のヒロインは何といってもソソンですね。
 テサンの幼なじみで将来を誓った女性。しかし父親と死に別れ、京城に行って妓生になります。

 第6話では、<妓房(기방)>という言葉を字幕では遊郭と訳していました。
 かと思えば、第9話では<検番(검번)>育成所と訳しています。
 ソソンが筆を持って「無汗不成」と書いていますが、会話の中で「京城には、ここ(朝鮮検番)以外にも4箇所(←3箇所の誤りでは?)の育成所がある」、「数百人の妓生にも等級がある」という説明がありました。
 第11話では「朝鮮検番」という看板が映し出されていました。
 さらに第13話では会話の中で「(妓生は)大同検番、漢城検番、朝鮮検番、漢南検番、87人もいますよ」という説明もありました。

 私ヌルボがひっかかったのは検番を育成所と訳していたこと。
 たしかに、訳しにくいジャンルでもあるし、時代も変わって、日本人でも検番を全く知らないか、聞いた言葉であっても意味を正確には知らない人がほとんどでしょう。
 実はヌルボも後者で、なんとなく置屋のことだろうと思っていたのですが、必ずしもそうともいえないようです。置屋を統括する所、というケースもあるそうです。

 日本統治の時代の朝鮮の検番はどういうものだったか、韓国のサイトを探すと、<草麗의 역사사랑>というサイト中に詳しい説明がありました。長文ですが、翻訳してみました。

 日帝強占期(일제강점기←よく使われる言葉)に、妓生たちが妓籍を置いていた組合で、朝鮮時代の妓生庁の後身である券番(권번)があった。検番(검번)または券班(권반)とも書かれたが、ソウルには漢城券番•大東(大同?)券番•漢南券番•朝鮮券番、平壌には箕城券番などがあり、その他釜山、大邱、光州、南原、開城、咸興、晋州等にも各々券番があった。
 この券番では童妓に歌や踊りを教えて妓生を養成する一方、妓生たちの料亭への出入りを指揮し、彼女たちの花代(화대←そのまんま)を受け渡す役割も担当した。当時妓生たちは許可制になっていて、券番に籍を置いて税金を納めるようになっていた。これらの券番妓生は他の妓女たちとは厳格に区別されていた。
 1941年まで平壌には妓生学校があった。妓籍に籍を置いて歌を歌って人気を集めた人物としては鮮于一扇(선우일선.ソヌイルソン)왕수복(王壽福.ワン・スボク)がとくに有名だった。彼女たちが歌を吹き込むために平壌からソウルに来る時は、レコード会社幹部たちは人力車をソウル駅に待機させておいて勅使のような接待をした。日本にある録音室で吹き込みをして帰ってくる時までは、歓待は並大抵のものではなかった。
 また1940年代大衆歌謡界を牛耳った李花子(이화자)は券番所属の妓生ではなく、一般遊興街の酒場出身で、天賦の資質と大きな影響力をもった1936年に登場した歌手だ。
 わが国の初期大衆音楽界に妓生たちの活躍が目立った理由は、いわゆる「タンタラ(딴따라.音楽関係の芸人に対する蔑称)」という賤視意識によって一般人たちは歌手になるという考えを最初から退けていたので、レコード会社も自然に芸能に素質がある妓生に関心を持つ外なかったのである。


 ・・・やはり、たしかに歌や踊りを教えたりして妓生を育成する所ではあるわけですが、それを<育成所>と訳してしまうと、なにか重要なもろもろがあらいざらい振り落とされてしまうような感じがしますねー。意味が今ひとつ(それ以上?)わからなくても、検番は検番のままの方がいいような気がします。

 さて、(日本の)視聴者のおそらく皆が感じたであろうことが、相思相愛のテサンとソソンの結婚を認めようとしないテサンの父親の頑迷さに対する憤り、そしてソソンがかわいそう、という同情心ではないでしょうか?

 日本でも昔から芸能に携わる人々に対する差別は長く続いてきましたが、朝鮮でも同様、あるいはそれ以上だったかもしれません。
 日本の場合木戸孝允、伊藤博文、陸奥宗光等々芸妓を妻にした政治家の例は何人もいましたが、朝鮮の身分の高い男性が妓生と結婚するということはとても考えられないことだったようです。また、このドラマのように、いくら貧乏暮らしをしているとはいえ両班の家柄の跡取りが妓生と結婚するということも、1940年頃でもありえなかったということで、テサンの父親がとくに頑迷だったということではないと理解すべきでしょう。

 なお、川村湊「妓生-もの言う花の文化誌」(作品社.2001年)によれば、「私が「妓生」の歴史を調べてみたところ、参考になる先行文献は李能和の「朝鮮解語花史」という本しかなかった」とのことです。
 つまり、久しく朝鮮・韓国では、妓生を学問の対象に設定すること自体が忌避されてきたということのようです。
 それはちょうど、日本で芸者についての本格的な学術書が書かれなかったということと同様の背景があった、ということと相通じるものがある、ということです。
 ※この件については、<犬鍋のヨロナラ漫談>を参照のこと。
  →(1)(2)(3)(4)(5)(6)
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[11] 書堂でも総督府指定教科書が用いられた

2010-06-20 18:28:10 | 韓国ドラマ
 4月9日の記事で、このドラマの第3話あたりで出てくる書堂についてとりあげました。
 その中で、、「「千字文」や、「論語」等をテキストに、基本的に儒学を教えたといってよいでしょう」と記しましたが、先日マーク・ピーティー「20世紀の日本4 植民地」(読売新聞社)を読んでいると、次のような記述がありました。

 (併合以後、民族主義的な私立学校が禁圧の対象になったのに対して「総督府はむしろ、儒学者や、彼らが教育を受けた書堂をはるかに望ましいものと受けとめていた。日本人が儒学の伝統を称揚し、徳による支配、礼に基づいた人間関係、孝を旨とする家族道徳などを強調する時には、日本の伝統と同時に朝鮮の両班層の伝統にも敬意を払っていることを示そうとした。・・・・書堂に対する認可も普通の私立学校よりも寛大であったが、一九二九年以後になると書堂でも、「国語」・朝鮮語・算術等の科目で総督府指定の教科書を使い、天皇への忠誠を説く「修身」の科目を設けることが義務づけられた。」

 つまり、近代以前からの寺子屋のような民間教育機関である書堂にも、教育の統制が及んでいったということですね。

 このマーク・ピーティーの本は、なかなか斬新で、興味深く読めました。読売新聞社が、あえてこのアメリカ人歴史学者に執筆を依頼した意味を、ピーティー氏自身「ひょっとすると日本の帝国主義時代に関する外からの観察者として、日本の帝国主義・植民地主義に関する問題に、別の視点をもたらすことができるのかもしれない」と前書きに記しています。

 さらにこの本の内容に立ち入ると、<植民地近代化論>やら<植民地収奪論>やらの、重要ではあるがしちめんどうくさい論議にからんでこざるをえませんので、ここではスルーしておきます。
 ただ、この本が高い値の古書でしか購入できないのは困ったものだと思います。

 ややこしい論議を回避したついでに、逆に時代をさかのぼって、18世紀の朝鮮の書堂と、19世紀の日本の寺子屋のようすを描いた名画を紹介します。

  
  
    【上:金弘道「檀園風俗図帖」より。下:渡辺崋山「一掃百態図」より。

 書堂の方はドラマ「風の絵師」で日本でも知名度が高まった金弘道(キム・ホンド. 김홍도)(1745~?)の「檀園風俗図帖」25図中の1枚。先生の前で子どもがなぜか泣いてますね。
 寺子屋の方は、渡辺崋山(1793~1841)の「一掃百態図」中の絵です。

 どちらも、子どもたち(と先生)の動きや表情を実によくとらえていて、甲乙つけがたい絵だと思います。
 日本の子どもたちの方が元気がありますね(笑)、・・・というか、学級崩壊状態?
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[10] 京城の街、和信百貨店など

2010-06-17 16:18:34 | 韓国ドラマ
 第9話あたりから、京城の中心街のようすがしばしば映し出されます。

 路地の民家の塀には「明治牛乳」、「毎日新聞」、「仁丹」、「三ツ星タイヤ」など日本語の広告が貼られています。
 「内鮮一體の完成(←旭日)」という横断幕の字は右→左の横書きです。
 なかなか細かいところまでよく再現したもんだなーと感心しました。「飲料界のスタア ニッホンヒール ★」のように濁点がついていないミスも見つけてしまいましたが・・・。

 第10話、米屋を買ったテサンは自転車で営業しています。明治町(現・明洞)、本町(現・忠武路) 黄金町(現・乙支路)を走り回っています。(今の韓国人にとって自転車はふつうに乗れる乗り物ではないのですが・・・。)
 テサンは、上記の町名をメイジチョウ、ホンマチ、ファングムジョウと言ってますが、ファングムジョウは違うでしょう。
 なお、鍾路通りは4月16日の記事でふれたように、テサンはチョントン(鍾通.종통)と言ってました。

 京城市街の場面で、市電が走っていたり、和信百貨店の堂々たる建物まであるのには、最初観た時は驚きました。夜の場面では、そのずっと向こうに赤いネオンも見られます。
 その後、5月の佐賀旅行の折に長沢雅春先生から富川(プチョン)に常置してあるセットだということをうかがい、ネット検索したらたしかにいろんな情報がみつかりました。

 <富川ファンタスティックスタジオ>という名称で、このドラマでも少しだけ名前が出てきた京城の顔役・金斗漢(キム・ドゥハン)を主人公とした2002~03年の任期ドラマ「野人時代」のセットとして作られ、以後いくつものドラマや映画でも用いられ、一般にも開放されているんですね。

 たとえば、コネストのサイトには、いろんな写真のほかスタジオ全体の見取り図も載ってます。スタジオへのアクセスや、入場料(大人3000ウォン)等々、詳しく説明されています。

 <がんもどき韓国旅行>というサイトでは、なんと裏方向から撮った写真(!)も載っています。夢「ぶちこわしです」というキャプションがついています。

 和信百貨店は、朝鮮人実業家の朴興植が鍾路十字路、現在の鍾路タワーの場所に1931年開店しました。日本人が多く居住する街としてどんどん発展していった明治町(現・明洞)や本町通り(現・忠武路)には対して、三越をはじめとする当時の5大百貨店中唯一の朝鮮人経営のこの百貨店が朝鮮人の街・鍾路通りにあったのはうなずけます。

 申明直「幻想と絶望 漫文漫画で読み解く日本統治時代の京城」(東洋経済)という本によると、この百貨店は鍾路通りの代表的な商業施設で、1930年代には昇降機(エレベーター)や屋上の食堂ができて都の名物になったが、鍾路通りのそれ以外の商店は以前として貧弱だったそうです。
 なお、さるサイトによると、和信のショップガール(女店員)は、美人が少ないと評判だった(!)そうで、これは朴興植が「美人だと、すぐに結婚相手が現れて仕事が長続きがしない」と判断したからだ、とのことです。

    
    
 【昔の和信百貨店(上)と<富川ファンタスティックスタジオ>の和信百貨店(下)
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[9] テサンの愛読書。考証のミスも・・・ 

2010-06-04 23:40:42 | 韓国ドラマ
 久しぶりに続きを書きます。なかなか戦後にたどりつきません。まだまだ先が長いです。

 主人公チョン・テサンは教養があります。少年時代からの努力の賜物ですね。

 金持ち(五大富豪とか)のオルシン、カン・ユングンから「これがわかるか?」と提示された「大学」の一節、「心不在焉 視不而視 聴而不聞 食而不知其味」の意味をすいすい解読します。

 ライバルのグク・テホの教養もなかなかのもので、「海枯終見底 人死不知心」(海が枯れれば底が見えるが、人は死んでも心はわからない)という「明心宝鑑」中の言葉を子どもに説いたりしています。(第19話) 彼は資産家(大地主)の出で、教養が自然と身についている感じですね。

 テサンが寸暇を惜しんで本を読んでいる場面がしばしば出てきます。
 第6話では、「三国志」「は7回くらい読んだよ」と言ってました。
ほかに彼があげていた本は「リンカーン伝」「ハンニバル」「ナポレオン」。(あと1冊聴き取れず。)

 こういった偉人伝・立志伝の類は、明治前期の中村正直「西国立志編」以来青雲の志を抱いた青年たちによく読まれた本です。資本主義初期の、健全な立身出世主義のあらわれですね。

 第9話、テサンは米屋で働くようになりますが、主人の信頼を得て店の営業・経理を任され、売り上げを5倍に伸ばします。
 ここでもテサンは「ナポレオン」という本を読んでいます。

 第15話、鍾路警察の権藤主任宅に行ったものの、頼みごとを拒絶されたテサンが外で読んでいるのは「徳川家康」の第4巻。

 「徳川家康は部下たちにこう言った。「人生とは重い荷を背負って長旅をするようなものだ。決して焦ってはならない。」」
 ・・・こういうくだりを呟きつつ、テサンは自らの人生と重ね合わせます。

 その少し後の方で、権藤主任は彼が日本の本を読んでいることを知って驚きます。
 テサンは「徳川家康」の中に、「人を殺せば自分も殺される。だが、人を救うと自分も命拾いをする」という一節を口にします。

 ・・・しかーし、待った!
 韓国でロングセラーにもなっている山岡荘八の「徳川家康」は戦後の発行(1953年)ですよ。日本でも、よく経営哲学の本として読まれてきた本ですが、1944年の時点ではありえないでしょう。別の作家だとしても、そんな大部の「徳川家康」の本が当時あったとは思えないし・・・。
 (※山岡荘八「徳川家康」、今は中国で大ブームと。昨年のニュースでは200万部(シリーズ合計5000万部)売れたとか。やっぱり経営者向きの本としてです。)

 まあ、時代考証なんてすごくむずかしいから、100点満点を望むのは無理というものでしょうが・・・。

 時代考証といえば、第9話、自転車に乗ったテサンが人力車のソソンにたしかVサインしてましたが、「これはヘンだぞ」と思いましたね。

 日本でもVサインなんてやるようになったのは最近のことだし・・・。あ、最近といっても30年以上前です。ウィキによると「1972年から」ということです。
Vサイン時代の初期、「日本人観光客はカメラを向けるとなんでカニの真似をするんだろう?」と中国人とか不思議がられた、という雑誌の記事を読んだ記憶があります。

 別件で、私ヌルボが気がついた明らかな間違いは、第16話で、「天皇陛下の赤子」の<赤子>を「アカゴ」と言っていたこと。「セキシ」とふつうに読める人は、当時の教育を受けた年配の人でなければ、日本人でもそんなにいないかも・・・。もしかしたら、このドラマの日本人スタッフが知らずに間違えて教えてしまったのでしょうか・・・。

 あと、第9話でテサンがソソンに「チャル カ(잘 가.さよなら)」と言ったりしてますが、こういう言葉はいつからなんだろうな、とふと考えましたが、もちろんわかるわけありません。今後の課題とします。
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