ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国映画]早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ①18年ぶりに知った新事実

2018-08-28 11:35:50 | 韓国映画(&その他の映画)
 8月23日(木)早稲田松竹で久しぶりに「ペパーミント・キャンディー」を観てきました。たぶん2000年の初公開の時に観て以来だから18年ぶりです。
 その間、全然観る機会がなく、またしばらく前からDVDの通販もレンタルも在庫なしのようだし・・・。(販売元のアップリンクさん、なんとかしてほしい! 「風の丘を越えて 西便制〈ソピョンジェ〉」も。)

    
【「ペパーミント・キャンディー」[韓国版]のポスター(左)の数字は韓国初公開日2000年1月1日。最下段の「0」は??】

 [9月3日の追記]シネマコリア@cinemakoreaさんのツイートによると、その日の午前0時に公開されたからとのことです。カムサハムニダ!
 それにしても早稲田松竹、こんなに混んでいるとは思いませんでした。2年3ヵ月前に行った時とはずいぶん違います。最終日の前日ということもあるのでしょうが、その前から回によっては満席で立ち見まで出たとのこと。私ヌルボが入った回は幸い座れましたが、なるほど153席の7~8割は埋まっていました。一般1300円で「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」との2本立てを観られるのですから、十分うなずける客の入りではあります。
 <1980年5月、映画が描くふたつの光州事件>と銘打っての2本立てで、早稲田松竹のサイトにも詳しい紹介記事があります。(→コチラ。)

 私ヌルボ、今年観た「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」については→コチラの記事の冒頭で少し書いたので、今回はとくに「ペパーミント・キャンディー」について、それもタイトルに書いたように「18年ぶりに知った新事実」について重点的に書くことにします。つまり、その間にいろいろ仕入れた知識等がなければ2度目に観ても気づかなかったようなことです。

 冒頭の場面は1999年春の<野遊会>の章。(ここから時間軸を逆にたどり、20年前までさかのぼっていくというのがこの作品の構成のユニークなところです。) 10数人の男女が川辺で青空の下でテントを張り、シートを敷いて飲んだり食べたり歌ったりしています。韓国人はこういう野遊会がホントに好きですね。
 その少し後でわかることですが、集まった人たちは、主人公のキム・ヨンホ(ソル・ギョング)も含めて、かつての「カリボン峰友会」の仲間たち。20年ぶりに同じ場所に集まったのです。
 私ヌルボ、まず最初に「そうだったのか!」と思ったのがこの「カリボン」でした。ソウルの加里峰(가리봉.カリボン)洞のことです。
 ところが、野遊会の場所の向こうに鉄道橋が見え、その先にトンネルがあるというこの場所。対岸の山の眺めといい、とても都市近郊とは思えません。<居ながらシネマ>の記事(→コチラ)等によると、撮影地は内陸部の忠清北道・堤川(ジェチョン)市で、それも市街地から遠く離れた忠北線の三灘(サムタン)駅近くの河原です。※現地にはこの映画の撮影地という記念碑があります。→関係記事(1)、→(2)
 ということは、映画の中ではこの場所は一体どこという設定になっているのでしょうね? ソウル市内でないとしても、ソウルから遠くないどこかということかな?

 「ソウルの加里峰のことか?」という推測が正しかったことは、上映時間の半ばを過ぎた1984年秋の<祈り>の章の冒頭の映像でわかりました。
  
    
 正面に見える食堂の前の空き地で、ホンジャ(左はキム・ヨジン)が自転車の練習をしているところにヨンホが通りかかる場面です。右は同じ章の後の方。夜ヨンホが店の前で自転車を乗り回しています。コチラの画像だとはっきりと「공단식당(コンダンシクタン)」という字が読み取れます。つまり「工団食堂」です。<工団>という熟語は日本ではふつう用いられませんが<工業団地>のこと。あの「開城工団」の「工団」ですが、ここでは「九老工団」のことです。といえば、韓国映画にくわしい方なら「九老アリラン」(1989)を思い起こすかも。その九老地区にある食堂なのです。※ただし、撮影地は群山市のセット。→コチラの<DAUM>のQ&A記事によると、約1000坪のさら地に黄土や石を敷いた上に油性塗料と色素を混ぜた水をかけて黒っぽい地麺にしたとか、この食堂の他、美容室やランドリー等を作り、食堂の前に練炭を積んだり、公衆電話や周辺の壁や電柱の張り紙・ポスターといった小物まで気を使って80年初頭を再現したそうです。

 <祈り>の次の章は<面会>。1980年5月です。ということは、あの<光州事件>が起こった時で、この章の内容もそれに関わるものです。
 しかし、ここまで1時間43分、「なんでこれが<光州事件>の映画なんだ?」と疑問を抱きつつ観ていた人は多いのではないでしょうか? <光州事件>の映画ということを知らずに観たら、最後までこの章が光州事件の時の出来事ということもわからないかも・・・。
 この章の内容については委細はあえて省略します。

 そして最後の章が<遠足>。1979年秋です。季節は違いますが、最初の章の20年前で、同じ場所です。
 本作品のほとんどすべての内容紹介が「この章は、当時のヨンホが20歳の純粋な青年だったことを最終章と対比的に描いている」といったことを記しています。それは間違いではありません。が、それだけではないのです。
 最初は20人余の若い男女が歌いながら川岸を歩いていく場面です。その歌はあのキム・ミンギ作曲の「朝露(アチミスル)」。ヤン・ヒウンの歌で広く知られ、民主化運動の象徴ともいうべき歌です。※→関連過去記事
 仲間たちから離れて野花を摘んでいるヨンホに話しかけた女性がユン・スニム(ムン・ソリ)です。カメラのこと等を話すヨンホに好感を抱いた彼女が渡したのがハッカ飴(ペパーミント・キャンディー)でした。「ハッカ飴がお好きなんですか?」とヨンホが問うと、返ってきた答えは「私の工場では1日に千個のハッカ飴を包むんです」
 つまり、彼女も工業団地で働いていた労働者だったのです。(<面会>の章で彼女は「ソウルのどこから来たんですか?」との問いに「永登浦区加里峰洞ですけど」と答えています。)
 この会話で、2人は同じ職場ではないことがわかります。では、この加里峰峰友会という会は一体どういう会なのか? 答えは九老工団の(各工場を越えた)夜学と思われます。日本のウィキペディアの「ペパーミント・キャンディー」の項目には書かれていませんが、→韓国のウィキペディアにはあり、他の多くの韓国サイトにも同様の記述があります。
 つまり、ヨンホたちはそれだけ意識が高く、向上心も旺盛な労働者だったということ。組合活動や(同年11月14日に暗殺された)朴正熙政権に対する民主化闘争に関心を持っていた(関わっていた?)ことが推測されます。また、当時は→コチラの過去記事に書いたように、当時多くの大学生たちが自分の履歴を隠して九老工団の労働現場に身を投じ、労働者の組織化や待遇改善闘争に乗り出しました。<ヴ・ナロード>の韓国版といったところでしょうか。<祈祷>の章で、先輩の警察官がヨンホに「おまえ、この近くの工場で働いていたんだってな」という場面があるので、もしかしたらヨンホもそんな学生のひとりだったのかな?とも思いましたが、この点は思い過ごしだったようです。
 (話は戻って)この遠足で、仲間たちが川辺で車座になって歌った歌は「ナ オットッケ」(나 어떡해.僕はどうしよう)。1977年の大学歌謡祭でサンドペプルスというソウル大学のバンドが歌って大賞を受賞し、広く知られた歌です。この歌が最初の<野遊会>の章でヨンホが叫ぶように歌った歌です。これは歌詞の内容がまさにヨンホの心情に重なっていたということでしょう。

 ・・・ということで、ここまでのとりあえずの結論は、「ペパーミント・キャンディー」は<光州事件の映画>であるとともに、<九老工団関係の映画>でもあるということです。

 知っていること、調べたことをいろいろ書き連ねていったら例によってどんどん長くなり、1回では収まりがつかなくなってしまいました。あとは続きに回します。

 →<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ②映画で振り返る九老・加里峰・大林洞の40年の歴史>
 →<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ③申京淑の自伝的小説「離れ部屋」を読んで気づいた3つの共通項>
コメント (4)
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★2017年 ヌルボの個人的映画ベスト10

2017-12-31 23:54:34 | 韓国映画(&その他の映画)
 12月28日午後、2017年最後の映画ということで、見逃していた「パターソン」を観に開映2時間前にアップリンクに行ったら「売り切れました」とのこと。ありゃりゃ。で、午前中に渋谷シネパレスで観た「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」が結果的に今年の観納めに。これが17年に劇場で観た101本目。ただし2回観た作品を引き、前後編の作品を1つとして数えると合計98作品となります。うち韓国及び北朝鮮映画が33作品で、全体の3分の1。一昨年(2015年)のようにフィルムセンターでの特別企画もなく、<新大久保映画祭>もなぜかなかったわりにはけっこうたくさん観たと思います。
 一方、前年以上に日本映画は減ってドキュメンタリーを除くと10作品も観ていません。本年公開の話題作では「あゝ、荒野(前・後篇)」と「ビジランテ」くらい。予告編観てもほとんどは「なんだかなー」という感じだし・・・。

 さて、例年の通りこの記事を書くにあたり参考として「毎日新聞」(12月22日夕刊)の<シネマの週末>欄(→コチラ)に目を通してみました。9人の執筆者が邦画・洋画のそれぞれを合わせて今年のベスト3を選定しているので、のべ54作品。うち複数の執筆者によって選ばれている作品は次の通り。
【邦画】「あゝ、荒野」(4票)・「彼女がその名を知らない鳥たち」(2票)・「幼な子われらに生まれ」(2票)・「三度目の殺人」(2)
【洋画】「ラ・ラ・ランド」(3票)・「パターソン」(2票)・「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2票)・「女神の見えざる手」(2票)・「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2票)

 この中で、洋画は上掲の「パターソン」以外は全部観ましたが、3人が1位に挙げている「ラ・ラ・ランド」、そんなに良かったかな? 冒頭のシーンはたしかに印象的。しかし基本的なストーリーラインが昔からあまりにもありきたりな、といった感じだし、現代社会のもろもろを取り込んでないな、というのが私ヌルボの受けた印象でした。

 あ、いかん。また前説が長くなりすぎてるぞ。ま、とりあえず2017年のベスト10を・・・。

[2017年]
①わたしは、ダニエル・ブレイク
②あゝ、荒野
③ベイビー・ドライバー
④米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー
⑤抗い 林えいだい
⑥ブレードランナー 2049
⑦みかんの丘
トンネル 闇に鎖された男
新感染 ファイナル・エクスプレス
⑩KUBO/クボ 二本の弦の秘密
 [次点] 哭声/コクソン・人生タクシー
 [別格(旧作の新版)] アンダーグラウンド完全版・牯嶺街少年殺人事件(デジタル・リマスター版)

赤色は韓国映画または韓国・北朝鮮に関係する映画です。

 以下、ベスト10の各作品についてのコメント。
 1位「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、観るまではこのタイトルの意味がわかりませんでした。(当然ですけど。) しかし、それがまさに「ここぞ!」というシーンでこのように出てくるとは! 前作の「ジミー、野を駆ける伝説」(2014)の後宣言したはずの引退を撤回してこの作品を撮ったケン・ローチ監督の<気骨>が感じられる感動作でした。
 2位「あゝ、荒野」については11月7日の記事で次のように書きました。
 前・後篇合計で304分、緊張感が途切れることはありませんでした。とくに菅田将暉は(観てないけど)昨年の「溺れるナイフ」よりもずっとたくさんの主演男優賞を受賞するのでは? (とくにあのブチ切れた時の表情が・・・。) もう1人の主演ヤン・イクチュンは、先週観た「詩人の恋」同様の口数の少ない役柄(って、吃音症なので)で、監督としてだけでなく、俳優としても見直しました。ユースケ・サンタマリアもいい味出してましたね。そうそう、吃音症にボクシングに競馬に、時代は半世紀以上後に設定していてもやっぱり寺山修司です。
 その後第42回報知映画賞で作品賞と主演男優賞(菅田将暉)受賞。ナットクです。
 ・・・この上記2作品のどちらを1位にするか、迷いました。社会性・思想性では前者、映画的感興では後者。両方1位でもいいです。
 3位は「ベイビー・ドライバー」。これは迷わず決める。目を瞠るドライブ・テクニックとシャープな音楽の心地良いこと! 銃撃戦の発砲音の3連発が音楽のリズムにピッタリ合ってるとは!(笑)。
 4位「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」5位「抗い 林えいだい」は、ともに反骨精神を貫いた瀬長亀次郎(1907~2001)と、林えいだい(1933~2017年)のドキュメンタリー。彼らの主張には賛同しない人でも、人間的魅力を感じるという人はきっと多いのでは?
 それにしても、こういう<気骨>ある日本人は今いるのでしょうかねー?
 6位以降はほとんど同順位です。
 6位「ブレードランナー 2049」は、衝撃度では35年前の第1作に及ばないにしても、期待が裏切られることはありませんでした。今や未来をディストピアと視る見方はめずらしくもなく、未来どころかすでにそれが現実化しているのでは?と考えると、虚脱感・倦怠感に囚われるばかりです・・・。
 7位「みかんの丘」は、2016年公開作品ですが、佐藤忠男先生が「キネマ旬報」のベスト10に入れていたのを見て初めて知り、3月キネカ大森で「とうもろこしの島」との2本立てで観られたのはホントにラッキーでした。グルジア(今はジョージアと表記)とかアルメニア方面の地理・歴史について、とくにアブハジア紛争というのも実は初めて知りましたが、おそらく多くの日本人も私ヌルボ同様あまりよく知らないのでは? しかし、そういうところでも、現地の当事者の人たちにとっては民族的自尊心や宗教等にかかわる命をかけた戦いが繰り広げられているのですね。しかし、これらの作品はそれを超えた普遍性があり、共感を覚えました。
 8位「トンネル 闇に鎖された男」9位「新感染 ファイナル・エクスプレス」、[次点]の「哭声/コクソン」は順不同。「トンネル 闇に鎖された男」はあのセウォル号沈没事件への寓意が効いています。エンタメとしては「新感染 ファイナル・エクスプレス」が2016年の韓国映画中では1番。その他「お嬢さん」や「密偵」も期待通り。やっぱり韓国映画は観客動員数は作品性をほぼそのまま反映していると言ってよさそうです。なお、あまり話題にならなかった「ありふれた悪事」は思わぬ拾い物感がありました。
 10位「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、17年に観たアニメのベスト。とくに視覚・聴覚の面で強く印象に残りました。とても精緻な折り紙によるストップモーション・アニメで、それが日本人以上に日本愛に満ち溢れた(!?)物語に直結しています。吉田兄弟の三味線も見事! ラストではジョージ・ハリスンの「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」を弾いています。
 [次点]の「人生タクシー」については、5月23日の記事で書いたことを再掲します。
 ドキュフィクションというのだそうですが、こんなしたたかな方法で内容のある映画を作っちゃったパナヒ監督はなんとしたたかなことか。そして実の姪のハナちゃんがキャノンの小型カメラを手にいろいろ撮影していて、「学校の課題の短編映画作りのため」というのは事実なのかどうか? またハナちゃんがその映画作成用の「べからず集」を読みながら「見せたくないことをしてるのは自分たちなのに・・・」などとつぶやいたりしてるのは、演技でなければしっかりした子供だし、演技だとすればなかなかの俳優。ベルリン国際映画祭で、出国を禁じられているパナヒ監督の代理として金熊賞のトロフィーを涙を流しながら受け取った彼女の将来に期待。(行く手を阻む者がないように・・・。)
 [別格]の「アンダーグラウンド完全版」と「牯嶺街少年殺人事件(デジタル・リマスター版)」は、観ることができてホントによかった! それぞれ旧ユーゴ、台湾の現代史を物語るとともに、映画史の上でも傑作の名に値する作品だと思います。
 ・・・というわけで、今回のキーワードは<気骨>ということにあいなりました。

 次に、とくに記憶に残った俳優について。
 男優では、上述の菅田将暉に尽きます。
 女優では、年の最後に観た「女神の見えざる手」と「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」の2作品でのジェシカ・チャステイン。異なるタイプのヒロイン2人をちゃんと演じ分ける、それが俳優といえばそれまでかもしれませんが・・・。もう1人は、ソウル旅行からの帰路アシアナの機内で観た「朴烈」のヒロイン金子文子を演じたチェ・ヒソ。(この映画、日本でも公開してくれないかな・・・。)

[参考]過去10年のベスト10
[2016年]①キャロル②トランボ ハリウッドに最も嫌われた男③この世界の片隅に④ブリッジ・オブ・スパイ⑤ソング・オブ・ザ・シー 海のうた⑥ズートピア⑦インサイダーズ/内部者たちそばの花、運のいい日、そして青春⑨私の少女時代-Our Times-⑩牡蠣工場
 [次点] シアター・プノンペン・ハドソン川の奇跡・危路工団
 [別格(初見の旧作)] チリの闘い・アルジェの戦い(デジタル・リマスター版)

[2015年]①ボーダレス ぼくの船の国境線②顔のないヒトラーたち③セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター④雪の轍⑤マッドマックス/怒りのデスロード⑥神々のたそがれ⑦幕が上がる⑧海街diary⑨ストレイト・アウタ・コンプトン⑩KANO~1931海の向こうの甲子園~
 [次点] バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)・人生スイッチ・恋人たち・傷だらけのふたり許三観
 [別格(初見の旧作)] ショア・裸の島

[2014年]①イーダ②グランド・ブダペスト・ホテル③ジャージー・ボーイズ④罪の手ざわり⑤ソウォン/願い新しき世界ソニはご機嫌ななめ怪しい彼女テロ,ライブ⑩ある精肉店のはなし
 [次点] 60万回のトライ
    私の少女(扉の少女・ドヒや)・祖谷物語 おくのひと

[2013年]①セデック・バレ②少女は自転車にのって③きっと、うまくいく④もうひとりの息子⑤嘆きのピエタ⑥あの頃、君を追いかけた⑦シュガーマン 奇跡に愛された男⑧ハンナ・アーレント⑨王になった男建築学概論
 [次点] 殺人の告白 ・凶悪
 [別格] 阿賀に生きる
 [多くの人に観てほしい作品] ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして

[2012年]①ニーチェの馬②ヒューゴの不思議な発明③プンサンケ(豊山犬)ワンドゥギ拝啓、愛しています⑥ロボット 完全版⑦桐島、部活やめるってよ⑧三池 終わらない炭鉱(やま)の物語⑨かぞくのくに⑩ピアノマニア 別格:春夏秋冬そして春

[2011年]①サラの鍵②テザ 慟哭の大地③愛する人④彼とわたしの漂流日記⑤アリス・クリードの失踪⑥阪急電車 片道15分の奇跡⑦牛と一緒に7泊8日⑧未来を生きる君たちへ⑨ゴーストライター⑩エンディングノート

[2010年]息もできない過速スキャンダル冬の小鳥④ゲキシネ蛮幽鬼(日)⑤実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(日)⑥告白(日)⑦瞳の奥の秘密⑧飛べ!ペンギン⑨川の底からこんにちは(日)⑩ONE SHOT ONE KILL

[2009年]①グラン・トリノ②ディア・ピョンヤン(日)③妻が結婚した母なる証明チェイサー⑥チェンジリング⑦劔岳 点の記(日)⑧チョコレート・ファイター⑨戦場のワルツ⑩牛の鈴音

[2008年]①ダークナイト②パコと魔法の絵本(日)③ウリハッキョ(日)④休暇(日)⑤シークレット・サンシャイン⑥ラスト・コーション⑦接吻(日)⑧おくりびと(日)⑨闇の子供たち(日)⑩火垂るの墓・実写版(日)

[2007年]①世界最速のインディアン②パンズ・ラビリンス③キサラギ(日)④ドリームガールズ⑤それでも僕はやっていない(日)⑥夕凪の街 桜の国(日)⑦幸福(しあわせ)のスイッチ(日)⑧檸檬の頃(日)⑨幸福(こうふく)の食卓(日)⑩私たちの幸せな時間
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韓国の大ロングセラー「こびとが打ち上げた小さなボール」の映画化作品のこと

2017-03-07 16:56:40 | 韓国映画(&その他の映画)
 韓国で約40年もの長い間ステディセラー(長期にわたるベストセラー)として読まれてきた趙世熙(チョ・セヒ)の小説『こびとが打ち上げた小さなボール』は昨年12月刊行されましたが、2月28日夜神保町のチェッコリでその翻訳者・斎藤真理子さんのお話がありました。私ヌルボ、これは聞きに行って良かったです! 多角的な視点からいろんなことを熱を籠めて話されましが、とてもおもしろくためになる内容で、大収穫でした。この映画化作品(1981年)のことも画像資料とともに説明されました。(いつもの)→<輝国山人の韓国映画>に詳述されています。下左は最初の公開時のポスター。右はその一場面です。

       

 →斎藤さんのtwitterにあるようにポスターが「やたらと扇情的な作りになっているのは、目くらましのためだった」と言われています。
 公開当時(1981年)は全斗煥による軍事独裁政権下で、70年代の朴正熙時代に続いて小説や音楽等とともに映画に対しても厳しい統制が続いた時代でした。とくにこの原作小説の場合、都市のタルトンネ(月の街)、サントンネ(山の街)と呼ばれた貧民街を舞台に、当時の住民無視の都市再開発の問題や、過酷な労働者の問題を直接的に描いた内容でした。映画化に際してそのような政治・社会問題をまともに描くと検閲に引っかかるので、「扇情的な作りだとまだパスしやすい」という読みがあったようです。(視覚的にファンの興味を引くという意図もあったかもしれませんが・・・。)
 この映画に出演したアン・ソンギ氏は「検閲と改変のすさまじさでは一番だった」と言っているそうです。
 そして原作ではソウルの都市労働者の物語だったのが映画では西海地方の塩田地帯の物語にすりかえさせられたとのことです。


 上はその映画の一場面。今この作品はYouTubeで観られます。(→コチラ。) 大きな難点は日本語字幕ナシということなんですけどね。(笑)
 なお、この上のボスターの女優は当時18歳だったクム・ボラ。(下左)
        

 弦の切れたギターをもっているのは原作通りです。そして上右は30年ちょっと後「大長今」に出演していたクム・ボラです。いやあその、何というか・・・。

 そういえば、最近観た「奴隷の島 消えた人々」も塩田で非人間的な扱いを受けている労働者の話でした。そのモチーフも2014年に大きく報道された新安塩田奴隷労働事件という実際の事件でした。(→ウィキペディア。) ただ、その事件自体を掘り下げるというのではなく、ミステリーの素材として描かれているに留まっているのは残念。その点は、相当改変されているとはいえ、「小さなボール」の方が勝っていると思います。

 それでも、一般的に言って映画作品とその原作小説を比較した場合10中8、9は原作の勝ち。「風と共に去りぬ」も「ベン・ハー」も、ごく最近では韓国映画「お嬢さん」も・・・。例外は「2001年宇宙の旅」と、「私が棄てた女」くらい?・・・、あとすぐには思いつきません。
 この「こびとが打ち上げた小さなボール」も、まずは小説を読んでほしいと思います。
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YouTubeで手っ取り早く視聴できる韓国映画(1936~2000年)の名作150編(&特別映像2つ) 全リスト

2017-03-04 02:05:03 | 韓国映画(&その他の映画)
 ※この記事の改訂版<YouTubeで視聴できる韓国映画(1936~2000年)の名作188編(+特別映像5つ) 全リスト≪2019年版≫>は→コチラです。

 2014年5月に<YouTubeで手っ取り早く視聴できる韓国映画(1936~96年)の名作83編 全リスト>という記事をアップしました。(→コチラ。)
 その提供元のKoreanFilm(KOFAの専用チャンネル)による韓国映画のYouTube公開はその後も続いていて、3年足らずの間に2倍近くにもなっています。私ヌルボ、たまたま最近刊行された趙世熙(チョ・セヒ)の小説「こびとが打ち上げた小さなボール」を読んだ延長でその映画化作品「小さなボール」(邦題)をYouTubeで観たのをきっかけに、先の記事でリストアップした作品とその後現在までに追加された作品を合わせた計150編についての改定版リストを作成しました。

 このリストの元はYouTubeのKoreanFilmの公開動画リスト(→コチラ)です。
 現在150作品に特別映像2つが付いた一覧になっています(もちろんハングル)。そのタイトルをコピペして主に<NAVER映画>で検索して監督名等の情報を確認しました。<KMDb>やgoogleも利用しました。なお、1958-08-30といった年月日は韓国での公開日です。
 日本語のタイトルについては、過去日本で公開された作品は、<輝国山人のホームページ>(→コチラ)や、<シネマコリア>(→コチラ)を参考に、原則としてその時の日本題をそのまま用いています。監督名の漢字表記についても、<輝国山人の韓国映画>のお世話になりました。(輝国山人さん、どんな方法で調べたのでしょうか?)

 これらの各作品にアクセスするには、各作品のハングルのタイトルをgoogle等の検索窓にコピペして動画検索するのが手っ取り早いと思います。ハングルが読めて、過去の韓国映画に一定の知識のある方は上記の公開動画リストから選んで直接開けばもちろんOKですが・・・。
 また<輝国山人の韓国映画>の各作品のページ中にもYouTubeへのリンクが張られています。

 なお、最後の方に約7分の特別編集映像を貼っておきました。ぜひ見てみてください!

 日本の統治時代の2作品を除いて画面上に日本語字幕はありません。しかし観る際に設定しておけば韓国語・英語・(なぜか多い)イタリア語の他、自動翻訳で日本語の字幕が見られる作品もあります。その方法については記事の最後の方で説明します。

≪YouTubeに公開されている韓国映画名作リスト(全150作品)≫

【1936年】
迷夢[死の子守歌](미몽[죽음의 자장가]/1936-10-25/梁柱南(ヤン・ジュナム)/48分

【1941年】
半島の春[美しい青春](반도의 봄[아름다운 청춘])/1941-?-?/李炳逸(イ・ビョンイル)/85分

【1946年】
自由万歳(자유만세)/1946-10-21/崔寅奎(チェ・インギュ)/52分

【1948年】
検事と女先生:弁士録音版(검사와 여선생:변사 녹음 버전)/1948-06-05/尹大龍(ユン・デリョン)/60分

【1949年】
心の故郷(마음의 고향)/1949-02-09/尹龍奎(ユン・ヨンギュ)/77分

【1954年】
運命の手(운명의 손)/1954-12-14/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/89分

【1955年】
ピアコル(피아골)/1955-09-23/李康天(イ・ガンチョン)/108分
陽山道(양산도)/1955-10-13/金綺泳(キム・ギヨン)/90分
未亡人[寡婦の涙](미망인[과부의 눈물])/ 1955-12-10/朴南玉(パク・ナモク)/75分

【1956年】
青春双曲線(청춘쌍곡선)/1956-04-10/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/94分
自由夫人(자유부인)/1956-06-09/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/125分
ソウルの休日(서울의 휴일)/ 1956-11-21 李庸民(イ・ヨンミン)/ 91分
嫁入りの日[嫁ぐ日](시집가는 날)/1956-11-27/李炳逸(イ・ビョンイル)/79分

【1957年】
風雲の宮殿(풍운의 궁전)/1957-12-18/鄭昌和(チョン・チャンファ)/99分

【1958年】
あなたと永遠に(그대와 영원히)/1958-01-15/兪賢穆(ユ・ヒョンモク)/110分
お金(돈)/1958-03-09/金蘇東(キム・ソドン)/123分
地獄花(지옥화)/1958-04-20/申相玉(シン・サンオク)/86分
ある女子大生の告白(어느여대생의고백)/申相玉(シン・サンオク)/1958-07-12/122分
鐘閣(종각)/1958-08-30/梁柱南(ヤン・ジュナム/)/96分
自由結婚(자유결혼)/1958-10-14/李炳逸(イ・ビョンイル)/95分

【1959年】
高宗皇帝と義士安重根(고종황제와 의사 안중근)/1959-04-10 /全昌根(チョン・チャングン)/110分
同心草(동심초)/1959-07-09/申相玉(シン・サンオク)/126分
姉妹の花園(자매의 화원)/1959-10-01/申相玉(シン・サンオク)/108分
女社長(여사장)/1959-12-?/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/105分
名前のない星たち(이름없는 별들)/1959-?-?/金剛潤(キム・ガンユン)/105分
その女の罪ではない(그 여자의 죄가 아니다/1959-?-?/申相玉(シン・サンオク)/104分
やせっぽちと太っちょ論山訓練所に行く(홀쭉이뚱뚱이 논산 훈련소에 가다)/1959-?-?/金火浪(キム・ファラン)/105分

【1960年】
(흙)/1960-01-28/権寧純(クォン・ヨンスン)/101分
ロマンス・パパ(로맨스 빠빠)/1960-01-28/申相玉(シン・サンオク)/131分
白蛇夫人(백사부인)/1960-10-02/申相玉(シン・サンオク)/92分
朴さん(박서방)/1960-10-05/姜大振(カン・デジン)/138分
漂流島(표류도)/1960-12-17/権寧純(クォン・ヨンスン)/124分

【1961年】
荷馬車[馬夫](마부)/1961-02-15/姜大振(カン・デジン)/99分
誤発弾(오발탄)/1961-04-13/兪賢穆(ユ・ヒョンモク)/107分
ひまわり家族(해바라기 가족)/1961-04-13/朴性馥(パク・ソンボク)/120分
三等課長(삼등과장)/1961-05-04/李奉來(イ・ボンネ)/105分
豚の夢(돼지꿈)/1961-06-17/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/115分
ク・ボンソ(具鳳書)のにわか成金(구봉서의 벼락부자)/1961-07-13/金洙容(キム・スヨン)/114分
ソウルの屋根の下(서울의 지붕밑)/1961-11-30/李亨杓(イ・ヒョンピョ)/125分
成春香(성춘향)/1961-?-?/申相玉(シン・サンオク)/119分
常緑樹(상록수)/1961-?-?/申相玉(シン・サンオク)/141分
離れの客とお母さん(사랑방 손님과 어머니)/1961-?-?/申相玉(シン・サンオク)/103分
玄海灘は知っている(현해탄은 알고 있다)/1961-?-?/金綺泳(キム・ギヨン)/108分
ノダジ(노다지)/1961-?-?/鄭昌和(チョン・チャンファ)/127分
5人の海兵(5인의 해병)/1961-?-?/金基悳(キム・ギドク)/118分
姉さんはお転婆娘(언니는 말괄량이/1961-?-?/韓瀅模(ハン・ヒョンモ)/99分
春香伝(춘향전)/1961-?-?/洪性麒(ホン・ソンギ)/110分

【1962年】
燕山君[長恨思母篇](연산군[장한사모편])/1962-01-01/申相玉(シン・サンオク)/135分
暴君燕山[復讐、快挙編] (폭군연산[복수, 쾌거편])/1962-02-05/申相玉(シン・サンオク)/133分
孟(メン)進士宅の慶事(맹진사댁 경사)/1962-03-08/李庸民(イ・ヨンミン)/124分
路地裏の風景(골목안 풍경)/1962-06-28/朴宗鎬(パク・ジョンホ)/118分
花郎道(화랑도)/1962-09-13/張一湖(チャン・イロ)/99分
烈女門(열녀문)/1962-12-13/申相玉(シン・サンオク)/100分
アカシアの花が咲く時(아카시아 꽃잎 필때)/1962-?-?/趙肯夏(チョ・グンハ)/98分

【1963年】
ロマンス・グレー(로맨스그레이)/1963-01-25/申相玉(シン・サンオク)/124分
帰らざる海兵(돌아오지않는 해병)/1963-04-11/李晩煕(イ・マニ)/109分
金薬局の娘たち(김약국의 딸들)/1963-05-01/兪賢穆(ユ・ヒョンモク)/109分
血脈(혈맥)/1963-10-3/金洙容(キム・スヨン)/82分

【1964年】
裸足の青春(맨발의 청춘)/1964-2-29/金基悳(キム・ギドク)/117分
赤いマフラー(빨간마후라)/1964-03-27/申相玉(シン・サンオク)/106分
肉体の告白육체의 고백)/1964-06-20/趙肯夏(チョ・グンハ)/140分
魔の階段(마의 계단)/1964-07-10/李晩煕(イ・マニ)/109分

【1965年】
殺人魔(살인마)/1965-08-12/李庸民(イ・ヨンミン)/93分
浜辺の村(갯마을)/1965-11-19/金洙容(キム・スヨン)/93分
春夢(춘몽)/1965-?-?/兪賢穆(ユ・ヒョンモク)/71分

【1966年】
下宿生(하숙생)/1966-06-30/鄭鎮宇(チョン・ジヌ)/104分
水車(물레방아)/1966-11-10/李晩煕(イ・マニ)/91分
雨のめぐり逢い[草雨](초우)/1966-?-?/鄭鎮宇(チョン・ジヌ)/100分
午年生まれの嫁[午年新婦](말띠신부)/1966-?-?/金基悳(キム・ギドク)/93分

【1967年】
原点(원점)/1967-?-?/李晩煕(イ・マニ)/98分
帰路(귀로)/1967-?-?/李晩煕(イ・マニ)/90分
山火事(산불)/1967-?-?/金洙容(キム・スヨン)/80分
(안개)/1967-10-18/金洙容(キム・スヨン)/79分
月下の共同墓地[妓生月香之墓] (월하의 공동묘지[기생월향지묘])/1967-?-?/権哲輝(クォン・チョルフィ)/88分

【1968年】
憎くてももう一度(미워도 다시한번)/1968-07-16/鄭素影(チョン・ソヨン)/87分
将軍の髭(장군의 수염)/1968-?-?/李星究(イ・ソング)/100分
じゃがいも(감자)/1968-?-?/金承鈺(キム・スンオク)/83分
休日(휴일)/1968-?-?/李晩煕(イ・マニ)/73分

【1969年】
甕をつくる老人(독짓는늙은이)/1969-03-04/崔夏園(チェ・ハウォン)/95分
壁の中の女(벽속의 여자)/1969-?-?/朴宗浩(パク・ジョンホ)/92分
千年狐(천년호)/1969-?-?/申相玉(シン・サンオク)/89分
暗殺者(암살자)/1969-?-?/李晩煕(イ・マニ)/80分

【1971年】
火女(화녀)/1971-04-01/金綺泳(キム・ギヨン)/100分
鎖を切れ(쇠사슬을 끊어라)/1971-11-25/李晩煕(イ・マニ)/98分

【1972年】
花粉(화분(꽃가루))/1972-04-07/河吉鍾(ハ・ギルチョン)/89分
零時(0시)/1972-07-01/李晩煕(イ・マニ)/99分
虫女(충녀)/1972-10-06/金綺泳(キム・ギヨン)/115分

【1973年】
特別捜査本部 女子大生イ・ナニ事件(특별수사본부 여대생이난희사건)/1973-11-03/薛泰湖(ソル・テホ)/91分

【1974年】
星たちの故郷(별들의고향)/1974-04-26/李長鎬(イ・ジャンホ)/109分
特別捜査本部 キム・スイムの一生(특별수사본부 김수임의 일생/1974-5-4/李元世(イ・ウォンセ)/104分
破戒(파계)/1974-11-09/金綺泳(キム・ギヨン)/111分

【1975年】
ミス・ヤングの行方(미스 영의 행방)/1975-01-01/朴南洙(パク・ナムス)/97分
三角の落とし穴(삼각의 함정)/1975-02-01/李晩煕(イ・マニ)/87分
英子(ヨンジャ)の全盛時代(영자의 전성시대)/1975-02-11/金鎬善(キム・ホソン)/107分
森浦への道(삼포가는 길)/1975-05-23/李晩煕(イ・マニ)/100分
馬鹿たちの行進(바보들의 행진)/1975-05-31/河吉鍾(ハ・ギルチョン)/102分
肉体の約束(육체의약속)/1975-07-26/金綺泳(キム・ギヨン)/105分
特別捜査本部 片腕のキム・ジョンウォン(특별수사본부 외팔이 김종원/1975-10-11/李元世(イ・ウォンセ)/103分

【1976年】
往十里(왕십리)/1976-01-31/林権澤(イム・グォンテク)/112分
本当に、本当に忘れないで(진짜 진짜 잊지마)/1976-02-14/文如松(ムン・ヨソン)/95分
本当に、本当にごめん(진짜 진짜 미안해)/1976-11-20/文如松(ムン・ヨソン)/85分

【1977年】
悪人よ 地獄行急行列車に乗れ(악인이여 지옥행 급행열차를 타라)/1977-01-28/朴魯植(パク・ノシク)/94分
夜行(야행)/1977-04-23/金洙容(キム・スヨン)/78分
冬の女(겨울여자)/1977-09-27/金鎬善(キム・ホソン)/120分
異魚島(이어도)/1977-10-04/金綺泳(キム・ギヨン)/112分

【1978年】
華麗な外出(화려한 외출)/1978-03-10/金洙容(キム・スヨン)/94分
本当に、本当に好き(진짜 진짜 좋아해)/1978-09-02/文如松(ムン・ヨソン)/84分
殺人蝶を追う女(살인나비를 쫓는 여자)/1978-12-02/金綺泳(キム・ギヨン)/117分

【1979年】
水女(수녀)/1979-04-21/金綺泳(キム・ギヨン)/96分
族譜(족보)/1979-05-01/林権澤(イム・グォンテク)/108分
長雨(장마)/1979-08-29/兪賢穆(ユ・ヒョンモク)/126分

【1980年】
風吹く良き日(바람불어 좋은날)/1980-11-27/李長鎬(イ・ジャンホ)/118分

【1981年】
カッコーの啼く夜 別離(뻐꾸기도 밤에 우는가)/1981-03-01/鄭鎮宇(チョン・ジヌ)/120分
曼陀羅(만다라)/1981-09-12/林権澤(イム・グォンテク)/112分
小さなボール[小人が打ち上げた小さなボール](난장이가 쏘아올린 작은공)/1981-10-17/李元世(イ・ウォンセ)/102分
愛の望郷 激流を超えて[鸚鵡の体で鳴いた](앵무새 몸으로 울었다)/1981-10-24/鄭鎭宇(チョン・ジヌ)/120分

【1982年】
愛麻(エマ)夫人(애마부인)/1982-02-06/鄭仁燁(チョン・イニョプ)/102分
火女'82(화녀 82)/1982-06-26/金綺泳(キム・ギヨン)/121分
コバン村の人々(꼬방동네 사람들)/1982-07-17/裵昶浩(ペ・チャンホ)/112分

【1983年】
霧の村(안개마을)/1983-02-12/林権澤(イム・グォンテク)/94分
赤道の花(적도의꽃)/1983-10-29/裵昶浩(ペ・チャンホ)/104分

【1984年】
糸車よ糸車よ[女人残酷史 糸車よ糸車よ](여인잔혹사 물레야 물레야)/1984-02-25/李斗鏞(イ・ドゥヨン)/104分
馬鹿宣言(바보선언)/1984-03-01/李長鎬(イ・ジャンホ)/93分

【1985年】
肉食動物(육식동물)/1985-03-23/金綺泳(キム・ギヨン)/110分
長男(장남)/1985-06-22/李斗鏞(イ・ドゥヨン)/108分
於宇同(オウドン)(어우동)/1985-09-28/李長鎬(イ・ジャンホ)/115分

【1986年】
桑の葉(뽕)/1986-02-08/李斗鏞(イ・ドゥヨン)/111分
キルソドム(길소뜸)/1986-04-05/林権澤(イム・グォンテク)/101分
チケット(티켓)/1986-08-23/林権澤(イム・グォンテク)/107分
黄真伊(황진이)/1986-09-18/裵昶浩(ペ・チャンホ)/119分

【1987年】
わが青春の甘き日々(기쁜 우리 젊은 날)/1987-05-02/裵昶浩(ペ・チャンホ)/125分

【1988年】
旅人は休まない(나그네는 길에서도 쉬지 않는다)/1988-06-11/李長鎬(イ・ジャンホ)/104分
チルスとマンス(칠수와 만수)/1988-11-26/朴光洙(パク・クァンス)/108分

【1989年】
ソウルの虹(서울무지개)/1989-03-25/金鎬善(キム・ホソン)/128分
ギャグマン(개그맨)/1989-06-24/李明世(イ・ミョンセ)/123分

【1990年】
南部軍(남부군)/1990-05-15/鄭智泳(チョン・ジヨン)/159分
将軍の息子(장군의 아들)/1990-06-09/林権澤(イム・グォンテク)/108分
彼らも我らのように(그들도 우리처럼)/1990-11-10/朴光洙(パク・クァンス)/101分

【1991年】
若き日の肖像(젊은 날의 초상)/郭志均(クァク・ジギュン)/1991-3-16/134分
開闢(개벽)/1991-09-21/林権澤(イム・グォンテク)/149分
競馬場へ行く道(경마장 가는 길)/1991-12-21/張善宇(チャン・ソヌ)/140分

【1992年】
ホワイト・バッジ(하얀전쟁)/1992-07-04/鄭智泳(チョン・ジヨン)125分

【1993年】
風の丘を越えて 西便制(서편제)/1993-04-10/林権澤(イム・グォンテク)/113分

【1994年】
薔薇色の人生(장미빛 인생)/1994-08-06/金弘準(キム・ホンジュン)/94分
太白山脈(태백산맥)/1994-09-17/林権澤(イム・グォンテク)/164分

【1995年】
301・302(삼공일 삼공이)/1995-04-21/朴哲洙(パク・チョルス)/98分

【1996年】
つぼみ(꽃잎)/1996-04-05/張善宇(チャン・ソヌ)/101分
豚が井戸に落ちた日(돼지가 우물에 빠진 날)/1996-05-15/洪尚秀(ホン・サンス)/116分
祝祭(축제)/1996-06-06/林権澤(イム・グォンテク)/106分

【2000年】
春香伝(춘향뎐)/2000-01-29/林権澤(イム・グォンテク)/136分

【特別映像】
崔銀姫(チェ・ウニ)回顧展2013開幕映像(최은희회고전 개막영상)//11分
Welcome to the Korean Film Archive YouTube Channel /7分09秒

 最後の特別映像というのが、たくさん(約160編?)の韓国映画の名場面を数秒ずつ寄せ集めたもので、約7分と短く、なかなかおもしろいので貼っておきます。泣いているシーン、殺しのシーン、ラブシーン等々に、おおよそまとめられています。韓国映画ファンの皆さん、いくつタイトルがわかるか挑戦してみましょう。


★字幕の設定について
 画面右下の左から2つ目、を押して設定をします。
 

 「字幕」を押します。最初「オフ」になっていますが、韓国語(ハングル)や英語字幕を選択できます。また「自動翻訳」を押してリストの中から日本語を選ぶこともできます。
 左端のは字幕の「ON/OFF」のボタンです。
      

 ただ、自動翻訳の日本語はかなりメチャクチャなので、その点はご承知置きを。例えば下画像はその一例。

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★2016年 ヌルボの個人的映画ベスト10

2016-12-29 17:09:09 | 韓国映画(&その他の映画)
 12月19日に観た「私の少女時代-Our Times-」が今年の映画の観納め。例年だと20日以降も何本も観ているのに、今年は都合がつかず残念。
 で、今年観た映画は全部で84本 (2回観たもの3作品=「暗殺」「ドンジュ(東柱)」「王の運命-歴史を変えた八日間-」は各1回として)。
 昨年は<1960・70年代日韓名作映画祭>(at韓国文化院)と<韓国映画1934-1959創造と開花>(atフィルムセンター)、そして毎年恒例の<コリアン・シネマ・ウィーク>(at韓国文化院)と合わせて33作品観たのが大きく計100本に達しましたが、今年はそんな集中的に観たことがなかったわりには多かったと思います。
 ただ、少し悔いが残るのは、例年だとたぶん観ただろうという内容&評判の日本映画が多数観ずじまいだったこと。たとえば(後悔度の高い順で)「怒り」「溺れるナイフ」「クリーピー 偽りの隣人」「64-ロクヨン-」「葛城事件」「湯を沸かすほどの熱い愛」「永い言い訳」「お父さんと伊藤さん」等は観てません。

 例年の通り、この記事を書くにあたり一応新聞等の映画評やネット内の記事にざっと目を通してみると、これまた例年通り書き手によってマチマチ。
 12月16日の「毎日新聞」(夕)の<シネマの週末>欄(→コチラ)では11人の執筆者が邦画・洋画を合わせて今年の5作を選定していますが、のべ55作品中重複分を引くと45作品。つまりベスト5のうち1つ重なっているのが標準ということです。そして重なっている作品が次の10本。( )の数字は重なっている数です。
 「この世界の片隅に」(5)「マジカル・ガール」(3)「淵に立つ」(3)「ルーム」(2)「グランドフィナーレ」(2)「手紙は憶えている」(2)「ブルックリン」(2)「ディストラクション・ベイビーズ」(2)「ニュースの真相」(2)「シン・ゴジラ」(2)
 ちなみに、上の10作品中私ヌルボが観たのはちょうど半分。しかし後掲のベスト10には1つ、それもかろうじて入れただけです。では、どういうことになったかというと・・・。

[2016年]
①キャロル
②トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
③この世界の片隅に
④ブリッジ・オブ・スパイ
⑤ソング・オブ・ザ・シー 海のうた
⑥ズートピア
インサイダーズ/内部者たち
そばの花、運のいい日、そして青春
⑨私の少女時代-Our Times-
⑩牡蠣工場
 [次点] シアター・プノンペン・ハドソン川の奇跡・危路工団
 [別格(初見の旧作)] チリの闘い・アルジェの戦い(デジタル・リマスター版)

赤色は韓国映画または韓国・北朝鮮に関係する映画です。

 以下、今回のベスト10について若干コメント。
 1位「キャロル」は、女性同士の恋愛という私ヌルボとしてはこれまでなんとなく敬遠してきたジャンルですが、全然抵抗感がないか、作品に没入できた度合いでいえば今年最高。とくにラストのあたりの2人のセリフのない、目だけの演技にはホントにドキドキしました。考えてみれば、LGBTに対する偏見がむしろ当然のようにあった頃の物語で、今こうした作品がつくられるになったこと自体が時代の変化の現れなんだな、と歴史的・社会的なことも後になって思った次第です。(ある問題が本当にその社会の真只中にある時は、それを題材とした「娯楽」映画がつくられることはまずありえない。)
 2位「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は、私ヌルボ個人としては「ジョニーは戦場に行った」(1971)を観た後、角川文庫でも読んで脚本家の彼の名を知って以来気にはなっていましたが、「ローマの休日」、「スパルタカス」、「栄光への脱出」等の作品の背後にこのようなレッドパージと直結する物語があったとは・・・。
 ・・・この2作品のどちらを1位にするか、最後まで迷いましたが、結局ドキドキ度、ゾクゾク度を優先して決めました。
 3位「この世界の片隅に」ですが、実は3位候補はなかなか思い浮かばず。そのまま「判断保留」で番外にするつもりだったこの作品を入れることにしました。多くの人が「感動した」との声を寄せ、高い評価を得ていますが、ヌルボとしては感想を求められてもなかなか言葉が出てきません。それはたぶん「日本人というワクを超えてどれくらい普遍性を持ち得るか?(どれくらい理解されるか?)」ということ等がよくわからないということもあるし、(うーむ、むずかしいな) 庶民を戦争の被害者とだけ描くのでなく、では何らかの責任があるのか、とか・・・、つまるところ戦争が台風や地震のような自然現象ではないとしたらなぜ起こるのかとか、いろんなことを考え始めると何も語れなくなるということ。あるいは、(昨年の「この国の空」のように)戦時にも「変わらぬ日常生活があった」にしても、その中で「異常」「非常」がどのように認識されていたか(orいなかったか)ということは、まさに現在にも通じる問題だと思うのですが、この映画を観た観客ははたして自分自身の「戦争観」と照らし合わせて「ナットクした」のか、それとも新しい認識を得たのか、そこらへんがよくわからないのです。(うーむ、やっぱりむずかしいな。)
 以下は極力簡潔にコメント。
 4位「ブリッジ・オブ・スパイ」は、<ブリッジ>が境界に架けられた現実の橋のことにとどまらず、ひとつの隠喩になっているということ。
 5位「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」は、絵柄も物語も日本やアメリカのアニメとは違う新鮮な魅力が感じられました。
 6位「ズートピア」は、アメリカのアニメの定番の「正義vs悪」の対立という陳腐な図式から1歩、いや2歩程度先に進んだ感じ。それでもまだ「正義」と「悪」は歴然としちゃってますが、キャラクターがカワイイしストーリーもおもしろいのでちょっと甘めに評価。
 7位「インサイダーズ/内部者たち」。昨年は韓国映画ゼロのベスト10でしたが、この作品はなかなか見応えがありました。ドラマ「未生」の原作者でもあるユン・テホが進歩系新聞「ハンギョレ」に連載した漫画(右画像)が原作で、政治家・財界人と保守紙論説主幹の「悪のトライアングル」にイ・ビョンホンが演じる政治ヤクザが挑むというこの作品は、やはり巨悪相手に一匹狼のファン・ジョンミンが闘う「ベテラン」よりも重厚感があり、青龍映画賞の作品賞と主演男優賞受賞もナットク。一方、以前にも紹介しましたが、「祖国日報」のモデルの「朝鮮日報」のパク・ウンジュ記者(女性)の「左派が右派に勝てない理由」と題した挑発的な(?)記事。(→コチラ.韓国語。) 「右派=腐敗と決めてかかって罵倒するだけだと百戦百敗だぞ」と忠告(?)している記事はなかなか説得力のある記事だと思いました。
 8位「そばの花、運のいい日、そして青春」<花開くコリア・アニメーション2016>での上映作品。「朝鮮短篇小説選(上・下)」(岩波文庫)所収の日本統治期の短編小説3編が原作のオムニバスのアニメ。落ち着いた色調で当時の雰囲気を描き出しています。中でもパンソリの節に乗せた語りで物語が進められる金裕貞原作の「そして春春」がおもしろかったです。
 9位「私の少女時代-Our Times-」は台湾の青春恋愛物。台湾での大ヒットがうなずける気持ちいい感動作。個人的には「あの頃、君を追いかけた」(2013年6位)の方が上だったのでこの順位に。
 10位「牡蠣工場」は、想田監督による「観察映画」。ドキュメンタリーといっても、岡山県牛窓の牡蠣工場で中国人労働者等の働いている人たちナレーションやBGMもなくただ撮っているだけなんですけど、なぜか印象に残っています。(なぜなんだろう?)
 [次点]の「シアター・プノンペン」は、あのポル・ポト政権の時代がこのような形で記憶に残されている・残そうとしていることに共感を覚えました。「ハドソン川の奇跡」はやはりクリント・イーストウッド監督作品に外れナシ。ただちょっと地味過ぎかな? 「危路工団」は朴正熙政権時代の1970年代頃、ソウル市九老区の工業団地(九老工団)の労働者たちの労働実態と闘争に始まり、現代に至るまでの約40年間の女性労働者の歴史をたどったドキュメンタリー。多くの人たちの証言といった微視的な視点と、時代状況を鳥瞰する視点を持ち、政治的・思想的主張を前面に出すような押しつけがましさがない点が良かったですね。
 [別格]の「チリの闘い」は、優れたドキュメンタリーが多かったこの1年でも抜群の作品。アジェンデ政権下の庶民の姿と声を記録した非常に貴重なもので、このフィルムが混乱した状況下によく国外に持ち出され、今に残されたものだと思います。別格でなければ1位です。「アルジェの戦い(デジタル・リマスター版)」は、「キネマ旬報」等の歴代ベスト100の中で観てなかった作品(2割弱)中の1つ。こういうのを観ると、政治闘争等を扱った娯楽作品が顔色を失ってしまうように思われます。※韓国の独立運動関係の娯楽映画「暗殺」はなかなか楽しかったなー(笑) ベンキョーにもなったし・・・。→<多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ)>初回から6回シリーズ。

 昨年のベスト10(→コチラ)の中で、映画を評価するモノサシの成分を、[A]娯楽性重視(ストーリー性、視覚効果、アクションのすごさ等に重点) [B]社会性重視(実社会の問題を扱い、メッセージ性がある) [C]芸術性重視(象徴的・抽象的な映像表現やストーリー展開による思弁の深化に重点) の3つに仮に分けてみると、「私ヌルボ自身は、[A]娯楽性=20%、[B]社会性=50%、[C]芸術性=30% といったところかなと思っています」と書きましたが、今回も結果を見るとそうなってるみたいですね。

 次に、今年とくに記憶に残った俳優について。
 女優では、「キャロル」のケイト・ブランシェットルーニー・マーラの2人。韓国映画では「荊棘〈ばら〉の秘密」のソン・イェジンと「私たち」の子役チェ・スイン。日本映画では「淵に立つ」の筒井真理子。男優は「ブリッジ・オブ・スパイ」と「ハドソン川の奇跡」のトム・ハンクス。(←なんとフツーなんだろ(笑)。)

[参考]過去9年のベスト10
[2015年]①ボーダレス ぼくの船の国境線②顔のないヒトラーたち③セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター④雪の轍⑤マッドマックス/怒りのデスロード⑥神々のたそがれ⑦幕が上がる⑧海街diary⑨ストレイト・アウタ・コンプトン⑩KANO~1931海の向こうの甲子園~
 [次点] バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)・人生スイッチ・恋人たち・傷だらけのふたり許三観
 [別格(初見の旧作)] ショア・裸の島

[2014年]①イーダ②グランド・ブダペスト・ホテル③ジャージー・ボーイズ④罪の手ざわり⑤ソウォン/願い新しき世界ソニはご機嫌ななめ怪しい彼女テロ,ライブ⑩ある精肉店のはなし
 [次点] 60万回のトライ
     私の少女(扉の少女・ドヒや)・祖谷物語 おくのひと

[2013年]①セデック・バレ②少女は自転車にのって③きっと、うまくいく④もうひとりの息子⑤嘆きのピエタ⑥あの頃、君を追いかけた⑦シュガーマン 奇跡に愛された男⑧ハンナ・アーレント⑨王になった男建築学概論
 [次点] 殺人の告白 ・凶悪
 [別格] 阿賀に生きる
 [多くの人に観てほしい作品] ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして

[2012年]①ニーチェの馬②ヒューゴの不思議な発明③プンサンケ(豊山犬)ワンドゥギ拝啓、愛しています⑥ロボット 完全版⑦桐島、部活やめるってよ⑧三池 終わらない炭鉱(やま)の物語⑨かぞくのくに⑩ピアノマニア 別格:春夏秋冬そして春

[2011年]①サラの鍵②テザ 慟哭の大地③愛する人④彼とわたしの漂流日記⑤アリス・クリードの失踪⑥阪急電車 片道15分の奇跡⑦牛と一緒に7泊8日⑧未来を生きる君たちへ⑨ゴーストライター⑩エンディングノート

[2010年]息もできない過速スキャンダル冬の小鳥④ゲキシネ蛮幽鬼(日)⑤実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(日)⑥告白(日)⑦瞳の奥の秘密⑧飛べ!ペンギン⑨川の底からこんにちは(日)⑩ONE SHOT ONE KILL

[2009年]①グラン・トリノ②ディア・ピョンヤン(日)③妻が結婚した母なる証明チェイサー⑥チェンジリング⑦劔岳 点の記(日)⑧チョコレート・ファイター⑨戦場のワルツ⑩牛の鈴音

[2008年]①ダークナイト②パコと魔法の絵本(日)③ウリハッキョ(日)④休暇(日)⑤シークレット・サンシャイン⑥ラスト・コーション⑦接吻(日)⑧おくりびと(日)⑨闇の子供たち(日)⑩火垂るの墓・実写版(日)

[2007年]①世界最速のインディアン②パンズ・ラビリンス③キサラギ(日)④ドリームガールズ⑤それでも僕はやっていない(日)⑥夕凪の街 桜の国(日)⑦幸福(しあわせ)のスイッチ(日)⑧檸檬の頃(日)⑨幸福(こうふく)の食卓(日)⑩私たちの幸せな時間
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?

2016-10-31 02:23:15 | 韓国映画(&その他の映画)
<多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ)>
 → ①<進歩系>映画と<保守系>映画
 → ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
 → ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間
 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団

 映画の中の<史実>と<虚構>を判別することはむずかしいですが、今回の記事のメインは「<史実>として描かれていることがはたして本当に<史実>なのか?」という問題です。

 金元鳳(キム・ウォンボン)が上海にやってきたアン・オギュンと会った時、「<狡兎三窟>というように云々」といった話に続けて、かつて(1920年)間島(カンド.旧満州の朝鮮との国境に近い一帯)方面で繰り広げられた抗日独立軍の戦いと、それに敗北した日本軍が報復として多数の無辜の民間人(朝鮮人)を虐殺したことを語ります。そして彼が「オギュンは、そこにいたのか?」と問うと、彼女は次のように答えます。
 「はい。火で焼かれ釜で茹でられ・・・。27日間で3469人が虐殺されました。・・・私の母も殺されましたが私は生き残りました。」
 ・・・このあたり、セリフがそのまま字幕になっているわけではなく、かろうじて聴き取ったことをメモするにも展開(&言葉)が速いので、かなり大雑把です。
 ※上記の虐殺を行ったのが第19師団で、1920年当時の師団長は高島友武中将でしたが、映画では川口守中将という架空の人物になっています。その息子が川口俊輔(?)大尉で、物語中の悪玉中の1人。オギュンにとってはこの暗殺計画が自身の敵討ちにもなっているというわけです。川口守中将のモデルは、1929~30年の師団長で32~34年には朝鮮軍司令官だった川島義之中将と思われます。名前の最初も「川」だし・・・。このあたりはフィクションと史実が巧妙に接ぎ木されている部分。

 さて本題。
 オギュンの話に出てくる「27日間で3469人が虐殺」という数字は字幕にもそのまま表示されています。しかし、ほとんどの日本人にとっては金元鳳の言うように(?)「誰でも知っていること」ではないですよね。それにしても、「大」虐殺というべきこの事件はそもそも何という事件なのか? (韓国語聴き取り能力がもっとあれば言ってたのかも・・・)
 この数字を手がかりにネット検索に取りかかったところで私ヌルボがぼんやり思い出した本が鄭銀淑「中国東北部の「昭和」を歩く」鄭銀淑(チョン・ウンスク)さん、アチコチのマッコリ酒場を飲み歩いているだけでなく、「昭和」の残影を追って中国東北部まで足を延ばしているんですね。
 この本の中の<琿春の旅>と題された部分に、たしかにこの事件についての記述がありました。琿春(フンチュン.こんしゅん)は、当時は北間島(プッカンド)とよばれた中国・延辺朝鮮族自治州東端、つまり中朝国境の最北東部にあり、ロシアとの国境も至近という都市です。(下の地図参照。)
 【白頭山(長白山)の東の豆満江沿いの地は間島とよばれていたが、後に西の鴨緑江沿いの地が西間島(ソガンド)とよばれるようになるとともに北間島というようになった。】

 で、鄭銀淑さんが琿春を訪れるにあたって、予備知識のような形でこの事件のあらましを次のように記しています。
 ・1920年10月2日未明、400余人の馬賊団が琿春を襲撃、日本領事館や商店等に火を放ち、100人余を拉致し、多くの財物を奪った。これを琿春事件という。
 ・これ以前から間島の地は独立勢力の拠点となり、抗日闘争が展開されていた。琿春事件の3か月前の1920年6月には(洪範図(ホン・ボムド)将軍の指揮する)朝鮮独立軍との鳳梧洞(ポンオドン)戦闘で日本軍は惨敗し大打撃を受けた。
 ・日本は朝鮮人抗日勢力の討伐を図ったが、間島は中国領土なので、軍事作戦を実行するには適当な理由が必要だった。
 ・そんな中で起こった琿春事件は日本にとって絶好の理由となった。「日本人の人命と財産を保護する」という名目で中国との事前交渉や連絡もないまま大規模な兵力を投入した。
 ・この「絶妙のタイミング」ゆえ、韓国ではこの「事件」が日本によって周到に準備されたものであるという説が唱えられている
 ・こうして出兵した日本軍は、琿春の他、延吉、和龍、汪清等4県69の村で3600人余りの朝鮮人を殺害し、3500軒余りの家屋、59の学校、19の教会、5万9900余石の穀物を燃やした。この大惨事を韓国では<庚申年大討伐>(あるいは間島惨変庚申惨変)という。


 日本のウィキペディアでは、<琿春事件>のことは<間島事件>という見出し語の中で説明されています。(→コチラ。) また、韓国のウィキペディア(→コチラ)では間島惨変とされている日本軍の出兵とそれに続く「作戦行動」については単に<間島出兵>という主観を排した(?)見出し語になっています。(→コチラ。)
 また、日韓双方のウィキペディアを読み比べると、まさに対照的な説明に驚くばかりです。日本側の<間島事件>の説明文中には「謀略説」として紹介されている上述の「日本によって周到に準備されたもの」という説が韓国ウィキペディアではそのまま説明の基軸となっています。また、韓国側の<間島事件>の説明文には「罪のない韓国人を大量に虐殺した」こと、そして「10月9日から11月5日までの27日間、間島一帯で虐殺された朝鮮人たちは現在確認されている数だけでも3469人にのぼる」と、「暗殺」のセリフに出てきた数字があげられ、さらに「その他確認されていない数と3~4ヵ月にわたって虐殺された数を合わせると少なくとも数万人に達する」等と記されています。日本側の<間島出兵>の記事には、最後に次のようにサラッと書かれている程度です。
 大韓民国臨時政府の機関紙である『独立新聞』は、1920年12月19日付で、その調査資料によるとして26,265人が虐殺、71人が強姦され、民家3,208軒、学校39校、教会15ヶ所、穀物53,265石が焼却されたと報道した。韓国側では、戦いに敗れた日本軍は独立軍の根拠地を掃討するために朝鮮人を無差別に虐殺し、集落ごと焼き払った「間島惨変(庚申惨変)」を引き起こし、その犠牲者は少なくとも3469人としている。日本側の史料によれば日本軍に反抗した、独立軍の幹部だった等の理由で射殺された朝鮮・中国人の数は500人余りである。
 日韓間の歴史的出来事についての認識の落差は、出兵した日本軍と金佐鎮(キム・チャジン)等が指揮した武装組織が戦った青山里戦闘についても呆れるほど如実に表れています。これについては、<日韓のWikipediaを比較する>という記事(→コチラ)に具体的に書かれています。日本軍の戦死者数が2ケタ違うばかりか、日本軍と独立軍のどちらが勝ったか?からして違うのです。

 琿春事件がはたして日本側が仕組んだものだったか否か? 青山里戦闘は戦死者がどれほどでどちらが勝ったのか? 間島出兵でどれほどの無辜の朝鮮人住民が虐殺されたのか?
 これら対立する説のどちらが本当の<史実>なのか、民族感情や政治的立場等々を排して見極めることは大変むずかしいことだと図書館で関係書籍をいくつか読んで痛感しました。
 たとえば次のような分厚い本2冊。
     

 左は姜徳相(編)「現代史資料 28朝鮮」(みすず書房)、右は佐々木春隆「韓国独立運動の研究」(国書刊行会)。在日の歴史家・姜徳相氏と、陸士卒の元軍人で戦後は自衛隊に入隊し、退官後は防衛大教授となった佐々木春隆氏という2人の経歴だけ見ても、資料の読み方からして違ってくるだろうことはわかります。ただ、どちらも非常に内容の濃い本です。前者は基本的に琿春事件と間島作戦についての日本の公的文書や独立新聞」等の朝鮮側の資料や中国その他の新聞記事等を集成した資料集です。件(くだん)の3469人という犠牲者数も、<臨時政府間島通信員確報>として1920年12月18日付「独立新聞」に掲載された「西北間島同胞の惨状血報」という記事の表にある数字であることがわかります。(下画像)
 
    
 上の2つは表の最初と最後の部分だけです。その間に、たとえばあの詩人・尹東柱(1907~1945)の出生地・明東の明東学校が焼かれたことも記録されています。(彼の詳細な伝記・宋友恵「尹東柱評伝」にもそのことが記されている。)
 これらの資料、とくに「日本軍による蛮行」についての具体的な事例の記事を見ると、たしかにリアリティが感じられます。(・・・ということと数字の信頼性は直結するものではありませんが・・・。)
 もう一方の「韓国独立運動の研究」について。著者の経歴だけで「右翼の妄言」と決めつけるなかれ、です。864ページに及ぶ大著で、19世紀半ばから終戦までの朝鮮の民族運動・独立運動について詳細に記しています。「「併合」は不可であった」とか、「日本と韓国は、未来永劫の隣人である。互いの歴史を踏まえたうえで、未来に思いを寄せねばならないと考える」等々のくだりは、左翼の目からは意外と思われるかもしれません。内容も、独立運動の側や民族主義の立場から書かれた本にはほとんど載っていないような独立運動組織内での内訌や、金日成の本物ニセ者をめぐる件、普天堡(ポチョンボ)戦闘(保田襲撃事件)の事実等々、興味深い記事がいくつもありました。そして肝心の琿春事件についてはいくつかの根拠をあげて謀略説を否定し、青山里戦闘については詳述していますが、間島作戦での「日本軍の蛮行」については何も(!)書いていません。
 
 私ヌルボ、図書館で上記の、ああるいはそれ以外にも何冊かの関係書籍をざっと拾い読みした程度ですが、痛感したことは資料を読み解くことのむずかしさです。どういう立場の誰がどんな状況で書いたものかを常に念頭に置く必要があります。またそれらについて書かれた本、たとえば上記の2冊についても同様で、姜徳相氏による<資料解説>も資料を読み解く手引きであると同時に、もしかしたらミスリードとなっている可能性もなきにしもあらず、です。
 新聞記事も、いつも事実を伝えているとはかぎりません。下の画像は、琿春の日本領事館焼打ち事件を報じた1920年10月4日付の「東京朝日新聞」の紙面です。
 もちろん日本側の謀略の疑い云々が書かれているわけはなく、読者は記事をそのまま事実として受けとめるでしょう。しかし、現在のわれわれは張作霖爆殺事件も柳条湖事件も謀略だったことを知っています。そしてもしかすると上海日本人僧侶襲撃事件(→ウィキペディア)も・・・。そうしたことも考えると私ヌルボ、今のところ琿春事件の謀略説は否定しきれません。
 一方、上の新聞紙面の上に釜山警察署爆弾テロ事件の記事があります。このシリーズの1つ前の記事(→コチラ)で少し書いた義烈団の団員による事件です。この事件について、朴泰遠(パク・テウォンが金元鳳から話を聞いて書いたという「金若山と義烈団」には警察署長はまもなく絶命したとありますが、この新聞記事によると「右膝に擦過傷」と全然違っています。どうもこれは新聞の方が正しいように思われます。
 現代でもメディアリテラシーの重要性は高まるばかりです。新聞の場合でも、取材の不備が誤報を招いたり、記者の願望や読者への迎合が真実を歪めたりということは今もしばしばあり、あるいは政治権力等が政治的意図によって虚偽のニュースを流したり、あるいはメディア自体が特定の方向に国民を扇動したりといったことも過去にあったし・・・。もちろん、昔の新聞を読む時にも細心の注意が必要ということです。

 間島方面での抗日独立運動関係では、文字資料の他に写真資料もいろいろありました。たとえば下の写真。

 これは黒羽清隆・梶村秀樹「日本の侵略・中国/朝鮮 写真記録」(ほるぷ出版)に載っているもので、「処刑される間島の朝鮮人」と下に書かれています。こういう写真も、いつどこで、どういう状況の中で撮られたものか不明確なものは要注意ですが、少なくともどこかこういう所で、このようにして殺された人たちがいたということは確かと思われます。

 いろいろ書き連ねましたが、最初に戻ってアン・オギュン(チョン・ジヒョン)の「火で焼かれ釜で茹でられ・・・。27日間で3469人が虐殺されました。・・・私の母も殺されましたが私は生き残りました。」というセリフについて。私ヌルボ自身の今の所の判断は、「釜で茹でられ」とか「3469人が虐殺」とかについての信憑性については疑問があるものの、多くの家や学校等が日本軍によって焼かれたり、多数の朝鮮人が殺され、その中には単に家の中から抗日のビラが見つかった程度のことでその場で殺された人も相当数いたのは事実なのでは、と思います。そして、そういった程度でも、個人的には高校の歴史でも同時期のシベリア出兵とともに(関連づけて)教えるべきレベルの出来事ではないでしょうか?

 また、韓国の側に対しても、専門家の間でも見解の分かれるこのような問題についてまぎれもない<史実>として映画で描き、それを観客が観てそのまま受けとめることでますます<史実>として固定化されていってしまうことに懸念を覚えます。この件にかぎらず、日韓の歴史教育のあり方や、ドラマや映画での歴史の描き方がますます双方の歴史認識の差を広げてしまっているようです。

 ※右は延辺人民出版社で刊行された「朝鮮族簡史」の翻訳本の「抗日朝鮮義勇軍の真相」(新人物往来社)。中国東北部で展開された抗日運動を清朝の頃の前史から第2次大戦の終わり頃までのスパンで叙述した本で、韓国の抗日運動史では少ししか(or全然)扱われない左翼系による闘争についてもいろいろ書かれています。
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団

2016-10-20 14:04:29 | 韓国映画(&その他の映画)
<多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ)>
 → ①<進歩系>映画と<保守系>映画
 → ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
 → ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間

 このシリーズの前記事から1ヵ月近く立ってしまいました。初回からは4ヵ月。やれやれ。

 さて、前回の記事ではこの映画「暗殺」に登場する歴史上の人物2人のうち、まず韓国では100%に近い人が知っている金九(キム・グ)のことを書きました。
 今回はもう1人の金元鳳(キム・ウォンボン.김원봉)について、です。金九に比べると、知名度ははるかに低い、いや桁違いに低いと言っても過言ではないほどです。(その理由は後述。)

    
 上左は映画「暗殺」中の金元鳳(チョ・スンウ)。右は実際の金元鳳の写真。なかなか魅力的な風貌ではないですか。

 今回はいつもとは違って、金元鳳がどんな人物なのか、最初から要点をかいつまんで書くことにします。
 とりあえず一言で言うと、彼は抗日テロ組織「義烈団の首領」です。

 以下、彼の生涯を4つの時期に分けてたどっていきます。

[1]10代から武器(爆弾と銃器)による抗日闘争に傾注。

〇1898年密陽で生まれる。
 ※「暗殺」の中でも「密陽の人、金元鳳です」と名乗っている。(字幕では略されているけど・・・。)
〇1910年韓国併合の時、在学していた中学の校長の感化を受けて抗日の気概を抱き、その中学が日帝により閉鎖された後は市街地から離れた表忠寺で1年間生活して「孫子」「呉子」等の兵書を読む。
〇1916年軍事学を学ぶため天津にあるドイツ人経営の徳華学校に入学。

[2]義烈団を創設し、1920年代半ばまで数々の爆弾テロ事件を起こす。

〇1919年パリ講和会議に際し日本の全権西園寺公望の暗殺を謀り旧知の金鉄城を送り込むが穏健派の朝鮮人に武器弾薬を盗まれ未遂に終わる。三一独立運動が勃発したことを中国・済南で知るが、独立宣言書に失望。(武力抗争を伴わなかったため。)

〇同年6~9月西間島の新興武官学校で爆弾製造法等を学ぶ。(※<速射砲>ことチュ・サンオク(チョ・ジヌン)はこの学校出身。
〇同年11月吉林城巴虎門外で13人により義烈団を創設し、団長となる。
〇1920~26年義烈団の団員により次のような事件を起こす。
 ・釜山警察署爆弾事件(1920年9月)・密陽警察署爆弾事件(1920年11月)・朝鮮総督府爆弾事件(1921年9月)・上海黄浦灘事件[陸軍大将田中義一暗殺未遂](1922年3月)・鍾路警察署爆弾事件及び都心(1923年1月)・東京二重橋爆弾事件(1924年1月)・北京スパイ暗殺事件[1](1925年3月)・東洋拓殖会社・殖産銀行襲撃事件(1926年12月)

 ☆ここまでの金元鳳の前半生については、越北作家の朴泰遠(パク・テウォン)「金若山と義烈団」(皓星社.1980.→右画像)に詳述されています。この本によると、義烈団が企図した事件は上掲の事件だけでなく、創設以来1925年までの7年間に数百の事件を計画したとのことです。

[3]本格的な軍事組織確立をめざす。左翼勢力との提携を進める。

〇1926年黄浦軍官学校に入学。上記のような暗殺や破壊活動を続けても独立を勝ち取ることはできず、また民衆を覚醒させることもできなかった、と悟った彼は、本格的な軍事組織結成のための第一歩として選んだ道がこの軍官学校への入学だった。

 ★映画「暗殺」の誤り(その1)
  
つまり金元鳳は1920年代半ばにはすでに爆弾テロの限界を悟っていた。事実1926年に東洋拓殖会社爆破事件以来義烈団は実質的に活動をしていない。映画に描かれた暗殺作戦は1933年なので年代がずれている。


〇1920年代後半からは中国国民党政府(蒋介石)と中国共産党の両方とも手を結んだ。1929年にはソ連のコミンテルンからも支援を受けた。
〇1932年朝鮮革命幹部学校を開設。1935年には独立運動団体5つを合わせて民族革命党を作った。
〇1938年軍事組織の朝鮮義勇隊を結成し中国国民党と連携して活動。
〇1939年民族革命党の臨時政府合流を決め、朝鮮義勇隊の主力軍は光復軍に編入された。〇1940年代金元鳳は光復軍副司令官を経て、臨時政府軍務部長に就任した。
   
【1944年当時の大韓民国臨時政府組織図。軍務部長に金元鳳(朝鮮民族革命党)の名がある。(白凡記念館) 】

 ★映画「暗殺」の誤り(その2)
  映画の最初の方で金九と金元鳳が親しく言葉を交わして連帯意識を示す場面があるが、実際の20〜30年代は強固な反共主義者金九と、左翼勢力のシンパともいえる金元鳳との間は相当に深刻な状態だった。金元鳳が臨時政府の軍務部長に就任した等々も、積極的な協力というよりは日本という巨大な敵の前の呉越同舟体制に過ぎなかった。


[4]戦後は南北統一を目指すも結局は越北し要職に就くが、粛清の嵐の中で自殺?

〇光復(終戦)後臨時政府の要人たちと共に帰国。1945年9月朝鮮人民共和国の軍事副将に選任される。(朝鮮人民共和国は日の目を見ることはなかったが。)
1946年2月民族主義民族戦線の共同議長に推戴された。
〇1947年3月南朝鮮労働党が主導したゼネストに関連して「親日」警察として有名だった盧徳述(ノ・トクスル.映画「暗殺」のヨム・ソクチン(イ・ジョンジェ)のモデルの1人?)に逮捕され、拷問された。
〇1948年、南北分断を避けたい彼は金九等と共に北朝鮮に赴いて全朝鮮諸政党社会団体代表者連席会議に参加したが、会議が成果もなく終わるとそのまま北朝鮮に残り、朝鮮民主主義人民共和国政府樹立に参加した。
〇1948年9月北朝鮮政権が樹立されると、国家検閲相に任命された。以後労働相、朝鮮労働党中央委員会中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長等の高い地位を歴任した。
〇1958年誕生60周年を記念して北朝鮮政権から労働勲章を授与された。しかし南労党派・延安派が粛清された時に失脚し、その直後に死亡した。青酸カリを飲んで自殺したとの説も流れる中、死亡した時期や経緯も知られていない。
〇密陽に残された金元鳳の家族たちも「パルゲンイ(=アカ)」の家族として迫害され、兄弟4人は朝鮮戦争の時の保導連盟虐殺事件(→ウィキペディア)で処刑された。

 義烈団以来、部下や仲間たちが数多く死んでいった中、日帝からは最高額の懸賞金が懸けられたという彼が光復の時まで生き延びたのは非常に幸運だったといえるでしょう。しかしそんな彼がその後同じ朝鮮人に逮捕され拷問を受けたり、さらには自ら選んで行った北朝鮮で排斥され死に追いやられたとはなんと皮肉なことか・・・

《付記》 「越北人士」の金元鳳は韓国で長く無視されてきたが、映画「暗殺」を機に地元密陽でも注目
 
 冒頭で、「韓国では金元鳳の知名度は低い」と書きました。上述のように、独立運動家であっても左翼系の人物であれば無視され、歴史教科書にも載らなかったからです。
 私ヌルボも、この金元鳳のことを知ったのは、昨夏の歴史教科書国定化をめぐる問題が大きく取沙汰される中でのニュース記事に出てきてからです。
 たとえば→コチラの東亜日報(日本語版)の柳寛順金元鳳という見出しの社説。主旨は「近年歴史教科書は左派寄りのイデオロギーにより偏向している」というもので、その例として日本でもわりと知られている三一独立運動の際捕らわれて獄死した<朝鮮のジャンヌ・ダルク>柳寛順が教科書8種のうち4種に止まっているのに対し、金元鳳はすべての教科書で扱われていることがあげられています。記事によると、歴史学界では「柳寛順は梨花学堂出身の親日人物が発掘して英雄に仕立てたため教科書に記していない」のだそうです。一方金元鳳はというと「1948年北朝鮮に渡って、北朝鮮で労働相や最高人民会議代議員などの要職を歴任した人物」。つまり<親日>を厳しく糾弾し、北朝鮮に寛容な左派寄りの内容というわけです。同様のニュースは新聞だけでなく、TVでも取り上げられました。

    
 上左は東亜日報の記事より。右はTV朝鮮のニュース映像。画面下のテロップは「‘柳寛順より金元鳳’・・・教科書偏向論議」です。
 ※シリーズ最初の記事で書いたように、東亜日報もTV朝鮮(朝鮮日報の系列)も保守系の代表メディアで、とてもわかりやすい図式です。
 ・・・というわけで、金元鳳はこれまで韓国人の間でも柳寛順に比べると知名度ははるかに低い人物でした。いや、この映画「暗殺」によってはじめて知ったという人が大半のようです。韓国のQ&Aサイトを見ると「金元鳳ってどんな人ですか?」という質問もあるほど。また→コチラの京郷新聞の記事(韓国語)は、彼について年譜付きの詳しい内容で参考になりましたが、その見出しは「映画「暗殺」で再び注目されている若山金元鳳」です。※「若山(ヤクサン)は金元鳳の号。
 「反共」が国是とされ、パルゲンイが絶対悪とされた1980年代頃までと違って、90年代以降は主に左派系勢力によって「親日派の清算」を求める声が強まりましたが、そんな風潮が金元鳳に対する評価の逆転に相応しているというわけです。
 彼の生地密陽でも、少し前まではほとんど知る人もいなかった彼の生家跡一帯は、他の抗日義士の遺跡とともに「ヘチョン抗日運動テーマ街(해천항일운동테마거리)と名付けられて整備が進められているようです。
 ※下の画像参照。あるいは→コチラの記事(韓国語)にたくさん写真が載っています。

  
【金元鳳の生家跡(左)と、ヘチョン抗日運動テーマ街の案内図(右)】

【ヘチョン抗日運動テーマ街には、このような壁画がいくつもある。】

 このシリーズはあと1回続きます。

 → ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間

2016-09-23 19:50:42 | 韓国映画(&その他の映画)
 → 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ①<進歩系>映画と<保守系>映画
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 → 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)

 前回の記事から3ヵ月以上も経ってしまいました。なんと言うか、・・・なんとも言えません。じつは、このシリーズの本論というべき部分はここからなんですけどね。つまり今までは序論。(←なんてこった!) まあその、今回のテーマ自体がむずかしくて・・・(汗)

 で、今回のテーマの<史実>と<虚構>の間なんですが、映画では巧く「接ぎ木」されているわけだから、ふつうの韓国人でも見分けがつかない点が多々あります。いや、それよりも映像化されると、なんとなくフィクション部分も事実と思われそうなので、それが心配
 
 てなわけで、一応わかりやすいところで、主な登場人物が実在する人物か否かについて。

 まず、チョン・ジヒョンハ・ジョンウイ・ジョンジェ等の人気俳優が演じた登場人物は皆架空の人物、イ・ジョンジェが扮したヨム・ソクチンという人物は廉東振(ヨム・ドンジン.1902〜50)(→ウィキペディア)がモデルという話が・・・。名前も似てるし、そういうことでしょう。経歴等は重なる点もある程度かな?
 
 1911年の冒頭シーンで登場する寺内正毅はもちろん初代朝鮮総督。そして李完用は朝鮮を日本に売った親日派、というよりも第1の売国奴!として有名。またこのシーンの舞台のソンタクホテル(Sontag Hotel.손탁호텔)(右画像)も徳寿宮の裏手(西)に実在したホテル。
 ※このホテルの名は支配人のドイツ人女性アントニット・ゾンタクの名前から命名。彼女は閔妃(明成皇后)・高宗と密接な関係があり、露館播遷を仕切ったりもした人物で、このホテルも高宗の力添えで1902年建てられたが1923年に撤去し新築。しかし朝鮮戦争で焼失した。
 ・・・というわけで、人物と建築物は実在。でも冒頭シーンで展開される<活劇>はフィクションです。
 またこのシーンで「この映画では李完用が流暢に日本語を話すが、実際の李完用は日本語があまりできなくて、常に通訳に依存しなければならなかった。ただし英語は非常に流暢で、日本の官僚とはだいたい英語で会話したという」と指摘しているのは<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)。

 登場する歴史上の人物で、一番知られている人物が金九。李承晩が批判されてアメリカに戻った後の大韓民国臨時政府のリーダー。(1940~47年は主席。)
 私ヌルボ、今年6月に龍山からわりと近い孝昌(ヒョチャン)公園に行ってきました。
 公園の入口付近の横断幕を見ると・・・。
 「孝昌公園に誰がいらっしゃるかご存知ですか? 大韓民国国民なら知っていなければなりません!」と記されています。
 公園内には金九だけでなく、李奉昌(イ・ポンチャン)等、他の独立義士たちの墓もあります。
 そしてこの建物は・・・。
 金九についての資料・事蹟等を展示している白凡記念館。おりしも校外学習で見学に訪れた女子高の生徒たちが10時の開館を待っていました。(「白凡(ペクボム)」は金九の号。)

 映画の最初の方で、その金九の登場シーンがあります。1933年、場所は中国の杭州。なぜ杭州なのかというと、1919年上海で結成された臨時政府は、満州事変以降の日本の侵略によって32年以降は光復(終戦)時の重慶まで各地を転々としていて、32~35年は杭州にあったから。
       
 白凡記念館の階段。これによると1933年に嘉興に移っていますが・・・。
 そして、この杭州のシーンで金九と話をしている人物が金元鳳(キム・ウォンボン.김원봉)。(特別出演のチョ・スンウが儲け役!)
 おー、彼こそがこの記事のメイン!・・・のはずだったのに、もう字数が・・・。

 ということで、金元鳳については次の記事に回すことにします。ふー。
 その代わりに、上述の<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)と、→コチラ)の韓国記事に書かれていたこの映画と史実をめぐるトリビアの主なものを列挙しておきます。

○チョン・ジヒョン等の話す言葉が現代口語で、植民地時代に合っていない
○上記の冒頭の<活劇>シーンと一応ダブるのは、1910年12月27日、安重根のいとこの安明根(アン・ミョングン)寺内正毅総督暗殺を計画したが事前に発覚し逮捕された事件。つまりあんな<活劇>はなかった。
○満州韓国独立軍の駐屯地でのアン・オギュン(チョン・ジヒョン)の服が新品のようにキレイすぎ、飢えていた痕跡もない。また独立軍は1921年6月の自由市惨変(→ウィキペディア)で壊滅し、東北抗日聯軍(→ウィキペディア)も1936年中国共産党の指導の下に結成されたことを勘案すれば、中隊レベル(140人程度)が満州に駐屯することも難しい。とても日本軍と交戦をする状況ではなかった
○アンオギュンたち3人が記念写真を撮った場面で壁にかかっていた太極旗は光復以降の太極旗で、当時のものではない。
○アン・オギュンたち3人が京城駅に到着した時。午後6時の時報とともに国旗(日章旗)下降式を行うといったことはなかった。(「国際市場で逢いましょう」の1場面を想起させる。) 駅構内の放送が不自然、というか、当時はそのような放送設備はなかったはず。また京城駅駅名の英字表記がKEIZYOとなっているが、日本の駅名表示方式(ヘボン式)ではKEIJÔが正しい。
○三一独立運動の時はわからないが、1930年代に日本の軍人が京城の街中で民間人を即決銃殺する場面は論外。いくら日本軍人でも殺人罪で処罰されるだろう。
関東軍の旭日旗が陸軍ではなく海軍の旭日旗になっている。
○いくら輸入車が多かったにしても、すべての車両が左ハンドルというのは問題。日本軍のトラックまで左ハンドルということはないだろう。


 ・・・いやー、細かなところまでチェックを入れる人は日韓ともにけっこういるものです。旭日旗の陸軍と海軍の違いなんて、日本人のどれくらいが知っているのだろう? あ、ヌルボのサークル仲間諸氏は知ってそうだな。

 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
 → ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
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「仁川上陸作戦」等々、朴槿恵大統領の映画鑑賞記録  趣味というより、明確な‘政治パフォーマンス’

2016-08-26 19:22:00 | 韓国映画(&その他の映画)
 打ち続くパソコンの不調にもめげずに続けてブログ記事をアップするぞと思ったら保存したはずの数時間分の文章が丸ごと消えている!(涙) まあ「フランス革命史」の原稿を不注意で燃やされてしまったカーライルのことを思えば取るに足りないことでございます、とほほ。・・・というわけで、予定の記事が大幅に遅れてしまいました。

 2015年韓国では1人当たり平均して年間4.22回映画館に行って映画を観たそうで、この数字は世界で最高レベルとのことです。日本は映画文化最盛期の1958年には年間平均12.3回という信じられないような数字でしたが、TV時代の到来とともに激減し、今はその10分の1に届くかどうかという程度。つまり韓国の4分の1といったところです。
 しかし韓国人の皆が皆映画好きというわけでもありません。私ヌルボの知り合いのYさんは韓国映像資料院(&映画館)と同じ建物内にオフィスがあるのに「映画は観ません」と言うので、「せっかく宝の山の中にいるのに・・・」と「今昔物語集」の貪欲な受領のような感想を口にしたことがありました。(・・・って、たとえが意味不明か?)

 では朴槿恵大統領の場合は?と思ってちょっと調べてみました。直近では8月20日に今夏の韓国の大ヒット作中の1つ「仁川上陸作戦」を観覧したことが報じられました。・・・というか、それがこの記事のキッカケ。
 テニスをやったりピアノを弾いたり(←自宅にハンブルク製のスタインウェイがある)、また国仙道(ククソンド=韓国独自の道教系の武術)は素人のレベルを超えるという趣味を持つ朴槿恵ですが、映画はその中にはないようです。しかしたまに映画を観に行くと今回のように報道されるので、少なくとも大統領就任後の映画鑑賞記録はわかります。
 以下、就任直前も含めて時系列でまとめてみました。

[前史その1]
○2008年5月27日「クロッシング」 ※参照→<輝国山人のHP>
 李明博大統領の就任3ヵ月後、ハンナラ党の陣永(チン・ヨン)議員の主催により国会議員会館で開かれた試写会で上映。朴槿恵ハンナラ党元代表等与党ハンナラ党の主要メンバーだけでなく、野党の統合民主党議員も参加した。またホン・ヤンホ統一部次官や、北朝鮮関係の人権団体関係者、そしてキム・テギュン監督、300人の脱北者も共に観覧した。
[作品概要] 北朝鮮の元サッカー選手で、炭鉱労働者のキム・ヨンス(チャ・インピョ)は、妻ヨンと11歳の息子ジュニとの3人家族。ところが妊娠中のヨンハが肺結核で倒れてしまい、薬を入手するためヨンスは国境を越えて中国へ。薬の費用を稼ごうと森林伐採の仕事に就くが不法労働が発覚し公安に追われる身となった時に、北朝鮮の実情を話せばお金を得られるという話を聞いてインタビューに応じ、それを契機に脱北して韓国に入国することになる。その間妻は息を引き取り、孤児になった息子は国境の川を目指すが失敗、強制収容所で過酷な日々を過ごすことになる。韓国に到着したヨンスはすぐに息子捜しを依頼し、仲介者によって息子はモンゴル方面への脱出を果たしたとの情報がもたらされるが・・・。
[ヌルボの一言] 脱北者と北朝鮮人権活動家たちは泣きながら映画を観ていたそうで、朴槿恵元代表もヨンス父子が電話でお互いを確認する場面からハンカチで涙を拭い始め、最後まで涙を流していたとのこと。(ヌルボもよーくわかります(涙)。なお、試写会の運営委員長は脱北者で朝鮮日報記者の姜哲煥(カン・チョルハン)氏で、「今まで北朝鮮を素材で作られた韓国映画の中で最も北の実状に近い作品で、あえて勧めるまでもないほどよく作られている」との感想を述べています。
 韓国では北朝鮮の人権問題に関心を示すのは保守陣営側です。2012年2~3月脱北者24人が中国公安当局に逮捕されるということがあり、彼らの北朝鮮への強制送還反対運動が韓国で高まったことがありました。その時この映画で主演したチャ・インピョも抗議デモに参加しましたが、インタビュアーに「なぜ進歩系人士のはずのあなたがこういうデモに?」と問われたとか。彼は「このような人権問題に、進歩だ保守だというような政治的・思想的な違いはない」としごままっとうに答えたそうです。※本ブログの関連記事→コチラや→コチラ等。

[前史その2]
○2012年11月12日「南営洞1985」  ※邦題は「南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~」。 参照→<輝国山人のHP>
 大統領選挙の1ヵ月前に江南メガボックスCOEXで開かれたVIP試写会で上映。民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)、無所属の安哲秀(アン・チョルス)、統合進歩党の李正姫(イ・ジョンヒ)、進歩正義党の沈相奵(シム・サンジョン)といった野党の大統領選挙候補がこぞって参加したが、セヌリ党の朴槿恵候補は参加しなかった。
[作品概要] 全斗煥の軍事独裁政権下の1985年9月。民主化運動家キム・ジョンテは、彼をかねてからマークしていた公安警察に逮捕され、南営洞にある治安本部対共分室に連行される。そこで22日間にわたり想像を絶するほどの残酷な拷問を受ける・・・。
 2011年12月死去した金槿泰(キム・グンテ)民主統合党常任顧問の自伝的手記「南営洞」を原作にした作品。彼は1985年民主化運動青年連合(民青連)事件で拘束され、この映画に描かれたような過酷な拷問を受けた。後に国会議員になり、盧武鉉政権では保健福祉部長官を務めたが、拷問の後遺症によりパーキンソン氏病を病み、64歳で世を去った。
[ヌルボの一言] 2014年5月に渋谷のアップリンクで鑑賞。歴然たる反朴正煕・反全斗煥・反保守政権の映画なので、反朴槿恵候補が来るわけはないですね。ケン・ローチ監督「ルート・アイリッシュ」等でも見た濡れタオルで顔を覆い、その上から水をかける拷問がこの映画でも出てきました。<ウォーターボーディング>という歴史ある拷問方法だそうです。拷問専門技術者を演じた準主役のイ・ギョンヨンの存在感が印象に残りました。

①2014年1月29日「ナッツ・ジョブ(The Nut Job:ピーナツどろぼうたち)」 ※日本公開ナシ
 制定後初の<文化がある日(문화가 있는 날)>に、ソウルの大韓劇場で招待された児童・青少年160人余りと一緒に観覧。会場には、キム・ドンホ文化隆盛委員長、ユ・ジンニョン文化体育観光部長官の他、青少年歌手の楽童ミュージシャン、俳優のイ・グァンス等も姿を見せた。
 ※<文化がある日>は、毎月最後の水曜日に全国の映画館・劇場・美術館等の文化施設や野球・サッカー等の競技場の入場料を無料or割引にして、子供をはじめとする多くの国民が文化生活を享受できるように文化隆盛委員会と文化体育観光部が施行された制度。
[作品概要] 韓国産3Dアニメ(コメディ?)。主人公はリスのサーリー。ずる賢こくて仲間たちから迷惑がられて公園から追放され都心部へ。ついて来たのは親友のネズミのバーディ。空腹に堪えられず2人はピーナツ店に忍び込むが、実はそこは銀行強盗たちの隠れ家で・・・、というお話。「中央日報」の記事(→コチラ)によると、この少し前に北米全域で公開され、韓国映画としては過去最高の興行記録を更新しているとか・・・。
[ヌルボの一言] 前年に朴槿恵が主宰した貿易投資振興会の場で、この映画の製作会社から「良い作品を作ったが、マーケティングの資金が足りなくて・・・」という話を聞いて政府と金融機関が積極的に支援することになった、という経緯があったとのこと。大統領は「私にも格別な愛情が行くような作品」とそんな縁を紹介するとともに、「今後も良い作品やアイデアがあれば、このように輸出されて世界の人々に愛され、韓国の文化芸術の力量を発揮できるので、積極的に支援していきます」と強調しています。・・・ということで、子供のことよりも<輸出コンテンツ>として・・・という意図が明明白白。

②2014年8月6日「鳴梁」 ※邦題は「バトル・オーシャン 海上決戦」で、劇場公開はなくDVDのみ。参照→<輝国山人のHP>
 とくに事前の予告もなく汝矣島(ヨイド)の映画館で秘書室長等の側近の他、キム・ドンホ文化隆盛委員長、国民的俳優アン・ソンギ等と共に鑑賞。朴槿恵大統領の本作品について、大統領府報道官は「国が危機を迎えたときに官民軍が合同して危機を克服し、国論を結集した精神を鼓吹し、経済の活性化と国家革新を一斉に推進しようという意味がある」と語り、「セウォル号沈没事故の後、低迷の沼に陥った韓国社会を再起させるリーダーシップを見せる」と説明した。
[作品概要] 壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で水軍を率いて日本軍と戦った韓国の英雄・李舜臣を主人公とした時代劇。年齢層を問わずに受け入れられ、観客動員数1761万人は外国映画も含めて韓国で上映された作品中1位という大ヒット作。新聞各紙の社説にも取り上げられたが、キーワードは‘リーダーシップ’。「東亜日報(日本語版)」(→コチラ)は「セウォル号惨事で各界の指導者の無責任さと無能力さを目の当たりにした後なので、一層感動的だったのかも知れない」と記している。「鳴梁」ブームは政界にも及び、与野党の政治家たちも多数鑑賞した。(参考→「聯合ニュース(日本語版)」)
[ヌルボの一言] 2014年8月鍾路3街のロッテシネマピカデリーで鑑賞。といっても聴き取り能力不足でセリフの半分以上はわからず。日本語版DVDは観ていません。韓国人と日本人で善悪を分けているような描き方はしていないし、日本で小規模でも一般公開してほしかったですね。

③2015年1月28日「国際市場」  ※邦題は「国際市場で逢いましょう」。 参照→<輝国山人のHP>
 この年最初の<文化がある日>にキム・ジョンドク文化観光部長官、キム・セフン韓国映画振興院長、そしてユン・ジェグン監督と出演俳優ファン・ジョンミンキム・ユンジンオ・ダルス等と鑑賞。
[作品概要] 朝鮮戦争から現代まで家族のために働き続けたドクス(ファン・ジョンミン)の人生を韓国の現代史を背景に描いた作品で、これも1425万人と「鳴梁」に続いて歴代2位の観客動員数を記録している。
 冒頭、朝鮮戦争中の1951年1月北朝鮮の興南(フンナム)埠頭から撤収する人混みの中でドクスは父と妹を見失う。(→参考過去記事。)
その後、貧しい暮らしの中で父に代わって母や弟妹の面倒を見ながら、60年代以降はドイツに炭鉱労働者として出稼ぎに行き(そこで看護婦だった韓国人女性と結婚)、次にはベトナム戦争に従軍し・・・というドクスの人生は同世代の韓国人を象徴するような人物。とくに彼が妻に送った手紙の中の「苦労したのが自分でよかった、子どもたちじゃなくてよかった」というくだりは多くの人の共感と涙をよび起した。
 ※会場には、ドイツに派遣された鉱夫と看護師、離散家族等も招待を受け参席していた。
[ヌルボの一言] 2015年5月シネマート新宿で鑑賞。いろいろ韓国現代史の知識を得たのは収穫。一方、主に進歩陣営の側から出されたこの作品の‘歴史認識’に対する厳しい批判もよくわかります。李承晩政権を倒した4.19学生革命も朴正煕による5.16クーデターも、1980年の5.18光州民主化運動やそれに続く民主化闘争等々も全然描かれず。ちょっと政治的シーン(?)といえば、夫婦喧嘩を中止して定時の国旗下降式に拝礼する場面(右画像)くらい(朴正煕時代)。監督は「<意識して>政治性を排除した」とのことですが、いくら庶民目線とは言ってもこのような歴史的に大きな出来事まですっぽり抜けているのはやっぱ不自然。
【ファン・ジョンミンが朴大統領、ユン・ジェギュン監督とスマホで自撮りしている。「韓国日報」の記事より。】

④2016年5月5日「太陽の下」  ※日本では「太陽の下で -真実の北朝鮮-」という邦題で2017年新春公開される予定。
 子供の日(日本と同日)にソウル市内の劇場で、国家有功者や脱北者家族たちと観覧。朴大統領は、映画を鑑賞した後、「子供の日を迎え、夢を失い困難な中を生きていく北朝鮮の子供たちを私たちが抱いて守らなければならないということを重ねて痛感しました。それとともに、北朝鮮が核開発を放棄して、住民や子供たちの生活を守るようにするきっかけになればいい。国民の皆さんにも観覧をお勧めしまします」と語った。
[作品概要] 北朝鮮の8歳の女の子ジンミとその家族の日常についてのドキュメンタリー映画を撮るはずだったロシア人監督が、北朝鮮当局の露骨な<演出>に気づき、方針を変更して密かにカメラの録画スイッチを入れたまま放置し、その<ヤラセ>の実態を暴露する内容に作り替えた作品。
 ※この作品については、本ブログの記事<北朝鮮の女の子の日常ではなく、北朝鮮当局の「ヤラセ」を暴露してしまったドキュメンタリー「太陽の下」>(→コチラ)でも紹介。またNHKでも5月12日この作品の内容と、朴大統領が観覧したこと等をかなり詳しく報じている。(参照→<NHKBS1ワールドウォッチング>の記事。)
[ヌルボの一言] 国内の大事故や、自国にとって都合の悪い海外記事などは一切報道しない等々、真実を隠して外面だけは美しく取り繕うという北朝鮮の姿勢はよく知られていることなので、内容的にはとくに驚くようなことはなさそう。平壌からして外向けのショーウィンドーのような都市だし・・・。「実際の」人々の生活のようすはもちろん、撮影場所のアパートとか諸施設も地方に行けばどんなものか、ということまで知りたいものです。もちろん、来年の日本上映には行きますが・・・。

⑤2016年8月20日「仁川上陸作戦」
 ソウル市内龍山区の映画館で、首席秘書官や大統領官邸スタッフ等とCJグループのソン・ギョンシク会長の案内により鑑賞。大統領府は「朴大統領がこの作品を鑑賞したのは、累卵の危機にあって祖国のために献身した護国の英雄たちの精神を今一度振り返り、最近の北朝鮮の核の脅威など安全保障上の問題をめぐって韓国国民が分裂せず、団結して危機を克服すべきだという確固たる信念を反映したもの」と説明した。
[作品概要] 1950年6月25日北朝鮮の突然の南侵で始まった朝鮮戦争の局面を一変させた仁川上陸作戦を、その計画段階から描いたドラマ。開戦後1ヵ月で釜山方面を除くほぼ全域を奪われ、韓国存亡の危機に直面した状況下、国連軍最高司令官マッカーサー(リーアム・ニーソン)は至難な作戦を周囲の反対を押し切って推進する。彼の指示で対北朝鮮諜報作戦に投入された海軍諜報部隊大尉チャン・ハクス(イ・ジョンジェ)は北朝鮮軍に偽装し仁川に入って情報を収集し始めるが、北朝鮮軍の仁川防御司令官リム・ギェジン(イ・ボムス)によって正体がばれそうになる危機の中で、ハクスとその部隊員たちは仁川上陸艦隊を誘導する危険な任務にあたる・・・。
[ヌルボの一言]
 「釜山行き」「徳恵翁主」「トンネル」とともに今夏韓国で観客動員500万人以上を突破した大ヒット4作品中の1つ。その中で「朴槿恵大統領が観た映画は?」と問われれば少し韓国事情を知っている人であればニュースを知らなくてもこの作品と即答できるでしょう。
 「聯合ニュース」の記事(→コチラ)によると朴大統領は映画観覧前々日の18日には本作品の舞台になった仁川・月尾公園を訪れ、マッカーサー将軍が最初に降り立ったグリーンビーチ、当時の砲火に耐えた平和の木、韓国海軍諜報部隊の英霊を慰める忠魂党等を回り、公園の展望台からは仁川港、八尾島灯台、松島新都市などを眺めたそうです。(右画像。) そして「<護国報勲の精神>と<国内観光の活性化>を強調」というのが非常にわかりやすい政治的メッセージ。
 なお、「中央日報(日本語版)」(→コチラ)によれば、8月20日青瓦台(大統領府)の公式ツイッターに「猛暑がピークを迎える今週末、皆さんも「仁川上陸作戦」を観覧してみてはいかがですか?」という書き込みが掲載されたが、これに対して「青瓦台が公式チャネルを通じて特定の商業映画をおおっぴらに広報してもかまわないのか」等の批判の声が出ているとか。たしかに、これはいかにもあからさまでしたね。
 ※ことのついで。青瓦台のツイッターは→コチラユーザー名はbluehousekoreaなんですね。
【青瓦台のツイッターにある大統領の「仁川上陸作戦」鑑賞と、‘問題の’カキコミ。】

《総括》
 記事冒頭で朴槿恵大統領の趣味のことなど書いてしまいましたが、考えるまでもなくぜ~んぜん関係なかったですね。大統領が映画を観るとなるとニュースになるし、当然政治的文脈で受けとめられます。したがって、大統領も政治的にいろいろ考えた上で映画を選定し、そこに招待する人たちを決め、自身のコメントの内容等々を練るわけで、趣味とは別次元の政治パフォーマンスなのです。
 そして朴槿恵大統領の場合、その政治的ねらいがとてもわかりやすいです。
 つまり①国防意識の醸成 ②「国民的一体感」の高揚 ③北朝鮮の否定的状況の周知 ・・・といったこと。
 とくに深く考察するまでもなくわかることなので、こんなにくだくだしく長々と書くような記事でもなかったですね。(すみません。)

 長くなりついでに、安倍晋三首相の映画鑑賞についてもちょっと調べてみました。
・2013年5月11日 東京・六本木でスピルバーグ監督「リンカーン」を鑑賞。
・2015年11月13日 トルコ共和国のエルドアン大統領とイスタンブールで「海難1890」鑑賞。
・2015年12月29日 東京・六本木の映画館で昭恵夫人と「杉原千畝 スギハラチウネ」を鑑賞。
・2015年12月31日 この日も六本木で昭恵夫人らと「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を鑑賞。
 日本のメディアがあまりこうしたネタを取り上げないのは、首相といってもプライベートな部分にはあまり立ち入らないという意識が韓国に比べると強いからかな?
 なお、<国民が知らない安倍総理の真実>というまとめ記事(→コチラ)には次のようなことが書かれています。(一部省略)
 「政権の行き詰まりで体調もすぐれないと見られていた時期、総理大臣には密かな楽しみがあった。 それは、深夜や休日に自宅リビングに家族を集め、 なんとスプラッター映画 を鑑賞することだったのである。秘書に命じて次から次へと過激な作品を買い集め、嫌がる家族を座らせて大音量で上映し、目をらんらんと輝かせていた姿は、その家族にも「もう限界だ」と思わせるものだった。」
 これは政治ではなく趣味の領域。いかにも安倍首相らしいですね(笑)・・・ってホンマかいな?
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2016年版 韓国の映画ファンが選んだ「好きな俳優」「演技力のある俳優」のベスト5

2016-07-05 19:41:13 | 韓国映画(&その他の映画)
 2011年7月の<韓国の映画ファンが選んだ「好きな俳優」「上手い俳優」「優れた監督」のベスト5を見て・・・・>(→コチラ)と、2014年5月の<2013年版 韓国の映画ファンが選んだ「好きな俳優」「上手い俳優」「優れた監督」のベスト10>(→コチラ)の後続記事です。2014年「朝鮮日報」の関係記事を探したものの見当たらなかったのですが、最近になって映画専門メディアのマックスムービーと「朝鮮日報」が共同主催して毎年この調査を続けていることを知りました。

 さて、この2016年版ですが、2015年5月~2016年4月の1年間で1回以上映画館での観覧経験のある観客を対象に5月9~15日メールアンケートを実施し、10,286人の観客の回答の結果をまとめたもの、とのことです。

  好きな俳優
男優   ※元記事は→コチラ
 1位 ファン・ジョンミン 13.7%
 2位 ソン・ガンホ     12.2%
 3位 ハ・ジョンウ     10.8%
 4位 カン・ドンウォン   6.1%
 5位 イ・ビョンホン    4.0% 
女優  ※元記事は→コチラ 
 1位 キム・ヘス     25.9%
 2位 チョン・ジヒョン   12.8%
 3位 チョン・ウヒ     11.5%
 4位 チョン・ドヨン     6.8%
 5位 ソン・イェジン    5.4%

  演技力がある俳優
男優  ※元記事は→コチラ
 1位 ソン・ガンホ     24.1%
 2位 ファン・ジョンミン  17.6%
 3位 チェ・ミンシク     8.6%
 4位 イ・ビョンホン     8.3%
 5位 ハ・ジョンウ      7.2%  
女優   ※元記事は→コチラ
 1位 キム・ヘス      25.5%
 2位 チョン・ドヨン     19.8%
 3位 チョン・ウヒ      12.6%
 4位 ユン・ヨジョン     4.7%
 5位 チョン・ジヒョン    4.3%  

 以下、私ヌルボの補足&感想。
 
 【好きな俳優】【演技力がある俳優】《男優》は、至極当然の顔ぶれ。中でもファン・ジョンミンは「国際市場」(2014)以後「ベテラン」(2015)・「ヒマラヤ」(2015)・「検事外伝」(2016)・「哭声」(2016)と驚異の連続大ヒットですからね。ハ・ジョンウの連続ヒットもファン・ジョンミンには及ばすといったところ。【好きな俳優】部門でトップを続けていたソン・ガンホもファン・ジョンミンにその座を奪われたとはいえ演技力は誰もが認めるところで、今回で3年連続1位。「王の運命-歴史を変えた八日間-」(原題:「思悼(サド)」では、英祖の<威厳ある王>と<息子の教育に悩む父>という両面をさすがの風格で演じていました。
 おなじみのイ・ビョンホンは「インサイダーズ/内部者たち」(2015)、カン・ドンウォンは「検事外伝」(2016)という大ヒット作が多くの映画ファンの印象に残ったのでしょうね。(前者は日本でも公開されましたが、おもしろかったにもかかわらずさほど話題にならなかったのが残念でした。)
 好きな俳優の6~10位は、6位がチョ・ジヌン。彼も2015年の「チャンス商会」「暗殺」、今年に入って「アガシ」等、注目作に続けて出演しています。続いてコン・ユ、チョン・ウソン。コン・ユは今年2月チョン・ドヨンと共演した「男と女」が公開されました。そして若手のユ・アインとソン・ジュンギ。ユ・アインは「ベテラン」、「王の運命-歴史を変えた八日間-」と続けて精神に変調をきたして目が泳いでいる若者を演じていました。その印象が強くて、ヌルボとしては5年前の「ワンドゥギ」の彼のことが思い出せません。(笑) ソン・ジュンギは今話題のドラマ「太陽の末裔」で人気沸騰のようですね。映画では今ファン・ジョンミンやソ・ジソプも出演する「軍艦島」の撮影中だそうです。(公開は2017年。) なお、チョ・ジヌンとユ・アインは演技力の部門でもベストテン入りしているようです。あとドラマ「未生」で注目されたイ・ソンミンも。

 《女優》では、両部門でトップ、それも他の追随を許さないほどのキム・ヘスの強さが目立っています。とくに【好きな俳優】部門では4年連続。ただ、私ヌルボは彼女の映画は「2階の悪党」等少ししか観てなく、あまり印象に残ってないのですが・・・。彼女は映画もさることながらドラマによく出ていて、とくに今年1~3月tvNで放映された「シグナル」は相当な人気だったようで、そこらへんがこの高順位の理由かも・・・。
 あいかわらずベテラン女優の名前が目につきますが、その筆頭は演技力がある俳優中のユン・ヨジョン先生。最近では日本でも最近公開された「チャンス商会 ~初恋を探して~」(2015)で堂々の主演。またホン・サンス監督の「今は正しいがその時は間違いだ」にも出演していました。
 チョン・ドヨン、ソン・イェジンと共に10年以上前からおなじみのチョン・ジヒョンは、2015年は何といっても「暗殺」のヒロインを演じて人気が再燃しましたね。
 そんな30代以上のベテラン女優がずらっと並ぶ中、例外ともいえる若手女優で両部門3位にランクインしたのがチョン・ウヒです。
 彼女に関するニュースで思い出すのが2014年12月の青龍映画賞の授賞式。「ハン・ゴンジュ 17歳の涙」というマイナーな映画に出演した彼女が‘破格中の破格’で女優主演賞を受賞し、「感激のあまり号泣!」したというもの。(→コチラ参照。)※右画像は韓国映像資料院の「ハン・ゴンジュ 17歳の涙」関係の展示物。今年に入ってからは「解語花」、「哭声」と注目作に相次いで出演し、1年余りの間にすっかりメジャーの人気女優になりましたね。
 なお、演技力がある俳優部門で昨年まで3年連続1位だったチョン・ドヨンは、昨年~今年は出演作の興行成績が伸びなかったことが響いたようだ、との分析です。

 キム・ヘスの突出した人気以外は総じて想定内の結果と言っていいでしょう。ただちょっと残念に思ったのは、人気監督の部門が探しても見当たらなかったことです。

★「朝鮮日報」の関連記事<韓国の映画館でも増える「お一人様」映画鑑賞>は→コチラ。上記のアンケート調査についても概観しています。
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)

2016-06-13 08:44:05 | 韓国映画(&その他の映画)
 → 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ①<進歩系>映画と<保守系>映画
 → 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている

 このシリーズの前回の記事では、この頃増えている日本統治期を背景とした作品を紹介しました。それからすでに20日も経ってしまい、その間、6月1日にはパク・チャヌク監督の「アガシ(お嬢さん)」が公開され、→コチラの記事が伝えるように「動員数200万人突破=R19映画では最短での新記録」と好スタートをきったそうです。

 では、なぜ日本の統治期を舞台とした韓国映画がこのところ目立って増えているのか?という「本論」にやっと入ることにします。
 最初にりあえず結論を提示しておくと、それはの時代に対する見方が近年変わってきていることの表れでは?ということ。
 私ヌルボがそう考えるようになったのは、たとえば次のような本からです。

        
 左は申明直「모단뽀이 경성을 거닐다(モダンボーイ 京城をぶらつく)」(2003)。副題は「만문만화로 보는 근대의 얼굴(漫文漫画で見る近代の顔)」で、1930年代の京城の世相風俗を、当時の新聞に掲載されていた安夕影(ソギョン)の漫文漫画を紹介した本です。
 ※夕影は号で、本名は安碩柱(アン・ソクチュ)。挿絵画家ばかりでなく、映画監督をしたり(「志願兵」という親日映画等を制作。→コチラ参照) 韓国でも北朝鮮でも歌われている「我々の願いは統一」の作詞者でもあります。
 ※この本の元となった著者の論文(日本語)は→コチラで読むことができます。
 この本は刊行された2003年韓国の読書界で話題になり、「朝鮮日報」の「今年の本10冊」にも選定されたそうです。
 私ヌルボがこの本のことを知ったのはその翌年くらいだったか? そして2005年にはもう翻訳書が東洋経済新報社から刊行されました。書名は「幻想と絶望 漫文漫画で読み説く日本統治時代の京城」です。
 この本の版元の惹句は次の通りです。
 当時の新聞に掲載されていた漫文漫画をもとに、近代文化が花開き、きらびやかだった1930年代の京城のありのままの姿を追う。暗黒の時代としての側面ばかりが語られてきた朝鮮近代史に風穴をあける新しい歴史観として韓国で話題になった書の待望の翻訳。
 この翻訳書の「訳者あとがき」で、古田富建さんは次のように記しています。

 韓国の現地高校に通った訳者(古田)の経験では、歴史の教科書で学んだりテレビドラマに描かれる植民地朝鮮の人びとの姿は、 「独立のために戦う独立運動家」か、日本にこびる忌むべき「親日派」、あるいは日本の憲兵に怯え、日本人に搾取されながら貧しい生活を強いられる民衆だった。
 特に、国定の歴史教科書では、「統治」対「抵抗」の二元的なパラダイムで執筆されていた。そのような歴史認識を持っていたせいか、この原書に触れた時、ものすごい「新鮮さ」を感じた。植民地という抑圧された苦しい時代状況の中でも、「モダン」を楽しみ、精一杯生きようとした当時の人間の「素顔」がそこに見られたからだ。


 私ヌルボが初めて(20年ほど前?)韓国の歴史教科書を見た時も同様の感想を持ちました。安重根と柳寛順以外は初めて名前を見る「独立闘士」の名前が何人も載っている一方、当時の町や村のようすや一般の朝鮮人の生活等については、土地や米の収奪、強制徴用、神社の参拝強制、日本語教育の強制等の否定すべき統治政策以外は全然描かれていないのです。

 ところが、21世紀に入って上掲の書籍の他にも、教科書には載っていない日本統治時代の姿がメディアでしばしば見られるようになりました。
 新聞では、2010年が韓国併合から100年ということもあって、その前年頃からとくに日本統治期についての企画記事がいくつも掲載されました。たとえば「東亜日報」では2009年10月から翌年2月まで<동아일보 속의 근대 100경(東亜日報の中の近代100景)>が連載されました。→コチラはその記事一覧ですが、独立運動関係や言論弾圧等の記事もある一方、ティールームとカビチャ(=コーヒー)の記事やラジオ汽車と鉄道駅「ひと夏のヴァカンス」といったさまざまな新しい文物を幅広く取り上げています。
 映画では、90年代にすでに「将軍の息子」(1990)「錦紅よ、錦紅よ」(1995)等がありましたが、今世紀に入ってからの作品を観てみると、「1942 奇談」(2007)(→コチラ)「ワンス・アポン・ア・タイム」(2008)(→コチラ「モダンボーイ」(2008)(→コチラ)等があります。またTVドラマでは「野人時代」(SBS.2002~03)「英雄時代」(MBC.2004~05)「京城スキャンダル」(KBS.2007)等があげられます。
 これらの映画やドラマの内容をみると、現代(ヒュンダイ)財閥創業者の鄭周永(ドラマではチョン・テサン)の一代記といった「英雄時代」以外はほとんど何らかの形で抗日を主要なファクターとして構成されています。しかし、背景の時代像は、日帝の支配という暗い部分に対して、京城の街の新風俗が対照的に描かれるようになってきています。
 たとえば、「京城スキャンダル」の公式サイトのイントロダクションを見てみると・・・。
 舞台は1930年代の京城(現在のソウル)。
  南北が1つであったこの頃の朝鮮は、大日本帝国の支配下にあった。自由を奪われ、しいたげられる民衆。
  しかし!一方で華やかな生活に身を任せるモダンボーイ&モダンガールたちがいた。
  朝鮮時代にはありえなかった自由恋愛の思想、次々に入ってくる舶来品、違法ダンスホールで繰り広げられる夜ごとのパーティー。
  まったく悲壮感の漂わない明るく軽快な植民地時代の物語。

  主人公ソヌ・ワンは京城一のプレイボーイ。一方のヒロインは革命に生きる独立運動家ナ・ヨギョン、そして泣く子も黙る高級妓生チャ・ソンジュ

 ・・・映画「モダンボーイ」とちょっと重なるところがありますね。タイトルからしてそんな<新風俗>を明確にウリにしているわけだし・・・。

 また、前にも引用した「中央日報」の記事(→コチラ)は、この時代を描いた映画が増えている理由の1つとして、「日帝強制占領期間が視覚的観点から魅力的だと見る人々も多い」と記しています。「その時期が民族的見解では日々怒りの押し寄せる屈辱の連続だったが、日帝が移植した近代文明によって都心に電車が通り、中折れ帽をかぶった紳士が街を闊歩するなど空間のビジュアル自体はロマンチックな要素があるということだ」と、やはり新風俗と抗日運動の対比というのが最近のこれらの映画の基本的構図というわけです。
 そして「暗殺」の場合はこの「視覚的な魅力」にこだわり、綿密な時代考証をふまえ、多額の費用をかけて当時の街や物を再現しました。「ハンギョレ」の記事(→コチラ)によると、「シャンデリア1個に5000万ウォン、リンカーンK等のクラシックカー購買・レンタルに4億ウォンなど、セットと衣装だけに35億ウォンを投じた」そうです。

    
 上の画像は私ヌルボが4月1日にソウルの映像資料院で開催中の企画展「<암살>, 1930년대 경성과 호흡하다(<暗殺>1930年代京城と呼吸する)」を見てきた時に撮った写真です。残念ながらリンカーンKはなかったものの、監督のこだわりを垣間見ることができることができる展示でした。当時の京城の地図の上に、映画に出てきた主な建物の位置が説明文とともに示されていて、真ん中の三越百貨店の画像もその1つです。また、映画の中で主人公の1人が初めてコーヒーを飲むシーンがありますが、右の画像はコーヒーの淹れ方を記した当時の雑誌です。展示中にはありませんでしたが、カフェで暗殺者たちが踊る(!)シーンでは、ジャン・ギャバンの歌う「Léo, Léa, Élie」という歌(→YouTube)が流されていました。

 以上、あれこれ細々と書きましたが、要は1930年代は「暗いばかりの時代ではない」という認識が広がってきているということです。

 では、なぜこれまでの歴史教科書の記述のような「統治」対「抵抗」の二元的なパラダイムから外れたような見方が出てきたのでしょうか?

 ウィキペディアの<朝鮮の歴史観>の項目(→コチラ)等によると、韓国の歴史学界では1960~90年代は上記のような歴史観を基軸とする民族主義史学が圧倒的に優勢で、教科書もそうした歴史観に沿って記述されてきました。ところが90年代後半頃から<植民地近代化論>等々の立場から批判の声が上がり、たとえばとくに「教科書問題」をめぐって論争が展開されてきました。(←昨年来大きな政治的争点になりました。)
 そして2015年9月に文教部(日本の文科省に相当)が発表した2015改正教育課程案では、「(1919年成立の)大韓民国臨時政府の正統性排除(=1949年を大韓民国政府樹立とする)」、「独立運動史の大幅縮小(20年代のみとする)」、「朝鮮後期の経済状況の記述削除(=内在的発展論の否定)塔が盛り込まれ、ついに長く主流だった(左派的な)民族主義史観が廃棄されました。→「ハンギョレ」の記事(韓国語)参照。やっぱり批判的に書いています。 
 続いて今年3月。「朝鮮日報」のコラム「萬物相」は<時代的使命を果たした「内在的発展論」を超えて>と題した記事(→コチラ)で民族主義史学の基本的主張である内在的発展論について、それを担ってきた学者グループの中から限界と問題点を認めるような発言があったことを取り上げました。(やっぱり、「ハンギョレ」とは逆に好意的に書いています。)
 ※内在的発展論とは、朝鮮後期には国内ですでに資本主義の萌芽が形成されており、一方的な収奪であった日本の支配がなければ朝鮮の資本主義は独自に順調に発展していたはず、と考える論。
 私ヌルボ、このように身内の学者からも内在的発展論への疑問(批判?)が提起されたことは、歴史学界の枠を超えた画期的な出来事として受けとめました。
 つまり、上述のような「統治」対「抵抗」の二元的なパラダイムで記述されていた歴史教科書が大幅に改められるというわけだし・・・。とはいえ、このまま左派的な民族主義史観が衰えるとも思えませんが・・・。もし次の大統領選挙で進歩系が勝てばまた教科書内容も揺り戻しがありそうで、まだせめぎ合いは続くのではないでしょうか?
 
 また長々と書いてしまいましたが、用はこのような歴史学界の事情がこの20年くらいの間の近代、とくに日本統治期に対する見方の変化にも反映されているのではないかということです。
 では、何がこのような歴史観の推移・変貌を促したのかというと、これはもう本ブログのテリトリーから外れてしまうのでオシマイにしておきます。

 このシリーズ、次回は映画「暗殺」の中の<史実>と<虚構>について考えるということにします。(たぶん。)

 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間
 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
 → ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている

2016-05-24 09:11:54 | 韓国映画(&その他の映画)
 → ①<進歩系>映画と<保守系>映画

 昨年(2015年)から日本の統治期を背景にした韓国映画が目立っています。韓国メディアでも、昨年5月に「中央日報(日本語版)」(→コチラ)、7月に「ハンギョレ(日本語版)」(→コチラ)がそのことを記事で取り上げました。
 具体的には、次のような作品です。※[ ]は韓国での公開月

[6月]
「京城学校:消えた少女たち」(イ・ヘヨン監督)・・・・1938年京城近郊の寄宿女学校。生徒が一人二人と異常な症状を見せ、そして痕跡もなく消え始める、というミステリー&ホラー。
[7月]
「暗殺」(チェ・ドンフン監督)・・・・独立運動組織メンバーによる「親日派」暗殺計画。
[12月]
「大虎」(パク・フンジョン監督)・・・・1920年代、日本軍高官(大杉漣)の意を受けた最後の朝鮮虎狩猟作戦と往年の名猟師の物話。

 上記の新聞記事は、「日帝強制占領期を背景にした映画は失敗する」という忠武路(映画街)の昔からの俗説をこれらの作品は打破できるか、という点に注目していました。結果はというと、「京城学校:消えた少女たち」の観客動員数は35万人と惨敗。「大虎」は158万人でしたが、チェ・ミンシクを主演に据え、純制作費140億ウォンを投じたことを考えれば期待を大きく裏切る結果となりました。その点「暗殺」は韓国映画歴代5位(→コチラ参照)の180億ウォンという巨額純制作費をかけましたが、損益分岐点の600万人を大きく上回る1270万人動員という大ヒットを達成しました。

 上記のような日本統治期関係の作品公開の背景としては、2015年が1945年の「光復」から70年目の節目に当たるということもあったでしょう。
 しかし、今年(2016年)に入っても、次のような1920~40年代を背景にした作品が相次いで公開されています。

[2月]
「東柱」(イ・ジュンイク監督)・・・・ 28歳で短い生涯を終えた詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の人生をほぼ事実に沿って描く。(一部「誇張」や「独自解釈」もありますが・・・。観客動員数は現在115万人で、興行的にも成功。(私ヌルボも観ましたが、良い作品だと思います。)
「鬼郷」・・・・1943年14歳の時「連行」されていった少女たち。「実話」を基に作られたという話題の「慰安婦」映画。観客動員数300万人をを超えるヒット(現在352万人)となったことはニュースとして報じられました。

[4月]
「解語花(ヘオファ)」(パク・フンシク監督)・・・・タイトルは「言葉がわかる花」の意味で、つまりは妓生のこと。1940年代の妓生養成所の券番で一緒に成長した2人の妓生の歌にかける人生と愛。ハン・ヒョジュチョン・ウヒの共演という点は個人的には惹かれますが、観客動員数45万人で興行的には失敗作。

[6月]
「アガシ」(パク・チャヌク監督)・・・・サラ・ウォーターズの歴史ミステリー「荊の城」の翻案。幼い頃父母を亡くした貴族(日本人)のアガシ(お嬢様)と朝鮮人の下女の話。先日終わったカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、関係の情報がいろいろ流されていました。その中で、監督が「日本に魅せられた人たちの心理を描いた」と語ったとのこと。(→コチラ参照。) 「反日じゃないですよ」と言いたいのか?とか日本におべっかを使っている?とか勘ぐらず、そのまま受けとめてよさそうです。
 ※この作品の原作(創元推理文庫)はホントにおもしろいです! 未読の方ぜひ読んでみて下さい。(前作の「半身」も。)

[公開日未定]
「密偵」(キム・ジウン監督)・・・・抗日武装団体(「テロ」組織)義烈団が素材。おっ、ソン・ガンホが主演か。
「徳恵翁主」(ホ・ジノ監督)・・・・コチラはソン・イェジンパク・ヘイルが主演。高宗の王女で、旧対馬藩主・宗家の当主宗武志伯爵の夫人となった徳恵翁主(トクヘオンジュ)の悲運の人生を描く。
「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」(キム・ハンミン監督)・・・・鳳梧洞は中国吉林省の地名。1920年の洪範図(ホン・ボムド)将軍が率いる独立軍が日本軍を打ち破った戦闘を描く。
「ハルビン」(ヤン・ユノ監督)・・・・ 伊藤博文を狙撃した安重根の人生を描く。

 ・・・うーむ、こうして見ると、やっぱりほとんどが「悪辣な日帝」と関係ありといってよさそう。大虎が主役(?)の「大虎」も、「京城学校:消えた少女たち」も、日本統治の横暴なこととか「闇の部分」とかが描かれていたりとか? そうじゃなさそうなのは「解語花」くらいかな? 「アガシ」もまあそれほど関係なさそう?(しかし・・・)

 さて、上記のように日本の統治期という時代設定の韓国映画がなぜこのところ目立って増えているのか?ということなのですが、実はここまでの記事はその「本論」の前書きのつもりで書き始めたものなのです。しかしすでに長くなりすぎたのでここでひと区切りつけて、その「本論」は続きで、ということにします。

 → ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間
 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
 → ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ①<進歩系>映画と<保守系>映画

2016-05-22 19:50:31 | 韓国映画(&その他の映画)
 5月9日シネマート新宿の10周年記念・特別先行上映ということで観てきた「暗殺」は、いろんな意味で「注目作」です。
  ※一般公開は7月16日。すでに→公式サイトができています。
 内容をごく簡単に言えば、日本統治期の独立運動をめざす組織による「暗殺」をめぐる物語です。
 なぜ「いろんな意味で」注目なのかというと、チョン・ジヒョンイ・ジョンジェハ・ジョンウといった人気スターが共演していること、もありますけど・・・。
 A.独立運動・抗日闘争等の「歴史的出来事」や主舞台の1930年代京城がどのように描かれているか、といった内容面のこと、
 B.それらの過去をどのように見るか、という(現代の)「歴史認識」の問題
 C.「史実」とフィクションの見きわめ

・・・等々、さまざまな点で興味深いということです。

 今回は、この映画と直接関係なさそうですが、韓国の<進歩系(左派系)>の映画と、<保守系(右派系)>の映画について考えてみます。

 韓国では、内政・外交を問わず諸政策をめぐって進歩系と保守系の両勢力間の対立は厳しいものがあります。日本では、右寄りの人も左よりの人も「自分は左でも右でもない」と言ったり、自分でもそう思っている人が多いのではないでしょうか? 韓国の場合は、総選挙や大統領選挙の結果を見ればわかるように、左右のどちらに属するかがはっきりしていて、中間派はむしろ少ないのが日本とは大きく違うところです。
 メディアも<保守系>の代表ともいうべき「朝鮮日報」と、「中央日報」「東亜日報」のいわゆる「朝・中・東」(조중동.チョチュンドン)の3紙が保守系で、「ハンギョレ」をはじめとして「京郷新聞」とインターネット新聞サイトの「オーマイニュース」のいわゆる「ハンギョンオ」(한경오)が<進歩系>と明確に分かれています。

 <進歩系>と<保守系>の違いは政治面だけではなく、その底には「歴史認識」の対立・葛藤があります。つまり「歴史認識」は日韓間だけの問題ではなく、韓国国内の問題でもあるというわけです。
 この「歴史認識」と関係するのが映画やドラマで、たとえば近現代の描き方は左右で異なったものになるのは当然。日本でもその点は同じで、たとえば最近では百田尚樹原作の映画「永遠の0」などは人によって評価が分かれるところでしょう。(・・・って私ヌルボは観てませんが。)

 韓国映画の<進歩系>と<保守系>の見分け方について。
 ①早い話が、「朝鮮日報」等の保守紙が好意的に評している映画は<保守系>で、「ハンギョレ」等が推している映画は<進歩系>。これはちょっとイイカゲンかな?
 ②<進歩系>の人が多いという映画評論家・記者の評点が(一般のネチズンの評点と比べて)高い映画が<進歩系>。その逆が<保守系>。

 具体的に、その違いが顕著な戦争を描いた作品について見てみましょう。各数値は<NAVER映画>に拠るものです。

 ※青色の数字はネチズン、赤色の数字は記者・評論家の平均評価。茶色の数字はその差で、その数値が小さいものから並べました。

・「小さな池」          6.39 7.56  -1.16
・「JSA」             9.27 9.00  0.27
・「西部戦線1953」       6.39 5.83  0.56
・「トンマッコルへようこそ」  8.93 8.00  0.93
・「高地戦」            8.63 7.34  1.29
・「国際市場で逢いましょう」 9.02 5.81  3.21
・「ノーザン・リミット・ライン 南北海戦」 9.00 4.94 4.06
・「戦火の中へ」         8.23 3.75  4.48


 この8作品の数値を見ると、「高地戦」までの5作品が<進歩系>、「国際市場で逢いましょう」以下の3作品が<保守系>にはっきりと分けられます。
 内容はといえば、「小さな池」は、朝鮮戦争中の老斤里(ノグンニ)事件を映画化した作品。アメリカ軍による韓国民間人の虐殺事件で、この作品については過去記事(→コチラ)で書きました。そして「JSA」~「高地戦」も朝鮮戦争を描いたものですが、何らかの形で韓国と北朝鮮の兵士の間の「人間的な交流」といった場面がある点が共通しています。
 「国際市場~」は戦争映画というわけではありませんが、朝鮮戦争時北朝鮮軍に追われて南に逃げた主人公が後にベトナム戦争に従軍し・・・といった戦争が無批判に描かれ、軍事政権による圧制はまったく抜け落ちている点等に<進歩系>から批判の声が上がりました。「ノーザン・リミット・ライン 南北海戦」は2002年の延坪海戦、すなわちW杯サッカーの最中に起こった南北朝鮮間のすさまじい海戦を描写したもので、南北兵士の「人間的な交流」などが寝言に聞こえるような(?)「現実」の重みはあったとは思います。(私ヌルボが<右>の人間というわけではないですが・・・。)
 ※今韓国で人気のドラマ「太陽の末裔」は韓国軍の海外派兵・国際貢献(!?)を描いた明々白々な<保守系>ドラマ。日本ではいくら安倍政権下でもこういう設定のドラマは作れないでしょう。かつてベトナム戦争の時に韓国軍による民間人虐殺があったベトナムで、このドラマの放映(!)を控えて「現地の記者が韓国軍を広報するドラマが放送されるのは汚辱」という内容の文をフェースブックに投稿し、3日間で9万件近くシェアされるなど、波紋が広がっている」というニュースを「ハンギョレ」が伝えた(→コチラ)のはむべなるかな、といったところ。

 で、戦争映画というわけではないですが「暗殺」の評点はと見ると・・・。
・「暗殺」 8.97 6.57  2.40

 真ん中あたり、と言った方がいいかもしれませんが、ヌルボとしては一応<進歩系>の方に入れておきます。
 それは、上記に数値以外に、「ハンギョレ」に何度も好意的に取り上げられていること、それもとくに「親日」を糾弾する文脈で書かれているという理由からです。

 「暗殺」というからには、この映画では暗殺を企てる者たち(上述のように独立運動組織)とそのターゲットが存在します。物語の主舞台は1933年の京城。つまり日本統治下の朝鮮で、・・・というと日本人としては「反日映画か!?」と思うのではないでしょうか? たしかに悪辣な日本人も登場しますが、それは自明のこと(笑!)で、むしろポイントは主なターゲットが朝鮮人の「親日派」であるということ。
 <NAVER映画>のこの作品に対するネチズンの評点&寸評欄(→コチラ)の最初にも次のような寸評が寄せられていました。

 「日帝強占期の頃日本人より悪辣で惨忍な人間が親日派だったが、そいつらの子孫たちが代々いい暮らしをしているこの世の中が本当に腹立たしい。(以下略)」

 つまり、戦後間もない時期に親日派の清算が進められるかに見えたものの、自分の権力基盤である軍隊や警察に矛先が向けられなるや打ち切ってしまった李承晩と背後のアメリカ。あるいは、日本の陸軍士官学校出の高木正雄中尉こと朴正煕やそれに続く軍事政権と、彼らと結託している財閥等の権力層。こうした勢力の延長線上に今の保守政権がある、ということで「親日派」の問題は現代韓国の政治・社会に直結しているというわけです。

 したがって、この映画のキモは「反日」ではなく「反親日」にある、ということです。

 以下、数回続きます。

 → ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
 → ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間
 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
 → ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
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キネ旬ムック「韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史」は、たしかに現代韓国の社会と歴史が学べる

2016-01-12 10:10:33 | 韓国映画(&その他の映画)

 <韓流時代劇ムックで学ぶ朝鮮王朝の歴史>(→コチラ)という記事を書いてからもう5年ちょっと経ちました。
 そこで紹介した3冊のムックは、その後必ずしも毎年新版が出ているわけでもありませんが、韓国ドラマファンの固定層は相当いるし、とりあえずは同じようなムック等が出なくなることはなさそうです。
 一方、韓国映画の現在はというと、2000年頃からの5、6年間の熱気が影をひそめてそのまま10年経ってしまった、という感があります。
 そんな中、キネマ旬報社が「韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史」というムックを最近刊行(12月28日発売)したことは、韓国映画ファンとしてうれしいことです。(はたしてキネ旬は採算が取れると見込んでいるのでしょうか??)

 そこでさっそく購入して目を通してみました。
 構成は、大きく<歴史><社会>に分けられています。

 <歴史>といっても、古代からではなく、1910年からの近現代史に限っています。
 [Ⅰ 1910~45年]=日本の統治期、[Ⅱ 1945~62年]=李承晩の独裁政権とその崩壊、[Ⅲ 1962~79年]=朴正煕の独裁政権、[Ⅳ 1979~93年]=全斗煥・盧泰愚政権と民主化闘争、[Ⅴ 1993~2015年]=民主主義体制 ・・・という時代区分は妥当なところでしょうが、金泳三の文民政権がスタートした1993年よりも第六共和国発足の1987年の方がいいのでは? もしかして政治的立場によって違う? 

 注意を要することは、各映画作品はそれが作られた年とは関係なく、そこに描かれている時代の順に配置されているという点。
 したがって、一番最初に紹介されているのは「爆裂野球団」(2002年公開)です。(下左画像)
     
 そして済州島4・3事件を扱った「チスル」(2013年公開)は1948年となっています。(上右画像)

 次に<社会>についての記事は10のテーマに分け、映画を通じて現代韓国の社会問題や社会の変貌等を論じています。
 「南北問題」「家族」「恋愛」「スポーツ」そして「やくざ」も含めてほぼふつうに思いつきそうなテーマが大半ですが、中で個人的に興味をもったのは「鉄道」の項目。(下画像) そういう切り口もあるのですね。

 この本の執筆者は、韓流関係・映画関係のライターや編集者、翻訳家、映画研究者(崔盛旭さんや鄭樺さん)といった人たちです。西村嘉夫さん、下川正晴さんといった韓国映画ではおなじみの方も・・・。以前北朝鮮拉致問題関係の集会でお見かけした東京新聞・五味洋治編集委員は「南北問題」について書かれています。
 こうした顔ぶれからも見当がつくように、書名通り「現代韓国の社会と歴史が学べる」ムックでした。
 少し残念なのは、とくに近現代に重点を置いた分、時代劇等の名作が載っていないこと。また<歴史>の部の掲載作品は21世紀に入ってからの作品が大半で、ヌルボが好きな1970~80年代では「鯨とり」(1984年公開)の1作しか入っていません。韓国映画史上でも画期的な作品「風の丘を越えて/西便制」(1993年年公開)が載っていないのも悲しい・・・。

 最後にとても興味深かったのが、巻末に載っているこの本の監修者・執筆者・編集者計34人による<極私的韓国映画ベスト3>
 いやー、ずいぶん分散しています! 2人以上があげている作品は以下の12作品でした。1位=3点、2位=2点、3位=1点と換算して人数・点数の多いものから並べてみました。
 オアシス(4人・9点)・殺人の追憶(4人・9点)・八月のクリスマス(3人・8点)・サニー 永遠の仲間たち(3人・7点)・猟奇的な彼女(3人・6点)・ベテラン(3人・6点)・息もできない(3人・5点)・ほえる犬は噛まない(3人・5点)・子猫をお願い(2人・6点)・悪い男(2人・5点)・ペパーミント・キャンディー(2人・4点)・ディープ・ブルー・ナイト(2人・3点)
 こうしてみると、とくに意外なものはないですね。私ヌルボが2010年に書いた<★韓国映画ベスト20★>(→コチラ)の12位までと比べると、5作品が重なっています。ま、そんなとこでしょう。
 34人の中で、個人的に注目したのは次のお二方のベスト3。
      
 鄭琮樺(チョン・ジョンファ)さんは、昨年11~12月の<韓国映画1934-1959創造と開花>で「君と僕」「迷夢」等々についてとても詳しいトークをされた映画史研究者です。その方が「馬鹿たちの行進」を2位にしている点が「わが意を得たり」といったところです。(ヌルボのペスト20では20位。) また下川正晴さんは1980年代の佳作を観たことが韓国映画がすきになったという点、またそれらがアン・ソンギの主演作品であるという点もヌルボとまさに同じで共感を覚えました。
 ※現在書店で発売中の「正論」2月号に、「幻の朝鮮映画「授業料」と小学生作文にみる日本統治下のリアル」と題した下川正晴さんの記事が載っています。「嫌韓」色の濃い記事が多い「正論」ですが、これは一読に値する記事です。
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★2015年 ヌルボの個人的映画ベスト10

2015-12-31 23:03:03 | 韓国映画(&その他の映画)
一昨日の晩「ストレイト・アウタ・コンプトン」で今年の映画は観納め。これがちょうど100本目でした。20年近く(?)前に104本観て以来久しぶりの3ケタ。
 今年の場合は、6月韓国文化院で開かれた<1960・70年代日韓名作映画祭>で10作品、12月に京橋のフィルムセンターでやっていた<韓国映画1934-1959創造と開花>では全21作品中16作品と、まとめて観たのが大きかったです。毎年恒例の<コリアン・シネマ・ウィーク>も7作品観たし・・・。

 で、その100作品の中で何が一番良かったかというと、今回はとくにむずかしい・・・。12月25日の「毎日新聞」(夕)の<シネマの週末>欄(→コチラ)では、10人の執筆者が邦画・洋画のそれぞれについて選んだ今年の3作を載せていて、邦画では7人が「恋人たち」を挙げていたので、私ヌルボ、キネカ大森に急遽観に行ったのですが、洋画の方は実にマチマチ。3人以上が挙げた作品はなく、2人が挙げたのも「マッドマックス怒りのデス・ロード」と「国際市場で逢いましょう」の2作だけという分散ぶり。
 とくに傑出した作品がない場合、映画評論家や熱烈な映画ファンの間でも、その人が何を重視するかによって評価は大きく分かれますからねー。
 そのモノサシの成分を仮に分けてみると、人によりそれぞれの配合率が違うというわけです。
 私ヌルボ自身は、[A]娯楽性=20%、[B]社会性=50%、[C]芸術性=30% といったところかなと思っています。
 [A] 娯楽性重視=ストーリー性、視覚効果、アクションのすごさ等に重点
 [B] 社会性重視=実社会の問題を扱い、メッセージ性がある
 [C] 芸術性重視=象徴的・抽象的な映像表現やストーリー展開による思弁の深化に重点

[2015年]
①ボーダレス ぼくの船の国境線
②顔のないヒトラーたち
③セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター
④雪の轍
⑤マッドマックス/怒りのデスロード
⑥神々のたそがれ
⑦幕が上がる
⑧海街diary
⑨ストレイト・アウタ・コンプトン
⑩KANO~1931海の向こうの甲子園~
  [次点] バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)・人生スイッチ・恋人たち・傷だらけのふたり許三観
  [別格(初見の旧作)] ショア・裸の島
赤色は韓国映画または韓国・北朝鮮に関係する映画です。

 さて、今回のベスト10について若干コメント。
 韓国オタクのブログなのに、ベスト10内に韓国ナシとは・・・。冒頭に記したように1930~70年代の作品26作品以外で、新作も同じく26作品観たんですけどねー。話題を呼んだ韓国での大ヒット作「国際市場で逢いましょう」ももちろん観ましたが、ヒットの理由は理解できるものの、同時代の政治史を完全に避けて描いた点がどうも引っかかって・・・。
 韓国映画ゼロに加えて、日本映画も1つだけ、他の東アジア映画も1つだけというのは、ヌルボとしてはこの数十年なかったことかもしれません。
 1位「ボーダレス ぼくの船の国境線」は今年99番目に観た作品。上述の<社会性>の観点からは話題になった「野火」よりも戦争の描き方にリアリティがある上、その個別の戦争を戦争一般の問題に昇華した構図、舞台となった廃船の図柄の<芸術性>の面でも、最後までドキドキ感が持続する<娯楽性>の面でもポイントが高い。いや、リクツ抜きで心に訴えるものがありました。
 2位「顔のないヒトラーたち」は、ドイツ人が作ったナチス映画という点に日本人はもっと関心を寄せてもいいのでは・・・。50年代後期まではドイツ人の多くはアウシュビッツという地名さえ知らなかったとは、知らなかったです。
 3位「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」、最初はこれを1位にしようと思っていました。ただ、考えてみればこの作品の魅力は「映画の魅力」というよりサルガドの撮った「写真の魅力」だな、と考えてちょっと下げました。が、飢餓に喘ぐ人々の姿といい、北極海の孤島のセイウチの群れといい、ふつうの人々の住む世界がその<外側>と接するギリギリの境界の世界を撮った写真はそれたけで強烈なインパクトがあります。これも未見の方にはぜひオススメの1本。
 4位「雪の轍」は、説明しがたいですが、深い余韻あり。
 5位「マッドマックス/怒りのデスロード」のような純然たる娯楽作品をベスト10に入れるのもヌルボとしては画期的。映画賞や多くのサイト等で1位に挙げているのも当然だと思います。以下は8月25日の記事から。
 アタマで観る映画やハートで観る映画とは別に、カラダで観る映画というのがあって、21日に観た「マッドマックス 怒りのデス・ロード」がまさにコレ。しかしよくもまああんな突拍子もない発想が出てくるものです。武装トラックの前面に立って火炎を噴射する(!)ツイン・ネックのギター&ベースをかき鳴らすドゥーフ・ウォーリアーとか、山海塾みたいに(笑)ツルツル頭で白塗りの若者軍団とか、棒高跳びのようにしなうポール攻撃とか・・・、ハハハのハです。それにしても筋肉が疲れた!
 6位「神々のたそがれ」は、2012年の個人的1位「ニーチェの馬」と共通する要素がある、ワケのわからんような映画(笑)ですが、もっとグチャグチャしてて、もっと汚い(笑)です。
 7位「幕が上がる」は、黒木華が本領発揮! ももクロもなかなか頑張ってました。報知映画大賞でグループ賞受賞(→コチラ)、良かったネ!
 8位「海街diary」、こういう繊細な内面描写は日本映画の伝統か。目黒シネマ、是枝監督自身のチョイスでこの作品と成瀬巳喜男監督「鶴八鶴次郎」(1938)の2本立て上映していたのはナットク。
 9位「ストレイト・アウタ・コンプトン」を観て、「ラップを武器に闘った」というヒップホップグループ、N.W.Aをめぐる1990年前後のアメリカの状況を初めて知る。ヒップホップ好きの皆さんとはちょっと距離のありそうな私ヌルボですが、そういう人たちの青春の熱気といったものにふれたのはよかったと思います。
 10位「KANO~1931海の向こうの甲子園~」という<親日>映画を、あのすごい<抗日>映画「セデック・バレ」の馬志翔(マー・ジーシアン)監督が撮っている点に注目! 韓国映画ではこういう作品は作れないだろうなー・・・。
 [別格]の「裸の島」は、1960年の新藤兼人監督作品。乙羽信子(35歳?でも若い!)と殿山泰司をはじめセリフがない(!)のに紛れもない秀作。
 全然韓国映画がないのも気がひける(?)ので、[次点]に申し訳みたいに2作品入れましたが・・・。

 ちょっと思い直して、特別に韓国映画だけのベスト10をしかたなく載せておきます。

①傷だらけのふたり
②許三観
③明日へ
④ベテラン
⑤ハン・ゴンジュ 17歳の涙
⑥レッド・カーペット
⑦技術者たち
⑧おばあさんの花(ハルメコッ)
⑨犬どろぼう完全計画
 ⑩足球王

  [在日枠] 水の声を聞く
  [別格(旧作)] 馬鹿たちの行進森浦への道陽山道

 上のベスト10同様、いや、それ以上にヌルボ独自の視点によるベスト10だと思います。
 1位「傷だらけのふたり」は、今連続大ヒットで乗りに乗ってるファン・ジョンミン主演、2位「許三観」も快調に次々ヒットを飛ばしいてるハ・ジョンウが監督・主演した作品です。(<コリアン・シネマ・ウィーク>で観ました。) そんな当代の大人気俳優の出演作なのにアクションシーンもなく、日本ではほとんど話題にならず、「許三観」の方は一般公開もナシ。韓国内での興行成績も今イチでした。にもかかわらずヌルボが感動したのは、どちらも主人公どこまでも一途な、女性への、あるいは子供への愛情が描かれているからです。韓国映画の伝統が、いや伝統的な韓国がちゃんと息づいている、と思いました。
 3位「明日へ」は、原題は「カート」。あのスーパーの・・・。つまり大型スーパーの女性従業員たちの不当解雇をめぐる闘争を描いた事実に基づく作品で、これもとても感動した、というか義憤にかられました。日本の労働事情にも問題はごろごろありそうなのに、こういう作品は作られないのかな?

 次に、今年とくに記憶に残った俳優について。
 女優では、とくに<目ヂカラ演技>が印象的だった若手女優3人。二階堂ふみ(「この国の空」)と、藤野涼子(「ソロモンの偽証」)と、黒木華(「幕が上がる」)(←まだ「若手」と言える?)。
 男優では、篠原篤(「恋人たち」)が最近観たということもあってか強い印象が残っています。
 あ、タラタラ書いてたら今年も残り1時間切ったゾ! 年越しそばを作らなければ!
 では皆さん、よいお年を。

[参考]過去7年のベスト10

[2014年]①イーダ②グランド・ブダペスト・ホテル③ジャージー・ボーイズ④罪の手ざわり⑤ソウォン/願い新しき世界ソニはご機嫌ななめ怪しい彼女テロ,ライブ⑩ある精肉店のはなし
 [次点] 60万回のトライ
     私の少女(扉の少女・ドヒや)・祖谷物語 おくのひと

[2013年]①セデック・バレ②少女は自転車にのって③きっと、うまくいく④もうひとりの息子⑤嘆きのピエタ⑥あの頃、君を追いかけた⑦シュガーマン 奇跡に愛された男⑧ハンナ・アーレント⑨王になった男建築学概論
 [次点] 殺人の告白 ・凶悪
 [別格] 阿賀に生きる
 [多くの人に観てほしい作品] ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして

[2012年]①ニーチェの馬②ヒューゴの不思議な発明③プンサンケ(豊山犬)ワンドゥギ拝啓、愛しています⑥ロボット 完全版⑦桐島、部活やめるってよ⑧三池 終わらない炭鉱(やま)の物語⑨かぞくのくに⑩ピアノマニア 別格:春夏秋冬そして春

[2011年]①サラの鍵②テザ 慟哭の大地③愛する人④彼とわたしの漂流日記⑤アリス・クリードの失踪⑥阪急電車 片道15分の奇跡⑦牛と一緒に7泊8日⑧未来を生きる君たちへ⑨ゴーストライター⑩エンディングノート

[2010年]息もできない過速スキャンダル冬の小鳥④ゲキシネ蛮幽鬼(日)⑤実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(日)⑥告白(日)⑦瞳の奥の秘密⑧飛べ!ペンギン⑨川の底からこんにちは(日)⑩ONE SHOT ONE KILL

[2009年]①グラン・トリノ②ディア・ピョンヤン(日)③妻が結婚した母なる証明チェイサー⑥チェンジリング⑦劔岳 点の記(日)⑧チョコレート・ファイター⑨戦場のワルツ⑩牛の鈴音

[2008年]①ダークナイト②パコと魔法の絵本(日)③ウリハッキョ(日)④休暇(日)⑤シークレット・サンシャイン⑥ラスト・コーション⑦接吻(日)⑧おくりびと(日)⑨闇の子供たち(日)⑩火垂るの墓・実写版(日)
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