でも、原文はフランス語でしょう?
そうですよ。バンクーバーの図書館には日本語訳の『異邦人』はなかったのですよ。
フランス語もなかったのですか?
フランス語はありました。でも、僕のフランス語では充分に理解できないので英語の訳本を借りたのですよ。今日、フランス語の原本をネットで予約しました。2、3日のうちには5分で歩いてゆける分館に届けてくれる手はずになっていますよ。
フランス語の原本も読んでみるのですか?
そうです。無理してでも読んでみますよ。
どうして。。。?
マルソーがマリーのオッパイを触りますよね。。。うしししし。。。そこのところをフランス語ではどう書いているのか?それから、マルソーがマリーにキスしますよね。そこのところがフランス語でどう書いてあるのか?ちょっと気になっているんですよ。
そういうところが気になるのですか?
うへへへへ。。。可笑しいですか?
別にかまいませんけれど。。。で、上の部分がデンマンさんに閃きを与えたのですか?
そうですよ。レンゲさんは、イマイチ。。。と言う表情をしていますよね?
あたしは、この部分にはそれ程強い印象を受けませんでしたわ。
実は、他にも2、3箇所、印象的な部分もあったけれど、僕にとっては、この部分が特に印象的ですよ。
どういうところが。。。?
僕が感じた事を言う前に、まず本の中の『紹介』を読んでみてくださいよ。アルベール・カミュの研究家でロンドン大学の講師をしている人が書いているのですよ。実は、この人も上の部分を取り上げて書評を書いている。
紹介
マルソーと新しいガールフレンドのマリーは海で泳いでから着替える。
その時マリーはマルソーが黒いネクタイを締めているのに気づいて次のような会話をする。
「お葬式にでもでたの?」
「俺のかあちゃんが亡くなったんだよ」
「えっ、亡くなったって、いつのことよ?」
「昨日だよ」
マリーはちょっとビックリしたようだった。
でも、それ以上何も言わなかった。
その後、2、3日経ってから彼女と結婚したいかどうかと聞かれてマルソーは次のように書いている。
結婚しようがしまいが俺にとっちゃ
大きな違いはないんだと言ったんだ。
そうしたら彼女は
“結婚って重要なことよ”と言ったもんさ。
俺は“違うね”と答えた。
彼女はしばらく黙っていた。
それから何も言わずに俺をじっと見た。
。。。
しばらく黙っていたけれど、
彼女は独り言のようにぶつぶつと言ったものさ。
俺はかなりの変わり者だってね。
それが多分彼女が俺を愛している理由だろうって。
でも、ある日、俺が変わり者であるために、
気が変わって俺が彼女を嫌うかもしれないって。
裁判になってから、弁護人に母親が亡くなった時に、かなり気持ちが動転したかどうかと尋ねられてマルソーは次のように答えている。
たぶん、俺はかあちゃんを愛していたよ。
でも、その事は大して重要なことじゃない。
誰だって一度や二度は、愛している身内が
死んだ方がいいと思うことはあるからね。
俺がそう言った時、弁護士はメチャ動揺して
俺の言うことをさえぎったものだ。
マルソーの上のような返答は聞く者を狼狽させる。
なぜなら、言っている人物があまりにも正直すぎると言うことではなく、その正直さが本音をむき出しにして社会の規範や建前に刃向(はむ)かうからだ。
アルベール・カミュは次のように書いている。
マルソーは社会規範や常識に従って振舞わないから非難されている。
マルソーが非難されるのは
彼が外見上無関心だとか冷血漢だからではない。
この点、これを読んでいるあなたもマリーのように、
マルソーがかなりの変わり者だと思うかもしれない。
しかし、真の理由は彼の言動が社会規範や常識を
受け入れない人生哲学に従っているからなのです。
マルソーは母親を老人ホームに入れたこと、
あるいは母親の遺体を見ることを拒否した事に対し、
無関心だと言われて非難されます。
しかしながら、そのようにして老人ホームに入った母親も、落ち着いてみると彼女と同世代の人と暮らすことができて、より幸福な気分にひたっていた、とマルソーも認めています。
母親が亡くなった時にも、
マルソーが老人ホームに着いて最初に思ったことは
母親の遺体を見ることなのです。
マルソーはまた、お通夜の席で
タバコを吸ったりアルコールを口にしたことで
無神経で冷血な男だと非難されます。
でも、そのような他人の反応はマルソーには、
予め分かっていた事でした。
ただ、そのような反応をされたとしても
取るに足りないことだと思って
タバコを吸いアルコールを口にしたまでです。
つまり、マルソーは社会的規範や建前に
従わないために非難されるのです。
それでも、マルソーは、感情もなければ、楽しみも無く、反省することもできないロボットではありません。
それどころか、感情もあり、楽しむことも知っており、反省もします。
ただし、感情や表情をあからさまに表さないで自分の価値観に従って既存の社会的価値観に反対するのです。
マルソーの価値観のうち第一のものが人生を楽しむと言うものです。
彼が仕事をしている時であれ、ビーチに居るときであれ、
マリーとの関係や、友人との付き合いであれ、
また刑務所の中でさえ、
マルソーの関心事は身近にある感覚的な楽しみです。
そのような楽しみが無ければ、無いでマルソーは平気です。
もしあれば、十分に楽しみます。
この小説の初めから明らかなことですが、
空、太陽、海、日光、温もり、。。。そういう自然の恵みや風物がマルソーにとっての楽しみの重要な源(みなもと)です。
マリーとの人間関係でも、一緒に海で泳ぐ時であれ、
浜辺を歩いている時であれ、
あるいは枕に残っているマリーの潮の匂いを嗅ぐ時でも、マルソーの楽しみは本質的に自然の恵みや風物と無関係ではない。
むしろマリーはマルソーにとって感覚的に楽しむことができる自然の恵みや風物の化身と言えるのです。
マルソーは(文化的な)“愛”の概念など、どうでも良いと思っています。
しかし、欲望の力、価値、意義については充分に理解しているのです。
【デンマン訳】
【原文】 Introduction
As Meursault and his new girlfriend Marie dress after going for a swim Marie notices his black tie and asks if he is in mourning: 'I told her Maman had died. She wanted to know how long ago, so I said "Yesterday". She gave a little start but didn't say anything.'
A few days later, when asked if he wants to marry her: 'I said it didn't make any difference to me and that we could if she wanted to … Then she pointed out that marriage was a serious thing. I said, "No". she stopped talking for a minute and looked at me without saying anything … After another moment's silence, she mumbled that I was peculiar, that that was probably why she loved me but that one day I might hate her for the same reason.'
When asked by his defence counsel if his mother's death had upset him he replies: 'I prpbably did love Maman, but that didn't mean anthing. At one time or another all normal people have wished their loved ones were dead. Here the lawyer interrupted me and he seemed very upset.' Such responses are disconcerting not merely because they reveal the hero's rather brutal directness and honesty, but because these very qualities are used to challenge more normal conventions and values. As Camus put it, 'Meursault is condemned because he does not play the game', because, far from being the apparently indifferent, unemotional individual that his account first suggests (where, like Marie, readers might indeed find him bizarre), his actions and statements are the direct consequence of a philosophical stance which rejects widespread social and moral norms.
He is accused of indifference after putting his mother in a home or refusing to look at the corpse, yet he acknowledges that, once settled, she was happier with people of her own generation and, after her death, his first thought on reaching the old people's home is to see her body. He is accused of callousness because he smokes or drinks at her wake, yet he had thought about it beforehand and decided 'it didn't matter'. Accused, in short, of not displaying conventional attitudes and reactions.
Meursault, then, is not an automaton, devoid of emotion, incapable of pleasure or reflection. On the contrary, it is in the name of alternative values that he undemonstratively opposes those of society. First and foremost among these values is, precisely, that of pleasure: whether in his work, on the beach, in his relations with Marie and his friends, even in prison, Meursault's primary concern is with immediate, sensual gratification.
When such pleasures are unavailable, they can be dismissed; when offered, they are to be enjoyed; and from the outset the text makes it clear that the natural world (sky, sun, sea, light, warmth …) is the primary source of such pleasure, to the extent that Marie, whether in the sea, on the sand or in the smell of salt left on her pillow, is essentially the embodiment of those natural elements. Meursault dismisses the (cultural) notion of love, but fully appreciates the force of desire.
"Introduction" by Peter Dunwoodie
Senior Lecturer in French at the University of London
(page xii-xiii)
He has written numerous articles on Albert Camus and Céline.
僕は学生の時に読んだ『異邦人』の印象が良くなかったので、アルベール・カミュについては関心が湧かなかったのですよ。
でも、ノーベル賞をもらったことはご存知ですわね?
そのぐらいのことは知っていますよ。今でも『異邦人』を読む人は結構たくさん居るらしいですよ。でも、結構古い。アルベール・カミュの『異邦人』がパリで出版されたのは、まだフランスがドイツ軍に占領されていた1942年でしたからね。
デンマンさんもカミュについて調べる気になったのですか?
そうですよ。作品だけじゃ片手落ちですからね。出版当時、カミュの名前はほとんど知られていなかったそうですよ。でも、3年後の終戦の年までには知る人ぞ知るというような存在だったらしい。
マニアが増えていたのですか?
つまり、文学界、ジャーナリズムの世界では知られるようになっていたらしい。もちろんカミュの名前が世界的に知られるようになったのは1957年にノーベル賞をもらったからですよ。僕はそう思っていますよ。
でも、事故で亡くなってしまったのですよね。
そうですよ。ノーベル賞をもらって3年後ですよ。交通事故で亡くなっている。まだ47歳の働き盛りでした。
それで、『異邦人』を読み返してみて、現在、デンマンさんはどう思っているのですか?
読んでみて思うことは、主人公のマルソーは現在生きていても全く僕は違和感を感じないですよ。まさに、“異邦人”のプロトタイプをカミュが創生して見せたように思いますよ。多分、そういう所が、時代を超えて共感を呼ぶので現在でも良く読まれているのではないか?
それ程読まれているのですか?
フランスでは、カミュが亡くなってからも、毎年20万人の『異邦人』の読者が生まれていると英語版の本の“紹介”に書いてありますよ。
やはり、『異邦人』には、ノーベル賞をもらうだけの値打ちがあると言うことでしょう?
僕もそう思いますよ。でもねぇ、ムルソーがアラブ人を殺したことが僕には未だに良く理解できませんよ。
でも、あたしのことが『異邦人』を読んで、さらに良く理解できたのですか?
そうですよ。
じゃあ、その事を聞かせてくださいな。
それはあさってにしますよ。
【ここだけの話ですけれどね、今日は翻訳するだけで時間を使いきってしまいましたよ。でも『異邦人』を読んで、レンゲさんがなぜ惹きつけられるのか良く理解することができました。この事については、またあさって書こうと思います。。。とにかく、この続きはますます興味深いものになって行きますよ。そう言う訳ですので、また、あさって読んでくださいね。】
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