愛の色と形(PART 1)
手をつないで
どんな時でも
わたしは笑顔になれる
どんな時でも
心はささえられている
ひとりぼっちの時でさえ
わたしはあなたに守られている
あなたがわたしを強くしてくれた
だってわたしは
ひとりで生きてるんじゃないから
あなたと手をつないで
生きているんだから
by merange (めれんげ)
2009.12.08 Tuesday 12:17
『即興の詩 腕のなか』より
『アンビバレンス』に掲載
(2009年12月12日)
めれちゃん。。。めれちゃんは、やっとォ、わてと手をつなぐ気持ちになったのやなァ~?
デンマンさん。。。あんさんは、また上の詩を持ち出してきて同じことを繰り返すのやねぇ~?
そやかて、めれちゃんが上のような気持ちになったということは素晴らしいのやないかいなァ!
あんさんは、マジでそう思うてるのォ~?
もちろん、そう信じているのやでぇ~!
でも、あんさんは、わたしがアンビバレントな女やと思い込んでいるのやろう?
そうやァ~。
アンビバレンス
アンビバレンス(ambivalence)とは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと。
「両価感情」や「両面価値」などと翻訳されることもあるが、そのまま「アンビバレンス」と表現するのが一般的。
形容詞は「ambivalentアンビバレント」
アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。
例えば、ある人に対して、愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」)。
あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時にもつこと。
ブロイラーがこの用語「アンビバレンス」を使い、ジークムント・フロイトがそれを精神分析理論に組み入れたという。
二つの感情のうち、一方が(とりわけ「望ましくない」などとされがちな面)が無意識下に抑圧され、それがその人の行動に様々な影響を与える。
また、この状態が昂じると、葛藤状態に陥り、神経症の原因となることもある、と説明されることがある。
さらに、心理学の教科書などでは、アンビバレンスと「スプリッティング」を対置して、「人は幼児期には往々にして両親についてスプリッティングな見方をするが、成長するにしたがってアンビバレントな見方をするようになる」といったような説明をしていることもある。
ここで言う「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」というような精神状態。対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。
何かの拍子に母親の事を嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」といった精神状態に切り替わるような状態。
そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな状態になると、しているのである。
すなわち大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど、好ましくないところもある。パパにも、好ましいところがあるけれど、同時に好ましくないところもある」という見方をするようになる、という説明である。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
だったら、わたしが手をすぐに離して、あんさんを拒絶することも良~く分かってますのやろう?
そうやァ~、良~く分かってるでぇ~。
つまり、あんさんは、わたしが次のように書いたことも認めているのォ~?
アンタとわたしとではレベルが違う。
アンタは人の書いたものなしでは、
何も書けない貧困な人間だ。
クリエイティビティもないくせに、
「文学的素養」について語るな。
わたしが心の底から苦心して絞り出した言葉を
アンタはのうのうと使いまわして
さも自分が知識人であるように装っているだけだ。
(中略)
じいさん。
アンタは自分が思う以上に、
ネットの中で、飽きられているぞ。
アンタに構ってくれた人たちは、
もうアンタになんて目もくれていないだろう?
それはアンタの薄っぺらさを
みんなが気付いたからだ。
by merange (めれんげ)
October 05, 2009 19:36
『極私的詩集 永久に近づくな』より
『相手にされない成りすまし馬鹿』に掲載
(2009年11月22日)
認めていると言うよりも、なぜ、めれちゃんがこのような反発する感情ーーー手をつなぎたい気持ちと、わてを薄っぺらな人間やと見下す気持ちーーーを持っているのか? わては良~く理解しているつもりやでぇ~。
つまり。。。、つまり、あんさんは、わたしよりも高い目線で見下ろしているつもりになっているのやねぇ~?
めれちゃんには、そんな風に見えるのかァ~?
そうですやん!。。。あんさんが、わたしを見下しているようにしか見えへん。
わては、めれちゃんを見下したりしてへんでぇ~。
そやかてぇ~、あんさんの言うてることは、わたしを高い所から見下しているようにしか聞こえませんがなァ~。。。
さよかァ~。。。?
さよかァじゃありませんがなァ。。。あんさんは内心では、わたしが精神を病んでいる女だと思うておりますねん。
あのなァ~、めれちゃん。。。神様じゃない限り、人間は誰もが不完全な生き物やがなァ~。。。誰もが多かれ少なかれ精神を病んでいる。。。その病み方が強いか弱いかの、つまり、程度問題やがなァ~。完璧な精神の持ち主など、この世には居ないのやでぇ~。
でも、あんさんは、わたしの精神の病み方が激しいと思うていますのやろう?
いや。。。めれちゃんはユニークに病んでいるのやァ。
なんですのォ~?。。。そのユニークに病んでいると言うのんは?
めれちゃんは、レンゲさんのように白と黒の世界に住んでいるのやでぇ~。
シロとクロの世界
2004-09-08 11:45 わたしは精神障害者です。 しかも、誰もが関わりたがらない 境界性人格障害者です。 時に、感情の爆発という 発作も起こります。 愛憎にあやつられる人生です。 わたしの世界には、 シロかクロしかありません。 誰かに愛着をかんじすぎると、 怖いのです。 見捨てられ感、迫害妄想で、 全面的に愛していた人のことを、 全面的に否定してしまうのです。 そのうえ、わたしはある人に対して、 “ほれこむ”ということも、 よくあります。 でも、その場合でも、 相手から見れば全く理不尽な 理由で、ほれこんでいた人のことを、 全否定してしまうのです。 これらは、精神の発達が 未熟であるのはもちろん、 幼少時の体験によって 「見捨てられる恐怖」が、 頭にこびりついていて、 見捨てられる つらさを味わうくらいなら、 こっちから先に、 相手との関係を絶つ、という 逃げの行動なのです。 わたしは、この障害で 苦しんでいます。 わたしに関わったことで、 理不尽な気持ちで去ってゆく “被害者”の方々も、 多いと思います。 治せるものなら治したい。 でも、幼い頃の心の傷が、 真人間になることを、 かたくなに拒み続けます。 二度と傷つきたくないから、 防衛するのです。 この硬い殻を、 どうすればこわせるのか・・・ 治療はうけていますが、 今は目先の“うつ” の治療が主です。 それも、最近容態が悪いようで、 心理テストなどばかり受けています。 長々と書いてしまいましたが、 こんな迷惑な人間も いるのだということを、 書き連ね、より自虐的に、 とことんどんぞこまで 落ち込み、自分への罰と したいとおもいます。 by レンゲ 『信頼と思い込み』より (2007年6月4日) |
つまり、わたしがレンゲさんのように白と黒の世界に住んでいるさかいに、ユニークに精神を病んでいると、あんさんは言わはるのォ~?
まあ。。。そう言うこっちゃ~。
。。。で、どこがユニークなのォ~?
つまり、シロかクロしかないのやがなァ~。
だから、具体的には、どういうことなん?
要するに、愛しているか?愛していないか?わたしひとりだけを愛するのか?そうやなければ、わたしは別れると。。。めれちゃんは次のように言うたのやがなァ~。
行き違う愛という言葉
わたしに必要なのは
わたしひとりを
愛してくれるひと
わたしひとりが
そのひとに抱かれる
・
愛という言葉を
ふりまくひとに
わたしは別れを告げる
by めれんげ
2009.02.10 Tuesday 11:01
『即興の詩 行き違う愛という言葉』より
『でも、大好きやねん』に掲載
(2009年9月17日)
これは女ならば、当然のことですがな。女ならば誰かて、このように言いますのやでぇ~。
それは、めれちゃんが考えているこっちゃ。。。めれちゃんは、独占欲がメチャクチャに強いのやでぇ~。
そうですやろか?
そうやがなア!。。。次のようなことを言う女は、そうたくさん居るとは思われんがなァ~。
わてが小百合さんと親しくしているのを見ただけで、めれちゃんは独占欲が疼(うず)いて別れると書いたのやでぇ~。
でも、そう思うのは女なら当然のことですやんかァ!
女性がすべて、めれちゃんのように独占欲が強いわけではあらへんでぇ~。。。めれちゃんの愛の形を書くと次のようになるのやがな。
分かるやろう?。。。わての愛がめれちゃんのコップの中にいっぱい入っているねん。今でも、この状態に変わりがないねん。
マジで。。。?
もちろんや!。。。でもなァ、めれちゃんは、わての愛が小百合さんのコップにすべて移動したと思い込んでしまった。
だってぇ、そうですやん!。。。わたしのコップは、今、空っぽやでぇ~。。。あんさんは、わたしを裏切って、わたしを見捨てて小百合さんに乗り換えてしまったのですやん。
だから、独占欲の強い女は、そう思うのやがなア!。。。あのなァ~。。。、電車を乗り換えるように言うないなア~!。。。めれちゃんも小百合さんも電車じゃないのやでぇ~。
そんな事は分かってますう!
だったら、そう簡単に電車を乗り換えるように、人間を乗り換えることはできへんのやでぇ~。
あんさんならばできますう。
わてをスーパーマンみたいに言いないなァ!。。。あのなァ~、今でも、めれちゃんのコップには次の図のように、わての愛がいっぱい入っているのやでぇ~。
あんさんは、絵を描いてわたしをごまかすつもりなのォ~?
何を言うてんねん!。。。めれちゃんは幼稚園の園児じゃないのやでぇ~。。。そんなつもりはあらへんでぇ~。。。
だったら、絵など描かへんでもよろしおますう。。。こんな絵など誰だって描けますがなァ。。。こんな絵を見させて、それでわたしを説得するつもりなのォ~?
あのなァ~。。。誰が見ても分かり易いように絵を描いたまでやんかァ!
つまり、あんさんは、わたしと小百合さんの両方を愛したいねん。要するに、あんさんは浮気がしたいねん。こんな絵を見させられただけでは、あたしは騙されへんでぇ~。。。
やだなあああァ~、んも~~。。。わてが絵を描いて、めれちゃんを騙そうとしていると思ってるのかァ~?
そうですう。。。あんさんは絵を描くの好きなのやア。。。だから、小百合さんを見て次のような絵を描いてましたやんかア!
めれちゃんは、また誤解してしもうてるでぇ~。。。これは小百合さんではないねん。安子さんやがなァ~。
とにかく、あんさんは、こうしてわたし以外の女性のヌードを描いてますねん。。。つまり、裸のお付き合いをしていると言うことですやん。
あのなァ~。。。それも、めれちゃんの誤解なのやでぇ~。。。
誤解も六回も七階もありませんがなア!。。。こうして安子さんのヌードを書いていると言うことは、安子さんと裸のお付き合いをしたと言う事ですがなア!
あのなァ~。。。、安子さんは、こうして寝そべって“デンマンさん。。。これで私のヌードを描いておくれやすゥ”。。。こう言ったのやがなァ。。。それで描いたのが上のヌードなんやでぇ~。。。
信じられまへん。
だったらなァ、次の記事を読めば分かるがなァ。。。そうすれば、めれちゃんの誤解が解けるねん。
■『安子さんと海(2009年4月5日)』
いづれにしても、あんさんは気が多いのですねん。ちょっと魅力的な女性が現れると、すぐに鼻の下を伸ばして“おいど”を追い回すのですやん。あんさんかて、次の諺を知っておますやろう?
二兎を追う者は一兎をも得ず
もちろん、知ってるでぇ~。。。めれちゃんも次のように書いていたからなァ。
(すぐ下のページへ続く)