黒い霧に包まれて(PART 1 OF 5)
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[793]RE:夢とロマンの女神、万歳!
Name: さゆり
Date: 2008/12/10 15:46
Pacific Standard Time
(バンクーバー時間:2008年12月9日 午後10時46分)
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小さい頃 小学生時代は ケンカは負けが多く くやしかった。
菊ちゃんなんて 大人になっても くやしい事 多かったかも。
高校生 になると ガがつよくなり ケンカをして
負けても くやしい などと 顔にも 出さない。
冷たい冷淡な子 に成ろう と思っていた。
そんな 高校時代を経て
今 大人。 子供や大切な人に 愛情をそそげる自分になった。
『ほっかほっかパンツ (2008年12月20日)』より
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小百合さんが出てきましたけれど、“行田の黒い霧”と関係あるのでござ~♪~ますか?
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もちろん、小百合さんは“黒い霧”とは関係ありません。
。。。んで、上のメールの何が関係あるのでござ~♪~ますか?
菊ちゃんですよう。
菊ちゃんが“行田の黒い霧”に巻き込まれたのでござ~♪~ますか?
いや。。。菊ちゃんは40代で奇病にかかって亡くなってしまいましたからねぇ、横田さんが市長になった時には、すでにあの世の人でした。
それなのに、どうして菊ちゃんが登場するのでござ~♪~ますか?
菊ちゃんはとてもユニークな女性なのですよう。小百合さんは実際に菊ちゃんと会ったこともないのに、僕が話したエピソードを聞いて、他人事とは思えないような一体感を感じた。それほど感情移入して小百合さんは菊ちゃんのエピソードを聞いたのですよう。
もしかして横田・前市長も菊ちゃんを知っていたのでござ~♪~ますか?
もちろんですよう。
あらっ。。。菊ちゃんは、これまでに『小百合物語』に何度となく登場しましたけれど、その菊ちゃんと横田・前市長が面識があったなんて、ちょっと予想外の事でござ~♪~ますわ。
菊ちゃんの家と僕の実家の間に“ヨシヤ長屋”があったのだけれど、横田さん一家はその長屋の住人だったのですよう。
菊ちゃんはデンマンさんのお母様になついて、デンマンさんのご実家にはちょくちょく遊びに行ったのでしょう?
そうなのですよう。かつてレンゲさんから返信をもらって菊ちゃんの事を書いたのだけれど、小百合さんにも話した面白いエピソードなので卑弥子さんも読んでみてね。
女の夢
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久々にレンゲさんから意味のある返信をもらって、すばらしい「クリスマスプレゼント」をもらった気分ですよ。
かなり、しんどい思いをして書いたと言うことですが、この「しんどい」というのが医者に無縁の僕には理解が難しいところですよ。
それで、「デンマンさんは冷たい人」だと言う印象をもたれるんでしょうね。
僕は子供の頃から精神障害者とは触れ合っているんですよ。
精神障害者といってもレンゲさんとは比べ物にならないほど症状が進んでいますから、全く比べることは出来ないんですよ。
いわゆる、本当のバカと言われる人なんですね。
その一人に“菊ちゃん”という女性がいました。
もう亡くなりましたよ。
僕が中学生の頃に26歳ぐらいでした。
この人は本当に精神年齢が7歳なんですよ。
だから小学校も行っていなければ、中学校も行ってないんですよ。
つまり、放置されていましたよ。
でも、面倒見のいい家族がいて、菊ちゃん自身は幸せな人でした。
僕の母親は、とても人に信頼され好かれる人なんですよ。
だから、この「ばか」も僕のお袋になつきましてね。
お袋が手内職の仕事を菊ちゃんに教えました。
だから、よく僕の家に遊びに来ましたよ。
とにかく、人から馬鹿にされることが多い人だから、僕のお袋のように、まともな「女性」として扱い仕事を教えてくれる人に何か感じるモノがあったんでしょうね。
人間の尊厳を認め合う、ということは僕のお袋の「教え」でしたからね、僕も菊ちゃんのことを一人の7歳の「女性」として見ていました。
だから、この菊ちゃんが僕に対しても親近感を覚えましたよ。
僕の家が近所のかみさんたちの溜まり場のようになっていて、時々集まっては「井戸端会議」をするわけですよ。
もちろん、僕のお袋は菊ちゃんも仲間に入れるわけですね。
ある時、5人ぐらいのかみさんの一人が、こういうことを言ってからかったんですよ。
「菊ちゃん、アキラ(僕の名前)さんもそのうちお嫁さんをもらうからね、アキラさんのお嫁さんになりたかったら、今のうちにお母さんに頼んでおきな」
そしたら、菊ちゃん真に受けて、すぐに家へ跳んで帰りましたよ。
かみさんたちは爆笑でした。
僕は中学生でしたからね、爆笑が聞こえましたが、話の内容までは分からない。
後でお袋から聞かされました。
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7歳の「女性」でも、お嫁さんになることは「夢」なんですよね。
その時は笑い話でしたが、7歳の「女性」でも「女の夢」を持っていた、ということを今から思い出すと考え深いですよ。
別に、レンゲさんと菊ちゃんの関連性はほとんどないんです。
ただ、「冷たい人」と言うレンゲさんの言葉を見た時に、この菊ちゃんのエピソードが思い出されたんですよ。
「いや、レンゲさん、デンマンは結構心の暖かい人なんですよ」ということが言いたかったんでしょうね。
『愛は希薄になっていませんわ。セックスで埋め合わせてもいませんわ』より
(2006年3月6日)
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ああ~♪~らァ、菊ちゃんはマジでデンマンさんのお嫁さんになりたかったのでござ~♪~ますか?
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うしししし。。。そうなのですよう。
。。。んで、どうしてこのエピソードを持ち出してきたのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、“ヨシヤ長屋”は菊ちゃんの家と僕の実家に挟まれているので、当然の事だけれど、“ヨシヤ長屋”は菊ちゃんの行動半径に入っていたのですよう。
つまり、菊ちゃんは“ヨシヤ長屋”の横田家の人たちとも仲が良かったのでござ~♪~ますか?
少なくとも、当時の横田青年は菊ちゃんとも何度となく顔を合わせていたはずです。菊ちゃんの方が年上だったけれど、横田青年とはあまり年が離れてなかったはずです。
菊ちゃんは、それ程活発に動き回っていたのですか?
そうなのですよう。人の話はある程度分かりますからね。菊ちゃんは良く理解できないながらも噂話を聞くのが楽しみで、井戸端会議にはたいてい出席していましたよう。難しい話は分からないけれど、理解できる話は、バカの一つ覚えのように、同じ話を何度も何度も他の人に話すので、しまいには嫌がられました。
。。。んで、“ヨシヤ長屋”の住人の中には、デンマンさんのお母様と井戸端会議をなさる人も居たのでござ~♪~ますか?
居たのです。たいてい同じ内職をする人たちが仕事を持ち寄って僕の実家の縁側に集まって井戸端会議をするのだけれど、どこにでも、怠け者は居るものですよう。何もすることがなくて噂話をしにやって来る人もその仲間には居ました。
横田青年のお母様はどうでしたのォ~?
当時、働きに出ていたようですよう。だから、僕は横田青年のお母さんを何度か目にした事はあったけれど、井戸端会議にやって来たのを一度も見ませんでした。
つまり、それ程働き者だったと言うことですか?
そうなのですよう。確か、僕が小学校の5年生か6年生頃に、肉屋さんを始めたのですよう。
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上の地図で愛宕神社の上の青丸でござ~♪~ますか?
そうです。現在はもう、その店はありません。“ヨシヤ長屋”は愛宕神社の右に見える青い芋虫がそれです。横田夫婦は一生懸命に働いてお金をためて店を出し、借金を返すために家族の皆が一生懸命に働いていましたよう。
そう言う状況の中で横田青年は行田高校へ進学したのでござ~♪~ますか?
おそらく横田青年は熊谷高校に進学したかったのかもしれません。
なぜ、そうしなかったのでござ~♪~ますか?
たまたま、横田・前市長の話をお袋としたら、“ヨシヤ長屋”のおかみさんから聞いた話だと言って僕に話してくれたのだけれど、横田青年の父親は実の父親ではないと言う事でした。
つまり、お母さんが再婚した時の連れ子なのでござ~♪~ますか?
そうらしいのですよう。横田青年は経済的に負担をかけられないと思い、父親に遠慮して、歩いて通える行田高校に決めたのではないか?僕は、そう思ったのですよう。
でも、電車通学ぐらい、たいした経済的な負担にはならないでしょう?
あのねぇ、当時、高校進学は経済的に余裕がなければ諦めて、定時制に行くか、中学卒業で働きに出るのが当たり前な時代だった。日本はまだ経済大国になる前だったから。。。
デンマンさんが中学卒業の頃は、どうだったのでござ~♪~ますか?
経済大国をめざしてまっしぐらで、僕が中学生の時に東京オリンピックがありましたからねぇ。。。経済的に日本が良くなっているときでした。でも、50人のクラスで中学卒業で就職した人は10人ぐらい居ましたよう。とにかく、中学校の先生が、校長先生をはじめとして、みな自転車通勤でしたよう。その中で大学を出てまだ5,6年の若い先生が自家用車を買ったのですよう。
自家用車を持つ事が珍しかったのですか?
もちろんですよう。生徒の間では、7万円の超中古の自動車だとウワサされて、その先生はバカにされていましたよう。
じゃあ、“ヨシヤ長屋”から大学へ進学した人は居なかったのでござ~♪~ますか?
横田青年の世代では、誰も大学へは行きませんでしたね。僕の同級生で一人だけ“ヨシヤ長屋”から大学へ進学しました。
つまり、横田青年が市役所に就職した時には大学卒の職員は少なかったのでござ~♪~ますか?
横田青年が大学に進学していたとすれば、順調に卒業したのは1964年ですよう。大学進学率を調べたら次のような結果をゲットできました。
大学進学率の推移
1957(昭和32)年 16.1%
1960(昭和35)年 17.2%
1965(昭和40)年 25.4%
1970(昭和45)年 24.2%
1975(昭和50)年 34.2%
1980(昭和55)年 31.9%
1985(昭和60)年 30.5%
1993(平成5)年 34.5%
2003(平成15)年 48.6%
『男女別大学進学率の推移』より
横田青年が高校を卒業した年が1960年。当時、大学に進学した人は100人のうちわずかに17人。
少なかったのですわねぇ~。今年の春には進学率が初めて5割を突破したそうでござ~♪~ますわ。二人に一人が大学に行くようになったのですわ。
大学進学率、初めて5割超す
2009年8月7日
今春の大学への進学率が現役・浪人合わせて初めて5割を突破したことが6日、文部科学省の学校基本調査(速報)でわかった。
短大を含めた進学率も56・2%と過去最高を更新。
志願者に対する入学者の割合は92・7%に達したが、「大学全入」時代には至らなかった。
同調査によると、今春の大学への進学者は60万8730人となり、昨春より約1500人増え、進学率は1・1ポイント上昇して50・2%だった。
進学者数は、調査項目に加わった1954年度(13万5833人)の4・5倍。進学率は、94年度に30%を超えてから徐々に増加し、この15年間で20ポイント増えたことになる。
短大を含めた進学率は、昨春より0・9ポイント増の56・2%。現役だけでも53・9%となり、過去最高となった。
また、大学卒業後、進学も就職もしなかった人は前年度比約8000人増の6万7888人となり、6年ぶりに増加に転じた。
文科省は、昨秋からの景気の悪化が原因とみている。
出典:読売新聞(2009年8月7日)
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