愛の呉音(PART 1 OF 3)
【小百合の独り言】
実は、私も祖先が百済からの難民だったなんて、デンマンさんに教えていただくまで全く知らなかったのですわ。
百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ。
私の実家は館林にあるのです。
行田市のデンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことはなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”だったのです。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”があったのです。
この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。
この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。
でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?
私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。
DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。
これだけでは、単なる偶然ですよね。
でも、ジューンさんは次のように言ってましたわ。
こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語では
この諺は無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance is
a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。
『出会い系の悪魔 (2008年9月10日)』より
デンマンさんと私の出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですってぇ。
つまり、私とデンマンさんに共通するモノが実にたくさんあるのですわ。
“海外飛躍遺伝子”もその一つです。
それに、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、私とデンマンさんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのです。
いろいろな話をデンマンさんから聞かされるにつけ、
デンマンさんの祖先と私の祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしてきたのです。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
『愛の呉服 (2010年2月25日)』より
デンマンさんの祖先が戦争に敗れて百済から日本へやって来たように、呉の国の人たちも戦争に敗れてたくさんの人が“ボートピープル”になって日本にやってきたのでござ~♪~ますか?
当然ですよう。ベトナムからだって日本に難民がやって来たぐらいなんだから、それよりももっと近い呉の国から難民が来なかったら、その事の方が不思議ですよう。
。。。んで、どうして呉服が日本人に使われるようになったのでござ~♪~ますか?
“同病相哀れむ”
実は、難民であるという境遇が似ていたことから、呉からやって来た難民の子孫と僕の祖先の男が結婚したのですよう。その呉人の血を持つ女性は、とっても手先が器用で美しかった。
あらっ。。。なんだか、あたくしに似ていますわねぇ~。。。うふふふふふ。。。んで、その女性と、デンマンさんのように美人に誘惑されやすい祖先の男性が家庭を持ったのでござ~♪~ますか?
うしししし。。。卑弥子さんには良く分かりますねぇ~。。。実は、そうなのですよう。。。それで、僕の祖先の家庭に呉の織物や着物の縫製方法が伝わったのですよう。日本人がこれまで見たこともないような素晴らしい着物を仕立てたので、評判になった。
それが、日本に呉服が広まるきっかけになったのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。呉服が日本に広まる元を築いたのですよう。言ってみれば初めての呉服屋を開いたのです。
マジで。。。?
僕は冗談を言っているのではありません。
でも、どうして、デンマンさんはご存知なのですか?
だから、僕の祖先が何世代にもわたって語り継いできたのですよう。
まさかァ~。。。?
卑弥子さんは信じることができないのですか?
だってぇ~。。。
あのねぇ~。。。「呉服」が現在でも使われているように、漢字の読み方でも、いまだに「呉音」が使われているのです。。。つまりねぇ~、いかに多くの難民が呉からやって来たかという証拠ですよう。
でも、デンマンさんの祖先だけが何世代にもわたって呉服が広まったという話を語り継いできたというのは可笑しいではござ~♪~ませんか?
いや。。。ちっとも可笑しくありません。
どうして。。。?
僕が受け継いでいる DNA の中にその秘密が隠されているのですよう。
あのねぇ~、デンマンさん!。。。いい加減な事をおっしゃらないでくださいましなァ~。。。小百合さんが上の独り言の中でも DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているような事をおっしゃっていますが、そのような事は誰も信じませんわ。
だったらねぇ、ここで取って置きのエピソードを卑弥子さんに教えますよう。
そのようにもったいぶらないで、細木数子のよにズバリ!とおっしゃってくださいな。
実は、すでに記事に書いた事なのですよう。引用するから卑弥子さんもじっくりと読んでくださいね。
(すぐ下のページへ続く)