愛の不安(PART 1)
デッドリンクだらけ
そもそも、デンマンさんは
たくさんのブログを持っておられますが、
それらの全てが、まったく同じ内容だということも、
タノムの目から見れば、
コピペ馬鹿だとしか思えません。
毎日更新すればいいというものではないでしょうに...
ネタも使い回しです。
読者は一体、何度同じ文言を読まされるのか...
そして、デンマンさんのブログの登場人物である
「小百合さん」と「めれんげさん」
彼女らの存在抜きに、
デンマンさんのブログは、
成立しないでしょうね。
つまり、彼女たちは格好のブログネタとして
利用されているわけです。
以前からデンマンさんに注目してきたタノムには
大きな疑問があるのです。
それは、デンマンさんの云うところの
「素晴らしい人たち」が、
ここのところ、全くなりをひそめていることです。
憶えているかぎりですが、
めれんげさんを、激しく糾弾していた「ふじこさん」
やや穏健派の「メラングさん」
日和見的な「みゆきさん」
その他数人の取り巻きに、
デンマンさんは関わっていたように思えます。
いや。
ずばり言いましょう。
上記の取り巻きは、すべてデンマンさんの
脳内で造られた非人格なのでしょう。
デンマンさんは、めれんげさんを非難するために、
多くの仲間が必要だったのです。
そして、「レンゲのフォーラム」なるものを
立ち上げて、めれんげさんのパロディである
「レンゲさん」というキャラクターを作りました。
それは、めれんげさんを個人攻撃するための
緩衝的なキャラクターだったのです。
レンゲさんを攻撃することは、
めれんげさんを攻撃することとイコールだったのです。
デンマンさんは、レンゲさんを架空の存在としています。
それは確かにそうでしょう。
めれんげさんを直接攻撃するのを、
避けるためだったのですから。
理解できないのは、デンマンさんがなぜ
あのように、めれんげさんに固執するのかということです。
めれんげさんの気持ちは、いずれタノムが
メール等で伺ってみるつもりです。
by Tanomu (タノム)
2009-09-28
『デンマンさんの生態研究』より
(2009年9月28日)
デンマンさん。。。今日はタノムさんの記事まで持ち出してきやはったん?
そやかてぇ~。。。わての事も、めれちゃんの事も書いてあるのやでぇ~。。。無視する訳にはいかんわァ~。
そやけど、タノムさんが書きはったのは去年の9月ですやん。。。あんさんは最近になって初めて読みはったん?
いや。。。前にも何度か読んだ事があるねん。
それなのに、どうして半年以上も経ってから持ち出してきやはったん?
次の箇所が気になったのやがなァ~。。。
理解できないのは、
デンマンさんがなぜあのように、
めれんげさんに
固執するのかということです。
タノムさんの上の言葉があんさんの気に障りはったん?
そうやァ。
どうして。。。?
どうしてってぇ、タノムさんのように『デンマンさんの生態研究』と言うグループを立ち上げて、わての記事を毎日のように読んできた人が言う言葉とは思えんかったのやァ。
それで、あんさんは、どないするつもりやのォ~?
どないも、こないもないやんか。わてはタノムさんに読んでもらおうと、この記事を書く事に決めたのやァ。
つまり、あんさんがどうしてわたしに固執するのかという事をこれから書きはるの?
いや。。。わてはその理由を書く必要ないねん。
どうして。。。?
めれちゃんがわての代わりに書いてたのやァ。
そのような事、わたしは書いた事がありませんがなァ~。
確かに、わてのために意識して書いたものではないねん。でもなァ~、めれちゃんの書いたものを読んでゆくと、なぜ、わてがめれちゃんに固執するのか?。。。その事が、よう分かるようになってるねん。
ホンマかいなァ~?
とにかく、まず、めれちゃんの次の手記を読んで欲しいねん。
頭の中の騒音
頭の中の騒音が鳴りやまない
やめてくれ
何ひとつ手につかないじゃないか
少し静かにしてくれないか
カートコバーンの気持ちが
本当によくわかるんだ
彼だってきっと
頭の中の騒音を止めるために
自分の頭を吹っ飛ばしたんだろう
聞いてないわけじゃない
見えてないわけじゃない
自分の内側から邪魔されてるんだ
それをボンヤリしているって言われるのは
本当に不本意なんだ
そして異常なほどの集中力
キチガイじみた過集中
疲れたりなんかしないさ
わたしの頭の中でくっきりと見える何かが
わたしをひっぱりまわして
先へ先へと急がせるんだ
静と動が激しく拮抗する毎日
異常だと思われてるのは知ってるさ
だけどこんなキチガイに
信頼を置いてくれる人がいる
わたしの過集中を買ってくれる人がいる
あの人だけは裏切りたくない
by めれんげ
October 09, 2009 12:50
『極私的詩集 頭の中の騒音』より
この手記を読むと、あんさんがわたしに固執している事が分かるとでも言わはるのォ~?
いや。。。この上の手記だけを読んだのでは分からん。。。でも、この手記を読むと、めれちゃんがどうして落ち込むのかが分かる。
わたしは、どうして落ち込むの?
めれちゃんは、次の手記の中ではっきりと書いている。
豚の世界
驚異の世界だったんだ
一日一回は奇妙なことがある
私はいつの間にか豚になった
誰が見ても豚に見えるらしい
豚になったんだから
豚らしくふるまわなくてはいけない
みんなに豚として扱われるのだから
心はまだ豚じゃないのに
奇妙なことが起きるのは
私が豚としての自覚を持たないからだろう
by めれんげ
October 15, 2009 19:23
『極私的詩集 豚の世界』より
分かるやろう?。。。つまり、カート・コバーンが自殺した理由と同じ理由で、めれちゃんの場合には、自殺ではのうてぇ落ち込んでしまう。
わたしが豚としての自覚を持たないために、わたしが落ち込むと、あんさんは言わはるのォ~?
実は、カート・コバーンも、めれちゃんと同じような精神的な苦痛を味わったのやでぇ~。
カート・コバーン
商業的成功と精神的苦境
1991年の『ネヴァーマインド』発売はまさに当時のアメリカ音楽界にとって衝撃であった。
『ネヴァーマインド』は80年代ヘヴィメタルの栄光に終止符を打ち、一夜にして「グランジ」が新たなアメリカ音楽界のトレンドとなった。
ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムや、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、シアトルは急激にアメリカでもっとも「ホットな」都市となった。
このようになんと彼らはメジャーデビュー1枚目のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていた。
もともとアンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を結果的に裏切ってしまったように感じていた。
また、メディアの伝える彼の姿と自分の本来の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。
さらに、カート自身『ネヴァー・マインド』製作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行ったため、自分自身にも強い憤りを感じていた。
そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。
その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病、さらにはドラッグ依存症と悪戦苦闘し、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月5日、シアトルの自宅で27歳で自ら命を絶った。
遺書には、強烈な筆圧でニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away」(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)が引用されている。
また、ステレオがつけっぱなしになっており、R.E.Mのオートマチック・フォー・ザ・ピープルが流れていた。
27歳没。
これはブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソンや、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
めれちゃんは落ち込むだけで済んだのや。でも、カート・コバーンは自殺してしまった。
なぜ。。。?
心の友が居なかったのやなァ。つまり、苦しみを話して相談するだけの心の友が居なかった。それで、最悪の状態になってしまった。だから、めれちゃんは心の友にこだわるのやァ。
心の友を呼んできな
アンタとは何も話すことはないが
ふじこさんと話をさせろよ
みすずさんと話をさせろよ
メラングさんと話をさせろよ
あとの名前も忘れた連中とも
話をさせろよ
呼びだして来いよ
アンタの心の友ならば
私に関して言いたいこともあるだろう?
アンタばかりがしゃしゃり出て
他のみなさんはどこに行ったんだ?
まさかレンゲさんのように
架空の存在ってんじゃあないだろうな?
架空の存在がどうやって
素行調査なんてできるんだよ?
アンタも寂しい奴だな
心の友に
素晴らしい人々に
見捨てられちまったのかい?
by めれんげ
October 20, 2009 14:43
『極私的詩集 心の友を呼んできな』より
わたしは、あんさんの心の友のことを言うてましてん。
あのなァ~。。。わては心の友に見捨てられておらんがなァ。
つまり、小百合さんからまだ絶交状をもらっておらへんと、あんさんは言わはるのォ~?
もちろんやァ。。。めれちゃんとも仲直りしたのやでぇ~。。。
でも、わたしはネットのような実体のないものに頼ったりしまへん。
うん、うん、うん。。。めれちゃんは、確かに次のように書いていたなァ。。。
望みどおりの孤独
ゴキブリみたいにゾロゾロと
群れているのは楽しいか
仲間意識だと思っているのは
ホントはひとりになることを
恐れているだけなんだろ?
わずらわしい干渉が嫌で
わたしはひとりで生きているのさ
誰もわたしの居場所を知らない
携帯電話も変えちまったしな
もし今わたしがここで
ポックリ逝っちまっても
誰ひとり気付きはしないだろうさ
ネットでつながっているって?
そんな実体のないものに
すがりつくわけないだろう
リアルな生活とヴァーチャルな生活
どっちが真実かってことすら
わからないバカもいるだろうけどな
by めれんげ
October 22, 2009 16:24
『極私的詩集 - 望みどおりの孤独』より
上の手記を読んだのであれば、あんさんにもわたしの考え方が十分に理解できましたやろう?
うん、うん、うん。。。でもなァ~、人間は不完全なものやでぇ~。。。だから、間違う事もある。
つまり、上の考え方は間違っていると、あんさんは言わはるのォ~?
いや。。。わては、めれちゃんが間違っているとは言っておらんでぇ~。
でも、そのように聞こえますやん。
さよかァ~?
さよかァじゃありませんがなァ。。。あんさんの顔に、そう書いてありますやん。
かなわんなあああァ~。。。わての顔には“へのへのもへじ”しか書いてないねん。余計な事まで読んでもらっては迷惑やんかァ~。。。わては、めれちゃんが間違っているとは思うてないねん。。。ただ、めれちゃんは、わてと仲直りができるように、時にはハンセ~して考え方を変えることができる。
つまり、上の考え方をわたしが改めたと、あんさんは言わはるのォ~?
そうやァ。。。だから、めれちゃんはカート・コバーンと同じような苦痛を味わったけれども自殺せ~へんかったのや。
それで。。。わたしが、どのように考え方を改めたと、あんさんは言わはるのォ~?
めれちゃんは次のように書いていた。
(すぐ下のページへ続く)